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第百七十八話 師の言いつけは絶対遵守

お疲れ様です。


本日の投稿になります。


話を区切ると流れが悪くなる恐れがあった為、長文となっておりますので予めご了承下さい。




 白濁の湯に揺れる泡沫の三日月。何処かで跳ねる水の心地良い音。そして辺り一面を包む美しく幻想的な蒸気。


 湯に浸かる行為とは疲れを溶かして疲弊した精神を癒す行為なのだが……。



 日に何度も浸かるともなると飽きて来るものである。



 そりゃあねぇ。朝から晩まで湯に浸かれと言われれば、湯を食べて生きる者では無い限り少なからず飽きてしまいますよ。


 師匠の命令だとは言え俺の皮膚は龍の甲殻では無いのでそこまで丈夫とは言えない。


 現に指先は皺くちゃになり、腕の皮膚もほんのりと熱を帯び赤く染まっていた。



「ふぅ――……」



 肺の中に溜め込んだ息を長く吐き出すと湯から立ち昇る蒸気が微かに揺れ動き、形容し難い形となって天へ昇って行く。



 いいよなぁ……。マイ達は師匠とエルザードから指導を受けられて。


 召集の理由を伺った後、彼女達は意気揚々と訓練場へ赴き気持ちの良い汗を流していた。


 さり気なく合流しようと気配を消して皆の中に紛れていたが。



『これ。お主は安静にしておれ』



 速攻で見つかり御咎めを受けてしまった。



『か、軽い組手なら出来ますよ』


 そう言い訳がましく話してみたが。


『師の命令には絶対服従じゃ。湯に浸かり、怪我を癒せ。これは命令じゃよ』



 師匠のドスの利いた声を受けてがっくりと肩を落とし、巨大な溜息を吐き、項垂れつつ湯治に専念を始めて今に至る。



 でも、見方によっては贅沢だよな??


『一部を除き』 素晴らしい質と量の三食が付いて。しかもこんな広い湯を独り占めに出来るのは贅沢以外の何物でもあるまい。


 只、問題は回数なんだよ。


 朝一番から五回も湯に浸かれば湯当たりしちゃうって。



「…………。如何なさいました?? レイド様」


「元気にゃいよ――」



 独り占めってのは些か語弊がありましたね。


 本日最後の湯治には使い魔のペロ、東雲の両名が付随している。



「くっは――!! 毛並も喜ぶ効能だにゃ――」



 俺と同じく岩に背を預け顔の筋肉が弛緩しきっている茶の虎猫。



「く、くぅっ!! 風の勢いで流れてしまう!!」



 プカプカと水面に浮きつつ両足と漆黒の翼を器用に動かして俺の胸元に留まろうと必死になっている烏。


 俺が一人で浸かるのは寂しかろうとカエデとアオイがこの愉快な両名を寄越してくれたのだ。



「いや、知っているでしょ?? 俺がお留守番食らったの」



 わざわざ湯に付き合ってくれているのに失礼かとは思うが、言葉の端に苛立ちを含ませて話す。



「あ――。そうだったっけ?? 仕方がにゃいよ、カエデにゃんの助言を無視して怪我を治さないまま出発したんだし」



 価値観を共有出来る親友との出会い、愛する者との出会いと別れ等々。


 長い人生生きていれば本当に様々な出来事と出会う事になる。


 そこまで長く生きているとは自負していないが……。それでもよもや猫に諭されるとは思わなかったぞ。


 これも貴方の人生の糧にしなさいと、目に見えない人生さんから与えられた教示なのかしらね。



「そりゃあ俺が悪いけど。でもさ、カエデに頼りっぱなしってのは駄目だろ」


「そうでもにゃいよ――。カエデにゃんはレイドに頼られる事が嬉しいと感じているにゃよ??」


「何だそりゃ。迷惑でしょ?? 毎回毎回あれこれと頼んだら」



 俺だったらそう思うけどな。



「これだから馬鹿真面目君は……」



 馬鹿真面目君……。


 最近、飼い主さんに似て結構毒を吐く様になったよな。この虎猫。



「良く聞くにゃよ??」


「おう」



 きゅっと縦に割れた瞳孔が俺を捉える。



「レイドにゃんは頑張り屋さんだにゃ。それは皆が認めている。でも、過剰な労力に見合う働きをしてるかと言われればそうは思わない。要はあれにゃ、頑張り過ぎても空回りするだけにゃよ――」



 皆にこれ以上迷惑を掛けてはいけないと考え、無理を通して王都へ帰還。山の様な報告書が待ち構えていると想定すればこの様な愚行を決断しようとは考えられない。


 つまり、我が分隊長殿の命令に大人しく従い怪我の治療に専念していれば幾分か疲労は分散出来た訳になるのだ。



「空回りねぇ。まぁ、今回の場合はそれに当て嵌まるかもね」


 手拭いをきゅっと搾り、頭の上に乗せて話す。


「レイド様は良く出来た御方です。しかしそれが仇となり。この大切な御体に疲労となって返って来ているのです」



 一羽の烏が嘴の先端でちょこんと胸を突く。



「先日の徹夜が良い例ですよ?? 目の下のクマは、多少は取れましたが。まだ体の芯に疲労が色濃く残っています。この湯でしっかりと溶かして選抜試験に臨むべきです」


「ありがとう。真摯に受け止めるよ」



 ぷかりと浮かぶ東雲の体を両手で掬い、しっかりと胸元に留めてやる。



「ふふ、ありがとうございます。何分、まだ泳ぐのは苦手でありまして」


「だろうね。足に水かき付いていないから大変でしょ」



 水鳥によく見られるあの形状は東雲には付いていないし。


 こうして留めておかないと目を離した隙に遠くへ流されちゃうもんね。



「大変ではありますが、今はそれが嬉しくも思います」


「うん?? どうして??」


「こうして、レイド様と体を密着させて湯に浸かれますから……」



 そんな事が嬉しいのか??


 これだけ広い湯なのだから羽を伸ばして休めれば更なる効用が得られるかも知れないのに。



「カァッ!!!! し、失礼致しました!!」


「どした?? 急に声を荒げて」



 何かに気付いたのか。ハッとした声と顔で話す。



「レイド様の御体はアオイ様の物でした。私の様な使い魔が独占してはいけません!!」


「いやいや。勝手に決めないの」


「ひゅ――ひゅ――。もてる男は辛いにゃね――」



 どこで覚えたの?? その言葉。



「レイドにゃんはレイドにゃんのやるべき事をすればいいにゃよ。今回は偶々日程が重なっただけにゃし、イスハにゃんも本当は連れて行きたかった筈にゃ」


「本当かぁ?? ペロや東雲の御主人様に比べると俺の実力なんてちっぽけなもんだろ」



 大地を割り天を穿つ事を可能にした魔力を持つカエデ。


 凛とした佇まいからは到底想像出来ない力を宿すアオイ。


 そんな二人に比べたら俺なんて……。同じ視線から物事を語るのも憚れるものさ。



「ご謙遜なさらずとも宜しいですよ?? レイド様の実力は着実に成長しております」


「そうそう。この前なんか、びっくりする程に魔力が跳ね上がったにゃよ??」


「この前??」



 頬を伝う汗を手拭いで拭って問う。



「ほら。おっぱい番長を救出した時にゃ」



 おいおい。今の台詞、ユウが聞いたら怒るぞ。



「あの時は無我夢中だったし。それに…………」



 龍の力を頼ってばかりじゃ駄目だろ。分を弁えない力は身を滅ぼすだけだ。


 しかし、その力を発揮しないと彼女達の足元にも及ばない。


 この相対的事象に頭を悩ませているのもまた事実。



 どうしたもんかね。



「力に飲み込まれない事はできにゃい??」


「無理だね。あれを御す事が出来ればそりゃ越した事は無いけど。先ず不可能だな」



 精神世界で凶姫さんと会話をしたけども。


 その会話の途中で何気なく放たれた指先は首を傾げたくなる威力を備えていたし。最古の悪魔と呼ばれる彼女を御す方法があるとはとてもじゃないけど思えない。


 それに、彼女を越える力を持てと言われても無理だ。


 とどのつまり、俺に彼女を御す方法は残されていないって事が結論付けられるね。



「最初っから決めつけているから無理にゃ。何事も努力して、高い壁を越えようとするから人は強くにゃるの。お分かり??」


「――――なぁ」



 湯に浸かったまま顔どころか、体全体を弛緩させている虎猫に向かって語り掛ける。



「にゃに――??」


「どこかで頭でも打った?? いつにも増して真面目じゃないか」


「し、し、し、失礼にゃ!!!! 人……。基、一匹の猫がこうして心配してあげてるって言うのに!!」



 がばっと体を起こし、鋭い爪を立てて俺の腕を引っ掻く。



「いてっ。はは、ありがとうね?? ペロの言葉を聞いて少しは楽になったよ」


「ふんっ!! なら良しにゃ!!」



 御主人様とそっくりの鼻息を放ち、腕を組み直して元の姿勢へと戻る。


 その姿はどこからどう見ても人の所作と変わらなかった。



 決めつけているから、無理ねぇ。


 凶姫さんはあくまでも実体を持たぬ存在。


 それに対して恐れ戦き、畏怖するのは己自身をそう見ているのと同義なのかな??


 心身一如。


 心と体は表裏一体と言うが、鍛え抜かれた精神で彼女を御す事が可能になれば自由自在に龍の力を使用出来るんだよな??


 駄目元で練習してみるか……。


 どういった練習の仕方があるか分からないけど。


 今度師匠かエルザードに聞いてみよう。



「ふわぁ――……。本当に良い湯にゃね――……」


「疲弊した体を癒す湯、そして心を満たしてくれるレイド様の胸板。あぁ……。真の桃源郷はここに合ったのですねぇ……」



 今は大人しく心と体を真剣に休息させる事に専念すべき。


 猫と烏に諭され幾分か晴れた気持ちを胸に抱いて煌びやかに瞬く星空を見上げる。


 そして茹で蛸さんはきっと俺と同じ気持ちを抱いて茹でられているのだろうと、若干可笑しな妄想を描きつつ引き続き湯の効能を堪能していた。



















 ◇




 朝も早くから腹一杯食べて体をこれでもかと動かし。一日を頑張ってへとへとに疲れ切った体に御褒美の栄養を再び与えてあげる。そして、こんもりと盛り上がったお腹ちゃんを満足気にポンっと叩いて心地良い眠りに就く。



 まさにこれこそ私が追い求めている理想的な一日の過ごし方。



 そして此処はその理想を叶えてくれる場所であると、本当にびっくりする程に再認識出来てしまった。


 只一つ問題があるとすれば栄養の量なのよねぇ……。


 流石の私も丼二十……。ありっ?? 夕食は何杯平らげたっけ??



「ユウ――」



 相手の気持ちを労わる様に慈悲深く、そして優しく声を掛けるが。



「何??」



 返って来た言葉の端に辛辣さが滲み出ていた。



「何よ。もうちょっと優しく返事しなさい」


「あれだけ食べたく無いって言ってんのに……。お前さんが張り切るから、そのとばっちりがこっちまで飛んできたら誰だって邪険になるだろう??」



 私と同じ様に仰向けになり、今にも何かが口から飛び出して来そうなユウがじろりとこちらを睨んだ。


 ちゅめたい目線だこと。可愛い顔が台無しよ??



 朝、昼、晩。


 その全ての食事は私の胃袋を大変に満足させてくれるものだった。


 しかし、胃袋が貧弱な者共にとってそれは苦痛なだけみたいで?? 平屋の大部屋のそこかしこでは呻き声が上がり。ここはさながら地獄の一丁目と錯覚してしまう程に悲惨な光景が広がっていた。



「まぁまぁ、いいじゃない。怪我の後遺症も無いみたいだし」



 朝ご飯を終えていつも通りにイスハ相手に組手を行ったが。彼女に気になる異変は見られなかった。


 寧ろ、以前よりも機敏にそして爽快に動いていた。


 その事に私は態度や言葉には表さなかったが内心、心が躍る様に嬉しかった。



 いつものユウが帰って来てくれた。


 それだけでお腹一杯だったのよねぇ。


 ――――。


 これは勿論、心の栄養の話ね?? 体の栄養はこれとは別さっ。



「痛かったら組手なんてやろうと思わないって」


「そりゃそうか。あ、そうそう。夜御飯でさ私、丼何杯食べたっけ??」



 当初聞こうとしていた質問をさり気無く問うてみる。



「えっと――。あたしが十杯で、リューヴが……。お――い!! リューヴ!! 丼何杯食べた――!!」



 こちらと反対の壁際。


 狼の姿で苦しそうに仰向けに横たわり、ハッハッと呻き声を放つリューヴへ声を掛けた。



「十……五だ。苦しいから声を掛けるな……」



 ほぅ!! 以前より食べられる様になったじゃん!!


 うんうん!! 良い傾向よ!!



 それに比べて他の連中と来たら……。全く目も当てられない慎ましい量をモクモクとしみったれた勢いで食していたわね。


 蟻の一口の方がもっとデケェぞ!! と叫んでやっても箸を動かそうともしないんだから始末が悪い。


 私は体を鍛える稽古よりもこっち方面の特訓を希望するわ!!



「んで――。ルーが七杯で、アオイとカエデが六杯。駄目だぞ――、三人共。病み上がりのあたしより食べられないなんて」


「ユ、ユウちゃんは元々食べられる方でしょ!? 私達はそこまで食べないの!!」


「そ、そうですわ。体には限界というものがありますのよ!? それなのに馬鹿みたいに御飯をよそって……」


「喋るのもキツイ……」



 へっ、雑魚共が……。


 二桁も食べられないなんて大魔の名を受け継ぐ者にも値しないわ。


 三者三様。


 大いなる憐憫を含ませた瞳で例の如く苦しそうに横たわる大魔達を見つめてやった。



「んで、お前さんが二十二杯だ」



 妥当な数字って所ね!!


 おかずがあればもう少し入れられたけど、気が付いたら御米ちゃんが消えていて。んで一通り満足して箸を置いたんだった。


 明日の朝ご飯は何かなぁ??


 生卵は当然だとして、他のおかずが気になってしょうがない。


 今朝は醤油の配分を間違えちゃったし、明日は細心の注意を払って掛けよう。


 ワクワクした気持ちでまだ御目見えしていない素敵な朝食の幻想を想像しつつ所々の染みが目立つ天井を見つめていると。



「ただいま――」



 風呂上りの野郎が帰って来た。


 朝から晩まで風呂に浸かりっぱなしの所為か表情に気怠さが目立つ。


 しかし、どうやらその効果は如実に現れているようで?? 右手の痛みも引いて来たと、昼食時に言っていたわね。



「お帰り。湯当たりしたんじゃない??」


 天井から戸の方へ視線を動かして話す。


「湯当たりねぇ。そりゃ五回も入ればなるだろうさ。どう?? 皆の様子は……」



 私に問おうと顔を上げるが。


 六人全員が畳の上で仰向けになっていれば物言わずとも理解出来たのだろう。


 靴を脱ぎ、畳の上に足を乗せるとスタスタと軽快な音を立てて奥の部屋へと進んで行く。



「レ、レイド様」


「ん?? どうした、アオイ」


「く、苦しくて動けませんの。その逞しい腕で私を抱いて移動させて下さいましっ」



 けっ。


 なぁにが、抱いて下さいまし――っだ!!!!


 ガキじゃねぇんだから自分で動けっつ――の。



「時間を置けば動けるようになるさ。俺は皆の布団を敷くからね」


「お――。悪いね」



 ユウがいつもの快活な笑みを浮かべて言う。



「皆が疲れて動けないんだから、その分俺は補助に回るよ。よいしょっと!!」



 奥の小部屋へと足を踏み入れ、襖から布団を取り出していつもの配置にテキパキと綺麗に並べて行く。



 ふぅむ……。組手の最中の水出し、的確な助言。そして今の様な細かな気配り。


 ひょっとしたらアイツは私達の小間使いになる為に生まれて来たのでは無いかと錯覚してしまう程に気が利く。


 まぁ体が動かせないからあぁして少しでも動いて心の奥から沸々と湧く運動意欲を誤魔化しているのだろうさ。


 私達が組手を行っている最中も気が付けば訓練場の端の方で真面目に走っていたし。



「レイド――。御風呂、どうだった??」



 使用人も思わず頷いてしまう中々の所作で布団を敷いていると、お惚け狼の横着な前足がボケナスの足をちょんと突く。



「良いお湯なのは確かだけど。何度も入るとちょっと、ね。ってか、そこ邪魔」


「動けないから仕方ないでしょ――」


「はぁ……。仕方が無い。んしょっと!!!!」


「おぉっ!! ありがとうね!!」



 布団の角度をキチンと整え毛布の耳を敷布団の下に仕舞うと狼を抱き上げて完成した布団の上に乗せてしまう。



 あ――あ――。後先考えないでやっちまって。



「レ、レイド様!? そこの獣は良くて、私は抱いてくれませんの!?!?」



 ほらね?? あの姿を捉えた蜘蛛の鬱陶しい金切り声が上がる。


 もうちょっと考えて行動しなさいよね、ったく。



「あ――も――。動かすだけだからな!!」


「あんっ。ふふっ……。これが俗に言う御姫様抱っこなのですわねぇ……」


「ちょっと!! くっつかないで!!」



 蜘蛛のほっせえ体を無理矢理くっつけられたら誰だって嫌がるだろうなぁ。


 あいつが私にくっつく姿を想像すると吐き気を催してしまう。


 絶対そんな事は起こり得ないだろうけどさ。



「おら、さっさとそこの阿保蜘蛛を寝かせろ。五月蠅くてしょうがないわ」



 キャッキャウフフしている姿を見ていると無性に腹が立って来るのは何故かしらねぇ。


 まぁ、ただ単に蜘蛛のきっしょい奇声を聞きたく無いのだろう。



「あらあらぁ?? 細い私なら兎も角。あの様な太い寸胴もびっくりな御体は持ち上げられませんからねぇ……」


「て、てめぇ!! 誰が太いってぇ!? う、うぷっ!?」



 あ、あぶねぇ!!


 蜘蛛を張り倒そうとしてがばっと上体を起こしたら。



『今、動く事は許さんぞ!?』 と。お米さんから御怒りの声を受けてしまった。



 外の新鮮な空気を吸おうと口から脱出を図る彼等を必死に留めてあげた。



「お――い。また吐くなよ??」


「ユウ、安心しなさい。その時が来たらあんたの体になぁんの遠慮も無しにブッ掛けてあげるわ」


「や、止めろ!! それだけは絶対止めろよ!?」



 ふふふ。


 それはやってと言っている様なもんよ??



「あ、主。出来れば、私も頼む……」


「リューヴは仕方ないよな。頑張って食べていたし」


「すまぬ……」



 あ――ら、あらあら。強面狼もさり気なく便乗ですかぁ??



「レイド。ついで」


「おう」



 なんと、あの御堅い海竜ちゃんもこの流れに乗るとは。


 ツルツルスベスベの頬をぽっと朱に染めて軽々と運ばれて行く。



「カエデ、もう少し筋力付けたら?? 軽過ぎるぞ」


「これが適正なのです」



 あれが適正!? 嘘でしょ!?


 死にかけた七面鳥よりも細い体じゃん!!



「適正ねぇ。でも、ちゃんと走り込みにも付いてこれているし体力も向上している。度を越えた筋力は必要無いのかもね」


「人には適した筋力に適した御飯の量があるのです。適量を越えた栄養はかえって毒ですよ」


「はは、そう怖い顔しないの。ここで良い??」



 カエデがいつも休んでいる布団の位置へ到着すると、胸元で可愛く怒っている彼女へ確認を促す。



「うん、いいよ」


「よいしょっと。――――ふぅ。これで移動は完了だな」



 これにて仕事は完了。


 そんな感じで額に浮かんだ汗を右手の甲でクイっと拭って一つ息を漏らした。



「お――い。あたし、まだなんだけど??」



 ユウさんやい。あんたもそっち側かい??


 悪の大首領の様に何やら悪巧みした笑みを浮かべているし。



「はぁ?? ユウは大丈夫じゃないの??」


「うっ!!!! あ――、背中が痛いなぁ!! ど、ど、どうしよう!? 動けないぞぉ――!?」


「それを矢面に出しちゃ駄目だろ……。まぁついでだし動かしますよ、っとぉ!!」


「おぉっ!?」



 隣で寝転んでいたユウの体を軽々と抱き上げて移動して行く。



「へへ、いいねぇ――。偶には甘えてみるもんだ」



 あら、まぁ……。随分と嬉しそうな声を上げてうっとりした顔しちゃってまぁ。


 大好物を捉えた犬の様に口角がホフっと緩み、体が不安定にならない様にアイツの首に両腕を絡めている。


 その姿はどこにでもいる恥ずかしさで顔を朱に染める女性と何ら変わらなかった。



 私達は九祖の血を受け継ぐ者と言えども、その外面を剥いだら一人の女性だ。


 男に抱き抱えられたら恥ずかしくもなるか。



「ここでいいよな??」


「ん。宜しく」


「ほれ、どうぞ」


「へへ。役得だな」



 ぽすんっと布団の上に寝転がり、同じ女性でもきゃわいいと思える笑みでボケナスを見上げる。


 それを捉えた刹那。何故だかチクンと心が痛んだ。



 あり?? 何だろう。今の痛み。


 ユウが嬉しそうに笑っているだけじゃない。別にいつもと変わらない風景なのに……。



「お前さんはどうする??」



 手をぱぱっと払い、こちらへ振り返る。



「は??」


「ついでだし、動かしてやろうか??」



 そのついでって言葉が余計よ。


 でも、まぁ――――……。ついでなら……。


 私は誰よりも沢山動いて、大量に食べて、舌がカラッカラに乾くまで喋って疲労困憊なのだから別に構わんか。



「おう。さっさと運べや」


「おいおい、人に物を頼む態度じゃないな??」


「覇王の娘、しかも由緒正しき九祖の血を受け継ぐ私を運べるなんて幸せに思いなさいよ?? 世の男性はきっと羨望の眼差しで……。きゃぁっ!?!?」



 ン゛ッ!? 何だ今の軟弱な声は!?


 私が出したの!?


 余りにも女々しい声色に対し、発した己でさえも驚いてしまった。



「どうした?? 奇声出して」


「き、奇声!? そりゃいきなり持ち上げられたら誰だって驚くでしょ!!」


「いでっ!!」



 右拳を軽く握り、ボケナスの顎を下からこつんと叩いてやった。



 これはうん……。照れ隠しだと思う。


 こうでもしないと恥ずかしさを隠し切れないと、もう一人の私は考えたのだろう。

 

 本当は礼の一つや二つ言ってやってもいいけど皆の手前。それはちょっと、ね。



「何も殴る事ないだろ」


「変な言葉を使ったあんたが悪い」


「辛辣な事で」



 う、うぅむ……。何だろう、この不思議な感覚は。


 両足は宙に投げ出されてボケナスの動きに合わせてプーラプラと動き。私の可愛いお尻ちゃんも随分と不安定なんだけど……。どこか安心出来てしまうのは何故かしらね。


 こいつの腕の所為?? それとも心のどこかでこいつに体を預けても良いと考えているから??



「マイ」



 正面を捉えていたボケナスの瞳がこちらを見下ろしたその時。



「……っ」


 自分でも驚く程に体温が上昇したのを感じてしまった。


「ど、どしたのよ」



 至極冷静を保ったつもりで返事をしたが、果たして隠しきれたかどうか……。



「お前さんも、もう少し筋力を付けたらどうだ?? 随分と軽いぞ」


「へ?? お、おぉ。善処しよう」


「はは。マイの口から、善処ときましたか」


「うっさいわね……」



 本当は嬉しいと思っているのに、口では真逆の意味の言葉が出てしまう。どうも馬鹿正直に心の言葉を発するのは苦手だ。


 しょうがないでしょ。恥ずかしいんだもん……。


 傷が目立つ逞しい腕、厚い胸板に黒の瞳。


 出会った頃はちょっと頼りない感じだったけど、あんたもちゃんと成長しているのね。


 少しだけ見直してあげるわ。



「ここでいいよな??」


「うむ。苦しゅうない」



 ユウの隣の布団の上に寝かされ、今度はちゃんと礼を?? 述べてやった。


 お疲れ。ここまで運んでくれてありがとうね??


 柔らかい布団の上に転がると、心に春の陽気にも似た温かさがほわんと生まれた。


 布団の心地良さがそうさせたのか、将又あいつの行為がそうさせたのか。その理由は不明だが、今は只この気持ちに身を委ね横になっていたかった。


 それ程に心地良い感情が身を包んでいた。



「さて、運び終えたし。俺はもう休むね」


「おう、お休み」


「あいよ――」



 私がそう声を掛けると、何事も無く平常通りに奥の部屋へと姿を消して行く。


 完全に襖が閉まるまで私はその姿をずっと視界に捉え続けていた。



 アイツは……。これから一人で行動するのよね?? 私達がついていなくても大丈夫かな??


 でも、私があいつに言ったらきっと。



『余計なお世話だよ』



 怪訝な顔を浮かべてそうやって返すんだろうなぁ。


 怪我の状態、そして任務の所為で行動を共に出来ないのは私にも少なからず影響を与えている。


 この気持ちはユウが居なかった時と似て非なる物だ。


 寂しい……。


 単純明快に説明しろと言われればそう表現出来る気持ち。しかし、ちょっとだけ違うそのナニかが分からないでいた。


 絶対、口に出さないわよ?? あいつにも、そして仲間内にもこの感情を見透かされたく無いし。



 なんだろうなぁ。


 昔の私なら絶対に抱かなかった感情なのに。こんな感情が胸に湧くのはこれまでずっと行動を共に続けて来たから、だよね??



「ふわぁぁ――。ねっむ……」



 ユウの欠伸が私の眠気をちょっとだけ呼び醒ます。



「ユウ――。もう寝るの??」


「もう、限界。明日も早くから稽古があるし、お先――」


「ん――」



 ユウのとろんと溶け落ちた瞼が完全に遮断され、大人しく布団を被って夢の世界へと旅立ってしまった。



「カエデ、明かり消して」


「分かりました」



 私の声に彼女が反応すると、壁に掛けられている燭台の明かりが消えて心地良い闇が部屋を包む。


 これで、ぐっすり眠れる。そう考えて目を瞑るが。



「……」



 私の予想に反して、眠気は僅かにしか湧いてこなかった。


 ふぅ――…………。やっぱり、無理をさせてでも連れて行くべきなのだろうか??


 イスハの奴に大目玉を食らうだろうけど、本人があぁも行きたそうな顔を浮かべているし。


 でもなぁ。怪我が悪化されても困るのもまた事実。



 それにボケナスにはすべき事がある。


 重要な任務が控えているらしいし、人間には人間の。そして魔物には魔物の問題があるのだ。


 他人の人生にアレコレと文句を言える程、私は出来ていない。


 この問題はあいつの判断に任せましょうかね。それに今生の別れになる訳じゃないんだからさ。


 私らしからぬ思慮深い考えを巡らせていると。



『ちわ――っす。そろそろ行きませんかね??』



 剽軽な眠気さんがいつも通り随分と軽い調子でやって来てくれた。


 あぁ、ごめん。考えが纏まらなくて、ちょっと遅れたわ。



「ふ、ふふ……。欄間から見下ろすレイド様の御姿も中々っ」


「アオイ、皆が起きちゃうから早く寝て」



 カエデが何やら蜘蛛に対して叱っているが、遂に眠さが限界を迎えてしまう。


 軽快な笑みを浮かべながら迎えに来てくれた眠気さんの手を取り、私は楽しい夢の世界へと旅立って行った。




お疲れ様でした。


今回の御使いの一つの軸は滅魔の調査なのですが……。そのプロットが難航しているのが本音ですね。


当初の結末は一つだったのですが、プロットを書いていく内にこういう結末も考えられるなと幾つもの結末が浮かんでしまい。そのどれに向かおうかが私の筆を悩ませているのです。


ここで立ち止まっていても話は進みませんし、悩みに悩んで日々の執筆を続けている次第であります。


そして、先日罹患した風邪はほぼ完治。念の為に薬と栄養剤を注入して本日は床に就きます。



それでは皆様、お休みなさいませ。

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