第六十二話 狐さんの品定め その二
お疲れ様です、夜分遅くに失礼いたします。
深夜の投稿になってしまい、大変申し訳ありませんでした。
それでは続きを御覧下さい!!
許容量を大幅に超える食物を体内に押し込むとどうなるのか。それは今現在、自分の状況を見つめれば刹那に理解出来てしまう。
全ての力を消化へと注ぐ為、頭は思考を停止させ。
二度とこの愚行を行うなと猛省を促す為か。吐き気を越えた気怠い感覚が全身を襲い続けていた。
初夏の優しい夜風が体を撫でてくれる縁側の付近。
畳の上で動くことを止め、考える事を止め。畳の黒い染み一点だけを見つめ茫然自失となった体は一切の運動を放棄してしまっている。
ほ、本当に……。
殴られるよりも食う事が只々辛いです……。
食事の時間がこれ程まで苦痛に感じるのは生まれて初めての体験だ。
強くなる為には食う必要がある。
しかし、体は食す事を拒絶する。
相対する事象に頭と心が混迷の迷宮へと迷い込んでしまっていた。
此処から脱出する為には……。
この命を散らさなければならいだろう。
誰か、俺の胃袋を摘出してくれ……。そうすれば、この苦痛から解放されるのだから。
混乱の境地に至った精神を鎮静化させる為、ふと視線を移す。
「ユ、ユウ……。お願いがあるの」
「断る」
「まだ何も言っていないじゃん!!」
本日も絡まれて大変ですね。
縁側の反対側。
壁際で深紅の髪の女性に絡まれているユウを見ると、俺じゃ無くて良かったと安堵にも似た感情と。
可哀想に、と。憐憫たる想いが混ざり合う。
このまま動かないでおこう。
流石にこの状態じゃあ、アイツの喧噪は受けきれん。
「苦し過ぎるから、お腹を貸して。横になりたいけど丁度良い塩梅の枕が無いのよ」
地を器用に這う毛虫擬きを模倣した人の姿のマイが畳の上を移動し。
「腹の真上に乗らなければいいよ」
「さっすが!! それじゃ、失礼して……。んほぅ!! やっぱユウの腹枕は最高ねぇ……。すっごい落ち着くもん」
ユウのお腹に頭を乗っけて体を弛緩させた。
ほぉ。
そうなのか。
物は試しと行動に至れないのが悔やまれる。
マイの言葉を受け、何を思ったのか。
カエデが重たいお腹を引きずって移動を開始し。
「左側、借りますね」
持ち主の了解を得ずに彼女のお腹を枕に変えてしまった。
「どうよ、カエデ??」
「本当ですね。物凄く落ち着きます」
「でしょ!? こう何んと言うか……。スンスンッ……。ユウの匂いの所為もあると思うのよ」
「ふむ。匂い……」
ぱっと上体を起こし、ユウの脇腹に鼻をくっ付け。
「すぅぅ――……。うんっ、意外と女の子っぽい香りと。若干の汗の香りが気分を落ち着かせてくれるのですね」
ユウの香り、か。
一体どんな香りなのだろう。
気分を落ち着かせてくれるのなら是非試したのですけど……。流石にそれは、ねぇ……。
「なぁ、カエデ」
「何でしょう??」
「意外とは、余計じゃね??」
「言葉の綾です」
あはは。
何だかこうして見ると、ユウって優しいよな。
文句を言いつつも皆の世話を見ているし、アイツが行う横着にも付き合ってあげるからね。
「全く……。最高な枕は此処にあるというのに。レイド様っ、上体を起こして下さいまし」
「はい??」
アオイがちょいちょいと肩を突くので、言われた通り上体を起こして胡坐をかくと。
「失礼致しますわっ。あっ、はぁ……。やはり、此れこそが至高の枕でございます」
此方の了解を得ないで、ポフっと太腿付近に頭を乗せてしまった。
「俺は枕じゃないんだけどね」
太腿に乗る温かな感触と、鼻腔を微かに擽る女の香。
そして。
じぃっと見上げて来る淫靡で黒い瞳が、宜しく無い感情をぬるりと湧かせてしまうのです。
「んふっ。このままずぅっと頭を預けて……。いや、寧ろ!! 体を預けるべきでは!?」
「煩悩は退散しましょうねぇ――」
己にも、そして彼女にもそう言い聞かせる為。彼女の額を柔らかくピシャリと叩いて上げると。
「んぅ!! 駄目ですわよ?? 幾ら夫婦であっても暴力を振っては」
むっと眉を顰めて通常の瞳へと変化してくれた。
何んと言いますか……。
アオイは凛とした佇まいが似合うと思うんだけども。
どういう訳か。
こうして時折訳の分からない事をのたうち回るのが勿体ないよね。
いつものやり取りが己の中で渦巻いていた殺伐とした空気を消失させ。
食後に相応しい空気が大部屋の中を温めていると。
「お、揃っておるな」
いつもの道着から、薄い浴衣に着替え終えた師匠がやって来た。
今日は白と朱色を基調とした浴衣ですね。
大変良く似合っています。
「どうしたのよ。私達、今から御風呂に入ってさっぱりしようとしていた所なんだけど??」
「直ぐ終わるから安心せい。明日の稽古は今日と同じく、六時半開始じゃ。終了の時間は未定じゃ」
「分かりました。遅れない様に集合させます」
可能であれば、ですけども……。
アイツを起こす為。また例のアレを行うは御免ですからね。
「うむっ。そして、此処から話すのはお主達と拳を交えた儂なりの感想じゃ。有難く聞け」
おっと。
これは確と心に刻まなければ。
「アオイ、ちょっとごめんね」
「きゃっ」
彼女の小さな頭を抱えて起き上がらせ、キチンと足を折り畳んで正座し。
師匠の方を真っ直ぐ見つめた。
此れこそが傾聴する為の正しい姿勢です。
「うふふ。ちょっと高くなってしまいましたけども。これは此れで……」
再びコテンと横になり、太腿の上に乗る白を退けようとすると。
「来たるべき淫魔との戦いにおいて勝利を収める為には。各々が与えられた役割を果たす必要があるのじゃ。先ず、マイ、ユウ」
師匠が真面目な顔と、若干低い声で語り始めた。
「ん――??」
ですから!!
あなたはもっと真面な態度と声で返事を返しなさい!!
「お主達の役割は何じゃと思う??」
「相手をボッコボコに叩きのめす!!」
「只管前に出て殴り続ける!!」
恐ろしい答えですけども、概ね合っているかな。
「半分は正解じゃな」
「後の半分は何よ??」
「超接近戦に重みを置くお主達の役割は敵の攻撃を真正面で受け止める事と……」
「「事と??」」
マイとユウが同時にカクっと首を傾げた。
相も変わらず息ピッタリだな。
「敵の注意を引き付ける役割もあるのじゃよ。前衛のお主達がひょいひょいと吹き飛ばされ、やっすい挑発に乗って敵の意のままに操られている様では役割を果たしているとは言えぬ」
「えっとぉ。じゃあ、つまり。敵を攻撃し続けてもいいけど、相手の注意を引けって事?? 誰に対して注意を引き続ける必要があるのよ」
「それは後ろに控えるアオイとカエデに対してじゃ」
そう仰ると、俺の膝元と。
ユウのお腹の横で膝を抱えて座っている両名に視線を送った。
「アオイとカエデは身体的にお主達に数段劣る。五名の内の一角が崩れれば、隊が崩壊しかねん。前衛の役割を確と胸に刻め、分かったか??」
「「はぁ――い」」
お願いします。
丁寧に指導を頂いているので、もっと真面で!! 覇気のある声で返事を返しなさい!!
「アオイ。お主の役割は心得ておるか??」
「はい。中、近距離若しくは遠距離から前衛の援護。状況に応じて前衛、後衛に身を置き敵性対象を殲滅します」
膝から頭を上げ、此方同様キチンと足を折り畳んで話す。
「正解じゃ」
「レイド様っ。正解しましたよ??」
その様ですね??
正解したのは流石だと感じますが……。
言いつけを守って留守番をしたのだから、頭をヨシヨシしてくれと強請る子犬の目を此方に向けるのはお止め下さい。
その所作と。
「んふふ……」
さぁ、どうぞと言わんばかりに頭を此方に傾けると季節外れの台風が発生してしまうのです。
「けっ。優等生が……」
「くすっ。安い挑発に乗り、猪擬きの攻撃しか能の無い地平線が何か呟いていますわねぇ……」
「――――――――。はぁ??」
ほら、始まった。
「っと。そこまで――」
「ユウ!! 放しなさい!!!!」
ユウがギリリっと奥歯を噛み締めたマイの服を速攻で掴み、制す。
「うふふ。哀れですわねぇ……」
勝ち誇った笑みと瞳を浮かべたのだが。
「これ、人の話は最後まで聞け」
師匠の鋭い声を受け、瞬時に通常の顔へと早変わりした。
「確かに、お主の継承召喚。そして、遠距離からの魔法は高水準に達しておる」
「んふ。ですって?? レイド様っ」
此方の右肩にコテンっと頭を乗せて話す。
「じゃが……。詰まる所、高水準止まりじゃ」
「――――。はい??」
そして、速攻で元の位置へと頭が戻りましたとさ。
「接近戦の殲滅力はマイ、ユウに劣り。遠距離からの魔法による攻撃もカエデには及ばん。馬鹿弟子の様に中距離から一気苛烈に距離を零にする足も無ければ、大馬鹿前衛二人の体力と比べれば拙い体力……」
「も、もう結構ですわ……」
ズバズバと的確な御言葉を発す師匠に対し。
両手で耳を塞ぎ、年相応とは思えぬ可愛い所作で対抗する。
こういう姿のアオイって珍しいよね。
それだけ耳が痛いって事か。
「カエデの様に背筋が凍る威力の魔法も無ければ、目を疑う豊富な種類の魔法も無い。お主を評価する言葉があるとすれば……。器用貧乏、じゃな」
「き、器用……」
「ぎゃはははははは!!!! び、び、貧乏!!!! だっせぇ――!!!!」
深紅の髪の女性よ。
腹を抱えて笑い過ぎです。
「だはは!!!! ア、アオイ!! 言われちまったなぁあ!!!!」
そして、深緑の髪の女性。
畳が抜け落ちてしまうからバタバタと足を叩きつけて笑わない。
「こ、このっ!!」
「まぁ落ち着け。この隊にお主の様などちらの役割を果たす者は必要不可欠なのじゃ。カエデがやられれば後方へと下がり、前衛がやられたら前に出る」
「そうだぞ、アオイ。何でも出来る事は誇って良い事なんだから」
俺みたいに前に出る事しか能が無い男にとってみれば、羨ましい限りなのです。
「レ、レイド様っ……。今……。私に……、求婚されました??」
「いいえ?? 耳、掃除しようか」
うるっと潤んだ黒き瞳で此方を見つめ、訳の分からない事をサラっと言い放ったので。速攻で訂正してあげた。
「カエデ、お主の魔法の威力は大したものじゃ。儂も幾度か背の肌が泡立つ程じゃからな」
「ありがとうございます」
褒められて満更でもない顔で答える。
「お主の役割は後方から傍若無人な者共へと的確な指示を与え、遠距離からの魔法で相手を滅す。この只一点じゃ」
「それは心得ています」
「うむっ。じゃが!!」
おっと。
ここからが要点ですね。
「魔法に特化している分、接近されたらなぁんの抵抗も無くやられてしまう。付与魔法が苦手な魔法使い等。何の恐怖感を抱かずに向かって行けるわ」
そう言えば……。
「エルザードさんはユウの攻撃を片手で受け止めていたな……」
あの光景にはド肝を抜かされた。
あれが魔法の一種だとすれば、彼女の付与魔法はユウの筋力を片手で御せれる程に優秀って事か。
「淫魔の女王じゃぞ?? それくらい朝飯前じゃろうて。魔法に頼るなとは言わぬ。じゃが、接近されてもそこから逃れる術を持っておけ」
「心得ました」
「お主がやられたらこの隊は総崩れしてしまう。それを努々忘れるな。さて!! 最後は馬鹿弟子じゃな!!」
そう話すと、ぴょこんと頭頂部から二つのモフモフの獣耳が此方に挨拶を放ってくれた。
師匠!! 飛び出てしまいましたよ!?
「コホンッ……」
大事そうにお耳に触れると、いつもの丸みを帯びた頭に戻る。
びっくりした……。
急に出て来るんだもの。
「お主は……。あのけったいな弓。抗魔の弓、じゃったか??」
「はい、そうです」
「接近戦で龍の力を使用して相手を制圧。中距離から視野を広げ適宜、あの弓を使用して仲間の援護に回れ。そして……。中距離から接近戦に移行出来る脚力は見事じゃぞ?? 走り込んでおる証拠じゃ」
「は、はい!!」
よ、よく見て頂いているな。
ちょっと嬉しいかも。
「速さ、拳圧、膂力。儂から言わせてみればまだまだじゃが……。我が教えを守り、龍の力があるからといって慢心せずに精進を怠るな。分かったな??」
厳しい瞳がふっと柔らかくなり、僅かに上がった口角から放たれた温かい言葉が俺の心を温めてくれる。
「あ、有難う御座います!! これからも精進させて頂きますね!!」
至らない俺の事を見てくれていると思うだけで心が馬鹿みたいに温かくなっちまうよ!!
師匠の瞳の中に咲いた向日葵を直視して、覇気ある声で答えた。
「ね――。あのボケナスだけ贔屓し過ぎじゃない??」
「そ――そ――。あたし達だけなんか棘があった様な言い方だったしぃ――」
「気の所為じゃ!!!! 明日は対淫魔を想定し、模擬戦を行う!! 厳しい稽古になるから覚悟しておけ!!」
そう仰ると、ほんのり桜色に染まってしまった頬を引っ提げ。カクカクした足取りで平屋から出て行かれた。
昼間の稽古で疲れた、のかな??
「模擬戦ねぇ……。果たして、御飯が美味しく食べられる体で終えられるか……。そこだけが心配だわ」
「安心しろって。お前さんの場合、あたし同様馬鹿みたいに頑丈だからさ」
「馬鹿は余分だ!!!!」
あの二人はこれからも心配は御無用ですね。
馬鹿みたいに食べたのに、もう元気一杯ですもの。
「師匠と模擬戦……。なのかな??」
右隣りのアオイに問う。
「淫魔、つまりエルザードさんを想定した戦いですから。それは違う様な気がしますわね」
じゃあ、誰か違う人が相手を務めてくれるのだろうか??
マイ同様、五体満足で稽古を終えられる事を祈りましょうかね。
此方の右肩へ己の頭を乗せようと躍起になり、妙に甘い香りを放つ塊を左手で必死に押し退けつつ。そんな事を考えていた。
最後まで御覧頂き、有難う御座いました!!
それでは皆様、良い週末をお過ごし下さいね。




