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第二百二十話 普段の善行は何の役にも立たない その二

お疲れ様です。


後半部分の投稿なります。




 妙に重たい腹に四苦八苦しつつ筆を走らせていると苦悶とも、大満足とも捉えられるマイの声が耳に届いた。



「はぁぁぁ。もう食べられないっ!! 流石の私も限界だわ」


「マイさん、ありがとうございましたぁ……。無理ですよぉ。あんな量……」


「何を言うか!! たった五杯で……。情けない!! 私はねぇ二十……。あり?? 何杯だっけ?? ユウ――!! 私何杯食べたぁ!?」



 己は自分が食べた数も数えられないのか。



「あぁ?? あ――……。えぇっと。確か、それで二十二?? だっけ」


「くっそう!! 記録更新には至らずか!!」



 前の記録は……。


 あぁ、そうだ。鰻を食べた時だったな。


 あれは本当に美味かった。



「た、食べ過ぎですよ」


「これが普通なのよ。この光景に慣れないと、私達とはやっていけないわよぉ??」


「マイちゃんが食べ過ぎなだけだって。安心してよ――。私達は普通だからぁ」


「で、ですよね。それを聞いて安心しました」



 慣れ、ねぇ。


 もう何十回、何百回とアイツの常軌を逸した食欲をまざまざと見せつけられたが余り慣れる気がしないのは気の所為でしょうか??


 アイツの食欲に比べれば俺なんて……。そう思わせるには十分な欲。


 しかし、食欲と比例するかの如くアイツはメキメキと強くなっていく。


 大魔の血を引く者に敵おうとする事自体烏滸がましいのかも知れないが、それでも若干の悔しさはある。


 俺も一人の男だからね。そりゃあ、悔しいと感じるさ。


 度を超えた食欲は反面教師にしつつ、アイツの強さはしっかりと己の眼に焼き付け。何度も反芻して自分の血と肉に変えてやろう。



 龍の呆れた強さを想像しながらも軽快に筆を走らせつつ着実に仕事を熟していると……。


 この世の生者が放つ声とは到底信じられない程の低い声が耳に届いた。































「さて、と。カエデさん?? あなたは人一倍傷ついていますし。デスし。食後の甘味を頂いて貰いましょうかぁ」



 デスしって何!?


 普段聞き慣れない単語と状況を確認する為に思わず振り返ると。



「い、いや……」



 そこにはフルフルと顔を横に振り、誰にでも理解出来る拒絶を表現しているか弱い女性が居た。


 丸い目をこれでもかと見開きカタカタと小刻みに肩を震わせ、アレから離れようと後退りを始める。


 たかが食事に大袈裟だ。


 そう、アレを知らない者は口を揃えて言うだろう。


 しかし。


 俺と彼女だけ知っているのだ。アレは……。口にしてはいけないモノであると。



「うふふ。どこまで逃げられるかなぁ――??」



 恐怖で顔を歪ませるカエデに対し、両手で小皿を大事に持ち燦々と輝く太陽も呆れてしまう明るい笑みを浮かべて彼女に迫る。



「や、やだ。要らないです」


「あるれぇ?? ここの取り決め。忘れちゃったのかなぁ?? 提供された物は、ぜぇんぶ食べ尽くすんですよぉ??」



「カエデ――。食べられないんだったら私が食べるわよ」

「是非お願いします!!!!」



 マイの言葉を受けると、凶悪な豪雨をもたらす酷い空模様の様に暗かった顔に太陽の明るさが戻るが……。



「駄目に決まっているでしょ。これはぁ、私がぁ。カエデさんの為にぃ、態々!!!! 作ったモノなんですからぁ」


「っ!!」



 数舜で暗闇のどん底へと叩き落とされてしまった。



「カエデちゃん良かったね!! モアさんが美味しくて、甘いもの作ってくれたんだよ??」


「良くありません!!」



 普段声を荒げる事は滅多に無いカエデがあそこまで取り乱す物とは一体どれ程恐ろしい造形をしているのだろうか。


 興味本位。


 いや。怖いもの見たさとでも言おうか。


 筆を置き、こちらへと後退りを続けているカエデの背後からそっとアレを覗き見てみた。



「――――。うぉぉ……」



 モアさんが両手で大事そうに持つ小皿の上には小さな直方体が乗せられている。


 豆腐と似ている形だが、アレは似て非なるものだ。豆腐は美しい純白、若しくは乳白色がこちらへと大いに食欲を湧かせるのだが……。


 彼女が持ち運んでいるのは黄色と白色と黒色のだんだら模様が目に痛い直方体で、モアさんの歩みに合わせてプルゥんっと揺れ動いていた。


 柔らかい、ただその一点だけは理解出来た。


 だけどあの配色は一体どうやったら創造出来るのだろうか?? 正確に言えば、何から作られたかが問題だな。



 くそう。やっぱり見るんじゃなかった。


 数秒前の己を呪ってやりたい。



「んふふ。もう直ぐで行き止まりですよ――」



 死刑執行人の仰々しい程に巨大な鎌がカエデの首に乗せられる。


 もう間も無くこの世を去る人の死に際を直視出来なくなってしまい、恐ろしさから逃げる様に机へと向き直し。


 猛烈な勢いで筆を手に取り自分の心の中で渦巻く恐怖を誤魔化す為、我武者羅に仕事へと没頭した。



「レ、レイド。お願い……。助けて」



 大きな藍色の目には涙が浮かび、小刻みに口が震えて奥歯が触れ合うと恐怖の音を奏でる。


 俺の右隣り。


 後退りの終着点である目の前の机に小さな背を着け、こちらに向かい最後の願いを唱えた。



「だ、大丈夫だよ。死にはしないと思うな」


 これが今言える最大限の慰めであろう。


「あ、あんなの口に入れたら死んじゃう!!」


「物は試しって言うだろ?? 何事も経験が大切だよ。うん」


「他人事だと思って!!」



 助けてあげたいのは山々なのですが。手を差し伸べた後の事を想像すると、どうもね……。


 今回は運がなかったと思い諦めるべきなんだ。


 彼女の方へ視線を送らずに只々机の上に広がる紙へ視線を送り続けていると、カエデの口から悪魔のあまぁい囁き声が放たれてしまった。



「お願い、レイド。何でもしてあげるから、代わって??」



 何でも、か。



『こんなに短いスカートを履かせて……。卑猥ですね』



 普段は長い物しか履かない彼女に短いスカートを履かせて大変お美しい肌の御足をじっくりと鑑賞。


 そして俺の卑猥な視線を受けて顔を真っ赤に染めた彼女にとある命令を下す。



『えっ……。捲し上げろ??』



 彼女に代わって命を落としてしまう危険性が含まれている悪魔の御馳走を平らげたのだ。


 この程度の命令なら安いものだろうさ。



『さ、流石にそれは……』



 スカートの端をちょこんと摘み中々その一歩を踏み出せない彼女に対し、気絶する程の痛みを伴った食事について声を大にして強調すると。



『わ、分かりましたよ!! 何でもと言ったのは私ですからねっ!!』



 これから素晴らしい演劇が始まると心をワクワクさせてくれる演出の様に、重い幕が徐々に開いて行き。



『……っ』



 完全に幕が開くと思わず感嘆の吐息が漏れてしまうのだろう。



 触れたら傷付いてしまうと思われる白磁の陶器を連想させる白い柔肌、そして白に良く目立つ青色の三角が俺の体内の血流の速度を苛烈に上昇させる。


 彼女は耐え難い羞恥を誤魔化す様に下唇をハムっと食み、顔を真っ赤にして俺の視線を受け止める姿が男の性を最高潮にまで刺激してしまう。


 心の底から湧く性欲に身を任せて椅子から立ち上がり大変美味しそうな彼女の身を心行くまで堪能したいが……。


 そこはやはり紳士を貫くべきなのだろう。


 恥ずかしさで失神寸前まで追い込まれてしまった彼女の姿を網膜に焼き付けようと大きく目を見開き。逸りに逸る大腿筋を制御して、椅子の上で足を組みつつ時価数億ゴールドの絵画を鑑賞し続けるのだ。




 そんな超絶下らない妄想と邪念が湧いてしまうが……。



「え、えっと。ほら。モアさんがカエデの為にと思って作ってくれたんだろ?? それを無下にするのはどうかと思うなぁ。あはは……」



 邪な考えに至る悪魔の誘惑を振り払い、邪悪な矛先を彼女へキチンと向き直してあげた。



「ずるいよ!! 何でいつもはレイドなのに、どうして私が食べなきゃいけ……。きゃぁああっ!!」


「年貢の納め時ですよぉ?? カエデさぁん」



 生気の欠片も見たらないモアさんの顔が横からずぃぃっと生えて来る。


 悪魔の御馳走、そして人の正気度を容易く狂わす恐怖に塗れた顔。


 怖い話が大好きなカエデでも泣き叫ぶのは頷けるよ。



「大丈夫ですからぁ。ほら、あ――ん??」



 木の匙で物体の一角を崩して欠片を掬い、カエデの小さな口へと向ける。



「や、やだぁ……。嫌だよぉ」



 彼女の右手が俺の右腕を痛い程に食み恐怖からか、細かい振動が小さな爪を通してこちらの体を震わせた。



「後ぉ。少しぃ……」


「ん――――っ!!!!」



 口を真一文字に閉じ、アレの侵入を防ぐが。



「その虚しい抵抗はいつまでもつかなぁ??」



 麗しい唇に物体を塗りたくり柔らかい形状が仇となったのか。ほろりと崩れた矮小な欠片が徐々に唇の内側へと沈んで行く。


 藍色の瞳からは温かい雫が零れて美しい曲線を描く頬を伝い落ちて畳を濡らし。欠片が口内へと沈み行くにつれて腕を食む力も増していった。



 も、もう駄目だ!! これ以上見ていられない!!


 俺は直ぐ隣の惨劇から顔を背け、早くこの恐怖が過ぎ去ってしまえと祈る様に瞳を閉じた。



「さぁ……。いってらっしゃい……」



 いよいよその時が来る。


 そう思われた刹那。


 救いさえ見当たらぬ混沌の深い闇が包む世界に一筋の煌びやかな光が差し込んだ。



「お――い、女連中――。さっさと風呂入って寝ろよ――」



 メアさんが普段と変わらぬ姿で平屋の戸を開き、救いの言葉を放つと。



「ちぃっ」

「っ!!!! や、やったぁ!! さぁ!! 皆さん!! 御風呂に行きましょう!!」



 異物が唇から離れた刹那を逃さず、カエデが大股で大部屋へと駆けて行ってしまった。



「え――。まだお腹重たい――」


「ルー!! 尻尾を燃やされたいのですか!? 早く御風呂へ行きますよ!!」


「レイド様と共に……。湯浴みを享受したいのですが??」


「それはいつでも出来ますから!!」



 え??


 そんな事はまかり間違っても常時出来ませんよ??



「はいはいっと。うぉぉ……。腹が重いぃぃ」


「マイさんは食べ過ぎですからねぇ。レイドさん!! 御風呂頂いてきますねっ!!」


「しゃあない。カエデが珍しく誘ってくれたんだ、行くとしますかね」



 ユウが重たそうな腹をポンっと軽快に叩き立つ。


 それを合図と捉えたのか。


 各々が重々しい動きで畳の上を這い、或いは二つの足で移動を始めた。



「お、おら。置いていくなや……。じゃあボケナス、ちょっくら行って来るわ」


「あ、うん。いってらっしゃい……」



 芋虫の様に畳の上を這って蠢いていた深紅が最後に部屋を出て行くと、恐ろしい静寂が空間を包んだ。



「……」



 耳に届くのは俺の若干荒い呼吸音と。



「ふぅ……。ふぅぅ……。ふぅぅぅうううっ!!!!」



 目の前で獲物を逃した悔しさで何かを誤魔化している猛禽類の荒い鼻息のみ。



『ユ、ユウ。頭に乗せろ』


『重いから退け。ルーの背にでも乗ってろ』


『ちょ……!! 何すんのよ!!』


『マイちゃん、痛いから爪立てないで』


『あはは!! 皆さん、元気一杯ですね!!』


『遊んでいないで早く行きますよっ!!!!』



 外の闇から届く女性陣の軽快な談笑と砂を食む足音が嫌に眩しく聞こえてしまった。



「さ、さ――てと。仕事を再開させようかなぁ!! 後二日で完成させなきゃいけないしぃ!! こりゃあ大変だぞぉ!!」



 これ以上この重苦しい空気に耐えられそうに無いと考えた俺は妙に明るい声を出して机へと向き直した。



 お、お願いしますから。


 ソレを持って早く出て行って下さい。



「ふぅん、そっかぁ。行っちゃったかぁ」


「折角作ってくれたのに、勿体無いですよねぇ!! 御風呂から帰って来たらまた差し出せば……。ひぃぃっ!!」



 この世の憎しみ全てを含ませた悪霊が突如として目の前に現れたら誰だって奇声を上げるだろうさ。



「……っ」



 ギョロリと縦に見開かれた瞳は生気を失い、中途半端に開かれた口からはドス黒い怨念の濃霧が零れて周囲の空気を侵食。


 その空気に触れたら最後、魂までが凍り付きこの世にお別れを告げなければならない。


 反対になった悪魔の顔が何も言わず、そして一切身動きを取らないでじぃぃぃっと俺の顔を只々見つめていた。



 だ、駄目だ!! これ以上見て居たら俺の心がやられてしまう!!!!


 み、見ちゃ駄目だ……。見ちゃ駄目だ……。ぜぇぇったい見るなよ!?



「あ、あのっ。仕事が出来ませんので」



 彼女の顔を真面に見たら呪われてしまうと自己防衛機能が働いたのだろう。


 一切の光を断絶させる勢いで目をぎゅっと瞑り、悪霊を容易に視殺する事を可能にしてしまった顔を見ずに声を出す。



「レイドさん?? あなた、確か……。腰を痛めたって言ってませんでした??」


「き、気の所為です!! 自分でも驚く程に絶好調ですから!!」


「へぇぇぇ。そう、なんだ」


「で、ですから!! もうお帰り……。んぐぅ!?」



 唇にひんやりとした触感が広がる。


 ま、まさか……!!



「コレ、滋養強壮にも大変効くんですよぉ??」


「ん――!! んん――!!!!」



 素早く首を横に振り、断固たる拒否を現し。



「まぁ。食べたく無い、と??」


「んッ!! んぅぅッ!!」



 今度は首が千切れんばかりに縦に振る。



 頼む!! 止めてくれ!! そんな訳の分からない配色をした食べ物を食ったら死んじまうよ!!



「まぁあなたには拒否権はありませんので。あしからずっと」


「ふむぅ!?」



 モアさんの細い指が鼻を摘まみ、鼻からの呼吸を遮断させてしまった。



「さぁって。後何分もつかなぁ?? 何十秒かも?? はは……。アハッ!! ア――はっはっはぁ!!!! さぁさぁ!! 至高の作品を是非その身を以て味わって下さいねぇ!?!?」



 食べ物なのに作品って言葉はおかしいでしょう!?



 彼女の昂った感情が爆ぜ、狂気に満ちた声が俺の恐怖心を増大させると心臓の音が外に飛び出ているんじゃないかと思う程に五月蠅く鳴り響く。



「フッ……。フッ……。フッフッ!!!!」



 唇の端から微かに空気が漏れて行くその音が断頭台に昇って行く死刑囚の足音に聞こえてきた……。



 も、もう駄目だ!!


 これ以上……。呼吸を止めていられない!!



「んぐぐ……。ぐぅぅぐぐ!! ぷはぁっ!!!!」

「――――。はいっ。いってらっしゃい……」



「はむっ!?!? …………。うぶぎぃぃいいやぁああ!!!!」



 辛味、苦味、刺激痛、殺傷。


 まるで感じた事の無い味覚……。じゃない。痛覚が口内を襲い。摩擦係数の少ない物体はたちまち喉の奥へとツルンっと入って行ってしまった。



「お、おぅっぇっ!!」



 腹の奥に松明を投げ込まれたんじゃないかと錯覚させる熱波が体内を駆け巡った後、徐々に目の前が暗くなって行く。



「あらぁ?? やっぱり失敗しちゃったかなぁ。まぁ……。これを糧にしてまた作り直しましょう」


『やっぱり』



 俺の意識が混濁の渦へと巻きこまれて行く中、その単語だけが妙にハッキリと頭の中に残ってしまう。



「ウ゛グゥゥゥッ!!!!」



 腹の奥に感じる酷い痛みを誤魔化す為、無意味に激しく畳をバリバリと掻き毟ると目の前に突如としてズタボロの外蓑を羽織った骸骨さんが出現した。



『お、おいおい。お前さん、まさかあんな物食べたのか??』



 妄想、若しくは幻想の中に現れた死神さんが頭蓋の眼窩をギョっと変形させて彼女が持つ物体を見つめる。



 食べたんじゃなくて無理矢理捻じ込まれたのです。


 彼、若しくは彼女にそう伝えたかったがこれ以上現実世界に意識を留める事は不可能の様だ。



「さぁって。明日の朝ご飯の仕込みをしなきゃっ」


 モアさんの軽快な言葉と足取りが徐々に遠ざかって行く音。


『お前さんもこっち側に来るのが好きだねぇ。この前は……。あぁ、開店前に来たから驚いちゃったよ!!』



 そして、意外と清らかな声色の死神さんがカラッカラに乾いた右手の骨で俺の首根っこを掴むとふわりと宙に浮く感覚が全身を包み込み。現実世界の俺が徐々に離れていく。



 誰だって好き好んであなたの場所へ訪れている訳じゃないんですからね??


 本当は野に生える雑草の様に静かに、そして粛々と過ごしていたのですよ……。


 彼女達と過ごす以上、決して叶わぬ己の細やかな願い。そして日常生活を送る中で積もりに積もった愚痴を吐き出してやった。


 日頃の善行など何の役にも立たない、それならいっそ俺は悪に染まってやる。


 自分自身に強く言い聞かせる様に盛大に悪態を吐きつつ、酷い現実が跋扈する世界から優しさしか存在しない向こうの明るい世界へと旅立って行ったのだった。




お疲れ様でした。


暫くは日常パートが続きますので彼等の朗らかな生活を堪能して頂ければ幸いです。


早く話を進めなさいよと厳しい瞳が光る画面越しに届きますが……。出来る限り彼等の生活を届けたいと考えておりますのでそこは温かい目で見守って頂ければ幸いです。



日に日に寒くなっていますので体調管理には気を付けて下さいね。


それでは皆様、お休みなさいませ。

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