第二百九十一話 双狼の内に潜む者達
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
肌を刺す真夏の熱射から一転。
静かに呼吸をして空気を取り込むと肺に僅かな痛みが生じる様な、体の芯まで凍える冷涼な空気が体を包み込む。
この寒さを視覚的に表現するかの様に吐く息は白く、そして形容し難い形へと変容を遂げて空気の中に霞んで消え行く。
遠い彼方の地から届いた風が降り積もった新雪を攫い上げて、宙に舞った粉雪が私の顔に付着する。
その雪を静かに払い、空気に揺らぐ己が吐いた白い靄から視線を外して周囲の様子を窺うと。
「ほぅ……。我が故郷の森ではないか」
針葉樹林が私の周りを囲み子の背丈まで降り積もった新雪が厳しい季節を表していた。
生命の鼓動が休眠する静まり返った冬の森。
私が好きな季節の一つだ。
狼の足で穢れ無き白を踏むと心地良い感覚が足の裏を伝わり心を潤し、鼻腔に優しく届く森の香りと冬の香りが心をどこまでも落ち着かせてくれた。
そして、耳を澄ませば雪の囁き声さえも聞こえてきそうな静寂が好ましい。
いつか……。主にも見せてやりたい光景だ。
冬の憂い、凍る空気の痛みを楽しんでいると喧しい声と足音が後方から颯爽と近付いて来た。
まぁ、私がここに居るのなら奴も当然居るであろう。
「お――!! リュー!! ここに居たんだねぇ!!」
「喧しい。声を荒げなくても聞こえている」
我が半身が陽気な狼の姿で白き雪を掻き分けながら私の下へと到達した。
「ふぅ――!! やっぱり雪の中を駆け回るのは気持ちが良いねぇ!!」
蹴り上げた雪が体中に降り注ぎ己に降り積もった雪を、体を震わせながら振るい落とす。
「あぁ、一年振りの雪景色だ。たった一年なのに……。こうも懐かしく感じるとはな」
主達と出会ってまだ一年も経っていないのに故郷の冬景色が懐かしく感じてしまう。
それはつまりそれだけ充実した時間を過ごしている所為なのであろう。
凍った水が溶け始める様に里ではゆるりと時間が流れていたが。五月蠅い連中と過ごすとそれは瞬き一つの間に溶けてしまう。
時間とは面白い物だな。
身を置く環境でこうも体感が変化してしまうのだから。
「懐かしいのは良いけどさぁ。これからどうするの??」
私と並び静かな森を窺いつつ話す。
「どうすると言われても困る」
イスハ殿は己の内に潜む者との対峙と言っていたが……。その痕跡の欠片さえも掴めない。
魔力、匂い、気配。
その全てが一切感じられぬのだ。
「そっかぁ。じゃあ、適当に進もうよ!!」
嬉しさと楽しさ。
幾つもの陽性な感情を滲ませた後ろ姿を私に晒すと前方へ向かって駆け始める。
「私の前を進むな」
生まれ故郷の森の景色で気が緩むのは了承出来ぬ。ここは現実世界では無く我々の精神世界だ。
何が潜んでいるのか分からないんだぞ??
後先を考えない馬鹿な半身が勝手に厄介事を踏む前に私が感知せねば。そう考えて、愚か者の前へと躍り出た。
「あ――!! ちょっと!! 速く走ったら卑怯なんだよ!?」
何が卑怯か分からぬが……。
私と並走する事は許さん!!
「遅いぞ。訓練をさぼっているのが顕著に現れたな」
「ま、まだまだ速く走れるもん!!」
互いに己の豪脚を競う様に白き雪の中を疾走し、森の合間を巧みに縫い前進を続ける。
ふふっ、懐かしい。昔はこうしてよく雪の中を駆けたものだ。
「だねぇ!! 懐かしいよね!!」
「そうか。体を合一させて精神の世界に潜り込んだから私の心の声が聞こえるのか」
「多分そういう事だろうね!! と、言う事はぁ……。変な事考えたら直ぐバレちゃうね!!」
そんな事は考える必要は無いであろう。
「そうかなぁ。じゃあ……。わぁっ!! 危ない!!」
ルーが目の前に突如として出現した木の枝を躱し。
「ふぅ……。速く走っているからぶつかっちゃいそうだったよ!!」
口角をきゅうっと上げて可愛らしい笑みを浮かべた。
「例えばぁ。あ、そうだ!! リューはレイドの事どう思っているの!?」
「は?? 主の事か??」
「そうそう!! 好き?? 嫌い??」
唐突な質問だな。
「こういう時位しかこういう話は出来ないからねぇ……」
普段は喧しい連中に囲まれているからな。
「ううん。そういう事じゃないの」
「そういう事じゃ無い?? それはどういう……」
どういう意味だと問おうとするとこれ以上前へ進む事を体が無意識の内に拒絶してしまい、四つの足をその場に留めてしまった。
な、何だ……。この前方から襲い来る常軌を逸した圧は。
「びゃっ!!!! リュ、リュー!! こ、こ、この先に誰か居るよ!!」
「分かっている。これは……。警告なのか??」
これ以上こちらに近付くなとも受け取れるし、敢えて気配を現した可能性も捨てがたい。
さてどうするべきか……。
「この感じ、イスハさん達より強いよ……」
雷狼の勘というべきか、それとも野生の勘か。
強烈な力を掴み取ると普段の惚けた態度とは異なり、鋭い瞳を浮かべて私と同じく低い姿勢で警戒を続けていた。
ここで立ち止まっていても問題が解決される訳ではない。寧ろ、私達はこの呆れた圧を放つ傑物に会う為にここへ来たのだ。
恐れ戦くはお門違い。
「ルー、行くぞ」
強くなる。
たった一つの目的を果たす為に私は強力な警戒態勢を保持しつつ前方へ進行を開始した。
「う、うん。リューの後ろについて行くよ」
緊張感が高まるにつれ雪を踏む矮小な音が、巨大な足で大地を踏みつける巨音に聞こえてしまう。
これ程の緊張感は久しく感じていない。
正確に言えば、私の短い人生では経験した事が無いと言えば良いのか……。
呼吸数が意図せずとも増加して口内が乾き、舌が口腔にへばりつき不快感を与えて来る。
仰々しく鳴る心臓の音が体を伝わり頭の中に響く。
心臓の音が外に漏れているのでは無いか?? そんな気持ちさえ抱かせる。
蟻と等しき進行速度で恐る恐る進み、木々の合間を抜けると雪が降り積もった大地から少し高く昇った岩が見えて来る。
そして、その頂には一頭の巨狼が堂々たる構えで私達を待ち構えていた。
「――――。よく来たな。我が血を受け継し者達よ」
男の声が響くと同時に巨狼から常軌を逸した魔力が溢れ出して大気を激しく揺らす。
「「ッ!!!!」」
私達はほぼ同時にそれから逃れる様に後退して戦闘態勢を整えた。
な、何だ!? 今の圧は……。
魔力を解放しただけで五臓六腑が捻り潰されたかと思ったぞ。
「リュ、リュー……。私、怖いよ」
「恐れるな。恐れは死に繋がるぞ……」
臆病風に吹かれる訳では無いが……。あの狼の姿を捉えると私も刹那に恐怖を覚えてしまった。
巨狼の右の瞳は燃え盛る炎を彷彿とさせる程朱に染まり、左の瞳は澄み渡った空の如く清らかに青い。
巨大な口から覗く牙は森羅万象、全てを噛み砕く事を可能とし。もしも神が居るとするのならば牙の恐ろしさから遠い地へと逃れるであろう。
素晴らしい筋力を搭載した大地を捉える四つの足、その先に生える鋭い爪。
巨躯を覆う毛皮の色は降り積もった雪よりも美しき白銀であり彼方から吹く風によって滑らかに流れていた。
あの巨狼が我々の内に潜む傑物か……。
いや、巨狼では無く。神狼と呼ぶべきか。
風に乗った粉雪が流れ行くこの白銀の景色の中、静かにそして厳かに佇む狼の姿は抗う事を忘れ思わず頭を垂れたくなる程に神々しく映った。
「ふふ……、そう恐れるな。私は今試したのだ」
神狼が巨大な口を開くと静かに言葉を漏らす。
試した??
「そうだ。弱者は私の前に立つ事さえ叶わない。私の放つ圧に恐れをなして逃亡。又は平伏して命を救ってくれと懇願する。しかし、貴様らは私から下がったものの戦闘態勢を継続させている。それが何よりの答えだ」
「つまり……。初手は及第点だと??」
「あぁ、そうだ。弱き双狼よ」
弱い、か。
この人から見れば私達等、赤子同然の強さだと感じているのだろう。
「ね、ねぇ。会ったのはいいけどさ。これからどうすればいいの??」
「私に聞くな。彼に伺え」
「え――。リューが聞いてよ」
『あはは!! もう一人の私はやっぱり弱気ちゃんだねぇ!!』
神狼の中から女性の軽快な声が響いた。
どういう事だ?? 私達と同じく、彼もまた二身同体なのか??
『大正解っ!! 今顔を見せるね――!!』
「ちっ。仕方があるまい……」
神狼の体が突如として強烈に発光してその光が止むと……。
「やっほ――!! もう一人の私だよ――!!」
青き瞳の神狼が軽快な声を上げ。
「五月蠅いぞ。我々は気高き雷狼の血を受け継ぐ者達なのだ。それなりの態度を保て」
赤き瞳の神狼がそれを諭した。
お、驚いた。私達と瓜二つではないか。
「そうだ、リューヴ。我々は貴様達と同じく二身同体の特徴を持って生まれたのだ」
「そうそう!! ルー達と違う所はこっちが男で私が女の子ってところかなぁ。そっちは羨ましいよ。二人共女の子だから悩みも共有出来るし?? 服も貸し合えるからさぁ……」
いや、服の趣味は正反対なので貸し借りはしない。
「あっ、そっか!! リューヴは格好悪い服が好きだものね!!」
機能性を重視していると言って貰いたいな。
「それより……。私の心の声が聞こえているという事は。ここが私達の精神の世界だから。それで合っているな??」
先程からの様子を窺うに、恐らくそうであろう。
「うんっ!! リューヴだけじゃなくて、ルーの心の声も聞こえているからね!!」
「そうなんだ!! へぇ――。結構便利だねぇ……」
ルーが私の隣で小さく二度頷く。
「申し遅れました。私は、ネイト=グリュンダの娘。リューヴと申します」
「同じくルーです!!」
二人ほぼ同時に狼の姿のままで項垂れ、模範的な挨拶を遂げた。
「礼を欠かさぬのは貴様等の指導者、並びに父親の指導の賜物であろう。我々は、『神雷を宿し双狼』 だ」
「あれ?? お名前は無いのですか??」
ルーが首を傾げて問う。
「あ――。まだルー達には私達の名前を知る資格が無いんだよ」
「資格が無い?? どういう事??」
「今から貴様等には我々と一戦交えて貰う。そして、我々が資格有りと認めれば改めて名を教えてやろう」
成程……。
名を知りたければ、それ相応の実力を知らしめてみせろ。そういう事か。
「そうだ、リューヴ。私は貴様と戦いたくて気が抑えられぬのだ……」
赤き瞳の神狼から光が放たれると人の姿へと変化する。
灰色……。いや、銀髪か。
周囲の白が霞む程の美しき銀色の短髪、歴戦の勇士も思わず息を飲む整った体躯に覇気の籠った猛々しい真っ赤な瞳。
その凛々しい立ち姿は物言わずとも戦士であると証明していた。
「男版リューって感じだねぇ」
「あはは!! それ、私も常々思っているよ!! じゃあ私も変身しちゃうね!!」
青き瞳の神狼が柔和な口角を浮かべつつ光を放つ。
そして、そこから現れたのは一人の美女であった。
背の中央まで届く長い銀髪、流れる眉に誂えたような丸い青き瞳。今も浮かべている柔和な笑みは人の警戒心を直ぐに溶かしてしまうであろう。
「ん――。私に似ている、かな??」
「そうだな。貴様の長い髪と良い、丸い性格と良い。顔以外は瓜二つだ」
人の姿に変わって己の体を見下ろすルーにそう言ってやった。
「うっわ。じゃあ、私は不細工って事?? そしたらリューも不細工って事になっちゃうよ??」
「顔の形など気にはしていない」
「はい、嘘――。リューは気が付いていないと思うけどさ。レイドの前だとさり気なく髪型直しているんだよ」
「そ、そんな馬鹿な!! 私はそんな事をしていない!!」
こいつは……!! これから危険な戦いに挑むというのに全くその気概が感じられぬぞ!!!!
「自分でも気が付いていないって言ったじゃん。それにさぁ――。御飯の時とか、訓練の時とか視線でずぅ――っとレイドの姿追ってるし」
「あ、あれは主の所作を目に焼き付ける為だっ!!!!」
惚けた台詞を放ったルーの頭を右の拳で思いっきり叩いてやった。
「いったぁぁああい!! 戦う前に怪我しちゃったじゃん!!」
「――――。ねぇ」
「何だ」
「あの二人、やっぱり私達とそっくりだよねぇ」
「その意見には肯定しよう。そして……。アレが一旦始まると中々終わらないと分かっているだろ??」
「う、うん。何だか昔の私達を見ているみたいだねっ」
静かに雪が降り積もる大地の上で二人の女性が激しい口論を続ける中。
彼女達の祖先である二人は大きな溜息を吐きつつも、何処か優しさを滲ませる表情を浮かべて彼女達を眺めていた。
「いい加減にしろ!! これから我々はあの方々と共に高みへと昇るのだぞ!?」
「そんな大きな声を上げなくても聞こえてるよ!! 私、耳が良いもん!!」
「そういう事を言っているのではない!! 気概を持てと言っているのだ!!」
傑物共が跋扈する古の時代。
目の前と全く同じ光景を幾度となく繰り広げた彼等はあの口論は決して終わらぬと悟る。
懐古の想い、微かに募る呆れ、そしてほんの僅かな温かな情。
「「はぁ――……」」
彼等はいつまでも終わりそうもない懐かしき光景を眺めつつ、幾つもの感情を乗せた大きな溜息を再び漏らしたのだった。
お疲れ様でした。
数話前で初登場した腹ペコ龍の内に潜む龍の渾名、ぜんざい。その話を思い出した所為か。本日の夕食は久し振りにぜんざいを食しました。
舌を包み込む砂糖の甘味、滑らかな舌触りの小豆、そして!! モチモチ食感の餅。日本に生まれて良かったなぁと思いながらズズっと汁を啜りプロットを執筆しておりました。
先程総合PVを見て気付いたのですが、何んと!! 三十五万PVを達成する事が出来ました!!
これも読者様達の温かな応援の御蔭であります!!
これからも彼等の冒険を温かな目で見守って頂ければ幸いで御座います。
それでは皆様、お休みなさいませ。




