第二百七十四話 運否天賦では無く己が心に委ねるべし
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
太陽が大欠伸を放ち寝床へ帰ろうとする頃、その隙を窺い。明るい彼に代わってこの世に蔓延ろうとする陰湿な闇が俺達の前に何処よりも早く出現する。
視界が徐々に奪われていくのを容易く体感出来る深き森の中で俺は頭を抱え悩みに悩んでいた。その理由は至極明瞭。
「早く自白して下さい」
「そちらこそ本物でないと証明出来ないのなら自白すべきです」
二つの藍色が互いを睨み、罵り、蔑むからだ。
一方は敵、一方は味方。
いっその事、二つの鉢巻きを取ってしまおうか?? 後で本物のカエデにこっぴどく叱られる代わりに淫魔の女王様に勝利したという輝かしい勲章を得る事が出来る。
これぞ正しく俺達らしい堂々たる力技だ。
うん……。これならいけそうだぞ!!
数時間の正座を覚悟して一歩踏み出そうとした刹那。
『駄目よ――。間違えた方を奪ったらレイド達の負け、両方取っても負け。二兎を追う者は一兎をも得ず。私の方だけを奪ってみせなさい??』
こちらの考えを見抜いたのか、いつものエルザードの飄々とした声が頭の中で響いた。
「普通に戦わせてくれよ!!」
この訓練はそういった事を想定して考えられたのではないのか!?
誰にでも分かり易い憤りを現わして言葉を放つ。
「仕方が無いですよ、私達の追跡者であるエルザードさんが提案したのですから。でも、追われる身としてはありがたいんじゃないですか?? ほら、真面に対峙して彼女から鉢巻きを奪う事は難しいですので」
「そりゃ、まぁ。確立的には五分五分ですから……」
俺とアレクシアさん二人で力を合わせてエルザードに立ち向かうよりも、二者択一の方が勝率は確実に高い。
だけど……。
「先生、いい加減にして下さい。こんなふざけた遊びに付き合う生徒の気持ちを考えた事がありますか??」
「それは私の台詞ですよ。真剣に取り組んで下さい」
もしも、もしも本物の鉢巻きを奪ってしまったのならあのこわぁい顔で叱られちゃうんだよねぇ。
それが大胆に踏み出せない最たる理由なのです。
「レイドさん!! 名案です!!」
びっくりしたな。
右隣りで俺と同じく二人のカエデを見つめているアレクシアさんが突如として大きな声を出すものだから口から心臓が飛び出てしまう所でしたよ。
「どうしたのです??」
「記憶ですよ!! レイドさんとカエデさんしか知らない思い出とか記憶を尋ねればいいんです!!」
成程ぉ!! 考えましたね!!
「名案ですね!! ふっふ――。エルザードぉ。策に溺れたな!?」
これぞ正に策士策に溺れる!!
得意気に……。右でいいかな?? 取り敢えず右に居るカエデを見つめて言ってやった。
「私はカエデですよ??」
細い首がきゅっと可愛く傾く。
あ、もうどっちでもいいや。これで答えは出るのだから。
「はい!! 二人のカエデに質問です!! 俺と初めて海辺で出会った時、俺の言葉に何と返したでしょうか!!」
ふふ、勝ったな!! 初めての出会いはあの綺麗な海を前に俺とカエデしか居なかったし、他の誰もが知りようの無い記憶ですからね!!
完璧な勝利を確信した俺は優越感に浸り、この下らない戦いに終止符を打つ乾坤一擲の答えを待った。
「「海を見ている。です」」
……………………。
あっれ――?? 二人同時に答えたよね??
「レイドさん、合っていますか??」
「正解です。お、おかしいだろ!! カエデは兎も角、エルザードが何で知っているんだよ!!」
今度は左のカエデを見て叫んだ。
「私がカエデですよ。先生の使い魔の固有能力です」
左のカエデが特に表情を変えずそのまま話す。
「使い魔?? ベゼルの事か??」
「いいえ、違います。蛇の使い魔リュージィですよ」
知っていますか??
そんな感じで問うてくるので。
『いいえ、知りません』
軽く首を振って答えてあげた。
「彼女の固有能力は相手の思考を読み取る事が出来ます。全ての思考を読み取る訳では無く、頭の中で咄嗟に浮かんだ思考を読み取り、それを主である先生に送るのです」
「そう、大変厄介な能力ですね。相手の思考や記憶が強烈であればあるほどより鮮明に伝わってしまうのですから」
左のカエデ、右のカエデと順序をキチンと守って説明してくれた。
ふぅむ……。つまり、ほぼ同時に口を開いたって事は本物のカエデの頭の中の言葉が強烈に伝わった事を示す。
本物のカエデにとって最初の出会いは強烈だったって事ね。
何処に潜んでいるのか分からない使い魔が本物のカエデの記憶をエルザードに伝えている……。
それならもっと小さい思い出、若しくは記憶を問うてみるか??
「どうして生徒であるカエデがエルザードの使い魔の能力を知っているの??」
「「指導中に教えてくれました」」
左様でございますかっと。
残念。小さな思い出も記憶を問うてもほぼ意味をなさい様ですね。
「じゃ、じゃあカエデの使い魔は!? ほら、ペロを召喚すればいいだろ!?」
流石に使い魔までは模写できまい。
「無駄な抵抗ですよ。ほら、黒猫のオーウェンが居ますよね??」
右のカエデの問いに一つ頷く。
「彼の固有能力は形態変化。自分より魔力が劣る者に姿を変える事が出来ます」
「い、いかさまだぞ!!!!」
こ、こんなのどうしろって言うんだよ!!
瓜二つの可愛い姿で相手を困惑させ、俺とカエデしか知りようの無い記憶を探る為に質問をしたら本物の記憶を読み取られ、使い魔を召喚しても同じ間抜けな猫が出て来る。
どう足掻いても抗い様がないじゃないか!! インチキ過ぎて何だか苛立ってきたぞ!!
「レイドさん。この際、直感で選んでみては??」
「直感??」
「そうです!! カエデさんと長い時間を過ごしているレイドさんには彼女の小さな仕草、癖、表情が分かる筈です!! 近付いてじっくり観察するんですよ!!」
そうは言いますけどね??
その癖すら完璧に真似しているんですよ。
心落ち着く丁寧な口調、喋り終わりの口の閉じ方、数分の間に行う呼吸の回数。
その全てを完璧に演じているのだ。
「アレクシアさんが選びます??」
尻窄む訳ではないが……。外した時の責任、がね。
「えぇ……。こういう時は男らしく選んで欲しいですね!! それに、本物のカエデさんも選んでくれたら嬉しいですよね――??」
彼女が二人のカエデに視線を送ると。
「「……」」
コクコクと静かに頷いた。
「はぁ――。分かりました!! 外しても恨みっこ無しですからね!?」
本物のカエデに聞こえる様。仰々しく声を荒げた。
「頑張って下さいね!! 直感ですよ、直感!!」
アレクシアさんの声援を背に受けて二人のカエデの前へと歩み出る。
簡単に言いますけどね?? 選ぶこちらの心情も察して下さいよ。
乾いた砂を口の中に捻じ込まれた様に喉が乾き、心臓は恐ろしい罰を想像したのか苦しそうに鼓動を速め、体温が意図せずとも勝手にグングンと上昇していく。
まるで今から本物の戦いに赴く様な緊張感が精神を圧迫してしまっていた。
お願いします。
どうか本物のカエデを選びますように!!
優柔不断で有耶無耶な心のまま足を動かしていると遂に二人の前に到着してしまった。
「「……」」
真剣な眼差しの四つの瞳が俺を捉える。
うわぁ……。どうしよう、二人共真剣そのものじゃないか。
新しい術式の構築に勤しむ彼女。強敵と対峙する時の彼女。そして戦いの作戦を提案する彼女がいつも浮かべているあの瞳だ。
本物のカエデならまだしも。何故エルザードがここまで本物を真似る事が出来るんだろう??
裏を返せば、それだけ真剣に生徒を観察し見守っているとも言えよう。
つまり。
カエデらしい仕草をするのが偽物で、カエデだけがする仕草を見せるのが本物なのだ。
――――。
何を当たり前の事を言っているんだ。
いかん、混乱しているぞ。
ゆっくりと呼吸を行い、波打つ心を落ち着かせるんだ。
「どうぞ。選んで下さい」
「レイドは正しい選択をすると考えていますよ」
了解ですよっと。
どうせ外見では見抜けないんだ。アレクシアさんの仰る通り、直感に頼ろう。
大きく息を吸い込み迷いを吐き出した後。右のカエデを直視した。
俺と目が合った刹那。
一瞬、視線を外そうかと考え地面に視線を落とそうとしたが。
「……」
それをグッと思い留まり、俺の目を真剣な眼差しでじっと見つめ返して来た。
頬がほんのりと赤いのは師匠との組手の後だからであろう。
ふぅむ。俺の目を直視、ねぇ。
では、お次。
左側のカエデに向かって同じ様に直視をすると。
「…………っ」
真面に見られたのが恥ずかしいのか。
目が合った数秒後には頬を朱に染めて視線を外して横を向いてしまった。
おや?? 初めて違う反応を見せてくれたぞ。
右のカエデは直視で、左のカエデは顔を逸らす。
カエデの物静かな性格を加味すれば左なのだが。負けず嫌いな彼女の性格を考察すれば右となる。
この場で負けず嫌いは関係ないかな??
いや、でも……。真面目な性格だから見返す事も有り得るよな??
そして、エルザードは決して物怖じしない性格だ。
俺の目を直視しても真っ向から見返す筈。
つまり、そうなると……。あぁ!! 畜生!! 分からんっ!!!!
「決めたぞ!!」
もう運否天賦に身を委ねよう!! 考えていても埒があかない!!
「「…………」」
俺の声を受けると二人のカエデがはっとした顔を浮かべる。
そんな顔をしない。
まるで二人共自分を選んで欲しそうな顔だし。
「偽物は……。こっちだ!!!!」
悩みに悩んだ挙句。
俺は視線を逸らさなかった右のカエデの鉢巻きを額から優しく外してあげた。
根拠はこうだ。
エルザードは必ず俺の目を見て話す。
そう、必ずだ。
何気無い癖や仕草は中々に取れないものであるのは自明の理。
つまり!! 俺の目を真っ直ぐ見返したのが運の尽きなのさ!!
さぁ――……。潔く負けを認めたまえ!! 淫魔の女王よ!!!!
俺は偽物の前で堂々と立ち、小さな口から出て来る降参の言葉を待った。
「――――――――。ば」
ば?? 続きの言葉は何でしょうか??
鉢巻きを取られた偽物のカエデの肩が小刻みに震え始め、そして顔を真っ赤にして俺を見上げた。
「え?? 何…………。アガスッ!?!?」
憤怒、激情、義憤等々。
凡そ考え得る怒りの感情をこれでもかと平手に乗せ、素晴らしい力で俺の横っ面を叩く。
俺の体は不意打ちと細身の体から放たれた想定外の大きな力に驚き、力無く地面に倒れ込んでしまった。
あ、あれ?? 何で平手をぶっ放したのでしょうか??
貴女が偽物ですよね??
「――――。馬鹿っ……」
肝がひぃぇぇっと冷える冷酷な瞳で俺を見下ろし、聞き取れない小声を吐き捨てるとアレクシアさんの方へ無感情な足取りで向かって行ってしまった。
もしかして、もしかすると……。外れ??
「やったぁああああ!! あははっ!! レイドはやっぱり私が似合うんだよねぇ――!!!!」
普段の様子とは百八十度違う明るいカエデが俺にしがみ付き、嬉しそうに胸元へと顔を埋める。
そしてその数秒後。
「ちょ……。はぁっ!?!?」
カエデ擬きと呼べばいいのか。
兎に角。カエデの体がドロドロに溶けて歪み落ちてその中から……。本体が出現した。
思わず触れてしまいそうになる濃い桜色の美しい長髪、男の視線を嫌でも集めてしまう端整な顔立ち、そして世の女性に溜息を付かせる整った体。
俺にしがみついているのは紛れも無く淫魔の女王、エルザードであった。
にっこりと笑みを浮かべ。
「えへへ、ばぁっ!!」
まるで子供が大人を脅かせる様な屈託の無い笑みを捉えると心臓が猛烈な勢いで拍動を始めてしまう。
「う、う、嘘でしょ……。じゃあ、あれが本物の……」
恐る恐る振り返ると……。
「た、大変でしたね。カエデさん」
「えぇ。後、下着返して」
「ぴぃっ!! ど、どうぞ!!」
こちらからは表情は窺えぬが。どうやら大変ご立腹らしい。
カエデの四枚の下着を手に持つアレクシアさんから半ば強引にそれを奪い取ると。
「……」
大変お怖い目でこちらを一睨みして何も言わず、スタスタとこの場から去って行ってしまった。
不味いです……。本当に不味い!!
これは本当に由々しき状態です!!!!
「カエデ!! 待って!! これにはふかぁい事情が!!」
慌てて追いかけようとするが。
「駄目――。私を選んだんだからぁ。ここで二人、仲良く過ごすのっ」
体に甘くしがみ付くエルザードが俺から鉢巻きを奪い取ると、柔らかくそして潤いを帯びる唇で鉢巻を甘く食む。
男の性を多大に刺激する仕草でこちらの体を硬直させて進行を阻んでしまった。
色っぽい仕草を取らない!! それと健全な男女間の正常な距離感を守りなさい!!
「負けは認める!! だけど、魔法は使用しちゃいけない決まりじゃなかったのか!? ほら、使い魔だよ!!」
どこにいるのか分からないので。件の……、リュージィだっけ??
その使い魔が居るであろう場所を適当に指差す。
「まぁいいじゃない。細かい取り決めはこの際無視って事で」
「断固抗議する!!」
「お――い。リュージィ、出て御出で――」
「無視するな!!」
エルザードが俺にしがみついたまま背後の太い幹の上に声を掛けた。
すると。
「はぁ――。つっかれたぁ。何で私がこんな下らない事をしなきゃいけないのよ」
体長は凡そ一メートルくらいであろうか??
漆黒の鱗を身に纏った一匹の蛇が長い胴体を器用にくねらせて木の幹を伝い降りて来る。
そして、俺の足下に到着すると。
「うふふぅ。男の体だぁ……」
蛇の鱗の感触を味合わせる様に長い胴体を敢えて巻き付かせながら這い上がって来た。
「あ、あの。初めまして、かな?? レイドです。宜しくお願いします」
「堅い挨拶ねぇ。まっ、硬いのは大歓迎よ。私はリュージィ。エルザード様の使い魔の一体よ。宜しくね!!」
「はぁ……」
俺の首に胴体を撒き付け、眼前でチロチロと長い舌を出しつつ軽快な挨拶を交わす。
蛇の体って結構ひんやりするんだな。
首に巻き付いている鱗から形容し難い感触と共に冷たさが伝わる。
「ちょっとぉ。いつまでそこに居るのよ」
「え――。いいじゃん。私が協力してあげたからあの子に化けられたのに」
「あんたは使い魔でしょ。主人の言う事を聞いていればいいのよ」
「うわっ、出た。部下をこき使う無能な上司。ねぇ――、レイドぉ」
縦に割れた怪しい瞳がこちらを見つめる。
「はい。何でしょう」
「この人ぉ。すぅぐ私達を虐めるのよぉ?? 可哀想だと思わない??」
「心情お察し致します」
「んふっ。そうよねっ!! やっぱりレイドは分かってくれる男ねぇ」
二股に別れた舌が鼻頭にちょいと触れる。
ふむ、蛇の舌もひんやりする。一つ勉強になりました。
「こらぁ!! いい加減退けっ!!」
「きゃあ!! レイド――!! また会いに来るわねぇ――!!」
エルザードが顔を顰めると右手に魔法陣を浮かべ、強制的にリュージィさんを収容してしまった。
何んと言うか。
もう一人のエルザードが現れたみたいだな。使い魔は主の性格を参照して生まれるって言っていたし。
恐らくその所為でしょうね。
「はぁっ、五月蠅かった。やっと……。二人きりだね??」
彼女の怪しい瞳が俺を見上げる。
「あの――!! 私、居ますよ――!!」
「ね?? このまま二人でさ静かな場所に行こうよ」
後方で少々大袈裟に叫ぶアレクシアさんを無視して会話を続けた。
「それは了承出来ませんっ!! 自分には一刻も早く!! カエデに弁明しなければならない義務が残っていますので!!!!」
渾身の力で執拗に絡みつく腕を外し、猛烈な勢いでカエデが消失した場所へと駆け出した。
「あんっ。据え膳食って行け――!!!!」
「食うか!! アレクシアさん!! カエデを追いましょう!!」
「は、はいっ!! これ以上怒らせたら取り返しがつきませんからね!!」
「そ、その通りです!!」
何やらわんわんと喚く色情淫魔の女王をその場に置いて視界が大変悪い暗き森の中を駆けて行く。
まさか最初に見返して来た方がカエデだったとは……。
あぁいう場面では彼女の負けん気は顔を覗かせないと考えたのは早計だったかな。
意外な一面が見られた事が嬉しい反面、選択肢を誤った不甲斐なさから生まれる後悔が心に募る。
こりゃ長時間の土下座は確定ですよね……。
地面に平伏し硬い大地に額を擦り付け、己の愚行を猛省している事を態度と姿でまざまざと示し。どうして俺が誤った選択肢を取ったのかを細部に至るまで説明しよう。
木の根に躓き草の端が肌を傷付けても俺は立ち止まる事無く、猪突猛進を心掛ける猪の疾走にも劣らない速度で足を動かし続けた。
お疲れ様でした。
今度の土日ですが、番外編一話と本編一話を投稿しようかなと考えております。
そこまでも体力があればの話ですが……。忙しいのも後少し。今日はこのまま深夜のプロット作業をせずに眠ります。
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それでは皆様、お休みなさいませ。