第百二十三話 我が師から御教授頂いた経路 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿なります。
好天に恵まれ怪我の具合も概ね良好。植物の化け物達と会敵した休暇明けで疲労度が懸念されたが、それは杞憂だと言わんばかりに任務へ赴く意気込みも充実している。
これぞ正に、険しい道へ初めの一歩を踏み出すのに相応しい心と体の状態とでも呼べばいいのか。
だが時に最高な好天は鋭い鉋で木材の表面を削るかの如く。いとも簡単に人のやる気を剥いでしまうのだ。
「ふぁ――……。ねっむ」
いつもの小高い丘の麓。
街道から外れた所に生える木の幹にだらしなく座り背を預け、日の灯りをこれでもかと浴びせられ続けていた。
肌寒い季節にこの日光は反則だって。
ほんのりと上昇し続ける体温。それをやんわりと冷ましてくれる優しい風。
慢性的な寝不足も相俟ってか、瞼が巨人の指に押し下げられているかの様に重く感じてしまう。
『大丈夫か??』
道草を食んでいたウマ子の顔がこちらに向けられる。
「おぉ……。なんとか、ね」
気合を振り絞り、拙い言葉で彼女へ言葉を返した。
少し位なら……。うたた寝してもいいよな??
木の裏側で街道からは死角になっているから態々心配の声を掛けに来る他人もおるまい。
気の弛みが頂点に達してしまい、常軌を逸した重さを誇る瞼を閉じ。大いに素晴らしいこの微睡を享受してしまった。
頭が気持ち良く上下に揺れ、頭の中が白い靄に包まれる感覚。
あぁ……。このままずっと、この感覚に身を委ねていたい……。
甘えにも似た感情が隙間無く心を埋め尽くして行く。
弛緩しきった体にもっと体の力を抜いても良いのですよ?? と。甘い囁きを呟く太陽と風。
最強の二人組に俺の体は完膚なきまでに打ちのめされていた。
俺も甘いよなぁ。
任務開始と意気込んだ矢先にこれだもの。
この情けない姿を見たら、きっと師匠は目くじらを立ててご立腹なさるだろうよ。
『馬鹿者!! その気の緩みが死に直結するのじゃ!!』
霞む頭の中に師匠の姿が朧に現れいつもの様に俺を叱ってくれる。
ふふ、ありがとうございます。
師匠のお陰で俺は今日までなんとか生き永らえております。
「――――。これからも。ご指導ご鞭撻のほど……。宜しく……します」
うん?? 今のは俺の寝言かな……。
己の口から発せられたはずなのに、赤の他人の声の様に聞こえてしまう。
まっ。いいか。
誰も聞いてやしないし……。
引き続き、微睡を楽しもうと自然の甘い抱擁に身を委ねると。
「…………。ふふ」
不意に柔らかくて優しい笑い声が風を伝って俺の体に染み込んできた。
誰か、いるのか??
両目の重い扉を全力でこじ開け、隣を見つめると。
「あ、起こしちゃった?? ごめんね??」
太陽の光で艶を帯びて花も恥じらう美しさを誇る藍色の髪。俺が触ると傷ついてしまうのでは無いかと錯覚させる柔肌。
寝惚けていた心臓と頭が思わずキャァッ!! と。うら若き女性特有の甲高い声を上げて驚く姿を捉えてしまい、慌てて五臓六腑に覚醒を促した。
「カ、カエデ!? いつから、そこに!?」
慌てて姿勢を整えてあわてんぼうさん丸出しの姿で言葉を放つ。
「五分位前かな?? 気持ち良く寝てたから起こすのも悪いかと思って」
ちょっとだけ口角を上げると、俺から本へと視線を移す。
あ、その本は若き頃のテスラさんが書いた本だね。
マウルさんの所から帰る時に頂いた物だ。
最近は時間さえあれば貪る様に読み返している。
実の父親が構築した術式。気にならないと言えば嘘になるか。
「参ったなぁ……。寝顔どころか、寝言まで聞かれちまった」
「夢の中までイスハさんに稽古つけられてたの??」
「いつもの叱り顔が出て来てさ。思わず口走っちゃった」
「そんな事だろうと思った。あ、もう。ふふっ、本読めないよ??」
カエデと本の間にウマ子の大きな鼻が割り込み私の額を撫でろとせがみ始める。
『久々に会ったのだ。構わぬだろう』
「うん。いい子…………」
か細い手がウマ子の鼻を優しく撫で始めた。
何だろう。この二人って物凄く絵になるよ、な??
絵描きの才能が無い事に猛烈に憤りを感じてしまう。
この光景を絵にしたら絶対様になると思うんだよなぁ。
題名は……。
『可憐な花と猛獣』 だな。
『おい。今、失礼な事考えていなかったか??』
「気の所為だろ」
じろりとこちらを睨むウマ子へ言ってやった。
「ところでさ、他の皆は??」
「あ、言い忘れてた」
もしもし、分隊長殿?? しっかりしよ??
カエデらしかぬ言動に肩透かしを食らう。
「えっと……。あ、そうだ。ユウ達は食料を買いに意気込んで出発しようとしたらね??」
「ほうほう」
『ユウちゃん達だけずるい!! 私も行く!!』
『貴様は大人しく先に向かっていろ!!』
『や!! そうやって邪険にして、お菓子とか買って行くんでしょ!?』
『主の命に従え!!』
「……。等と一悶着ありまして、向こうの分隊の引率をアオイに委ね。私は先に此処へと参った訳です」
声真似、仕草の真似を終えるとちょこんと座りいつも通りに静かに話し出す。
「成程ねぇ。ってか、びっくりするくらいに物真似上手いよね??」
「海竜は何でも出来ますから」
ふふんと胸を張り、こちらを見つめる。
その姿が多分に俺の笑いを誘ってしまった。
「あはは!! 何だよ。カエデらしくないぞ??」
「ふふ。そうかな??」
いつもとはまるで正反対の姿に、陽性な感情が次々と湧いてしまった。
「あ――……。笑った」
「起きた??」
「お陰様で。いつもそうやって笑わせて起こしてよ」
「善処する」
恐ろしい顔で御高説を説くカエデ。弛んだ空気を引き締めるカエデ。物真似を披露して明るくお道化るカエデ。
どれも同一人物だけどさ。
やっぱり笑った顔が一番似合っているよ。
楽しいだろうなぁ。毎日、こうしてカエデが笑わせてくれればさ。
等と、決して叶わぬ妄想を湧かせているといつもの喧噪が押し寄せて来た。
「あぁぁああ!!!! レイド様の御隣は私の指定席で御座いますわよ!?」
カエデと俺の合間。
態々狭い空間に体を無理矢理捻じ込み、こちらの左肩に甘える子猫の如く小さな頭をそっと乗せて来た。
「ちょっと遅かったね??」
「んもう。大変でしたのよ?? あれこれと要らぬ物まで買おうとするのを御するのは」
「ありがとう。アオイがいてくれて助かるよ」
「ふふ……。その御言葉。万の言葉より、アオイは嬉しゅう御座います」
肩から、腕へ。
女性特有の柔らかさが侵食して宜しく無い感情が沸々と起こる。
「どういたしまして」
そう言いながら柔らかさの沼から腕を引っこ抜いた。
「んもぅ。もっとアオイの柔らかさを感じて下さいまし……」
「――――。なぁにが柔らかさだ。発情期の犬みたいに盛ってんじゃないわよ」
「ちっ……」
真の勇士も尻窄ませる声と共に深紅の髪を揺らしながらマイ達がこちらへと向かって来る。
「よっ。遅かったな」
それをいつも通りの口調で迎えた。
もうちょっと口調に気を付けなさいよ。街に跋扈するチンピラじゃないんだからさ。
「悪い!! 色々買い込んでいたら遅れた!!」
ユウは申し訳なさそうに両手を合わせ。
「えへへ――。ごめんねぇ??」
ルーは相変わらずの笑みでユウの後ろから顔を覗かせ。
「主、申し訳無い。私が付いていながら……」
「いいって。そう急いでいる訳じゃないしさ」
そしてリューヴに至っては肩身を窄めて、項垂れていた。
「ほら、リューヴ。私の言った通りでしょ?? 何も急ぐ事は無いってさ」
「マイ。例えそうだとしても時間に遅れるのは良く無いぞ?? 今回は遊びじゃなくて任務で向かうんだ。気を引き締めてくれ」
悪びれる様子を一切見せぬ彼女へ言ってやった。
「へいへい。分かっていますよ――っと」
まっ、人の話を聞きやしないのは分かっていましたけどね。
どこ吹く風といった感じで俺の言葉を巧みに流してしまった。
「さて。皆さんお揃いになられた事ですし。出発しましょう」
丁寧に本を閉じてカエデが徐に立ち上がる。
「了解。じゃあ、丘の裏側に移動しようか」
俺達はそれを合図と受け取り、カエデを先頭に移動を開始した。
「ウマ子――。乗せるぞ――??」
『構わぬ』
「へへ。よっこいしょっとぉ!!」
ユウがウマ子に一言声を掛け。両手に余る木箱、丸々と太った麻袋の数々を荷台に載せていく。
「何買ったの??」
ウマ子がなだらかな傾斜を進み易くする為、荷台の後方へとつき。
「ん――?? ほら、いつも通りの食料と。その他諸々だよ。道中補給するからそこまで買わなくてもいいって言ったんだけどさ。足りなくなったらどうするの!? ってマイの奴が泣き喚くもんだからちょっと多めに購入したんだ。押すぞ?? せ――のっ!!」
力自慢の彼女と共に押し始めた。
「へぇ……」
これが、ちょっと??
どう見ても数十人が暫くの間、食っていけるだけの量なんですけど。
「実際そうじゃない。足りなくって困るより。あって困る方が嬉しいでしょ??」
満面の笑みを浮かべながらマイが後方からやって来る。
「だとしてもだ。量を考えろ。量を」
「腐りかけたら私が全部食らうから気にしないの。そうそう!! 甘いクッキーが安くてさ!! それで……」
こいつの中ではきっと今回の任務は只の遠出だと考えているのだろうよ。
もうちょっと、さ。仕事と遊びの分別を付けて貰いたいものだ。
「ここで宜しいでしょう」
先頭を行くカエデがピタリと足を止める。
「周囲に人は??」
「…………。いませんね」
小さな魔法陣を手に浮かべ周囲に翳して様子を窺うが……。どうやら俺の杞憂であった。
俺達が消え失せる姿は流石においそれとは見せられないし。
「了解。カエデ、宜しく頼む」
「任された。では……行きますっ!!」
カエデが魔力を解放すると、俺達の足元に昼間だと言うのに目を瞑りたくなる光量を放つ大きな魔法陣が浮かぶ。
すっげぇ圧だな……。
最近、魔力の制御を習い始めた所為か。
カエデの細身から感じる桁違いの魔力に思わず息を飲んでしまった。
「な、なぁ。こんな凄い量の魔力を放出して大丈夫なのか??」
「あ――。そう言えばあんた最近魔力について色々と勉強してるもんね。やっと、カエデの馬鹿げた魔力に気付いた??」
マイがにっと笑う。
「お、おう。何んと言うか……。俺が放つのは豆粒で、カエデが放つのは……。大波って感じ」
「アレと自分を比べたら駄目よ。カエデとエルザード。それと……認めたくは無いけど蜘蛛もそれなりにやるからさ」
「素直じゃないからな――。マイは――」
「ユウ、五月蠅い」
「おぉ。こわっ」
マイの鋭い視線を受け、ユウがわざとらしく肩を窄めた。
いつものやり取りに何となく強張っていた体が解される。
「皆さん、行きます!!」
膨大な魔力が爆ぜるといつもの白い霧が俺達を包む。
何度も経験しているが、どうもこの感覚は苦手だな……。
白一色に視界が奪われ己の手元さえ見えぬ視界にどことなく不安を覚えてしまう。
そして暫くすると……。霧の先から強き光が現れ、俺の瞼を強制的に遮断させた。
「……………………ふぅ。到着です」
「――――。おぉっ」
カエデの声を受けて目を開けるとそこはいつも利用させて頂いている訓練場であった。
山の中を駆け巡る冷涼な空気、空を飛ぶ鳥達の歌声。
慣れ親しんだ清らかな山の風景を捉えると、ピンっと張っていた緊張感が緩んでしまう。
「着いた――!! カエデちゃん、ありがとうね!!」
「いえ」
犬が早く走る、鳥が空を飛ぶ様にいとも容易く彼女は詠唱を行っているが……。魔法を知れば知る程その桁違いの凄さが理解出来てしまう。
俺もまだまだ精進が足りぬ。
少しだけ疲労の色が残る彼女の横顔を見つめ、改めて自分にそう言い聞かせてやった。
「さて。師匠の所へ行くか」
「そうね。此処から向かう先の様子を聞きに来たんでしょ??」
普段と変わらぬ表情でマイが話す。
「そんなとこ。ウマ子、ちょっとここで待っていてくれ」
『あぁ、分かった』
うん?? 何だ??
ちょっと落ち着かない様子だな。
周囲を気にする様にキョロキョロと忙しなく視線を送っている。
「ウマ子はここへ来るの初めてだから」
それを落ち着かせようとしてカエデが優しく体を撫でていた。
「あぁ。そうか」
麓の里へは顔を出した事はあるが。
山の中腹へ来るのは初めてだったな。
「悪い。気が回らなかったよ」
『気にするな』
体を撫でる俺とカエデに対し、ちょこんと額を当てて答えてくれる。
「あはは、ありがと。直ぐ戻って来るからな?? よし、皆行こうか」
ウマ子に少しだけの別れを告げ、いつもの平屋へと続く階段へ向かった。
ここに来るとどうしても体中の筋肉が疼いてしまうなぁ。
いつもこれでもかと体を虐め抜いている場所なだけに、筋力一つ一つが稽古を望んで軽い柔軟運動を始めてしまう。
いやいや。立ち寄っただけだから。
そう言い聞かせるも俺の筋肉は我儘の限界なのか。
早く刺激を与えろと喚き、主人の言う事を聞きやしない。
横着な肉達を必死に宥めつつ階段を上がり、俺達がいつも利用している平屋の前に到着したが……。
「とぉっ!! ん――……。平屋には誰も居る気配が無いねぇ」
ルーが話す通り、人の気配は中からは感じられなかった。
恐らく離れの母屋で先日までの指導の疲れを癒しているのだろうさ。
一応、平屋の戸を開いて確認するものの、中はもぬけの殻。それを確認した俺達は一路、美しい花達が咲き誇る裏庭に足を向けた。
お疲れ様でした。
後半部分は現在編集中ですので、次の投稿まで今暫くお待ち下さい。




