第六十六話 縁側での指南 その一
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それでは、どうぞ!!
大地を温め続けていた彼が此方に最後の別れを告げると、音も無く漆黒の闇が訪れ。その来訪を待ちかねた星々が懸命に輝き始めた。
幾千年もの間、輝き続ける星々。その一つ一つには何か意味が込められているかの様に瞬いて見えるから不思議だ。
暗く赤く光る星は不安気な感情を表し、その隣で白く光る星は隣の赤を宥める様に強く光る。
勝手気ままな想像と、下らないと揶揄される考察を続けていると月の女神様と目が合う。
真円も模倣しようと躍起になる美しい円を描き昼間の彼とは真逆の柔らかい光を放って大地を照らしていた。
平地の夜空とは違い、ここの星空は本当に素敵だ。
可能であればこれを額に閉じ込め、自分だけの物にしたいですよ。
ずずっと冷たい茶を啜り、ふぅ……と息を漏らす。
温かく素晴らしい効能を持った温泉上がりに大変嬉しい味に思わず口角が上がってしまいますね。
まぁ、陽性な感情が湧くのは先程の勝利の余韻を引きずっている事もあるでしょう。
恐ろしい二人に対し、辛くも勝利を掴み取れた。勿論それが主な要因なのですが……。
あの急激に広くなった視野。
師匠から授けて頂いた心が僅かに咲いた。僅かと言えども、困難な技を会得出来たのなら誰だって陽性な感情を抱くだろうさ。
我儘を言う事が許されるのなら、師匠に褒めて頂きたいのですけども……。
きっと彼女はこう仰るだろう。
『まだまだ甘いわ!! それしきの事で鼻を高くしてどうする!!』
ってね。
厳しい御方ですからねぇ……。
「むぅ?? 何じゃ、また一人で寂しく茶を啜っておるのか」
師匠の御姿を想像していたら本物の彼女がパタパタと。薄い草履で軽快な音を奏でつつ此方に向かってやって来た。
素晴らしい機能性を持つ道着から、寝間着に近い薄手の浴衣へと着替え。
その背後には三本の尻尾がフルンっと心地良さそうに揺れ動く。
「ほっ!! ふぅむ……。今宵の月は格別に綺麗じゃなぁ」
弾む様に縁側に腰かけ、上空に光り輝く彼女を満足気に眺めた。
柔らかい月明かりに照らされた金色の髪、そして卵の曲線も超える柔和な線の頬にしっとり艶々の肌。
大人の姿になった師匠は綺麗って感じですけど。
三本の尻尾の時の師匠は大人にもなりきれていない、だが少女でも無い。その狭間で揺れ動く多感な時期の女性って感じですよね。
「んぅ?? 何じゃ、儂の顔に何か付いておるのか??」
「あ、いえ。特に用はありません」
急に此方へ振り向かないで下さい。
瞳の中に咲いた向日葵と目が合ってしまい、恥ずかしさを誤魔化しつつ再び茶を啜った。
「ふぅ……」
コップを置き、大きく息を吐き出すと。
心地良い静寂が俺と師匠を包んだ。
正確に言えば、真なる静寂では無く初夏の夜に相応しい音が矮小に奏でられているとでも言えばいいのか。
風の音に混ざる木々の囁き声と、子守歌に相応しい虫達の歌声。
「「…………」」
俺と師匠は一切口を開かずにその音を堪能していた。
口を開けばその音を掻き消してしまう、雑音を発生させれば音を濁してしまうから。
この素晴らしい音を堪能しようと瞳を閉じ、聴覚に神経を集中させた。
「すぅ……。ふぅ……」
左隣に座る師匠の小さな御口から放たれる呼吸音。
そして。
「…………」
トクン……、トクン……。
と、己の心音がいつもよりちょっとだけ早く鳴り響いている事に気付いてしまった。
うぅむ……。
視界を閉ざすと他の五感が研ぎ澄まされてしまいますね。
鼻からスっと空気を取り込むと師匠の方向から流れて来る馨しい花の香りを捉え。
柔らかく風が吹くと、師匠の小指が肌に触れたかと錯覚してしまう。
いけませんね、煩悩を抱いては。
ゆっくり。
空に浮かぶ雲が霧散するかのようにゆるりと瞳を開け、この静寂を断ち切るのは少々不憫であると思われるが。
自然環境から奏でられる素敵な音を邪魔しない慎ましい声量で声を出した。
「師匠」
「――――。ん??」
縁側から足を投げ出し、手持ち無沙汰に両足をプラプラと揺らし。
小さな御手手を背中側に回して、それを支えにしてダラリと体を弛緩。
夜空に顎をクイっと向けつつ此方に振り向く姿がまぁ可愛いのなんの……。
絶対言いませんよ?? 殴られますからね。
「えっと……。模擬戦の最終戦について、少々疑問に感じた事があるので御伺いしても宜しいでしょうか」
師匠の後方の何も無い空間へと視線を送りつつ話す。
ごめんなさい、直視出来ません。
「良いぞ。まぁ、恐らくあの事じゃろうがな」
流石と言うべきですね、此方の考えている事は全てお見通しか。
「はい。瞳を閉じ、波打つ心を落ち着かせると……。周囲に存在する様々な圧を感じ取れるようになりました。それは、矮小な生物の存在でさえ。今、それを再現しろと言われたら無理ですけど……。あれが師匠の仰っていた、極光無双流の心なのですか??」
「それは似て非なるものじゃ」
似て非なるもの??
要領を得ないな。
「分からぬか??」
「えぇ。至らぬ弟子で申し訳御座いません……」
「そうじゃなぁ……。言葉にして表すのが難しいのじゃが……。お主が心に抱いた静かな心は、その前段階と呼べばいいのか」
前段階。
つまり、その先があるのか。
「更に深く精神を研ぎ澄ませていくと、己が静かな水面の中心に立っている事に気付くのじゃ。 周囲には何も存在しない、只存在するのは澄み渡った水面と己のみ。その水面に映るのは相対する者の姿じゃ。そこに映し出された者の一挙手一投足が水面に映り、手に取る様に動きが分かる。 更に突き詰めていくと気の起こりさえも理解出来るのじゃよ」
「気の起こり??」
何だろう。初めて聞く言葉だな。
「攻撃に移る際、お主は相手を捉え。其処へ向けて攻撃を加えるじゃろう??」
こんな感じだ。
そう言わんばかりに拳を握って此方に差し出す。
「そうですね。どの場所に、どういった攻撃を加えるか。頭で考えてから加えます」
「それが理解出来るのじゃよ」
「――――――――。はい??」
相手は己では無い。
つまり、何処へ攻撃を与えて来るのかは動きを見る必要がある。
動きを見ずに攻撃方法、若しくは攻撃箇所を理解出来るのなら。それは相手の頭を覗いている様なものじゃないか。
人が持つ能力を超えた、人知が及ばない能力だな。
「これは説明が大いに難しい。儂でさえその境地に立つのは困難なのじゃよ。相手と思考が同調している……。うぅむ……。違うのぉ……」
腕を組み、大変難しい顔を浮かべて首を傾げている。
それだけ理解が及ばないって事か。
「何を考え、何をしたいのか、そしてどのようにして攻撃を加えるのか。相手がそれを考え終え、行動に至る前にそれが理解出来てしまう。うむっ、言葉で説明するとこうじゃな!!」
納得がいったのか。
ポンっと己の膝を叩いて此方を見つめた。
「そ、そんなの……。無敵じゃないですか!! 攻撃に至る前に攻撃方法が理解出来てしまうなんて!!」
見てから避ける必要も無いし、寧ろ。見る必要も無い。
目を瞑っても勝てるとは正にこの事だな。
「いいや、無敵では無いぞ?? 世の中に無敵な奴など居らぬ。無敵に見える相手でも何かしら及ばぬ所があるのじゃ。この力を発動したとしても、大いなる犠牲を払うからのぉ」
「犠牲、ですか」
「精神が持たぬのじゃよ。ピンっと張り詰めた糸と、弛んだ糸。どちらが矮小な力で断ち切れると思う??」
「それは……。前者ですね。爪先でも容易く……」
そうか、そう言う事か。
「理解出来たか?? 極限まで精神を高めると身体の体力、そして心の体力を激しく消耗。ほんの少しの反動で精神が崩壊する恐れもある。儂が発動した時は、それはもう酷い筋力疲労と精神が草臥れ果て。立ち上がるのに二日を要したわ」
「因みに、使用した相手は??」
師匠が対峙した実力在る者を聞ける貴重な機会だ。
師匠に向かい、少々失礼かと思われるが。ぐぐっと前のめりになって尋ねてみた。
「強い敵じゃったよ。それはもう儂が尻尾を巻いて逃げる事を考える位にな」
「う、嘘ですよね?? そんな実力者が世の中には存在するのですか??」
「なはは!!!! 上には上がおる!! 武の世界は正に青天井じゃ!! 強き者が頂点に立つがそれを超える傑物が次々と現れおる。これが愉快でのぉ……。何処まで強さを追い求めても、追いつけぬのじゃ。強さを得ても、まだ先の強さが待ち構えている。永遠にその繰り返しじゃて」
大変楽し気に仰りますけどね??
俺達と師匠との間には呆れる位に隔絶された距離があるのですよ??
上に立つ師匠を越える人物が居る。そこは傑物共の世界。
そして、師匠達は己を越える者が現れる事を楽しみにしている。
俺には理解が及ばない世界だな。
「まっ、お主にもいつか理解出来るじゃろうて」
一本の尻尾が優しく額をピシャリと叩いてくれた。
「そこに至るまで、俺の命がもつのか。それが甚だ心配ですよ……」
体を元の位置に戻し、お茶を……。
「安心せい。儂が倒れぬ様、鍛えてやるから……」
あらまっ。
師匠が飲んじゃっていましたね。
美味しそうに喉の奥へとコクコクとお茶を流し込んでいた。
「有難う御座います。師匠の教えを守り、一秒でも早く師匠達の高みへと登ってみせます!!」
「なはは!! 儂の高みへと登るときたか!! くくく……。なははぁ!! これは愉快じゃ!!」
むっ……。
そこまで笑わなくてもいいじゃないですか。
目標は高い程良いんですよ??
「ふぅ……。儂はずぅっと此処で待っておる。必ずや、登って来い」
縁側へとコップを置き、俺の心の奥を見つめる様な優しく大きな瞳で此方を見つめた。
「はい、必ず」
大きな向日葵を確と見つめ返す。
すると、横着な風が吹き師匠の前髪をふわりと揺れ動かした。
「むぅ……。邪魔じゃな……」
悪戯に揺れ動く髪を耳に掛ける、その何気無い所作が此方の心を大いに揺れ動かしてしまう。
いけませんねぇ。
俺もまだまだ未熟者である証拠だ。
精進が足らぬと罵られ前に、己を戒めましょう。
酷く温かい空気が縁側に溢れる。
師匠と二人。
再び訪れた静寂を満喫していると。
「だ――!!!! あっちぃい!!」
この静寂を台無しにしてしまう雑音が近付いて来てしまった。
残念、心地良い空気は此処迄ですね。
「おっ!! 何!? イスハも涼んでいたの!?」
師匠も??
「喧しいわ。折角、静かな空気を堪能していたのに……」
そう仰ると、むぅっと口を尖らせてしまった。
「温泉を頂く時にイスハさんとすれ違ったのですよ」
右隣りにちょこんと腰かけたカエデが話す。
通りで肌がツヤツヤだったのか。
納得がいきましたね。
「ほぉら、レイド様っ。私の肌に磨きがかかり。更に美しくなってしまいましたのよ??」
「あ、うん。そうですね……」
カエデと此方の間。
その僅かな空間に無理矢理体を捻じ込み、御風呂上りの柔肌を此方に晒す。
白雪も思わず嫉妬してしまうでしょうね、その肌は。
「どうですか??」
「何が??」
色々と言葉が抜けていますよ??
「腕だけでは無く……。此処も……。御覧に……」
「さて!! 師匠!! 明日の予定をお聞かせください!!」
襟をクイっと下げるので速攻で首の筋力を最大可動させ、師匠の方へと……。
「んっ?? どした??」
こっちもこっちで色々と不味いな!!!!
振り返るとそこにはしっとり艶々で健康的に焼けた肌の彼女が間近に座り。
きょとんと。しかし、僅かに口角を上げて此方を見つめていた。
不意打ちは卑怯ですぞ?? ユウ殿……。
「明日は七時起床、朝飯を終え。体を解してから訓練場に集合せい」
ユウの後方から師匠のちょっとだけむっとした声が響く。
「朝の稽古は??」
男らしくゴクゴクと茶を飲むマイが話す。
「明日は訓練場で淫魔の女王を迎え撃つ。万全の態勢で臨む為、朝の稽古は無しじゃよ」
「師匠は俺達と共に戦って頂けるのですか??」
「勿論じゃ!! 淫魔の女王など、儂が一蹴してくれるわ!! な――ははは!!!!」
お、おぉ!!
心強い処か、史上最強の助っ人を味方に加えた気分だよ!!
俺達に死角はない!! エルザードさん?? 恐ろしい布陣で迎え撃ちますからね!?
「皆さぁん。お食事の準備が整いましたのでぇ、大部屋へとお越しくださぁい」
しまった。
この時間を忘れていたぞ……。
モアさんの恐ろしい声色が恐怖の始まりの時間を無情に告げた。
陽性な感情が一瞬で蒸発し、負の感情が一気に心の中に広がる。
まぁ、それは一部の人には当て嵌まりませんけどね。
「やぁぁぁっほぉぉぉい!!!! 御飯だぁああああ!!」
アイツの食欲が羨ましいですよ……。
喜々として向かって行ったマイの背中を見送るも、全員がその場から動こうとはしなかった。
そりゃそうだろう。
無理矢理に近い形で御飯を体の中に捻じ込まれるのだから……。
「はいっ、三秒以内に立たないと。頸動脈、プッツリ。デスよ??」
モアさんが愛用の出刃包丁を天から振り下ろし、甲高い音が響くと。
「「「っ!!!!!!」」」
全員が颯爽と立ち上がり、大部屋へと移動を開始した。
食わなければ死ぬ。
食っても地獄。
行き着く先はどちらも最悪に近い結果が待ち受けていますが、この場で死ぬよりかはマシですからね。
明日に備え、どうか適量でありますように!! と。
叶わぬ願いを唱えつつ、踏み心地良い畳へと向かって行った。
お疲れ様でした!!
最後まで御覧頂き、有難う御座いました。




