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第百六十九話 我儘過ぎる御主人様と忠実で誠実な飼い犬 その三

お疲れ様です。


週末の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。


それでは御覧下さい。




 彼が少し長い息を漏らすと俺の目を確と捉えて重い口を開いた。


「まだ私が議員になって間もない頃。突如としてあのオーク共がこの大陸に住む人々を襲い始めた。魔女が居るとされる居城。アイリス大陸西南西から湧き、奴等は侵略を開始した。人々は西から東へ避難を始め、道中多くの命が失われた。もう今から二十年も前の話だ」



 そう、あの忌々しい黒い塊共は何の前触れも無く突如として大勢の命を奪い始めたんだ。


 人が謳歌すべき幸せな人生を踏みにじり、明るい笑みを奪い、心に恐怖を植え付けた。


 その報いは必ず受けて貰うからな……。


 心に渦巻く憎しみを誤魔化す様に、右手をぎゅっと強く握った。



「オークの侵攻は大いに混乱を招き、その所為で大陸の西部は奴らが跋扈する土地へと変容してしまう。それを看過する訳にはいかない。そう考え、私とレナードを含む多数の議員が徒党を組みパルチザンの創設に動き始めた。当初は軍を持つべきでは無い、傭兵や志願した民間人を登用して当たらせるべきという声も挙げられてね?? そりゃあ苦労したもんさ。反対派の議員から、肯定派の議員。ほぼ全員に頭を下げ、協力を仰ぎに毎日伺いに行ったんだ」



「ベイスさんのお陰で自分達は今の生活を噛み締めている事が出来ているのですね。本当に、ありがとうございます」



 どれだけの労力を割いたんだろう。


 彼の労を考えるだけでも胃が締め付けられる様に痛んでしまう。



「そう言って貰えると嬉しいよ。創設の法案も通り、残る問題は資金面と人材の確保。ここで、今も続く頭を悩ませる問題が発生してしまったんだ」



「――。イル教、ですよね」



 少し考えた後、恐らく。いや、十中八九正答であろう考えを述べた。



「そうだ。今やその名を知らぬ者さえ探すのが難しい宗教団体。当時の皇聖が資金面で援助を申し出て来たんだよ。私は当然反対した」


「後ろから牛耳られるのを危惧した、と??」


「その通り。しかし、オーク共の侵攻は日に日に進み。四の五の言っていられない状況でね……。最後まで反対していた私とレナードは遂に折れたんだよ」



 大佐も難色を示していたのか。



「そして、腕に自信のある猛者共を集めて第一期生が誕生した。彼等と傭兵、そして志願兵。総勢十万名の兵士達は西へ向かい、四六時中戦いに明け暮れ、オークの猛攻を辛くも退けた。一期生二万の兵は今では百名足らずに減ってしまったが、今日の人間の領土は彼等が死に物狂いで掴み取ったもの。私は彼等に対して足を向けて寝られないよ……」



 自分達が創設した軍隊。そして人々の為にと大義名分を掲げた軍人達が亡くなってしまったのだ。


 ベイスさんの胸の内の痛みはとてもじゃないけど図りようが無い。



「レナード大佐は一期生ですよね?? 彼も西方へ??」



 ラテュスさんから伺った通りなら後方勤務なのだが。


 その前に前線へ赴いている可能性もある訳だし。



「態々議員を辞職し、パルチザンに入隊して貰ったのは後方で指揮を執る為だよ。彼はこの国を救うべく重要な決断をしたのだが。家族の方々が猛反対してねぇ……。それを説得するのにどれだけの時間を費やした事か」



 ラテュスさんが仰っていた大佐の家族を説得したのはベイスさんだったのか。



「そして彼は日々送られてくる戦死者の数を計上して遺族への通知を担当、彼等から罵声を浴びせられ続けた。それでも……。彼は仕事を続けた。それが自分の責務だと認識してね」



 大佐が遺族への通知を……。


 数万を超える隊員達の死を伝えるのはさぞ辛かったであろう。



「一期生達が西方で激しい戦闘を繰り広げていると同時にレイド君も利用した訓練所が建設された。戦いと同時進行で二期生、三期生が募られ。そこで汗を流し、戦いの技術を学んで西方へと出発して行ったんだ。こうして、今の体勢が整ったんだよ」



 創設の歴史は当然知っているけど。


 当事者から聞くと、こう……。胸に刺さる物があるな。俺達の先輩方の名に恥じぬ様。一段と身を引き締めて鍛錬に励むべきだ。


 ベイスさんの声色にはそう決意させるだけの重みがあった。



「特殊作戦課は?? いつ出来たの」



 レシェットさんが難しい表情を浮かべたまま問う。



「特殊作戦課は今から五年前。彼女が教団の皇聖の座に就いた時に創設された」



 彼女が就任と同時に特殊作戦課が創設、か。


 シエルさんが作ったのかな??



「恐らく、ですけど。シエル皇聖がパルチザン内部に創設させたのでは??」



 資金面の援助を受ける代わりに彼女達の息の掛かった部隊を創設させる。これなら矛盾は無いと思うけど。



「レイド君の考えは……。そうだね、半分は当たっているよ」


「半分、ですか」



「創設を提言したのは彼女だ。創設に最終判断を下したのは総司令であるマークス氏だよ。軍の中で最も危険な任務を請け負う部隊を創設、その主たる目的は死地へ赴き乾坤一擲となる情報を掴み取る事。そして創設に掛かった費用、並びに活動資金はあの教団から出資されている」



 幾つもの要因が重なって情報を公に出来なくなったのか。それなら納得出来るな。



「公に出来ない理由は任務の生還率の低さもあるけど。公的な組織に一民間の組織が介入するんだ。血税から成り立っている組織に民事が、しかも宗教団体が介入していると知れたら市民の心は穏やかじゃ無くなるだろう」



 ベイスさんの仰る通り。


 そうなると、危険な任務に携わった兵士達はシエルさんの命で死にに行ったようなものになるのか?? それとも上層部の誰かが単独で命令を下したのか。


 それは俺の様な下っ端が窺い知る事では無いけど……。何だか釈然としなかった。



「そんなの……。さっさと切り捨てればいいじゃない」


「レシェットさん。自分達の武器も装備も食料も、全て資金が必要なのです。自分も納得出来ませんが背に腹は代えられないのです」



 今にも噛みつきそうな顔を浮かべている彼女へそう話す。



「私もレイド君の意見に賛成だ。魔女、そしてオーク打倒の為には目を瞑らなければいけない事もあるんだ。うわべだけを見ていられる程、今の状況は芳しくない」


「資金面はどうしようも無いのは分かるわ。私がもう一つ気になったのは。生還率の低さって事よ。レイド。あなた、その数字知ってる??」



「――――いいえ。伺い知れませんね」



 急な質問に驚き、数舜の間を置いて話す。


 大雑把な事は知っているけど……。


 レシェットさんは知らなくて良い事ですし……。



「嘘ね。ほら、さっさと教えなさい」



 う――む……。


 俺はよっぽど嘘を付くのが下手らしい。


 速攻で看破され、問い詰められてしまった。



「で、ですから。本当に知らないのですよ」


「本当の事言わないと……。酷い事するわよ??」



 ひ、酷い事!?


 本当に出来そうだから怖いんだよなぁ。


 はぁ、仕方が無い。



「これは特殊作戦課の任務かどうか分かりませんが数か月前。不帰の森内部、西の前線の調査に赴いた数十名の兵士の内生還したのは……。僅か一名です」


「は、はぁっ!? そんな危険な任務に行こうっていうの??」



 ほらぁ、こうなる。


 目をカッと見開き、お前は正気かと疑う様な顔でこちらに噛みついて来た。



「つ、次の任務はどうなるか分かりませんし。比較的安全な任務かも知れませんから……」



 自分で言っていてもあからさまな気休めにしか聞こえない。


 こういう時、もっと上手く嘘を付けたらな。



「認められないわ。レイド、あなたは将来私の……。いいえ。アーリースター家を一生護衛する者なの」



 おやおや?? いつの間にそんな事が決まったのかしらね??



「あなたの力はそんな事に使われるべきじゃないの。断りなさい」


「じょ、上官命令ですので……。従う義務があるのですよ……」


「いいわ。そのレナードって人に私が話しを付けて来てあげる。そこで大人しく座って待ってなさい」



 そう話すと勢い良く椅子から立ち上がり、扉の方へと向かって行ってしまうではありませんか!!



「だ、駄目ですって!!」


 こちらも慌てて立ち上がり、扉とレシェットさんの間に身を割り込ませた。


「退きなさい」



 うぅ……。そんな怖い目で見上げないで……。



「レシェット。レイド君は軍属の身だ。彼が話した通り命令には従う義務がある。子供じゃないんだから、それ位理解しなさい」



「だったら……。父さんはレイドが死んじゃってもいいって思ってるの!? そんな薄情な人だとは思わなかったわよ!!」



「私は彼の力を信じているから何もしないんだ。お前も彼を信用しなさい」


「そんなの……。そんな事分からないじゃない!! もういい!! 退いて!!」



 両手で力任せに俺の体を押し退け、仰々しく扉を閉めて出て行ってしまった。



「――――。申し訳無い、まだあの子は甘さを捨てきれていないんだ」



 ベイスさんが大きく溜息を吐いて肩を落とす。



「それがレシェットさんの良い所ですよ。自分はそういう所も含めて、レシェットさんであると考えていますから」


「君は優しいな。へそを曲げて貰っては後の仕事に響く。娘を納得させてやってくれないか??」


「自分の力量では難しいかも知れませんが……。分かりました、説得してみます」



 彼の願いに了承の意味を籠めて小さく頷いた。



「ありがとう。娘はここを出て左へ進み、一番奥の扉の部屋に居る」


「了解しました。では行って参ります」


「頼む」



 珍しく力の無いベイスさんの言葉を受けると食堂を後にして通路を進み始めた。



 レシェットさんが怒ったのは俺の身を案じての事、で合っているよね??


 この家庭を一生護衛するってのは聞いていないけど、身を案じてくれた事については本当に嬉しかった。


 貴族のしかも次期当主でおわす方が、たかが下っ端の軍人の俺なんかに……。



 しかし、嬉しい反面。



 彼女の厚意を素直に受け取れない状況に少しだけ申し訳なさが生まれてしまう。


 軍属の身である以上、俺には命令に従わなければならない義務がある。


 思いの丈を確実に伝えれば納得してくれるであろうか?? でも、心に浮かぶ言葉をそのまま伝えると惨たらしい仕打ちが待ち構えているだろうし……。



 言い訳と釈明の言葉をあれこれ考えていると通路の終わりに到着してしまった。



 ここがレシェットさんの部屋か。


 普通の家庭の扉より一回り大きく、そして木目が美しい扉が俺の前に静かに立ち。



 さぁ、準備は整ったか?? と問いかけて来る。



 いや、まぁ……。完璧には整っていませんが。


 面と面を向けて、互いの考えを交わしたいと考えている次第であります。


 高価な扉を三度叩き、こちらの存在を向こう側に伝えた。



「レシェットさん。レイドです」



 果たしてどんな反応が返って来るのでしょうか。



『……。何よ』



 う、うむ。想定の範囲内の冷たい声だ。



「あの……。少しお時間を宜しいでしょうか??」



 出来るだけ相手の気持ちを逆撫でない様、冷静且温厚な感情を籠めて高価な扉へ向けて話す。



『…………どうぞ』



 不動の大地を切り裂く程の大噴火が間も無く予想される火山へ調査に向かう決死隊の感情はきっとこんな感情でしょうね。



「し、失礼します」



 怒り心頭状態の部屋の主に入室の許可を得て、五月蠅く鳴り響く心臓を宥めつつ恐る恐る扉を開いた。




 レシェットさんの部屋は一人で使用するのには十分過ぎる間取りで、数十人が布団を敷いて両手両足を伸ばして眠っても御釣りが来る広さだ。


 左奥に鎮座する王様が使用するのかと疑いたくなる大きさのベッド。


 その脇に立つ化粧台と一切の曇り無き鏡面。


 此方から見て部屋の中央やや右に丸型の机とそれと対になる形で椅子が置かれており。



 レシェットさんは奥側の椅子に座り、何人も慄かせてしまう重苦しい空気纏い無言を貫いて俺をじろりと睨み続けていた。



「あ、あのぉ……」



 机の前におずおずと歩み寄り、自分でも情けないと感じてしまう声量で話し掛けると。



「何??」



 心臓が凍り付いてしまう冷たい声と冷酷な表情に肝が視認出来てしまう勢いで縮んでしまった。


 怖いを通り越して虞を覚える程だよ。



「先程の件について、なのですが」


「馬鹿みたいにぼうっと突っ立ていないで、先ず座ったら??」


「あ、はい」



 静かに椅子を引き、姿勢をしっかりと正して彼女を正面に捉えた。



「ベイスさんが仰った様に。自分には命令に従う義務があるのです」


「それは聞いたわ。私が聞きたいのは、どうしてレイドが行かなきゃいけないかって事」



「自分にもその理由は伺い知れません。ですが、これだけは分かっています。自分の力を必要とされているから召集されたのです。これは、本来なら大変喜ばしい事なんですよ?? 自分の力が認められたって事ですから」



「…………」



 確かにその通りだ。しかし、私は納得出来ない。


 そんな微妙な表情を浮かべ、じっと黙って机の上を見下ろしている。



「レシェットさんがこちらの身を案じてくれる事に対して、自分は本当に嬉しく思っています。それだけ自分の力を必要としてくれているのですから」


「……うん」



 おっ、ちょっとずつ分かって来てくれたかな??


 氷山が温かな陽光で溶け始め、表情にも若干の温もりが戻って来てくれた。



「命の保証も無い任務に出発しても得られるお金は雀の涙程。道半ばで倒れても世間には公表されず、埋葬される事も無く遺体は野晒。辺鄙な所で朽ち果て土塊と化す。あなたが請け負う任務はこういう事なのよ?? どうしてそれを、はいそうですかって二つ返事で納得出来るのよ」



「全てを納得している訳ではありません。本音を言いますと……。自分も怖いですよ?? ですが、危険な任務であればそれだけ得られる戦果があるのです。それに自分が行かなくても他の誰かが選出されます」



「だったら!!」



「レシェットさんは本当に優しいですね。自分の身をそこまで案じてくれるのはレシェットさんくらいですよ。自分の為では無く誰が為に命を張る。それこそパルチザンの兵士の心得なのです。自分の身一つで多くの命を救えればそれこそ軍人の本懐と言うべきなのでしょう」



 俺がそう話すとそれでも納得いかないのか。


 口を横一文字に閉じ、こちらの身を案じる優しくも切ない瞳を向けていてくれる。



「レシェットさんが納得いかないのはどうして自分なのか。そうでしょう??」


「……」



 俺の言葉に静かに一つ頷く。



「それは仕事だから。そう一言で片付けられれば楽なのですが……」




「分かってるよ。私も自分が我儘を言っているって分かっているの……。以前の私は新聞の一面や、人からの話で頑張って戦ってくれている兵士達の戦死を聞いても他人事にしか聞こえなかった。でも、父さんに師事するようになって、レイドと知り合って。それは決して他人事じゃないんだって理解出来たの。この大陸に住む人達を守る仕事は凄く立派だと思うよ?? でも、でも……。どうしてレイドが危険な任務に行かなきゃいけないの?? 私の側で……。前みたいに守ってよ……」




 肩を落とし、項垂れ、覇気の籠っていない声で話す。


 俺は椅子から立ち上がり彼女の側で片膝をついて静かに語り掛けた。




「自分達の仕事を立派と仰って頂けた。それは物凄く励みになります。この街には自分達の仕事を他人事と思っている方が大勢いらっしゃるでしょう。ですが、レシェットさんは決して他人事では無い。まるで己の事の様に考えて頂いている。自分はそれが何より嬉しいのです」


「……」



 視線を落としたまま力無く一つ頷いてくれる。



「約束します。自分は必ず帰って来ると。ですから、帰って来たら美味しい御飯を用意して頂けますか??」


「……ふふ。何でそこで御飯なのよ」


 少しだけ口角を上げ、いつもの美しい青の瞳でこちらを見つめてくれた。


「栄養を摂取する事は大切ですよ?? 生きてく上には必要不可欠な行為ですからね」



「なんか締まらない言葉ね。はぁ――――……。うん。納得出来ないけど、微妙に納得出来たかな??」



 微妙なんだ。



「じゃあ、私が命令するわ。必ず帰って来なさい」



 椅子からすっと立ち上がり、今も片膝を着いている俺を見下ろす。



 何んと言いますか……。


 上から見下ろす姿がやけに似合いますね??



「仰せのままに……」



 俺が仰々しくそう話すと。



「「ふ……あはは!!」」



 互いに笑みを浮かべて陽性な声を惜しげも無く出し合った。


 権力を持った一人の主といつまでもうだつの上がらない従者。


 俺達の姿がそんな風に見えて滑稽に映ったのだろう。



「は――。笑った。こんなに笑ったの久々よ」


「それだけ根を詰めていたのですね」



 立ち上がりそう話す。



「まぁね。色々と勉強する事があって大変よ。偶には息抜き…………」



 そこまで話すと何かを思いついたのか。


 ニィッと、意味深な笑みを浮かべてしまった。



「レイド」


「はい?? 何です??」


「そこのベッドに腰掛けなさい」



 後方のベッドへ指を差す。



「ベッドに?? ――――こうですか??」



 言われるがまま腰を掛けると、想像通りの柔らかさに臀部がほぅっと顎に手を当てて満足気な声を上げてしまう。


 おぉ、見たままの柔らかさだな。


 これなら睡眠中に腰を痛める事は無いだろう。



「んふっ。…………ねぇ?? 知ってる??」



 おっとぉ。


 いきなりどうしたんですか?? 恋人に甘える女性の様な甘い声を出して。



 心の中の衛兵がすっと立ち上がり。



『て、て、敵襲――!! 総員配置に就け――――ッ!!!!』



 とても大きな木槌を手に取り警鐘を高らかに鳴り響かせた。



「私、ね?? もう子供じゃないんだよ??」


「そうなのですか??」



 でしょうね。とても十六の子が浮かべる表情と体付きではありませんので。



「ちゃんと子供も産める体、なんだ……」


「それは初耳です」



 敢えて遅々とした所作でにじり寄る彼女に対し、一人の男として情けないとは思うが後退りを始めてしまう。



「死地へ赴く兵士さんが新しい命を残して行くって話。良く聞くよね??」


「い、いいえ。それは伺った事はありません」



 やっべぇ……。このままじゃ確実に食われる!!


 どうして急にこんな事になるんだよ!!


 獲物を狙う猛禽類の鋭い瞳が怪しく光るとベッドの上で後退りを続ける俺を追い四つん這いの姿勢で追い始めた。



「胸も……。ちゃんとおっきくなってるんだよ??」



 俺の視線に気付いたのか。それとも気付かせたいのか。


 重力に引かれて丁度良い塩梅に隙間が出来てしまったシャツの合間を指でクイっと下げて強調する。



「さ、さてと。そろそろ食事の用意が出来た頃ですよ?? 行きましょうか」



 この甘ったるい雰囲気を蹴り飛ばそうと場にそぐわない話題を提示。さり気なくそして素早い所作で反対側のベッドから立ち上がる。


 しかし。


 弱った獲物を見逃す程ベッドの上の猛禽類は甘く無かった。



「駄目……。ここで私と過ごすの……」


「へっ!? ちょ、ちょっとぉ!!」



 左腕を掴まれ、再び狩場へと戻されてしまう。



「私から逃げないで??」


「逃げてはいません。ベッドが心地良いので移動しながら感触を楽しんでいるのです」


「私を捕まえなさい」


「腹が減っては戦は出来ませんからね。何をするのにも、先ずは食事です」


「捕まえなさいって言ってんの!!」



 右の太ももを細い指先で思いっきり抓りながら少々理不尽な言葉を叫んでしまった。



「お、横暴ですって!! だ、大体。人様の御屋敷でそんな事、とてもじゃありませんけど出来ませんよ!!」


「違う場所ならいいの?? 静かな所、知ってるよ??」


「そういう事じゃないんです!! それと!! 何故知っているんですか!!」


「ふふ。女の子は色々と知識が要るのっ」


「そうなんですか……。ちょっと!! 太ももをなぞらないで下さい!!」


「あ、ごめん。くすぐったかった?? それとも……。もっと上が良い??」


「け、結構です!!!!」



 や、やばい!! な、何んとかしないと本当に新たな命をここに残して戦地へと赴く事になってしまうぞ!?


 額に脂汗を浮かべて慌てふためく俺に対し、御主人様に猛烈な愛情行動を示す愛猫の様に絡みついて来ようとする。


 うら若き女性の体に極力触れぬ様、次々に襲い掛かる柔肉の横着な攻撃を撃退し続けていた。






 ――――。




「…………。ピュセル、二人の様子はどうだい??」



 一人の女性が物静かに扉の前で中の騒ぎを聞いていると、屋敷の主が静かな足取りでやって来る。



「御主人様……。助けに入る機会を窺っている所で御座います」


「助ける?? 娘を??」



『駄目です!! 了承出来ません!!』


『男らしくないぞ!! 私が命令しているの!! 聞きなさい!!』



「――成程。そう言う事か」



 ベイスが一つ何かを理解したかのように扉に向かって静かに頷く。



「どうされますか?? 既に食事の用意は出来ていますが……」


「二人のほとぼりが冷めたら呼んでやってくれ。私は先に食事を済ませておくから」



 若干慌てる彼女に対し。


 ベイスは軽い笑みを浮かべて食堂へと踵を返してしまう。



「ほとぼり……ですか」


「そうそう。事を始めても構わないが紳士な彼だ。逃げの一手に興じるだろう。危ないと思ったら『彼』 を助けてやってくれ」


「は、はぁ……」



『あっ。今、触った……。よね??』


『いいえ!! 決して触っていません!!』


『嘘だ――。嬉しそうな顔してたよ??』


『元々こういう顔なのです!! それと!! いい加減体から手を放して下さい!!』


『どうしよっかな――』


『ひぃっ!!!!』



 男女の軽快にも乱痴気騒ぎにも聞こえてしまう珍妙な声が扉から漏れ続ける中。


 一人の使用人が男の悲鳴にも似た声を受けると扉へと手を伸ばす。


 しかし。



『あはっ!! ここ、硬いねっ』


『ひ、人の体を勝手に触ってはいけないと教わらなかったのですか!?』



 まだ危機では無いと悟ったのか、救出の手を元の位置に戻してしまった。



「……っ」



 そしてそれから暫くの間、何度も手を伸ばしては戻すという動作を呆れる程に続けていたのだが。


 その行為にいい加減嫌気が差したのか。



『駄目ですって――!! これ以上は勘弁して下さい!!』


『いい加減諦めなさいよ!! 私は貴方の主なのよ!? 飼い犬は御主人様の命令に従いなさい!!』


『そ、そんな。横暴で……。いやぁぁああ――――!!!!』


『こ、このっ!! 逃げ足の速い犬め!! 今日という今日はちゃんと躾てやるからねっ!!』



「はぁ――――……。御二人共、どうかごゆるりと御楽しみ下さいませ」



 彼女はこの状況を把握していない赤の他人でも数舜で理解出来てしまう程の鬱憤と疲労を含めた溜息を吐き残し、大変静かな足取りでその場を後にしたのだった。





最後まで御覧頂き有難う御座いました。


昨日のガーリックパニックから一夜明け、恐る恐る口内の匂いを確認したのですが……。幸いな事にブレスケア様のお陰で大蒜の香りはほぼ消え失せていました。


皆様も大蒜の摂り過ぎにはくれぐれも注意して下さいね??



さて、読者様達の中には力自慢の彼女を早く合流させなさいよと考えている方もいらっしゃるかと思われます。次話では海竜さんがお迎えに行きますのでどうか御安心下さいませ。



そして台風が本州に接近しつつあります。来週は悪天候に見舞われる可能性が高いので気を付けて過ごして下さいね。



それでは皆様、お休みなさいませ。


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