第二百三十一話 集う分隊員達
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
同期達の愉快な後ろ姿を少々訝し気な表情で見送り自分なりの速度で歩みつつ目的の数字を探していると。
えぇっと……。あぁ、ここだ。
乾いた茶の地面に大きな四角の枠が描かれておりその中央には、はっきりとした文字で。
『八十八』 と刻まれていた。
ふむ、俺が組み込まれた分隊の待機場所はここですか。
背負っていた背嚢と荷物を四角の枠内に下ろし、四角の枠外へと視線向ける。
そこには天幕用の厚手の灰色の布と支柱が数本。そして恐らく訓練で使用するであろうか、大きめの四角の箱が積まれていた。
待機場所って割には随分と広いな。たかが六名の分隊にして大袈裟じゃないか??
これだけ広い空間なのだから、広く使っても構わないぞという教官達からのありがたぁい無言知らせなのかもしれない。
待機場所から訓練場の中央に視線を何とも無しに送ると、二十期生達の列が消失し漸く二十一期生の列が減少し始めていた。
まだまだ時間が掛かりそうだし。今の内に着替えを済ませておきますか。
ニ十一期生そして二十二期生は俺達が着用している茶の皮の制服では無く、訓練施設で着用する運動着だ。
彼等は着替えずとも直接訓練へ向けて行動が開始出来る。しかし、制服を着用しているこちらはそうはいかない。
持参した荷物に手を突っ込み、件の品を物色していると背後から女性の声が届いた。
「――――。あれ?? レイド、先輩??」
この声は……。
「おぉ!! リネアか!!」
やっぱりそうだ。
優等生の肩書を持ちその名に恥じない真摯な姿勢が教官達からの好評を得ている。
座学、徒手格闘、剣術、馬術。
軍属の者に相応しい技術を兼ね備え、強者犇めく軍の中でも頭一つ抜けた存在だ。
俺が訓練施設に在籍している頃には良く質問を受けたけれども……。何度か首を捻った。そりゃそうだろう。己より技術が劣っている者に質問しても、得られる物は少ないだろうし。
それに、馬鹿と一括りにされる俺と共に行動をしていたら彼女の成績に悪影響を及ぼしてしまうのでは無いだろうか。そんな杞憂さえ浮かんでしまったのだ。
「レイド先輩と同じ分隊なんて。素直に嬉しいです」
「俺も嬉しいよ。分隊長を務めるなんて初めてだからね。要領も分からないし、纏め上げる統率力も無い。優秀な後輩が居てくれれば心強いからさ」
取り立てホヤホヤの運動着を手に持ちウンウンと頷く。
「優秀だなんて……。過大評価し過ぎですよ」
「そう?? 正当な評価だと思うけどね。荷物置いたら??」
「あ、そうでしたね」
ふふっと軽快な声を漏らし、年相応の笑みを浮かべ背負っていた荷物を降ろした。
こりゃ幸先いいぞ。
無能な隊長の下に問題児が集まったら収拾が付かなくなる恐れもありますし。
その問題児の行動にはある程度慣れていますが、如何せん。アチラとコチラでは程度が違い過ぎるのでどう御したらいいのか。その塩梅が掴み切れていないのが本音かな。
それに、彼等にはこれからまだまだ長い訓練が待ち構えているのだ。叩いて怪我でもさせたら大事になりかねん。
この訓練には分隊長の経験を積ませる事も含まれているのかも知れない。それとも分隊で行動する事に不慣れな後輩達に慣れさせる為に行うのか??
う――ん……。ビッグス教官の指導要項を覗き見て訓練の全体像を掴んでおきたいけど。
見たら見たらでぶん殴られるだろうし。
直接指導内容をビシっと言ってくれた方がよっぽど楽だよ。
男らしく勢い良く制服を脱ぎ、冬の寒空の下へ地肌を曝け出しながら頭を悩ませていると。
「えっ」
リネアが小さく驚きの言葉を漏らした。
「ん?? おわっ!! ごめん!!」
いつもと変わらぬ半ば流れ作業のままで着替えたのが不味かった。
そりゃ傷だらけの体を見ても気持ちが良い物ではないでしょうに。それと、任務に赴くとこんな怪我を負うのだという負の感情を与えるのは了承出来ない。
この怪我の半分は己の失敗から生み出されたものであり、残りの半分は恐らくアイツらの所為だな。
主に深紅の龍の所為です、はい。
手に持っていた運動着を素早く着用し、己の醜態を速攻で隠してやった。
「申し訳無い。見ていて気持ちが良い物じゃないよね」
「い、いえ」
頬を朱に染め、地面へと視線を落とす。
はぁ――。分隊長就任直後に失敗か。一応、男性女性の行動範囲をある程度決めておこうかな。
そっちの方が何かと都合がいいかも。こうして何気なく着替えて相手に不快な思いをさせる事も無いだろうし。
「リネア」
「はい?? 何でしょうか」
地面へ落としていた視線をこちらに向けてくれる。
「今思いついたんだけどさ。幾ら軍属の身であっても女性と男性を分け隔てなく同じ空間で過ごさせる訳にはいかないと思うんだ。だから、残りの隊員が到着したら女性専用の天幕と男性専用の天幕。先ずはこの二つの空間を作り出そうか」
背後の地面に積まれている物資を指差しながら話す。
「その意見には賛成です。男性みたいに堂々と着替えるのは……。ちょっと抵抗がありますからね」
でしょうねぇ。
同性のみならいざ知らず。異性の目がある中で脱ぐのは抵抗があるだろう。
俺は特に気にしないけどそういった何気ない行為が相手に不快な思いを抱かせるのだ。
小さな気配りも大切。
ふむっ。一つ勉強になったぞ。
リネアと肩を並べ、天幕の配置について話し合っていると再び己の名を呼びかけられた。
「あ――――――――!!!! レイド先輩だぁ!!」
燦々と輝く太陽も尻尾を巻いて逃げ出してしまう明るい声と、硬い大地も顰めっ面を浮かべる仰々しい足運びの音。
顔を見る前からその人物が特定出来てしまった。
「ミュントさんもこの……。ちょ、ちょっとぉ!! お待ちなさい!!」
一人の大人の女性が勢い良く飛び掛かって来たものなら誰だって驚愕の声を上げるでしょう。
「あはっ!! 嬉しいなぁ……」
こちらの胸元にぽふんと端整な顔を埋め、発した言葉通りの笑みを浮かべた。
濃い金色の髪は以前見たよりも輝きを増して太陽の光を受けるとより一層煌びやかに映ってしまう。
常々零れる笑みと女性らしく丸みを帯びた双肩、そして整った肢体。
俺がもしも画家であったのなら、是非とも絵の対象になって欲しいと頭を深々と下げるだろう。
腕云々より、対象物が良ければきっと飛ぶように売れるさ。まぁ、絵を売った事は無いので分かりかねますけどね。
「こら!! ミュント!! 上官に対して失礼な態度を取らないの!!」
そう、今日は前回の指南とは勝手が違うんだ。
「全くその通り。もうちょっと節度ある態度を取ろうね」
リネアの声を受け、柔肉の攻撃によって向こう側に煩悩と手を繋いで仲良く旅立とうとしていた意識を現実世界に留めてやった。
「え――。別に良いじゃないですか。知らない仲でも無いですもん」
「実戦だったらそういったふしだらな態度が油断を招き、分隊全体の士気の低下に繋がり最悪命を落としかねないの」
「今は訓練中ですし、そんな緊急事態にはならないと思いますよ」
「私が言いたいのは分別を付けなさいという事。仕事中に誰かがさぼっていたらお客さんの心象も良くないし、仕事仲間もやる気が無くなるでしょ」
「そうですかね?? 私は寧ろ、明るい職場だなぁって感心しちゃいますよ??」
「それはあなたの主観でしょ?? 客観的に物事を……」
売り言葉に買い言葉。
一体いつまで続くのやら……。
「あ――。ちょっといいかな??」
尖った言葉とそれを巧みに躱そうとする言葉が右往左往、縦横無尽に飛び交う中で小さく声を上げる。
「どうしました?? レイド先輩??」
真ん丸お目目が俺を見上げる。
「収拾が付かないので、一旦話合いはお終いにしようか」
「あっ、も――。折角距離を縮めようかなぁって思ってたのに」
何の距離ですかね。恐らく、物理的な距離の事であろう。
可愛い顔とは裏腹に胸元には男の性を擽る恐ろしい武器を装備しているから困っていたのですよっと。
ミュントさんの細い肩を両手で掴み、通常人と接する距離に置いてから話してやった。
「も、申し訳ありません」
己の痴態に羞恥心を覚えたのか。リネアの頬が再び朱に染まる。
「別に構わないよ。上官と下官の通常あるべき距離感は大切だけど。それを取っ払って親身にしてくれるって事はさ、信用の現れだと考えているから」
「そうですよ!! レイド先輩良い事言った!!」
ふふんっとしたり顔を浮かべ、リネアを見つめる。
「こらっ。だとしても、今日は俺が分隊長を務めるんだから部下らしい態度を取りなさい」
横着者の頭の天辺をちょこんと叩いてやった。
「いたっ。部下を叩くのはどうかと思いますっ!!」
「叩いた内に入らないのであしからず」
限界近くまで餌を頬張った栗鼠の如く、ぷっくりと頬を膨らませているミュントさんへ言ってやる。
「お――い。置いて行くなって言ったでしょ――」
「あなたの独断専行の所為で私達が迷惑しているのを忘れない様に」
「シフォムさんに、レンカさん!?」
横着な栗鼠さんを説き伏せると懐かしき顔ぶれが仏頂面を浮かべてこちらへ歩いて来た。
「ちっ。あんたの分隊とはついてないぜ」
そうそう。彼もまた懐かしき顔ぶれの一員だ。
前を行く二人よりも更に険しい顔を浮かべてアッシュが大股で向かって来る。
「アッシュ、それにシフォムさんにレンカさん。お久ぶりだね」
訓練所で指導を施す際、特に手を焼いた四名が纏めて来ればそりゃ目を丸くもしよう。
ビッグス教官め。
絶対わざと俺の分隊に組み込んだな??
どうせ、厄介な連中は一つに纏めてアイツの下に送り込んでやろう。そう考えていたに違いない……。
『う――ん……。手の掛かる奴はぁ……。そっかぁ!! アイツの分隊でいいや!!』
俺が四苦八苦している姿を想像してニヤニヤしている顔が本当に容易く思い浮かびますもの。
「あ、ごめ――ん。ついつい足が速く動いちゃってさ」
「全く……。レイド先輩、お久しぶりです。御体の方は如何ですか??」
笑みを浮かべるミュントさんの対応もそこそこに、レンカさんが丁寧なお辞儀を交わしてくれる。
「お陰様で絶好調とまではいかないけど。程よく疲れております」
彼女に倣いこれまた叮嚀に頭を下げてやった。
「それは何よりです。でも、驚いたな。まさかレイド先輩と同じ分隊に組み込まれるとは思いませんでしたよ」
「俺も同じ考えに至った所さ」
やれやれと言った感じで言ってやる。
「そうですよね。私達二十二期生が四人も組み込まれているのです。きっと他の分隊は……。見て下さい」
レンカさんが指差す方向に視線を移すと。
「うわっ。向こうの分隊、十九期生五人とニ十一期生一人じゃないか」
先輩方五名と後輩一名の何とも羨ましい分隊が完成されていた。
「恐らく、戦力が均等になる様に組み込まれている筈です」
「私もリネア先輩の意見に賛成ですね。実力不足の我々四名が御二人の御手を煩わせない様に粉骨砕身、訓練に励みますのでどうか御助力をお願い致します」
レンカさんが訓練生らしく御堅い顔でリネアを見つめる。
「えぇ、勿論。喜んで」
リネアもレンカさんも御堅い印象が強い所為か。どことなく似ている気がする。
髪の色も二人共黒だし。
折角同じ分隊になったのだから、もう少し砕けた感じになってもいいのではと思う自分も居る。
だが……。
「あっつ――。冬だってのにこうも暑いとはねぇ――」
「同感。走った所為かちょっと汗ばんじゃった……」
「おっ。見えそうで、見えないこのジレンマ。それってぇ。狙ってやってるぅ??」
「は、はぁ!? そんな訳無いでしょ!!」
シャツをパタパタと動かし、新鮮な冬の乾燥した空気を胸元へ送り込むミュントさんへシフォムさんがニヤリと意味深な口角の上げ方で揶揄う。
陽性な雰囲気は好物ですが、今現在も正式な公務の真っ最中なのです。明る過ぎて気の抜ける空気は頂けないのですよっと。
「ちょっと二人共。もうちょっと訓練に集中しなさい」
「そうよ。あなた達は少し真面目になるべきなの」
片や御堅く。
「別にいいじゃん。未だ訓練始まっていないんだし」
「了解で――す」
片や雲より柔軟。
決して交わらぬ相対的な性格と雰囲気が四角で囲まれた枠の中で両者譲らず、こちら側の空気へ染めてしまおうと画策していた。
参った……。非常に参りました。
どこか既視感を覚える雰囲気に重苦しい暗雲が立ち込め、俺の想像していた規律溢れる分隊の姿とはかけ離れたものへと変容し始めてしまっている。
どうしたもんかね……。
「よぉ、先輩。取り敢えず、俺達は何をすればいんだ??」
やいのやいのと騒ぐ女性四名の声の中。
アッシュの低い声が響く。
「あぁ、そうだな……。じゃあ五人には天幕の設営をお願いしようかな」
「あいよ――。おら、お前達。さっさと動けよ」
「へ――い。ミュント――。分隊長から、初めての命令が下ったよ――」
「了解しました!! ぱぱっと作っちゃいますからね!!」
そんな簡単に設営したら風で倒壊しちゃいますのでキチンと設置して頂ければ幸いです。
「レンカと私がこちら側を設営するわ。そっちの三人でもう片方を設営して頂戴」
「うっす。ほれ、持てや」
「おっも!! ちょっと!! か弱い女子に支柱なんか持たせるな!!」
「誰がか弱いって?? 時間が勿体無い。さっさと設営しちまうぞ」
アッシュって武骨で不躾そうに見えるけど的確に指示を与えるあたり、しっかりと芯を持った奴なんだな。
訓練施設で初めて会った時は目上の人に対する態度が成っていない者だとばかり考えていたが……。
こりゃ考えを改めねば。
着実に完成へと近づいて行く天幕の姿を満足気に腕を組みつつ。そんな事を考えながらぼぅっと眺めていた。
「よいしょっと……。あれ?? レイド先輩。まだ居たんですか??」
木製の太い支柱を垂直に立てながらミュントさんが話す。
「まだ??」
俺って邪魔者なのかしらね。
「だって……。ほら、分隊長っぽい人達がビッグス教官の下に集合し始めていますから」
やっべぇ!! そうだった!!
彼女が指差す方へと有無を言わず無言で駆け出した。
「ごめん!! 設営宜しく!! 教官から指示を伺って来る!!」
「はぁ――い!! いってらっしゃ――い!!」
仕事へと出掛ける夫を見送る若妻の声に似たミュントさんの声色を背に受け、訓練場で完成しつつある輪に向かって両の足を忙しなく動かす。
後輩に言われて初めて気付くなんて……。いかん、気が抜けている証拠だ。
これじゃあ己の無能さを晒した様なもんじゃないか。
出来る事ならもっと手厳しい言葉で見送って貰った方がぎゅっと身も引き締まるのに。
息を切らし、漸く輪に手が届きそうな距離に近付くと案の定大変ありがたいお叱りの言葉を頂いた。
「遅いぞ!! 何をやっている!!」
「はっ!! 申し訳ありませんでした!!」
輪の隙間から覗くビッグス教官は俺達を良く叱っていた頃と変わらぬ覇気と圧を放っている。
この声と顔。
何度見て、聞いても弛んでいた気持ちと姿勢が真っ直ぐと天に向かって行ってしまいますよ。
人を指導する又は統率する者に必要不可欠な要素として、『声』 もあると思う。
大勢の者を惹きつける魅力、枯れていた力に活力を与えてくれる。その用途は多種多様だけど俺には備わっていない技術の一つ。
一朝一夕で身に付く技術では無いのだが、上に立つ者には必ず備わっているのだ。
あの声と性格……、は別にいいかな。
覇気ある声色を会得出来れば世を跋扈する九祖達の末裔を鎮める事も可能になるかも。
『うるせぇ!! テメェ。誰様に文句垂れてんだ!? ああんっ!?!?』
あ、駄目だ。
喧しい!! と勢い良く叫んだ事はいいものの。その後、数百人が踏み均した紙屑みたいにクシャクシャになって地面に平伏す己の姿が浮かんで来た。
分相応な立ち位置でこれからも居よう。余計な怪我は了承出来ませんのでね。
「ビッグス教官。これで全分隊長が揃いました」
輪の中から聞き覚えのある澄んだ女性の声が響く。
おっ、スレイン教官だ。
ビッグス教官が相変わず冷静沈着な声色を受けると徐に口を開き、良く通る声を発した。
「うむっ。では良く聞け。これからお前達は分隊を率いて訓練を行って貰う。現在時刻は……。午前九時半。訓練開始は十時を予定している」
訓練開始まで残り三十分。
刻一刻とその時が近付いていると思うと身が引き締まる思いだ。
「監視台の正面。第一分隊から第二十分隊まで横一列、各分隊参列横隊で分隊長を先頭に並べ。残りの分隊は前列と同順で隊列を組め」
一から二十分隊が横一列に並んで各小隊が参列に隊列を組み、その後ろは二十一から四十……。
ふむ、分隊を分けて並ばせ小高い丘の上から教官達が見易い様にしたのか。
「昼食は第一分隊から第二十分隊が十一時半から一時間の間に摂れ。そして、第二十一分隊から第四十分隊は正午。分隊を二十に区切り、三十分おきに休息を取る」
と、いうことは。
俺達第八十八分隊は最後の区切りに含まれる訳だな。
時間は……。午後一時半からか
訓練で腹を空かせた隊員達が文句を言わなきゃいいけど。
「午前、そして午後の訓練は隊列を組んだ時全隊員に向かって説明する。ここまで何か質問は??」
「「……」」
ビッグス教官の厳しい声に対し、全員が無言で応える。
「良し。では、各分隊に懐中時計を渡しておく。指導教官から受け取り次第隊へ戻れ。全員訓練着を着用、並びに天幕を設置後。開始時間までに戻れ。装備は一切必要無い。以上!! 解散!!!!」
「「「はっ!!!!」」」
輪の分隊長達が覇気溢れる声でビッグス教官へ肯定を伝えた。
さぁ……。いよいよ始まるぞ。
筋肉が嬉しい悲鳴を上げ、流れ落ちる汗が心の歓喜を代弁する。体と心を大いに潤してくれる訓練が始まるのだ。
マイ達と南の島で本格的に鍛える前の序奏とでも捉えるべきなのだろうが……。高揚感がこれでもかと湧いて来るのですよ。
何て言ったって、激烈な一撃を受けて命を絶たれてしまう恐れが一切ありませんからね。
命の安全が保障されている。
これを前提として訓練を行うのが当然なのだが。九祖の血を受け継ぐ傑物達とのソレは至極当然、全く以て当て嵌まらない。
気を抜けば俺の安い命等、蝋燭の火より容易く掻き消されてしまうのです。
この事を加味すれば高揚するのも納得出来るでしょうね。
「レイド」
「はっ」
己の名を呼ばれた方向へと顔を向ける。
そこには鉄で出来た舌、若しくは鋼鉄で守られた鉄壁の胃袋をも壊滅させてしまう料理の腕を持った女性教官が立っていた。
「スレイン教官!! お久しぶりです!!」
「えぇ、元気にしていた??」
相も変わらず静かで冷徹な声を上げられる。
「お陰様で生き永らえております!!」
「そう。はい、これ」
彼女の手には小さな箱が乗っており、そこに手を入れ銀の懐中時計を取り出してこちらに差し出してくれた。
「訓練が終わったら返却するように」
「了解であります」
大人の手の平と変わらぬ大きさの面の時計盤には一から十二の文字が刻まれており、長針と短針が今も正確に時を刻んでいる。
ほぉ。こりゃまた見事な懐中時計ですね。
返却しないでくすねる愚か者が現れない様に祈っておこう。
「大変ね。分隊長を任されて」
「自分も分不相応だと考えておりました。先輩方の中にもっと優秀な人材が居ると考えられますのに……」
余計な心労を気にせず、只々訓練に没頭したかった。
これが嘘偽りない本音です。
しかし教官、そして隊員の前で愚痴を吐くのは流石に憚れる。
多少なりとも俺に期待を寄せてくれている結果が隊長の任命なのだ。ご期待に添えられる様、分相応に働かせて頂く次第であります。
「謙遜しないの。ここだけの話、今回の訓練は十九期生の殆どが分隊長を務める予定だったの。だけど、ビッグス教官が実力を加味して決めるべきだと提唱したわ」
「それって……」
「そう、あなたは彼に実力を認められて分隊長に任命された。実力に見合った活躍を期待されて肩を張る必要は無いわ。分隊として行動するのに必要な事を考え、彼等に指示を出せばいいの。慣れない内は大変だと感じるかも知れない。でも、あなたならきっと成し遂げられるわ。頑張って」
いつもの厳しい表情は鳴りを潜め。
柔和に口角を上げ、俺の肩を優しく叩いてくれた。
「は、はい!!」
上官から期待されそして実力を認められた。
それだけでも十分だってのにこんな有難い言葉まで頂けるなんて。
きっと今の俺の顔は誰よりも輝いている事だろうさ。
「さ、話はお終い。分隊へ戻って指示を出して来なさい。ここからは今まで以上に手厳しい訓練を与えるつもりだから覚悟しておくように」
柔和な角度が収まり。上官に相応しい冷たい言葉で俺に発破を掛けてくれた。
「了解しました!!」
受け取った銀時計を握り締め、分隊が待機する場所へと駆け始める。
一人の男として認められるってのがこうも嬉しいとは思わなかった。
駆けている所為なのか将又陽性な感情から来る鼓動なのか。心臓が自分でも理解出来る程に五月蠅く鳴っている。
よし!! やるぞぉ!!
「レイドせんぱ――いっ!! こっちですよ――!!」
体中から漲る力を脚力に変え、遠目でも分かる位にこちらへ大きく手を振っている分隊員の下へと全力疾走で向かって行った。
お疲れ様でした。
次話からいよいよ合同訓練が開始されます。そして、前話で少し触れた彼の同期であるトアの謹慎処分の話なのですが……。少々話が長くなる為、番外編にてその詳細を書かせて頂きます。
今現在は淫魔の女王様の御散歩を執筆していますので、彼女が主人公を務める御話はそれを終えてからの投稿になりますので今暫くお待ち下さいませ。
それでは皆様、お休みなさいませ。




