第二百三十四話 羨望の的の分隊 その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
列に並ぶ軍人達は一糸乱れぬ隊列を組み、激しい運動の効果によって上昇した呼吸により彼等の肩が上下する。
軍属足る者、微動だにせず礼節を心掛けて姿勢を正せ。
教えに倣って熱を冷まそうとする己の意思とは真逆の静かなる呼吸音が方々で微かに流れ、この絵面は青一面の空の真下に酷く似合っているなと一人勝手に考えながらその絵の中に身を置いていた。
大勢の中に紛れ肩を上下に大きく動かし、新鮮な呼吸を体内に取り込み熱を冷まそうと画策していたが……。
分隊長を務める事もあり、分隊員達の手本となるべきなのでどうやらそれは叶わぬようだ。
呼吸の回数を抑えている所為か体の奥が煮え滾る様に熱い。
どこぞの龍じゃないけど、大きく息を吐き出したら瞬時に着火して簡単に物体を焼却出来てしまいそうだ。
まぁ、炎は吐けませんよ?? 自分は龍族ではありませんので。
下らない妄想と深紅の甲殻を頭の中で思い描いていると、仏頂面のビッグス教官が姿を現し俺達に対してやっと声を掛けてくれた。
随分と長い相談でしたね??
恐らく想定外に早く終了してしまったのでこれからの予定を早めようか。それとも、もう一度何かと理由をくっ付けて筋力の鍛錬を行わせようとしているでしょうね。
何となく表情で分かりますよ。
「オホンっ!! 待たせたな!! これからの予定を伝える!! しっかり聞け!!」
「「「はいっ!!」」」
「どこぞの馬鹿が腕立て伏せを完遂してしまったので時間が大いに余ってしまった!!」
「「……」」
周囲の分隊員達の興味津々といった視線が俺の体に突き刺さる。
えっと……。申し訳ありません、達成してしまって。
彼等の視線を特に気にせず、俺はビッグス教官の熱い瞳を注視し続けていた。
「そこでだ!! 予定を早める事にした。これから貴様等には……。これを行って貰う!!」
二名の男性教官が彼の両脇から現れ、再び巨大な立て看板を観察台の麓に立たせる。
立て看板には巨大な紙が貼られ何やら沢山の線が描かれていた。
これと申されても、何をすればいいのやら。
「今から貴様等には実戦形式の徒手格闘戦を行って貰う!! 二十分隊を一区切り。つまり、五つの区画に分けてある!! そして、各区画を勝ち抜いた五分隊と特別参加の分隊が再び勝ち抜き戦を行い、最終的に残った分隊が優勝だ!!」
ほう。彼が話す通りなら俺達八十八分隊は第五区画に置かれ。そこで勝ち抜き戦を行えばいいのか。
一区画二十分隊。
つまり、えぇっと……。
組み合わせによって四回、若しくは五回勝利を収めればその区画での勝利者って訳だな。
区画で勝利した分隊同士が再び勝ち抜き戦を行い優勝目指して戦う。
問題は正体不明の分隊の存在。
恐らく、敗者達の中から選りすぐった優秀な者を集めた分隊であろう。
「模擬戦の細かい取り決めは審判役を務める教官から指導がある。聞き逃すなよ!? 一区画は監視台の手前に設置する、そして第五区画の分隊達はこちらから向かって最後方へと移動を開始しろ。模擬戦中に先に伝えた食事の時間が回って来ると考えられる。時間と相談しつつ、各自食事を摂れ」
俺達の休憩時間は午後一時半からだから、順調に進んで行けば模擬戦を中断しなくても良さそうだな。
まだ午前中の真っ只中だし。
「今から訓練場に模擬戦を行う為の線を引く。それまで貴様等は各分隊に与えてある場所で休め。己の分隊が所属している区画の組み合わせ表に目を通しておくように。以上、解散!!」
「「「「はいっ!!!!」」」」
少し休めるのか、これは僥倖だな。戦いに備えて腕の筋力を休ませておきたいのが本音ですからね。
散の号令を受け、六百の兵達が己に与えられた場所へと駆け始めた。
「レイド先輩!! さっき、凄かったですね!!」
早足で移動を続けていると背後から駆けてきた元気の塊が隣に並んだ。
「そうかな?? 普通だと思うけど」
共に過ごす傑物達と比較して、だけどね。
手の甲で爽やかに額の汗を拭うミュントさんへそう話す。
「全然普通じゃないですよ。私なんか七十回で脱落しちゃいましたからね」
えへへと軽快な笑みを浮かべて話す。
「ミュント、もう少し集中して訓練に臨みなさい。例え訓練であっても気の持ち方が大切なのよ」
「そうそう、レンカの言う通りだぜ。お前達のだらしない姿が俺達にまで波及するんだぞ?? 二十二期生が情けないと思われたく無いんだよ」
おっ、この二人は今回の訓練の主旨をしっかりと咀嚼しているな。
レンカさんとアッシュが緩んだ空気を正そうと厳しい声を出すが。
「あ――。はいはい。辛辣な声は聞き飽きましたよっと」
「私は普通――に頑張っていたんだけどなぁ――」
ミュントさんとシフォムさんはどこ吹く風。
飄々な感情を矢面に出して受け流した。
「こら、二人共。仲間の意見を尊重する意志を見せなさい。あなた達の事を想ってレンカとアッシュは意見を述べたの。汲み取る処か、無下に扱うのは感心しないわね」
リネアも二人に同意見なのか、陽気組の抜けた空気をぴしゃりと叩いた。
だが、これで言う事を聞くのならレンカさん達も苦労はしないだろうな。
「「はぁ――い」」
陽気な足取りで進む二人が強烈な緊張感によって強張っていた肩も思わずだらしなく下がってしまう程の緩い言葉で返した。
さて、ここで俺はどう声を掛けたら良いのだろうか??
弛んだ空気を一気に張る為、屈強な猛者も慄く冷徹な声で叱るべきか。将又、和を尊重し天使も頷く柔和な声で取り繕うべきなのか……。
軍の者であるのなら当然前者だ。
そりゃ当然でしょう。呑気に鼻歌を口ずさみながら戦いに赴く者は居ないだろうからな。
広い世の中、そんな輩は探せば居るかも知れないけど……。
『おっひょう!! 大量大量!! あれをちゃちゃっと片付けてくるから待っていなさい!!』
あ、身近にその候補が一人いましたね。
黄金の槍を肩に担ぎ、真っ赤に燃える炎を彷彿させる深紅の髪を揺らし。地面を覆い付く程の敵に鼻歌を口ずさみながら軽やかな歩調で向かって行くのだ。
アイツは例外中の例外。
少なくともここではそれを了承出来ないと仰る指導者が多々いるので、俺は彼等に倣い大きく息を吸い込んで口を開いた。
「ミュントさん、シフォムさん。今は訓練中だ。弛んだ気持ちのままで臨むと怪我をする虞もあるし、普段は厳しい任務に赴いて鎬を削っている兵達もこの場に居る。彼等から意見を聞くのに絶好の機会だと思わないかい?? 訓練で体を鍛え、現役の兵達から貴重な意見を吸収して成長を促す。ビッグス教官達もそれを期待して……。って、何しているの??」
饒舌に舌を回している最中。
未だ疲労が拭えぬ右腕に女性の甘い体が密着すれば誰だって疑問の声を上げるだろうさ。
「え?? 腕、空いているなぁって思いましたので。あはは」
「ハハハ。申し訳無い、今は訓練中ですので。あしからず」
ミュントさんの体に極力触れない様に拘束から抜け出して言ってやった。
全く。昨今の若い女性はこうもあけすけなのかね。
訓練に臨む姿勢を説く前に倫理観について小一時間程説く必要があるのかもしれない。
「と、言う事はですよ?? 訓練中以外でしたら構わないと??」
「そういう事を言っているんじゃありません」
柔らかい拳を作り、能天気な頭の上にポンっと落として話す。
「いたっ。女性に暴力を振るうのは良くないと思います!!」
「暴力には分類されない力加減ですので許容範囲であると考えられます」
「むぅ。あ、そう言えば。レイド先輩って、あの綺麗な皇聖さん?? でしたっけ。あの人と仲が良いんですか??」
おっと。やはり先程の失態は知れ渡ってしまっていたのか。
折角、腕の筋力を鍛え抜こうとしていたのにシエルさんが目の前にちょこんと座るもんだから多大に集中力が阻害されてしまったのだ。
まぁ……。
集中力が阻害されたのは、視覚的に不味い物を捉えてしまったという理由もありますが。清らかな清流を連想させる綺麗な水色で……。
そ、それはさて置き!!!!
たった一人の女性の存在で心が乱れてしまうのは精神が鍛え抜かれていない証拠。
師匠が先の姿を捉えたらきっとこう仰られるであろう。
『馬鹿者がぁ!!!! 貴様の腐った性根、叩き直してくれるわ!!』
申し訳ありません、師匠。自分はまだまだ未熟者です。
羞恥による集中力の乱れは体の鍛錬と違い、一朝一夕では鍛えられないのですよっと。
「知り合いって程じゃないよ。とある任務で彼等と携わる事があってね?? それで見知った仲になったんだ」
怒髪冠を衝く師匠の御怒りの姿を振り払い、そう話す。
「ふぅん。任務の内容は内緒ですよね??」
「勿論。申し訳無いね」
言いたいのは山々なんですけどね。例え、仲間同士であっても軍規で伝えてはいけない決まりなのです。
「別にいいですよ――。後でしつこく迫りますから」
後で??
不穏な言葉の真意を問おうとすると、天へ向けて垂直に立てられた我が分隊の天幕の前に到着した。
ふぅむ。
少しばかり陽気な態度で訓練に臨んでいるのでそれに呼応する形で天幕も傾いていると思いきや……。
やれば出来るじゃないか。
「じゃあ私達は着替えて来ますね――」
「着替え?? 別にそのままで良いんじゃないの??」
二つある天幕の内。こちらから向かって左の天幕へ向かいながらシフォムさんが話す。
「え――。女の子にそんな事聞くんですか??」
「は??」
これからも引き続き厳しい訓練が待ち構えているのだ。
どうせ汚れるんだからそのままでいいのに。
「そ――そ――。レイド先輩はちょ――っと、配慮に欠けますねぇ――」
「だから。何でって聞いているだろ??」
同じく天幕の口へと向かうミュントさんの背に問う。
「汗くせぇからだろ」
「ちょっ!! ばっかじゃないの!?」
アッシュがポツリと漏らした言葉にミュントさんが顔を真っ赤に染めて反応した。
あぁ、成程ね。
「何で堂々と言うのよ!!」
「別に気にする必要ねぇだろ。ここには汗くせぇ奴らしか居ないんだからよ」
「うっさい!! あんたには女の子の気持ちは分からないのよ!! ば――かっ!!」
ミュントさんが捨て台詞?? を吐き散らし、出入口の布をピシャリと閉じてしまった。
「相変わらずうるせぇなぁ」
後頭部をガシガシと掻き、こちらから向かって右の天幕へとアッシュが進み出す。
「荷物を整理してくるよ。俺達が使用するのはあっち側の天幕だから」
「あ、うん。いってらっしゃい」
こちらへと特に視線を送らずにそのまま男性用の天幕へと姿を消した。
取っつき難い性格は変わっていないけど、こう何んと言うか……。尖っていた棘の先端が丸みを帯びている気がする。
以前、俺に負けた事が影響しているのか。それとも教官達の指導の賜物お陰か。
ま、後者でしょうね。俺には未だそこまでの指導力は無いし。
「知っていますか?? レイド先輩」
「ん??」
俺達と少し遅れてレンカさんとリネアがやって来る。
「以前レイド先輩が指導に来た時、アッシュに手厳しい指導を施しましたよね??」
右隣りに並んだレンカさんが話す。
「手厳しいって。怪我をさせない様に細心の注意を払ったつもりだよ??」
「レイド先輩は手加減したと感じたかも知れませんが、アッシュにとっては今まで対峙した者と比べられない程に強く感じたみたいです」
ほお、そうなんだ。
手加減具合を間違ったのかな??
「そこから彼は自分と向き合う様になったんですよ」
「良い方向に体を向けてくれて光栄だね。折角良い物を持っているんだから、宝の持ち腐れになったら勿体無いし」
「口調は相変わらずですけど、座学、訓練に臨む姿勢が変わりましたからね」
レンカさんがそう話すと、手元の懐中時計へと視線を落とす。
「もう行かなきゃいけない時間??」
「いいえ、まだ時間はありますけど今の内に組み合わせの予定表を確認して参ります」
「あ、宜しくね」
「では、行ってきます」
小さく一つ頷くと、軽い駆け足でここからでも確認出来る立て大きな看板へと向かって行った。
「いやぁ、皆優秀で助かるよ」
本来なら俺が指示を与えなきゃいけない立場だってのに……。
人を統率するのはやはりお門違いなんですよ。
常日頃から口喧しい猛者共を御せていないし。カエデに任せっきりだもんなぁ。
この機会で上の立場について勉強しておくべきなのだろうか??
「皆、とは言いませんが。確かに優秀な人材は揃っていますね」
俺の言葉にリネアがほぼ同意してくれる。
「だろ?? 入隊試験の時に優秀な人材に的を絞ったのかな」
「どうでしょう。入隊資格は十八歳以上、そして健康体である事のみ。入隊資格は随分と緩和されていますが、入隊志望者が年々減少の一途を辿っているのが当面の問題だそうです」
入隊志望者の減少か。そりゃあ、誰だって好き好んで殺意の塊と戦おうとは思わないだろう。
余程腕に自信がある奴か、真にこの国を想って奮い立つ者の二者が受けに来ている筈。
俺が入隊試験の面接を受ける時は後者について語ったなぁ。物凄く緊張して噛みまくったのを今でも覚えているよ。
「減少ねぇ……。もう少し、給料を上げたらどうかな??」
一国の財政状況は知りませんが、目に見えて成果を得られるのは悪くないと思うけど。
「お金目当てに軍属に所属するのはどうでしょうか。貨幣経済が円熟した現在では至極真っ当な動機ですが……。長続きはしないと思います」
「やっぱりそう思う?? いざ入隊したはいいけど、厳しい訓練や殺伐とした現実をまざまざと見せつけられると尻窄みする者も居るからね」
実際。
同期で入隊した者の中には訓練施設を卒業する前に除隊した者も居る。
中には優秀な者も居たが。怪我、現実と理想の乖離、様々な理由で俺達から離れて行ってしまったのだ。
「難しい問題ですよね」
「全くだ」
二人で天幕の方向へ向いて大きく頷く。
そして、その天幕の中からは。
「あれ――。下着も変えるの――??」
「え?? うん。汗で濡れちゃったし」
「ふぅん。おぉ――!! これ、えっぐい!!」
「こらぁ!! 返せ!!」
とても軍属に身を置く者とは思えない明るい声が響き。
「「はぁ……」」
その声を受けた俺達は意図せずとも大きく項垂れ、巨大な空気の塊を吐き尽くした。
誰も見ていないからって気を抜き過ぎじゃないですかねぇ……。
流石に着替え中まで監視する訳にもいかんし。ここは一つ、分隊長として手厳しい言葉を与えるべきなのだろうか??
堅苦しい言葉の数々を思い浮かべていると、妙に明るい足音が聞こえて来た。
今から仕掛ける悪戯が楽しみでしょうがない軽い歩調、女性らしい感覚の歩幅と足音。
「――――。なぁに、楽しそうに項垂れているのよ!!」
この声は聞き飽きたと言ったら顔面の形が変わってしまうので言いませんが。
聞き慣れとても親しみのある同期の御声が聞こえると同時に痛覚を多大に刺激する痛みが後頭部に走った。
「いってぇ!! 何するんだよ!!」
人の頭をなんだと思ってんだ、こいつは。
憤りをこれでもかと籠めた表情を浮かべて振り返り、トアの顔を思いっきり睨んで……。
「――――。イ、イリア准尉!? し、失礼しました!!」
そこには我が同期の快活な笑みは存在せず代わりに黒みがかった茶の髪を後ろに束ねたイリア准尉が陽性な表情を浮かべて満足気に立っていた。
そして、その後方に声の主であるトアがニヤニヤと歪に口元を曲げて俺の様子を伺っている。
「ほら――。やっぱり引っ掛かりましたよ」
やっぱりって何だよ。
俺ってそんなに間抜けに見えるのか??
「私は止めようと言ったんだけどね?? トアがどうしてもって言うからさ」
「はっ。お久しぶり……。でもないですね」
レナード大佐の屋敷から別れて三日だ。そこまで期間が空いた訳でも無い。
「そうね。元気そうで何より」
こちらの爪先から頭の天辺に視線を送り嬉しそうに頷く。
「元気、ではありませんけどね。まだ先程の鍛錬が影響していますから」
腕を大袈裟に振って話す。
「見てたわよ――。凄かったじゃない。よくもあれだけの回数をこなせたわね」
「体力には自信がありますから」
「それだけじゃあの回数はとてもじゃないけど無理よ。何か……。コツみたいなものがないと」
コツ、ねぇ。
特にありませんけど。強いて言うのなら、回数を気にしない事と気合かな。
目標までの回数が遠くに感じてしまうと体が拒絶の意思を表して無意識の内に屈しようとしてしまいますから。
「こいつにそんな技術があると思います?? どうせ、目の前に現れた美……。じゃない。厭らしい雌犬に尻尾を振って追いかけたから達成出来たんですよ」
「あ、あのなぁ!! そんな不純な理由で鼓舞すると思うのか!?」
全く!! けしからんぞ!!
俺は純粋に訓練に臨んでいたってのに。
「どうだか。はぁはぁと鼻息荒げて今にも食いつきそうな顔してたじゃない」
「していません!! 大体、人前でそんな顔浮かべると思ってんのか??」
「あら?? じゃあ、人前じゃなければ雌犬さんに襲い掛かるの??」
「イ、イリア准尉まで……」
先程までの陽性な感情は何処へ。
むっと表情を曇らせて仰った。
「誰かが首輪に紐を付けて引っ張らなきゃ言う事を聞かないんですよ、コイツは」
「俺は犬じゃない!!」
何度言ったら分かるんだ!!
「首輪、か。良いわねぇ。私にそんな趣味は無いけど興味をそそる姿じゃない」
「だ、駄目です!! 先輩がヤルと嵌っちゃいそうですから!!」
「ふふ――ん。ほら、レイド伍長?? 准尉からの命令よ。今すぐ首輪と紐を持って来なさい」
「りょ、了承しかねます!!」
イリア准尉が意味深な笑みを浮かべ、何処かへ向けて顎を指すと背筋がきゅっと寒くなる。
この人なら本当にしかねないからな。
「あ、あの――。レイド先輩。こちらの御方は??」
命令と拒絶の声が飛び交う中。
一人置いてけぼりのリネアの矮小な声が響く。
「あ、あぁ。こちらは以前任務を共にしたイリア准尉だよ」
「宜しく、リネアちゃん」
ニコリと柔和な笑みを浮かべて彼女に手を差し出す。
「ど、どうも。初めまして」
その手をおずおずと受け取り硬い握手を交わした。
「リネア――。あんたも災難よねぇ、こぉんな馬鹿分隊長と同じ隊で」
こ、この……。上官が居る前で堂々と俺を揶揄いやがって!!
「そんな事ありませんよ。訓練に臨む態度は真摯的ですし、私達にも気を遣ってくれますので。懸命に小隊長を務めている人を馬鹿呼ばわりするのは良くないと思いますよ」
そうだ、良い事言った!!
リネアの隣で激しく首を上下に振る。
優しく見る目がある後輩が話し終えて硬い息を吐き終えると。
「ふぅん……。あっそう」
トアが腕を組み、何故だか知らんが鋭い目付きとなってリネアを見つめた。
――――。
あれ?? 何か、空気変わった??
「トア先輩は手厳しい事を仰られていますけど、隊長失格と決めつけるのは早計です」
「別に決めていないわよ。色惚け女に見惚れているから気合を入れてやったのよ」
「あれは彼女から、でした。レイド先輩に落ち度はありません」
「はぁ?? 例えそうだとしても、明確な拒絶の意思を表せばいいじゃない」
「御知り合いと御伺いしました。見知った方を無下に扱うのは大人としての付き合い方では無いです」
「大人の付き合い?? 盛った犬同士を見ていても気持ち悪いだけじゃない」
「そういう言い方は良くないと思います。大体トア先輩は……」
先程までの明るい雰囲気は何処へ。
険悪な空気が徐々に膨れ上がり、女同士の鋭い視線が衝突すると思わず顔を背けてしまいたくなる熱量の火花が激しく飛び散っていた。
さて、と。
居たたまれない空気ですので関係なの無い私はお暇しましょうかね。
白熱する舌戦の中、忍び足で脱出を画策すると。
「あら?? 何処へ行くの??」
イリア准尉が俺の襟を摘まみ行く手を阻んでしまった。
「え、えっと。お花でも摘みに行こうかと……」
「後にしなさい」
「は、はい……」
小さな願いをやけに高揚した声で簡単にへし折ってしまう。
「負けられない、譲れない女の戦いが繰り広げられているのよ?? これを見ないと損しちゃうわよ」
損、ですか。
何の損か分かりませんが彼女達の迸る熱量のとばっちりが飛んで来そうで恐ろしいのですよ。
「私も参戦したいけどちょっと乗り遅れちゃった」
「これ以上被害を広げないでください」
「まぁ、漁夫の利って言葉もあるし。ここは一つ……。抜け駆けしちゃおうかなぁ??」
そう仰ると健全な男女間の距離を消失させ、それ相応に育った果実がむにゅりと腕に当たる。
「ま、またまた御冗談を」
誰かに見られる前に腕を抜き、上手く回らない舌で言葉を発した。
「冗談、か。んふっ。そうでもないんだけどなぁ……」
「だから!! 私が言いたいのはそういう事じゃなくて!!」
「では伺いますけど」
「今何んと仰られ……」
トアとリネアの舌戦の所為で聞き逃した後半の言葉を問おうとすると、レンカが出発した時と変わらぬ速度を保ちつつこちらへと戻って来た。
「レイド先輩、お待たせしました。十分後に模擬戦が開始されますのでそろそろ移動を開始しましょう」
「了解。お――い!! 皆、行くぞ――!!」
この場から颯爽と立ち去らねば酷い仕打ちが襲い掛かって来ると無意識の自分が判断したのか、速攻で若干上擦った声を放ち分隊員達へ指示を送る。
「ちっ。そこのボンクラ、聞きなさい」
ボンクラ。それは俺の事ですか??
狩りの前の獰猛な獣の如く鼻息を荒々しく放つトアへ視線をおずおずと向けた。
「私達が所属するのは第九十二分隊なの。つまり、あんた同じ区画に含まれている訳」
「そうなんだ」
腕立て伏せを行っている時、右側に見えたから何んとなくそんな気はしたけど。
つまり第五区画に含まれている以上、何処かで当たる可能性もある訳だ。こりゃ気合を入れないとあっと言う間に負け……。
「――――。ちょっと待って。今、私達。って言った??」
「そうよ」
口角をきゅっと上げて話す。
「どういう訳か、私とイリア先輩は同じ分隊に組み込まれてね?? 先輩が分隊長を務めているのよ」
「ず、ずるいぞ!!」
卑怯過ぎるだろ!!
トア一人ならまだしも腕が立つイリア准尉も同じ分隊なんて!!
「勝ち抜き戦って言ってたから……。あんた達の分隊とぶつかるまでぜぇぇったい負けないからね??」
「ごめんなさいね?? あぁなったトアは燻ぶった闘志の炎が鎮火するまで収まらないから」
十二分に理解していますよ、イリア准尉。
今のあいつの姿を見たら猛々しい突進を見せる猪も。
『お、おっと。道を間違えちまったな』
クルっと方向転換して明後日の方角へと踵を返すだろうさ。
「ぐしゃぐしゃに叩き潰して。ぼろ雑巾が可愛く見える姿にして地面に叩き伏せてやるから。じゃあね!!!!」
不穏な言葉を残し、大股で己の分隊へと戻って行く。
トアとイリア准尉の二名は先日の特殊作戦課の任務を完遂させた実力を持ち、一筋縄ではいかない強力な相手だ。
経験豊富な実戦経験、嘘偽りの無い実力、そして鋭い感覚。
この訓練場の上に立つ者達の中でも頭一つ……。いや、数十個飛びぬけた実力者に対してこちらの戦力は実践経験が無い訓練生五名のみ。
な、何てこった。
丸腰で黄金の槍を持った深紅の龍と黒き鉤爪を装備した強面雷狼さんを相手にするようなものじゃないか。
か、勘弁して下さい……。これ以上体に不必要な精神的摩耗と疲労を与えたくないのです。
遠ざかっていく恐ろしい背とそこから立ち昇る闘志の陽炎を捉えるとゴックンと固唾を飲み。これから始まる徒手格闘戦に得も言われぬ不安感を覚えずにはいられなかった。
お疲れ様でした。
サッカーワールドカップ、日本のベストエイトを掛けた試合が今現在行われております。
後書きを執筆しつつ観戦しているのですが……。中々に緊張してしまいますよね。
相手は前回準優勝のクロアチア。世界ランキングも相手が上ですがそれでも敵わぬ相手ではありません!! 初のベストエイトに向けて勝利を掴んで下さい!!
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それでは皆様、お休みなさいませ。




