第百八十六話 欠けた歯車の大きさ その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿なります。
太陽の明かりが完全に消失。その代わりに訪れた夜が声を大にして今日も一日お疲れ様でしたと私達に本日の終わりを告げる。
かがり火がパチっと爆ぜる乾いた音。どこからともなく聞こえて来る眠そうな鳥の声。そして冷たい空気に乗って届く炭の馨しい香り。
夜の入り口に相応しい光景が私の胃袋ちゃんを悪戯に刺激してしまっていた。
う、うぅむ……。こりゃ参った、本当にお腹が空いてしまったぞ。
体から頭に送られる単純且明快な生理現象を受け、私はこの現象をいち早く解決しようとして負の感情を滲ませた声を上げた。
「ねぇ、まだぁ――??」
仲間と火を囲み素晴らしい食事の訪れが遅い事に多少……。
ううん。多大なる憤りを感じてしまうのは仕方が無い事なんですよっと。
「五月蠅い虫ですわねぇ。待つ事も出来ないのですか??」
虫はてめぇだろうが。
前歯の裏側まで出かかった言葉を強制的に引っ込め、正面の火をじろりと睨む。
「そう焦るなって。ほれ、良い匂いがするだろ」
右隣り。草を食べ終えて微睡む乳牛が是非とも手本にさせて下さいと頭を下げて懇願したくなる姿勢でユウが話す。
その姿勢、殆ど地面に溶け落ちてんじゃん。
「そりゃ焦りもしますよ。お腹、ペコペコだもん」
強烈な空腹を誤魔化す様に我が素晴らしき龍の爪でポリポリと腹を掻く。
アイツなら……。
『はい!! お待たせ!! 今日の晩御飯ですよ!!』
私達が催促する前に用意してくれているのにさっ。
いない奴の事を考えてもしょうがないんだけど。
こうやって空腹に悩まされるとアイツの器量の良さが身に染みるわね。急かしはするけどここまで待たされる事も無かったし。
「うん?? カエデちゃんが帰って来た!!」
狼の姿で丸くなっていたルーが顔を上げ、突如として大地に浮かんだ魔法陣の側へ移動を開始する。
「お――い。近付いてもいいのか――??」
やたら楽しそうな狼の背中にユウが声を掛ける。
「んふふ――。ちょぉっと試したい事があるんだぁ」
試したい事?? 何だろう。
「この魔法陣の外に待機してぇ……」
ふむふむ。
眩い光を描く円の外側にちょこんとお座りして尻尾を一つ揺らす。
「カエデちゃんがぁ。出て来たらぁ……」
円が一際強く光り輝き、周囲の暗闇が眩しさから背を向けて逃亡。
隣のユウの鼻の穴の中も覗ける光量に思わず瞼を細めた。
「一気に潜り込む!!」
一体あんたは何処へ潜り込もうとするのだい??
私がそう話し掛ける前に、お惚け狼は行動に移ってしまったので声を掛ける機会は失われてしまった。
「皆さん。ただい…………」
光の中からカエデが現れると同時に超絶不機嫌な顔を浮かべてしまった。
そりゃあ、誰だってスカートの中に顔を突っ込まれたらそんな顔も浮かべようさ。
「おかえり――!!」
不機嫌な顔に相対したルーの明るいくぐもった声がスカートの中から響く。
「何をしているのですか??」
「へ?? カエデちゃん驚く顔余り見せてくれないからさぁ。こうしたら驚くかなぁって!!」
楽しそうに左右へ大きく尻尾をフッサフサと揺れ動かしながら話す。
「驚きよりも辟易してしまいました」
「へきえき??」
「迷惑して、うんざりする事ですよ」
「うっそ!? うんざりしたの!?」
思い描いていた反応と違ったのか。
一本の尻尾がピンっと垂直に立つ。
「えぇ。それよりも早く退いて下さい。鼻息が当たってくすぐったいです」
「ルー。あんたも股に顔を突っ込まれたら嫌で…………」
おおぅっ!?!?
お惚け狼の行動に目を奪われてしまっていたので、カエデが持って帰って来た物の存在に気が付けなかった。
あの細い手の先にある木箱からは鼻腔を擽るやわらかぁい、甘い香りちゃんが私を桃源郷へと誘う。
桃源郷の香りにつられる様に翼を一つはためかせ、彼女の持つ木箱ちゃんにしがみ付いた。
「カ、カエデ!! この木箱の中身は何!?」
がっしりと木箱に爪を突き立てて話す。
「レイドがイスハさんへと、渡してくれた差し入れですよ。苺大福という食べ物らしいです」
ほうほうほうほう!!!!
ア、アイツめぇ。気が利くじゃない!!
私の空腹を見越してこぉんな素晴らしい匂いを放つ者を寄越すなんて。
褒めて遣わそう。
「苺大福ぅ?? 聞いた事が無いなぁ」
カエデの下半身から声が届く。
「私もよ!! カエデ、開けるから左手を退かしなさい」
渡す前に開けられては困る。
そう考えたのか。
「……っ」
右手で箱の底をしっかりと持ち、左手で木箱の蓋をぎゅっと抑えてしまった。
「駄目です。先ずはイスハさんに渡すべき物だと考えていますので」
「一個くらい良いじゃない!!」
「そうそう!! 私も見てみたいからさ!!」
「んっ……。ちょ、ちょっと。ルー……。くすっぐたいから止めて」
お惚け狼の鼻息がカエデの弱点を突いたのか、膝がカクンっと内側に曲がり蓋を抑える手の力が弱まる。
お?? ははぁん……。成程、成程ぉ……。
「ルー。目の前にあるスベモチ内太腿にもっと鼻息を吹きかけなさい」
「へ?? こう??」
「ん!! 駄目ですっ!!」
よっしゃ、予感的中。
どうやら海竜ちゃんは内太腿に弱点が存在する様で?? お惚け狼の鼻息を受けると途端に頬が朱に染まり、くにゃりと体が折れ曲がって行く。
「はっは――。作戦勝ちね。今の内にいただき……。んぐぅ!?!?」
「駄目ですよ。レイドとの約束ですからっ」
カエデの左の掌底が私の顎をぐぃいっと押し出し、視界が森の木々の合間から覗く美しい夜空を捉えてしまった。
華奢な体のくせにい、意外と力があるじゃない。
でも……。
これしきの事で私の食欲を抑えられると思うてか!!!!
「んぎぎ……!! ぜぇぇええったい、放さないわよ!!」
「は、放して下さい!! 年功序列という言葉を知っていま……。ひゃっ!?」
カエデの体がビクンっと大きく揺れると同時にやたら色っぽくて艶のある可愛い声が響いた。
「おほ?? カエデちゃん。ここ、弱点だね――」
「きゃはは!! な、舐めるのは反則……。あはは!!」
カエデの笑い声なんて久々に聞いたわね。
どんな顔を浮かべて大笑いしているのか見てみたいが、まだまだ左の掌底は元気一杯なので彼女の陽性な顔を捉える事は叶わなかった。
「うりうり――!! これでどうだ!!」
「そ、そこは…………。んんっ、駄目ですっ!!!!」
「うっそ!! ちょっとま……!!」
馬鹿みたいな魔力が迸ると同時にルーの声が消失。
カエデの下半身に向かって頑張って目玉の向きをギョロっと動かすと、そこにはあのフサフサの尻尾の存在は確認出来なかった。
ま、まさかとは思うけど……。
「――――ふぅ。これでやっと歩けますね」
「あのぉ……。つかぬ事を御伺いしますが。ルーはどこ行った??」
いつも通りの歩みで進むカエデに問う。
「私達の後方、約五キロの地点へ空間転移で送ってあげました。恐らく、今頃暗い森の中で一人寂しく狼狽えている所でしょう」
「うっそ!! 大丈夫なの!?」
太腿を攻めただけなのにとんでもない仕返しが返って来たわね。
「大丈夫だろ。狼は鼻が良いし、何よりあたし達の魔力を感じ取れるんだから」
それもそうか。
九十度変化した景色の中でユウが話す。
「イスハさん。これ、レイドからの差し入れです」
「お――!! 態々すまんのぉ。これ、邪魔じゃ」
イスハが私の胴体を掴み、馬鹿げた力で剥ぎ取ると宙へ何の遠慮も無く放る。
「くぁっ!? 投げる事ないでしょ!!」
「こうでもせん限りお主は退かぬからな。どぉれ?? 我が愛弟子は『儂』 に何を送ってくれたのじゃ??」
三本の尻尾全てが嬉しそうに揺れ動き、彼女の細い指が四角い箱の封を解く。
「「おぉぉぉっ!!」」
イスハの肩に留まり箱の中身を見下ろすと思わず歓喜の声を上げてしまった。
女性の手の平に丁度収まる可愛い真ん丸。
白く柔らかそうな曲線が視覚を楽しませ、鼻腔に届くあまぁい香りちゃんが唾液を否応なしに分泌させる。
だ、大福は知っているわよ?? 小豆ちゃんが舌と体に嬉しい甘味を届けてくれるものね。
で、で、で、でもその大福に苺って名前が付くって事はだよ!? これの中に苺様が入っていらっしゃるのよね!?
や、やっぱり人間は悪魔よ。
魔物を馬鹿にしちゃう食べ物を開発出来るのだから……。
「これは美味そうじゃ!! では、儂が先ず一つ……」
イスハが一番手前の苺大福をちょこんと摘み、小さな口へ運んだ。
「ふぁむ……。ふむ……。ほぉ!! 美味い!! 小豆の甘味と、苺の酸味が見事に調和されておるわ!!」
数度咀嚼すると目尻は下がり、頬がきゅっと上がる。顔の筋肉の素敵な上下運動が苺大福様の美味さを分かり易く体現してくれた。
「おっしゃあ!! もういいでしょ!! 頂きます!!」
冬の突風も降参してしまう速さで苺大福を両手で摘み、早速御口へと迎えて上げた。
「――――。らまぁい。だめぇ……。頭が馬鹿になっちゃうぅ」
な、何て破壊力だ。
この苺大福なる物は、たった一口で私の頭を蕩けさせてしまった。
小豆の優しい風味、疲れた体を労わってくれる仄かな甘味。
そして……、そしてぇっ!!
苺様の水々しさと甘酸っぱさが小豆と見事な調和を果たしていた。
前歯で苺を寸断するとじゅくりと果汁が漏れ舌を潤し。柔らかい皮と餡に程よく絡み合う。
甘味と酸味の相対する食感。
その全てが手を取り合えば私の舌と頭を篭絡させるのも容易いであろう。
「美味そうじゃん。どれ、あたしも一個貰おっかなぁ」
ユウが何気なく手を伸ばすが。
「ユウ!! 気を付けて!!」
この世に何んとか意識を残す事に成功した私が、コイツは大変恐ろしい食べ物であると注意してやった。
「は?? 何??」
「油断しちゃ駄目。この子は……。人を馬鹿にしちゃう食べ物なんだから……」
可愛い姿をしていながら懐にはとんでもない凶器を隠し持っているのだ。
危険極まりない食べ物よ。
「んな馬鹿な。いっただきま――す。あむっ……。ふむ……。うっま――い!! さっすが、レイド!! あたしの好みを良く分かっているじゃないか!!」
巨岩をぷるんと揺れ動かし、たちどころに顔の筋肉が弛緩する。
「お主では無いわ、儂の好みじゃよ。ふふん。今度会ったら褒めてやろうかのぉ。師の好みを良く理解しておるとな」
「誰もあんたの好みなんて理解しちゃいないわよ。頂きま――すっ」
私達の背後から気配を殺したエルザードが声を掛けると、一つの苺大福を指でひょいっと摘まむ。
「儂の物じゃ!! 勝手に食うな!!」
「ば――か。カエデが差し入れって言ってたでしょ?? 皆で食べて下さいって意味なのよ。――――んふっ。おいしっ」
甘味が気に入ったのか。
左手で可愛く頬を抑えて咀嚼する。
妙に似合う姿ね。
「うぬぬ…………。それより、飯はまだなのか!!」
「出来たからこっちに来たんじゃない。二人共――。持って来なさ――い」
後方に声を掛けると、これまた私を悩ませる匂いの下がやって来てしまった。
「お待たせ致しましたわ。レイド様の料理を見様見真似で作っていたら、時間が掛かってしまいました」
「主は良くやってくれる。今日程それを感じた事は無いぞ」
蜘蛛は食器類を運び、リューヴが大きな鍋の下に厚手の布を敷いて持って来てくれた。
「お――。良い匂いじゃん」
ユウがスンスンっと鼻を動かして話す。
「匂いだけじゃありませんわよ??」
「そうだ。私達の力作、刮目しろ!!」
「「「ほ――ッ!!」」」
私を含めた数人が歓声を上げ、リューヴがパカっと開いた土鍋の中を覗き込んだ。
ほわんと柔らかい乳白色に包まれたお米さん。その脇役である葱の緑と茸の茶が主役のお米さんを際立たせている。
コトコトと似た御米は噛む必要は無く、舌で上顎にクィっと押し付けるだけでホロっと崩れ落ちてしまう事であろうさ。
この料理は私のお気に入りの料理の一つ……。おじやね!!
出来立てホカホカの白い蒸気が揺れ動き、お腹の虫が早くアレを食えと騒ぎ出してしまった。
「見た目は良いでないか」
「そんな事言う奴には食わせてあげないわよ??」
ふらふらと伸びるイスハの手をエルザードがぴしゃりと叩いた。
御飯前にいざこざは勘弁してよね。
騒ぎが酷くなったら食べられなくなっちゃうじゃない!!
「触るなっ!!」
「ちょっと。おじや冷めちゃうから早く食べるわよ」
お椀を片手に持ち、飄々とするエルザードを憤怒に塗れた瞳で睨むイスハを御してやる。
「そ、そうじゃの。各々食器を持ったか??」
鍋を囲む私達は無言で片手に持つ食器を軽く掲げて、準備完了を告げた。
「うむっ。では……頂き……」
イスハが柔和な角度で口角を上げておたまを持つと。
「やぁぁああ――――ッ!! とぉうっ!! 到着っ!!」
鋭く風を切り裂いて一頭の狼が暗い森の中から颯爽と出現した。
はっや。もうここまで帰って来たのか。
コイツの分まで食らってやろうとした計画が早くも泡となって消失してしまった。
「ちょっと!! カエデちゃん酷いよ!! 私を飛ばすなんて!!」
ハァハァと息を荒げ、デカイ狼の顔をカエデに近付けて話す。
「人の太腿を舐め回す人が悪いのですよ。寧ろ、辺鄙な所じゃなかった事に感謝して欲しいくらいですよ」
「あぁ、そっかぁ。ありがとうね!!」
「どういたしまして」
礼を言う所なのだろうか??
まぁいい。さっさと飯を食らわなければ!!
「揃ったようじゃな。では……。頂きます」
「「「頂きますっ!!」」」
先ずは年長者であるイスハとエルザードがおたまでおじやを掬い、木の器に流し込む。
うぬぬ……。あのトロリとした粘度。
見ているだけで涎が……。
「ほれ。使え」
「ありがとう!! しっかりと――。下から掬ってぇっと」
これでもかとおたまにおじやを盛り、器に零れる寸前まで盛ってやった。
匙を右手に持ち、地面に置いた器の中から早速御口に運ぶ。
「はっち!! はち!! はふぁ……」
ツンっとした熱が舌を驚かせ、塩気と卵の柔らかい風味が後から口の中を駆け抜けていく。
熱さに四苦八苦しつつトロっと溶け始めた御米ちゃんを歯に当てるとほろりと砕けてしまう。冷えた体にお誂えの料理に私は心底感銘を受けてしまった。
素朴な料理なのに、どうしてこうも美味しいのかしら。
「んぉっ。んまい」
隣のユウも熱さに目を白黒させながらおじやを噛み締めている。
「そうか!! 美味いか!!」
この言葉に目を輝かせたのはユウの左隣のリューヴだ。
どうやらおじやに手を付けていないのは、私達の様子を確かめる為だったようね。
「中々上出来よ?? アイツが作る料理と遜色ないし」
「いいや、主はもっと早く作ってくれる。この味を出すのに時間が掛かり過ぎてしまったのが失敗だな……」
そこまで気にする必要ないのに。
こういう所でも真面目な性格なのよねぇ。
「ふむ……。レイド様ですと、もう少し塩味を抑えて作りますわよね??」
ちっせぇ口へ上品におじやを運ぶ蜘蛛が話す。
「ん――。そうかもね!! それと、もっと量も多く作ってくれるよ!!」
それに呼応したルーが口の端に米を付着させて勢い良く匙を掲げた。
量、か。
確かにいつもはこの料理にもう一品何かを足してくれるわよね。この前は牛蒡の天ぷらを添えてくれたし。
柔らかいおじやと硬い牛蒡。
全然硬さが違う二つがまた絶妙に合ったのよね。
早く食べたいな。アイツの料理……。
この場に居ない奴の料理を想像しても無駄だ。
今はこの時だけは何もかも忘れておじやに舌鼓を打とう。そして心潤す鍋の底の硬いおこげを誰よりも先に味わったら、苺大福で舌に御褒美をあげよう。
人からしてみれば下らないと思われる私の素晴らしい食事の計画を頭の中で浮かべ、仲間と何の遠慮も無しに交わす会話を楽しむ。
お陰様で今日も美味しい御飯を食べられましたよ、と。
誰に告げる事も無い感謝の言葉を心の中で静かに述べ、陽性な感情に包まれながらおじやの山を小さな匙でえっこらよっこらと掘削していった。
最後まで御覧頂き有難う御座いました。
本日から三連休が始まるという読者様もいらっしゃるかと思います。残暑も徐々に薄まりつつあり秋の匂いが刻一刻と強まる中、外出する人も沢山いますでしょう。
私の場合は……。まぁ、殆ど光る画面と睨めっこをしていますね。
話の続きを待ってくれている人が居ると考えるとおいそれとは休めないのが本音です。ですが、余り張り切ると指が悲鳴を上げ若干戻りつつある体調が更に悪化してしまう可能性もありますので、自分なりのペースで投稿を続けさせて頂きますね。
そんな事を言っている暇があるのならさっさとプロットを書けという読者様達の冷ややかな視線と言葉が画面越しにガツンと届きましたので執筆活動に戻ります。
それでは皆様、良い休日を過ごして下さいね。




