第二百二十四話 黒雷のお味 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿なります。
広い訓練場には冬らしい冷たい風が吹くが、龍とミノタウロスの戦いの余韻はその程度の風量では冷める事は無く。寧ろ戦いを控える者達にとって丁度良い塩梅だと感じている様だ。
「それじゃあ次の組み合わせを始めるよ」
各々が戦いに備え軽い柔軟を続け静かなる闘志を燃やし続けている中、クジ箱から一枚の紙を引き抜くと。
「えっと。先ずはリューヴだね」
小さな紙の中央には彼女の名が確かに記されていた。
「ふっ。相手は誰だ??」
お願いします。ど――か、リューヴとは当たりませんように!!
目を見張る素早さ、野生の身の熟し、そして常軌を逸した攻撃力。
どれ一つ取っても勝てる見込みがまるでありませんからね。
俺は可能な限り勝ち進んであわよくば優勝を掴み取り、御褒美権なる物を奪取せねばならんのです。
女々しいと言われようが勝ち抜き戦は強者同士で潰し合うのが最も合理的だ。
「うふふ。優勝した暁にはレイド様と一夜を……」
あそこで厭らしい瞳を浮かべて俺の体を凝視している蜘蛛の御姫様に食われる訳にはいかん。
祈る想いで次の紙を引き抜いた。
「――――。あ、あ――。うんっ!! この紙には名前が書かれていないから……。やり直しだな!!」
見たくも無い名前が記されていた為、そっと紙を戻そうとするが。
「おっとぉ!! そうはいかないわよぉ??」
「か、返せぇ!!」
深紅の龍が颯爽と翼をはためかせ、俺の手元から颯爽と一枚の紙を強奪して行ってしまった。
「誰かしらね。まぁ、分かってるけどさ」
ずんぐりむっくり太った赤き雀がにぃっと意味深な笑みを浮かべてその名を白日の下へと照らし出す。
「ほぅ!! 主とか!!」
「あ、あぁ。そうだね……」
リューヴは嬉しそうだなぁ。
きっと弱い奴と当たって嬉しいんでしょうね。
「レイド。お疲れっ!!」
お惚け狼が優しく左の前足をポンっと肩に乗せて労ってくれる。
「はぁ。まぁいいや。次いきますよ――。アオイとルー。それと残りはカエデとアレクシアさんね」
無気力になったまま最後まで紙を引き続けてやった。
「げぇっ。アオイちゃんとか……。やだな――」
「先ずは一勝を拾えますわね。私はレイド様と愛を紡ぐ為に負ける訳にはいかないので」
「ま、まだ決まった訳じゃないからね!?」
「カエデさん!! 宜しくお願いします!!」
「安心して下さい、負傷の際の治療は然るべき措置を施しますから」
「私が負傷する前提で話さないで下さい!!」
組み合わせの決まった組で明るい会話が方々で起こる。
それに対し、俺の双肩には巨大な鉄の塊がずっしりと圧し掛かり大変暗い気持ちのままであった。
どうせなら同じ位の身体能力の人と当たりたかったなぁ。
実力が発揮される前に負けちゃいそうだし。
「主!! 宜しく頼むっ!!」
「え?? あ、あぁ。うん。そうだね」
狼の姿に変わり、翡翠の瞳を細めて嬉しそうに尻尾を振っている。
そんなに俺を張り倒すのが楽しみなので??
「カエデ――。審判足りないから、使い魔出せる――??」
マイの声が高い空の下で鳴り響く。
「良いですよ。――――。ペロ、行ってらっしゃい」
カエデの体から一際強い魔力が放出され、右手を翳すと淡い光を放つ魔法陣が出現。
そしてその光の中から一頭の虎猫が飛び出てきた。
「にゃ――にゃにゃ――ん!!!! 超絶最強の虎ね……。じゃにゃい!! 使い魔のペロの登場だにゃ!!」
今、自分の事猫って認めたよな??
「ペロ。聞いていたと思われますが、審判を務めて下さい」
「お任せあれにゃ!! この縦に割れた怪しい瞳でズババっと!! 判定してやるにゃよ!!」
後ろ足ですっと立ち上がり腕を組んで胸を張る。
毎度ながら気の抜ける立ち姿だな。
「カエデにゃんの所で審判をするの??」
「それでは公正な判断に欠ける虞があります。私以外の組でお願いします」
「分かった!! じゃあ……。ココっ!!!!」
四つの獣の足でどこへ向かうと思えば。
「っと。久々だね、ペロ」
俺の顔を見つけるや否や。フワフワの毛を引っ提げて胸元へ飛び込んで来た。
「久しぶりだにゃ!! そっちも大変だったみたいだね??」
「まぁ、色々とね」
『色々』
うん、本当に色々だ。
地を覆い尽くす大軍勢の醜い豚共。それに対するこれからの人間達の動向。暴走寸前であった龍の力。
本当に短い言葉で要約すれば、色々と表現できるであろうさ。
「カエデにゃんも大分回復してきたしぃ。もうすぐ始まる鍛錬とやらにも間に合いそうだにゃ」
「そうなんだ」
取り敢えず胸元でゴロゴロと喉を鳴らす虎猫の頭を撫でてやる。
おぉ、ふわふわで中々良い毛並だな。
「そうそう!! 体の痣も薄っすらと消えて来て……。あ、もうちょい下」
はいはいっと。
人差し指で顎下を撫でてやる。
「ソコソコ!! でもね?? にゃはは……。言ってもいいのかにゃぁ??」
「どしたの??」
「いやぁ、実はね?? ここだけの話ですぞ?? 耳寄りな情報にゃ」
右前足を立てて耳打ち話をする素振を見せるのでそれに合わせ右耳をすっと傾ける。
『カエデにゃん、食べ過ぎちゃったぁって毎日思っているにゃよ』
『それは別にいいんじゃない?? 食べなきゃ治る怪我も治らないし』
『もぅ、だからレイドにゃんは駄目にゃんだよ?? いつもは違う部屋で休んでいるけど。今回は一緒の部屋で寝泊まりしているにゃよね??』
そうだな。
暴れん坊達の中にカエデの傷付いた体を置いておく訳にはいかんし。
只、厄介な事にその所為で心の奥底に封印してあるアイツが悶々とする感情を誤魔化す為に激しい筋力運動を続けているのですよ。
『フンッ!! フ――ンッ!! うぅ――しっ。これでいつでも万全だぜ!?』
貴方は万全かも知れませんが自分の心はいつまでも臨戦態勢にはなりませんのであしからず。
そう言っても。
『お、おいおい。この大好機を逃すとか本気で言ってんの?? 滅茶苦茶美味そうな体をパクっといっちゃえよ!!』
暴走気味の口調で彼女の美味しそうな……、基。催促を続けるからまた質が悪い。
屈強な理性と自制心をもって性欲を抑えつつ仕事に励んでいるのですよっと。
『その所為で!! 食べ過ぎに気をつけているにゃよ』
『だから、何でだ??』
『分からず屋!!』
うるさ!!
鼓膜の奥にペロの大声が盛大に響き渡る。
『つまりぃ。食べ過ぎたら、見られちゃうでしょぉ??』
『どこを』
怪我している箇所かな??
「そういう事じゃないにゃよ。女の子はぁ、外見にも気を配ってぇ」
おっと、そろそろかしらね。
目を瞑って得意気に話すペロを静かに地面へと置き、その場から数歩離れた。
「つまりっ!! 我が御主人様も冷静な姿を保ってはいるけれども!! はれ?? レイドにゃん??」
「んっ」
きょとんとした虎猫へ向かって己の頭上を指差して間も無く訪れる危機を伝えてやる。
「っ!!!!」
黄金に光り輝く魔法陣を見付けると縦に割れた瞳孔がきゅっと縮まり即座に地面へと平伏した。
「先程から黙って聞いていれば……」
「にゃ、にゃはは……。地獄耳だにゃね??」
「あなたは私の使い魔ですからね。その惚けた口から出て来た会話は、拾おうと思えばいつでも拾えるのですよ」
「さ、さ、左様で御座いますか。と、所でぇ。魔法陣を下げて頂けますぅ??」
「――――。は??」
こっわっ!!
美しい藍色の瞳の光は消え失せ、地獄の亡者も足をキチンと折り畳み平伏せさせる圧を静かに放った。
「も、申し訳ないにゃ!! ――。でもぉ。まぁ、多少太った位ですので?? レイドにゃんはそこまで気にしませんよ」
あぁ、そういう事だったのね。
外見上は別にさして変化も無いし。いや、別にまじまじと見つめている訳じゃないよ??
怪我をして床に伏せる前と変わらぬ姿と言いたいのです。
心の優しい御主人様であれば飼い猫の横着に対して朗らかに叱るのだろうが……。
お馬鹿な猫の声を受け取った心の厳しい御主人様は鬼の形相へと変貌を遂げてしまった。
「ペロ??」
「へ、へい。ひぃぃっ!!」
顔を上げて彼女の顔を直視した一頭の猫が悲鳴を上げた。
そりゃあの顔を見れば誰だって慄くだろうさ。
生気が宿っていない目元、怒髪冠を衝く勢いでワッと立つ藍色の髪。極めつけとして細い体から想像出来ない量の恐ろしい魔力が滲み出ていた。
「あなたにはちょっと躾が必要ですね」
両の手を膝の上に乗せて屈みこみ、じぃっとペロを見下ろす。
「ひ、ひつけ??」
「躾ですよ。安心して下さい。ちょっと痛い程度ですから」
「何だ。それにゃら全然問題……。にゃぶぐっ!?!?」
強烈なビンタが猫の頬を穿ち、気持ちの良い炸裂音と共に地面へと叩きつけられてしまった。
「カエデ。そこまでする必要は無いんじゃないかな?? ほ、ほら。ペロも御主人様の身を案じての行動だったんだし」
一応、ペロを擁護する言葉を掛けるが。
「何ですか??」
有無を言わせない冷たい瞳でジロリと俺の目を睨みつける。
「い、いえ。別に……。何でもありません……」
カエデの冷たい目を直視出来なくなった俺はすっと視線を外し。茶の地面へと視線を落とした。
口は禍の元と言われる様に俺もこれからは十二分に注意しよう。
「あ、あばば……」
ピクピクと足を痙攣させる一頭の虎猫の姿を脳裏に焼き付けそう決心した。
「リューヴ、俺達もそろそろ始めようか」
「あぁ、そうしよう」
人の姿に戻った彼女と対峙すると緊張感が生まれ自然と体が強張り、目の前に居る人物は危険な力の持ち主であると俺に警告を放つ。そして異様に乾く舌がそれに拍車を掛けていた。
たかが遊び、そう高を括ろうものなら一瞬で俺の体は宙を舞う事であろう。
この星の生命を生み出した始祖。その血を受け継ぐ者が俺の眼前に静かに立つ。
「どうした?? 主」
肩まで伸びた灰色の髪、宝石の輝きを彷彿させる翡翠の瞳は見る者全てを惹きつける魅力を備えている。
鍛え上げられた肉体には生温い攻撃は通らず彼女の逆鱗触れたら最後。肉体処かその者の持つ魂でさえも一瞬で消滅してしまう。
今から対峙するのは自分よりも遥か上の実力者だ。少しでも集中を切らせば瞬き一つの間に敗北を喫するのは必然。
集中しましょうかね。
「ちょっと緊張して、ね」
乾く舌を総動員させて話す。
「私は嬉しいぞ。主と久方ぶりの組手だからな!!」
「いやいや!! 違うよ!? 主旨、間違っているからね!?」
危ない。
ここで訂正せねば本当に雷撃が飛んで来てしまう。
「ふふ、冗談だ」
リューヴが話すと冗談に聞こえないんだよねぇ。
「冗談に聞こえないって。所で……、ペロ。ちゃんと目は見えているのかい??」
俺とリューヴの間。
そこから少し離れた位置にかろうじで意識を保たせている虎猫へと問うた。
「よ、余裕だにゃ……。ちょいと話辛いけど許容はんににゃよ」
「そ、そう……」
カエデの怒りに触れたらこうなるのか。
攻撃を受けた箇所は若干腫れぼったく膨れ上がり。後ろ足でちゃんと立つ事は既に叶うことは無く四つの足で体を必死に支えていた。
「大体、カエデの嫌がる事を話したお前が悪いのだろう??」
リューヴがド正論を放つ。
「リューヴの旦那ぁ。へっへっへっ。分かっちゃいませんなぁ?? 御主人様は照れ隠しなんですぜ??」
何?? その口調。
「旦那……。私は女性だぞ」
「知っていますさぁ。我が御主人はお太りになるのを憚れている。それは何故か!?!? 端的に話すとぉ!! ひぃぃぃぃっ!!」
ペロの足元に突如として水色の魔法陣が出現するとその中から一本の鋭い氷柱が生え、鋭い切っ先が測った様に虎猫の顎下にピタリと止まる。
「た、助けて……」
ガタガタと奥歯を震わせ、俺に助けを請う。
「あのさぁ。さっきので懲りなかったの?? カエデを怒らせると良い事なんか無いって」
「で、ですから。あっしは御主人様の弱気な性格を後押しする為にこの身を切る覚悟で話しているんですぜい!?」
「本当に切られちまうぞ」
今度はペロの頭上に深緑の魔法陣が浮かぶ。
あれは確か……。あぁ、風の刃で対象物を切り裂く魔法だったな。
「ほぉ、二属性同時。しかもそれぞれに強弱をつけて放つとはな。流石、カエデだ」
「だ、旦那ぁ!! 頷いていないで助けて下さいよぉ!!」
目をきゅっと瞑り、大きく頷いているリューヴへと請う。
「仕方が無い。お――い!! カエデ――!! ペロが怖がっているからその辺で――!!」
俺の背後からこちらを睨みつけているカエデへと声を放つ。
遠目でも分かるって……。相当怒り心頭の御様子だな。
そして俺の言葉が届いたのか。
氷柱は溶け落ち、今にも風の刃が噴き出して来そうな深緑の魔法陣が消失した。
「はぁっ!! はぁ――……。死ぬかと思ったにゃ」
「これに懲りて、もう逆らわない事だね」
「いいや!! やるね!!」
こいつの頭の中には反省って言葉は無いんだろうな。
だから同じ過ちを繰り返すんだよ。
随分遠くに居る恐怖の御主人様の様子をチラチラと窺いつつ、何とかして横着を働こうとする使い魔の姿を呆れた吐息を吐きつつ見下ろしていた。
お疲れ様でした。
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