第百五十二話 忸怩たる己の力
憎き岩へ叩き付けていたつるはしの動きを止めて、まるで真夏の炎天下に当てられた様に火照ってしまった体を冷ます為に竹筒から水を飲む。
「…………全く。念話越しでもアイツの五月蠅さは変わらないな??」
体内で燻ぶり続ける熱を冷やすと疲労が滲む体に一定の活力を与えてくれる。
まだまだ先は長い。
少しでも多くの岩を砕き、マイ達と早く合流を果たさなければ。
「それ、が。マイの良い所さ」
くそっ……。状況は好転する処か、増々悪くなる一方だな。
少し前まで言葉の端に元気を残していたユウの声は萎れ、顔から血の気が失せてしまっている。
応急処置によって出血は抑えられているとは言え背に巻かれた包帯に血が滲み出てしまっていた。
これ以上の出血は俺の力ではどうにもならない。
カエデ、若しくはアオイの治癒魔法で怪我を治して貰わないと……。
「喋らなくてもいい。ほら、少し水を飲みなよ」
「ん……。ありがとう」
俯せの状態からそっと起こすと体を優しく抱きかかえる姿勢で水を与えてやった。
「……ふぅ。冷たくてんまい」
「そっか」
「なぁ、これってさ。あたし、抱かれちゃってるよね??」
ふっと柔らかく目元が曲がり俺の目を直接見つめて揶揄う。
「お、おい」
「ふふ。冗談だよ」
「マイと同じでふざけるのが得意だな。まだ時間が掛かりそうだ、もう少し休んでていいから」
背の傷に障らない様に再び俯せの状態で寝かせてあげた。
「それが、あたしらしいじゃん??」
「まぁ……。そうだな。うっし!! 休憩お終い!! さっさと掘削しちゃおう!!」
勢いそのままに金属の塊を岩へと振り下ろす。
甲高い金属の炸裂音と俺の激しい呼吸音が狭い空間に反射して等間隔で鳴り響く。
作業を始めて約一時間程であろうか。
閉鎖的な空間の中では時間の経過は上手く掴み取れないが凡そ、それ位だと体が感じている。
一時間……。それだけの時間を費やして進めたのはこれだけか。
掘削出来たのは開始場所からたかが数メートル。
向こうからも掘削しているとはいえとてもじゃないが、間に合うかどうか……。
逸る気持ちが手元に伝わり、岩の芯を外してしまった。
「いでっ!!」
「…………どした??」
「雑念を持っていたら岩の芯を外しちまったよ……」
手の皮がズルリと剥けて血と汗で滲む手の平に息を拭き当てて作業を再開させた。
今のユウの声……。何て弱々しいんだ。
蚊の羽音にも及ばないじゃないか。
早く……。早く……開通しろよ!!
両腕の筋肉に任せて力一杯につるはしを岩へと叩き付け、通路の端へ割れた破片を足で蹴り飛ばす。
頑丈な岩を砕き、時折天井から落ちて来る中途半端な大きさの石に頭部を殴られ、砂に足を取られても俺は一連の動きを止める事は無かった。
「なぁ……。レイド……」
「どうした??」
「あの、さ。変な事、聞いても良い??」
痛みを我慢する声から、妙に力の抜けた声に変貌した声が耳に届く。
「変な事??」
「そう。変な事……。あたしの胸、嫌いか??」
「ぶっ!! いっでぇ!!」
ユウの突拍子も無い質問が再び手元を狂わせてしまった。
「へ、変な質問するなよ!! 手の皮が破けちまっただろ!!」
真っ赤で見えないけど、きっと今ので殆どの皮が捲れてしまいましたからね!!
「はは、わりぃ。もしかすると、さ。もしかする……かもしれないから。今の内に聞いておこうって思ったんだ」
「弱音を吐くなって言っただろ?? それに、そうさせない為にもこうして両側から掘削しているんだ」
「うん。そう、だけどね?? 一度、レイドの口から聞いておきたかったんだ」
ユウの胸、か。
「正直に話した方が良い?? それとも、包んで話した方が良い??」
「えっと……。正直に、で」
はぁ――……。仕方が無い。
少し呼吸を整えながら包み隠さずに素直な想いを話そうとしますか。
「正直に話すと……。嫌いじゃないよ?? どっちかと言えば、まぁ……。好き、だと思う。形、大きさ云々よりさ。俺はその人の内面を尊重するんだ。ユウは、その……。何んと言うか。人を大切に想っていてくれるし。喧しい仲間達にも優しい想いを抱いてくれている。誰かが馬鹿をすれば仕方が無いなぁって付き合うし、誰かが悲しめば想いを共有して共に悲しんでくれる。どんな重い荷物を持っても苦言を吐かないで仕事を完遂してくれるし、どこぞの馬鹿みたいに飯を無断で食べない。あ、これは関係ないかな?? 仲間想いで誰よりも和を重んじる。本当に素敵な性格だよ。…………まだあるけど、聞く??」
作業する手を止めて振り返ると。
「き、聞かせてくれ……」
「お、おいおい!! 大丈夫か!?」
目を瞑り、力の抜けた体が地面に溶け込むように吸い付いている。
血の気が消失した弱々しい顔、背から溢れ出る血、覇気の無い声色。
いつもの快活な姿からは到底想像出来ぬ姿に猛烈な違和感を覚えてユウの下へと駆け寄った。
「へ、平気。だから、もっと……聞かせて??」
「幾らでも言ってやるよ。ユウの快活な笑みは人を朗らかに、そしてやる気を出させてくれ……。ッ!!!!」
ユウの右手をぎゅっと掴んだ刹那、驚きの余り思わず手を放してしまいそうだった。
な、なんて冷たい手だ。
刹那に感じた冷たさはまるで雪の塊。
凡そ人が放つ体温では無い事に心臓が痛い程激しく鳴り始めた。
ま、不味い……。こ、このままじゃユウが……!!
「う、うん……」
「冗談が好きで、若干の料理下手。料理の得意なフェリスさんに一度指南して貰いなよ。きっと上手くなるから」
「頑張ろう、かな」
「ここに来る前……いや。いつも任務出発前に食料を揃えてくれて、ありがとうな?? あいつらを纏めるのは苦労するだろ」
「大変、だね」
た、頼む、誰か……。誰かぁ……。
血を止めてくれよぉ!!!!
彼女の握り返す手の力が、空に浮かぶ雲が消えゆく様に失われて行く。
「ここから出たらさ。一度、ボーさん達に会って。俺達の仕事の話でもしてやらなきゃね。きっと……。そう、きっと首を長くして待っているから!!」
「ち、父上?? 結婚の報、告??」
「馬鹿、違うって。色んな所に行ってさ、色んな事をしただろ?? その話だよ!!」
お願いだ!! 神でも、悪魔でもいい!!
誰かユウを救ってくれよ!!!! 俺じゃ出来ないんだ!!
「レイド。あ、あたし。さむい……」
「寒いのか!? ほ、ほら。これで温かいだろ!?」
今にも消え失せそうな命の炎を暴風から守る様に、細かく震える彼女を抱き起して胸の中へ閉じ込めてやった。
「あ、温かい……」
「だろ?? ユウはいつも頑張り過ぎているからな。偶には俺達に甘えてくれてもいいんだぞ!?」
「う、ん。そうす、る。…………手、顔に当てて??」
「分かった。……っ!!!!」
な、何て冷たさだ。
手もそうだが顔もここまで冷たいなんて……。温かい感情を持つ生物が発する温度じゃない。
「あぁ……。嬉しい……」
「嬉しい??」
「うん。こうやって……。ゴホッ!! はぁ……はぁっ……。レイドと、さ。一緒に過ごす事、なかったから」
息も絶え絶えに話す。
失われゆく命の風前の灯火が俺の感情を刺激したのか、温かい水が瞼の裏からじわりと滲んでしまう。
「こ、これから幾らでも一緒に過ごせるじゃないか!! 頼むから馬鹿な事を言うんじゃない!!!!」
「そう、だね。な、なぁ?? もし、さ。王都に帰れたら……。あたしと、一緒に……。街を歩いてくれ、る??」
「あ、あぁ!!!! どこにでもついて行ってやる!! 好きな物も食べさせてやる!! 約束だ!!」
『カ、カエデ!! アオイ!! 早くしてくれ!! ユウが……ユウがぁ――ッ!!!!』
力の限りに念話を放つ。
誰か、聞いてくれ!! このままじゃユウが、死んじまうよ!!
『ユウ!? おい!! しっかりしろぉ!! あんたがいないと、私は寂しいんだよ!! だから怪我なんかに負けんな!!』
『ユウちゃん!! 頑張ってよぉ!!』
『ユウ!! まだ私は貴様の力を越えていない!! 勝手に逝くな!! 馬鹿者!!』
『ユウ!! しっかりなさい!! あなたがこんな所で死ぬ訳ありませんわ!!』
『ユウ……!! 絶対、絶対に死なせない!! だからお願い。もう少しだけ頑張って!!!!』
「ほら、聞こえただろ?? 皆、ユウが……。ユウの事が大好きなんだ。だから、お願いだ。もう少し、頑張ってくれ」
溢れ出た涙がユウの頬へとそっと落ちていく。
「泣いてる、の??」
閉じられていた瞼が弱々しく薄っすらと開き、こちらの顔を見上げる。
そしてあの剛腕の影すらも見当たらない弱り切った震える腕が立ち昇り、彼女の冷たい手が俺の顔にそっと添えられた。
「泣いていない!! 汗、だよ!!」
あの剛力が何んと頼りない事か。皆が大好きな快活な笑みが何んと儚く見える事か。
冷たく、力の消え失せた手を力の限りに握り締めてやった。
「あ、あたしの為に泣くなよ……。そういうのは、大切な。ゴフッ!! 時にとっておくんだよ」
「大切な人の為に泣いているんだよ!! 悪いか!!」
「あ、はは。どうしよう……。こんな時、なのに……。レイドを抱きしめる事、も出来ないや……」
「こんな時?? 何を言っているんだ……」
涙で歪んだ視界。
目の裏から止めどなく溢れ続ける涙を拭う事もなく、ユウに話し掛けた。
「ごめん、ね?? レイド。もう……、時間か、も」
「ば、馬鹿野郎!!!! そんな弱音を吐くな!! ほ、ほら!! もう直ぐカエデ達が助けに来てくれるから!! お願いだ!! 頼む……。頼むから……。そんな事は言わないでくれよぉ……」
ありったけの力で冷たい彼女の体にしがみ付いて思いの丈を口から零す。
「あたしの為に、残ってくれて……。ありが、とう。レイドは凄いよ??」
力の失せた手が頬に添えられ、真心が籠った柔らかい声色が鼓膜を優しく震わせる。
「凄くなんか無い!! 凄いのはユウだ!! 俺達はユウがいないと困るんだよ!!」
「俺、達??」
「俺が!! 困るんだ!!」
「ふふ……。その言葉を、聞けて……。あたしは満足、かな……」
い、嫌だ……。嫌だっ!!!!
か、神様……。本当に存在するのなら優しい彼女を連れていかないでくれ!!
今まであなたを信じなかった俺が悪い!! 何度でも地面に額を擦り付けて謝るから願いを聞いてくれ!!!!
「ねぇ……。レイドぉ……。もう、何も見えないよ……」
一生のお願いだ!!
悪魔よ!!
俺に……。俺にぃ!! 彼女を救う力を与えてくれ!!
代わりに金でも、俺の体でも、そして魂でも何でも差し出すから!!!!
「頑張ってくれ!! ユ、ユウ!! た、頼む……。ヒグッ……。から……」
「ありが、とう。こんなあたしを……。最後まで抱き締めてくれ、て」
「お、お願いだ……。ユウ……。い、逝かないでくれ…………」
「ごめん、ね?? も、もう。眠いんだ……」
「あ、あぁ……。あぁ……っ!!」
「あた、しね?? レイドの事が…………………………」
ユウの言葉が途切れると両の腕に重みを増した彼女の体が圧し掛かる。
それはまるで彼女の体から温かい魂が抜け落ち、空っぽになってしまった虚しい器を抱いているようであった。
「ユ、ユウ?? 嘘だろ?? いつもみたいな冗談、だよな??」
激しく頬を叩いても何の反応も示さない。
そしてユウの心臓の音が蟻の足音にも負けてしまう矮小な音へと変容してしまった。
「く…………くそぉおおおおおお!! うああぁぁああぁあぁあああああ――ッ!! い、嫌だぁぁああ――――ッ!!!!」
喉が張り裂けそうな魂の雄叫びを解き放ち、ユウの体を力の限りに抱き締めてあげた。
な、何が、神だ!! 何が、悪魔だ!!!!
俺の……。
俺の力が至らないから、ユウが……。ユウがぁあああああああ――!!!!
恨むぞ!! 自分の力の無さを……!! 憎んでやる……。弱き己の姿を!!
あぁ、畜生……。畜生ぉぉおお!!!!
何の為に今まで鍛えて来たんだよ……。大切な友達の命一つも救えないなんて……。
黒く禍々しい憎悪の炎が心の中で激しく燃え上がり、己の身を焼き焦がしていく。
両目から零れ落ちる涙がユウの体に染み込み、もう殆ど生命の息吹きを捉えられない彼女の体に己の生命を分け与えようとして必死にしがみ付いた。
自然の摂理に従い失われゆく彼女の命、そして魂。
彼は少しでも長く彼女が生きた証をこの世に留めようと自然の摂理に抗う。
だが、決して誰にも抗えぬ自然の摂理の前でそれはまるでこの世の理を知らぬ愚者の行いの様にも見えてしまったのだった。




