第二百九十話 大海を統べし賢者の内に潜む者
お疲れ様です。
本日の投稿なります。
慣れ親しんだ場所は人の心を落ち着かせる効果があるようですね。
古紙の心安らぐ香りと踏み心地の良い木の床、そして若干の埃臭さを含ませた匂いを胸一杯に取り込むと気分が落ち着いて来る。
ここは……。
レイモンドの図書館ですね。私の大好きな場所の一つです。
ここが精神の世界、即ち。私が無意識の内に思い描き作り上げた世界であるとは勿論理解しています。
現実の世界でしたら時間が許す限り多種多様な本を手に取り、作者達の色んな価値観や世界観を目で見て、頭の中で想像しながら朗読に耽りたい。
しかし、それは叶わない。
私は読書をする為にこの世界へ訪れた訳では無いのだから。
二階へと続く石階段を昇り、沢山の本が収まっている本棚の合間を縫って進み。長机が置かれている朗読する為の広い空間へと抜けると。
あの人が以前と変わらぬ姿で静かにウンウンと頷きながら本の文字を美味しそうに咀嚼していた。
「お久しぶりですね。『数多遍く理を統べし都督さん』 」
私と彼以外ここには存在しないのですが、いつもの癖と言うべきか。
人の読書の邪魔にならない静かな声量で話しかけて彼の対面の椅子に腰かけた。
「ん――?? おぉ――。久しいのぉ、おチビちゃんや」
蓬髪気味に伸びた灰色のくすんだ長い髭と髪、顔の皺は長い年月を生き永らえた痕跡がしっかりと刻まれ、しゃがれて霞んだ声が年齢を感じさせる。
顔と同じく皺が目立つよれてくすんだ緑色の外蓑、内側に着込むシャツも汚れと皺が目立つ。
もう少し身嗜みに気を付けて欲しいのが本音ですが彼は外見よりも自分の行動を優先する質なのでしょう。
初対面で感じた印象は読書が好きなご老人ですね。
でも年齢を感じさせない圧を放っているのは変わっていない。ほら、集中して見ると彼の馬鹿げた魔力が掴み取れた。
「お元気そうで何よりです。そんなに近付いて本を読むと更に目が悪くなりますよ??」
「儂を只のじじぃと決めつけているのはおチビちゃんじゃろう。儂はこう見えて、十万……。はて?? 儂は何歳まで生き永らえたのじゃ??」
皺くちゃな服の裾をクルクルと回して話す。
「知りません」
「じゃろうなぁ。所で、今日はどうしたのじゃい?? 久しく儂に顔を見せ……。んんっ!?」
長い前髪の合間から私の顔を見つけてまじまじと見つめる。
「あれまぁ……。この間まで只の小童だったのが、いつの間にやら大人前の美人に成長しておるではないか」
美人。
その単語が私の心の中に矮小であるが陽性な感情を生まれさせてくれた。
「ありがとうございます」
礼儀正しくお辞儀をして、続け様に口を開く。
「今回、こちらにお邪魔させて頂いた訳を説明させて頂きます。恐らく周知の事実であるとは思いますが、私は彼女に勝つ為にあなたの力を借りに参りました」
「ふぅむ……。ふむふむ……」
私の用件を聞き終えると手元の本に顔を向け、何やら小さく頷いている。
「彼女の持つ力は絶大です。今の私では到底勝つことは叶わないでしょう。しかし、あなたのお力添えがあれば恐らく勝利を手中に……」
「へぇへぇ。ほほぉ……」
話、聞いていませんよね??
大変失礼かと思いますが席を立つと少々乱雑に朗読中の本を取り上げてやった。
「な、何するんじゃあ!! それは儂が読んでいた本じゃぞぉ!!!!」
「人の話を聞かない人には読ませてあげません」
私だって読みかけの本があるから読みたいのに我慢しているのですよ??
「分かっておるわい。あの本は面白かったなぁ……。ほれ、彼がおチビちゃんに贈ってくれた本じゃよ」
あの本か。
贈られた時は本当に嬉しくてついつい素の私が出ちゃいました。
本自体も大変良い出来で満足を越えた効用を得られたのは事実ですが、何より。彼が私の為に態々時間を割いてまで本を選び、贈ってくれた事が嬉しかったのだ。
今でも大切に保管してあります。
「早く続きが読みたいものじゃな」
「えぇ、全くその通りです。主人公と脇を固める二人の女性。果たして、彼はどちらを選ぶのか。気にならないと言えば嘘になりますから」
「じゃなぁ……。さてと、違う本を持ってこようかのぉ」
この人といい、私の周りに居る人といい。
全く人の話を聞こうとしないんですから!!
「待って下さい!!」
本棚の合間に消えようとする彼の右腕を掴んで後方へと引っ張り、再び広い空間へと引きずり出してやった。
「のわぁ!! と、年寄りの腕を急に後ろから引っ張るでない!! 腰を痛めたらどうするのじゃ!!」
「人の話を聞かない人が悪いのです」
「人の考えを人に押し付けるのもどうかと思うぞ??」
「それは……。そうです、ね」
彼は私の中に存在している、つまり彼は私の考えが手に取る様に理解出来るのだ。
勝手に人の領域に土足で侵入して剰え力を貸せと言われたら私でもきっと顔を顰めてしまうでしょう。
「そうそう。その通りじゃ」
「その件については謝罪させて頂きます。ですが、火急の件であるとあなたでも分かりますよね??」
「火急、ねぇ……」
力を感じさせない物静かな足取りで元居た席に戻り、そしてよっこいしょっと声を出して椅子に腰かけた。
「おチビちゃんはどうしてもあの女子に勝ちたいのか?? それとも……。息の根を止めたいのか??」
前髪の合間から深紅に光る瞳を覗かせて私を睨む。
ふぅぅ……、流石と言いますか。視線一つで私を後退させる者は早々いませんよ。
彼の放つ圧に気脅され思わず固唾を飲み込んだ。
「勝ちたい……、のが建前かもしれませんね。本音は自分の力の弱さが憎くて憎くて仕方がありません。自分の実力はマイ達と比べて見劣りしていないのに、何故か彼女には勝てなかった。それは恐らく、九祖の血を受け継ぐあなたの力を発現させることが出来なかった。それが敗戦に繋がったのです」
自分の考えを端的に言葉に表して話す。
「儂の力を借りていれば、負ける事も無かったと??」
その通りです。
自分でも御せる自信はありませんが、短時間での発現あれば少なくともあんな惨めな大敗にはならなかった筈。
「ふぅむ、相分かった。おチビちゃんの考えはよぉぉく分かった」
深紅の瞳が消失し、代わりにいつもの柔和な明かりの瞳に戻って話してくれた。
「ありがとうございます。では、早速指導を御教授願い出来ますか??」
どんな訓練になるんだろうな。
きっと、難しい術式やら精神の鍛錬に重きを置いたものになるでしょう。
私は前よりも強くなる為に此処に来たんだ。どんな苦しい訓練でも耐え抜いてみせます。そして、誰よりも頼れる人物になりたいのですから。
高揚感と期待感に包まれた心で彼の次の言葉を待っていると。
「嫌じゃ」
私の想像していた言葉とは真逆の意味の言葉が放たれてしまった。
はい??
私の耳はいつからおかしくなってしまったのだろう??
今、嫌と申されましたか??
「そうじゃ。嫌じゃと言ったのじゃ」
「ど、どうしてですか!! 強くなりたいからここに来たのに!!」
「まぁそう急くな。若者は急ぎ過ぎるのが欠点じゃな――」
のんびりとした口調でそう話すと伸ばしっぱなしの己の髭をフサフサと撫でる。
「指導云々の前に、お主に御使いを頼もうと思うてな。その御使いを見事にこなしたら願いを聞いてやろう」
それを早く言ってくださいよ!!
「おチビちゃんが早とちりしただけじゃろう?? 全く最近の若い者は……」
グダグダと長ったらしい愚痴を放つ。
火急の件と伝えたのにこの遅々とした話の進み具合……。都督さんは急ぐ事が若者の欠点と仰いましたが。流石にこの遅さは耐えがたいですよ。
年長者らしく若者の欠点とそれの改善策を提示し終えると、やっと私が待っていた言葉が出て来た。
「その御使いの内容は……」
無理難題を押し付ける気じゃありませんよね。
例えば都督さんが満足するまで腕立て伏せをしてみせろとか。
お腹の筋肉が捻じ切れるまで腹筋運動しろとか。私はどちらかと言えば、肉体運動は苦手な分類ですので。
身動き一つ取らず、緊張した面持ちで立ち尽くして彼の言葉を待っていた。
「儂が一番好きな『物語り』 を持って来い」
「も、物語??」
声が上擦ってしまったのはどれ位ぶりだろう??
拍子抜けしてしまう課題にポカンと口を開けてしまう。
「そうじゃあ。物語り、じゃ。この素敵な図書館にある沢山の物語の中からたった一つの物語りを儂に持って来い。その内容が儂の好みに合えば稽古を付けてやるわい」
何だ、結構簡単ですね。
「そうかぁ?? 人の好みは難しいぞ。自分が面白いと思っても、他人は面白いとは思わないかもしれぬ。己と他人は全くの別種じゃ。他人の気持ちを汲み、想い、考え、選んで来い」
「分かりました。きっと気に入る本をお持ち致しますね」
「儂はいつでもここで待っておる。時間を見つけては精神を統一し、足を運んでも構わぬからなぁ――」
そう時間は掛らないと思いますよ。私の大好きな場所にある本を一つ選んで……。
おっと、違いましたね。私では無く彼の好みの物語を選ぶのでした。
彼の好みであろう本を選べばいいのですから。先程読んでいたのは確か恋愛小説でしたね。
あの題は見た事がある。確か……、こっちの棚でした。
広い空間から本の山の谷間へ向かって軽い足取りで向かう。
私もついでに色々読んじゃおうかな??
皆さんには申し訳ありませんが恐らく私が最初に力を身に付けそうですね。
まるで恋人と仲良く道を歩く様に後ろ手に手を組み、いつもと変わらない陽性な感情を持ちつつ軽やかに弾む歩調で本棚の合間を進んで行った。
お疲れ様でした。
本日もまぁまぁ寒い一日でしたね。この寒さが和らいでくると恐ろしき魔物達が目を覚まし、我々に襲い掛かってきます。
そう……。間も無く花粉の季節ですからね!!
ほぼ丸一日鼻が詰まり、寝不足や食欲不振等々。花粉症は生活に悪影響を及ぼす恐ろしい病です。
早めに薬を飲んで対策しようかなと考えている次第であります。
花粉症の読者様達も早め早めに対策する事をお薦めしますよ。
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それでは皆様、お休みなさいませ。