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第二百六十三話 出発の朝、静かなる決意 その一

お疲れ様です。


本日の前半部分の投稿になります。




 胃袋が嬉しい悲鳴を上げ、心が満足以上の多幸感に包まれその影響を受けた体が弛緩しきっている。


 満腹の状態の時に嗅ぐ伊草の香りって反則だよな。


 やる気が削がれ、気力が空に漂う薄雲の様に掠れて消失。俺の体は料理下手な新妻が朝食の時に失敗した目玉焼きみたいに畳の上に接着していた。



「ちょっと!! 私の服どこにあるか知らない!?」


 気持ち良い空気の中に一人の女性の怒りを滲ませた声が響く。


「あたしに聞くなよ。第一、自分の荷物位自分で管理しておけっつ――の」



 ユウの意見に賛成だな。


 あいつは管理にも疎い。任務の移動中にも。



『おい。これ、お前の私服だろ』


『あ――!! あんたの鞄の中に入れっぱなしだったかぁ!! いや――。どこに行ったかなぁって探していたとこなのよ』



 等と悪びれる仕草を一切取る事も無く、さも俺が管理していて当たり前の様な声色でひったくって行った。


 服ならまだ真面であり、時には。



『んぅ?? マイちゃ――ん。私の荷物の中にマイちゃんの小さい下着が入ってたよ――』


『誰が小さいだぁ!! 張り倒すぞ!! お惚け狼がぁ!!』


『やぁ!! 尻尾に噛みつかないでぇ――!!』



 そこは礼を述べる場面であるのにも関わらず襲い掛かる始末。


 フィロさん。


 あなたの娘さんは日を追う毎に凶悪、且狂暴に進化してしまっていますよ。


 今度会う時にはこれまで犯した愚行の数々を報告せねばなぁ……。


 奥の部屋から寛いだ姿勢のままで、あちらこちらへと走り回る横着者の姿を眺めながらそんな事を考えていた。



「主」



 翡翠の瞳を持つ一頭の狼が大部屋と俺が寛ぐ小部屋との境界線にお座りの姿勢で腰を下ろす。



「どうした?? リューヴ」


「明日の出発時刻は聞いていないのか??」



 あ、そうだった。



「お――い。皆、ちょっと聞いてくれ」


 すっかり記憶の片隅へと移動してしまった物事を伝えようと上半身を起こす。


「明日の出発は午前八時だ。それまでに荷物を纏め、着替えを済ませておくように。こっちには早々帰って来られないからな」



 まぁカエデやエルザードに頼めば帰還出来るだろうけど。


 訓練や指導で疲弊している人に頼むのはちょいと勇気がいるからね。



「了解した」


 リューヴがそう話すとくるりとこちらに背を向けて、フサフサの尻尾を左右に揺らしながら大部屋へと戻って行った。


「八時かぁ――。いつもと同じように起きれば大丈夫かな??」


「ルー。甘いわよ?? 朝ご飯をたっぷり食べないといけないから、お腹を空かせなきゃいけないの。ちょいと早めに起きて訓練場を走るべきだと考えるわ。つまり!! あんたも早く起きる必要があるの。お分かり??」


「ううん。全然分かんない」



 だろうねぇ。


 何でお前さんに合わせて行動せにゃならんのだと、正直に伝えればいいのに。



「ちぃっ、お惚け狼め。ユウ――」


「御断り。あたしは時間一杯まで眠っていたいもん」


「リューヴ!! あんたは起きるわよね!?」


「断る。体力を温存しておきたい」


「何なのよ!! あんたら!! 沢山御飯食べたくないの!?」



 御飯の事では無く、お前さんの溌剌とした元気に辟易しているのが理解出来ないのだろうか??



 明日から始まる訓練に備えて体力を少しでも温存したいという気持ちを汲み取ってあげなよと伝えたいが、予想だにしていない火の粉が降りかかって来る恐れもある。


 ここは沈黙が正解です。



「大体さぁ。朝ご飯が出て来るとは限らないんだよ?? ほら、モアさん達も色々忙しそうだったし」


 ルーがフサフサの耳を若干下げながら口を開く。



 王都からこちらに帰って来た時、丁度モアさんとメアさんとこの部屋で鉢合う形になった。


 聞けば。



『明日からの訓練に同伴する事となりまして、準備に追われているのです』


『そ――そ――。飯の事は心配しなくていいからなぁ』



 と、額に汗を浮かべ何やら忙しなく移動していた。


 彼女達が同伴するとなれば、恐らくというか十中八九食事は超大盛が確定する事を指す。


 強く成る為には食う。


 これは紛れも無い周知の事実なのですが、彼女達が用意する食事は常軌を逸しているので今からでも億劫になるよ。


 それに付け加え俺とカエデは毎食アレを否が応でも気にせねばならない。


 さ、流石に狐の里から離れれば出て来ないよね?? 杞憂で済ませて欲しいものさ。



「う、嘘?? あ、あ、あ、朝ご飯抜きで出発するの??」



 信じられないといった顔に変容すると、やっと探し当てた手に持つ服が畳の上にポトリと落ちる。


 大袈裟な奴。



「一食抜いても訓練には支障無いだろ。夜飯、あれだけ食べたんだから」



 皆が化け物級のピコピスタの欠片を一つ若しくは二つ食べ終えて満足し。さて、次はどうしたものかと考えていると。



『あんた達はもう降参?? 情けないわねぇ。でも、安心なさい!! 私がぜぇんぶ食べてあげるからぁ!!』



 と、有り得ない発言をして。



『わぁ……、すごぉい。土、持っているみたい……』



 ピコピスタの欠片を掴み、次々と平らげていった。


 半分以上残っていたのに全てを胃袋の中に収め。数時間後には朝飯の心配だもの。


 驚愕を通り越して呆れちまうよ。



「私が朝ご飯を重視している事は知っているわよね??」



 人から龍の姿に変わり、こちらの部屋に侵入。


 そして腕を組んで俺に説く。



「一日の始まりだから外せないと言っていたな」


「うむっ、その通りよ。その朝ご飯が無いって事はだよ?? 私に残念な一日を送れって言っている事と同義なの。しかも!!」



 ずんぐりむっくり太った雀がガバッ!! と大きく翼を開く。



「明日からは特別な訓練が始まるのよ!? 特別な訓練には、特別な朝ご飯!! うむ……。この手に限るわね」


「意味が分からん。俺に説く前に、モアさん達に請うべきじゃないのか?? 師匠の母屋に居るみたいだし。様子見て来いよ」


「その手もあったわね!! ちょいと行ってきま――っす!!!!」



 翼をはためかせ風を纏い、目を疑う速さで寝所から出て行ってしまった。



「五月蠅い虫が居なくなって清々しましたわぁ。これでゆるりと休めますわね」


「虫って……。少々言い過ぎじゃないですかね??」


「アレクシアさん。アイツには強めに言わないと話を聞きませんからね。今の内に慣れる事をお薦めしますよ」


 布団がきっちり収められている奥の襖を開けつつアレクシアさんへと助言を放った。



 さてと。そろそろ寝る準備をしようかな。


 明日に備え、ぐっすりと睡眠を摂らねばならないのでね。



「慣れる、ですか。あの食欲には慣れそうにありませんよ。あ、手伝います」


「有難う御座います。敷布団は大部屋に七つ敷いて下さい」


「了解しましたっ。んっしょっと」



 折り畳んだ敷布団を細い腕に三つ乗せて運んでくれる。



「お――い。掛け布団も持って行ってくれ――」


「あいよ――」



 ユウが返事と共に此方へと歩み来る。


 こういう時、率先して動てくれるのは本当に助かるよ。



「ユウ、ありがとうね」


「どういたしましてっと」



 いつもの快活な笑みを浮かべ、全員分の掛布団を運び出す。


 彼女にとっては羽毛よりも軽く感じるだろうさ。たかが掛布団七組なんて。



「ユウちゃ――ん。掛け布団こっち――」


「おいおい。お前さんも手伝えよ」


「手伝おうと思っているよ?? でもさぁ、沢山居たらかえって邪魔になるかなぁって」


「アオイさんの敷布団はこちらでいいですか??」


「えぇ、ありがとうございます」



 ふふ。


 もう既に打ち解けているじゃないですか。


 突然の召集にも臆せず、馬鹿騒ぎが好きな者達に囲まれていても態度を崩さない。


 そして、上昇志向は言わずもがな。


 女王足る振る舞いは……、まぁ雰囲気に飲まれちゃって発揮出来ないから致し方ないとは思う。


 友人同士、気を遣う事無く極自然に接している彼女を見るとふわりと温かい気持ちが生まれた。


 よし、こっちは準備完了。


 ひんやりとした布団の中を温めようか。


 布団の中にすっぽりと身を入れ、体を弛緩させた。



「お――い。そろそろ寝るから襖閉めて――」



 自分でやればと思われるが……。一度入ったら抜け出せないのですよ。



「はいは――い。よいしょっと」


 お惚け狼さんが器用に前足を動かして閉めてくれた。


「おやすみ――」



 欄間の上から漏れる蝋燭の明かりへ向かって話す。



「ん――。おやすみ――」


 ユウの返事を受け、静かに目を閉じるが……。


「ただいまっ!! 朗報よ!! あ、明日の朝ご飯はおにぎりだって!!!!」



 喧しい龍の帰還に眉を顰めてしまった。


 しまった。


 アイツが帰って来る前に眠りたかったのに。




「おにぎりかぁ。いいねぇ」


「ちょっと!! ユウ!! 気の無い返事をしないの!! 早起きして走ってお腹を減らすわよ!!」


「だからあたしは寝るって言ってるだろ?? もう寝るからあっち行ってろ」



「ちぃぃ。ルー!! あんたは強制参加よ!!」


「嫌」


「はぁぁぁ!? 至高の龍族からのお誘いを断るなんて上等じゃない!! 無理矢理起こして、尻尾引きずってやるからね!!」



 あぁ、もう。五月蠅いなぁ。


 時と場合を考えて叫びなさいよ。


 喧噪から逃れる様に布団の中へと身を沈めた。



「カエデちゃ――ん。明かり消して――」


「分かりました」


「ぬぁ!! 見えん!! 私の布団はどこだ!?」


「ちょっ……。テメェ!! どこに頭突っ込んでんだ!!」


「あらまっ。ちょいと間違った」



 ユウのどこに頭を突っ込んだのだろう。


 まぁいい、今は静かに眠り明日からの素晴らしい訓練に備えるべきだ。


 徐々に喧噪が鎮まり、やっと静寂が訪れるかと思いきや。誰かの悲鳴、若しくは苛立ちを募らせた叫び声が上がる。


 彼女達が寝静まったのは夜空に浮かぶ月が大欠伸を放つ頃。


 月もさぞかし迷惑だっただろうさ、夜更けにも関わらず耳障りな声を聞かされ続けて。


 多大に眠気を刺激する温かさに包まれながら、月へと詫びを放ち漸く夢の世界へと旅立つ事が出来た。





















 ◇




 現実と夢との境。


 それを認識するのは体の状態によってはかなりの難易度を示す。何らかの刺激があれば現実であると確知し、有り得ない事象を捉えればこれは夢であると確知する。


 自分が置かれている位置は果たしてどちらなのだろう。


 それを確かめる為に五感を駆使して様々な情報を入手していくと、ふと優しい香りが鼻腔に届いた。



 何だろう……。すっごい良い匂いだ。



 色とりどりの花が放つ粘度の高い花粉に体が絡み取られ一切の動きを規制してしまう。


 言葉に表せばそんな感じなのだが。


 極最近、これに近い香りを嗅いだ事がある様な気がするのは気の所為でしょうかね。


 時間が許す限りいつまでも嗅ぎ続けていたい。そんな事を思わせる香りを放つ正体は何だろうか??


 疲労を溶かしてくれる魅惑の香りに誘われ、意識が真なる現実へと帰還した。



「……」



 目を開けると、眠る前と変わらぬ光景を捉える。


 僅かに染みが目立つ木の天井、窓から差し込む光は随分と頼りなく、冷えた空気が室内を満たしていた。


 随分と早い時間に目が覚めちゃったな。


 ぼぅっとした頭の中に、微睡の中で確知した香りが鼻腔を優しく撫でる。


 あれ?? まだ夢の中なのか??


 数度瞬きを繰り返し、ここは現実であると再認識すると。



「うぅん……」


「うぉっ!?」



 布団の中から女性のくぐもった声が響いた。


 その人物を確認する為、若干五月蠅い心臓を宥めつつ布団を捲ってやった。



「はぁ――……。朝っぱらから何やってんだよ」



 どうやら、この魅力的な香りを放っていたのはこの人の様だ。


 冷涼で新鮮な空気が入り込むと、寒さから逃げる様に俺の体をひしと抱き。密着した暖かな双丘が目覚めたての体を驚かす。



「んっ……」



 小さな唇から漏れた甘い言葉が男のイケナイ何かを刺激し、心の奥底の牢屋に閉じ込めているもう一人の俺を呼び醒ましてしまった。



『おっ?? 出番?? 朝早いけど頑張っちゃうよ??』



 当面の間、出番はありませんのでそのまま眠っていて下さい!!


 長く濃い桜色の前髪の合間から端整な顔が現れると、つい息を吸い込んでしまう。


 何度も見た顔なのにどうしてこうも動悸が激しくなるんでしょうかね。



 それ以前に、何で俺の布団に紛れ込んでいるのだろう……。


 この数日間は忙しそうだとカエデから聞いたけど、俺の布団の中に潜り込むのなら自分の布団で眠ればいいのに。


 美貌の文字を具現化した女性の寝姿をいつまでも眺めていたいが、この光景を発見されてしまったら恐らく俺は神々の怒りを買う事になる。


 本日から始まる訓練を考慮するとそれは頂けないと考え。淫魔の女王。エルザードの横着な両手の拘束を外して冷たい空気が漂う畳の部屋へと全身を曝け出した。



「さっむっ!!!!」



 思わず両手で体を擦るが、人間の手で発する摩擦熱だけではとてもこの寒さに対抗する事は叶わなかった。


 晩冬の季節の夜明け、そして山の中腹。


 寒さの要因が重なった場所に身を置いて居るのだ。体が凍えてしまうのは当たり前だと思う一方、どうしてあなたは静かに寝かせてくれないのだと。憤怒を籠めた瞳で今しがた脱出した布団の盛り上がりを見下ろす。



 くそぅ。朝っぱらから要らぬ事をしおって。


 でも、まぁ??


 いい匂いだったし?? 許して……。許したら駄目だろ。


 大声で抗議の声を上げたいが未だ早い時間。皆の睡眠を邪魔しては不味い。



「はぁ……。仕方が無い」



 体を温める為に走って来るか。


 こんな寒い部屋で二度寝したら風邪を引いてしまうのでね。


 暖かそうな布団に別れを告げ、素早く運動着に着替えると蚊の羽音にも劣る音を立てて襖を開けた。



「「「……」」」



 皆様気持ち良さそうに眠っていらっしゃいますねぇ。


 睡眠とは本来こうあるべきだと考えられる姿勢で安らかな寝息を吐き、冬用の厚い布団に身を入れてあったかぁい空間の中で睡眠を享受していた。


 皆を起こしては不味いと考え、爪先からゆるりと畳へ足を乗せ忍び足で移動。


 このまま静かに抜けようと移動を続けていたが、部屋の中央辺りでその足を止めてしまう事象と遭遇してしまった。



「んがらぁっぴぃ……」



 吐く息が白む寒さの真っ只中、標高の高い山での朝。


 これでもかと睡眠に悪影響を及ぼす状況がてんこ盛りにも関わらず、コイツは布団を蹴り上げどこかへと……。



「う、うぅん……」



 あ、ユウの顔に掛かってた。苦しそうな声が布団の中から届く。


 布団を蹴り上げ体全身を冷涼な空気の中に曝け出し、端整な顔の口元からは粘度の高い無色透明な液体が零れ、剰え腹を半分覗かせている。


 体が丈夫過ぎるのも考えものですね。



「風邪引くぞ」



 ユウの顔付近に無造作に乗っていた布団を手に取り、最悪な寝相を浮かべて人の姿で眠るマイへと掛けてやる。


 すると。



「んひぃ」



 口角がきゅうっと上がり、私は大変幸せですよと物言わずとも寝相一つで伝えてくれた。


 お願いします。他の人の迷惑になるからその寝相のままで眠っていてくれ。


 まぁ、馬鹿みたいに体が頑丈だから病を罹患する心配は無い。寧ろ風邪では無く、大飯ぐらいを看病しなくてはならない事が心配なのだ。



 床に臥せた状態からあれこれと飯を催促し。やれ味が薄い、やれ量が少ないとベッドの上でのたうち回る。


 お前さんは本当に病人なのかと問うたら、剛拳が返事として顎に返って来る。


 看病しているのに殴られるなんて理不尽過ぎて涙が止まりませんよ。


 まっ、天と地がひっくり返ってもこいつは風邪を引かないからいいんだけどね。



「よく眠れよ。マイ」


「ふがっふぅ……」



 眠っていても元気な彼女へ静かな声を与え、皆の睡眠を阻害しない速度と足取りで平屋を後にした。




お疲れ様でした。


現在後半部分の編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。

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