第二百六十六話 それぞれの思惑 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
網膜が疲弊してしまう程の強力な光量が失せると代わりに等間隔で鳴り響くさざ波の音が鼓膜に届く。
優しい潮風が鼻腔を楽しませくれて肌を刺す季節外れの光が汗を誘発、そして足の裏に感じる砂の柔らかさが目を開けていなくてもどこに足を着けているのかを明瞭に伝えてくれていた。
「わぁっ。綺麗な海ですよねぇ」
アレクシアさんの声を受けてそっと瞼を開くと、彼女が感嘆の声を漏らしたのも頷ける紺碧の大海原が目の前に広がっていた。
砂浜に打ち寄せる波は抜群の透明度を誇り、打ち寄せては砂浜の砂を海へ引き寄せ。遥か遠い海でうねる波が青に僅かばかりの白の装飾を加える。
海を余り見る機会が無い者にとってこの景色は価値のある絵画よりも更に価値のある景色であろうさ。
「んっ、良い風です」
潮風で揺れる薄い桜色の髪を細く頼りない指で優しく抑えながら静かに吐息を漏らす。
『夏真っ盛りに咲く季節外れの桜』
俺が絵描きであったら題名はこうだな。
桜と海。
対照的な季節だが、砂浜に静かに佇む彼女の姿は酷くこの雰囲気に合っていた。
「えぇ、今が訓練中でなければゆっくりと腰を下ろして。流れる時間に身を委ねながら眺めていたいですよね」
「ふふっ。私も同じ事を考えていました」
共に肩を並べ紺碧の海に視線を送り、ふぅっと息を漏らす。
だけど……。ここで油を売っていたら速攻で捕まっちまうな。
早速行動に移りましょうかね。
「アレクシアさん、鉢巻きをどうぞ」
右手に持つちょいと長めの鉢巻きを彼女に提示する。
「赤と白、ですか。どっちが似合います??」
その二つを手に取り、己の額にあてがいながらこちらを窺う。
これはどういう意図でしょうか??
色が違うだけで機能的には大差ないのだからどちらを選んでも変わらないと思うのですよ。
「う――ん……。強いて言うなら、白ですかね」
薄っすらと汗を浮かべる白い肌に良く似合うと思いますよ??
「そうですか!! じゃあ白にしましょう」
「はぁ」
妙に嬉しそうに燥ぐ彼女から赤を手に取り、そして額にキツク巻いた。
よし、これで準備完了っと。
「では、早速行動に移りましょうか」
「はいっ!! 先ずは……。どうします??」
そうだな……。
「太陽の位置、そして島の地形からして俺達は島の東の砂浜に居ます」
砂浜の上に簡易的な島の地図を描き、大体の場所へ丸印を打つ。
「俺達を狙う追跡者はエルザードです。彼女は魔法の扱いに長けており、恐らく俺達の位置をもう既に掌握済みでしょう」
常軌を逸した魔力探知云々よりも俺達をここへ空間転移で送った張本人だ。分からない方がおかしいだろう。
「私もそう思います。この島でエルザードさんから逃げ遂せるのは不可能に近いですよ」
「そこで、自分に良い考えがあります」
「と、言いますと??」
細い首がきゅっと曲がる。
咄嗟に思いついた案だけど。淫魔の女王から逃げ切る若しくは迎撃する為にはこの方法が有効だという考えに至った。
『カエデ、今どこに居る??』
神経を研ぎ澄ませ、島の何処かに存在する彼女へと念話を飛ばす。
頼む……。届いてくれ!!
『――――。現在は島の中央に居ますよ』
届いた!!
『良かった!! カエデの魔法で俺達の魔力を抑えて欲しいんだ!!』
咄嗟に考えた案はカエデの魔法で俺達の力を抑え、島に群生する森の中で身を顰めて時を待ち可能であれば撃退する作戦だ。
正面から向かっても、背を見せて逃げても捕まる確率が高い。
それならいっそのこと身を隠しちまおうという考えなのさ。
『構いませんけど……。この念話、恐らく先生に筒抜けですよ??』
「そ、そんな事も出来るんですか!?」
念話を聞いていたアレクシアさんが声を大にして驚く。
「常軌を逸した傑物ですからね」
『それも承知の上さ。凡その位置は掴んでいるからそっちへ向かう。近付いたら何か合図を送ってくれ』
『了解しました』
その言葉を最後にカエデの力の痕跡が消失してしまった。
「わっ。カエデさん達、力を消しちゃいましたね」
「多分、ルーにも同じ魔法を掛けたんでしょう。では、作戦を発表します」
砂の上に描いた簡易地図に移動経路の矢印を描く。
「俺達は現在、ここ東の砂浜に位置しています」
「ふんふん」
アレクシアさんが前屈みになり、興味津々といった感じで俺の手元を注視する。
「先ず中央付近に居るカエデ達の組と合流を果たす為、西へと向かいます。ここで大切なのが森の地形を覚える事です」
「地形を??」
「只単に移動するだけではなく、あらゆる情報を入手しながら移動するのです。はぐれたり、相手を見失った時。森の姿を覚えていれば合流し易くなりますからね」
「成程っ!! あ、でも私は空を飛べますから直ぐに見付けられると思いますけど……」
「それは止めた方が賢明ですね。魔力を抑え、霞の如く姿を隠すのが今回の作戦ですので。目立つ行為は厳禁です」
「あ、そうでした」
えへへと軽快な笑みを浮かべて鼻頭を掻く。
何か、妙に似合いますね?? その姿。
「はぐれてしまった時は、そうですね……。この位置で落ち合うってのはどうですか??」
砂の上に描いた島の北北東。その位置に丸を打つ。
「北北東の……。そこがどういった地形になっているのか分かりませんけど。砂浜と森の間はどうです??」
「そうしましょうか」
地形が分からないのは痛手だな。
向こうは自分達の庭同然の様に理解している。この二つの差が影響を及ぼさなければいいのだが……。寧ろこれを逆手に取るべき、か??
悩んでいても仕方が無い。先ずは行動しよう。
「よし!! 先ずはカエデ達の組と合流しましょう!!」
「了解しました!! レイド隊長!!」
いやいや。
それなら立場的にアレクシアさんが指揮を執るべきなのですけども。
「隊長って。アレクシアさんが命令を下す立場ですよね??」
「も――。ノリって奴ですよ!! マイさんなら必ず乗ってきますよ」
「あいつは能天気ですからねぇ……」
森へ向かい、踏み心地の良い砂の上を歩きながら話す。
「そこが良い所なんですよ。何の遠慮も無しに、言いたい事を言う。ちょっと憧れちゃうなぁ」
「お願いします。どうかそこだけは見習わないで下さいね?? アレクシアさんは一族を纏める人物なのですから」
ちょいと不安が募り、俺の後方でついて歩く彼女へ請うた。
「それっ!!」
人差し指を立て、ビシっと俺に指を差す。
はい?? 何でしょう??
「今の口調、ピナと一緒です!! こういう時位はその女王という立場を忘れたいのです!!」
ふぅむ……、つまり。
「分け隔てなく接して欲しい、と??」
恐らくこういう事でしょうね。
「大正解です!! あっ、森の中は涼しいですね」
彼女と共に生い茂る木々の合間へと侵入すると、空高い位置から左右に伸びる逞しい枝が太陽の笑顔を遮ってくれた。
涼しいのは良いんだけど、歩き難いが問題だな。
平ぺったい木の根が土から顔を覗かせ、俺達の足を掬ってしまおうと悪い顔をしているし。
「足元気を付けて下さいね」
「私はそこまでドジではありませんっ!! きゃっ!!」
言わんこっちゃない。
飛ぶのは得意だけど、歩くのは苦手なのかしらね。
木の根に躓いた彼女の手を掴み支えてあげた。
「す、すいません。躓いちゃって」
「どういたしまして」
妙に頬が赤い彼女の手を放し、そして再び歩き出す。
カエデ達と上手く合流出来ればいいけど……。
散歩感覚、或いはこの風光明媚な雰囲気に当てられたのか。本当に自分達が狙われている立場であると理解しているのかしらと不安になる声色が彼女の口から漏れた。
「あ、レイドさん!! 可愛い鳥の歌声が聞こえましたよ??」
「澄んだ歌声でしたねぇ」
「さぁ私と一緒に歌って御覧なさいって聞こえませんでしたか!?」
それは都合の良い解釈ではありませんかね。
「自分の耳は普遍的な鳥の鳴き声にしか聞こえませんでした」
「そっか――……。ふふ――ん、ふん。ふふふんっ」
小さな鼻歌を囀りながら自分の後方に続く彼女に少々不安を覚えつつ、徐々に深くなっていく森の中を西へと向かって行進して行った。
◇
空よりも青く染まった広大な海、穢れを知らぬ白い砂浜、そして何処までも澄み渡り広がる空。
素晴らしい休暇を過ごすのに必要であろう三者が揃い私の心を高揚させていた。
ほほぅ……、いいじゃあないか。
この景色を見るだけでもお金が要りますよと言われても頷けるわね。
正に完全無欠の景観に思わず頷きかけたのだが……。この絶景の中の異物を捉えてしまうと気色悪い胸焼けが発生してしまう。
「……」
私の背後に立ち何も言わず、只々静かに周囲の様子を窺う白い髪の女性。コイツただ一人の存在が景色を台無しにしてしまっていた。
あ――あっ!! こいつさえいなけりゃあ最高の景色なんだけどなぁ!!
まぁ存在自体を無視すればいいか。あの母親から逃げ遂せる為にも先ずは海で泳ぐ美味そうな魚を視界に捉えて心を潤しておきましょうかね。
何とも無しに海へ向かい歩み出すと。
「……」
蜘蛛が私とは正反対の森の方へと進み出した。
ほらっ、ほぉぉっら!!!! もう反りが合わない!!
「ちょっと、何処へ行くのよ」
いきなりはぐれてしまうのは憚れる。
そう考え、聡明で可憐な隊長である私が問うてやった。声を掛けてくれるだけでも有難く思えや。
「はぁ……。こんな目立つ所では直ぐに見つかってしまう事が分かりませんの??」
最初の溜息。どういう意味??
「んな事位分かっているわよ。何か案があるかどうか聞いてんのよ」
「あなたに話す必要がありますか??」
はいっ、死刑。
「はぁ?? いい?? あんたも私も嫌々組んでいる事は分かっている。そして私は母さんに負けたくないの。だからさっさと話せ」
怒りを誤魔化す為、拳を強く握りながら話す。
こうでもしないと滲み出る怒りが暴走しちゃうわよ。
「一度だけ言いますわ。森の中で身を顰め、好機を待つ。こちらに有利な地形を探す為に移動を開始するのです」
あぁ、そういう事。
「最初からそれを言いなさいよね。ったく」
私はあんたじゃないから、てめぇの頭の中を理解出来ないのよ。
「低能な頭で理解出来るかどうか不安でしたので……」
「んだとぉ!?」
森の中へと消えゆく蜘蛛の背に向かって叫ぶ。
ほんっっとコイツは毎度毎度一言多いんだよ!!
「静かにして頂けますか?? 五月蠅くて敵いません」
「てめぇが悪いんだろうがぁ!!」
何でこいつが味方なんだ。敵に回れば数舜の内に首を捻じ切って息の根を止めてやるのに……。
まぁ私は背後に広がる海の様に広い心を持つ大人なので我慢しますよ??
だが、それもいつまでもつのやら。
私自身の存在を空気の如く無視し続ける大馬鹿野郎の背を見つめながら、化け物の迎撃に適した場所を見付ける為に緑豊かな森へと渋々進んで行った。
お疲れ様でした。
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