第百十話 二人っきりの素敵な看病の夜 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
アレクシアさんの額に浮かぶ汗を丁寧に拭って……。
重たい汗を吸い取った手拭いを水桶に浸して清涼な水を纏わせ、余計な水分をしっかりと絞り落としたら再び額に乗せてあげる。
そして疲労の蓄積によって己の額にも浮かぶ汗を拭い、体の中に籠る熱を逃す為に上着を脱ぎ。一呼吸整えてからベッド脇の椅子に腰掛けて経過観察を継続。
この一連の流れを始めてからどれ位時間が経ったのだろう。
「ふぅ……」
こうして人の看病をするのは随分と久々だけど意外と疲れるもんだな。
勿論体力的な側面もあるが。その最たる理由は精神的にって感じだ。
人の罹患している様を見ていると、これ以上酷くなるんじゃないのか、あんなに元気だった人が……。そんな心配事が心に生まれて何処までも広がっていく。
それが看病疲れに結びついているのだろう。
病は気から。
そう言われるように、心と体は上手い具合に連結しているものさ。
『ギャハハ…………!!』
ん?? 笑い声??
階下から僅かな笑い声が建造物の合間、若しくは一旦外へ出て夜の冷たい空気に乗って此処まで届いた。
今の声って、マイ達だよな??
一階から此処まで届く笑い声って……。
全く……。他人様の屋敷で大口開けて笑うんじゃありませんよ。
でも、まぁ。アレクシアさんの顔色も大分良くなって来たし。
大目に見てやるか。
荒い呼吸は静かなものへ代わり彼女の呼吸と同調する様にゆっくりとシーツが上下している。
熱によって上気した顔も落ち着きが見られる様になり若干汗ばんでいるものの、端整な顔に相応しい柔和な寝顔がそこにはあった。
マウルさんから頂いた薬が効いたんだな。
うんうん!! 良い傾向ですよ!!
このままいけば翌朝にはバッチリと目を覚ましていつも通りに元気良く空を飛翔する事でしょう。
雛鳥の病を見守る親鳥の気持ちを抱いたまま一人勝手に肯定して彼女を見ろしていると。
「…………」
アレクシアさんの目がふと静かに開いた。
夢現のその御顔はこれが現実なのか夢なのか。今だ定まっていない様に見える。
頼りない視線を右往左往させて部屋の中を見回していると遂に両の瞳が俺の顔を捉えた。
「おはようございます。アレクシアさん」
出来るだけ体に障らない様に、自分でも驚く程小さく夜の挨拶を交わす。
「…………。あぁ、まだ夢の中なのですか」
はい??
俺の顔を見つめるとふっと寂しげな表情に変わる。
「だって。レイドさんがここに居る訳ありませんもん」
「現実ですよ?? ほら。手の感覚、分かりますよね??」
恐らく長い間眠っていた所為で現実と夢の境目が曖昧なのだろう。
分厚い毛布から伸びる白く小さな手を握り、現実の感触を与えてあげた。
「…………っ!!」
はは。やっと現実に帰って来ましたね。
寂しげな表情から一転。
真ん丸の目がより丸くなり俺の顔を捉えた。
「す、すいません!!!! た、体調不良で倒れてしまって……」
慌てて白い手が毛布の中へと逃げ帰って行く。
「申し訳ありません。いきなり手を握ってしまって」
「ご、御馳走様です」
うん?? ひょっとしてまだ夢現??
「それより……。どうしたんですか?? その御怪我。それに……。私は一体……」
まだ己の置かれている状況を整理出来ていないのだろう。
そりゃそうだ。夢から覚めたらまるで戦地帰りの様な傷だらけの友人がそこに座っていれば誰だって驚くだろうし。
「驚かれるかもしれませんが……。事の顛末を最初から話して行きますね??」
「あ、はい」
「実は……」
ピナさんから連絡を受け取り、アレクシアさんの容体を知る所から話を始めた。
申し訳無さそうに頷く様子を見ていると何だかこっちが悪い事をしたのではないかと錯覚させてしまう。
「――――。そして、この里に到着後。森の賢者から意見を伺う為に荷物を纏めて北の食人の森へと出発しました」
「ほ、本当ですか!? あそこは危険な森で私達もよっぽどの事が無い限り近付かない場所ですよ!?」
驚き慌てて上体を起こすので、今度は此方が驚く番だ。
「駄目ですよ?? 病人は静かに寝ていないと」
「あ、はい。すいません……」
再び申し訳無さそうに横になる。
ベッドの上に落ちた手拭いを拾い、幾度となく行った一連の動作の流れで額に乗せてあげた。
「はぁ……。気持ち良いです」
「良かった。そして……」
捕食の森でのあの珍妙な出来事、そして薬を受け取り帰還した事を話すと……。
「…………」
暗い闇の中で目を光らせて獲物を追い求めている梟も見ていて心配になる程、目を丸くして驚きを表現した。
あれは恐らくお目目が大きな人に出来る技、普通の目の大きさである俺には出来ぬ芸当だな。
「今から遡る事数時間前に此処へ到着。こうして経過観察を続けていたのですよ。薬が効いて良かったです」
「その怪我は……。その時に??」
俺の体に巻かれている布を見て話す。
「え?? あぁ――。まぁ、そうですね」
『この怪我の大半は仲間から受けた傷です』
そう言いかけたのをグッと堪えて言った。
師匠達の面目を守らないといけませんからね。
…………。
いや、守らなくてもいいかな??
「何から何まで……。本当に……。迷惑を掛けて……」
「っ!?」
な、何!? 俺、何か粗相でもした!?
俺の会話を聞き終えると、アレクシアさんの目に大粒の涙がふっと浮かび。端整な顔の上に一筋の線を描いて零れ落ちた。
「あ、す、すいません!!」
寝間着の袖で慌てて涙をグシグシと拭う。
「はぁ、駄目だなぁ……私。勝手に倒れて……。人様に迷惑を掛けて……」
成程。自責の念に駆られているのか。
「体調ばかりはどうにもなりませんよ。それに?? 自分が倒れた時はアレクシアさんにこれ以上酷い目に遭わせたのですからね」
「そうは言いますけど……。私は一応、一族を纏める者ですよ?? その者が勝手に倒れ、剰え他種族の方々に迷惑を掛けるなんて……。前代未聞です」
「ん――。俺達は特に迷惑だとは思っていませんよ。アレクシアさんは大事な仲間……。いえ、友人です。友が倒れ、傷ついたのなら助けるのは友の役目。気負い過ぎるのは良く無いです」
俺の言葉を聞くと、ふっと柔らかい笑みを浮かべてくれる。
「そうそう。その笑みですよ、俺が見たかったのは。ずっと悲しい顔していたら治る病気も治りませんからね」
「ふふっ。やっぱり……優しいな。レイドさんは」
「そうですかね?? こう見えて、意外と怖い一面もありますよ??」
ムンっと胸を張りお道化て言って見せた。
「森の賢者から私の症状は伺いました??」
「いえ。女性の体の事でしたので。自分は外で待機していました。詳しい事はピナさんか、うちの連中にでも聞いて下さい」
「あ、そ、そうなんですか」
女性の体。
その単語が彼女の顔をほんのり赤く染める。
「では。起きた事をランドルトさん達に報告して来ますね」
向こうもアレクシアさんの体調を心配している事だし。そっちの方が賢明でしょ。
そう考え、立ち上がろうとして足に力を籠めたその時。
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
「ぃっ……」
床に臥せていた者とは思えない速度で上体を起こして俺の右手を掴んだ。
「す、すいません!!」
猛烈な速さで俺の手を放す。
「どうかされました??」
出来るだけ刹那に迸った痛みを悟られない様に口を開く。
外見上は治って来たけど、可愛らしい女の子に引っ張られるだけで痛むって事はまだまだ中の肉が治っていない証拠だ。
アレクシアさんの治療を終えたらこっちの治療にも専念しないと。
「えっとぉ…………。その、何んと言うか」
体の前で十の指を巧みに絡み合わせ、彼女の視線が己の膝元と俺の顔を忙しなく右往左往する。
疲れませんか?? その指と目線の動き。
「ラ、ランドルトさんとピナにはまだ私が起きた事を言わないで下さい」
「何故です??」
「え、えっとぉ……。そのぉ……。ほ、ほら!! 手厳しい言葉を投げかけて来るかもしれないじゃないですか!! 寝起きでそういうのはちょっと……と思いまして」
あぁ、そういう事ですか。
「分かりました」
俺も寝起き一発目に龍の文句は聞きたくないからね。彼女の気持ちは十二分に理解出来てしまいますよ。
再び椅子に腰かけ、先程と変わらぬ体勢を取った。
「お話。聞きたいなぁ??」
「話、ですか?? 構いませんよ??」
暇潰し、みたいな物だろうか。
話し上手では無い俺が提供出来る御話といえば……。
「肝がキンキン冷える怖い話、爪の間がムズムズする痛々しい話、深夜に聞くと無性に腹が減る御話等々。アレクシアさんのご希望に添える話を御用意しました」
凡そこれ位でしょうね。
「えっと……。では、レイドさんの幼少期の頃を聞かせて下さい」
おっとぉ、店の品書きに載っていない裏注文を御所望ですか。
「俺の?? 別に構いませんが……」
客の希望に応えるのが出来る店主の姿。
話の味云々はさて置き、頑張って料理を開始しましょうかね。
「へへ。やった」
病み上がりの病人にしてはやたら嬉しそうな表情を浮かべるなぁ。
「オホンッ。では……。幼少期はそうですね。常に外で遊び、泥と汚れに塗れる時間を過ごしていました。凡そ子供の思いつく遊びは全て経験してきたと思います」
「へぇ。意外だなぁ」
「どんな子供だと思っていたんです??」
「んっと。料理をじぃっと見て、つまみ食いして。その姿を発見されてこっぴどく叱られる、とか??」
それじゃ俺が話すわんぱく小僧と差異は無いじゃないですか。
「勿論、それもやりました」
「あはっ!! やっぱりそっか!! 虫取りとかしましたよね??」
「勿論です。蝉、カブトムシ、蝶々、蜻蛉。多様多種の虫を捕え、街の皆は俺の事を虫取り名人と呼称していました」
胸を張り少々誇らし気に言ってやる。
「ふふっ。元気なお子さんですね??」
「アレクシアさんはどんな幼少期を??」
「私ですか?? ん――。聞いても余り面白くありませんよ??」
足を一度だけ擦り合わせ、ちらりとこちらを窺う。
「興味があるので構いませんよ」
「そ、それなら仕方がありませんねっ!!」
いや。溌剌と申されましても……。
病人なのですからもっと静かに、ですね??
「子供の頃は、年が近い子はピナだけでしたので。ピナと良く遊んでいました」
「へぇ。幼馴染って奴ですね」
「母は私を産んで直ぐに亡くなりました。父の姿も知らないので……。きっと寂しかったのでしょう。ピナとは本当に色んな遊びをして、一緒に育ったのです」
俺と同じく家族の顔を知らないのか。
親を求める想いを他のナニかに求めてその隙間を誤魔化す、痛い程その気持は理解出来ますよ。
「ランドルトさんは私の指導を受け持っていましたが。ふふ。レイドさんと似てわんぱくだったんですね。隙を見ては抜け出してピナと一緒に森へと遊びに出掛けていました」
「ははっ。似た者同士ですね??」
「え、えぇ。養蜂場に出て蜂蜜を盗み食い、森に生える果実の甘さを楽しみ、虫や森の生き物の観察。この周囲の森は子供にとってまるで宝石箱です。毎日どこかで必ず何か新しい発見がありました」
だろうなぁ。
俺も子供の時分なら居ても立っても居られず、この里を囲む森の中を日がな一日縦横無尽に駆けまわっていただろう。
「帰って来てはランドルトさんやピナの御両親にこっぴどく叱られ。それでも翌日には抜け出す。そんな日々でしたね。成長してからは……。御想像通り、女王足る者の指導を受けつつ今日に至ります」
ふぅむ。成程ねぇ。
「あ、あのぉ」
おずおずと。
そして再び頬を朱に染めて話す。
「ん?? どうしました??」
「レイドさんはその……。魔物とぉ。例えば……結婚とかは嫌、です??」
陸上から水中へ、空から地上へ。
いきなりの場面変化に驚いてしまいましたよっと。
「いいえ?? 特に嫌とはありませんよ??」
こうして見ると普通の女性だし。あ、いや。こんな可愛らしい人が普通なら世の女性の大半は普通よりも劣ってしまいますね。
アレクシアさんの本来の姿を見ても慄くという感情は湧かない。
寧ろあの白き翼は大変美しいとさえ感じてしまう。
常日頃から魔物に囲まれている所為か、最近は人間が持つべき普通という感覚が薄れつつある。
それが少し心配なんだけどさ。
「へ、へぇ!! そ、そうなんだ。へぇ…………」
「オ、オホンッ!! で、では引き続き御話をさせて頂きますね。」
ちょっとだけ如何わしい雰囲気になりそうだったので。
今度はこちらから話題を転換してやった。
「是非っ!!」
病人から出る声量じゃありませんよ?? お父さんは看病で疲れているからもう少しお淑やかに声を出しましょうね。
「先日、自分の怪我の快気祝いとして王都内のペイトリオッツというお店で細やかな食事会を開いたのですが……。赤き龍を筆頭に良く食うわでもう大変でしたよ。しかも。それでも飽き足らず。まだまだ食べたいという始末で……」
「あの街は本当に色んな物が溢れ返っていますからねぇ」
「そう言えばカエデと一緒に王都内を散策したのですよね??」
俺が護衛の任務に赴いている時、彼女は一人で留守番をしていた。
確かその時に出掛けと言っていたよな。
「えぇ、とっても素敵な時間でした。只、もうちょっと散策したかったのが本音ですね」
寂しそうに独り言の様にポツリと呟く。
女王の肩書もあって里を留守に出来ないだろうし、それ相応に疲れや人に言えない悩みも溜まる。
その鬱憤を晴らす為にあの街はもって来いって訳だ。
「あ、そうだ」
「どうしました??」
「以前、パンケーキという甘いパンを食した店があるんですけど……。時間が合えば皆で一緒にどうですか??」
女性の疲れた体、疲弊した心を癒すのには甘い物が一番ですからね。
エルザードと一緒に赴いたあの店ならその要望に応えてくれるだろう。
「い、いいんですか!?」
ほらね?? やはり女性は甘い物には目が無い様だ。
喜々とした表情を振り撒く。
「勿論です。アレクシアさんの快気祝いを兼ねて。予定が合い次第向かいましょうか」
「はぁ、楽しみだなぁ……。甘いパンケーキに屋台。それにお洒落な服屋」
いやいや。
勝手に想像を膨らましていますけどね。
それに付き合うこちらの事も考慮してくれていますでしょうか??
女性の買い物って疲れるんだよなぁ。エルザードの一件でそれはもう既に身に染みている。
しかも今の予定では疲れの原因となる者が七人も王都内を跋扈するのだ。
馬鹿みたいに食べて、破廉恥な下着を見せられ、また食べて。首根っこを掴まれて本屋に強制連行させられ、止めの一撃にあの甘いお店に拘束されてしまう。
誘ったはいいけど、もしもこの予定を実行するのなら普段のそれよりも財布を分厚くしておこう……。
財布の中身が飢餓状態になるのは目に見えていますからね。
「レイドさんは足げに通っている場所ってあります??」
「ん――。裏路地の狭い商店街に良く足を運びますね」
「へぇ、そうなのですか」
「表通りに比べ安く且、店主達との交渉によっては一割……。いや最大四割まで値切った事があります。物が多く溢れ、店主達の鎬を削る声量合戦。客と店主との宛ら値切りの格闘戦。主婦達の井戸端会議。只歩いているだけでも絶え間なく流れる情報が耳を楽しませ、陽性な感情を抱かせてくれる場所ですよ」
「いいですね。そこにも連れて行ってくれますか??」
「勿論です。あ、本当に狭いから顔を顰めないで下さいよ??」
「ふふ。レイドさんと腕を組んで歩くから平気です」
「それはちょっとぉ……。後、飲食店ですと男飯ってお店に何度か足を運んだ事がありますね」
「それはまた……。愚直な店名ですね」
「出て来る料理はどれも雄の匂いを放ち、店長の強面もあってか。雄の、雄による、雄の為の店と言っても過言ではありません。どうです?? 興味が湧きますよね??」
「そこは……。ちょっと……」
「そうですか?? 味も然ることながら量は素晴らしいの一言に尽きますよ。雄の胃袋を満足させ、雄を体に閉じ込めると活力が沸き……」
「ち、違うお店も知りたいなぁ」
「ふむ。違うお店と言えば…………」
それから俺達は月が欠伸を放ち、こんな夜更けまでいい加減にしろと言われるまで他愛もない会話を続けていた。
互いの生活圏、味の好き嫌い、興味が湧く物。
取り留めの無い会話だがどこか心が躍り、次から次へと言葉が体から溢れて来た。
会話を続ける中、アレクシアさんは嬉し気に俺の話を聞き。
俺の会話を受けると必ず感情を籠めた言葉を返してくれた。
互いに笑みを零し、心の中に浮かぶ感情を包み隠さず放つ様はまるで数十年来の友人と話すそれと変わらない物であった。
お疲れ様でした。
現在後半部分を編集中ですので投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




