第三百十話 愛に溺れたケダモノ その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
足に感じる疲労と雨で濡れた地面が前へ進む事を阻もうとするが、右手に感じる柔らかくて温かい女性の手の感触が体に積もる疲労感を忘れさせて体を前へと進ませる。
ここが大自然の中なので比較対象が無いから比較しようがないが、恐らく街中では酷く浮いた歩きの速度にも見えるだろう。
夜の森のお散歩は思いの外爽快なのは恐らく胸のつっかえが綺麗さっぱりと消失した感覚が大いに影響している所為なのだろう。
「レイド様っ!! もう少しゆっくり歩いて下さいまし!! しょ、少々疲れましたわ」
この歩幅、或いは歩行速度が彼女の体に合わないのか。
困惑と嬉しさ。
相対する感情が籠ったアオイの声が背から届く。
「そう!? 俺は全然疲れていないよ!?」
何だか頬と額が熱く頭もぽぅっとするがそれはきっと高揚感から来る熱であろう。
アオイが心を開いてくれた。
たったそれだけの事なのにここまで燥ぐのは子供っぽいかしらね??
でも、アオイが俺の事を信用してくれると言ってくれたんだ。これが嬉しくない訳がないだろう!?
『こ、これ以上は進ませないぞ!!』
俺達の歩みを止められるものなら止めてみろ、と。
進行方向の前に現れた若干引き腰の枝を体で跳ね除け、歩みを遅らせる泥を撥ね飛ばし。
猪さんの猛進撃にも似た速度で暗き森の道なき道を進み続けていると視界が柔らかい橙の明かりを捉えた。
到着だ!!
アオイの手を握ったまま森から飛び出してぽっかりと開いた空間へと躍り出た。
「「「レイド!! アオイ!!」」」
長机の前に集まっていた全員が俺達を見付けると同時に驚愕の声を上げ。
「皆!! ただいま!!」
俺はそれに応えるべく、覇気の良い声色と声量で口を開いた。
「アオイちゃん!! 心配したんだよ!?」
狼の姿のルーが一番で駆け寄り、元の顔色に戻ったアオイの端整な顔を見上げる。
「御迷惑をお掛けしましたわ」
「え?? あ、うん。別にいいけど……」
繋いでいた手を放してルーの前にすっとしゃがみ込むと彼女の頭を嫋やかな手で撫で始める。
予想していなかった柔らかい態度に灰色の狼が逆に狼狽えてしまっていた。
あれからかなりの時間が経過していたんだな。
師匠達が湯から戻り、マイ達は静かに椅子に腰掛け全員が野営地の中央の机の周りに集結していた。
強張った顔を浮かべる者、友を心配する優しい瞳を浮かべる者、そして。
「アオイ。話を聞かせなさい」
厳しい教育者であり尊厳ある母親の顔を浮かべている蜘蛛の女王様から召集命令が下る。
闇夜に相応しい冷徹な瞳の中に浮かぶ橙の明かりが怪しく映り、感情が籠められていない声色が背の肌を冷やす。
フォレインさん、何だかちょっと怒っている感じだな……。
恐らくマイ達から事情を伺ったのだろう。
「ルー、申し訳ありませんわ。少々外します」
「行ってらっしゃい!!」
「えぇ、行って来ますわ」
狼の毛皮から手を離し、柔らかく口角をきゅっと上げて向かって行った。
だ、大丈夫かな……。俺も付いて行って彼女の補佐役を務めた方が良いのでは無いだろうか??
心急く思いでアオイの芯の通った背中を見ていると腰付近からルーの声が届いた。
「ねぇ、レイド」
「ん?? どうした??」
俺の顔を見上げる金色の瞳を見下ろす。
「アオイちゃんと変な事しなかった??」
「ぶふっ!?!? し、失礼だな!! 俺は至極真っ当な説得を行い、意見の相違を取り除いて此処に戻って来たんだ!!」
全く以て心外だ!!
これでもかと顔を顰めて腕を組み、荒い鼻息と共に言い放ってやった。
「私は見ていた訳じゃないからねぇ。さてさてぇ?? マイちゃんとアオイちゃん。どんな反応するのかぁ。ワクワクしますねぇ!!」
私は大変高揚していますよと言わんばかりに尻尾を振りつつ机の前へと進む。
「はぁ――……。頼むから邪魔するなよ」
陽気な狼の背を追い左右へ揺れ動く尻尾へ向かって諭してやった。
「邪魔はしないよ。正確に言えば、出来ないと言えばいいのかな??」
「出来ない??」
「うんっ。アオイちゃんが戻って来たって事は、マイちゃんと仲直りする為じゃないかなぁって」
ほぅ……。
普段はおちゃらけているけどこういう事に関しては勘が鋭いですね。野生の勘とでも言えばいいのか。
あ、いや。女性の勘かしらね。
お惚け狼の的を射た言葉に頷きつつ、野営地の中央に腰を据えて存在している長机の前に到着した。
「アオイ、事情を説明しなさい」
机の向こう側に座る蜘蛛の女王様が娘へと命令を下す。しかし、彼女は女王の命に反し。
「お母様、申し訳ありません。先に此方の用件を片付けますので……」
フォレインさんの後ろを通過。
「……ッ」
男らしい姿勢で椅子に座り、腕を組んでむっっっっすぅうっ!! と眉を顰めているマイの背後へと身を置いた。
「「…………」」
どう話を切り出そうか。 聞いてやる。
自分の失態は言い難い。 早くしろ。
出来る事なら顔を合わせたくない。 さっさと話せ。
両者互いに形容し難い表情を浮かべ、見方によっては一触即発も有り得る雰囲気に皆が固唾を飲んで見守る。
頼むぞぉ……。上手く行ってくれよ??
そしてお願いだから喧嘩に発展しないで下さい!!
万が一の時に備え、いつでも飛び出せる体制を保持していると。
「――――。おい、早くしろや。こっちは聞いてやる態度を保つ事に必死なんだよ」
痺れを切らしたマイが第一声を上げた。
言葉と態度は難ありだが、これでアオイが話し易くなったな。多分、マイも彼女の立場を考えて……。
いやいや、あれはアイツの短気な性格から出て来た本来の言葉だ。そこまで器用な事が出来る奴じゃないものね。
「すぅ――……。ふぅっ……」
アオイが大きく息を吸い込み、呼吸を整えると。
「私は……。あなたを殺めようとしました。あなたを殺す事。それが私に課せられた課題だったのです」
大変聞き取りやすい口調と声量で己に与えられた無理難題を告白した。
「「「っ!?」」」
誰かの息を飲む音、驚きにも似た吐息が小さくこだまする。
「私はその要求は了承出来ないと跳ね除けましたわ。しかし……。己に負け。レイド様が身を挺して守ってくれなければあなたを殺めていました」
「ふぅん。あっそ」
あなたと犬猿の仲であるアオイが謝意を伝えようとしているのです!!
お願いしますからもう少し相手の気持ちを汲む態度と姿勢を取って下さい!!
「ですから、私はあなたに謝罪を述べる義務があるのです。すぅぅぅぅ……。ふぅぅ」
アオイが目を瞑り、己の胸元に右手を添え五月蠅く鳴っているであろう心臓を宥める。
犬猿どころか敵対関係と捉えても構わない人物に謝罪を伝えるのだ。彼女の気持ちは大いに理解出来る。
夜の森の中で俺の胸に顔を埋めて嫌がっていたのは恐らくこの行為に対しての行動だったのだろう。
相手が敵であるのならば謝罪を伝える必要は一切ない。しかし、友人……。いや、友人関係と類似した好敵手の関係であるマイには筋を通した謝罪が必要なのだ。
アオイが瞳を閉じて数度深い呼吸を繰り返した後、そっと静かに瞼を開く。
そして意を決した様な瞳の色を浮かべると小さく口を開いた。
「マイ、大変申し訳ありませんでしたわ。私の無礼をお許し下さい」
アオイがマイに対して大変美しいお辞儀を放つと共に謝罪として相応しい言葉を放った。
良いぞ!! よく言えましたね!!
自分の娘が喧嘩相手である近所の子供に謝る光景を捉え、娘の成長ぶりをしみじみと痛感するお父さんの温かな感情が心の中に湧いてしまった。
「う、う、う、嘘だろぉ?? アオイが謝った……」
ユウがポカンと口を開き。
「アオイさんがマイさんの名前を呼んだ……」
アレクシアさんが手に持つコップを地面へと落とし。
「ほほぅ!! 明日は槍が降るねぇ……」
ルーが狼の姿のままで腕を組み、ウンウンと頷いた。
器用に前足を曲げますね??
「苦しんでいた理由を聞いたからって私が許すと思ったの?? 苦しんで辛いのなら誰かに頼れや。あんたは自分で思っている以上に弱いんだから」
「えぇ、その様にレイド様も仰いました。私は自分だけが苦しむべきだと理解して差し伸べられた手を拒絶してしまいましたわ。でも……。それは仲間、友としては間違った選択肢です。そして、私は皆の見守る愛を裏切った。その点に付いては謝罪してもしきれません。この場を借りて言わせて頂きますわ」
アオイがマイの背中から視線を切り、俺達へと向け。
「皆さん。この度は私の身勝手な行動がこの様な事態を招き、ご迷惑をお掛けしました事を謝罪させて頂きます。大変申し訳ありませんでしたわ」
美しいお辞儀を放ってくれた。
「別にいいよ!! いつものアオイちゃんが大好きだからさ!!」
「ふんっ。悩んでいたのなら次からは話せ」
狼二頭が頷き。
「アオイさん!! お帰りなさいっ!!」
「無理は駄目ですよ??」
アレクシアさんとカエデが柔和に笑みを浮かべ。
「もっと頼ってくれよ!! あたしならいつでも空いているからさ!!」
「ふんっ!! 許した訳じゃないからねっ!?」
「お前さんは少し強情だ」
「いでぇ!!」
まだ顰め面を浮かべるマイへ、ユウが豪快に頭を叩く。
「あはははぁ!! マイちゃん、痛そうだねぇ!!」
「ふふっ。ユウさん、勢い良過ぎですよ――」
その姿が余程滑稽に映ったのか。周囲の硬い空気が一気に柔らかく陽性な物へと変容した。
良かった……。上手くいったみたいだな。
俺もほっと胸を撫で下ろして空いた席に着こうとすると。
「っ!?」
心臓の拍動の音に似た形容し難い音が一つ大きく鳴り響いた。
音の発生源を確かめるべく、周囲へ忙しなく視線を泳がせていると一人の女性の前で視線が止まった。
「こ、これは……??」
アオイの体から赤い魔力が滲み出して大気の中で朧に立ち昇る。
彼女は信じられないといった表情を浮かべ己が体を見下ろしていた。
「アオイ。そのまま精神を集中させなさい」
「お母様……」
「あなたならもう……、分かっていますでしょう??」
「は、はい!! 行って参りますわ!!!!」
フォレインさんの指示通りアオイが瞳を閉じて集中力を高めると力無くその場へと倒れ込んだ。
「っとぉ。目が覚めるまで寝かせてやろうか」
ユウが優しくアオイの体を抱き起して椅子へ静かに座らせた。
「先生。あれって……」
「そ。さぁ……。びっくり仰天大覚醒の始まり始まりぃってね!!!!」
覚醒の始まり??
アオイは課題を拒絶したからそれは叶わないのじゃないのか??
理解が及ばない事象に呆気に取られつつ、今も迸る魔力を放出している彼女の体を見守り続けていた。
お疲れ様でした。
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