第百六十八話 泣きっ面に美姫
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
任務帰還直後からの徹夜明け、未記入の報告書の山積による精神的疲弊。大佐との面談で高まってしまった緊張感とこれまでの移動及び躍然たる彼女との組手。
疲労が積み重なる悪条件がこれでもかと重複して遂に限界を迎えた体は地面に惨たらしく倒れるかと思いきや、意外や意外。
俺の体は『かろうじで』 頭の指示に従ってくれている。
美しい花達の喧嘩を終始見守り、イリア准尉が満足気に鼻息を漏らして屋敷の中に入って行った所で姉妹喧嘩は終了に至り。
ラテュスさんから大袈裟な謝意と四日後に行われる試験の日時を改めて伺い解散となった。
時刻は昼過ぎであろうか。
不機嫌なお腹の声と太陽の角度を捉えれば自ずと理解出来てしまう。
朝ご飯はルピナスさんの手作りおにぎり二個。大変味が良かったんだけど、如何せん。体がそれ以上に栄養を欲してしまっている。
この街で適当に食べて戻ろうかな??
大佐の屋敷から街の東大通りへと重い足を引きずりながら出て、何とも無しに通り沿いの飲食店を見て移動を続けているが……。
「どこの店も高そうだよなぁ」
格式高い門構えの店に入る前から億劫になってしまうのは一般庶民の悲しい性か。
軽い気持ちと足取りで入店しようと思える店は中々見つからなかった。
モニュルンさんのお店も十分高かったし、ここのお店はそれを遥かに超えた額なんだろうなぁ。
「……」
あぁ、あの店の味を想像するんじゃなかった。
比較的静かな雑踏の中でも己の腹の叫び声が耳に届いてしまう。
ここは我慢の一択。
レイモンドに帰って、この街のお店達の一割程度の額で腹が裂ける程食ってやる。
断固たる決意を胸に秘めて重い足と晴れぬ心を引っ提げて移動を開始した。
大体さぁ、俺が召集された理由を教えて貰いたかったんだよね。
大佐は敢えてそれを言わなかったのか、それとも言えなかったのか。
いきなり呼び出されて、これまで受けた任務の内容についてあれこれ詮索されて。挙句の果てに、四日後に試験を受けろと来たもんだ。
まぁ、受けますよ?? 上官命令だし。
だけどねぇ……。何故俺に御声を掛けたのか。その理由が知りたいのですよっと。
本日何回目か分からない溜息を付いて心の靄を吐き出し、新鮮な空気を吸い込む。
こういう時は悪い方向に考えるから良くないんだ。大小関わらず、与えられる任務は重大でありその一つ一つがこの大陸に住む人々の為になる。
うむ!! 確かにそれは肯定出来るぞ。
今回の任務の重さは矮小で雑務と変わらない任務に比べれば、『ちょっとだけ』 重要だと捉えればいいのかな??
いやいや、そんな風に捉えちゃ駄目だろ。
存在を公にしたくない特殊作戦課の危険な任務。
それはつまり隊員達の全滅も視野に入れている証拠だ。
レフ少尉のお茶目な行為でその危険性を知ってしまったのが今では猛烈に後悔している。
一般人や傭兵の混成部隊では無く。傑物揃いの軍人のみで構成された部隊が全滅すると予想されているんだぞ??
水面下で提案されている今回の任務も当然、上層部が想像している以上の熾烈を極める筈。
はぁ――……。
悪い方向に考えない様にすればする程、ドツボに嵌ってしまう。
俺より適した人が沢山いるんじゃないのか?? たかが伍長が受けてもいい任務じゃないでしょうに……。
実際、イリアさんも准尉って立派な階級なんだし。士官の方々で、素晴らしい戦績を残している人を召集すればいいんだよ。
俺に白羽の矢が立った事は素直に喜ぶべきなのだろうか。
つまり、お偉方から認められたって認識でいいんだよね??
それはそれで嬉しいが、分不相応の任務にならない事を祈ろう。
空腹と疲労で絡みついて解けなくなってしまった糸の様に考えがごちゃ混ぜになって唸っていると、背後から小気味の良い馬の蹄の音が聞こえて来た。
お――。嬉しそうな足音だなぁ。
馬の調子の良さ、機嫌の良さ。
ウマ子と長く付き合って来た所為か、足音で凡その感情が読み取れる様になってきた。
この足音から察するに。上機嫌な騎手の様子が馬に伝わったか、それとも馬自身が嬉しい気持ちを胸に抱いているからの二択だな。
軽快な蹄の音に元気を貰っていると、それが徐々にこちらに向かって近づいて来るでは無いか。
あれ?? 俺って、ちゃんと通りの端を歩いているよな??
間違って馬車の通り道を歩いているのでは無いかと、考え足元を見下ろすが……。
ちゃんと人間用の歩道に両の足は立って居た。
って、事はですよ??
確実に背後から俺に向かって馬車が向かって来ている訳だ。
「――――あ、危ない!! そこの人!! 避けて下さ――い!!」
大いに取り乱した男性の声が空気を切り裂いて耳に届く。
まさかとは思いますけど、俺の事じゃ無いでしょうね??
頼むから勘違いであってくれ。
そう思いつつ振り返った。
「避けてぇぇええ――――!!」
残念。俺の願いは泡となって儚く消え失せてしまった。
制御不能に陥った馬の手綱を手に取る騎手が大慌てで叫びながら此方へと向かって来る。
その背後には美しい漆黒の馬車があり、あの質量そのものが体に衝突すれば只じゃ済まないぞとこちらに気付かせてくれる。
そして、先頭を走る白馬が俺の視線に気付くと更にその速度を上昇させてしまった。
はは、明日の朝刊の見出しは決定だな。
『レンクィストで男性が馬に撥ねられ重傷。馬の暴走が原因か!?』
うん、とてもしっくりくるぞ。
俺は覚悟を決めて暴走する白馬を待ち構えた。
そして、馬に踏みつけられた後。馬車の車輪に轢かれる覚悟決めて丹田に力を入れると……。
「――――。あはは!! こら!! くすぐったいって!!」
こちらの予想していた衝撃の代わりに、生温い感触が頬を伝って行った。
暴走した白馬の正体は何度か厩舎で見掛けたあの高貴な馬。
グレイスであった。
「俺を見付けたから来てくれたのか?? こいつめ。意外とやんちゃだな」
舌の襲来を右手で躱しつつ、左手でふさふさの毛を撫で。豪快な挨拶に対する感謝を現してやった。
「あ、あの――。大丈夫でしたか??」
「え?? あ、はい。グレイスとは何度か厩舎で会って。お、おい。どこに頭入れてんだよ。それで自分の姿を見付けて挨拶をしに来たんだと思います」
懐にぐぃいっと頭を侵入しようとする頭を御し、俺とグレイスが戯れている姿に口をポカンと大きく開いて呆気に取られている騎手さんへ言ってあげた。
「大人しくてとても利口な馬なのに。急に言う事を聞かなくなったと思ったら……。そういう事でしたか」
「お手数かけましたね」
この場合、お手数を掛けたのはそちら側なのだが。
細かい事は気にしないでおこう。
「それにしても本当に好かれていますね??」
「馬に好かれる性質かもしれません。こらっ!! 襟を食むな!!」
騎手さんと取り留めの無い会話を続けていると。
『私とも話して』
そんな御強請りにも似た口撃が背後から襲い掛かる。
ウマ子がいないから積極的なのかしらね。あいつがいると、ジロリって睨んじゃうし。
『どうした?? 大丈夫だったのか??』
グレイスの口撃を外し、襲い掛かる面長の顔に悪戦苦闘していると男性の籠った声が馬車から漏れて来る。
「あ、はい。グレイスが暴走したのはどうやら彼が原因のようです」
『彼?? その者に怪我は無かったのか??』
「はい。御無事です」
『そうか。彼にそこへ待つ様に言ってくれ』
「畏まりました。そこの君、御主人様が挨拶を交わすようだ。そこで待ってくれ」
馬車の男性の声を聞き取ろうとしても、グレイスの顔が邪魔でよく聞こえない。
「あ、はい。分かりました」
かろうじで騎手さんの声は理解出来たのでそのまま頷き、主人の到着を待った。
「…………。これは驚いた。久しぶりだね、レイド君」
「ベ、ベ、ベイスさん!?」
キチンと整った灰色の髪に高級感溢れる上下黒の背広。
相変わらずしっかりと伸びた背筋が真摯な印象を与えてくれる。
驚いたぁ……。まさかここで再会するとは思わなかったよ。
「どうもお久しぶりです!! と、言う事は。グレイスはベイスさんの馬だったんだな」
今も俺の背をぐいぐいと顔で押す白馬の方へ振り返って横着な頭を一つポンっと撫でてやる。
「こんな所で再開するとは夢にも思わなかったよ」
「えぇ、自分もそう思っていた所です」
「この街には何の用で??」
「はい。実はとある方に召集の指示を受けまして、その御方の屋敷に足を運びレイモンドへと戻る最中でした」
一応、名前は伏せておきましょうかね。
「ふぅむ……。とある御方。その者は、ひょっとして……」
ベイスさんが名前を出そうと口を開くと。
「ッ!!!!」
馬車の扉がけたたましく開かれた。
何事かと思いベイスさん越しにその人物を捉えようと顔を覗かせるが、その数秒後にはこの行為はほぼ無意味であると確知する事になった。
「レイド――――――――ッ!!!!!!」
「お、御待ちになって……!! あぐぇ!!!!」
ベイスさんが居るって事は、彼の側で勉学に励む彼女も当然居る訳だ。
彼女は駆ける勢いそのままに俺の体に飛び付き、何の遠慮も無しに首に両腕を絡ませて来る。
驚きと再会の喜びを噛み締める暇も無く俺の臀部は冷たい地面と仲良く挨拶を交わした。
「久しぶりだねっ!!」
「え、えぇ。お元気そうで何よりです……。レシェットさん」
高価な価値のある金塊も彼女の髪には嫉妬を覚えずにはいられないであろう。以前会った時より、金色が煌めき太陽の輝きによって一本一本が美しく照らされている。
此方へ向かって駆けて来た所為か。
ちょっとだけ前髪が乱れ、前髪の分け目から美しい青の瞳が俺を捉えた。
冬らしい乳白色のシャツに濃い茶色の上着。
そして長い白のスカートを着用し、肌触りから高価な服であると推測される。
勿論?? 衝撃から彼女を庇う為に支えた訳であって。公衆の面前で盛大に抱き着いている訳では無い事を付け加えておきましょう。
「レシェット。人前だぞ?? もう少し控え目な挨拶を心掛けなさい」
「え――。父さんだって久しぶりに嬉しそうな声出してたよ??」
髪を整え、ベイスさんの方へ顔だけ振り返らせて話す。
「それは……。まぁ、そうだね」
「でしょ?? それならいいじゃん」
その理由は如何な物かと思います、はい。
「ねぇ!! 何でここにいるの?? どう?? 最近、髪の毛伸ばしているんだけど似合うかな?? あっ!! そうだ。今日は一人?? 前回護衛してくれてくれた人達は今日いないのかな??」
「レシェットさん??」
「もう最近さぁ、父さんの手伝いばっかで飽きて来ちゃったんだよねぇ。偶にはこの街を出てぱぁっと遊びたいんだけど、そんな時間も無いし……。ねぇ!! また私の護衛に付いてよ。それで出掛けてさ。あれ?? 目の下にクマが出来てるよ?? 寝不足?? あ、そうそう!! この前の手紙有難うね!!」
「レシェットさん!! 先ずは退いて頂けますでしょうか!!」
俺の慙愧に耐えない思いを無視し、一気呵成に話を続ける顎下の彼女へそう話す。
「退く?? 別にいいじゃない。私とレイドとの関係だし。気にする必要は無いわよ」
「レシェットさんはそうでも、自分は多大に気にするのです!!」
「きゃっ!!」
両手で彼女の両脇を支えて強制的に立たせてやった。
大体。
実の父親の前で、娘さんとくんずほぐれつの姿勢を取り続ける訳にはいかんのですよ。
心象良く無いですし。
「もう――。別にいいって言ったのに」
可愛らしくむすっと眉を顰める。
「ベイスさんも仰いましたよ?? 公衆の面前だって」
臀部に付着した埃を払いながら立つ。
「まぁ、後でもいいか」
後??
一体何を申すのですか?? 自分はこれから仕事を片付けに山の麓へと向かうのですよ??
「それより。どうしてここに居るの?? あっ!! 私を探しに来たの??」
「いいえ。自分はここへは任務で参りました」
「冗談よ」
えへへと柔和な笑みを浮かべて話す。
うぅむ……。以前より可愛さに磨きをかけたというのか……。
御屋敷で見た時よりも笑顔がより一層眩しく見えてしまう。
「それで?? 何の任務??」
「それは軍規で申し上げられません」
「いいじゃん教えてよ!!」
「ですから!! 駄目なものは駄目なんです!!」
何の遠慮も無しにずいっと空間を削って来る彼女から後退して話した。
「レシェット。レイド君が困っているだろ。少しは彼の話を聞く姿勢を持ちなさい。それは恐らく……。彼の事だよね??」
流石というか。
ベイスさんは既にお見通しの様で、ちょっとだけ口角を上げてそう仰った。
「ベイスさんの想像通りの人物である事は間違いありませんね」
「ふむ、やはりそうか。だが、彼と会うとなると……。無理難題を吹っ掛けられただろ??」
「詳細は話せませんが……。そうなる可能性がぐっと増えましたね」
声色と表情からしてレナード大佐、並びに特殊作戦課の存在を知っているのだろう。
この街では軍属の人は嫌でも目立つだろうし。
「ちょっと。私の知らない所で話しを進めないでくれる??」
俺とベイスさんの間に入り、交互を見つめながら話す。
「今はレイド君と話しをしているんだ。もう少し待ちなさい」
「嫌よ。私だってレイドと話したい事山の様にあるし。ねぇ、レイド。この後暇??」
ですから、御父様のお話を聞いて下さい。
「いいえ。自分はこれからレイモンドへ戻り、山の様に聳え立つ空白の報告書と格闘を再開させねばなりませんので」
これからの予定を端的に説明する。
アレが頭の中に浮かぶと、どっと疲れが襲い掛かって来る。
明日までに仕上げないと……。
「そんなの後でいいわよ。私達、これから屋敷で昼食を摂るんだけどさ。一緒に食べない??」
昼食。
その言葉がなんと甘美に聞こえる事か。
空腹で苦しい我が身には嬉しい誘いだけど……。
「申し訳ありませんが……。仕事が山積……」
あぁ、やっちまった。
後ろ髪引かれる思いで御断りさせて頂こうと話している最中。
『俺は腹ペコなんだぞ!?』 と。
盛大に我儘な腹の虫が鳴いてしまった。
「あはっ。お腹は嫌だって言ってるよ??」
可愛い仕草で俺の腹をちょこんと突いて話す。
「態々お屋敷に招いて頂くのも忍び無いですし。それに、ベイスさんの了承の言葉も頂いておりませんので」
「私は構わないよ。君には色々と聞きたい事があるから」
色々と聞きたい事??
大佐の事だろうか??
「ほら!! 決まったよ!! 馬車に乗って、移動しましょう!!」
「ちょ、ちょっとぉ!!」
左腕を取られ、強制的に馬車へと連れられてしまう。
ま、まぁ……。食事くらいならいいかな。
卑しい腹を一つ睨み、一般庶民が決して普段使い出来ない高価な馬車へと足を踏み入れた。
――――。
「……いや――。お嬢様があんな顔を浮かべるとは思いもしませんでしたよ」
「そうかね?? あれが本来の姿なんだけどね」
「あ、いえ。決してそう言う意味ではありません。こう、何んと言うか……。分け隔て無い笑顔。信を置く者に対する態度であると感じた訳です」
彼がそう言うと何かを誤魔化す様に頭を掻く。
「彼には大きな借りがあるからね。娘が本気で信用している者は彼以外に居ないだろう。友として、又一人の男として」
「お父さん!! 早く行くよ!!」
ベイスが騎手に語り掛けていると、レシェットが窓から顔を覗かせ出発を急かす。
「分かった、今行く。――只。あの言葉使いだけは直して欲しいものだよ」
「年相応の笑みと言葉で喜ばしい事ではありませんか。普段の冷静沈着な姿より、今のお姿の方がしっくりきますけどね」
「君もそう思うかい?? 実は、私も……」
「お父さん!! もう!! 早くって言ってるでしょ!!」
立ち話に痺れを切らした彼女が静寂な空気を再び打ち破ってしまった。
「あ!! レイド駄目っ!! そっちの席じゃなくて……」
「近いですって!!」
「「……」」
馬車の中で繰り広げられているであろう二人の姿を想像した二人は顔を合わせて、ふっと笑みを漏らす。
「では、出発しますね??」
「頼む」
ベイスは一言静かに言葉を漏らすと、しっかりとした足取りで馬車へと向かった。
「はぁ――。お嬢様にもあんな一面があったとはねぇ。グレイス、もう勝手に走ってくれるなよ??」
騎手が白馬に手を掛けると彼女が気持ち良さそうな嘶きを発する。
それを聞き安心した騎手はほっと大きく息を吐き、手綱を力強くぎゅっと握り締め目的地へと向かって静かに馬車を発車させたのだった。
お疲れ様でした。
本日から月が替わり、九月へと突入しました。まだまだ暑い日が続いていますが皆様の体調は如何で御座いましょうか??
私の場合は可もなく不可も無く。といった所ですね。
ここで油断すると一気に持っていかれる可能性がありますので、まだまだ予断を許さない状況が続きます。
しっかり食べて、適度な睡眠。これこそが健康の秘訣なのですが……。残念ながらプロット執筆という永遠に終わらない課題が残っていますので体力が続く限り、引き続き執筆していこうと考えております。
何を当たり前の事を言ってやがる。さっさと続きを書きやがれ。と。
読者様達の若干冷ややかな視線が光る画面越しに届きましたのでプロット執筆に戻ります。
それでは皆様、お休みなさいませ。




