第二百六十九話 休憩中でも気を抜かずに その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
物音そして気配を一切立てない慎重な行動の継続は大量の体力を消費し、神経の摩耗を余儀なくされてしまう。
足元の枯れて朽ちた枝、踏んでも構わんぞと囁く小石の数々、想定外の方向から伸び来る何の植物か分からない蔦の端。
天然自然の罠が音の発生源となりかねないので細心の注意を払う必要があるのだ。
息を顰め、気配を殺して徐々に強くなって来る馨しい香りの下へと向かって斥候を続けていた。
『もう直ぐ到着するぞ……』
慎重に歩みを進め、隊を先頭しているリューヴが小声で此方に注意を促す。
『了解。どうする?? 屈んで移動するか??』
野営地に接近するに連れて身を隠す遮蔽物が徐々に減少しつつある。
ここはユウの提案に賛成すべきだな。
『分かった。リューヴ、引き続き先頭でこちらを誘導してくれ』
彼女の提案に従い地面へとしゃがみ、そして四つん這いの姿勢に移行しながら話す。
『私が先頭なのか……??』
え?? 駄目ですか??
鼻が利くし、直感にも鋭いから斥候にお誂え向きだと考えているのですが……。
『あはは。リューヴはレイドにお尻を見られたくないんだよ』
『ユウ!! き、貴様っ!!』
あぁ、そういう事か。
配慮が至らないばかりに申し訳ありません。
『じゃあ、俺とリューヴが先頭。ユウとアレクシアさんは後方から追随して来て』
『あいよっ』
『分かりました』
ちょいとばかしもめた後、匍匐に近い前進で目的地へと移動を再開させた。
肘、膝に接着する土によって速度を落とされての行動は時間が掛かりそうだな。
だがこちらの存在を知られるよりかはマシであろう。
『リューヴ――。形の良い尻してるなぁ??』
『ユウ……。狼の脚力を軽んじているのか??』
後方のユウへと後ろ足……。ではありません。
人の首を容易にへし折る筋力が搭載された右足をすっと差し出す。
『おぉっ、こわっ。レイドの尻もいいじゃん』
『どこ見てんだよ……』
溜息混じりに怪力無双さんへと苦言を放つ。
『男の人のそういう所は見ちゃ駄目なんですよ??』
そうそう、もっと言ってやって下さいよ。
こ奴らは調子に乗り出すと歯止めが掛からないのです。
『ふぅん?? そう言うアレクシアもレイドの尻見てんじゃん』
『違いますぅ!! 前方方向にあるから自然と視界に入るんですぅ!!』
まだまだ彼女の実力じゃあユウ達の横着を止めるには至りませんか。やはり海竜さん程の実力じゃなきゃなぁ……。
カエデ達、上手く逃げられたかな??
師匠の追撃は周知の通り苛烈を極める。
背を見せれば常軌を逸した衝撃が体を襲い、真正面から向かえば腹に反抗する気力を削ぎ落す痛みが迸るのだ。
そんな傑物相手に無策で挑むのは無謀とも言えよう。
まぁ……。賢い彼女の事だ。幾つもの策を練って脱出を図っているでしょうね。
藍色の髪の女性、そしてもう片方の灰色の髪の女性達の組に対して気を留めていると陽性な感情が含まれた話し声が前方から聞こえて来た。
「イスハ様――。お茶のお代わりは如何ですか――??」
「貰おうかのぉ」
「は――いっ」
「御飯のお代わりはどうします??」
「お願いしようかしら」
この声は……。
『しめたぞ。イスハとフィロさん。んで、モアとメアの声だ』
ユウの言う通り、俺達を狙う追跡者の声は聞こえず更に気配も感じられない。
正しく僥倖って奴だな。
もうちょっと前で詳しく様子を窺おうか??
野営地の様子を窺い続けてその場に留まる三名を置いて、音を立てない様に移動を開始。
そして世話焼き狐さん達の職場である窯の裏側まで一気に接近を果たした。
『お、おい!! 近いって!!』
大丈夫だって。
焦るユウに対して微かな笑みを浮かべてやる。
世話役の二人は料理、そして追跡者の二人は御馳走に夢中。
俺達の存在は雲の遥か彼方のちっぽけな鳥の様な矮小な存在に見えるだろうさ。
四六時中気を張るのは大変労力を費やす。
つまり、休憩中は否応なしに緊張感が途切れちまうのだ。俺の大胆な行動に対して焦るユウに対して手招きを始めた。
『いいぞ、皆こっちに来て』
そして、その数秒後。
俺は己の安易な行動を呪った。
「――――。ソコニイルノハダァレ??」
「ぎぃゃやあああああ――――っ!!!!」
突如として目の前にアノ顔が出現したら誰だって叫ばずにはいられんだろう。
生気を失った瞳に捉えられた刹那に腰が抜け、情けない叫び声を上げてしまった。
下着が濡れなかった事が幸いです……。
「イスハ様――!! 斥候を捕らえましたぁ!!」
モアさんに首根っこを掴まれ、明るい場所へと強制的に連行されてしまった。
「儂らの様子をコソコソと嗅ぎ回り……。剰え、世話役に見つかる始末。お主、少々弛んでおらぬか??」
美味しそうにお茶をコクコクと飲む師匠の手厳しい御言葉が胸に突き刺さる。
「ほれ。他の者も隠れておらんで出て来い」
「あはは!! 流石だな!!」
「見つかっちゃいましたか――!!」
「主の所為だからな」
後方で出方を窺っていた三名が俺に続き広い空間へと出て来た。
長机にはこちらの予想通りフィロさんと師匠が仲良く並んで食事を摂り。メアさんは嬉しい汗を流しながら食事の世話を続けていた。
「え、っと。フォレインさんはどこにいます??」
ユウが恐る恐る周囲を窺いながら話す。
「今はアオイさんと話しているんじゃないかしら??」
フィロさんがお椀から口を離して北西側へと視線を送る。
「アオイと??」
彼女が追うのはユウ達の組なのに、娘さんと呑気に世間話ですか……。
「ほら、久方ぶりの再会じゃない。それで色々と積もる話もあるみたいよ??」
片目をパチンッと瞑ってフィロさんが仰られた。
「成程、そういう事ですか。師匠、カエデ達はあの後どうしたので??」
美味しそうに御茶を飲む我が師へと問う。
「ふんっ。カエデが眩い発光を放つと霞の如く森の中へ姿を消した。丁度腹も減っておったし、追撃はこの後に行う」
ほぉ……。師匠の追撃を躱したか。流石我が分隊の隊長なだけはある。
策も弄せず師匠と対峙するのは不味いと刹那に判断。目くらましの光を放ち、一時退却して完璧な布陣で迎え撃つ算段かな??
若しくは罠を張り巡らせた場所へと誘導して足止めを与え、その隙に乗じて再び退却。それを繰り返して時間経過を狙う。
いずれにせよ、彼女の知識と魔法で築かれた布陣を崩すのは師匠の実力を以てしても骨が折れるだろう。
体の前で腕を組み、聡明な彼女の思考を汲み取ろうと懸命に頭を働かせていた。
「所で……。モアさん??」
「はい?? どうしました??」
「苦しいのでそろそろ拘束を解いて頂けますか??」
親猫が子猫の首元を食む様に、先程からずっと襟から手を放してくれないのだ。
「あらあらぁ、そうでしたね」
不気味な笑みでは無く、普通の人に見せるべき普遍的な笑みを浮かべて漸く手を放してくれた。
生きた心地がしませんでしたよ。
唇の裏側にまで出掛かった言葉だが、ここはぐっと堪えておくことにした。
「ユウ、飯どうする?? 直ぐに出来るぞ??」
「頼むよメア!!」
「あいよ――」
メアさんの提案もあり、そして追跡者が襲い来る気配も無い為。俺達は小休止という事で長机の前に着席した。
はぁ……。まだ始まって数時間しか経っていないのに疲れたよ……。
食事前に取るべき姿では無いと考えられるが。ちょいと気が抜けちゃったので致し方ないよね。
長机の上に横っ面を密着させて体を弛緩させた。
「ユウさん、御茶は如何ですか??」
「お――!! ありがとうアレクシア!! リューヴはどうする??」
「頂こうか」
「へぇ――。うちの娘と違ってアレクシアちゃんはしっかりしているのねぇ」
「そ、そんな。普通ですよ」
「品行方正、淑女足る振る舞いを見せているけどさ――。さっき物凄い腹の音を鳴らしたよな――??」
「あ、あれは違うんですぅ!!!!」
鼻腔に届く腹が空く匂い、きゃいのきゃいのと盛り上がる女性達の話し声が更に俺の気力を削いでいく。
このまま本日の訓練が終わらないかな……。
目に見えぬ相手に追跡されると想像以上に精神が擦り減ってしまうのですよ。
ぼぅっとしたまま調理場から届くまな板の上を走る包丁の小気味良い音に耳を傾けていると。
「これ。姿勢が悪いぞ」
「いてっ」
正面に座る師匠が机の下にある俺の脛を蹴り、矮小な痛みが体の中を駆け抜けて行った。
「まだ訓練は始まったばかりじゃぞ。その様子では先が思いやられるわい」
「慣れない地形、不明瞭な場所、見えない敵。悪条件が重なれば誰だって疲れますよ」
ましてや相手は傑物の類。
女子供を相手にしている訳では無いのだ。
「泣き言を求めてはおらぬ。気概を持てと言っておるのじゃ」
相手はエルザードですよ?? 意気地が無いと仰られているのは理解出来ますがもう少しこちらの状況を汲んで頂いても宜しいと思うのです。
だが、まぁ。師匠の仰る事が正しいな。
「了解しました。粉骨砕身、例えこの身が砕かれようとも必ずや彼女から鉢巻きを奪ってみせます」
数舜の内に姿勢を整え、背を天に向け。弟子足る姿で師匠の御言葉に覇気ある言葉で返すと。
「うむっ。それでこそじゃ!!」
師匠の背に見える尻尾の三本の内、一番右側の一本が嬉し気に揺れ動いてくれた。
「ふふ。随分と嬉しそうじゃない」
師匠の隣に座るフィロさんが師匠の丸みを帯びた可愛い曲線を描く頬を突く。
「喧しい!! し、師としての助言じゃよ!!」
「ふぅん。所で!! 娘から聞き出したんだけどさ。いつもユウちゃんに迷惑かけているみたいで、ごめんね??」
フィロさんが正面に座るユウに対して机越しに申し訳なさそうに両手を合わす。
「いえいえ。もう慣れたんで気にしていませんよ」
「そう?? 中々口を割らなかったから大変だったんだけど。ユウちゃんの胸に穴を開けちゃったんだって??」
口を割らせた方法は問いません。
肝が冷えますのでね。
「じゃれ合いのついでって奴ですかね。見ます??」
ユウが大変カッコいい訓練着に手を掛け、ぐぃっと捲り上げようとするものだから本当に肝が冷えてしまった。
「っ!!」
咄嗟に視線、いや。頭全部を明後日の方向へと向けた。
速く動かし過ぎて首の筋が捻じ切れたかと思ったぞ。
「ん――……。消えているわね」
「ありっ?? 右胸の下辺りにあった筈なんだけど……」
そうなんだ。
いや、これは不必要な情報なので覚える必要はありません。俺の頭よ、忘れなさい??
「あ、あの――。レイドさんもいらっしゃる事ですので。その辺りで……」
良く言ってくれた!! アレクシアさん!!
左隣に座る彼女の素晴らしい発言に思わず激しく頷いてしまった。
「あっ……。へへっ。レイド、悪いね――!!」
「全く。いきなり止めてくれよ」
普段通りに座り直し、二つ離れた席に居るユウへ呆れた声を放ってやった。
「う――ん?? ねぇ、ユウちゃん」
「何です??」
御飯まだかなぁ。
卑しいかも知れないけど、本日の朝食はおにぎりを二個しか食らっていないので俺の腹も随分と機嫌が悪い。早く食物を我に寄越せと五月蠅いし。
冷たいお茶を飲んで誤魔化しますか。
「そうやってさ、気にする事なく服を捲るって事はぁ。彼に見られても構わないって事で合っているのよね??」
「まぁ、そうですね。レイドだったら見られてもいいかなぁって思いますよ」
「ぶふっ!!」
飲みかけのお茶を盛大に吹き出して思わず咽てしまった。
何て事を言うんだ!!
はしたない!! 全く以てけしからんぞ!!
「ちょ、ちょっとユウさん!! 駄目ですよ。女性がそ、そういう事をしたら!!」
「例えだって。あたしも恥ずかしいよ?? でも、事故だったり突発的な出来事だったら仕方ないかなぁって思う訳よ」
あぁ、そういう事か。
ユウがいつの間にやらどこぞの淫魔の影響を受けたかと思ったぞ。
「そういう事なら仕方ないですねっ!!」
アレクシアさんも俺と同じ考えに至ったのか。
ほっと胸を撫でおろした。
「でも、さ。ほら。あの洞窟内では……。ねぇ??」
ユウが俺に向かって意味深な笑みを浮かべると、ストースの北に位置する山での崩落事故が脳裏に鮮明に映し出されてしまった。
「あ、あれは仕方が無いだろ!? 怪我の治療の為にやむを得ないって感じだったし……」
「何々!? その話知らないんだけど!?」
「私も知りませんっ!!」
この話に食いついたフィロさんがとアレクシアさんがずぃっと机の上に乗り出す。
「これ、フィロ。お主は年相応の態度を取れ」
「五月蠅いわねぇ。興味があるんだからしょうがないじゃない。ユウちゃん!! 後でその話聞かせてね!!」
「え――……。それはちょっと……」
「ふぅん、そっか。それならまた娘をしばき倒して聞こうっと」
マイ、これからとんでもない痛みが襲うかと思うけど……。必ず生きて帰って来いよ??
一名の生存が危ぶまれる言動を受けると綺麗に晴れ渡った青き空へ向かって憐憫の言葉を放ってやった。
お疲れ様でした。
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