第百四十話 彼女達でさえ恐れる古代の魔物 その二
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
お互いの呼吸音さえ聞き取れてしまいそうな静寂が漂う中。共に同じ方向を見つめて進み、共に同じ問題に触れようとしている。
同じ姿勢である事は喜ばしい事だが、唯一違う点は主観と客観。
カエデは俺じゃないから内に秘める問題を捉えられず、俺は彼女では無いから此方から問題を提起しない以上解決は進まない。
互いにその切っ掛けを掴もうとして頭の中で様々な案を模索、妙に重苦しい沈黙が暫く続くと……。
「何を言っていたか覚えている??」
中々言い出さない俺の様子を見越してか。
彼女が問題解決の第一歩を踏み出してくれた。
「えぇっと、確か。俺が激情に駆られ負の感情を剥き出しにしてアイツらに向かって行くと、素敵な感情を持ってくれて嬉しい。って言ってたな」
うん、確かそうだった。
所々の記憶が曖昧だけど、あの素晴らしい暴力の祭典が始まる前に聞いた覚えがある。
…………。素晴らしい??
いやいや!!
違うから。あれは虐待ですからね!?
俺の拳はそんな下らない事の為に鍛えている訳ではない。
『誰が為に』
そう、一人でも多くの幸せな笑みを守る為に鍛えているのだ。
「――――。やはりそうでしたか」
カエデが暫しの沈黙の後、長い吐息と共に言葉を漏らす。
「やはり??」
「いいですか?? 今後一切、その声に従う事はしないで下さい」
いつもより数段厳しい視線が俺を捉える。
「え、えぇ。善処致します」
「善処じゃ駄目。絶対順守して」
カエデがここまで厳しく促すのだ。
あの力に従っていたら取り返しのつかない事態に陥る恐れがあるのだろう。
「りょ、了解しました。でもさ。これって俺の中に宿る龍の力の影響だよね??」
「えぇ。間違いなくそうです」
「じゃあ別にいいんじゃない?? ほら。特に悪さ……はするけど。その代わり常軌を逸した力を発揮出来るし」
この力を出し惜しみしては叶わぬ相手が今後現れてしまう可能性がある。多少の犠牲を払うだけで、一人でも多くの幸せな人生を守れるのなら本望じゃないか。
人が本来謳歌すべき幸せな光に包まれた明るい人生。その幕を下ろそうとするあの忌むべき存在達に力を知らしめてやるのだ。
その為なら俺はどんな厳しい訓練にだって耐え抜いてやる。
「これならオーク達にも負けないだろうし。……カエデ??」
隣に並んでいたカエデがふと歩みを止めた。
そして、一度大きく息を吸い込み真剣そのものの表情で声を出す。
「私達にも宿る大魔の力。それは私達の力の領域を越えた力を宿しています」
「継承召喚が行えるのはその力があるお陰、だよね??」
「えぇ。そして、覚醒を促すのもこの力です。イスハさんが仰っていた様にこの力には段階があります。深く眠る力を引き上げるにつれて、体に掛かる負担も増加。そして最後に待ち受けるのは……。自我の消失、または負荷に耐えられなくなり死に至ります。それだけ大魔の力は強大なのです」
「……」
カエデが話す間、俺は身動き一つ取らずに耳を傾けていた。
彼女が話す言葉にはそれだけの力があった。
「その疑似的な力が龍の契約によってレイドにも宿っているのです。今回は偶々正気に戻れたから良かったものの。あのままでしたらきっと……。あの男共を切り刻み、四肢をバラバラにして、負の感情の赴くままに虐殺を繰り返したでしょう。頭の中に響いた声、甘美に聞こえませんでしたか??」
「あぁ。声に付き従うと負の感情が正の力に変わり、体中に力が満ちて行く様だったよ」
今も覚えているぞ、あの甘美な力。
カエデの声が頭の中に響かなければ彼女の話す通り、きっと今頃……。
「それは私達も同じです。覚醒の解放、それが意味する事は力の解放です。聞こえは良いですが、体の奥底に眠る悪魔を呼び醒ます事と同義です。己の意思のままに体を操れなくなり、最悪。大切にしている仲間を傷付けてしまう恐れもある。諸刃の刃……では無く。破滅への入り口とでも申しましょうか。分を越えた力はいずれ身を滅ぼします」
カエデが話す間、俺は沈黙を貫いたまま彼女を直視出来ずにいた。
その拳は何の為に鍛えているのだ。下らない事に使用する為か?? それとも愛すべき仲間、友人の為か??
弱者に対して力を翳して奢るのは愚者、吐き気を催す巨悪に立ち向かうのが賢者。
弱きを助け強きを挫く為に使用すべきなのだ。
カエデの言葉と視線はそれを如実に伝えている。
「いいですか?? レイド、あなたはもう完全な人間ではありません。そこをしっかりと意識して下さい。身に余る力を悪戯に振り翳すのは子供と同義ですよ」
「分かってる。分かっているけど……。我慢出来なかったんだよ!! 仲間を傷付けられて……。アイツら……。人間の事を大切に思ってくれているユウに手を出したんだぞ!? それも!! 理不尽な暴力でだ!! カエデは我慢出来るか?? 俺は……俺には無理だ!! 我慢出来ない!!」
この力に対する恐れから逃れる為か、将又我を失った事に対する羞恥か。
幾重にも複雑に絡み合った見苦しい感情の力によって自分でも驚く程に声が荒々しくなり、そして喉の奥から負の感情を剥き出しにした言葉が飛び出てしまう。
「考えてもみてよ。何でユウが暴力を受けなきゃならないんだ!? あれじゃあ、あれじゃあ……。ユウが可哀想だったんだ。守ってやりたかったんだ。だったら仕方ないだろ!? ここまで言ったのなら全部正直に話すよ。暴力を振るっている間、それはもう気持ちが良かったさ。相手が恐怖に慄き、顔を歪め、逃げ行く様が高揚感を与えてくれて。あぁ、これが俺に宿る力なんだってね!!」
声を荒げたままカエデの細い肩を掴む。
「……」
激情にも似た棘のある言葉を受けてもカエデは微動だにせず、俺の心を見透かした様な瞳で静かに見上げていた。
「アイツが殺意を放った刹那。俺にも殺意が湧いた。生まれて初めてだよ、明確な殺意を持ったのは。湧き上がる殺意と憎悪に何の恐怖も感じない、寧ろ……。ハハ、それはもう抜け出せなくなるくらいの甘美な感情だった」
カエデの肩に俺の指が食い込んでも彼女は動じる事なく、只々静かに俺の言葉を噛み締めていた。
見透かす瞳から、俺の荒んだ心を包む込む優しい瞳に移り変わった顔で。
「禍々しい殺意が甘美な感情に感じるんだぞ?? 本当に恐ろしいよな。一体何がきっかけでこうなっちまったんだよ…………」
一切の装飾を加えず、心に想う言葉をそのまま口に出す。
誰かに聞いて欲しかったんだと思う。でも、口にするこ事は叶わない。
恐ろしい殺意が心地良いんだぞ??
異常者に見られるのは耐えがたい。汚物を見る様な瞳が仲間から向けられた日にはきっと俺は……。
「俺って……。ひょっとしたら壊れているのかな?? それとも、俺の心はもうとっくに支配されて……。カエデ??」
情けなく項垂れ、己が取った愚行を恥じる思いで話していると不意に右手に温かさを感じた。
「ほら、レイド。温かいでしょ??」
カエデが静かに目を瞑り、俺の右手にそっと手を添えている。
「私、ううん。私達は冷酷な殺人鬼じゃありません。温かい感情を持つ生き物です」
「……」
「私達に宿る力を破滅に使用するのか、それとも……。誰が為に使うのか。それは己自身に委ねられています。レイドは多分自分に宿る力を恐れているのだと思います」
自分に宿る力。
その単語にはっとし、慌ててカエデの肩から右手を離した。
この手で彼女を傷付ける訳にはいかない。
しかし。
それでも彼女は俺の右手を大切に握っている。
「怖くないよ?? ほら……」
俺の右手を彼女の左頬へ優しく誘導し、カエデの頬に触れると……。
柔らかい温かさが手の平を伝い体に染み渡る。
それは春の陽気に触れた様に朗らかな気持ちをこちらに与えてくれた。
「全然、怖くない。私はこの手が大好きですよ」
「え??」
「包丁を持てば素晴らしい料理を作り、右手で扱う木のブラシはウマ子も大好きです。重い荷物を持っては皆を助け、マイを叱る右手は多分に笑いを誘います」
「そっか」
「だから、自分に恐れないで?? 逃げないで?? 怖いのは当然。私達でも手に余る力だから。でも、レイドはユウの為に使ってくれた。彼女を助けてくれた。そして、こんなにも温かい」
安心しきった顔で俺の右手に頬を静かに寄せる。
「俺は……。カエデの話す通り、恐れているんだと思う。湧き上がる負の感情、そして龍の力に。そして、皆から恐れられる事が」
「誰でも怖いよ?? 自分の内側に形容し難い者が潜んでいれば。私も、怖い」
「カエデも??」
「うん。だけどね?? 仲間……ううん。友達がいれば、皆の為に正しい方向へ向けて使おうと思えるんだ。レイドは私達の事を微塵も怖がっていない。そして、私達はレイドの事を絶対に怖がらない。今日の一件もユウは大変喜んでいたよ?? 私達がその気になればあの傭兵達は瞬き一つの間に倒せた」
「はは。カエデ達なら余裕だろうね」
カエデの陽性な感情が手の平から伝わって来る。
強張っていた顔と心のしこりが溶け出し、つい小さな笑い声が出てしまった。
「でも、レイドが体を張ってユウを……。ううん。私達を守ってくれた事に皆は感謝しています。本当に嬉しいんだよ??」
藍色の瞳が此方を向くと淡い月明りを吸収して反射する。それはこの世に存在する全ての宝石の美しさを遥かに凌駕する美麗さであった。
彼女の瞳の中に浮かぶ月、それはまるで美しい水面に映った月だ。
時が経つのを忘れて魅入ってしまう美しい月を俺は只々直視していた。
「自分より強い者達を守るってのもおかしな感覚だけどね」
「強い、か。身体的強さはマイを筆頭に常軌を逸していますけど、心の強さは別だよ。レイドの心は温かくて、柔らかくて……。厳しい冬を過ごす中、不意に訪れる素敵な太陽みたいな温かさ。だから皆はレイドと一緒に行動しているんだよ??」
「いつ暴走してしまうかも知れないのに??」
「大丈夫。レイドは絶対私達に手を出せない。…………逆はあるかも??」
「そうだなぁ……。無暗やたらに飯を強請って」
「隙あらば人の食料にも手を出して」
「金が無くなるまで無計画で食べ尽くす」
「あろうことか、友人からお金を借りてまで食に突き進む」
「「……深紅の龍」」
図らずとも最後は綺麗に声を合わせた。
互いの感情、意志、考え。
ここまで合致するなんて。素直に嬉しいものだな。
「ふ、あはは」
「ふふ。可笑しいね??」
「そうだな。ふぅ――……。ありがとう、カエデ。御蔭様で、肩がぐっと軽くなったよ」
大きく天を仰いで話す。
直視して話すのはちょっと恥ずかしいし。
「いえ。こういう事は素直に話すべき」
「ん――。俺もそう思うんだけどさ。さっきも言った通り、皆から怖がられるのが恐ろしかったんだよ」
「安心して下さい。もし、こちらに牙を向けるようでしたら……。そうですね。焼いて、突き刺して、拘束して、引き裂きましょうかね」
「こっわ!! ちょっと待って?? それ、俺に対しての事だよね!?」
「えぇ、そうですけど」
当然でしょ??
そんな顔を浮かべて此方を見上げる。
「それ程の攻撃を与えないと、恐らく止められない」
「暴走した龍の力はそれだけ強大って事か」
「そんな事はしたくない。だから、甘美な声に耳を傾けて。負の感情の赴くままに身を委ね無いでね??」
いつもの厳しい瞳からは想像出来ない、相手の心を真から想う柔らかい瞳が俺を捉えた。
「了解であります。誰が為にでは無く、己の為に負の感情の業火に身を置くのは金輪際しません」
カエデの瞳を正面から捉えて話した。
この言葉だけは、顔を逸らして話すのは違う感じがするし。
「本当??」
「約束する」
小さく、そして相手へ確実に伝わる様に頷いた。
「良かった……」
「うん??」
「優しいレイドのままでいてくれて」
カエデがふぅっと大きく息を漏らした強張っていた体の力を抜いた。
それだけ昼の事件が尾を引ていたのだろう。
居たたまれないよなぁ、友人達に心配を掛けて。
「優しい、ねぇ。どこぞの誰かさんにはもっと厳しく叱らなきゃいけないのに。その役をカエデに押し付けてごめんな」
「大丈夫。それが私の役目」
いつもより二割増しでふんすっ!! っと鼻息を漏らして胸を張る。
「そっか。…………えぇっと。そろそろ手を放してもいいかな??」
「っ!!」
美の女神も嫉妬する白い肌が一瞬で朱に染まると俺の手から離れて行く。
きっと俺の顔も赤くなっている事であろう。
現に顔が今は真夏の季節かと錯覚してしまう程に熱いし……。
「さ、さて。冷えるといけないし?? そろそろ戻ろうか」
「え、えぇ。ここは少し冷えますからね」
互いにぎこちない足取りで宿へと足を向けた。
「ね」
「ん――??」
冷たい空気の中にそっと響く美しい声に返事を返す。
「もっと私達を頼ってね?? 自分の中に溜め込まない。レイドの悪い癖」
「了解。今度、この身に違和感が起きたら直ぐにでも報告致します。上官殿」
わざとらしく、大袈裟に。カエデに対して直立不動で答えてやった。
「ん、宜しい。休んでよし、レイド伍長」
「はっ!!」
「「…………ふっ。あはは!!」」
溜め込んでいた陽性な感情が爆ぜて星達がスヤスヤと眠る空へと吸い込まれて行く。
仲間と交わす円満な笑みは何物にも代えがたい貴重な存在だ。
これを守る為に、俺はどんな事でもしよう。
苦痛、憂悶、苦辛。
襲い掛かる想像を絶する苦しみにも耐えてやる。
こんな素敵な笑顔を浮かべる者達を絶対に傷付けたりはさせない。
互いに笑みを零しながら心に固く誓った。
「はぁ――……。笑った」
「こんなに笑ったの、久々」
「カエデが大口開けて笑うのって珍しいもんな」
「普段は気を引き締めていますから…………クチッ!!」
随分と可愛いクシャミをしますね??
「寒い??」
「いえ、だいじょう……クッチ!!」
「ほら、旅館に到着するまで着てな」
上着を脱ぎ、浴衣の上からかけてやった。
「ど、どうも……」
ぎこちなく袖を通し、ぶかぶかの袖口を楽しそうに揺れ動かす。
「私だと全然合わないね」
「え?? あ、あぁ。カエデは小さいからな」
きゅっと口角を上げて話す姿に心臓が一つ高鳴る。
不意打ちは卑怯ですよっと。
「むっ。小さく無い。本当の姿を見たら腰を抜かす」
「本当のって。あの海竜の姿?? ちょこんとベッドに収まる大きさじゃないか」
「もっと大きくなる予定」
「えぇ……。ベッドが壊れるから勘弁してあげて」
「仕方がありませんね。……いつか、見せてあげるね??」
「おう。出来れば壊れる物が無い場所でお願いします」
「ふふっ。うん、分かった。ハ、ハ……。クチッ!!」
カエデ、本当に有難うね。君のお陰で心が救われたよ……。
心の底から感謝の念を唱え、本当に可愛いクシャミを放つ彼女の横顔を静かに見つめていた。
冬らしく澄み渡った空には無数の星々が煌めき、夜に相応しい静寂の中に一陣の風が吹き抜けて行く。
素晴らしい星空の下で取り留めの無い日常会話を続けていると沈んだ気持ちが僅かに浮上する。
胸の内の蟠りを溶かしてくれた彼女は俺の顔を見て笑い、俺はその笑みを見て口を開く。
俺達に与えられた問題が全て解決した訳ではないが共に学び、共に失敗を繰り返し、そして共に成長していく友人という存在は改めて大切なものであると確信した。
隣で俺の上着を楽しそうに着込む彼女へ向かって心の奥底で礼を述べ、それを面に出さぬ様に努めつつ。普段通りの歩みで喧しさの塊達が待つ宿へと向かって行ったのだった。
お疲れ様でした。
この御使いの途中で彼の中に潜む者の正体が登場する予定です。そして、第三章終盤には彼女達の中に潜む者達も全員登場する予定です。
内に潜む者達は連載開始をする前、つまりプロット段階で予め決めておいたのですが……。数名の者が未だに名前だけが決まっていません。
性格、能力、癖等は全て決まっているのですけどね。
評価をして頂き有難う御座います!!
夏の暑さに参っている体に嬉しい励みとなりました!!
それでは皆様、お休みなさいませ。




