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第百十三話 彼が切に望むのは平穏な朝

お疲れ様です。


休日の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。




 この世の果てに向かって無限に続く奈落の底へ落ちていく感覚がふと止むと、妙に現実感溢れる感触が背に一杯広がる。


 庶民がこよなく愛して止まない硬くも柔らかくも無い微妙な塩梅の感触。


 これに慣れ過ぎてしまうとちょっと豪華なお出掛けをした時、いつもと違う枕の高さと布団の柔らかさで眠れなくなってしまうのですよ。


 庶民には庶民の。そして貴族には貴族に誂えた寝具を使用すべきですよね。


 心地良い睡眠は使い慣れた分相応の寝具から。


そんなどうでも良い事を考えていると。



『ッ!!』



あの数珠繋ぎの百足擬きが俺に向かって再び襲い掛かって来やがった!!



 はぁっ!? まだ悪夢は覚めていないの!?


百足擬きから逃れる為、人生の中で最も早いと断言出来る速度で上体を起こして口を開いた。



「た、助けてぇぇええ――――ッ!!!!」


「あいだっ!!」


「いてて……。ん?? ルー。どうした??」



 額に鋭い痛みが走り抜け此処は現実であると五感から察知して、漸くあの悪夢は過ぎ去ってくれたのだと人知れず安堵の息を漏らす。


 そして、狼の姿でモフモフの毛が生え揃った両前足を器用に動かして大変痛そうに額を抑えているルーを見下ろした。



「も――。急に起きるからびっくりしたじゃん」



 少し涙で濡れた金色の瞳で俺を頑張ってキっと睨む。


 人は酷い悪夢から目覚める時、驚くべき速さで上体を起こすのですね。


 一つ勉強になりました。



「いや、ちょっと悪夢にうなされてね」



 人生の中で五指に入るであろう悪夢から解放され、額に浮かぶ冬らしからぬ重たい大粒の汗を手の甲で拭い一息付いた。



 さり気なく臀部を手で触るが……。


 奴の存在を微塵も確認出来ない事に安堵の息を漏らす。


 俺の無意識部分は一体何を考えて内側から日常生活を見ているのだろう?? 真面に生活していたらあの百足擬き何かは想像出来ないだろうし……。


 まぁ恐らく自分の日常は常人の生活とはかけ離れているから突拍子もない想像に至ったのでしょう。


 無理矢理自分にそう言い聞かせて、今の考えを正当化してやった。



「うなされる?? 全然動いていなかったよ?? 寧ろ、動かな過ぎて心配になる位だった」


「あ、そうなんだ……」 



 自覚は無いけど。


 悪夢にうなされている間はその恐怖によって体が縛られてしまうのかもね。



「まぁでも。レイドが元気そうで良かったよ」


「ん。ありがとね」



 ふさふさの尻尾をフリフリと左右に振るルーの頭を撫でて言ってやった。



「動かない俺を頑張って起こそうとしてくれた事に対しては礼を述べるよ。今日から任務が始まるからね」


「ど――もっ。あ――……。もうちょっと下、かな??」



 はいはい、ここかしらね。



「だけど…………。高温で溶けてしまった飴みたいな粘度の高いドロドロの唾液を顔面に塗りたくらなくてもいいんじゃない??」



 顔の皮膚、眉毛の根本、そして鼻腔の入り口付近と唇の端っこに残る唾液を左手で拭い捨て若干強めに言ってやった。



軽く拭っても鼻腔の先からそして果ては目玉の奥からツンっとした獣臭が離れてくれない。


 人の姿の時、この馬鹿げた獣臭は微塵も感じ無いのにどうして魔物の姿になると途端に刺激臭を放つのでしょうか。


 甚だ疑問が残りますよ。



「癖みたいなもんだって――。う――……。そこそこ……」


「次からは気を付けるように」


「あ――。もっとぉ――……」



 残念そうな声を放つお惚け狼を尻目にベッドから足を下ろして大きく体を伸ばし、さり気なく窓の外へと視線を移すと。


 カーテンの向こう側には真夏と比べ大分弱った冬の太陽がのんびりと体を起こして大欠伸を放っている所であった。



 王都に帰って来たのは前日の夕方。


 アレクシアさんの容体が回復したのを確認してギト山経由で帰還を果たしたのです。


 魑魅魍魎が蠢く捕食の森から生還してほっと息を付いたのも束の間の出来事。



『さっさと立たぬか!! 儂の稽古はまだまだ始まったばかりじゃぞ!?』



 師匠達と共に残り数日となった休暇を大変有意義に使用させて頂きました。


 お陰様で四肢に残る筋力達が顔を盛大に顰めていますよっと。


 紆余曲折あって本日は新たな任務の説明が本部で行われる為、こうしていつもの宿屋で安眠を取っていた訳だ。


 まぁ悪夢やら、獣臭がたぁっぷり含まれた粘度の高い唾液の所為で安眠は出来なかったけどね。



「主。おはよう」


「お――。おはよう、リューヴ。早いね??」



 お惚け狼の柔和な瞳とは打って変わり、鋭い翡翠の眼光を宿すリューヴが四つの足を器用に動かしてこちらにやって来る。



「昨晩は早く就寝したからな」



 そう話すと俺のベッドへと格好良く飛び乗る。


 シャキッと座るあたり、ルーとは一味違うんだよな。座り方一つでこうも性格の違いが現れるとは。



「ちょっと、リュー。そこ、邪魔」



 もう一頭の狼が鋭い眼光の狼の背を前足で蹴る。



「貴様の方こそ主の顔を舐め回すとは一体どういう了見だ」


「え――。死んだように眠っていたから心配になったんだって」


「ほぅ。そうなのか??」


「まぁね。ちょっと悪い夢を見ていたんだよ」



 あれがちょっとの悪夢なら、他の人が夢の中で見るであろう悪夢は可愛い部類に収まってしまうでしょうね。



「疲れが溜まっているのだろう。余り無理はするな」


「了解。適度に休息を取る事にするよ」



 冷たい床に足を下ろし、まだまだ寝息が目立つ室内を横切り窓へ向かい歩んで行く。



 ん――。天候の崩れは無さそうだな。


 雲が多いけど……。晴れそうだ。


 カーテンの隙間から覗く空に浮かぶ雲は雨に移り変わる程の厚みと重さは感じなかった。



「ふわぁぁ……。ちょっと早いけど、支度しようかな」



 中途半端な空模様から踵を返してベッド下の荷物に手を伸ばす。



「今日だよね?? 任務の説明って」


「朝早くに聞きに行って本日出発するなら皆へ念話で予定を伝え、翌日以降なら必要な買い物を済ませて来るよ。それまでルー達はゆっくり休んでな」



「はぁ――い!! だからリュー。そこ邪魔だって」


「貴様が下りれば良いだろう」



 何で狭いベッドの上で場所の取り合いをするのでしょう??


 座り心地の良さを求めているのだろうか。将又縄張り争いの為か……。狼さん達は縄張りに厳しいですからねぇ。


 軍服の下に着用するシャツを取り出して部屋着をぱぱっと脱ぎ捨てると。



「結構寒くなってきたなぁ……」



 冷たく乾燥した空気が肌を刺激した。


 冬の音色が強くなってきた証拠だ。もしかすると移動中に雪が降るかも。



「――――。全く、寒いのは苦手ですわ」


「アオイは寒いの苦手だっけ??」


「はいっ。暑いのはまぁ得意な方ですが寒いのは……」


「ふぅん。…………所で。着替えたいんだけど退いてくれる??」



 着替えている最中に天井から一筋の糸を頼りに一匹の黒き甲殻を纏う蜘蛛が定位置である右肩に留まり。沢山の漆黒の瞳で俺を見上げていた。


 風邪を引きたくないから早くシャツを着たいのですけども……。



「え?? 退かないと駄目ですか??」



 二本の前足をクワっと上げて蜘蛛流の憤りを示す。



「駄目に決まってんでしょ。何?? 服の中で生活したいの??」


「それはそれで面白そうですわね!! レイド様の温もりと……。馨しい香りに包まれて……。あぁ!! アオイは昂ってしまいますわ!!」


「はぁ――い。またの機会にお願いしま――す」


「あ――ん。辛辣ですわぁ――」



 むっくりと丸みを帯びた腹部を摘まみ、隣で寝ているカエデのベッドへと放り投げてやった。


 美しい放物線を描き終えると八つの足を巧みに動かして満点の着地を決める。



「おぉ――!! アオイちゃん、上手に着地するね!!」


「此れしきの事。稚児でも出来ますわ」



 稚児では無理でしょうに。



「…………アオイ。毛が痛い」


「あら。申し訳ありませんわ」



 カエデの顔付近で蠢く黒き蜘蛛が特に謝意を表さずに口を開く。


 目元のみを器用に布団から覗かせているカエデの顔に蜘蛛の体表面から生えるチクチクとした毛が触れている。


 朝の微睡の最中だとちょっと堪えるよなぁ。


 アレ、痛くすっぐったいもん。



「レイド」



 まだ夢現のカエデが俺の名を呼ぶ。



「ん――??」



 蜘蛛が居ぬ間にシャツをぱぱっと着用して壁に掛けられている軍服の上着を手に取る。


 その動きの途中で彼女に返答した。



「帰りは何時頃ですか??」


「帰り、か。う――ん…………。さっきも話したけど、本日出発であれば直ぐに念話で伝えて。翌日以降であれば特に連絡を入れずに此処へ帰って来て説明するから……。夕方位かな」



 大雑把な計算だとそれ位でしょう。



「分かった……」



 そう話すとくるりと壁の方へ寝返りを打ち、安らかな吐息を続け始めた。


 二度寝、かしらね。ちょっとだけ羨ましい気もする。


 如何せん。昨日までの疲労が抜けていないのが本音ですからね。



 それと……。



「どうした?? 主」


「え?? あぁ。まだちょっと傷が痛むなぁって……」



 龍の力の暴走で負傷した右腕に重い痛みが残っている。


 ひり付く痛みでは無く、腕の奥底のお肉に痛みがズンっと残る。そんな感じだ。



「例の傷か。どれ見せてみろ」


「ん」



 ベッドに腰掛け、右腕側の上着を捲って痛々しい傷跡を見せてやった。



「ふ……む。見た目的には完治している様だが……」



 傷跡に鼻をあてがい、スンスンと匂いを嗅ぎながらそう話す。


 こらこら狼さん?? 鼻息がくすぐったいですよ??



「何か、こう……。物凄く重たい痛みが残っているんだよ。丁度、腰痛みたいな感じ??」



 上手く比喩する事が出来ないが、大まかな痛みの説明はこれで伝わるでしょう。



「腰痛?? 腰を痛めた事が無いから分からぬが……」



 あ、無いんだ。


 それじゃあ分かり難いかも。



「次の任務では余り無理をするな。その腕、使い物にならなくなるやも知れんぞ??」


「おいおい。脅かすなよ」


「ふっ。主は釘を差しておかないと必ず無理をする。忠告では無く警告でないと聞きやしないからな」



 荒々しい鼻息を吐いてこちらを見上げる。



「俺は小さい子供か。ま、忠告痛み入りますよっと」



 でもなぁ。


 いざ戦闘となると右腕を使用しない訳にはいかない。


 皆の足手纏いになる位なら多少の痛みは我慢しますよ。これ以上、負担を掛けたくないし。


 それと何より、皆が傷付く姿を見るよりも俺一人が傷付いた方が安上がりでしょうからね。



「レイド様、お傷を……」


「え?? あぁ、宜しく」



 人の姿に変わったアオイが右隣りにすっと腰かける。


 そして右腕を手に取ると先程のおふざけの雰囲気とは一転。真剣そのものの眼差しで観察を始めた。



「ふぅむ……。リューヴが話した通り。傷は完治していますわね……」



 手の平大の大きさの淡い水色の魔法陣を右腕に向けて注意深く観察しながら話す。



「そうなんだ。じゃあ問題は中の筋肉って事か」


「そうですわねぇ。怪我は腕の筋線維まで届く深い傷でした。治療の最中、余りの痛みで気を失われましたでしょ??」


「あの痛みで気を失わない人がいたら見てみたいよ」



 あの常軌を逸した痛みときたら……。


 奥歯で木の棒を全力で噛み、襲い掛かる痛みに耐えようと画策したがそれは叶う事はなかった。



「中身と皮膚は私の糸で縫合しましたが、まだ完全に接合していないみたいですわ。ですから決して激しい運動をしない様に心掛けて下さいまし」


「中身って……。まぁ、主治医の言う事だ。大人しく従いましょうかね」



 アオイの言う通り。


ズタズタに切り裂かれた筋線維は、一生懸命に今も手を繋ごうとしているのだろう。

 

その動きが鈍痛を生じさせているのかも。


 頑張って傷を治してくれよ?? 右腕さん。



「レイド様の痛んだ右腕の代わりに、私が御力を添えますわ……」



 しゅるりと右腕に体を絡ませて来る。


 アオイの、その……。女性特有の恐ろしい威力を持った武器が腕に当たり何とも言えない感情が沸々と湧いてしまう。


 朝も早くから止めなさいよね。


――――。朝じゃなくても駄目ですけども。



「出来る限りの事は自分でするよ。どうしようも無くなったらお願いします」



 二子山の合間からやんわりと腕を脱出させて言った。



「んもう。アオイの体を自由に使って良いって言っているのですよ??」



 頬一杯に無駄に頑張って餌を詰め込んでしまい、もう後戻り出来なくなってしまった栗鼠の様な顔で話す。


 あはは、アオイでもこんな膨れ面するんだ。


 普段は凛とした姿の彼女とは掛け離れた姿に心臓が嬉しくトクンっと一つ声を上げた。



「そういう意味では使わないな」


「そういう意味?? んふっ。それはどういう意味でしょう……」



 おっとぉ。この声色は宜しくないですねぇ。


 アオイから距離を取ると、彼女は獲物を狙いすました猛禽類の姿勢で迫り来た。



「他意はありませんのであしからず……」


「ふふふ……。逃がしませんわよ……」



 彼女の瞳に妖艶な光が灯ると盛大に背筋が泡立つ。



「淫靡な意味ではありません!! ってか!! 足を触らないの!!」



 アオイのか細い指が太ももに掛かり、敢えて男心を刺激させる様に這わせていた。



「良いではありませんか。まだ少し早い時間なので雰囲気はアレですけど……。子を成すのに時間は関係ありません。愛さえあれば宜しいのですっ」


「ねぇ――。アオイちゃん。惚けた事言っちゃ駄目だよ――?? 私達もいるんだし――」


「その厭らしい手を主から退けろ」



 救援部隊の二頭が颯爽と現れ、欲情に溺れて甘い吐息を吐く蜘蛛の御姫様の前に立ちはだかった。


 おぉ!! 何と頼もしい灰色の背中だ!!



「あら?? 貴女達も参戦したい、と??」


「そ、そんな訳!! 無い…………もんっ!!」


「愚問だな」



 若干一頭は怪しい口調であるが……。


 概ね良好な雰囲気にほっと胸を撫でおろした。


 このままお流れって感じかね。


 しかし。


 そこはやはり九祖の血を引く傑物。おいそれとはいかぬ。



「もう面倒ですわねぇ……。御二人には糸の牢獄に入って頂きましょうか」


 天井から何やら白い物体が突如として降って来たかと思うと。


「へ?? びゃあぁっ!!」

「ぬおっ!?」



 いとも容易く粘着質な糸で二頭を雁字搦めにして天井に吊り上げてしまった。


 四本の足で藻掻き、鋭い爪で糸を切り裂こうとジタバタしているが……。



「くっ……!! 何て強度だ!!」

「取れない――!! しかもネチャネチャして気持ち悪い!!」



 狼さん達の懸命な行動は逆効果。


 更に糸が体に絡み付き、熟練の技を持つ蚕さんも思わず顎に手を添えてほぅっと頷いてしまう繭が完成してしまった。



「まぁ……。酷い言い方ですわねぇ。極上の蜘蛛の糸ですわよ?? 藻掻けばもがく程体に絡みつき。解けなくなってしまう。私の糸に捉えられたら最後、食われるのを待つだけの獲物に変わり果ててしまいます」



 こういう使い方をしなければ素直に尊敬するんだけどなぁ。



「では、邪魔者も居なくなった事ですし……」



 うげっ!!


 鋭い眼光が天井から俺に移り真正面で捉えると。蛇に睨まれた憐れな蛙の如く数舜で身が竦んでしまう。



「皆が見ている前で……。二人の愛を見せびらかしましょう……」


「け、結構です!!」



 慌てて後退りを始めるが。


 残念ながら狭いベッドでは大した距離は稼げない。


 ベッドの端に到着すると。



「…………っ」



 にぃっと勝ち誇った笑みを浮かべ、俺の体を舐めまわす様に品定めを始めた。


 く、くそ!!


 退路は……。退路はどこだ!?



「さ。始めましょうか……」


 敢えて見せびらかす様に遅々とした所作で黒の着物を体から外して行く。


 シュルシュルと、着物が擦れる音って妙に厭らしく聞こえてしまうのは気の所為でしょうか。



「き、着物を脱ぐな!!」


「着たままするのがお好きなので?? レイド様が望まれるのならそうしますけど」


「そういう意味じゃないっ!!」



 な、何とかしないと!! このままでは確実に食われる!!


 慌ただしく視線を動かして脱出経路を模索していると……。



「……」



 ある意味最も信用できる脱出経路がこの世の怒りを全て詰め込んだ様な燃え滾る瞳でアオイを見下ろしていた。


 怒れる彼女は肩をワナワナと細かく震わせ。



「フウ゛ゥ――……」



小さな御口から零れ出る吐息は火炎を帯び、今にも標的を滅殺しようと己の魔力を高めていた。


 そう、混沌と暴飲暴食と破壊をこの世にもたらす大魔が一人。


 覇王の娘さんがこの不埒な雰囲気を破壊し尽くそうと俺達を仁王立ちで見下ろしているのです。



「…………。よぉ」

「あ、おはようございます」



 瞬時に膝をキチンと折り畳み。彼女に対して静かに頭を垂れた。



「ちっ」



 あ、その態度はいけませんね。俺の姿勢と態度を見習って下さい。



「今、何時だと思ってんだ??」


「え?? えぇっと……。凡そ七時前位でしょうか??」



 この季節の窓から微かに差し込んでいる陽射しの面積と光量を大雑把に計算して恐る恐る伝えた。



「早朝。つまり、だ。あんたらは私の一時の安寧を奪い、それだけじゃ飽き足らず。盛った犬みたいにキャンキャンと事を始めようとしてんのか??」


「い、いいえ!! 決してその様な事は!!」


「ア゛っ??」


「申し訳ありません……」



 燃える瞳がギラリと俺を捉えると一瞬で口を閉ざす。


 彼女の瞳には窮地を挽回しようと己を奮い立たせる戦士の熱き心の力を根こそぎ奪ってしまう威力が備えられていた。



 こ、こえぇ……。


 正座の姿勢から更に尻窄み、身を縮ませ。他人から心配されてしまう様な大変窮屈な姿勢へと変貌を遂げてしまった。



「何ですの?? 邪魔ですわねぇ……。私は忙しいのですから遊ぶのでしたら外でどうぞ」



 背後で憤怒を撒き散らす龍をさも当然の如く邪険に扱い、剰え子供扱いする始末。


 当然、ここからの展開は容易に想像出来てしまう。



「っ!!」



 俺は布団を頭からスッポリと被り防御態勢を整え、今から室内に吹き荒ぶ嵐に備えた。



「邪魔ですって?? お――お――。人様の話を聞いていたのかぁ?? あぁ??」


「確とこの耳に届きましたわ。レイド様ぁ。どうしたんですかぁ?? 布団なんか被ってしまわれてぇ」


「ッ!!!!」



 猫なで声に対し、無言でアオイの背後を勢い良く指差す。



「えぇ――?? 薄い壁が迫って来るぅ?? うふふ。それは恐れて当然ですわねぇ。私も刺々しく、鋭い剣山がびっしりと生え揃った壁が迫って来ましたのなら恐ろしいですもの。ね?? そういう事でございますわよね??」



 微塵も思っていません!!!!


 ぎゅっと体を丸め、決して布団を放すまいと必死に体全体で握り締めた。


 お願いします!! それ以上龍を刺激しないで!!



「…………。そうか」



 ふと訪れた静寂の中、彼女のドスの効いた声が重く響く。



 な、何を肯定したの!?



「いっぺん死なねぇと理解出来ねぇみたいだな??」


「はぁ――……。ですから、貴女には不可能だと何度申したら分かるのですか?? 汚らしい剣山を引っこ抜いてからまた来て下さいまし。レイド様ぁ――。アオイはここですよ――??」



 アオイの細い手が絶対防衛線を掻い潜り、俺の体を引っ張り出そうと画策する。



「手を引っ張らないで下さい!!」


「そうか。そうかぁ……。ってなる訳ねぇだろぉ!! 死ねぇぇええ――――!!」


「マ、マイ!! 落ち着いて……」



 腕を振ろうと体を上げたのが不味かった。


 目の前の白い布団がモリっと盛り上がったと感じた次の瞬間。



「おげぶっ!?」



 俺の体は面白い様に爆ぜてどこかの壁へと吹き飛ばされ。背中そして腹部に常軌を逸した衝撃が迸り思わず吐瀉物を撒き散らしてしまいそうであった。



 い、痛過ぎる……。何で朝っぱらこんな痛みを受けなければならんのだ……。


 理不尽過ぎるだろ。



「避けんなぁ!!」


「避けてはいません。貴女が外しているのでしょ??」



 乾いた音が鳴り響くと同時に何かが砕け散った音が乱反射し、それは物が砕け散る音だと容易く察してしまう。



「マ、マイちゃん!! こっち来ない……。いったぁい!!」

「アオイ!! 糸を解け!!」



 天井に吊るされている狼二頭も完全にとばっちりを受け、今にも泣きだしそうな声を醸し出す。


 空気を切り裂く甲高い音。


 太い何かが振り回されるずんと腹に響く野太い音。


 部屋の中に様々な激しい戦闘音が鳴り響き、この狭い部屋では彼女達の力を抑え付ける事は叶わずに崩壊してしまう蓋然性が高まって来るが……。


布団から出て説得を試みようとは思わなかった。


 ちっぽけな人間は嵐に立ち向かおうとは思わないし、天災にはどう頑張っても抗えないのです。


人に恐怖を抱かせる音の数々を聞けば武を極めた者でさえ俺と同じ選択をするでしょう。


 恐怖の天候に打ちひしがれ、体を丸めて吹き荒れる嵐が過ぎ去るのを只々渇望していた。



 そして、暫くすると……。



「……??」



 不意に絶望の音が止んだ。


 嵐が過ぎ去ったのか??


殻に閉じ籠った蝸牛の様に恐る恐る布団から目元だけを覗かせると……。



「……。はれ??」



 嵐の元達が忽然と姿を消していた。


 その原因を探る為に周囲へ視線を送ると。



「……っ」

「すぅっ……。すぅっ……」



 部屋の中で確認出来たのはベッドの上で体を起こしてむすっと眉を顰めているカエデと、轟音犇めく嵐の中でも我関せず爆睡しているユウだけ。



 え?? 一体何が起こったの……??



「安心して下さい。喧しい人達にはちょっとしたお仕置きをしておきました」


「へっ??」



 カエデが壊れた人形の様にぎこちなく首を回し、人の感情が一切宿っていない瞳で俺を見つめて話す。



「ほら。いつも集合で使っている小高い丘がありますよね?? そこの裏手に空間転移で送ってやりました。どうせなら北の僻地にでも送ってやりたい所ですが……。明日からレイドの任務に帯同しますから。やむを得ずって感じです」



「あ、うん……。ありがとうね??」



 やはり……。俺はこの人にはどうあっても逆らえない。


 俺も下手したら僻地送りになっていたかと思うとぞっとする。



「やはり静かなのが一番ですねぇ。そう思いませんかっ??」


「し、至極同意致します」



 顔は笑っているが……。目は笑っていない。


 これは恐らく。



『お前が問題を起こした張本人だろ?? 次は容赦しませんからね??』



 そう如実にこちらへと伝えていた。



「これからは毅然とした態度で静寂を保とうと努力します」


「はい。良く出来ましたっ」



 カエデがコクリと一つ頷くと再び布団にくるまる。


 一番怒らせてはいけないのは彼女かも知れない。丸みを帯びて心地良さそうに上下する布団を見つめてそう確信した。



「ふわぁぁぁ――。はぁ――……。良く寝たっ。うん?? どうした、レイド?? 熊に襲われそうになっている小鹿みたいに体をプルプル震わせて」



 カエデの代わりにユウがむくりと体を起こし、蝸牛状態の俺を見下ろして首を傾げる。



「ちょっと寒かったから……」


「寒い?? そうか?? って、マイ達はどこ行った……。あぁ!! あたしを置いて買い物に行ったな!?」


「はぁ――……」



 ユウの見当違いな意見が張りつめていた感情を一気に解き解してくれた。



「なぁ!! どこ行ったか知らない!?」


「…………いいえ??」


「ちっくしょ――。あたしを置いて行くなんて……。薄情な連中だよな??」


「はい。そう思います」



 この場に不釣り合いな言葉。


 それは嵐が過ぎ去った後の突き抜ける晴天の様で俺の心に安寧をもたらしてくれる。


 森の優しき力持ちさんの愚痴の雨が降りしきる中、微かに震える肩を懸命に抑えつつ出発の準備を開始したのだった。



お疲れ様でした。


帰宅時間が遅れ、投稿時間が深夜になってしまい大変申し訳ありませんでした。


次話では新しい御使いの説明が始まります。



いいねを、そしてブックマークをして頂き有難う御座いました!!


これからも精進させて頂きますので温かい目で見守って下さい!!




それでは皆様、引き続き素敵な休日をお過ごし下さいね。

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