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第二百八十四話 肉体鍛錬初日の終了

お疲れ様です。


本日の投稿になります。




 この星の大地と空気を温めていた灼熱の星の熱量は随分と大人しくなり、それに代わって静かに闇を照らす妖月が暁の空に浮かぶ。


 深紅の血を彷彿させる朱に染まった空の下では今も激しい徒手格闘戦が行われており、美しき輝きを放つ星々へと向かって打撃音が昇って行った。



「わぁっ!! 危ないよ!!」


「避けるのは上手いではないか!!」



 師匠の拳がルーの顔の横を通過し、彼女の代わりに生贄となった空気の塊が俺の頬を柔らかく撫でて行く。


 あの距離から空振りの余韻がここまで届くのですか……。何て拳圧だよ。


 我が師の呆れた攻撃力に惚れ惚れしてしまいます。


 その高みへ昇る為に日々苦しい鍛錬を積んでいるのですが……。


 己の力の無さに幾度無く挫折して、立ち塞がる壁に絶望して両膝を着き、血反吐を吐いて冷たい地面に這いつくばる。


 師匠と同じ景色を見る為には後どれだけの失敗と挫折を繰り返せばいいのかと考えると辟易してしまう。


 だが、ここで立ち止まる訳にはいかない。天下無双を誇る極光無双流の一番弟子としてそれは到底了承出来ない行為なのだから。



「ちょ、ちょっとぉ!! もっとゆっくり打ってよぉ!!」


「敵は休ませてはくれぬぞ!?」


 師匠がルーの横っ面に右上段蹴りを放つ。


「もう怒ったよ!! もう何度も見たんだからね!!」



 呆れる程に繰り返した組手によって師匠の攻撃速度に目が慣れてきたのか、彼女が気合を入れると素晴らしい反応速度で上半身を反らして襲い掛かる烈撃を躱す。



「むっ!?」


「隙、見つけた!!」



 右上段蹴りの勢いで師匠の体が回転。


 刹那に生み出された隙。或いは己自身が生み出した好機。


 きっとルーの視点から見れば師匠の隙だらけの背中は物凄く美味しそうに見える事でしょう。


 千載一遇の機会を逃すまいとしてルーの左の拳が師匠の背へと襲い掛かった。


 間も無く彼女の拳が着弾すると思われたその時。



「戯けが!!!!」



 師匠が地面に着地させた右足を軸にして、一直線に伸び行く左足の踵が後方から襲い掛かるルーの顎先を天へと向けさせた。



「びゃっ!?!?」



 背後からの急襲に備えた師匠の足技。


 あれで何度辛酸を舐めた事やら……。相手が襲い来る角度を予想して死角から放つ的確な攻撃に思わず唸ってしまった。



「はぁ。凄いな、今の一撃」


 師匠の体術に対して畏怖よりも尊敬の念が上回り、心の底から感嘆の吐息が漏れてしまいましたよ。


「あぁ、実に見事だ」



 右隣り。


 湧き上がる何かを我慢する様に拳を開いては閉じているリューヴが話す。



「リューヴなら今の技、打てるんじゃない??」


「どうだろう。見様見真似でなら打てるかもしれぬが……。実戦では上手く出来ぬだろう。こちらを殺す気で向かって来る相手を死角へと招くのだぞ??」



 生命の鼓動を止める凶器を手に持ち、背後から襲い来る醜い豚を想像する。


 鋭い凶器が俺の背へと向かい上空から振り下ろされるその時を狙い済まし、背後へと一撃必殺の雷撃を放つ。



「――――。ちょっと、いや。大分難しそうだね」



 幾度となく頭の中で想像した結果。


 十に二つが相手の顎を粉砕、十に三つが武器を蹴り飛ばし、十に五つはこちらの胴体と下半身がお別れしていた。


 実力が劣る相手に五分五分の計算、ね。己よりも遥かに強い相手に対してはこれよりも悪い結果となるのは目に見えている。


 一か八かの博打にしては分が悪過ぎるよ。



「奇策としては面白いかも知れぬ。うむ……。覚えたぞ」



 覚えても実戦では使わない方が良いでしょ。


 そう声を掛けようとすると、一頭の狼が喧嘩にボロ負けした負け犬の様にピスピスと情けなく鼻を鳴らしながら帰って来た。



「もぅ――、嫌ッ!! 何で何度も殴られ続けなきゃいけないの!!」


「貴様は最近弛んでいた。それを鍛え直す良い機会だ。四の五の言わず殴られ続けろ」


「うっわ。そう言う事言う?? 偉そうな事言っているけどさぁ、リューもボコボコにされているじゃん」



 そう、ルーの話す通り。


 整ったリューヴの横顔には土の汚れが目立ち、着用している素敵で頑丈な訓練着にはもう綻びが目立つ。


 美しき灰色の髪も所々が乱れてちょいと不揃いに流れていた。


 リューヴがこうなっているのなら、当然……。



「あ――……。体の節々が痛ぇ……」


「ユウ――。そ、そこのやかん取って」



 体中に打撃痕が残るユウが地面に横たわり、土と汗と傷跡が目立つマイが彼女の腹に後頭部を預けてだらしない体勢と覇気の無い声色で懇願するが。



「自分で取れ」


「蹴んなや!!!!」



 それを拒絶したユウは横着者の背中へ己が膝を当てて、マイの願いを一蹴してしまった。



「アオイちゃぁん。お願いがありますぅ――」


 白き髪が乱れいつもの凛とした姿とはかけ離れた姿のアオイに狼の姿のルーがにじり寄る。


「御断りしますわ」


「まだ何も言っていないよ!?」



 懇願を聞く前に遮断してしまった。


 う――む……。皆一様に土と汗に汚れて体力がほぼ枯渇しているな。


 その姿はさながら激戦を繰り広げている戦地の兵士といった所か。


 俺達が満身創痍に対して……。



「次!! リューヴ!!」


「私が相手をしてもいいのよ――?? さぁどんどん掛かっていらっしゃ――い!!」



 我が師とフィロさんは一切土に汚れる事は無く、覇気のある声で空気を振動させていた。


 御二人共、元気過ぎるのも考え物ですよ??


 俺達が不甲斐無い所為なのもあるが流石に少しは手心を加えて下さい……。



「あぁ!! 行くぞ!!」


「リューヴ!! 頑張れよ!!」



 萎む体に喝を入れ、堂々とした足取りで訓練場の中央へと向かう彼女の背に向かって声援を送った。



「主、見ていてくれ。必ずや一撃を当てて見せる!!」


「その意気だぞ!!」



 頼む!!


 誰でも良いから師匠達に一撃を与えて下さい!! このままでは彼女達の闘志が収まらず、夜通し訓練に付き合わせられそうだからな……。



「リューヴは元気だなぁ」


 普段より数段萎れたユウの声が届く。


「皆等しく疲れているのに大したもんだよ」



 その声につられ、木の根元で休むだらしない二人の側へと移動した。



「そう言えばあんた。首、大丈夫なの??」


「首??」


 引き続きユウのお腹を枕代わりにして休むマイを見下ろす。


「そうそう。さっきさ、イスハから超痛烈な蹴りを真面に食らったじゃない」



 あぁ、アレか。


 師匠が刹那に見せた隙には敢えて飛び込まず一呼吸置いて襲い掛かったが。



『馬鹿者!! 定石通りに攻めてこぬか!!』



 それは大間違いだとして、お叱りの意味を籠めた師匠の足が首に直撃したのだ。


 当たった瞬間、ミチッ!! っと鳴ってはいけない音が肉の中から鳴り響いてしまったのですよ。



「まだ十分痛むぞ。でも、まぁ……。大分マシになった、かな??」



 首に手を当て左右へ傾けると苦にならない程度に筋に痛みが発生する。



『この程度なら許容範囲だぞ』



 俺の体はそう判断を下してくれた。



「おいおい。首に蹴りを食らって、しかも地面に激突したのに何んとも無いの??」


 大きなお目目をきゅっと開きながらユウが話す。


「何とも無い事は無いって。痛いものは痛い。でも、何んとか動けそうな感じと言えばいいのかな」



 我ながら頑丈だとは思うけど。ユウやマイに比べれば俺の耐久力なんてたかが知れているだろうさ。



「ハハ、ようこそ。こちら側へ」



 マイが仰々しく手を広げ、いつも見たく眉をくいっと上げた。


 そちら側……、ね。


 これはどう捉えればいいのだろう??


 実力を認めてくれての発言ならまだしも。こいつが発言した意味は恐らく、おふざけが大好きな者としての歓迎なのだろう。



「いや、まだそっちの舞台には上がれそうにないって」



 コイツと一括りにされてしまってもいいのかと考える自分が居たので、もう一人の自分の答えを伝えてあげた。


 その舞台に上がってしまっては誰がおふざけを纏めるのだい??


 まっ、いつもは俺が纏める前にこわぁい海竜さんが空気を凍らせて場を引き締めてくれるんだけどね。



 そう言えば、カエデは??


 ふと気になり美しい藍色を探す為に周囲へ視線を送ると……。


 あぁ、居た居た。


 訓練開始と変わらぬ位置で静かに座り、只一点を覇気の無い瞳でぼぅっと見つめていた。



「……」



 呼吸に合わせて静かに胸が大きく動き、両腕は無気力の状態を表すが如く地面に垂れ下がり。


 瞼を動かすのも面倒なのか、極端に瞬きの回数が少なくなっている。



 だ、大丈夫かしら?? 殴られ過ぎて茫然自失を越えた酷い状態だし……。



「カエ……」



 彼女を心配する声を上げようとすると。



「せりゃあああ!!」



 師匠の快活な声が広い訓練場に響き渡り、鼓膜をつんざく強烈な炸裂音が周囲の空気を揺らした。


 何!? 今の音!?


 慌てて訓練場へと視線を戻すと。



「ぐぁぁああああ――――ッ!!!!」


 リューヴの体が面白い回り方で訓練場の上を転がり続け。


「ぐぅっ!!」



 訓練場の端に立っていた木の幹に着地すると、漸く面白い回転が終わりを告げた。



「うっひゃ――。今のは痛そうね!!」


「だな。ってか、いい加減腹から退かない??」


「断るっ。ここは私の定位置なのよ」


「なぁ、今何が起こったの??」



 木の根元で死に体となって一切の動きを見せないリューヴを見つめつつ問う。



「あ?? 見ていなかったの??」


「丁度視線を切っていたんだよ」



 カエデの心配をしていました、とは言えず。適当な嘘で取り繕った。



「イスハの拳がリューヴの顎を捉え」


「ピピんっ!! と伸びた体に蹴りをぶち込んだのよ」



 ユウとマイの親切且丁寧な説明に成程といった感じ大きく頷く。


 あのリューヴ相手に完勝ですか。


 疲労しているとはいえ、九祖が一人。雷狼の血を受け継ぐ彼女相手にだもんねぇ。


 流石です、師匠。



「なはは!! 一本じゃあ!! 次ぃ!! アレクシア!!」



 お次は古代種の血を引くハーピーの女王様ですね。


 体力の底を付いた掠れた声が響くと思いその時を待っていたが……。


 待てど暮らせど彼女の声は聞こえて来なかった。



 あれ?? アレクシアさんは??



「アレクシアはどうしたぁ!!」



 師匠の御怒りの声を受け、視線を慌ただしく動かして彼女を探す。


 どこに行っちゃったんだろう……。花でも摘みに行ったのかしら。



「居た居たぁ!! イスハさ――ん!! アレクシアちゃんは気絶したままで――す!!」



 狼の姿のルーがアレクシアさんの訓練着の襟を食み、草むらから引っ張り出して来た。


 そこで休憩……。じゃないか。失神していたんですね。



「叩き起こせ!!!!」


「え――。そう言ってもなぁ。可愛い顔を傷付けたら不味いしぃ……。んぅ?? おぉ!! これを使おう!!」



 新しい玩具を見付けた子供みたく。ルーが人の姿に変わると燦々と目を輝かせてやかんの取っ手を掴み。


 そして随分と高い位置から注ぎ口を地面へと向けた。



「ぶふぅっ!! お、溺れちゃうぅぅぅう!! た、助け……!! はれ??」



 上空からの水の襲来を受けると慌ただしく両手をばたつかせて瞬時に上体を起こした。


 端整な御顔と長く薄い桜色の髪はずぶ濡れで台無し。そして、目をパチクリとさせ現在の状況を確認している。



「あれぇ?? 楽しく空中散歩していたのに……」


「馬鹿者おお――ッ!! はよぉ来ぉい!!!!」


「ん――?? ルーさん、呼ばれていますよ??」



 師匠の視線の意味を履き違えたのか、目の前のルーへと話し掛けた。



「あはは!! 違うよぉ。呼ばれているのはアレクシアちゃんだって――」


「えぇ……。またですかぁ……」



 辟易を通り越して愕然とした表情を浮かべる。



「いいですよぉっと。どうせ、直ぐ負けちゃうんだから……」



 嫌々ながらも腰を上げ。


 そして、足枷を付けているのでは?? と、こちらに見えぬ重しを想像させる重々しい足取りで訓練場の中央へと向かって行った。


 格闘戦は苦手だと言っていた割には上手く体を使えているし。基礎はしっかりと出来ている。


 だが、今まで培った基礎では対処出来ない程の強力な相手が大問題なのですよね。



「行きますよ!! はぁっ!!」


「遅いと何度言ったら分かるのじゃあ!!」


 アレクシアさんが何気無く出した左の拳を容易く躱し。


「きゃあ!!」



 腑抜けた拳を放つなと言わんばかりの豪拳が彼女の頬を掠めた。


 今の拳を避けただけでも十分凄いと思うんですよねぇ。


 俺だったら真面に食らっちゃうかも。



「ふぅん。見切る力、それと速さはまぁまぁね」



 相も変わらずユウのお腹を枕代わりにしているマイが声を出す。



「避けてばかりでは勝機を掴めぬぞ!?」


「は、は、速過ぎて攻撃しようにも体がついていけないんですぅ!!!!」



「まぁまぁって。徒手格闘を苦手としている彼女にとっては十分過ぎるだろ」



 訓練場の中央で今も慌ただしく体を入れ替えている両名を見つめながら話す。



「十分じゃあ駄目なのよ。それの二個上を行く結果を出して貰わにゃ」


「師匠、そしてフィロさん相手に今も体が動いている事自体がその答えさ」



 体と心はボロボロになりつつも、師匠の攻撃に対してしっかりと体が反応していますからね。



「く、くそう……。真面に食らってしまった……」


「お疲れ様。大丈夫??」


 奮闘を続けるアレクシアさんから腹を抑えて力無い足取りで帰って来たリューヴへ声を掛けてやった。


「主は……。これが大丈夫そうに見えるのか??」


 キリっと尖った翡翠の瞳が俺を捉える。


「い、いえ。静かに休んでて下さい……」



 お、おっかねぇ……。狼の姿のリューヴも怖いけど、人の姿で睨まれても十二分に怖いな。


 心が尻窄む恐ろしき瞳からふっと視線を逸らし、再び訓練場へと視線を向けた。



「せぇい!!!!」


 師匠が是非見本にしたい上段蹴りを放つと。


「やぁっ!!」



 アレクシアさんが動かぬ体に鞭を打ち、上体を反らして回避。咄嗟に出来た師匠の隙を狙って拳を出すが。



「容易く誘われおって!!」



 だがそれは不正解だと言わんばかりに強烈な肘鉄が返って来てしまった。



「あぁっ……」



 肘鉄が腹部に深くめり込み力無く膝から崩れ落ち、勝敗は喫した。



「隙を見出す力は十分じゃ。それに目も良い。じゃが……。相手の行動に思考を凝らす工夫が見られぬ。儂の隙に飛びついたのが良い例じゃて。相手の行動を予想しつつ、最適な……」



 師匠。


 得意気に説明しているのは分かりますけども。肝心要のアレクシアさんは気絶しているので聞く耳を持っていませんよ??



「ぅぅん……」



 お腹を抱えながら地面に倒れ、クルクルと目を回していますし。



「以上!! 説明は終いじゃ。そして……」



 師匠が御言葉を切り、もう随分と暗くなった空を仰ぎ見。



「本日の訓練はこれにて終了じゃ!!」



 軽快な声で地獄の初日の終了を告げた。



「はぁ――。やっと、終わったか」


 地面に横たわるユウがポツリと漏らす。


「終わったと言う事はだよ!? 御飯の時間ね!!」



 そして、その体を利用して。どこにそんな力が残っているのかと首を傾げたくなる速さでマイが立ち上がった。



「傷付いた体は食で癒せ。野営地に戻り次第、馬鹿みたいに飯を食い。風呂に入って明日に備えよ!!」


「「「はぁ――い!!」」」


「じゃから語尾は伸ばすなと言うておろうが……」



「夜御飯は何だろうね!!」


「ルー、喧しいぞ。耳元で騒ぐな」


「あたしは飯よりもゆっくり眠りたいよ……」


「ユウ!! 何を女々しい事言ってんのよ!! 疲れた体を癒す為に、馬鹿みたいに食べなきゃいけないんだから!!」



 師匠の御言葉を受け取ると各々が重い体に喝を入れて野営地へと続く道へ進む。


 只一人の存在を残して。


 こらこら、お嬢さん達。友人を置いて行くのはいけませんよ??



「アレクシアさん?? 起きられますか??」


 先程と全く姿を変えていない彼女へ静かに問う。


「ううぅん……」



 あ、駄目だ。気を失ったままだな。


 相も変わらず力無く地面に横たわり俺の言葉に全く反応しない。



「運んであげようか」


 カエデがこちらの様子に気が付き静かに近付いて来ると、随分と砂に汚れた顔でそう話す。


「了解。よっと……」



 彼女の体を抱きかかえ、もう随分と小さくなった列の最後尾へと足を向けた。



「重い??」


「ううん。軽過ぎて驚いているよ」


 これだけ軽い体で良くもまぁ厳しい訓練に耐えたよ。素直に尊敬しちゃいます。


「私とどっちが軽い??」


 おっと。唐突な質問ですね。


「ん――……」



 両腕を一つ、二つ上下に動かして彼女の重さを再確認してから口を開く。



「――――。カエデの方かな」



 アレクシアさんの背はカエデよりも高いし、筋力の付き方もがっしりしている。筋骨隆々といった感じでは無く、あくまでも鍛えた女性の筋肉って感じですけどね。


 それを加味した結果です。


「そっか」


 何かを納得した感じでポツンと言葉を漏らすと再び正面を捉えた。


「明日からも疲れそうだよな。明日は……。あぁ、そうだ。精神に重点を置いた訓練だっけか」


「今日の訓練は序章に過ぎないかも知れませんね」


「と、言いますと??」



 野営地へと続く暗い森の道へ足を踏み込む。


 森の中の暑さは既に陰りを見せ、夜に備えた涼しい空気がふわりと漂う。体中に刻まれた打撃痕から生じる熱を冷ますのにうってつけの涼しさだ。



「体力云々は鍛えればどうにでもなると考えています。しかし、己の内面と向き合うとなると話は違います。心、即ち精神を鍛える事は一朝一夕で培われるものでは無いのですよ」



 そうだろうなぁ。


 筋力の成長は目に見えて確知出来るけど、心の成長は他人からも果ては自分から見ても感じ取れる事は難しい。



「明日の訓練は恐らく己の内側に居る者との対面です。正直に話しますと……。ちょっとだけ怖いですね」


「怖い??」



 意外な単語がカエデのちっちゃな御口から出て来たので、思わず首を傾げてしまう。


 何事にも臆せぬ彼女がそんな言葉を使用するとは思わなかった。



「えぇ。私自身が力の暴走で朽ち果てるのは構いません。ですが、私の友達を傷付けてしまう可能性が捨てきれないのです。その一点だけが不安」



 俺の腕の中で今もぐったりとした姿で眠っているアレクシアさんの頭に優しく手を添えて話す。


 カエデ達の中にはその姿を見る事さえ畏れ多い者が潜んでいるのだ。彼女が億劫になるのも理解は出来る。だけど……。



「らしくないじゃないか。海竜は恐れを知らないんだろ??」



 誰よりも勤勉で、誰よりも努力を惜しまない。


 そんな彼女から出て来る言葉だとは思えなかった。



「勿論です」


 むんっと胸を張って話す。


「恐れを知らない海竜ですが。私はこの大陸で出会った友達を何よりも大切にしているのです。自分が傷つくより友達を傷付ける方が……。心が痛むの」



 いつもより数段遅い足を止めて俺の目を藍色の瞳でじっと見つめる。


 俺もカエデに倣い歩みを止めて彼女の真剣な眼差しを受け止めた。


 その瞳の中を注意深く覗き込むと、不安の色が滲み出てくるようだ。



「不安、なんだな」


「うん。誰にも言わないでね?? レイドだから話したんだ」


 人差し指を小さな唇に当てて話す。


「俺だから??」


「そうだよ。大切な友達の一人だからね」


「そっか」



 視線と視線が交わると酷く親密な空気が茜差す静かな森の中に満ち溢れた。


 何処かへと急ぐ鳥達は俺達を見下ろし。



『そんな所で立ち話していると、風邪を引くぞ』 と。



 呆れた声を放ちながら飛び去って行く。


 すいませんね、御心配お掛け致しまして。


 鳥達の声に従い再び進み出そうとすると、腕にすっぽりと収まっているアレクシアさんがふと目を覚ました。



「はれ?? 浮いている??」


「おはようございます、アレクシアさん」


 この場に合うと思われる言葉を腕の中へと掛けた。


「ん……。あぁ――……。なんだぁ、まだ夢の中かぁ」



 妙に甘い声を漏らして俺の胸の中へと顔を沈める。


 はい?? ここは現実ですけども。



「アレクシアさん。起きて」



 先程までの柔和な目は何処へ。


 むっとした目付きの悪い海竜さんがアレクシアさんの肩を少々乱暴に揺らす。



「嫌ですぅ。だってぇ、夢じゃなきゃ有り得ないんですもの」


「何がです??」


 カエデが揺らす手を止めて問う。


「こうしてぇ、レイドさんに御姫様抱っこされるなんて夢じゃなと説明が付かないんですっ」



 さ、さてと。


 これ以上体を密着させてしまったら恐ろしい魔法が飛んでくる恐れがありますので、彼女にはしっかりと目を覚まして貰いましょうか。



「ここは現実ですよ――。起きて下さい!!」



 一族を纏める者に対して行うべきではないとは思うが……。


 ここは現実の世界であると彼女に知らしめる為、少々乱暴に腕を上下に振ってやった。



「ひゃ、ひゃあ!! 揺れますぅ!!」


「目が覚めました??」



 目を白黒させている彼女を見下ろして言う。



「ん――……」



 俺の顔と今もちょっと怖いカエデの顔。


 そして、暗闇へと変貌しようとする森の中を見渡した後。はっとした顔を浮かべた。



「し、失礼しましたぁ!! 下ろして下さい!!」



 はいはいっと。


 両腕の中で足を無意味にパタパタと揺らす横着者さんを地面に立たせてあげた。



「はぁ――……。びっくりした……」


 額に浮かぶ変な汗を手の甲で拭い、カエデの背後へとそそくさと移動する。


 そこまで逃げなくても宜しいのでは??


「私、気絶しちゃっていたんですね」



 現実だと認識したアレクシアさんが静かにポツリと言葉を漏らす。



「えぇ、イスハさんの肘鉄を真面に受けて倒れました」


「情けないですよね。たった一撃で気を失うなんて……」


「そんな事無いですよ?? 師匠の放った一撃。あれは常人に放って良い代物ではありませんでした。つまり、アレクシアさんはそれだけの威力を放たなければいけないと師匠に思わせたのですよ」



 肩を落とし、地面の小石さんに八つ当たりをする彼女へ向けてせめてもの労いの言葉を送った。



「そうなんですかぁ。へ、へぇ――。そっかぁ」



 おっ、ちょっと機嫌が良くなって来ましたね??


 遠い場所へ転がって行く小石が先程より楽しそうに踊っているのが良い証拠だ。



「そうですよ。それに比べ、私なんか全く相手にされなかったのですから」


 これに続けと言わんばかりにカエデが上手い具合に話しの流れを汲む。


 阿吽の呼吸って奴だな。


「お、煽てても駄目ですからね!!」



 口ではそう言うものの、足は嬉しそうに動いていますよ。



「ちょっとだけ元気出ましたよ。ありがとうございました。さぁ行きましょう!!」


 えへへと陽性な感情を醸し出す笑みを浮かべ、野営地へと続く暗い道の奥へと歩み出した。


「俺達も行こうか」


「そうですね」



 背に揺れ動く薄い桜色の髪を目印にしてこちらも続く。



 カエデが億劫になる訓練、ね。


 それは当然俺にも当て嵌まる訳だ。憎悪を心地良いと感じさせてくれる凶姫さんの存在が日に日に恐ろしくも感じてしまう。


 恐ろしい、とはちょっと違うかも知れない。


 憧れ、尊敬、羨望。


 そんな感情が恐ろしさの中に混ざっているとでも言えばいいのか……。凶姫さんの力に恐れつつも憧れ焦がれている自分もまた存在しているのだ。


 これがどう影響するのか、愚かな自分では到底理解に及ばない。


 師匠は訓練が始まる前にこう仰られた。



『相手は自分、自分は相手』



 つまり、凶姫さんの力を認め己に取り込めと言う事に繋がるのか??


 あの力を御せるとは思えない以上、この答えは否だよなぁ。


 恐らく師匠は相手を認める事が己を認める事であると伝えたかったのだろう。


 凶姫さんを認める、か。


 強者犇めく太古の時代を跋扈した彼女の実力を認めるのは容易いが、憎しみを認めるのは耐えがたい。


 先程カエデが俺に話してくれた内容がふと頭の中を過る。



『友達を傷付ける事が恐ろしい』



 制御不能に至った力が大切な人を傷付ける事は決して許されない。


 この言葉を反芻し、己に言い聞かせ明日の訓練に臨もう。そして、願わくば……。内なる存在が俺の大切な人達を傷付けませんように。



「うふふ。カエデさん、頬が汚れていますよ」


「どうも。――。アレクシアさんもここ、汚れていますよ??」


「そこは触ってはいけませんっ!!」



 正面で愉快なやり取りを繰り広げている彼女達の背を見つめ。


 あの光景は決して傷付け、破壊していけないものだと己に強く言い聞かせてやった。




お疲れ様でした。


先程までプロット執筆をしておりまして、漸く精神面の特訓の執筆を終えました。


そして南の島での初の休日のプロットを執筆しております。これが意外と難しくて……。普通に過ごすのかそれともハチャメチャに過ごすのか。まぁ彼等の場合は後者に当たるのでその匙加減に頭を悩ませている次第であります。



それでは皆様、お休みなさいませ。

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