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第百六十話 少しずつ噛み合わない日常

お疲れ様です。


本日の投稿になります。




 冬の厳しい顔が燦々に輝く太陽さんが放つ温かさでほんのりと緩み、正面で蠢く人々の表情もどこか穏やか……。


 そんな訳ないか。


 狭さと圧迫感から顔を歪ませて誰かに足を踏まれたのか、時折状況に沿った悲鳴にも近い声が方々で上がっている。



『はわぁぁ――。栗。あっまぁ――い……』



 苦虫を食い潰したような顔を浮かべる彼等から距離を取り、私は外周沿いに併設されているベンチに堂々と腰を下ろして優雅に食の喜びを享受していた。



『美味しいよね!!』



 いや。正確に言えば私達、だ。


 隣でだらしない顔を浮かべているルーを見つめると、ここにユウが居ない事に酷い寂しさを覚えてしまう。



 元気にしてるかな……。ユウ。


 たかが十日程度会っていないだけなのにもう寂しさを感じてしまうんだ。


 ユウの存在が私にとってどれだけ大きいか。語らずとも心で理解してしまっている。



『ねぇ、カエデ』



 私から見てルーの一つ隣。


 私達と同じく足を休めている彼女へルー越しに問う。



『何です??』



 お行儀良く焼き芋をモクモクと齧っていた御口を止めて私の顔を見つめる。



『後で、さ。ユウへ差し入れを持って行った方がいいかな?? ほら。私達だけ食べていたら悪いし』


『どうでしょう……。あそこは、世話上手な狐さんが二人も居ますからね。只でさえ量が多いのです。これ以上、量を増やしたら逆に怒られてしまうかもしれませんよ??』



 あ――。それもそうか。


 手土産でも買ったついでに、様子を見たかったんだけどな。



『ユウなら心配は要らぬ。出発の際、主への拘束を何人掛かりで引き剥がした??』


『三人掛かりね。怪我人らしからぬ力に、正直驚いたわ……』



 頑丈なのが取り柄なのは理解しているけど、それでもあの常軌を逸した回復力は説明が付かないでしょ。


 数日前まで生と死の境目を彷徨っていたのよ??


 それなのに……。ふふっ、呆れると同時に嬉しさが沸き起こってしまう。


 ユウが無事で本当に良かった。



『ユウちゃん。今頃、お蕎麦とか食べてるのかなぁ?? それとも生卵??』



 うぐぐ。


 出来ればその情報は耳に入れたく無かった。

 

 ツルツルのお蕎麦に、ふんわり柔らか御飯に乗せられた卵ちゃん。


 私の超越した想像力が幻の味を生み出してしまい、唾液がじわりと滲み出る。



「……っ!!」



 し、しまった!! 私とした事が!!


 ユウが美味そうにガツガツ食べている蕎麦ちゃん達の味を想像していたら、お腹さんが不機嫌な雄叫びを上げてしまった。



『マイちゃん。まだお腹空いているの??』


『当然よ。今は……半分ってとこね。いや、休憩したから三割だわ』



 王都に到着して待ち望んでいた魅惑の品々を口に運んでは飲み込み、蓄えているのだが……。


 何か、そう。決定的な何かが足りなかった。


 多分、それはユウの存在だろう。


 いつもなら隣で呆れた顔を浮かべて私にこう言い放つのだ。



『んだよ。まだ食うのか??』



 そう、あの顔が無いからお腹も心も満たされないのよ……。



『卑しい豚です事。レイド様の大切なお金を散財して……。迷惑も甚だしいですわぁ』



 はい、虫は無視無視。


 聞こえない振りをして、悪戯に沸き上がる殺意を誤魔化していると聞き慣れた声が頭の中に響いた。



『皆、聞こえるか??』



『やっほ――!! 聞こえるよ――!!』


『レイド様ぁぁああ――!! アオイにもしっかりと愛の囀りが響いておりますわよ!!』



 こいつは一々、どうしてこうも鼻に付く台詞を言うんだろうなぁ。


 人前じゃなかったらうるせぇっ!! って言い放ちながら一発ぶん殴っている所だ。



『宿はいつもの宿屋だ。部屋も一緒。俺は部屋で報告書を作成しているから、暗くなる前に帰って来なさい』


『あんたは私の母親か』



 アホな台詞を吐いた野郎に対して数舜で噛みついてやる。


『喧しい。こうでも言わないと聞きやしないだろう。特にお前さんは。じゃ、そういう事だから宜しくね』



『……ったく。細かい奴め』



 念話が途切れると、ふっと息を零して呟く。



『そうやって苦い顔しているけどさぁ。なぁんか、嬉しそうだよねぇ??』


『はぁ?? 嬉しい訳ないでしょ。言ったでしょ、母親かって』



 まぁ、実の母親の方が大いに恐ろしいのは周囲の事実。


 そして些細な悪口も聞き逃さない地獄耳を超える聴覚を持っているのでこうして揶揄っている台詞も、もしかしたら大陸を超えて捉えているかもしれないわね……。


 世の中は広いから母さんを超える怖さを持っている人が居るのかもしれないが、まぁ恐らく存在しないでしょう。


 居るとしたら此方側では無くて、神とか悪魔とか。人ならざる超越した存在達が跋扈する向こう側にしかいねぇだろうさ。



『正直じゃないんだから――』



 何とでも言えばいいさ。


 さてさて!! 第二弾の出撃としますかね!!


 休憩して足もお腹も回復したし。


 出来れば夜に備えてもうちょっと腹を満たしておきたいのよねぇ。



 そう考え、ぱっと立ち上がると。



「「…………」」



 おぇっ。


 何でこいつと同時に立ち上がらなきゃいけないのよ!!


 ベンチの端に座っていた蜘蛛と同時に立ち上がった事に吐き気を催してしまう。



『アオイ、どうした??』



 蜘蛛の隣。


 凛々しい外見にぴったりの姿勢でベンチに座るリューヴが話す。



『レイド様に差し入れをと考えていまして。声色からしてかなりお疲れの御様子でしたので』


『ほぅ。それなら相伴しよう』


『助かりますわ。…………。己の欲求を満たす為に食を摂る者とは違い。私はレイド様の身を案じて行動しておりますのでぇ』


『あぁっ!?』



 こ、この野郎……!! 人が大人しく聞いていれば好き勝手にピーチクパーチクうざってぇ小言をネチネチとぉ!!


 聖人君子も認める大らかな私でもそろそろ我慢の限界だ。


 真っ赤に燃える瞳で鬱陶しい白を睨んでやる。



『まぁ恐ろしい顔です事。凡そ、女性が浮かべる顔ではありませんねぇ』


『さっきから黙って聞いてれば……。好き勝手に言ってくれちゃってまぁ……』



 指の骨をテキパキと鳴らし、首を左右に傾け準備完了。


 うっし!! 白昼堂々蜘蛛退治といきますか!!


 今もすました顔を浮かべる蜘蛛へ向かってズカズカと進み出そうとうすると。



『マイ。人前ですよ』



 海竜ちゃんの肝が冷えてしまうちゅめたい声が届いた。



『気にしないわよ。人間が瞬き一つする合間に、ぶっ飛ばす!!』


『それは叶わぬ願いですと何度言ったら理解するので?? あぁ、そうでしたわ。申し訳ありません。理解が及ばぬ頭でしたわね』


『こ、この……!!』



 私のすんばらしい足ちゃんに力を溜め、いざ突撃を始めようとするが。


 それは悲しいかな。


 蜘蛛が話す通り叶わぬ願いとなってしまった。



『今日のお金。誰が貸したか、覚えています??』


『ン゛っ!?』


『それに、ストースの街での貸しもあります。それだけじゃありませんよ?? レイドを尾行した時の貸しも残っています。さぁ、どれから返してくれますか??』


『カ、カエデ様ぁ!! そりゃ無いって――!! 今ここで言う事!?』



 我ながら情けない声を放ち、キチンと姿勢正しく座るカエデの足を両手で揺らす。



『今言わなくて、いつ言うのですか??』


『ンギギィ……』



 言い返せないのが悔しいぃ!!


 くそう……。カエデに貸しを作るのは金輪際止めね。ここぞって時にこうして催促してくるのだから。


 ユウだったらさぁ――。優し――く忠告してくれてぇ、あわよくばお金を借りた事を帳消しにしてくれるのに。


 たった一人欠けただけなのにそれだけで日常の歯車が狂っちゃってる。


 こういう時は己の生活の調子を取り戻す為に、一人静かに食に没頭するのに限る。


 幸か不幸か。


 あまり多くはないけど一日程度だったら楽しめるだけのお金は持っているしっ。




『あれ?? マイちゃんどこ行くの??』


 正面に広がる屋台群の中で蠢く波へと向かおうとするとルーの声が届く。


『夜に備えて、食い溜めするのよ。ルーは行かないの??」』


『ん――。疲れているからいいや!! 今日はこのまま宿に戻って休むよ!!』


『ほぉん。了解』



 体力に自信がある雷狼ちゃんも長旅で疲れちまったのか。


 長い帰路、ユウとアイツの負傷。


 肉体的にも精神的にもちょいと重い出来事が重なれば知らぬ内に疲労も蓄積する、か。


 でもぉ……。残念ながら私は全然疲れていないんだけどねっ!!


 無理無理ぃ!! この御馳走の山を目の前にして疲れたなんてふざけた台詞は言えないわよ!!


 ぬふふぅ……。可愛い子ちゃん達ぃ。


 私が帰って来たのよ!!


 さぁさぁ!! 地が轟く程の喝采の声を上げて出迎えなさい!!!!


 情けない大魔の末裔を他所に私はうだるような夏の暑さを彷彿とさせる熱気が溢れ返る人波へと向かって二度目の突貫を開始した。


















 ◇




 計測不可能な高さを誇る空の天井から少し下がった位置へ移動した太陽が窓枠を通して仕事に勤しむ俺をじぃっと見下ろしてくる。



 彼の燦々とした表情は真冬の寒さを忘れさせてくれますが……。


 あんまり見つめないでくれますかね?? 大手を振って外出したくなりますので。



 自然豊かで閑静な場所から一転。



 人々が織り成す生活音溢れる街へと折角帰って来たのに、俺は机にしがみ付き憎たらしい紙を相手に四苦八苦していた。


 文章を推敲して誤字脱字が無いか、又は状況にそぐわない文字を使っていないか。


 微妙に働かない頭で整理して、痛み右腕を動かし、ちょいと汚れた紙に書き記す。


 そう、これから気が遠くなる時間を掛けてこの単調で単純な作業を忌々しい紙相手に続けなければいけないのだ。



「はぁ……」



 そりゃ溜め息も漏れてしまいますよ。


 長い溜息を漏らすと負の感情が籠められた音が壁に跳ね返り、更に気が滅入る反響音となって耳に帰って来る。


 それがなんと情けない声か。


 枯れ、萎み、朽ち果てる。


 そんな言葉が良く似合う溜息ですよね。


 自分の溜息で滅入っては駄目だ。気を強く持ち、作業に勤しみましょう!!


 一つ大きく頷き、己を鼓舞させて机にしがみ付く様にして作業を再開させると。



「――――。うふっ。お疲れですわね、レイド様っ」


「いぎぃっ!?」



 ふっと耳に温かい吐息が掛ると共に甘い女の囁き声が心臓を跳ね上げてしまった。



「ア、アオイ!? 驚かすなよ!!」


「大分お疲れの御様子でしたので私の甘い声で励まそうかと考えまして」



 柔和な笑みを浮かべて凛とした立ち振る舞いで話す。


 黒の着物に良く似合う白の長髪、丸みを帯びた女性らしい双肩。そして万人が認める端整な顔。


 本日も着用している着物の背に刺繍された美しき月下美人を擬人化した様な出で立ちですよねぇ。


 うっとりと見惚れたい気持ちは男性なら誰しもが持つ。俺も例に漏れず彼女の妖艶な笑みを見つめているのですが、これにはもう一つの理由があるのです。



 街中を歩く時は男の目が鬱陶しいと言い、着物の前は閉じて歩いているのだが。


 仲間内だけで過ごす時はその……。だらしなく開いているのだ。


 今の状況では当然、開いてしまっている。


 目線のやり場に困るのよねぇ、その恰好。


 お父さんはもっとキチンとした服装と着熟しをするように口を酸っぱくして言っているのですが。我儘な性格な蜘蛛の御姫様は全く耳を傾けてくれません。


 思春期の女の子を持つお父さん達の気持ちが理解出来てしまった瞬間であった。




「進捗具合は如何で御座います??」


「ん――?? 今、一割程度って所かな」



 男の性を刺激して止まない淫らに育った双丘の麓から視線を外し、作業を再開させながら話す。


 忌々しい紙と戦闘を開始してまだ数時間だ。


 一割に届いたら上出来でしょ。



「まぁ……。本当に多いですわね」



 聳え立つ紙の山を見つめて呆れた声で言う。



「だろ?? これを明後日までに仕上げなきゃいけないんだぞ?? しかも、明日は用事が出来て丸一日使えないときたもんだ。多分、今日はほぼ徹夜になるかな……」



 それを見越して今からでも多少は片付けておきたいのが本音です。


 只、先ず間違いなく明日は寝不足で質疑応答に対応しなければならないから変な言葉を口走ってしまわないかと気が気じゃありませんよ。



「余り無理をなさらないで下さいまし。それと……。はい、レイド様っ。差し入れですわ」


「差し入れ??」



 茶の紙袋が顔の横からすっと生えて来た。



「おぉ!! クルミパンと……。焼き芋だ!!」



 紙袋の乾いた音を響かせて中身を確認すると胃袋が嬉しい悲鳴を上げてくれる。



「屋台で購入しましたわ。御口に合うかどうか不安ですけど」


「俺の好物知ってるだろ?? 丁度良いや、ちょいと休憩っと」



 体を反転。


 戦地である机に背を向け、豪快に足を投げ出してクルミパンを豪快に掴んでやる。



 ほ、ほぉ――……。


 夏の陽射しを受けて焼けた女性の健康的な肌を彷彿させる小麦色の表面、満腹状態であるのにも関わらず自然に手が伸びて口にしてしまう甘い香り。


 この姿を捉えるだけでもう口が美味いと判断してしまっている。



「それじゃ、頂き……」


「主。、今戻った」


「ただいま――!! とぉっ!!!!」


「只今戻りました」



 大好物を迎える為に涎がジャブジャブと溢れ返る口をあんぐりと開けると、リューヴを先頭に美しい花達が部屋に戻って来た。



「お帰り――。ルー、ベッドの布団が爪で傷つくかもしれないから飛び込むのは止めなさい」



 部屋に戻って来るなり狼の姿に変身して豪快に飛び込みを決めたわんぱく狼さんに言ってやる。



「え――。爪出していないよ?? それに、ほら!! ちゃんと肉球で着地したもん!!」



 お父さんの小言に対してどうだ!! と言わんばかりに前足の黒い肉球をこちらへ見せつける。



「まぁ、それなら……。うん?? マイの奴は??」



 いつもなら土産を脇に抱え。



『これは夕食前のおやつなの!! だからどれだけ食べてもいいのよ!!』 と。



 首を傾げたくなる戯言を放ち。トロンと目尻を下げてベッドの上で軽食を楽しむアイツの姿が見えない。



「マイちゃん?? 一人で屋台を回っているんじゃないかな」


「は、はぁっ!? 一人!? 大丈夫なの!?」



 あ、あいつをこの街で野放しにしてもいいのだろうか。



『ギャハハ!! テメェが泣こうが叫ぼうが関係無いね!! 私が満足するまでボコってやんよ――!!』



 狂暴龍に絡む命知らずの人をぶん投げ、屋台の飯を食い漁り。それだけじゃ飽き足らずこの街全ての食料を食らい尽くす。


 拘束具から解き放たれた恐ろしい獣が自分勝手に暴れ平和な街に破壊と混沌をもたらし、そして蟻の食料さえも残さず徹底的に食いまくる姿が頭に浮かんでしまった。



「大丈夫でしょう。マイも分別付く大人です。お金が無くなったら帰って来るので安心して下さい」



 いつもの壁際のベッド。


 そこで壁に背を預けて静かに本を読むいつもの姿勢でカエデが答えた。



「カ、カエデが言うのなら……。まぁ……うん。大丈夫かなぁ……」


「そうそう。マイちゃんもそこまで子供じゃないって――」


「いや。マイが心配じゃなくてこの街の人間が心配なの。ほら、金目当てで襲い掛かって来る輩も居る事だし。それを容易く撃退して、瀕死の重傷を与えるかもしれないだろ??」



 あぁ、血だるまになった可哀想な犯罪者さん達の惨たらしい姿を想像したら余計に心配になってきたぞ……。


 今からでも迎えに行った方が良いのかな??



「仕方がありませんね」


 カエデがぽつりと言葉を漏らすと。


『マイ。今どこに居ます??』



 彼女の澄んだ声色の念話が頭の中に響いた。



『ん?? 今は……。相変わらず中央屋台群の中よ?? どした――??』


「……ね?? 普通でしょ??」



 本から視線を上げてこちらを見つめる。



「あぁ、大丈夫そう……。だね」



 ここは一つ、アイツを信用してみよう。


 いや、勿論細心の注意は払うよ??


 不穏な魔力の膨らみを少しでも感じたら速攻で宿屋を出発して、狂暴龍を取り押えてやる。


 取り押さえる際。


 噛みつかれない様に気を付けないといけないな……。分厚い手袋も持参しましょう。



『お――い。返事、どした――??』


「ねぇ。マイちゃん、返事待ってるよ??」


「ルー。適当に返事してやれ」



 ルーと同じく狼の姿に戻ったリューヴがベッドの上で丸まりながら、さぞ面倒くさそうな声色で彼女へ返事を促す。



「え――。適当――?? ん――……」

『マイちゃん!!』



『何!! 用件は何かって聞いてんでしょ!!』


『用件はありませんっ!! 五月蠅いから話すなって皆が言ってるよ!!』


「お、おいおい。俺、そんな事一言も言ってないんだけど??」



 お惚け狼の放った言葉の中に存在するたった一つの単語が弱気な心臓を不安にさせてしまう。



『はぁっ!? おらぁ、そこにいる阿保面の男ぉ』



 皆って言ったのに、何で俺に狙いを定めたんだろう……。



『何か用です??』


『私は居場所を伝えたわよ。的確にね』


『御協力頂き誠に有難う御座います』



 至極丁寧、且。遜った感じで言ってやる。



『それなのにだ。五月蠅い?? あんたはそう言った訳ね??』


『私は報告書を作成していますので。そんな言葉を放つ余裕があると思います??』


『それは関係無い。待ってろよ?? ぶっとい棒で西瓜を叩き割った時みたいに部屋一杯にテメェの脳味噌ぶちまけてやっからな……』


『か、勘弁して下さい!!』



 心の奥から溢れ出る怒りで発生してしまった深紅の魔力が体中から滲み出る姿が容易く想像出来てしまう。



『謝って済む程、世の中は甘くない事をその身を以て分からせてやるわ』


『横暴だって!! ………………あの。マイさん?? もしも――し!! 聞こえていたら返事を返して下さ――いっ!!!!』



 念話を送るが一向に帰って来る気配は無かった。


 それが俺の心の黒い不安をより強めてしまう。



「だ、大丈夫だよな?? ほら。こっちには五人もいるんだし??」



 報告書から顔を外して助けを請う様に周りを窺う。



「え――。私はいいかなぁ。マイちゃんの相手疲れちゃうもん」


「主。龍の相手は任せた。私は今から休む」


「本を読み終えてから助けますね」



 ちょっと!? あなた達!?


 薄情過ぎませんっ!?



「レイド様ぁ。こういう時こそアオイを頼って下さいまし……」



 いつの間にか蜘蛛の姿に変わったアオイが右肩に留まり、細かい毛をスリスリと首筋に当てながら話す。



「いや、うん。それは助かるんだけどさ。アオイとマイがじゃれ合うとろくな事にならないから……」



 九祖の血を受け継ぐ御二人が暴れ始めたらこの部屋はきっと原形を留めないだろうし……。


 弁償代も高くつくのでそれを加味した結果。


 涙を飲んで理不尽な痛みを受け取るべきなのだろう。


 こんな時、ユウが居てくれれば。



『あはは。あたしが言っておくから大丈夫だって』



 快活な笑みを以て恐ろしい龍を制御してくれるのに……。



「ま、まぁ!! 私は要らないと申すのですか!? ストースでは私に俺の女になれと仰られたので私は素直に従いました!! それが今やどうですか……。一度物にしたら飽きて、興味が失せたからお捨てになられる訳なのですね……。アオイは悲しいですわ。レイド様は私の事を妻として迎えて下さったのに、なんら頼って下さらなくて。いいですか!? レイド様っ!! 夫婦は、手を取り合い、共に励み、共に進み、共に傷つくものなのです!! ですからっ!! 今日こそは、レイド様の新しい命をアオイに注ぎ!! 命を掛け合わせ……」




「はいっ。そこまで――。ルー、あげるよ」


 ぷっくり膨らんだ黒いお腹を左手の指で摘まみルーのベッドへと放り投げてやった。


「あはぁ――んっ。これが愛の架け橋なのですわねぇ――」



 おっ、今日も着地は満点だな。


 丸まったルーの背中に八つの足をガバっと全開に開き、灰色の毛に見事に張り付いた。



「ちょっと、アオイちゃん。毛が痛いっ」


「これが愛の痛みなのですっ」


「あ――。また例の妄想?? 今日は疲れているからまた今度にして」


「妄想ではありません!! 事実なのですわっ!!」



 アオイの金切り声って耳元で叫ばれたら、結構堪えるんだよねぇ……。



 ルーがくるりと寝返りを打っても黒き蜘蛛は離れる事は無く。


 ふわふわの毛に覆われた獣耳へと向かい、思わず首を傾げたくなる妄言を放出。


 一頭の陽気な狼さんは蜘蛛の御姫様から放ち続けられる言葉にうんざりして前足を器用に動かして耳を塞ぐが、それでも彼女は己が満足するまで好き勝手に支離滅裂な言葉を口にしていた。


 これ幸いとして俺は忌々しい紙と戦闘を再開させ、残る面々は一頭の尊い犠牲のお陰で束の間の平穏を謳歌したのであった。










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