第二百五十話 彼女の名は その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
あっれっ??
おかしいな。聞いた覚えが無いぞ?? いつもは心の中で看板娘さんと呼んでいたし……。
記憶の海の最深部へと潜りその記憶の断片を幾ら探そうが彼女の名の一部さえも見つからない事に驚きを隠せなかった。
な、何て失礼な奴なんだ!! 俺は!!
今の今まで名前を聞いた事が無いなんて!!
お店に足を運んでは割引をして頂いて、しかも!! 美味しいパンを提供してくれるってのに!!
失礼な自分を思いっきりぶん殴ってやりたい気分だ。
右の拳をぎゅっと握り、取り敢えず頬へ一発放り込んでやった。
「あぁ、ロティの事?? 私行きつけの美味しいパン屋さんの看板娘だから手出すんじゃないわよ」
ほぅ、ロティさんっていうのか。
その名、確とこの胸に刻みました。
彼女の名前を呼ぶ機会があればさり気なく、そして何気なくさらりと呼んでみよう。
あたかも以前から知っていましたぁって感じでね。
「で、あんたは何で横っ面殴っているのよ」
「は?? あぁ、肉が歯に挟まって取れないんだよ」
適当な言い訳で俺の失態を誤魔化す。
「そんなんで取れる訳ないでしょ」
ごもっともで。
「ロティさんていうんだ。おお――い!! ロティさ――ん!! こっちおいで――!!」
ハドソンが馬鹿みたいな大声を上げると。
「ねぇねぇ!! 今度何処かに行こうよ!!」
「てっめぇ!! 俺が先に誘ったんだからな!?」
「あ、あはは。後ろの人達に迷惑が……」
性欲の塊の処理に対して四苦八苦しつつ何とも言えない顔を浮かべたロティさんがこちらを見つめる。
そして、俺とトアの顔を見付けると。
「……っ!!」
元気良く手を振ってくれた。
「おぉ!! 俺に向かって手を振ってくれたぞ!!」
「ば――か。あんたじゃなくて私によ。ちょっと揶揄ってこよっと」
「お、おいおい。仕事の邪魔するなよ」
只でさえ忙しそうだってのに。
「ロティとは親しい仲なので御安心を。お――い!! 余ったパンちょうだ――い!!」
それをダシにしてパンを強請るのはどうかと思うぞ。
大股で進み行く彼女の背中を怪訝な表情で見送ってやった。
「はぁ、御馳走様でした」
米粒一つたりとも残さず、完璧に空白となったお弁当へ一礼を送る。
味、そして量。
どちらも満足のいくものだと俺の心は満場一致で合格点を叩き出していた。
この店で食べ放題ねぇ……。満足のいく栄養も補給した事だし、後半戦はしゃむになって走ろうかな??
そして!!
百の分隊の頂点に立ち、心行くまで御馳走を胃袋に詰め込むのだ。
品書きに掲載されている値段を確認する事無く、気になった料理を好きなだけ注文出来るのはきっと最高だぞ。
値段の確認は怠らないのは体に染み付いて離れない庶民精神、とでも呼ぶべきなのだろうか。
この一手間が省略される事は実にありがたい。たった数時間でも上級階級の方々が過ごすお時間を体験出来るのかと考えれば辛い訓練も苦にならないさ。
「なぁ、ウェイルズ」
ハドソンが名残惜しむ様に最後の御飯を口に含もうとしている彼へ珍しく真面目な口調で問う。
「ん――?? どうした??」
「そっちの前線基地でさ、あいつらの姿は確認出来た??」
「いや、全く。トア伍長が隊長を務めていた時、西方へ調査に出発したんだけどさ。あいつらの影や痕跡すら見当たらなかったんだ」
「やっぱりそうか」
やっぱり??
「ハドソンとタスカーの所はどうだったんだ??」
その真意を問う為、空っぽになった弁当を地面に置いて尋ねた。
「俺達は……。よっと、ここら辺りの前線基地に居たんだ」
ハドソンがアイリス大陸の西部の簡易的な地図を地面に描き、北部側の一箇所に丸を描く。
「んで、俺はここっと」
続け様にウェイルズがその丸の位置から北へ離れた箇所に丸を描き、大陸と海の境に面する場所へ一本の横線を入れた。
「この線は??」
「俺達が斥候した場所だよ。前線基地から海まで一切の痕跡も見当たらなかった。そしてそこから南へ……」
海と前線基地の中間地点から今度は南へと線を引く。
「俺達はウェイルズが調査した場所も通ったな。つまり、ここら一帯には敵が居ないって事よ」
ハドソンが引いた線とウェイルズが引いた線が地図上で綺麗に交わった。
「そして、朗報と捉えるべきか。将又悩みの種と捉えるべきなのか……。俺らより南に居る兵士達もここ暫く奴らの姿を捉えていないと言っていたぜ??」
「タスカー、それは事実か??」
木の匙を咥えて器用に話す彼へと問う。
「今は真剣な話だから馬鹿な事は言わないって。姿形も見えない。つまり……。西部一帯を占領していたオーク共はここ……。不帰の森へと後退したと考えられるな」
口から取り出した匙で地図にあいつらの予想経路。
即ち、あの忌々しい森へと続く矢印を描いた。
「南へ下がった?? どうして??」
「ハドソン、それが分かったら苦労しねぇって。その何故を調べるのが俺達の仕事だろ。なぁ、レイド。お前何か知らないか??」
「ん――。申し訳無い、分からないな」
こちらへ視線を向けたタスカーに虚偽の言葉を返す。
本当は知っているんだよ。タスカー達が予想した通り、不帰の森を抜けた先には予想を遥かに超える大軍勢が待ち構ている事をね。
教えてやりたいのは山々だが、言えない理由が山程あるのだ。
友を欺くのは忍びないな……。
「ん、そっか。パルチザンの兵士を召集して、これだけデカイ訓練を行っているんだ。きっと近い内に目玉が飛び出る作戦が発表されるんだって」
「タスカー、適当に言ってんじゃねぇよ」
ハドソンが地面の小石を掴み、それを彼の頭へと放る。
「いてっ。ちょっと考えれば分かる事じゃん。突然行われた訓練、パルチザンのほぼ全員に対して召集が下った。んで――。まるで品評会の如く俺達を品定めするお偉いさん達」
彼が顎で監視台をクイっと指す。
一段上がった監視台では今も数名の方が訓練場の方向へ視線を下ろしていた。
シエルさんやベイスさんが見当たらないとなると、彼等はまだ天幕の中で難しい顔を浮かべながらこの大陸の行く末を相談しているのでしょう。
「お、おいおい。それじゃあ、あいつらはその作戦に備えて俺達の実力を加味しているって事なのかよ」
「それでしか説明出来ねぇだろ。馬鹿騒ぎのハドソンちゃんもビビっちゃいましたか――??」
タスカーが先程のお返しと言わんばかりに小石を放った。
流石と言うか、訓練所でも偶に見せたのだが。こいつは馬鹿騒ぎやら馬鹿な真似が好きなくせに妙に頭が切れるんだよなぁ。
「あっぶね。じゃあ適当に流しておけば……。厄介な作戦に参加しなくてもいいって事かよ??」
「逆だよ、逆。実力不相応な奴は最前線に立たされて突撃させられるって」
「嘘だろ!? やっちまったぁ……」
冷たく乾燥した地面にヘナヘナと萎むハドソンに問いかけた。
「何をしたんだよ」
「いや、ほら。ビッグス教官が主任教官だしさ、いつも様に下らねぇ訓練だと思い込んでほぼほぼ流して訓練を受けていたんだよ」
あらあら……。
「御愁傷様で御座います。最前線で血を流し、憐れな骸となって土の養分になって下さい」
タスカーがハドソンへ向かって両手をパチンと合わせ軽快な音を響かせた。
「うっせぇ!! ここから巻き返せばいいんだろ!? 明日の正午まで、血反吐吐いても足を止めねぇ!!」
「「「いや、それは無理」」」
はは、仲良く声が合ったな。
「喧しい!!!! 俺はやれば出来る子なんだよ!!」
「やれば、だろ??」
にっと口角を上げて言ってやる。
「あ、あぁ。やれば……。だな」
「その意思が弱いんだよ、お前さんは」
そこが良い所でもあり悪い所でもある。
いや……。良い所じゃないな。悪い所と断定出来よう。
「兎に角!! ここでさぼって……」
さぼっていたのかよ。
「さぼっている訳にはいかん!! 俺は分隊に戻って走るぞ!!」
「いってらっしゃ――い」
「お前達も来るんだよ!!」
ヒラヒラと手を振るタスカーに食って掛かる。
「え?? 俺の番まで大分先だし。それにぃ……」
配給所へと視線を送る。
「トアさん!! 駄目ですよ!! くすねたら!!」
「別にいいじゃん。これ、パーネの分でしょ??」
「あ――!! それ私のぉ!!」
「頂きっ!! んんぅ――!! うまぁい!!」
「あそこで燥ぐ可憐な華達を鑑賞して、乾燥した心と体に潤いを与えるんだ」
「阿保か。大体、お前故郷に彼女が居るだろ」
は?? それ、初耳ですけど。
ハドソンが何気なく放った言葉が形容し難い感情を呼び起こしてしまった。
「タスカー」
「なぁに?? レイドちゃん」
「お前、何故その事を黙っていた」
「別に教えなくても良い情報だし?? 君達には知る必要がない情報だもん」
ちぃっ。上から悠々と見下ろしやがって!!
彼女が居るからって偉い訳じゃないんだぞ!?
「ち、因みに。可愛い??」
それは気になるな。
「年齢、骨格、筋力、身長を教えろ。それとなり染めも教えろ」
ハドソンの問いに俺も続いた。
「あのなぁ。兵士になる訳じゃねぇんだから。顔は……、ん――。まぁまぁ可愛いと思う。ずっと一緒に育って来たから第三者として評価を下すのは難しいけどね。年齢は俺の一つ下だよ」
ふぅむ。
一つ下って事はここに居る馬鹿野郎共は皆同い年なので、今年で二十二歳か。
「胸はデカイか!?」
ハドソンさん?? よくそんな事を聞けますね??
「胸?? あぁ、これくらいかな??」
手の平を湾曲させ、その形を模る。
答えるこいつもこいつで阿保だな。
「うっわ!! 結構おっきいじゃん!! 触らせろ!!」
「馬鹿か?? 触らせる訳ねぇだろ」
人の恋人の胸を触ろうとするその根性、又は強い意志は褒めるべきなのかしらね。
やんややんやと騒ぐお馬鹿さん二人の合間を縫って、ウェイルズが口を開いた。
「ヤった??」
「ぶっ!!」
い、いきなり過ぎるだろ!!
想定外の質問を受けて思わず吹き出してしまった。
「勿論ヤったよ?? すんげ――気持ち良かった」
「ふぅん。そっか」
「ウェ、ウェイルズさん?? あなた、随分と淡泊でいらっしゃいますね??」
右隣り。
飄々とした態度で配給所へと視線を送っている彼に話し掛けた。
「別に興味無いからな。俺が興味あるのは……」
あぁ、飯か。
本来であれば絶世の美女に送る視線をパンに送っていますものね。
「色気より食い気か。タスカー!! 今度誰か紹介してくれよ!!」
「ハドソンを?? 俺は真面目に働いていると故郷で有名なんだ。それがこぉんな下らない奴を連れ帰って来てみろ。何て言われる事やら……」
まぁその気持ちは大いに分かる気がする。
真面目で通っている所、剽軽な奴を連れて帰ったら同郷の皆さんも呆気に取られてしまうでしょうからねぇ。
「はぁ!? ふざけんな!! 絶対一緒に帰ってやるからな!!」
「丁重にお断りさせて頂きます」
「はは、ハドソン。振られたな??」
「うっせぇぞ!! レイド!! 俺は諦めねぇ!!」
「おい止めろ!! 襟を掴むな!!」
止めろと言っていてもその実、言葉とは正反対の事を心では思っている。あれは気を許し合った者達が行う戯れなのだ。
いいよなぁ、こういう平和な光景って。
夕暮れに染まる赤い空の下。男共の下らない叫び声が立ち昇って行き、巣へと帰ろうとする烏達の飛翔を阻んでいた。
「お――。何?? 随分と楽しそうじゃない。何の話してんのよ」
お腹を満たしてご満悦の同期の女性がこちらへと帰って来る。
「あぁ、タスカーの彼女の話さ」
俺の右隣りに何気なくポンっと座るトアへ言ってやる。
「は?? あいつ彼女居るの??」
「そうみたい。生まれ故郷の幼馴染と付き合っているんだって」
「へぇ――。あいつが、ね」
「止めろ!! 脱がすな!!」
「喧しい!! 風邪を引かせて、訓練を滅茶苦茶にしてやらぁ!! てめぇも最前線送りだからなぁ!!」
ハドソンがタスカーの訓練着を脱がそうと手に掛けてそれを必死に抑える。
大の大人がする事とは到底思えないが……。この空気が堪らなく好きなのでついつい眺めてしまう。
「――――。ふふ、相変わらず馬鹿やってるわね」
トアがふっと笑みを浮かべ乱痴気騒ぎを見つめる。
そう。
こうして馬鹿騒ぎが出来るのも今この瞬間だけなのかも知れない。
だからこそ大切にこの光景を目に、そして心の中に大切な記憶として保管しておきたい。
トアが笑ったのは恐らく俺と同じ気持ちなのだろう。
「そうだな」
彼女に倣い僅かばかりに口角を上げて幸せな溜息を吐いた。
「お?? そこの御二人さんやい、同じ口角の上げ方しちゃってまぁ――。仲睦まじい夫婦みたいじゃねぇか」
俺達の様子に気付いたハドソンが揶揄う。
「何度も言わせるな。こいつは駄犬で私が飼い主なのよ」
「その言葉、俺も使わせ貰おう。俺は駄犬じゃない」
頭に乗せて来た手を払って言ってやる。
「そういう所が夫婦みたいだって言ってんだよ。もう付き合っちまえよ」
「「はぁ!?」」
それはおいそれとは了承出来ないな!!
つ、付き合うという事はだよ??
友人又は他人から彼氏という存在へと変化し彼女に対してあれこれと奉公する義務が発生するのだ。
とてもじゃないけど今はそんな時間は無いです。
仮に、もし仮にだよ??
トアと付き合ったとしても真面に遊べる時間はお互い取れそうに無いし、それに一生駄犬扱いされそうで億劫になっちまうって。
まぁ……。
竹を割った性格、透き通った目の中に浮かぶ橙の瞳、屈強な兵士とは思えぬ端整な顔。
彼女が仮に物品であったのなら、市場価値はそれ相応の物となるであろうし?? 月が欠伸を放つ時間まで会話を続けていても飽きないし??
楽しいとは思うんだけどね。
「おっ、声揃えちゃって。これまた仲が良いね!!」
「おっしゃ、ハドソン。首、逝っとくか??」
ハドソンの下らない煽りを受け、遂に我慢の限界を迎えた悪魔が重い腰を上げてしまった。
拳をぎゅっと握り締め、背筋が凍り付く指の関節の乾いた音を響かせつつ馬鹿野郎へ向かって歩み始めた。
「か、勘弁しろって!! お前さんに殴られたら死んじまうよ!!」
「安心しなさい。その二歩手前で止めてやるわ」
いつもなら一歩だけど二歩なんだ。
トアなりの優しさなのだろうか??
「はは!! 馬鹿騒ぎが仇となったな!!」
「うっせぇ!! タスカー!! レイド、ウェイルズ!! そこの悪魔の進撃を止めろ!!」
「「「無理」」」
意図せずとも三人同時に声を合わせてしまう。
無理な注文するなよ。
俺達が抑え付けても容易く跳ねのけ、大地から沸き上がる星の力を吸い取ってお前さんに襲い掛かるだろうさ。
「甲斐性無し!!」
「よし。覚悟は出来た?? 大馬鹿野郎さん??」
トアはこちらに向かって背を向けているので表情は窺えぬが……。
きっと誰しもが恐れ戦く表情を浮かべている事であろう。
「け、結構です」
ハドソンの顔を見れば一目瞭然さ。
あわあわと口を開き、後ろ足に加重を掛けいつでも超危険地帯から脱出出来る様にしていた。
「遠慮しなさんな、骨までは到達しないと思う。…………、多分」
「最後までちゃんと言え!! 俺は逃げる!! さらばだ!!」
弱々しい背を此方に向け、脱兎が太鼓判を押す速度で駆けて行った。
「待てぇ!! あんたの腐った頭。叩いて治してあげるから!!」
「そんなんで治る訳ねぇだろぉ!!」
「「「はははは!!!! 逃げろよ――。ハドソ――ン!!」」」
絶対安全地帯から恐ろしい悪魔と憐れな生贄のかけっこを観戦しながら大きく口を開けて陽性な感情を解き放つ。
全く、こいつらと居ると緊張感が失っちまうよ。
今も訓練場の外周を走り続けている訓練生が駆け回る二人を見つけると。
『そんな体力、どこに残っているのですか』
と、呆れにも似た瞳を浮かべてしまう。
その御二人は放っておいて構いませんよ?? 頑張ってその大きな背嚢を背負いつつ完走を目指して下さい。
「くらぇぇええ――!!」
「いやぁぁああああ――!!」
「「「あははは!!!!」」」
馬鹿共を代表して訓練生達へ謝意を示したい後ろめた気持ちとは裏腹に、遠く離れた位置でハドソンが叩きのめされると再び陽性な感情が弾けてしまった。
この感情はこれから長く続く訓練に対する心の栄養補給とでも言えばいいのか。
兎に角、心と体はもうこれ以上詰めなくて結構ですと苦い顔を浮かべる程に膨れ上がり。自分が想像している以上に心と体は満たされていた。
お疲れ様でした。
実はこの御話で連載開始から七百話目となりました。まだまだ冒険の途中ですがちょっと立ち止まって振り返るとかなり長い道のりを歩んで来たのだなぁっと感慨深くなります。
まぁその感情は間も無く年末だから、というのも含まれているとは思いますけどね。
年末年始は休みがありそうで実は休めないのが本音でしょうか。それも全てもう直ぐ始まる魔物側の特訓の為です!!
気合を入れてプロットを執筆しなければなりませんので!!
ブックマークをして頂き有難う御座います!!
執筆活動の嬉しい励みとなりました!!
それでは皆様、お休みなさいませ。