第百八十三話 出発の準備は滞りなく済ませましょう その一
皆様、お早うございます。
本日の投稿なります。
真昼の位置と比べて随分と日が傾き始めて冬らしい空気が漂い始める。
それでも額に汗を浮かべて慌ただしく駆けて行く若い女性の足音が乱雑に絡み合う大都会の喧騒の中に響く。
何か悩み事を胸に抱いているのか眉をこれでもかと顰める壮年の男性。
そして恐妻家の世にも恐ろしい顔を想像しているのか。
「やっべぇぇええ――!! カミさんに怒られちまう――!!」
両手一杯に荷物を抱えて大通りの歩道の上に犇めく人達を器用に避けて全力疾走して行った青年。
数時間前の静寂が嘘の様に王都は人で溢れ返り様々な表情を浮かべている人が行き交っていた。
はぁ――。相も変わらず人で溢れ返っていますなぁ。
文明の花が咲き誇るの喜ばしい事だが、もう少し嫋やかに咲いても宜しいのではないのでしょうか。
森の中でウマ子を引取る際。ルズ大尉は何やら揃える物があると言い俺達より先に行動を開始して姿を消し。
トアとイリア准尉も王都に到着すると本部に報告してくると告げ、互いに軽く手を上げて行動を別った。
ルズ大尉曰く。
本部には今回行われる特殊作戦課の通達を請け負う専門の方がいらっしゃるらしいのです。
その方に所属部隊への通達を直接依頼。そして必要な物資を揃えて先の住所に赴くそうな。
御二人は立派な本部へと向かい、俺はこの何の変哲もない一軒家っと。
「レイドです。失礼します」
見慣れてしまったイイ感じに経年劣化した古ぼけた扉を開き、普遍的且小さな我が部隊の本部の中へ足を踏み入れた。
「お――。お疲れさ――ん」
俺を見付けるとレフ少尉が特に表情を変えずに話す。
いつもの席にこれまたいつもの姿。
本日は雑誌を手に取りまるで家で寛ぐかの様なだらけた姿勢でこちらを迎える。
傍らに置かれたコップの中から白い蒸気が揺らめき、馨しい紅茶の香りを放っていた。
「んで?? どうだった。試験とやらは」
雑誌から表を上げて俺の顔を見上げる。
「はい。御蔭様で一応選抜試験に合格する事が出来ました」
「……。ふぅん、そっか」
普段と変わりない声色でぽつりと言葉を漏らすと再び雑誌に視線を落とす。
「現在の任務については凍結。作戦が終了次第再開されるそうです。召集については通達が後日こちらへ送られるそうなのでご確認下さい」
「あいよ――」
うぅむ……。たった一人しかいない部下に対し、労いの言葉は無いのだろうか。
あっけらかんとした言葉使いに僅かながらの遺憾の念を覚えてしまった。
いや、別に言う必要はありませんよ?? 少尉は士官なのですから。
だが、危険な任務なのは周知の通り。少しでも良いのでこちらの身を案じてくれてもいいじゃないか。
「では、自分はこれで失礼します」
最低限の報告を終えて扉へ向かって踵を返すと。
「…………。本当に、行くのか??」
レフ少尉の沈んだ声が俺の歩みを止めた。
「え?? えぇ。承諾はしました。これから数時間後にとある場所に集合し、任務が開始されます。申し訳ありませんが任務内容は口外しないように言伝を受けていますので」
「私が聞きたいのはそういう事じゃない。特殊作戦課の任務の危険性について、知らない訳じゃ無いだろ。それでも、お前は行くのかと聞いているんだよ」
厳しい口調ながらもどこか温かみが言葉の端に感じる。
そんな不器用な口調で改めて参加の是非を問うてくれた。
「はい。自分は人々の為にと入隊を志願しました。正式な任務では無く、例え非正規の任務であろうが。忠を捧げる事でこの国の有益に繋がるのであれば自分は承認します。それが兵士の本懐であると考えているからです」
レフ少尉の瞳を正面で捉え、視線を一切脇に振らずに答える。
彼女は俺の正直な考えを受け止めると、ふっと肩の力を抜いた。
「はぁ……。まぁ、そう言うと思ったさ。お前さんは真面目ちゃんだしね」
「ちゃんって。自分は男ですよ」
「冗談を真面に捉えるな。本部から通達が来るのは明日以降だよな??」
「えぇ。その様にお伺い致しました」
確か、ルズ大尉はそう仰っていたよな。
「ふぅん。出発はいつ??」
「出発は…………」
危ない。いつもの感覚でうっかり口を滑らす所であった。
「申し訳ありません。任務の詳細は言えない事になっているんですよ」
「おぉ?? 直属の上官である私に言えないって事??」
眉をきゅっと寄せると雑誌を乱雑にぽぉんと机の上に放り、懐から短剣を取り出してして手元で器用にクルクルと回し出す。
「お、脅したって駄目ですからね!!」
「脅し?? これは常日頃から行っている鍛錬ですよ――。物凄く当て易そうな的目掛けて投擲しようと考えているんです――」
片目をきゅぅっと瞑り、俺の体に照準を絞る。
「勘弁して下さい!! ここで負傷したら任務に行けないじゃないですか!!」
「別にいいじゃん、それで。どこの誰かとも知らない奴に部下を預けて。しかも死地へ送り込もうとしているんだ。私も人の子だし?? それ相応にヤキモキしているんです……よっと!!!!」
「ぎぃあっ!!」
あ、あっぶねぇ!! 頬を掠ったぞ!?
心臓に悪い空気を切る乾いた音が耳元を通過し、後方の壁からカンッ!! と甲高い音が室内に響いた。
「はは。良く動かなかったな?? 感心感心っ」
「こ、殺す気じゃないですか!! 一歩間違えてたら重傷処か……」
「さて、質問を続けようか。出発はぁ、いつ??」
この人は一体何本の短剣を所持しているのだろう。
どこからともなく取り出した短剣を再びクルリと手元で操る。
「――――。明日ですよ。時間は未定です」
このままでは任務を開始するどころか、俺の命が危い。
そう考えて致し方無くレフ少尉の拷問の問いに答えた。
「ほう!! 明日出発か。んじゃ、誰の下に組み込まれて出発するのぉ??」
「言えません!!」
「はぁ――――。私が下手に出たらこうだもんなぁ。日頃の教育を見直さなきゃ……。なっ!!!!」
「びぃっ!!」
空気を撫で斬りながら襲い来た短剣が股下数センチを掠めて飛翔し、文字通り肝っ玉が大いに冷えてしまう。
「あ、当たる寸前でしたよ!?」
「大丈夫だって。ちゃんと狙ったもん」
レフ少尉は大丈夫かもしれませんけどね!! 俺の体はちっとも大丈夫じゃないんですよ!!
「ほれ。早く答えろ」
三度、こちらに見せびらかす様に短剣を操る。
「…………。ルズ=ウィンフィールド大尉。その人の下に組み込まれました」
「ルズ?? ん――。聞いた事ないなぁ」
元々レフ少尉は後方勤務だったし、前線又は特殊な任務に赴く彼女とは面識はあるまい。
今も何かを思い浮かべる様に宙を睨んでいるし。
では、この隙にお暇させて頂きましょうかね!!
「前線……。いや、そう言えばあの資料に……。おい、何処へ行く??」
「へ?? あ、いや。必要物資を揃えて集合と承っていますので、それを揃えに出掛ける所ですよ」
と言っても。
ウマ子を預ける際に粗方の装備と物資を厩舎に置いて来たから取りに戻るだけですけどね。
それに数時間後に訪れるカエデに報告しに行かなきゃいけない。
時間がありそうで無いのですから。
「おいおい。私に一切合切の説明していないぞ」
「ですから!! 口外出来ないと申しているではありませんか!!」
人の話を聞かない人だな!!
恐ろしい拷問官から方向転換して安全と安寧が蔓延る外へと繋がる唯一の扉に手を掛けた。
「しらなぁい。――――。その手を扉から放せ」
「……。了承出来ないと申したら??」
「額のド真ん中におっきな穴が開いちゃうかなぁ??」
くそう!! 負傷を理由にして行かせない気ですね!?
だが、この好機を逃せば恐らくレフ少尉の思惑通りになってしまう。任務懈怠責任を負い、軍籍を剥奪されるのは了承出来ません。
すぅ――。ふぅ……。
いいか?? 一瞬で全ての動作を終えるんだぞ??
少尉に背を見せたまま大きく息を吸い込み。
「必ずや任務を成功させて自分は必ずここへ戻って来ます!!!! それでは行って参ります!!」
「待てぇぇええ――――っ!!!!」
一番言いたかったことを叫ぶと同時に素早く扉を開いて、安全が待ち構えている表へ脱出。
後ろ手で振り返らずに扉を数舜で閉ざしてやった。
刹那。
コンっと乾いた音が扉越しに届いてしまった。
この反響音と発生した位置を加味した結果。
「あ、あぶねぇ。眉間のド真ん中に命中してるじゃないか」
少尉は本気で殺すつもりだったのかしら……。
だが、それを言い換えれば。そこまでして任務に参加させたくなかったのだろう。
有難う御座います、レフ少尉。先程申した通り必ずや朗報を届けてみせますからね。
『避けんな!! 大馬鹿やろぉぉおお――!! 次ぃ、顔見せた時は覚えていろよぉぉおお――――!!!!』
前言撤回。
彼女は確実に俺の息の根を止めるつもりだったようですね。
扉から鳴り響く乾いた音の連続、そして軍属の者らしいドスの利いた怒号が響いて来る。
背筋に冷たく嫌な汗を掻きつつ夕暮れ前の若干薄暗い通りを何とも言えない気持ちを抱いたまま進んで行った。
◇
少々慌てた足取りで西大通りに出ると、裏路地に建ち並ぶ家屋で遮られてい冷涼な風が流れ吹き嫌な意味で火照った体を冷ましてくれる。
間も無く夕刻へ突入する時間帯に差し掛かり大勢の人で歩道は溢れ返っていた。その人達の合間に紛れこれからの簡易的な予定を頭の中で順序だてて組み立てていく。
カエデに会うついでに差し入れを渡して、その後厩舎に寄って必要な荷物を受け取る。そして大尉から手渡された住所を頼りに北東区画へと向かう。
うん……。時間がある様で全然足りていませんね!!
差し入れの品は当然食べ物。
取り敢えず皆が等しく満足する物を探しに中央屋台群へと向かいましょうか。
人のそれよりも速足で歩道の上を進み始めると試験会場で出会った彼女の顔がふと浮かぶ。
ルズ大尉、か。
初対面の印象は任務に忠実であり、任務達成の為なら手段を厭わないであろう姿にどことなく冷たさを感じた。
いや、兵士の鏡の姿ですよ?? 任務に忠実なのは。
でも温かい感情を持つ人としては何かが欠如している。そんな印象も見受けられた。
そんな彼女から受けた別れ際の言葉。
『死神』
通り名として上層部からそう呼ばれているらしいが、どういった意図で呼ばれているのだろう??
勿論、好ましくない意味で呼ばれているんだと思うけど。
どのような経緯でその様に呼ばれているのか。頭の片隅に様々な考察が居座りどうにも気持ちの悪い感触を与え続けている。
う――ん……。
後で、機会が在ればさり気なく伺ってみるか。
分隊で行動する以上、隊長命令に従わなければならないので。ルズ大尉の事を少しでも信用する為に情報は多いに越した事は無い。
彼女を信用しない訳じゃ無いけど。
このどうにも言い表せない気持ち悪い感触は、信に足る人物である事を証明したいが為に生まれているのだろう。
釈然としない気持ちを胸に抱いていると、微かに赤く染まった空の下。二本足で立つ動物達の群れが正面で蠢いていた。
彼等が踏み鳴らす石畳からは鼻腔を悪戯に刺激する土埃が舞い上がり、耳を不快にさせる騒音が発せられ。それ以上近付くとどうなるかわかっているな?? そう如実に伝えて来た。
相変わらず、大盛況ですなぁ。
出来る事なら迂回したいけど皆の為だ。ここは一つ気合を入れるとしますかね。
「お待たせしました――!! ゆっくり進んで下さいね――!!」
素敵な労働の汗を浮かべる交通整理のお姉さんに進行の許可を頂き、大勢の人と共に戦場と呼んでも過言では無い人の波へと突入を開始した。
マイの奴。よくこんな人波に耐えられるな。
蠢き荒々しい波に乗りつつ、狭い空間で隣合う人の足を踏まない様に躍起になって移動を続けていた。
アイツは、まぁ……。
飯の為なら多少の苦労は厭わないだろう。
だが、それに続くユウとルーの苦労は計り知れない。
『わっわっ!! あれもこれもぜ――んぶ美味しそう!!』
移動する人々の合間を縫って目を燦々と輝かせて数多ある屋台を右往左往。
他者から見れば迷惑にも見えるこの行動だが、光り輝く彼女の顔を見た通行人達は。
『そんな顔をしているのなら、仕方が無いな』
と、朗らかな気持ちでマイの顔を見送り己の好物を探し当てるのだろう。
『んびゃっほう――!! アレ!! 私アレ食べたいっ!!』
アイツの元気爛々な幻影が俺の目の前を通過し、器用に人を避けて駆けて行った。
ちゃんと師匠の指示に従っているのだろうか??
あの幻影が多大なる不安を胸の中に生じさせてしまう。
俺の目が無いからって食料を良い様に漁り、我が物顔でむしゃむしゃと平らげる。
『ボケナスぅ――!! お代わりっ!!』
満面の笑みで人様のパンをペロリと平らげて口角が上がりっぱなしのマイの姿が頭の中に浮かぶ。
『ある訳ないだろ!! 大体、それは明日用の飯だ!!』
そうそう。こうやって文句を言いつつも心のどこかでは。
『しょうがない奴だな』
そうやって認めてしまっているもう一人の自分がいるんだよなぁ。
勿論?? 小一時間程説教はしますよ??
俺の話を聞きやしないのは知っているけどさ。皆の手前、それを看過すべきではありませんからね。
「いらっしゃ――い!! 冬の味覚を如何ですか――!! 当店のいちご大福。是非、御賞味下さい!!」
アイツの顔を思い浮かべていたからかそれとも俺の第六感が働いたのか。
左右から飛び交う店主達の声の中に聞き逃すべきでは無いと頭が判断した女性店主の声を捉えた。
苺大福??
苺は当然知っている。赤くて可愛い小粒の果実だろ??
それを大福で包んだの、か??
ちょっと気になるので店の様子を窺ってみましょうかね。
「すいません。通りますね」
人の波を不器用に掻き分け、嬉しい汗を流している女店主さんが経営している屋台の前へと躍り出た。
彼女のお店の前には五名程が綺麗に並び。珍しい苺大福を待ち侘び、逸る気持ちを抑えつつ列を形成していた。
店の前。
ちょこんと立て掛けられた看板には。
『銘菓、いちご大福!! 甘い小豆の餡でいちごちゃんを包んじゃいました!!』
と、女性らしい丸っこい文字で描かれていた。
ふぅむ……。女性に狙いを絞った戦略ですかね。
幸か不幸か、差し入れを送る者達は全員女性。この商品でも良いかな。
一個百五十ゴールドと良心的な値段だし。
そう考えて男としては多少居心地が悪い女性のみの列の最後尾へと並んだ。
「わぁ、美味しい!!」
「んふっ。苺の甘酸っぱさがまた合うよね!!」
ほぉ――。どうやら俺の見立ては正解だな。
苺大福を受け取り、早速食んだ二人の女性は目をキラキラと輝かせ。女店主さんが丹精込めて作り上げた果実と小豆の織り成す魅惑の舞にすっかり魅了されていた。
つまり、女性は女性目線に沿った考えで商品を提供出来るという訳ですね。
ただ男の俺としてはガッツリ腹に溜まる物を食って力に変えて、襲い掛かる仕事に打ち勝つ。そんな雄の為の御飯を求めたいね。
それを見事に体現したのは男飯の料理だ。
あそこ程俺の願望に応えてくれる店はあるまい。
苺大福とやら。君はこの俺の胃袋と願望を叶えさせてくれるのかい??
「次の御方、どうぞ――!!」
自分の心の中で下らない押し問答をしていると、女性店主が俺の目を捉えた。
「御幾つ買って行かれますか??」
あの食いしん坊の龍ならまだしも、師匠に変な味の物を提供する訳にはいかん。
先ずは味を確かめてみたい。
「あの。差し入れ用に検討しているのですが、一つ賞味しても宜しいでしょうか??」
「構いませんよ!! ――――はい、どうぞ!!」
「どうも」
女店主の小さな手から苺大福を受け取ると、財布から現金を手渡してあげた。
モチモチとした柔らかい皮、手に持つと柔らかさで皮が破れてしまうのでは無いかとこちらに錯覚させる。
指先で摘まむとふにっと形が変形する。
やわらかっ。
見た目以上の柔らかさに若干の不安を覚えつつ、早速口の中に迎えた。
「――――。美味しい!!」
舌に先ず感じたのは皮の柔らかさ。
前歯で皮をちょこんと裁断すると小豆の甘味が溶け落ち疲れた体と心を癒してくれる。
そして、問題の苺は……。
小豆と甘みの最強の相棒として、ガッツリ肩を組んで俺の舌を攻撃し始めた。
水々しい果実の爽やかさと、ちょっとだけ大人ぶる見栄を張った若気の至りの酸っぱさが舌を大いに喜ばせてくれた。
「ありがとうございます!!」
「いやぁ、驚いた……。苺をこんな風に利用するとは。良く考えましたね??」
「故郷が北に位置していまして。そこの街では昔からこうした使い方も考察されていましてね?? 私はそれを見様見真似で作っただけなんですよ」
えへへと年相応の笑みを浮かべる。
見様見真似でも此処までの味を出すのにさぞや苦労したのでしょう。お若いのに頑張っていますね。
「じゃあ、これを……」
えっと。
師匠とエルザード、それにマイ達合わせて八人だろ??
一人二つとして十六……。
いかん。あの暴食龍は二つじゃ足りん。
それを加味すると……。
「ニ十個下さい」
三十個は多過ぎるし、かといって十六個では心許ない。
キリの良い数字で注文した。
「ありがとうございます!! ――――差し入れと仰いましたよね?? 箱の中にお詰め致しましょうか??」
「あ、助かります」
適当な袋に詰めて渡すのは流石にね。こちらを見越した行動に好感を抱く。
接客態度、味、そして値段。三拍子揃ったこの店はきっと売れるぞ。
「では……。三千ゴールドになります!!」
「――――はい、どうぞ」
「毎度ありがとうございましたっ!! またのご利用お待ちしております!!」
紙袋の中に四角い箱を詰めてこちらに渡してくれる。
それを受け取った俺は大きな満足感を得て列を離れた。
ふふ、この甘くて優しい味。さぞや師匠も喜ばれる事であろう。
意外と甘い物好きだし、きっと尻尾がピンっと伸びて目尻を下げるに違いない。
『んむぅ!! 美味い!! 良くぞ見つけたな!!』
ニパっと笑みを浮かべる師匠の笑顔を思い描き、西大通りへと舞い戻るともう懐かしいと感じてしまう聡明な声が頭の中に響いた。
『レイド。今、どこ??』
『カエデか!! 今、中央屋台群寄りの西大通りだよ。そっちに向かっている所だからもう少し待ってて!!』
『分かった』
聞き慣れた声色についつい表情が解れてしまう。
いかん、周囲から変な目で見られるのは了承し難い。
顔を真面目に保たないと。
顔面の筋力に喝を入れ、逸る気持ちを抑えつつ西大通を進んで行く。
今、口喧しい連中を纏めるのはカエデなんだよな??
いつもは俺が齷齪と叱っているが、その存在が不在となると……。
『ギャハハ!! 食え食え!!』
『あはは!! マイちゃん、もう食べられないよ――!!』
『だ――!! 止めろ!! マイ!! あたしの上に乗るな!!』
『皆さん。いい加減に静かにしたらどうですか?? 明日も早いんですよ??』
カエデが眉を顰め、勝手気ままに暴れ回る大魔達を叱っている姿が頭の中に映し出され。彼女の気苦労を労う為に何か出来ないかと考えていた。
カエデが喜びそうな物……。
ん――……。食事は用意しちゃったし。更に別の物を買いに行くのにも時間がぁ……。
「んっ。もぉ――。変な所掴んじゃ駄目だよ??」
「あはは。ごめんね?? 君の可愛さに手が我慢出来なかったみたい」
「ふふ、それなら許してあげるっ」
眉間に皺を寄せてこれでもかと説教を放ってやりたくなる男女の絡みを無視して、本日も大盛況な銀時計広場の前を通過した際。
ふと書店の看板が目に入った。
本、か。
休む時にいつも読んでいるし、特に苦労を掛けるカエデには別に差し入れを用意するべきだよなぁ。
うん。丁度いいや。
何か適当に見繕って買って行こう。
大通り沿いの店としては若干の傷が目立つ本屋さんの扉を開けてお邪魔させて頂いた。
「いらっしゃいませ」
入り口付近の受付にいる物静かな男性店員が、耳に心地よい声量で迎えの一声を掛けて来る。
知識欲を高めてくれる紙独特の香り、そして僅かな埃と木の香り。
本屋さんって独特な匂いがするよなぁ。
俺個人の意見だけど、普通の店とは一線を画す匂いが本屋の特徴だと考えている。
目を瞑りここはどんな店かと聞かれたら十中八九当てられる自信があるぞ。
まぁ、そんな事はどうでもいいとして。
時間が無いし、カエデに似合う本を探さねば。
本棚と本棚の合間を縫い、それらしい本を視線と足を動かしながら捜索し続ける。
う――ん……。
これなんかどうかな??
『恋はいつも小さな出来事から』
何気無く一冊の本を手に取り、目次を開くが……。
はいっ!! 駄目です!!
開幕直後からとんでもない濡れ場が登場してしまったので速攻で本を閉じ。元の位置に戻して移動を開始した。
あんな本を渡したら。
『卑猥』
端的且的確な言葉で罵られてしまうだろう。
話は全部見なきゃ分かんないけど、男女の描写というか妙な生々しさが目立つ内容だったもの。
忙しなく四方へ視線を動かしながらも、コレ!! という本が見つからないまま最奥に到着してしまった。
不味いな。
これ以上時間を食う訳にはいかないぞ。カエデは既に到着してたった一人でこちらを待っているのだから。
今一度最初から探索を開始しようかと考えていると、ある本の題名に目が止まった。
うん?? この本の題って……。
最奥の本棚の下。目に付き易い位置に、特徴的な見出しと共に数冊の本が積まれていた。
その見出しには。
『モール氏が手掛ける探偵系列モノ。恋慕からの脱却。本日の夕方から電撃発売ですっ!! 凸凹の二人が繰り広げる物語は一見の価値アリですっ!!』
あぁ!!
この本の題、見た事あるぞ。
普段特に表情を変えないカエデがこの作者の本だけはふんすっ!! と鼻息を荒げて読んでいたもの。
しかも、今日この時間からの発売だし。本の虫でもある彼女は読んだ事が無いだろう。
ふふ、これに決めた!! きっと喜ぶぞ……。
一番上の本を手に取り、早速受付へと向かった。
「いらっしゃいませ」
「これ、お願いします」
先程の本を男性店員の前に置き財布を取り出す。
「毎度ありがとうございます。五百ゴールドになります」
へぇ、結構安いんだな。
新刊だから結構な値段すると思ってたけど。
「じゃあ、はい。これで」
御釣りが出ない様に現金を渡す。
「――――紙袋に入れますか??」
世の中にはこのまま持って帰る人がいるのだろう。
だけどこれは個人に渡す用だし。
「お願いします」
「畏まりました。…………どうぞ」
一瞥を交わし、彼から柔らかい手触りの紙袋を受け取り鞄に仕舞い店を後にした。
よし!! これで差し入れは滞り無く揃えたぞ!!
これ以上カエデを待たせると、怒りの稲光が頭上から降り注いで来るかも知れないし。
素早く、しかし人に迷惑にならない足取りで向かおう。
西門の外へ目指して駆け出したい思いを懸命に抑えようとするが、彼女の怒りの姿が脳内に映し出されるとどうしても速足となってしまう。
海竜様から仕置きとして与えられる激烈な稲妻の雨が刻一刻と迫る中、俺は人で溢れ犇めき合う歩道の上を大変もどかしい思いを抱きながら進んで行ったのだった。
お疲れ様でした。
昨晩、帰宅時間が大変遅くなってしまった為。朝一番からの投稿になってしまいました。
それでは皆様、引き続き休日を満喫して下さいね。




