第二百二十二話 代替的作為の提供 その一
お疲れ様です。
日曜日のお昼にそっと投稿を添えさせて頂きます。
主人の命令に従わない凝り固まった双肩、鋭い痛みを発生させる顎の筋、腰に残る鈍重な痛み、そして意図せずとも勝手に幕を降ろそうとする二つの瞼。
よくもまぁこの酷い状況下で仕事が出来るなと我ながら感心してしまう。
数多多くの深い傷、難病を治してきた名医が今現在の俺の状態を診察したら少しの溜息を吐いた後にこうで断言するでしょう。
『過労』 であると。
徹夜で聳え立つ紙と格闘を続けていれば嫌でもこうもなるさ。只、仕事をこなすだけではこうはならない事を付け加えておく。
昨晩。
意識が混濁してしまう謎の食物を口に捻じ込まれ、畳の上で苦痛から逃れる様に蠢いていると御風呂から帰って来たカエデ達が救いの手を差し伸べてくれた。
ありったけの水を飲み腹の中を洗い流してしまおうという作戦だったらしい。
アレの所為で意識が混濁する中。
『さぁレイド。もっと飲んで下さいっ』
『ゴフッ!! ガホッ!?』
『ど、どこを触っているのですか!!』
『アブグェッ!?』
訳も分からないまま水を飲まされ溺死寸前まで追いやられ。それを拒絶する形で手を伸ばすと何やらフニっとした柔らかい感触を掴み取った刹那にとんでもない衝撃が顎を突き抜けて行った。
大量の水の摂取と強烈な張り手から三十分後、献身的に見える残虐的な荒療治のお陰で意識は回復し事なきを得ようとしたのだが……。
『ちょっと!! カエデ!! 人の体を凍らせて放置するって……。どんだけなのよ!!』
『頑丈なあたしでも寒かったんだぞ!!』
『カエデちゃん!! 尻尾の毛が沢山抜けちゃったんだけど!?』
体調が回復する代わりに頭痛の種が風呂から帰って来てしまったのだ。
好き勝手に狭い平屋の中を駆け回り暴れる九祖の末裔共。
その喧噪から逃れたい一心で仕事に集中していたのだが、それを良しとしないのは自明の理である。
『ねぇ、レイド――。暇だから遊ぼうよ』
お惚け狼の容赦の無い口撃。
『本当、視界に入れるのも憚れる程の醜さですわ。はぁ――……。やはりここは落ち着きますわねぇ』
『八本も足があるテメェに言われたくねぇぞ!! 取り敢えず死ねやゴラァッ!!!!』
ずんぐりむっくり太った雀の龍が俺の頭を踏み台にすれば、黒き甲殻を身に纏った蜘蛛の毛が首筋を悪戯に刺激した。
俺が泣き叫ぼうが嘆こうがお構いなし。
誰に語る訳でも無く苛立ちを募らせそれを出来るだけ悟られまいとしつつ。騒音から逃れる為に一人静かに温泉へと向かった。
うん。間違っていないよね??
誰だって五月蠅い空気に耐えられなかったら逃げるだろ??
巨大な溜息を吐き乱雑に服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になると温かい湯が何も言わず温かな御顔で俺を歓迎してくれた。
体の芯の奥底にドンっと腰を下ろしている疲れと筋肉の疲れを優しく洗い流してくれる至高の湯。
口から甘い声を漏らして白濁の湯に全身を預けて満点の星空を仰ぎ見ていると……。
『やっほ――!! レイドぉっ。来ちゃったっ!!』
淫魔の女王が降って来た。
そう、文字通り何の前触れもなく突如として降って来たのだ。
何でも?? 師匠と晩酌を交わしていた様で。
『えへへ――。糞狐を酔い潰してきちゃった』
焦点が定まらない両の眼、呂律が怪しい口元、そして茹蛸も思わずンッ!? と二度見してしまう赤みを帯びたエルザードが白濁の湯から現れた時は大層驚いたものだ。
さて、ここで最大級の問題が発生してしまった。
風呂へ入る行為。それは即ち完全無欠の無防備状態な訳なのです。身を守る防具と呼べるのは精々手拭いくらい。
吹雪舞う極寒の大地に薄手の服装で突貫する、灼熱の砂漠に水も持たずに探検に出掛ける程に心許ない。
当たり障りの無い会話を続けつつ、下着姿の彼女から何んとか逃げ出そうと画策したまでは良かった。
『よっぱらっれるからぁ。好きにして、イイんだぞ??』
聡明でずる賢い彼女が俺の後退を見逃す筈がなかったのだ。
酒の香りと女の香が混ざり合った淫靡な香りが正常な思考を阻害、俺の太腿を座布団代わりにちょこんと座り魅惑の瞳で見下ろした。
『さ、しよっか』
己の下着に手を掛け、さぁいよいよ審判の時だと悟った俺は何があってもこの窮地からの脱出してやる!! と。覚悟を決め彼女を突き放そうとしたのだが……。
『すぅ……。すぅ……』
許容量を優に超える酒を摂取した為なのだろうか。俺の肩に顔をちょこんと乗せて酔い潰れてしまったのだ。
禍を転じて福と為す。
普段の善き行いは全く役に立たないと確信したのに、こんな時だけ見てくれているのだなぁっと安堵の息を漏らした刹那。
溶岩の熱さえも生温い憤怒の業火が俺の背を穿った。
『お――。お――。淫靡な魔力を感じて来てみれば、えぇ?? 随分と楽しそうですなぁ』
彼女の声が耳に届くと同時に体が彫刻の様にカチコチに固まってしまう。
出来の悪い職人さんが作った歪な形の扉が放つ耳障りな不協和音を奏でつつ振り返るとそこには。
『……』
地獄の業火で己を包む覇王の娘が黄金の槍を肩に乗せて仁王立ちしていた。
この状況に至るまでの説明又は釈明する為に口を開いたが、どうも俺の挙動と説明の仕方が悪かった様で??
『ほぉん。ふぅむ……。へぇ?? つまり、その淫乱女が空から降って来た、と??』
激しく上下に首を振り肯定を伝えたのだがそれは砂粒程にも伝わらなかった。
『言い訳無用だぁ!! この変態甲斐性無し男がぁぁああ――ッ!!』
『ゴブッ!?』
投擲した黄金の槍の石突で俺の顎を打ち抜くと自然の法則に従って宙へ舞い、そして美しい放物線を描いて温かい湯に着水。
そして白濁の湯から顔をおずおずと覗かせると。
『おら、帰んぞ』
泥酔している淫魔の女王の右足を右手で持ち、そのまま外へズルズルと運んで行ってしまったのだ。
もうちょっと運び方にも方法があるでしょうにと伝えようとしたのだが、これ以上の負傷は了承出来ない。
湯に浸かったまま変な角度で腰を引きながら彼女達が去っていくのを只静かに見守った。
それから平屋に戻り、誰かの寝息、首を傾げたくなる寝言に包まれながら今を迎えたのですよっと。
「ふわぁぁ……」
口から自然と零れる欠伸。
顎が外れるんじゃないかと思われる角度で開き、新鮮な空気を取り込むと幾らか眠気も……。
飛ぶ訳ないだろ。眠くて眠くて堪らない。
もういっその事、このまま眠ったらどれだけ楽な事か。
甘い誘惑を跳ね除け、筆を走らせていると疲労困憊の俺とは真逆の明るい顔が平屋に飛び込んで来た。
「只今戻りましたぁぁああ――!! 皆さん!! 朗報です!! なんと、私も一か月の特訓に参加しても良いと許可が下りましたよ――!!」
ほう、それは朗報ですな。
アレクシアさんは里を纏める存在。その存在が一月もの間不在だと悪影響がもたらされる事を懸念しなければいけないし。
きっと額に大粒の汗を浮かべながらピナさんやランドルトさんを説き伏せたのであろう。
夜通しで説き伏せていたのか将又残務処理に追われていたのか。
俺程では無いが少しだけ顔色が良くありませんね。
「良かったね!!」
「はいっ!! 不束者ですが、今日から皆さんと共に過ごさせて頂きますね」
大きな荷物を畳の上に置き、ルーの歓迎の声に向かってぴょこんと可愛らしいお辞儀を交わした。
「随分と大荷物ですけど中身は何ですか??」
直ぐ後ろ。
寝飽きたと言っていたが半ば強制的に布団の上に座らせているカエデが問う。
「着替えと……。後は蜂蜜のお代わりですよ」
「うっひょ――!! これこれぇ!!」
蜂蜜。
只その単語のみに反応した深紅の龍が飛び付くが。
「駄目です。向こうで食べる予定なのでここでは開きませんよ」
硝子のビンを速攻で荷物の中へと片付けてしまった。
「ちぃ。逃したか」
「アレクシア。こいつは食い物に関しては執念深いからな。夜中に開けられない様に見張っておきなよ」
「分かりましたっ。ユウさんの言う通り、荷物は誰にも触らせません!!」
あの執着心を他の事に向ければ良いのになぁ。
勉学、武術、魔法。
このどれかにでも当て嵌めれば今の数倍強く又は賢くなるのに。
「ふんふん……。おぉ!! 可愛い下着み――け!!!!」
「きゃあ!! 駄目ですよ!! 引っ張り出したら!!」
誰にも触らせないと言っておいた矢先、もう横着な狼さんに開けられちゃったか。
こんもりと盛り上がった背嚢の中からお惚け狼が顔をずいっと上げ。探し当てたお目当ての物を天高く掲げた。
まぁ、詳しくは見ませんけどね。
人様の下着ですから。
「返して下さい!!」
「えへへ。良い匂いするから嫌――」
ここへ来てから何度目か分からない騒ぎ声と頭の中に乱反射する足音が頭の中に響く。
また五月蠅く騒いで……。君達は小一時間程も静かに出来ないのかい??
強くなるという共通の目的を持った友人が現れて喜ばしい反面、騒ぎの種が一つ増えたと思ってしまう自分がちょっとだけ情けなかった。
男はもう少し寛容な心を持つべきだよね。
「カエデちゃん!! 前通るよ!!」
「どうぞ」
「待って!! 待ちなさい!!」
遂にこちら側に来てしまいましたか。
狼の強靭な四つの足が畳の上を忙しなく動き回る音と、うら若き乙女の軽快な足音が狭い部屋の中をグルグルと回り続ける。
「ここで……。反転!!」
「甘い!!」
「わぁっ!!」
おっ。奪われたアレを捕まえたかな。
「離して下さい!!」
「ウ゛――……。離さないぞぉ……」
狼の嘯く声から察するに、アレクシアさんが自分の下着を引っ張りそしてそれを離そうとしない狼さんとの綱引きが始まりましたね。
狼の咬筋力は人の肉並びに骨程度なら容易く噛み砕く力を有していますので余り強く引っ張ると破れてしまいますよ??
「ルー。そろそろ離してあげても良いのでは??」
「カエデちゃんがそう言うなら……」
「きゃっ!?」
ルーがカエデの指示を受けて急に口から下着を離したのであろう。
アレクシアさんが派手に尻もちを着く音が響きその数秒後。柔らかい何かが俺の頭の上に降って来た。
筆を止めさり気なくその物体の正体を確かめると……。
「……」
上半身に装備する代物であろうか。
少しだけ薄い水色の布地に花を模った美しい刺繍が施され嫌でもそこに視線が集まる。
女性物の下着に興味は無いが、それでも高価な代物であると肌触り及び柄から推測出来た。
ふぅん。昨今の女性はこういった下着を装着するのか……。
人の下着にアレコレと文句を付ける訳じゃないけども。汚れが目立たぬ濃い灰色、並びに黒色をお薦めしますよ??
「見ちゃ駄目です!!」
アレクシアさんの焦燥感と危機感に塗れた声を受けて振り向くと。
「はい?? うぶぐぇっ!?」
随分と遠い位置から一瞬で距離を詰めて来た彼女に横っ面を引っぱたかれて、首が変な方向に捻じ曲がったまま畳の上に叩き付けられてしまった。
な、何!? 今の動き!?
速過ぎて全然目で追えなかったんですけど!?
「あはは!! ざまぁないわね」
「レイド――。女の子の下着はな?? 勝手に見ちゃ駄目なんだぞ」
普段はそこまで気にしないマイとユウの揶揄う声も今の状態では少しだけ煩わしい。
大体、俺が何をしたって言うんだ。こっちは徹夜で作業を続けているだけなのに。
俺はこのまま彼女達が放つ喧噪に命を奪われてしまうのではないのだろか。そんな下らない……。いや強ち的を射ている考えかもね。
何もしていないのにこうして畳の上に叩き付けられてしまうのだから。
これ以上彼女達を野放しにしていては俺の命に関わる。
仕事の休憩を兼ねて彼女達の喧しさを少しでも治める事を可能とする妙案の模索を開始した。
お疲れ様でした。
この後、散髪に出掛け。夕食の支度をした後に後半部分の編集作業に入りますので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




