第百七十四話 手の平の上で踊らされる矮小な兵士
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
話を区切ると流れが悪くなるおそれがありましたので、長文になっております。予めご了承下さいませ。
俺の頬の色合いはあの夕焼け空と同じ位に赤いらしい。
らしいと言うのは、人から伝え聞いたものであって鏡をまじまじと眺めている訳では無い。
『ん――。ご苦労さん。まぁまぁの出来だな』
レフ少尉のありがたぁい御言葉に、感謝の気持ちを籠めて一つ頷いた。
『訂正印が多いのが鼻に付くが、まぁ及第点といったところだ。二日徹夜してんだろ?? 早く帰って休め。顔、真っ赤で目の下のクマがえらい事になってんぞ』
仰せのままに、と。
返事もそこそこに本部から踵を返し、今もこうして人で賑わう西大通を北東地区へ向かい歩みを進めているのだが……。
俺の体は誰かが操っているかの様に半ば受動的に足を動かしていた。
それもこれも先程の出来事が大いに、多大に影響を与えているからである。
あの時。
マイから念話が届かなかったら可笑しな流れ的にカエデと……。
うぅむ……。
テスラさんの大事な一人娘に手を出すのは如何な物かと思うのですよ、えぇ。
それに向こうは神にも等しき力を持った九祖の血を色濃く受け継ぐ言わば穢れの無い純血種。
それに対し、こちらは九祖から造られた餌兼繁殖用の元生物。
どちらが優れているのか又貴重な存在であるかは天秤に量る迄も無い。
彼女に手を出す事自体が烏滸がましいのかも知れないな……。
「ねぇ……。駄目っ。人が見てるよ……」
「いいじゃないか。俺達以外にもシてる人、いるよ??」
「あっ……。んんっ……」
西大通り沿いの名所、銀時計広場の前に差し掛かると昼の比較的長閑な顔とは打って変わり。そこは性の溜まり場へと豹変していた。
二十代から三十代の男女が人目も憚らずそこかしこで愛の囁きを交わしている。
何気無く足を止め、一番近くに居る男女の愛の序章を視界に捉え。己と彼等の愛の営みを挿げ替えてみた。
『駄目ですよ。レイド……。皆見てます』
『いいだろ?? 木を隠すのなら森の中って言うし』
『んっ。んぅっ……』
彼女の細い腰をぐぃっと引き寄せ、小さくて我儘な唇に蓋をしてやる。
突然の行為に驚いた藍色の瞳がキュッと見開かれるが、粘膜の接触により徐々に蕩け惚けた瞳へと変容していく。
そして人目も憚らず二人は愛を育み。後世へと命を紡ぐ……。
止め止め。
大体、俺とカエデなんて不釣り合いなんだよ。
こちらは餌で向こうは種の頂点に君臨する者。同じ目線に立つのも憚れますよ。
愛の狂想曲が茜に染まった空へ昇って行くのを尻目に、俺は再び歩みを進めた。
手をしっかりと繋ぎ互いに頬を染めてこちらとすれ違って行く男女。蛇の交尾ですかとこちらに錯覚させる腕の組み方をして薄暗い路地へ消え行く男女。
互いの腰に手を当て、仲睦まじい雰囲気を醸し出して本日の夕食の相談する男女。
普段はじろじろ見ては失礼だと思い、観察を避けていたが……。
こうやって見ると当たり前の様に人前で愛を歌っているのだなぁと感じてしまう。
手を繋ぐ行為でさえ恥ずかしいのに、粘膜の接触なんかとてもじゃないけど想像出来ない。
恥ずかしさで失神しちまうんじゃないのか?? 俺。
手、ならまだしも。口と口だもんな……。
カエデのぷるんと潤んだ唇が頭の中にぼうっと浮かぶ。
柔らかそうだったよ、な?? カエデの唇。
『今更後悔したって遅いね!! あの時バッチリ決めるべきって俺様が言っただろう!? 据え膳ってのは食う為に存在するんだからよぉ』
ぬぁぁああ!!
アホな性欲めぇ!! 去らぬかぁ!!
両手でパチンと豪快に頬を叩き、淫靡な思考を消し飛ばす。
うっし!! 目が醒めたぞ!!
乾いた痛みが思考を正常なものへと戻し、淫靡な妄想は霧の彼方へと消え去った。
今度顔を合わせた時、真面な顔でいられるか自信は無いけど。出来るだけ平静を保ってみますかね。
下らない妄想と卑猥な夢幻に現を抜かしていると夕と夜の狭間の空の下に浮かぶ大きな屋敷が見えて来た。
はぁ――。
久々に見たけど相変わらず大きいなぁ。
鉄柵と頑丈な門の向こうに白を基調とした屋敷がドンっと腰を据えて鎮座している。
レシェットさんの本屋敷も大きいけど、ここの屋敷も負けず劣らずって感じだな。
「――――。レイド様ですね??」
「あ、はい。そうです」
大きさに圧倒されて馬鹿みたいに口をポカンと開けていると、門が開かれ中から女性の使用人さんが現れた。
白と黒が美しく纏まった清楚な服に、端整な出で立ち。
黒の髪を後ろで纏めるのが更に清潔感に拍車を掛けていた。
「シエル様が御待ちで御座います。案内致しますので、どうぞお入り下さい」
「え、えぇ……。失礼します」
黒の髪を綺麗に靡かせて振り返り、こちらに華奢な背中を見せる。
俺は彼女に従い、肩身が狭い思いを抱きつつ門を潜った。
大きな屋敷を前にすると何だか申し訳無い気持ちが沸くのは何故でしょうねぇ。
恐らく、庶民がおいそれと立ち寄ってはいけない場所だと気付かない所で自覚しているのでしょう。
何気無く歩き続けていると、後方から重厚な音が鳴り響く。
――――あっ。
門番の方か。
後方へ視線を送ると、白のローブを身に纏った男性二人が門を閉め。無表情な顔色を浮かべて警戒に当たっていた。
しまった、今気付くのは流石に遅過ぎだぞ。
もっと気を引き締めねば……。
ここは将来敵対するかもしれない勢力の指導者さんが住んでいる屋敷だ。先程までの煩悩を引きずっている様じゃあっさり取って食われてしまう。
姿勢を正し、しっかりと背を伸ばして気持ちを引き締めた。
「どうぞ、お入り下さい」
「失礼します」
俺の数年分の年収はするであろう木の扉が開かれ。
彼女に従い屋敷に足を踏み入れた。
うわぁ……。ここも赤が眩しいや。
毎度御馴染、フカフカの赤の絨毯が俺を迎え。美しいガラス細工の照明器具が天井からぶら下がり、見上げれば首が痛くなる程の高さの天井がこちらを迎えてくれる。
建築に使用された木材も高級な物なのか、木の温もりを感じさせてくれる素敵な香りが漂っていた。
「こちらへ」
「あ、はい」
本日何度目かの阿保面を浮かべていると、女性が感情の籠っていない声を発し。右の通路へと進み出す。
それに従い進んで行くと通路には銀の燭台が壁に飾られ温かい炎の明かりが夜を払い、高級な窓枠には己の姿がくっきり映る程磨かれた硝子が嵌められていた。
この硝子を割ったら弁償するのに一体幾ら掛かるんだろうなぁ??
庶民の悲しい性か。直ぐに物の値段を想像してしまう。
「――――シエル様。レイド様をお連れ致しました」
卑しい銭勘定をしつつ、足が適度に疲れる距離を歩き終えると突き当りに到着。
その先に待ち構えていた扉を女性が三度叩き、ここの主へと俺の到着の知らせを届けた。
「…………。どうぞ」
「畏まりました。レイド様、どうぞお入りになって下さい」
「分かりました。――――レイドです、失礼します」
おずおずと扉に手を掛け、美しい木の軋む音を奏でる扉を開いた。
先ず目に飛び込んで来たのは左右に伸びる長い木の机。
純白の敷き布の上に置かれた銀の燭台の炎が揺らめき、その向こう側に此度の主催者が椅子から立ち上がり柔和な笑みを零してこちらを迎えてくれた。
本日彼女がお召しになるのはイル教の白のローブでは無く、濃い青の上着に白の長いスカート。
年相応の格好に何だか拍子抜けしてしまった。
まぁ俺も四六時中制服を着ているかと問われれば、その答えは否だし。
シエルさんも恐らく俺と同じ口なのでしょうね。
「レイドさん。お久しぶりですね」
「ご無沙汰しております」
人に警戒心を与えない素敵な笑みを浮かべる彼女へ向かって一つ頷き。
「どうぞ、お座りください」
「はぁ……」
彼女に促されるまま、シエルさんの正面の席に着いた。
ん?? もう一人、居るな。
右奥のカーテンの影。
そこに薄い水色の髪の女性が静かに佇んでいる。
俺の視線に気付いたのか、すっと一歩前に進みその姿を明かりの下に晒した。
「エアリアさん。どうも、お久しぶりです」
座ったまま挨拶をするのも躊躇われる。
そう考え、すっと立ち上がり挨拶を交わした。
「先日の件はお世話になりました。お久しぶりですね?? レイドさん」
先日の件。恐らく護衛任務の事であろう。
あの時と変わらぬ真面目な出で立ちは相も変わらずであった。
黒の上着に黒の長いスカート。どちらかと言えば明るい姿のシエルさんと違い、こちらは暗く落ち着いた雰囲気を与えてくれた。
「ふふ。お元気そうで何よりです」
当たり障りのない笑みを浮かべてそう話し、こちらの右隣りの席に着いた。
屋敷の食堂に有名な組織のお偉いさんが二人同時にこの部屋に存在すると言う事は……。今から始まる時間はそれだけ相手にとって重要だと捉えた方がいいのか??
相手の意図を汲めない今、迂闊な発言は控えた方が得策だな。
「元気そうに見えます??」
ここは無難な会話で相手の出方を伺うべき。
そう考え至極冷静を装い、何の変哲も無い内容を口に出した。
「あらあら……。大変お疲れの様ですね?? そこまで酷いクマは初めて見ましたよ」
「実は二日徹夜で過ごしていまして……。気を抜くと今にも眠ってしまいそうな程に、眠気が襲い掛かって来ているのです」
これは、本音ですよっと。
目に見えない誰かが勝手に俺の瞼を下ろそうと画策。そして体に襲い掛かる倦怠感も常軌を逸していた。
ふっと気を抜けば、直ぐにでも眠ってしまいそうな睡眠欲が重く肩に圧し掛かっている。
それに耐えに耐えてここまで徒歩でやって来たのですよっと。
「二日も!? それは……。大変ですね」
エアリアさんがきゅっと目を見開いて話す。
「報告書を仕上げなければならなかったので。本来であれば、多少は眠れる筈でしたけど。急な仕事が舞い込んでしまって……。そんな感じです」
急な仕事。
これは勿論、レナード大佐の召集についてだ。
敢えて内容を伏せて置けば、食いついて来るかな??
「急な仕事ですか。私も良くありますよ?? シエル様の我儘を押し通す為にあれこれと奔走しますから」
「エアリア」
「あら?? うふふ……。申し訳ありません。苦労を分かち合いたい思いが募りまして、つい」
残念。
俺の予想とは裏腹に話は世間話の方向へと向いてしまった。
「宜しかったのですか?? お疲れでしたら、またの機会にでもと一報を下されば……」
此方の体調を気遣ってか。
悪意の無い笑みをシエルさんが浮かべる。
「体力には自信がありますので。それより、今日はどういった御用件で自分を呼んだのですか??」
体力には自信はある方だが。
もう後何時間しか真面な思考は保てないだろう。そう考え、無駄な世間話を省いて単刀直入に伺ってみた。
「用件がなければ、呼んではいけない理由があるのでしょうか??」
う、うぅむ。
回答に困る問題ですね。
「特に……ありませんね」
自分でも思わず納得してしまう模範解答を述べてやった。
「ふふ、そう気構えないで下さい。本日こちらへ招待したのは、御伺いしたい事があったからです」
でしょうね。
俺みたいな一般庶民を屋敷に招き、剰え食事を無料で提供する訳が無いし。
「答えられる範囲でしたら」
「では……」
コホンと咳払いをして、表情を引き締める。
刹那。
そこには数秒前の年相応の若い女性の笑みは消え失せ、数多の信者を従える皇聖の本来の顔が現れた。
漆黒の瞳は鋭く冷酷に纏う空気は相手を威圧。そして仮面を被った様に無機質で感情の一切が読み取れない。
対峙しただけで屈強な戦士でも身構えてしまう。
シエルさんの表情はそれだけの圧を放っていた。
「昨日の件について、ですが」
「昨日……ですか」
まぁ、十中八九レナード大佐の件だろうけど。
あれこれと自分から情報を開示するのは止めましょうかね。
手の平の上で踊らされたく無いし。
「えぇ。レンクィストでレナード大佐と面談を行いましたよね??」
「はい。そのように指令が下りましたので、自分はそれに従い行動に移りました」
「大佐とどのような面談を行ったのか。それを教えて頂けますか??」
「それは……。申し訳ありませんが軍規で規定されていまして。情報を他所に漏らす訳にはいかないのです」
大佐に他言無用と釘を差され、今しがた話した通り情報漏洩は重大な軍規違反。
おいそれとは話せませんよっと。
「ふぅむ。流石、レイドさんですね。真面目で真摯な態度に好感を持てますよ」
そりゃどうも。
「ですが、御安心下さい。大佐が所属する特殊作戦課の情報は私達の手元に届いています。今、ここで情報を開示しても何の罪も咎められませんよ??」
「いや、しかし……。ですね……」
安心の意味が違います。
そう言いかけたのをグッと堪えたもんだから舌が縺れそうになってしまった。
「――――レイドさん。こちらを……」
右隣りのエアリアさんが一枚の紙を俺の目の前に静かに置く。
何気無く手に取り、それを見下ろした。
「え!? これって……」
「そう。今回の召集に応じた者の名簿です。一部は名前を伏せていますけど、所属する部隊、階級。全てを網羅してあります」
シエルさんが話した通り。
特殊作戦課の召集に応じた者の氏名、階級、所属部隊、入隊年数等々。その詳細が箇条書きできっちりと並べられていた。
当然、俺の名前も記入済みだ。
「どうしてこれを??」
机の上に紙を置き、シエルさんへ視線を戻す。
「周知の通り、私達はパルチザンを後方から支えています。魔女並びにオーク殲滅の目的が一致していますからね。潤沢な資金提供のお陰か。『ある程度』 の情報ならいつでも手に入ってしまうのですよ」
ある程度ねぇ。
ほぼ筒抜けって事は分かっていますけど、ここまで正確な情報を見せられると。どこまで軍内部を掌握されているのか気になるな。
まさか……。
俺達の部隊も既に??
「疑われているのでしたら。もっと詳細な情報を開示しましょうか?? あなたの上司の年収、出身地、年齢。訓練生時代の……。ビッグス教官でしたか?? 彼のそれも御望みでしたら。それと、先の任務で行動を共にしたあの野蛮な女性も……」
「いえ、もう結構です」
些か失礼かと思うが、話している途中で彼女の言葉を遮った。
こちらの情報は全て掌握済みって事ですよね??
しかも、態々訓練生時代まで遡らなくてもいいじゃないか。
「あら、そうですか。――――。情報を懐にしまい込んでも、お時間さえ頂ければ白日の下に晒すのは容易い事です。寧ろ、レイドさんの立場が危ぶまれる虞もありますよ??」
「……。そちら側への協力を拒んだ事に対する処罰、ですね」
「察しが早くて助かります」
ニコリと笑みを浮かべるが、その笑みの意味がどうも気に食わない。
だんまりを決め込んでも無駄だぞ?? 早く喋った方が身の為だ。
今も浮かべる笑顔は物言わずともそう俺に伝えていた。
「では、端的に説明させて頂きます」
「ありがとうございます」
疲労の色、そして苦渋の意味を込めた重たい息を吐き、昨日の面談の内容。及び三日後に控えた選抜試験について説明を始めた。
俺が話している最中。シエルさんとエアリアさんは時折小さく頷き、そして要領を得たのか。納得したかの様に大きく頷いていた。
「…………面談の内容は以上です。大佐には他言無用と念を押されたので、ここで話した事は内密にお願いしますね」
「それは、はい。約束致します。――――しかし、レイドさんも大変ですね」
「大変??」
「えぇ。危険で溢れかえる任務に出立しようとしているのですから」
「その為に入隊したのですからね。それに結果はどうあれ。この大陸に住む人々の為になるのなら、危険を顧みないのは当然の事です」
シエルさんに向かって一つ頷いて真の思いを伝える。
「それ以前に選抜試験に合格するかどうか。自分より腕の立つ者は星の数程いますからね。正直、自信はありません」
「またまたご謙遜を。レイドさんなら確実に合格しますよ」
「確実?? シエルさん。裏で手回ししないで下さいよ?? 自分はあくまでも実力で合格したいと考えていますので」
場が少々硬くなって来たのでそれを少し和らげる為にお道化て言って見せる。
「ふふ。どうしようかなぁ?? 合格出来ない様に手回ししちゃおうかなぁ??」
俺の返しに応えると。人差し指を立て、意地悪な笑みを浮かべている口にあてがう。その姿はどこにでもいる女性そのものであった。
この姿が本来のシエルさんなのか。将又偽りの仮面なのか。
どっちが本当の姿か判断が出来ないな。
「御冗談を……。一つ、質問を宜しいですか??」
「うん?? どうしました??」
「召集した者、全てにこの様な質問をして回っているのですか??」
そう、これが気掛かりだった。
俺がここに呼ばれた理由の真意は掴み取れていない。
軽い質問から切り崩していくか。
「いいえ。レイドさんだけですよ??」
「自分だけ?? それはまたどうして」
「ん――――。御想像にお任せします」
だよねぇ。
そうそう口を滑らせない、か。
「質問を変えます。特殊作戦課はシエルさんが皇聖の座に就いてから創設されたと御伺いしました。シエルさんが特殊作戦課を創設させるようにマークス総司令に強く助言をしたのですか??」
「んふっ。それも、御想像にお任せしますね」
「で、では……。今回の作戦の召集は軍の独断で行われたのか、それともシエルさん達イル教が召集を掛けたのですか??」
「うふふ……。それも――。以下同文ですっ」
「もう!! 少し位教えて下さってもいいじゃないですか!!」
おっと、しまった。
相手はお偉いさんなのに声を荒げてしまったぞ……。
「も、申し訳ありません。出過ぎた真似をしてしまい……」
多大に頭を垂れ、謝意を伝えた。
「いいんですよ。私の事は一人の友人と思って話してくれても」
「それなら……」
再び質問を投げかけようとすると、シエルさんが再び人差し指を立てて口にあてがう。
「駄――目です。以前も申しましたけど、レイドさんは私達にとって『部外者』 なのです。情報を提供する訳にはいかないのですよ。本当は沢山知って貰いたいのですけどね」
「分かりました。質問は以上です……」
思った以上の収穫が得られなかった事によりなよなよと萎み、肩を落とすが。
一つだけ得た情報がある。
ここに呼ばれたのは俺だけ。たった一つの拙い情報だけど、これから何かを模索出来ないだろうか??
大佐とのやり取りの情報はいつでも聞き出せるのに、どうして態々俺を『直接』 ここに呼んだのか。
手紙や報告等でいつでもその理由を伺えばいいのに、それをしないって事は。
恐らく、その情報を極力他所に漏らしたくなかった。
これが一番しっくり来る理由だ。
では、何故。他所へ情報を漏らしたく無い、か。
俺が召集を受けた事は軍もイル教も知っている。面談の内容もシエルさんが大佐に伺えば直ぐにでも情報を得るであろう。
そこに軍とイル教以外の部署の人達に知られたら不味い情報でも含まれているのか??
だが、大佐との面談ではこれまで達成した任務の内容、それに選抜試験の事しか伺っていない。
説明と報告。
たった二点にそこまで重要な情報は含まれているとは到底思えない。
…………。
大佐との面談の情報の入手及び隠蔽が目的で無いとしたら、シエルさんは俺が召集された事自体に何か不自然な事を感じているのだろうか??
先程エアリアさんから提示された紙には今回提案された作戦の召集に応じた人員達の情報が記入されていた。
そして俺もその中の一人。
屈強な兵士達が犇めく軍の中でたった一人の兵士に彼女がそこまで拘る理由も無いし。そして俺一人の力なんてたかが知れている。
この線も薄い、か??
あ――……。寝不足の所為で頭が回らん。
帰ったらカエデと相談してみるか。
「――――ドさん??」
「へ??」
シエルさんの声で我に返り、正面を見つめる。
「もう。さっきから呼んでいますよ?? 食事が間も無く運ばれてきますので、お酒など如何ですかと伺ったのですよ」
「あぁ、いえ。酒類は控えていますので。お水で構いませんよ」
「まぁ、ふふ。遠慮なさらずとも宜しいのですよ?? 偶には羽目を外されたら如何ですか??」
羽目、ねぇ。
もうここに来る前に外しているのでそれは了承しかねます。
「寝不足の身には堪えますので」
無難な返事を返しておいた。
「――シエル様。宜しいでしょうか??」
背後の扉から乾いた音が響き、先程こここまで案内してくれた女性の声が響く。
「どうぞ」
「失礼致します」
使用人さんが入室すると不機嫌な腹も思わず納得してしまう香りが部屋を満たす。
「……っ!!」
「あら?? お腹、空いていたんですね??」
エアリアさんが俺の卑しい腹の咆哮を聞くと柔らかい笑みを浮かべてこちらを見つめた。
「そ、そうですね。最近真面に食事を摂っていませんでしたので」
「駄目ですよ。食事はちゃんと摂らないと。体が資本の仕事をなさっているのですから」
「肝に銘じておきます」
俺の体をまじまじと見つめるエアリアさんにそう話す。
全く、人様の家で何をやっているんだ。
この馬鹿者め。俺はどこぞの卑しい龍じゃないんだから。
恥ずかしさを誤魔化す為、頭をガシガシと掻く。
「失礼します……」
おぉう……。こりゃあ美味そうだ。
目の前に静かに置かれた純白の皿には、思わずウットリしてしまう琥珀色の液体が蒸気を揺らして俺の食欲を悪戯に刺激してしまっている。
一口大に切られた根菜達も早く食べろと俺を待ち構えていた。
「レイドさんがお腹を空かしていますし。早速頂きましょうか」
申し訳ありません。
忸怩たる思いを胸に抱き、家主の号令を今か今かと待ち詫びた。
「では、頂きます」
「「頂きます」」
エアリアさんと声を合わせ素晴らしい食事を開始した。
さてさて!! 難しい御話は一旦休憩。折角の食事だし、味わって頂こうかしらね!!
美しい銀の匙を手に取り、俺の口へ侵入しようと画策する我儘な根菜のスープさんを優しく掬ってあげた。
「――――はぁ。美味い」
舌に嬉しい塩気と奥深く円やかな味の液体が速攻で体を弛緩させてしまった。
前歯でジャガイモをほくっと裁断して奥歯で幸せな咀嚼を開始する。
芋の柔らかさと液体の塩気が絶妙の塩梅で、作り手の細かな心配りが伺い知れてしまった。
たった一口だけでここまで体が喜んでいるのだ。
お店で出されたら一体幾らするのやら。
「ふふ。美味しそうに召し上がりますね?? 宜しかったら、パンも沢山ありますので」
ほぅ?? いつの間に??
シエルさんの声を受けて視線を上げると、皿の上にはこんもりと盛られた大人の拳大のパンが鎮座していた。
「頂きます」
問答無用で手を伸ばし、さっそく頬張り……。
っと。いかんいかん。
ここは我が家では無いのだ。食事にも礼節というものがある。
コホンっと一つ咳払いをして卑しい自分を戒め、一口大にパンを千切って口に放り込んだ。
うぅぅ……んまいっ!!!!
仄かな甘味と豊潤な小麦の香り。
北の穀倉地帯で採られたであろう小麦に俺は感謝してしまった。それと同時に農家の方々にも多大なる感謝を述べる。
このパンには彼等の汗と労働力が籠っているのだ。夏の陽射しには苦労したでしょうに……。
本当にお疲れ様です。
「そんなに焦らなくても、パンは逃げませんよ??」
俺の食事の所作を見つめてエアリアさんが笑みを浮かべる。
「ふぉう……。んんっ!! そうですね。落ち着いて頂きます」
俺ってそんな風に見えるんだ。
ちょっと食べる早さを遅らせようかな。
「あ。パン、付いていますよ??」
「え??」
右の唇に手をあてがうが、その存在の欠片も見当たらない。
「違います。こっち……」
エアリアさんの端整な顔がずいっと近付き、俺の左の唇へと手を伸ばす。
「ね?? ありましたでしょう??」
「え、えぇ……。そうですね……」
そして、当たり前の様にソレを己の口へ運ぶ。
真面目そうに見えて意外と大胆なのかもしれないな。
「エアリア。レイドさんが困っていますよ??」
「困る?? …………あっ」
今しがた自分が行った行為に気付いたのか。
茹で上がった海老も思わずうむっ!! と納得してしまう程に頬が朱に染まる。
やっぱり真面目な人らしい。
そんな事より、今は栄養の摂取が最優先だ。
疲労が蓄積された体には自分で思っている以上の栄養を与えねばならん。
そう考え、一心不乱にパンを丁寧に千切っては頬張り。根菜のスープでパンを胃袋へ押し流す。
永遠に続けられていそうな行為を続けていると、残念ながらそれは叶わぬ想いであると空っぽになった皿が俺に告げてしまった。
「わぁ……。完食しちゃいましたね」
「その食欲には感服してしまいます」
「いやいや。これでも食べられなくなった方ですよ?? 訓練生の時はこの倍を食べろと言われていましたから」
『食う奴程強くなる!! 軟弱な貴様等を強くするのは食事だ!! 食えなくて涙を流そうが、限界を超えて吐こうが無理矢理食わせてやるからな!?』
ビッグス教官から頂いたありがたい訓示なのです。
只、食の細い人は本当に泣きながら食っていた時もあったよな。
あれは傍から見てもちょっと可哀想だった。
「では、この後の肉料理も当然召し上がりますよね??」
「勿論ですとも。あ、そうだ。パンのお代わり、頂いても宜しいですか??」
シエルさんの言葉を受け、あっけらかんとしてそう話す。
まだまだ入りそうなんだよねぇ。
人様の家でがっつくのはみっともないかもしれないけど、腹がもっと寄越せと叫んでいるのだ。
これは従うべきであろう。
「ふ……。あはは。え、えぇ。給仕の者が来たら、そう伝えます」
「ふふふ。レイドさんって意外と食いしん坊さんなんですねぇ」
この素敵な食事に誂えた様な軽快な笑みを放つ二人。
対して俺はどうしてこの二人が素敵な笑みを浮かべているのかが理解出来ず、残り僅かになってしまった琥珀色の液体を惜しむ様に口へと迎えてあげたのだった。
お疲れ様でした。
本日の執筆の御供は相変わらず『エイリアン2』 だったのですが。やはり何度見ても面白いですよねぇ……。しみじみと頷いてしまいますよ。
ドンパチあり、メカあり、親子愛あり、強いねぇちゃんありと。ジェームズキャメロン監督の大好きな要素がこれでもかと詰まっていますもの。
映画というものはこういうのでいいんだよと、それを体現した映画に舌鼓を打ちつつ。やっすい蕎麦を啜りながら編集を続けてしました。
それでは皆様、お休みなさいませ。




