第五十七話 本当の戦い、其れは食事 その一
おはようございます!! 本日の投稿になります!!
それでは御覧下さい!!
水分も出尽くし、気力の欠片も存在せぬ空っぽの肉の塊が地上を進む。
思考が虚無の海へと消え去り。
体の中に存在する悔恨、悵恨等々。様々な負の感情が消失した純白無垢のこの体はたった一つの命令に従って動き続けている。
『走れ!!』
命令を与えたのは第三者なのかそれとも自分自身なのか。
そんな簡単な事も頭は理解出来ず。与えられた唯一つの命令に従い茜色に染まった空の下を走り続けていた。
「はぁ……。はぁ……」
清涼な山の空気を肺一杯に取り込み。
「ふぅぅ……」
積もり積もった疲労の塊と共に重い息を吐き出すと、身も心も真新しい自分に変わって行く気がする。
きっとイスハさんは俺達に対し、走る事を通じてこれを伝えたかったのだろう。
雑念、煩悩、煩念。
何も考えずに走ってこれらを捨てろ、と。
「ほれ――。もう少しで終了じゃぞ――」
腕を組み、堂々たる姿で此方を見下ろす狐の女王様。
それに対し。
小高い丘の麓で。
海岸に打ち捨てられたワカメみたいにグニャグニャになって崩れ落ちている深紅の女性へと向かい、不本意であるが、二着として走行を終えた。
「ふぅ!! 五十周、走り終えました!!」
額から流れ落ちる汗を拭いながら言葉を漏らす。
もうちょっと位なら走っても良かったけど……。初日から飛ばすのも良くないよな。
いや……。
飛ばすべき、か??
「御苦労じゃ。他の者が走り終えるまでそこで休んでおれ」
「了解しました。んっ……。ふぅっ」
もっと走らせろと雄叫びを上げる大殿筋を誤魔化す為、屈伸運動を続けていると。
「ね、ねぇ……」
カッラカラに乾き、ショボショボと萎びた赤い花が此方を見上げた。
だらしなく大の字で大地に横たわり、汗で蒸気した頬。
体内の熱を逃そうと小さいお胸が大きく上下している。
コイツが此処まで運動した姿は初めて見たかも。移動中は俺かユウにしがみついているし。
「どうした?? 一着は譲ったけど、次は負けないからな!?」
速さでは勝てぬとも、距離なら勝てる算段はあるのです!!
「そんな事はどうでもいいのよ。う、動けないから……。あそこの井戸から水を汲んで来て……」
「はぁ?? 自分で行けよ」
自分で出来る事は、自分でやる。
常識ですよ、常識。
「も、もう一度言うわよ?? 井戸から、水を、汲んで来い。さもないと、あんたの耳を食い千切る……」
「行って参ります」
おや。
即答してしまったぞ??
即答では無く、条件反射か。耳を食い千切られたら堪りませんからね。
「お水の量は大盛で宜しいでしょうか??」
「目玉の裏まで溢れる位の量で」
そんな量の水を飲んだら腹を下すぞ。
まぁ……。コイツの場合。
腹を下す事は死ぬまでないでしょうね。
「なはは!! 何じゃあ、レイド。お主、女に顎で使われておるのか??」
イスハさんがケラケラと笑いつつ此方を揶揄う。
「仕方がなく、ですよ。言う事を聞かないとこうしてずぅっとグチグチとねちっこく強請ってきますので」
丘の上の階段を進みながらそう話す。
「マイ、だらしないぞ。お主はあ奴を見習え。真面目な態度に、飽くなき向上心。今の御時世、そんな男はそうそう居らぬぞ」
「う、うっさい。話し掛けないで……。話した振動で筋肉がグスグスと泣いちゃうから……」
目上の人に何て言葉使いをするんだ。
後で説教……。は、出来ませんので。勧告を与えましょう。
階段を昇り切り、正面に待ち構える平屋の左へと進み。少し離れた位置にポツンと立つ井戸さんから桶を汲み上げ。
「おっ、これでいいか」
近くに置いてあった美しい円を描く桶へと移し。
これまた丁度良い塩梅で置かれている木製のコップを四つ、水で満たした桶の中へと投入。
「おっとっと……」
乾いた地面に水を零さぬ様に運搬を開始した。
「ユウ――。後、一周よ――……」
「うっせぇ!! 話し掛けんな!!」
「な、何よ!! 人が折角応援してあげてんのにぃ!!!!」
はは。
ユウも頑張ってるな。
只、御顔がちょっと怖いですよ??
友人からの応援は素直に受け取りましょう。
「ほれ、水だぞ」
赤い花から、敢えて離れた位置に桶を置いてやる。
普段から受け続けている暴力に対しての、ささやかで小さな仕返しですよっと。
そしてコップで透き通った液体を掬い、己の乾いた喉を潤した
「んっ……。ぷはぁっ!! 美味いっ!!」
刹那。
乾いた大地に降り注いだ雨が、美しい緑を咲かせてしまった。
あれ??
水ってこんなに美味しかったっけ??
平地で飲むそれよりもここの水は何処か深みというか、コクがあって澄んだ味がする。
「も、持って来て」
「自分で取りなさい」
二杯目を飲み干し、地面へと男らしい所作で座り。だらしなく足を投げ出しながら言ってやる。
態々運んで来たのだからそれ位は自分でやりなさいよね、全く。
俺はあなたの召使いじゃあないのですから。
「持って来ないと、龍の爪。若しくは黄金の槍で腕を両断するわよ……」
「お待たせしました。山の香りをふんだんに取り込んだ当店自慢の飲料水で御座います」
使用していたコップに水を汲み、瞬き一つの間に彼女の下へと運んでやった。
我ながら素晴らしい速さだったと思われるが如何だろうか??
「んぐっ!!!! んっ……!!!! んんんっっ!! ごっはぁあああああ!! い゛ぎがえ゛っだぁああああ!!」
うるさっ。
あっと言う間に水を飲み終えると、萎びていた花がシャキッっと立ち上がり。
「ふぅ!! ありがとね!!」
店員さんの接客態度、並びに受け答えも満足のいく物であったのか。
初夏に似合う素敵な笑みを浮かべて此方を見上げて頂いた。
「どういたしまして」
汗が大変良く似合う笑みですよねぇ。
毎回そうやって笑っていればいいのに。
恥ずかしくて決して言えぬ台詞を心の中で唱えていると。
「も、も、も……」
牛さん、かな。
「もう駄目ぇぇ……」
今度は萎びた深緑が完走を遂げて倒れ込んでしまった。
「ユウ!! お疲れ!! お水美味しいわよ!?」
「動けねぇ……。なぁ、レイド。水、持って来て……」
「はいはい」
完走するやいなや。
バタンッ!! っと俯せで倒れ。その僅かな隙間から聞こえて来た懇願を叶える為。
コップに水を満たし。
「ユウの願いはさらりと聞いて、何で私の願いは直ぐ叶えてくれなかったのよ!!」
それは普段の行いの差です。
日常生活のありとあらゆる行動を鑑みなさい。
先程よりも親切丁寧にコップを彼女の下へと……。
「ユウ、水もっ…………」
「有難う!!」
行動、はっや。
ガバッ!! と上体を起こすと同時に俺の手から水を奪取。
そしてカラカラに乾いた唇をコップの淵に当て、あっと言う間に水が彼女の体の中へと吸い込まれて行った。
「はぁ――――!!!! んまいっ!! ありがとうねっ」
「どういたしまして」
健康的に焼けた肌に似合う笑みを受け、ちょっとだけドキっとしたのは内緒にしましょう。
マイの奴も汗が似合うけど、健康的に焼けたユウの肌以上に似合う女性はいないだろうさ。
「イスハ様」
ん??
モアさんの声だ。
温和な声色に気付き、振り返ると。
「間も無く食事の準備が整います」
大変嬉しいお知らせをイスハさんに伝えてくれた。
もう間も無く太陽がお休みの時間に差し掛かる。
今宵の月はきっといつもより顔を顰めてしまうだろうなぁ……。
どうしてかって??
「ご、ごはんぅ……」
湧き上がる食欲。
自分の意思とは無関係に、溢れ出てしまう涎が零れ落ちぬ様に口元を手で拭う女性。
彼女の顔を見れば誰にだって、鼓膜が耐えがたい苦痛を感じてしまう喧噪が始まってしまうのだと理解出来てしまうからね。
「ん――。分かった。こらぁ――――――――!!!!! いつまでダラダラと走っておるのじゃ――!!!! 飯が出来たからさっさと帰ってこぉぉおおおい!!!!」
「「「うるさっ!!!!」」」
小さい体に似合わない大声量を放ったイスハさんに思わずいつもの三名が声を合わせてしまった。
「はぁ、はぁっ……。も、もう走れませんわぁ……」
「ま、まだまだ走れますけど。じ、時間切れ。ですか……」
体力には若干の憂いを残す御二人が此方に到着するなり、力無くヘナヘナと地面へと倒れ込み。
「あはははは!!!! 普段から体を使ってないからそうなんのよ!! 私を見習いなさい!!!! 一番で走り終え!! 尚且つピンピン……」
両者の前で腰に手を当て、勝ち誇る深紅の髪の愚者。
その背後から。
「にひっ」
大変悪い笑みを浮かべた深緑の髪の女性がソロソロと近付き。
「えいっ」
万人が納得する磨き上げられた下腿三頭筋へ、人差し指を突き刺した。
「ぎぃっ!?!? いってぇえ!! な、何すんのよ!!!!」
「お前さんも限界じゃん。見栄張ってんバレバレだっつ――の」
「こ、この……」
「今から夕飯じゃ。平屋で待機しておれ」
「有難うございます、イスハさん」
あの五月蠅い喧噪に一切触れず、すっと立ち上がり。濃い青の袴に付着した砂を払いつつ仰る。
彼女達の性格を加味して、一々構っていられないと考えたのかな??
「なぁに構わんよ。――――――――。後、そのイスハさんって呼び方は止めにせい」
「え?? では、何んとお呼びすれば宜しいでしょうか??」
まさかとは思いますけど、呼び捨てでは無いですよね??
「儂はお主を鍛える側。そして、お主は指導を請う側。つまり、師弟関係が儂らの間には存在する」
腰に手を当て、うんうんと頷きながら仰る。
「これからは儂の事をし、し……」
もうちょっとですよ。
頑張りましょう。
言い出せそうで、言い出せない。頬が朱に染まった御顔を見つめ、次の言葉を待った。
「師匠と呼べ!!!!」
はい、大変良く言えました。
イスハさんが仰られた様に、此方は指示を請う側。
大変お強い御方が師と呼べと申すのだ。それに応えるのが弟子の務めですのでね。
「了解しました。――――――師匠」
すぅっと息を吸い込み。
暫しの間を置き、瞳の中の向日葵さんを見つめて話した。
「…………っ」
腕を組んで眉をむぅっと顰めているものの、満更でも無いのか。
口元はウネウネと波打ち、頭頂部からは……。金色の毛の獣の耳!? がポフンと飛び出て来た!!
金の髪の合間から飛び出た三角のお耳さんが師匠の感情に同調して、ピコピコと前後に動く。
嬉しい時に出ちゃうのかしら?? あの耳……。
「弟子は取らん主義じゃが!! お主は特別じゃからな!! 一番弟子にしてやる!!」
「あ、有難うございます??」
取り敢えず。
この場に相応しい言葉を放つ。
「う、うむっ!! では、さっさと移動せぬか!!!!」
ちょっとだけ赤く染まった頬でそう仰ると、平屋の奥へと大股で進んで行き姿を消してしまった。
疲れないのだろうか?? あの歩き方……。
それはさて置き!!
失った体力を回復させないとね!!!!
「皆、食事だそうだ。移動しようか」
口では冷静に話すも、体は今にも駆け出せと叫ぶ。
だが……。ここで駆け出したりしたら礼節を欠く事になる。
真摯に、そして静かに行動するのが大人である所作なのですよ。
「おっひょ――――!! 御飯だ、御飯ぅぅううう!!!!」
颯爽と階段を駆けて行った者はさておき。
「くっ……。あ、足が……」
「レイド様ぁ……。私ぃ、動けませぬのぉ……」
カエデは歩くのも辛そうだし。
ちょいと手助けしてあげますか。
「カエデ。動けるか??」
体中の水分を出し尽くし、体力の限界を超えた顔を浮かべる彼女の前にすっとしゃがんで問う。
「――――。へ、平気です」
また分かり易い嘘ですね。
「今日だけだ。おぶってあげるから乗って」
小さな体の彼女へ向けて、くるりと反転して背を向けた。
「きょ、今日だけですからねっ!!!!」
何故、怒るのだろう??
弱々しい足取りで何んとか立ち上がり、俺に体を預ける。
かっる!!!!
何!? この軽さ!?
ついでに。
汗の香りと女性の香りが入り混じった男のナニかを刺激する香は無視しよう。
煩悩さん?? 去りましょうか。
「カエデさん??」
「何でしょうか??」
「軽過ぎますよ。もっと食べて、体を大きくしなさい」
「これが適性体重なのです」
ふぅむ……。適性、ね。
普通の女の子は軽くても構わないけども。俺達は戦う事もあるのだから、体を作らなければならないのです。
「まぁ!! レイド様!? 何故カエデを背負うのですか!?」
「アオイは元気そうだし。実際、今。地面から撥ねて右肩に飛び乗ったよね??」
抗議の声を上げ、両の前足をわちゃわちゃと忙しなく動かす黒き蜘蛛さんへと話す。
「気の所為ですわ!! 夫が妻を労わるのは……」
「ユウ、行こうか」
「ん――」
彼女の手を取り、元気良く立たせてあげるとその足で階段へと向かう。
「ま、まぁっ!!!! レイド様!! そんな乳牛の手を取って!!!!」
「誰が乳牛だ。窒息させんぞ」
「アオイ、ちょっと五月蠅い……」
「レイド様っ!? 皆が寄って集って私を……。虐めるのですぅ……。酷過ぎるとは思われませんか?? まるで新妻を虐める姑の様で……」
あぁ、もう。痛いなぁ……。
黒き甲殻を備え、ぷっくりと膨らんだお腹に備わるチクチクした毛。
その毛細から与えられる痛みに耐えつつ階段を昇って行った。
お疲れ様でした!!
本文が長くなってしまったので区切らせて頂きました。
続きはお昼前に投稿する予定ですので、もう暫くお待ち下さい。