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第百五十一話 決して失いたくない笑み その一




 友人達との今生の別れ、一縷の望みを絶つ絶望、そして惨たらしい死。


 人に不安な気持ち否応なしに抱かせてしまう落石の轟音と、頭上にそして体に降り注いでいた土砂の雨が止みどれくらい経過したであろう。


 体感的には数十分にも感じられたが、実際には数分程度かも知れない。


 俺とユウは崩壊が一段落するまで冷たい地面に伏せたまま安全な姿勢を保持して耐え続けていた。


 右手に感じる彼女の生の温かさ、そして互いの弱々しい呼吸音を確実に聞き取れる様になって初めて声を上げた。



「…………。ユウ、生きてるか??」



 鼻頭の先にある地面すら捉えられない真の漆黒の闇の中に俺の声だけが寂しく響く。



「お、おう。な、何んとかね」


「良かった!! 無事なんだな!!」


「へへ、お互い無事で何よりだ」



 いつもの快活な声よりも数段小さな声が耳に届くと胸を大きく撫で下ろした。


 その声を受けて腕に力を籠めて立ち上がるが。



「しかし……。何も見えないな」



 辺り一面は闇に包まれ、舞い上がった埃と土が鼻の奥を突く。


 恐らく俺達は崩落した通路に閉じ込められてしまった筈。


 ここから脱出する為には通路を塞いでいる土砂、そして岩石をどうにかしないといけないのか……。


 よもやこんな酷い状況が生を感じさせてくれるとはね。


 ま、今は生きている事に感謝しよう。



「だな。…………うぐっ!?」


「どうした!?」



 ユウが痛みを堪える声を上げるので、慌てて声の発生源へと視線を向けた。



「べ、別に何ともないぞ?? ってか、腕を放すなよ。不安になるじゃないか」


「はは。何だ、元気一杯じゃないか。ちょっと待ってろ。今、明かりを点けてやる」



 通路内に放置した鞄を探そうと手探りで探そうとするが、手に感じるのは無数の砂粒と鋭角な石のみ。


 己の手元さえ見えぬ闇の中で物を探すのは全く不便…………。



 そ、そうだ!! この手があるじゃないか!!


 このまま暗中模索の状態で探すよりも簡単に鞄を探す手立てがある事に気付く。



 ふぅ――――……。


 己の奥底に眠る魔力の源を発現させると、腹の奥から蛍の放つ光と同程度の拙い光が闇を払った。



「よし!! 後はランタンをさが…………。う、嘘だろっ!?」



 惨たらしい真実を見つめるのは時に残酷だ。


 酷い現実よりも甘い虚構の世界へ視線を向けてしまう者の気持ちも大いに理解出来てしまう惨たらしい光景が俺の目の前に存在していた。



 拙い光の下、ユウが地面の上にうつ伏せの状態で力無く横たわる。体中は土埃で汚れ至る所に擦り傷が目立つ。


 しかし……。


 誰しもがそんな細かい所より彼女の背中の凄惨な状況に目を見張るであろう。


 縦に大きく切り裂かれた衣服。


 そこから今も赤き水が湧き続け茶の服を侵食していた。



「け、怪我をしたのか!?」



 慌てて彼女に寄り添い声を掛ける。



「こ、これくらい……。何んともないさ」



 血の気の失せた顔で無理に笑みを浮かべて口を開く。



「ちょ、ちょっと待ってろ!! 今、怪我の確認をする!!」



 負傷箇所へ刺激を与えぬ様に衣服を捲ると、日に焼けた美しい肌を捉えるが。直ぐにそれは赤へと変化してしまった。



「…………。ひ、酷い」



 思わず口に出してしまう程の裂傷に顔を顰めた。


 背の肉は右の肩甲骨辺りから袈裟切りの要領で深く裂かれ、後少しで背骨が見えてしまう所まで肉が裂けている。


 裂けた肉の合間からは死の宣告とも見えてしまう量の血液が今も止めどなく血が零れていた。



「なぁに。少し休めば、治るよ」


「んな訳あるか!! 応急処置をするから待ってろ!!!!」


「レイドは大袈裟だなぁ……」



 こ、これは本格的に不味い!! 


 出血多量で死…………。


 いかん!! そうなる前に止めるんだ!!



 崩れた通路の手前。


 そこに横たわっている己の鞄に駆け寄ると、乱雑に開いて止血処置に使えそうな物を探す。


 包帯用の清潔な布と、止血の為に使用する当て布。


 それと……。水の入った竹筒。


 これで、何んとかなるか!?




「ユウ!! いいか!? 先ず、傷口を洗う。細かな砂とかが入ったら傷に障るからね」


「お、おう。がっつりやってくれ」


「い、いくぞ……」



 竹筒から水を流し、赤を払拭した刹那。



「…………っ!!!!」



 声にならぬ悲壮な呻き声が狭い空間を何度も往復した。



「どうだ??」


「い、痛過ぎで。気を失いそうだったよ……」


「次は止血をする。包帯を巻くから起こすぞ?? 掴まれ」


「ん……」



 ユウの体を起こして彼女の顔を右肩に乗せ、傷を刺激させぬ様に優しく座らせてあげる。



「どう??」


「痛いのは相変わらずだけど……。レイドが目の前にいるから大丈夫、かな??」


「はは。その調子だ。それで……そのぉ。たすき掛けの要領で包帯を巻くんだけどね……」


「うん?? どした??」


「傷口は背中にあるんだ。んで、巻くのは巻くんだけど。その……。何んと言うか」



 こういう時に恥ずかしさを矢面に出してはいけないんだけど。


 どうしてもそれが邪魔してしまう。



「…………あっ。服が邪魔なのか。いいよ?? 脱がしてくれても」


「す、すまん!! 出来るだけ見ない様にするから!!」



 背後へ回り、出来るだけ傷に触れない様に上着を脱がし。そしてシャツに手を掛けた。



「前のボタン、外してくれる??」


「で、出来るかな……」



 震える腕が静かに上がり、拙い手元でボタンを外していく。



「い、いいよ」


「……。失礼します」



 ユウの服を静かに脱がせていくと徐々に肩が露わになり、そして女性らしい丸みを帯びた美しい背が現れた。


 こんな時でもなければ小一時間程眺めていたいですけども……。


 今はそんな邪な感情を抱いている場合では無い。


 自分を激しく戒め、思わず息を飲んでしまう華麗な体に相応しくない酷い傷へと視線を落とす。



「ユウ、当て布を当てる。痛いと思うけど我慢してくれ」


「分かった」



 長く切り裂かれた傷口を全て覆い尽くす当て布を被せ、その上から布をたすき掛けの要領で巻く。


 そして、ユウの体の前へと回した。



「いいか?? ここからが激痛を感じるぞ」



 止血する為には圧迫しなければならない。


 つまり。


 胸が苦しく成る程に締めなければならない。


 傷口に襲い掛かる痛みはどれ位であろう。想像するだけで気が遠くなりそうだ。



「ひ、一思いにやってくれ」


「了解。痛かったら俺の体を掴んでもいいからね??」


「うん……」


「い、行くぞ」



 右手と左手に持つ包帯に力を籠め、一気呵成に背から引っ張った。



「うぐぅぅうう――ッ!!!!」


「もう少しだ!! 耐えてくれ!!」



 ユウの両手が痛みから逃れるように俺の左腕を、そして右肩を激しく食む。


 指が皮膚に食い込み、浅皮が裂け、血が滲み出ても不思議と痛みは感じなかった。


 彼女が感じている痛みを考えると何て事は無い。


 俺の体が物言わずとも了承したのだろう。



「…………これで、よし」



 ユウの双丘の前で決して外れぬ結び目を作り終え満足気に頷く。


 これで暫くの間は大丈夫だろう。



「……。ねぇ」


「ん?? どした」



 俺の体に手をくっつけ、俯いたままユウが話す。



「あたしの胸。見ちゃったね??」


「ば、馬鹿!! こんな時にふざけるなよ!! それに、し、下着も付けているじゃないか!!」



 結び目からパっと手を外し、五月蠅い心臓を引っ提げてユウの背後へと回った。



「あ、そうなの?? ……あ――。本当だ。下着つけてら」


「気付かなかったのか??」


「ん。痛みで、ね」


「服着せるぞ??」


「レイドも服を脱ぎなよ。んでさ、人肌であっためて??」


「それだけ冗談を言えれば大丈夫だ。は――い、服を着せますねぇ――」



 出来るだけ痛み、そして傷を思い出させぬ様にお道化て言ってやった。



「んだよ――。折角、二人っきりなのにさ――」


「こんな時にふざけないの」



 よし、応急処置は済んだな。


 このまま魔力の源を発現しっぱなしだと俺の体力がもたん。


 ランタンの明かりを点けなきゃ。



「……なぁ」


「ん――??」


「どうして、逃げなかったんだ??」


「どうしてって……。ユウを置いて逃げ出す訳にはいかんだろ。おぉ!! 点いた!!」



 ランタンに明かりが灯り、暗い通路内に淡い橙の色が揺らめく。


 魔力の源の明かりを消して狭い空間の脇にランタンを置いた。



「ルーやアオイが呼んでいたんだぞ?? そっちに行けば良かったじゃん」


「何度も言わせないの。ユウは俺の大切な友人なんだ、それに?? 例えユウが一人で助かったとしても、こういうくらぁい場所は怖くて辛抱出来なくて泣いちゃうだろ??」



 力無くうつ伏せになっているユウへ揶揄いの言葉を送ってやる。



「うるせっ。我慢出来るっつ――の」


「そうそう。そうやって唇尖らせている姿の方がお似合いだぞ。さて、アオイ達と念話で……」



『レイド様!! ユウ!! 御無事で御座いますか!?』



 念話を届けようと考えていたらアオイの悲痛な声が頭の中に響いた。



「はは。機を見計らったみたい、だな??」


「アオイらしいよ。ユウはそこで休んでて。俺が返事を返すから」



『アオイ?? 聞こえるか??』


『レ、レ、レ、レイド様ぁぁ――っ!! 御無事で御座いましたか!!!!』


「何回レって言うんだよ……」



 アオイの念話を受けるとユウが力の無い笑みを浮かべる。



『お陰様でね。だけど、ユウの状態が芳しくない。背に大きな裂傷を受けている。それに……。出血が多い。一刻も早く治療を施さないと危険な状態だ』



「それ、言い過ぎ」


「言い過ぎじゃない。気付いていないと思うけど、顔色やばいぞ??」



 健康的に日に焼けた肌は血の気が失せた様に白み、まるで大病を罹患した患者の様に力無く地面に横たわっている。



「そうなんだ……」


『ユウちゃん怪我してるの!?』


『ルーも無事だったか!!』


『元気一杯だよ!!』



「はは。ルーらしい能天気な声だな」


「そう言わないの」


『アオイ、今どこにいる??』



『今で御座いますか?? 崩壊した通路の前……。そうですわね。分岐点から数えて六つ目の部屋にいますわ』



 そんな先まで崩落しているのか。


 こりゃ自分で考えている以上に時間は残されていないぞ……。



『ルーはカエデ達を呼んで来てくれ。アオイはそこから崩落した岩々を崩す事は出来るか??』


『勿論ですわ。ほら、以前私が詠唱した落城。覚えています??』



 あの馬鹿デカイオークの装甲を弱体化させる為に詠唱した魔法か。



『あぁ。覚えているぞ』


『頑丈な岩を砂に変えながら進みます』


『了解だ。こっちも掘り進めていく。早く合流を果たそう!!』


『畏まりましたわ!!』


『分かったよ!! じゃあ行って来るね!!』


『ルー!! 頼んだぞ!!』


『はぁ――い!!』



 ふぅ、これでユウ救出の段取りは整ったな。



「ユウ、聞こえていたな??」


「おう。ばっちり」


「向こうでアオイ達が頑張ってくれる。だから、怪我に負けるなよ??」


「あ、あたしは誰にも負けないさ」



 俺達を救ってくれた彼女をこんな暗い場所で失う訳にはいかない!!


 か弱く萎んでしまったユウの矮小な声が俺の心に火を灯した。



「うっし!! 俺も一汗掻こうかな!!」



 勢い良く上着を脱ぎ、男らしくシャツを脱ぎ捨てて気合に満ちた声を張り上げる。



「お、おいおい。女の前で服を脱ぐなよ」


「気にするな!! あ、そうそう……」



 脱ぎ捨てた服を手に持ち、彼女へと歩み寄る。



「ユウ」



 乱暴に触れてしまうと傷付けてしまう。


 傷つき易く壊れやすい繊細な物を触れる様に彼女の細い顎を持ち上げ。



「え?? は……??」


「これで、良し!! いや、枕代わりに丁度いいかなぁってさ」



 何も無い所だと顔が痛そうだしね。


 地面と顔の合間に服を挟んで言ってやった。



「び、びっくりさせんなよ……」



 私、何か驚く事でもしましたか??



「さぁてと。掘削、掘削――っと!!」



 土砂に埋もれてぜぇっ、ぜぇっと。


 息も絶え絶えに顔を覗かせていたつるはしを土の海から拾い上げて俺達の眼前に聳え立つ岩へと打ち降ろしてやる。



「おっ!! 意外と柔らかいぞ!!」



 そうは言っても、岩は岩。


 手に感じる鉄と岩の衝撃と打撃音が硬さを如実に伝えてくる。


 こうでも言わないとユウを不安にさせちゃうし。



「悪いな。迷惑掛けて」


「何を言う。俺が死にかけた時、ガイノス大陸へ飛んでくれたろ?? それに比べたら……。よいしょぉ!! 軽いもんさ」



 つるはしの鋭い先端と岩がぶつかり甲高い音が耳をつんざく。


 何度も打ち続けている内に岩の表面に亀裂が生じそこから岩が砕けて質量が減少。


 ある程度まで砕いたら岩と砂を通路の脇へ退かして、脱出を阻む横着者達へ希望の塊を再び打ち下ろす。



 ユウの怪我の具合を考慮するともっと速く前に進みたいが……。


 そうはさせまいとして気の遠くなる量の岩と砂が行く手を阻む。



 更なる崩落を引き起こしてしまう可能性があるが、カエデとアオイに強力な魔法を詠唱して貰おうか??


 そうでもしないと、とてもじゃないが間に合いそうにない。


 遅々足る速度で前へ進んでいるが俺に出来るのはこれが精一杯の手段。


 今は出来るだけ向こう側との距離を縮める事に専念しよう。



「なっさけないよなぁ。あたしがもっと強ければ、こんな事にならなくても済んだのに」


「…………。ユウは、さ」



 掘削を続けながら話す。



「うん??」


「凄いと考えているよ。普通はあんな岩の塊が降って来たら条件反射で逃げちまうだろ?? それなのに、俺とアオイの為に体を張って岩に立ち向かってくれた。やれと言われてやれる事じゃない。正直、脱帽もんだよ」



 ユウの立場に己を挿げ替えて考えると、果たして俺は彼女の様に立ち向かえる勇気を持つ事が出来るのだろうか??


 本当に……。凄い奴だよ。



「馬鹿なんだよ。咄嗟に体が反応しちゃってさ。おっそろしい岩が降って来たら立ち向かいたくなるだろ??」


「経験が無いから返事に困るな」



 普通に生きていたらあんなドでかい岩が降って来る事なんてまず無いだろうし。



「でも、二人が無事で良かったよ。体を張ったのに二人共助けられませんでした――じゃ洒落にならないからな」


「その英雄を救うのが俺の仕事だな。少々お待ち下さいませ、英雄殿。現在、凱旋用の通路を掘削中で御座います」



 俺がお道化て言ってやると。



「ふっ、そう焦るな。民は私の帰還を待っているであろうが、私は貴様らを置いては行かぬ。ゆるりと掘削するが良い」



 彼女も俺のおふざけに乗ってくれる。



「「…………ぷっ。アハハ!!」」



 そして最後は顔を合わせて心からの気持ちの良い笑い声を上げた。



 そうそう。ユウと交わす笑みは本当に心地良いんだよな。


 この笑みを……。決して失う訳にはいかない。


 彼女が放つ笑い声と素敵な笑みを己の力に変え。


 立ち塞がる巨大な壁に向かい漲る力の塊をぶつけ続けてやった。




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