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第二百十七話 贅沢な目覚め その一

お疲れ様です。


本日の前半部分の投稿なります。




 深い海の底、光さえ届かない真の闇の中に一人の女性が足を抱えて蹲っていた。


 彼女の体は負傷と疲弊からか、小指の先を動かすそんな矮小な動きさえも叶わず。周囲に存在する闇に心が蝕まれるのを必死に耐え、只々この闇が早く消失すればいいのにと切に願っていた。



『お母さん、お父さん。私は……。私は二人の傀儡なの??』



 誰かの悔しさを滲ませた声にならない苦悶の声が彼女の深層意識を刺激する。



 この声は……。


 あぁ、なんだ。幼い頃の私ですね。


 母親の厳しい指導、生活圏の制限、そしてお前はこうあるべきなんだと己が自己陶酔を子に強要させる行為に憤りを感じていた私の声だ。



 一日の始まりは両親への挨拶。これはどこの家庭でも交わされる普遍的な日常の行為。


 しかし、私の日常はそれからは非日常へと繋がっていく。


 術式構築の為に朝から晩まで母親が付きっ切りで五月蠅い小言を放ちながら私に指導を与え。貯蔵されている本へと目を通して知識を高めて行く。


 偶に出来た自由時間を謳歌しようと外出しようものなら明確な拒絶の意思を表して、行動範囲を制限する。


 私はこの人の傀儡となるのだろうか。


 そして、未来永劫この本に囲まれた場所から解き放たれる事はないのだろうか。そんな疑問を常に抱いていた。


 そして自分の未来を閉ざそうとしている両親を憎んだ時もあった。



 でもそれは、血の繋がった家族に対して持つべき感情では無いと必死に誤魔化して良い子を演じていたのだ。



 声に出せない憤りを胸に秘めていた幼い頃の私は外に待つ危険、死が付き纏う冒険、気の合う友人達との探検に憧れて育ちました。



 お伽噺に出て来る主人公達の波乱と危機に満ちた大冒険。



 それはもう自分の立場を彼等に替えて話にのめり込み、大量の文字を美味しく咀嚼していた。



 ボロボロの橋をおっかなびっくり進んで、遥か下を流れる激流に固唾を飲み。


 怪生物が潜む暗い森の中を松明の灯りを頼りに遭難した好いた女性を捜索する。


 大きな街に到着すると要領が分からずに入った不味い飯屋の料理で溜息を漏らす。


 大空を飛び交う摩訶不思議な生物を撃ち落とす為、矢を穿ち仲間を守る。



 彼等の冒険が幼い頃の私の心を支えていたと言っても過言では無い。正確に言えば、作者の飽くなき創作欲のお陰なのですけどね。


 外の危険に憧れ、自己研鑽を続けて十年程経過した頃。


 両親から一つの任務が下った。任務……。というのは大袈裟かな。一つの御使いとでも言うべきか。


 家の近くの街が魔物に襲われているというのだ。


 両親はその頃、誰かから依頼された魔法を開発する事に躍起になっていた為そこまで手が回らなかったのだろう。


 私は二つ返事で御使いを了承し、夢にまで見た冒険へと初めの一歩を踏み出したんだ。


 うん、あの時の高揚感は今でも覚えています。


 私も遂にお伽噺の中の彼等と同じ冒険を体験するのだ。そう思えば必然でしょう。


 そして、アイリス大陸に到着すると。



 一人の男性と出会った。



 私の人生に大きな、本当に大きな変化を与えてくれた人。


 彼は休憩している私におずおずと声を掛けてくれた。



 ふふ、海を見ているって言ったなぁ。


 どうせ人間には通じないと考えていたので、適当に言葉を返しこれからの行動を頭の中で思い描いていたら。



『そっか。海って綺麗だもんね』



 普通に言葉が返って来た事に度肝を抜かれた。


 あの頃のレイドは今と違って魔力の欠片さえも掴み取れない程に弱かったから人間だと思い込んだのでしょう。勿論、龍の力を解放すれば魔物のそれと変わらぬ力を持っていますけどね。



 初めての御使い、家族以外の初めての異性との出会い。



 衝撃的な体験を二度も、しかもこれだけの短時間の間に経験するとは思いもしなかった。


 そして、それから……。私は夢にまで見た冒険へと旅立って行ったのだ。



 あの時、彼が居なかったら。私は素直に両親の御使いをこなし、またあの狭い空間に戻って行ったのだろう。


 彼が居たから今の自分が居るのだ。



 私がむっと眉を顰めると、謝意を籠めた笑みを浮かべ。


 言葉を放たずに憤怒を滲ませると、数舜で察して姿勢を正す。


 あれ?? 私、怒ってばっかりだな……。


 でも、それは仕方が無いのです。私の周りには口喧しい方々が居ますので。


 最初の頃は五月蠅くて敵わないと考えていましたが、今ではその喧噪が無いと物足りない気持ちさえ湧いてしまいます。


 勿論?? 度を越えた音量は了承しませんけど。


 四角四面な私にこんな気持ちを湧かせてしまう程に世の中には不思議が沢山存在している。


 それを見せてくれたのは他の誰でも無く彼のお陰。


 彼の姿を思い出すと周囲の闇が徐々に晴れて行く。



 ――――。



 会いたいな。


 会って顔を見て、声を聞きたい。そして私の冷たい心を温めて欲しい。


 彼の姿が明瞭になっていくにつれて次第に好いた香りが鼻腔を刺激する。


 想像は時に香りをも再現するのですね。


 等と、有り得ない事象に困惑しながらも己が再現力の強力具合に呆れながら真なる闇を打ち払ってやった。



「……………………う、ん」



 誰かの寝言が冬の冷たい空気が漂う暗い闇の中に静かに響く。


 未だ夜も明けない常闇の刻。


 嗅ぎ慣れた伊草の香りが物を言わずとも場所を安易に伝えてくれた。


 どうやら私が気を失ってからここまで運んでくれたようですね。


 自分が敗れ倒れるのならいざ知らず、友人にも迷惑を掛けてしまうなんて。己の不甲斐無さに憤りを感じざるを得ません。



「う、うぅ。臭くて痛いぃ……」


 誰かの呻き声が私の興味を多大に誘い、その音の発生源である右へ首を向ける。


「う、うぅん……」



 どうやら呻き声の主はお惚け狼さんの様だ。


 いつものように狼の姿で気持ち良く伏せて寝ていたのだろうが……。



「デ、デヘヘ。しょっぱ美味いかも……」



 一頭の龍が狼の湿った鼻頭にしがみ付き彼女の安寧を妨げていた。


 がっしりと掴まれたら最後、マイは中々離しませんからね。



「すぅ……。すぅ……」


「……」


 マイとルーの奥には毛布をきちんと被り、行儀良く眠っているユウとリューヴ。


 そして、私の枕元。


 つまり頭の上方にはアオイが女性らしく足を崩して座ったまま眠っていた。



 私が起きない事に皆心配していたんですね。わざわざ狭い部屋で睡眠を取らせてしまって申し訳ありません。


 今は真夜中ですし、皆さんを起こすのは憚れます。


 それに……。


 未だ体の節々に痛みが重々しく残っているのでしっかりと休みたいのが本音ですね。


 右腕、背中、腹部。


 余すところなく筋力が悲鳴を上げ、魔力もかなり消耗してしまっていた。



 魔力が消耗している所為で怪我の治りも遅いのでしょう。これ以上心配を掛けたくないので夜が明けましたのなら多少無理をしてでも湯に浸かり、これでもかと食事を摂って回復に専念しないと。



 無理をしても立ち上がろうとするその最たる理由は……。一刻も早く鍛錬に励みたいからです。



 人生で初めてかも知れない大敗が私を突き動かしている。


 二度の負けは決して許されない。私はあの人に勝たなければいけないんだ。


 悔しさを滲ませた拳をぎゅっと握り、苦悶の表情を浮かべるルーから反対の方向へ寝返りを打つと。



「っ!!」



 私の口から心臓が飛び出そうになった。


 目の前には一人の男性が冬の季節には少々頼りない毛布を一枚だけ被り、己の腕を枕にして畳の上で雑魚寝をしていた。


 慣れ親しんだ友人達の姿に心を落ち着かせていたのはほんの束の間の出来事で、彼の姿を捉えた刹那。



「……っ」



 自分でも驚く程に体温が急上昇してしまうのを感じ取ってしまった。


 え、えっと……。


 取り敢えず、お帰りなさいとでも言っておきましょうかね??



「――――。お帰り、レイド」


 宙を悠々と舞う蝶の羽音にも劣る声で彼に声を掛けてみた。


「……」


 しかし、彼は返事を述べる事は叶わず。


 冬の冷涼な空気の中、寒さに負けじと体をより丸めてしまうだけであった。



 そっか。


 寒いんだよね?? 風邪、引いちゃうよ??


 頼りない毛布の中でもぞもぞと蠢く彼を見つめていると、何だか無性に憐憫足る想いが募っていく。


 皆さんは寝ています、よね??


 音を立てずに周囲を窺うが。



「「「……」」」



 皆一様に眠りに興じていた。


 千載一遇、じゃあないね。


 これは彼の為に行う行為なのであって?? 別にやましい事は無いのです。



「――――――――。レイド、いいよ。おいで??」


 フカフカの布団を開き、彼に半分を分け与えてあげる。


 すると。


「…………ん」


 女心をぎゅっと鷲掴みにする甘い声を漏らし、硬かった表情が一気に溶け落ちた。



 ね?? 温かいでしょ??


 レイドはまだ人間の部分が強いのですから、風邪を引いてしまっては一大事ですからね。


 私の体温で温められていた布団の中の空気を受け止めると、寒さで丸まっていた体が徐々に開いて行き。


 これが安眠を享受する顔なんだと思わせる表情を浮かべて己の右腕をすっと真っ直ぐに伸ばした。



 ――――。



 腕、半分余っていますね??


 これは彼が己自身の為に使用している右腕なのは十二分に理解しています。


 しかし、しかし……、ですね。


 余った部分を有効活用しなければいけないと思う訳なのです。


 勿体無い、とでも言えばいいのかな??



「失礼しますね……」



 柔らかい枕から硬い枕へと鞍替えして、ふぅっと息を漏らした。



 超高級な素材がふんだんに使用されている王様御用達の枕、羊丸々一頭分の羊毛を使用した枕でもこれには勝らない。


 私にとって世界で一番価値のある枕だ。


 彼が放つ温かさと香りが私の心をどこまでも温め、突然の出会いに強張っていた体も弛緩してしまっている。


 それだけここは落ち着く場所なんだと私の体と心は理解してしまっていた。



 何で、こんなにも落ち着くんだろう。


 ずっと行動を共にして来た仲間だから?? 気の許せる友人だから??


 この事は私の背後で眠っている彼女達にも当て嵌まりますが……。


 今現在私が感じている想いは、彼女達には浮かばない。彼だけにしか感じない想いなのだ。


 誰にも悟られないように心の奥に閉じ込めて、時折静かに開けては陽性な感情に包まれる。


 そんな私だけが知っている温かい想い。誰にも言えない小さな内緒なのです。


 いつもは皆がアレコレとちょっかいを掛けていますから、中々にあなたと話す機会、接触する機会はありませんので。



 今だけは独り占めにしちゃっているね??



 申し訳無いと思う気持ちと怪我の功名とでも言えばいいのか。何とも言えない複雑な気持ちを抱えたままで彼の寝顔をじぃっと見つめていた。



「…………。う――ん」



 レイドが寝言を放つと。



「へっ??」



 彼の両手が優しく私の頭を抱え、男らしい胸にすっぽりと閉じ込められてしまった。


 強烈な男の香りが鼻腔を通り抜け、体全体が痺れて身動きが取れなくなってしまう。



 え、え、えっと。どうしましょう??


 これはきっと彼の寝癖なのでしょうが……。


 正直ここまで密着される事は想定していなかったので、行動の選択肢が一向に思い浮かばない。


 彼の腕の中に収まり体から直接伝わる体温、頭上から降るくすぐったい寝息、嗅覚を駄目にしてしまう私の好きな香りに只々包まれていた。



 彼に、そして周囲の友人に悟られない様に彼の体にそっと腕を回して二人の間に存在する空間を虚無する。



 普段ならこんな事は絶対しないけど。


 この暗闇と彼の香りがそうさせたのだろう。


 自分なりの勝手な考察をし終え目を閉じ、視覚を遮断させて他の五感に身を委ねた。



 わっ……。


 男の人って、こんな体が硬いんだ。


 勿論、これは知っていますよ?? 実体験から得る経験は時に知識をも上回ると言いたいのです。


 それを安直で安い言葉で言い表しただけなのです。


 ずぅっと……。


 この人の腕の中で包まれて眠っていたい。


 贅沢だと言われるかも知れませんが、私は怪我人なのですから構いませんよね??



「おやすみなさい、レイド」



 熟睡している彼の胸の中に私が今一番言いたい言葉を染み込ませ、私は世界最高の寝具に包まれて史上最高の眠りへと落ちて行った。



お疲れ様でした。


後半部分は現在編集作業中ですので、次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。

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