第百七話 痛みと引き換えに得た朗報
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
少々長めの文になっておりますので予めご了承下さい。
痛烈に痛む鼻筋、鈍痛が広がる腰、巨人が装備する鈍器で殴られた様な鋭い痛みが残る両頬。
体中を駆け巡る悲痛な叫び声が薄っすらと白み漂っていた意識を現実の下へと引き寄せた。
一体……。俺の身に何が起きた??
痛みを感じる、只この一点だけに注目を置くと現実である事は間違いない。
しかし、これ程の痛みは夢の中ならまだしも現実世界で早々感じるものではない。
つまり常軌を逸した痛みに体と心が耐えきれず。
これ以上現実に留まれば人格が破壊されてしまう恐れがあるので頭が強制的に意識を遠ざけたのだろう……。
この痛みが夢である事を切に願いつつも徐々に現実寄りの感覚が四肢に戻って来た事に対して、目を瞑ったまま顔を顰めていると。
何処までも心安らぐ優しい甘い香りと、森の息吹きが混ざり合った香をふと掴み取った。
「…………。レイド様っ」
うん?? この声は……。
「――――。おはよう、アオイ」
太い釘で接合された様に大変重たい瞼を開けるとそこには柔和な口角の角度で俺を見下ろすアオイがいた。
端整な御顔に掛かる長い髪を耳に掛け、女性らしい細い手を俺の頭の上に添える。
後頭部に感じる温かい感触は恐らく彼女の太ももであろう。
蜘蛛の御姫様の慈愛に満ちた瞳が夢の世界から現実へ帰って来た事を確実に知らせてくれた。
「はいっ。おはようございますっ」
「えっと……。どれ位『昼寝』 していた??」
「そうですわねぇ……。三十分程でしょうか??」
三十分、か。気を失う前の記憶が曖昧だ。
一体何が起きたらこんな痛みが発生するのだろう??
まだ少しだけぼやける視線を右往左往して拙い記憶の線を手繰り寄せて行く。
「おっひょ――!! 水、ちめて――!! ほら、ユウにもかけてあげるわ!!」
「だぁ――!! 服が濡れるからかけんな!!」
あぁ、そうだ。
皆の話が終わるまで一人寂しく待っていると。
『よぉ……』
『どうした?? もう終わったの??』
肩口から背筋を泡立たせてしまう恐ろしい魔力を放ち、凶悪な殺人者も思わずペタンと腰を抜かしてしまう殺気を瞳に宿したアイツが有無を言わさず俺に襲い掛かって来たんだ。
棍棒で生肉を思いっきりブッ叩いた音を最後に意識が混濁。
『ふぅっ!! これ位にしておいてやらぁ……』
理不尽且意図不明な暴力を与えて来た彼女が蔦に覆われた家へ踵を返した所で意識を失ったのです。
マイの奴め……。
何でいきなり殺しに掛かって来たのかは後で聞くとして、今回受けた理不尽な暴力は絶対フィロさんに告げ口してやる。
「あはは!! ユウ!! 下着透けて見えているわよ――!!」
「ありゃま、本当だ」
今の内に精々余生を楽しむがいいさ……。
そして今回の一件を以て、人は有り得ない痛みを感じると自ら意識を遥か彼方へ送り届ける事が出来ると学べましたね。
「無理をなさらないで下さいまし。レイド様の体が幾ら丈夫とはいえ怪我や疲労。そして受けた毒がまだ体内に蓄積されています。このままごゆるりと休んで下さい……」
「そうしたいのは山々だけどさ。ほら、マウルさんの話も聞いていないし」
傍若無人の暴力の権化から視線を外し、今も柔和な笑みを浮かべているアオイへ向かって言ってやった。
「もう終わりましたわよ??」
「へ!?」
「レイド様が御休みになられている間に滞りなく」
「そ、そっか」
意識が高い空の上で悠々と呑気に散歩しているその三十分の間に話は全て済んでしまったのか……。
「それで?? アレクシアさんの治療方法は分かったの??」
「はいっ。それと、興味深い話が幾つもあったので今からお話致しますわ」
「助かるよ」
「オホンッ。では…………」
可愛い咳払いをして大変分かり易い口調で話を進めていく。
アレクシアさんの原因不明の体調不良はどうやら種族特有の物らしい。
そしてどういう訳か、俺が一晩看病すれば快方へ向かうそうな。
その事に対して甚だ疑問が残るが……まぁ、賢者と呼ばれ知識の塊みたいな人がそう仰るのだ。
そこはちゃんと従いますよ。
俺一人の苦労で、アレクシアさんがいつもの素敵な笑みを浮かべてくれるようになれば安いもんさ。
病気の一件を話し終えると、これまた興味がそそられる話が端整な唇から零れ落ちて来た。
何でも??
師匠達とグシフォスさん達が大昔に戦いを繰り広げていたそうだ。
グシフォスさん達が人間に対して反旗を翻そうとしていた事に驚きを隠せないでいた。
気持ちは分からないでも無いけど暴力で相手を抑え付けても、力で無理矢理築いた関係は崩れるのは一瞬。
互いに歩み寄り、語弊無く分かり合える関係を構築すべきなのに……。
言葉の壁がそれを阻んでいるのは周知の事実だがそれでも力を行使すべきではないと感じてしまいますよ。
そして……。
師匠達は反旗を翻そうとするグシフォスさん達を止め、人間側に人知れず助力していた事に俺は……。
猛烈に感動してしまった。
人間からの見返りは一切無い。感謝の言葉も掛けられない。労い、報酬、名誉。
一切合切の称賛は得られない。
人間からもそして魔物からも蔑まれ、憎悪を向けられ、孤立無援の中。師匠達は戦いに明け暮れたのだ。
やれと言われてやれる事では無い。
くそぅ。やっぱり師匠はでっかいなぁ。
改めて彼女の存在を尊敬し、そして数多多くの人に胸を張って自慢の師匠だと断言出来る。そう再認識してしまった。
「…………そして年が明けた頃。レイド様?? 聞いています??」
「え?? あ、うん。聞いているよ」
アオイの声でふと我に返る。
「ふふっ、変なのっ」
「ごめんな。続けて」
ふっと力を抜き、後頭部に広がる柔らかい感触に身を委ねた。
「はいっ。マウルさんが仰るには年が明け、少し経った頃に魔女が復活する気配を見せているそうですわ」
「何だって!?!?!?!?」
「きゃっ!!」
脱力から一転。
上体の筋力を総動員して体を起こした。
「そ、それは本当なのか??」
アオイの細い肩を掴み、声を荒げる。
「えぇ。あくまでもマウルさんから伺った事ですから、確証は無いですけど……」
「今は十二の月だから……。もうそんなに時間が無いじゃないか!!」
厄災の復活まで後たったの数か月。
居ても立っても居られない状況に、自分でも知らぬ内に彼女の肩を掴む力が増加していく。
「…………レイド様。安心して下さいまし」
俺の手に白く細い手を重ねて話す。
「現在、イスハさん達大魔の方々が策を練っています。策の内容は情報漏洩を防ぐ為、教えて頂けませんでしたが。私の母を含め、信に足る人物達が労力を割いているのです。私共に出来るのはそれを信じて待ち、その日が来るまで束の間の幸せな時間を名一杯享受すればいいのですよ。足掻き、藻掻いても私共には現時点で何も出来ません」
「そうは言うけど……」
「幸せな時間は有限ですのよ?? 後悔しない様に日々を謳歌するのも大切なのです。それに。レイド様にはやる事が沢山あるじゃないですか」
「やる事??」
「はい。パルチザンの任務、魔力の発動、極光無双流の鍛錬。それに……忌々しい龍の力の制御。ほら?? 沢山ありますでしょ??」
「まぁ……。うん。そうだな」
「目の前の問題に目を背け。遥か彼方に存在する問題を見ても躓いてしまい、問題解決の道のりには至りません。着実に一つずつ問題を解決していく事が最善の近道なのですわ」
アオイの指が俺の指に優しく絡むと真剣な目付きで真正面から俺を捉え、そして説く口調で話す。
その内容は……。
的をしっかりと射ており、ぐうの音も出ない程正論であった。
「うん……。そうだよな。俺達があれこれ動いても、師匠達にとっては逆に足手纏いって事か」
「嬉しいとは感じると思いますけど。現状では間違い無く足手纏いになりますわね。それは私共全員を含めて、ですわ」
「はぁ…………。なぁんか、どっと疲れたな」
アオイの肩から手を外して話す。
「得た情報が多いからですわ。先程も申した通り、一つずつ確実に問題を解決して行きましょう」
「ん。…………ありがとうね。アオイ」
自分の焦る気持ちを見透かされ、剰え自惚れるなと説かれてしまった。
普段はお茶らけて、ふざけて、その……。距離感を多大に間違えている彼女が放つ言葉はどれも俺の心に深く染み入って来た。
「そ、そんな。アオイは当然の事を申したまでですわ」
「いやいや、本当に助かったよ。こうしてアオイに言われなきゃ師匠達に食って掛かりそうだったし。やっぱり持つべき者は友、かな」
「レ、レイド様!! アオイは嬉しゅう御座います。アオイの事を頼ってくれる。信じてくれる。その事を確認出来ただけでアオイは天にも昇る想いですわぁ……」
うんちょぉっと雰囲気が良く無いねぇ。
潤んだ瞳で俺の胸に手を添え、此方の許可を得ずに二人の間に存在する空間を徐々に削りながら魅力的な体が迫り来る。
「そ、そうなんだ。へぇ……」
後退りを始め、削られた空間を徐々に広げていくが。
「私がいつまでも御傍で支えますわ」
「ど、どうも……」
その甘い声は止めて!!
獲物を狙う猛禽類の瞳に豹変してしまった彼女は四つん這いで折角広げた距離を食い散らかしてしまう。
アオイは着物を開けて着ているので、その何んと言いますか。
重力に引かれて大きさを増した双丘の麓が微妙に見えてしまうのですよ、はい。
「…………。アオイの秘密、見たいですか??」
「ッ!?」
俺の視線に気付いたのか、男心を誘う笑みを浮かべる。
『エ゛ッ!? いいの!?』
心の奥の牢獄にしまった性欲が首を擡げてぬるりと這い出て来そうになるが。
それを必死に抑え、己の興奮を誤魔化す様に温かい生唾をゴクリと喉の奥へと送り込んだ。
「たわわに実った果実。御賞味あれ……」
猛禽類の前足が俺の足を捕らえると、全身の肌が一斉に泡立ってしまった。
このままじゃ確実にく、食われる!!
男らしからぬ女々しい雄叫びを放って救援要請を請おうとした刹那。
「アオイちゃ――んっ!! とぉっ!!」
灰色の何かが猛禽類の脅威を吹き飛ばした。
「へ?? きゃぁっ!!」
はぁ……。助かった。
「ちょっと!! お退きなさい!!」
「嫌ッ!!」
猛禽類に襲い掛かる灰色の狼。
何故か美しい灰色の毛並みは水分をたっぷりと含み、今も水滴をこれでもかと大地へ向かって零していた。
「ルー。何でそんなにびちゃびちゃなの??」
立ち上がり、臀部の土埃を払いながら話す。
「あそこの泉で水浴びしてたの。ほら、皆まだ遊んでるよ??」
泉??
女性に覆いかぶさる狼から視線を移すと。
「どりゃぁああぁ!!」
「おわっぷ!! ユウ!! 手加減しろ!!」
「こっちにも掛かったぞ!!」
ユウが呆れた腕力を解放し、赤き龍ともう一頭の狼に波を投げていた。
はは、今のは本当に波だったな。
「カエデは……。あぁ。あそこか」
巨木の幹に背を預け、何やら古ぼけた本を熟読している。
その目は何故か嬉しそうだ。
「そろそろ出発の準備をした方がいいんじゃないか?? ほら。アレクシアさんの事もあるし」
「分かった――!!」
「理解したのなら退きなさい!! このケダモノめ!!」
「んふふっ――。狼の攻撃は生易しくないのだよっ!!」
「っ!!!! きゃはは!! ど、どこに鼻を……!! あはは!!」
「ふんふんふんふん!!!! おぉ!! 可愛い下着だね!!」
あらまぁ……。
アオイの柔らかそうな胸元に狼の鼻が容赦なく捻じ込まれて行く。
湿気を含んだ鼻先であぁやって攻められると、くすぐったいんだよなぁ。
それにびちゃびちゃに濡れた毛だから服も汚れるぞ。
日常の温かな光景が広がる中、一人静かに体を弛緩させて吐息を漏らしていた。
「おぉ。随分と燥いでおるな??」
この声は……。
「師匠!!」
マウルさんの家から出て来たばかりの師匠の下へ数舜で駆け寄る。
「な、何じゃ?? 騒々しい」
そりゃ弟子がいきなり駆けつけて来たら驚きますよね。
ですが!!
自分は師匠へどうしても伝えてなければならない事があるのです!!
「師匠!! 今お時間宜しいでしょうか??」
呼吸を少し荒げ、顎下の師匠へと申す。
「うむ。構わんぞ??」
よし!! 許可は頂いた。
「師匠、右手を」
「ん??」
意を決し、差し出された師匠の右手を両手で包みこう答えた。
「アオイから話は伺いました」
ずいっと一歩踏み寄り、真剣な面持ちで話す。
「へ!?」
「今から遡る事二百年前、師匠達は人知れず人間達を守る為に己の身を犠牲にしていると伺い。自分は……。本当に感銘を受けました」
「お、おぉ。そうじゃな」
こちらの真剣な表情にたじろぎ、一歩下がって仰った。
「体が傷つき、精神が擦り減り、押し寄せる猛火を跳ね退ける。見返りも名誉も求めない。只、人間を守りたい一心で戦ってくれた。人類を代表して礼を述べさせて下さい!!」
「あ、ありがとう??」
「しかし!!」
「ひっ!!」
師匠が二歩下がるので、三歩詰め寄って申してやる。
「礼を申すのは当然だとして!! 自分は元人間として大変恥ずかしい思いを抱いております!! 歴史に埋もれ、表舞台に立たない人達の功績をどうして讃えないのか!? 目の前にこんな偉大な人がいるっていうのに!!」
「わ、分かったから……。もう少しじゃな??」
「いいえ!! まだ自分は礼を述べていません!!」
「いぃっ!?」
逃げる手を掴み、こちらへ向かって勢い良く手繰り寄せた。
「自分達は……。守られていた。そんな事も知らないでのうのうと生きて来た事に忸怩たる思いを抱えているのです!! それなのに、師匠達は……。人間に求められず、忌み嫌われても文句の一つも言わずに……。その姿に自分は、大変敬服しております」
目と鼻の先の慌てふためき真っ赤な顔にそう申す。
「そ、そこまで大袈裟に言わぬとも……」
「これが大袈裟って言うのですか!?!?」
「びぃ!!」
さらに距離を詰めて思いを爆ぜさせてやった。
三本の尻尾は驚きからか、天へ向かってピンっと直立し。端整な顔は獣耳の先まで真っ赤に染まる。
俺の剣幕に余程驚いているのだろう。
ですが!!
人間の感謝の気持ちをまだ伝えきれていません!!!!
もう暫く、お時間を頂きます!!
「師匠!!」
「はぃぃ!!」
「これからも、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします!! 一日でも早く師匠の力になれるよう精進し、必ずやこの大陸に平穏を……。師匠??」
ボフンッ!! と何かが爆ぜる音が響くと。
師匠の御顔から迸る熱が全身に行き渡り、いつの間にか指の先まで真っ赤に茹で上がってしまっていた。
目を回して蒸気した顔から察するに、意識が沸騰してしまっている様にも見えますね。
「師匠、一体……。いでっ」
「ば――か。近いのよ」
マイの声が聞こえるとほぼ同時、後頭部に慣れてしまった痛みが走る。
「馬鹿とはなんだ。俺は元人間として礼を述べている最中なんだぞ??」
こちらを睨み上げるマイへそう言ってやった。
全く。度し難い奴め。
「あんたねぇ。はぁ……。まぁいいや。その手、放したら??」
「え??」
手元に視線を落とすと。
力の限り、師匠の小さな手を握っている己の手が映った。
こりゃいかん。師匠の手を握りつぶす所であった。
「申し訳ありません!!」
ぱっと手を放すと。
「はにゃらぁ……」
師匠はへにゃりとその場にへたり込み、力無くぼぉっと宙を見上げていた。
「お待たせ――。そろそろ帰るわよ――。ん?? そこのクソ狐は一体どうしたのよ??」
エルザードがこちらに向かってやって来る。
そして、茹で蛸の如く。真っ赤に染まった金色を見下ろして怪訝な表情を浮かべていた。
「俺が人間を代表して、守ってくれたお礼を伝えていたらこうなったんだ」
「ふぅん。あっそ」
「エルザードにも言わせてくれ。人間を守ってくれてありがとうな??」
すっと右手を差し出して話す。
「どういたしまして」
その手を満面の笑みを浮かべて握ってくれた。
「何じゃ?? おぉ――。金色が骨抜きにされておるわい」
「骨抜き??」
マウルさんの言葉を受けて首を傾げた。
「自覚が無いとは恐ろしいものじゃのぉ」
「はぁ……」
「それよりも小僧。儂の前に立て」
「え、えぇ。分かりました……」
エルザードから手を放し、マウルさんを正面に捉えて話した。
「あんっ。放しちゃイヤ……」
ちょっと静かにして貰おうかな。
今から大切な話が始まりそうな雰囲気ですので。
マウルさんの指示通りに彼の前で直立。その彼が俺に対して右手を掲げると、淡い白の光を放つ魔法陣を浮かべた。
「ほぉぅ……。ふむ……」
あ、あの。何を一人で納得しているのでしょうか??
「これはまた珍妙な魂と体じゃのぉ」
「マウルさん、一体何をしているのですか??」
魔法陣が消え去ると、微妙な角度で上下に頭を動かして長い髭を撫でている彼へ問うた。
「お主の魂をちと覗いてみたのじゃよ。此処へ来る前、龍の力が暴走したそうじゃな??」
「え、えぇ。その所為で右腕を負傷してしまいました」
今も巻かれている右腕の布を見下ろしつつ口を開く。
「お主の体の中には龍の力と己自身の魂が宿っておる。その龍の力じゃが……。以前暴走した時はお主の魂とある程度離れた位置に存在しておったのじゃが、一度目の暴走を切っ掛けにお主の魂との距離を縮めてしまったのじゃて」
「え、っと。つまり、声や暴発が起きたのはその距離が原因だと??」
「ほぼ間違いなくそうなるじゃろう。覇王の力によって抑え付けてはいるがその檻は隙間の空いた鉄格子。その合間を縫ってお主の魂に声を、そして攻撃を加えたのじゃ」
マウルさんが腕をすっと伸ばし、少し大げさに腕を上下に振る。
「じゃあ何。コイツの中にある龍の力と魂の距離を遠ざければいって事??」
マイが腕を組み、難しい顔を浮かべてマウルさんへ問う。
「一度形成された檻はそこから動かせぬ。動かす場合は一度檻を破壊。龍の馬鹿げた力を抑え付け、元の位置へと動かせばよいのじゃが……」
「その間、自由になった龍の力は好き勝手に暴れ。以前よりも更に酷い暴走が起こってしまうおそれもあると??」
恐らく、こういう事でしょう。
狭い檻に閉じ込めていた凶悪な囚人を自由にしたらどうなるのか。それは一目瞭然ですからね。
「その通り。檻を破壊するのは余り勧めはせん。お主の中に眠る龍の力はそこで惚けている金色と、体だけ大人になってしまった混沌よりも上じゃからな」
「えぇっ!? 師匠とエルザードよりも強いんですか!?」
こ、これには正直驚いた。
そんな力が俺の中に眠っているなんて……。
「その力を制御しようと等思い浮かべるなよ?? 過ぎた力は身を滅ぼす。お主の人格が破壊し尽くされ廃人となる恐れもあれば、勝手気ままに暴れて大陸を滅茶苦茶にする可能性もある。檻に触れず、不必要な接触を避け、甘言に耳を傾けるな。これが今のお主に唯一出来る事じゃ」
「有難う御座います。今の御言葉、確とこの身に刻みました」
鋭い視線を送り続けるマウルさんへ向かい、此方も真剣な眼差しを浮かべて彼に向かって頭を下げた。
そうか……。以前は不明瞭な声が徐々に鮮明になって来たのは俺の中に存在する魂に接近したから。
そして、その檻に収まる龍が手を伸ばせば俺を容易く傷つける事が可能。
魔力の発動の際、龍は似合わないからと言っていた。
龍の機嫌を損ねてしまったのか将又単なる気紛れか。いずれにせよ、龍の怒りを買わずに御機嫌伺い宜しくコネコネと揉み手をして媚び諂えばいいのかしら……。
現実世界は暴れん坊達の面倒を見て、何でも屋紛いの任務を受け持ち、更に更に精神面では龍の御機嫌伺い。
俺の体……。過労死しないかな??
「小僧。一つ、問うても良いか??」
柔和な目付が一転、険しいものへと変わる。
「勿論です」
「聞いたとは思うが、間もなく魔女が長き眠りから目を覚ます。お主には膝から崩れ、立ち上がれなくなる程の苦痛が待ち構えておる」
恐らく、オーク達。それと魔女との決戦の事だろう。
「それでもお主は……。戦う意志を保ち続ける事が出来るのか??」
「自分一人では恐らくそれは不可能でしょう。しかし、自分には頼れる仲間がいます」
右隣りで珍しく真剣な眼差しでマウルさんを見つめるマイへ視線を移して言う。
「時にはどうしようもなくだらしなくて。頼りなくて、五月蠅くて……」
「うっさい。一言余計だ」
いつもの険しい瞳が俺を捉える。
「でもそれが力に変わるのですよ。仲間がいる限り自分は何度でも立ち上がります。師匠やエルザード。人間を守ってくれた人達に少しでもいいから恩返しをしたい。この大陸に平穏をもたらせたい。温かい笑みが溢れ返る世の中にしたい。この気持ちに嘘偽りはありません」
マウルさんの真剣な目に向かい、一寸も逸らさずに捉えて口を開く。
「ふぅむ。呆れる程真っ直ぐな目じゃなぁ……」
俺から何かを読み取ったのか、ふっと肩の力を抜き先程の柔和な目付きに戻る。
「でしょ?? でもぉ。そこがいいのよねぇ――??」
「近いです」
甘く絡みつこうとする柔らかい体を押し退けて言ってやった。
「お主の想いは受け取った。覇王の子よ、こ奴が倒れそうになった時。お主達が支えてやれ」
「安心しなさい。こいつはちょっとやそっとじゃ倒れない様に私達が厳しく躾してあるから」
「お前は飼い主か」
右肩を軽快に叩くマイへと言ってやった。
「そうよ??」
「肯定するな」
「ほっほっ!!!! 仲睦まじい姿じゃなぁ。まるで夫婦のようじゃ」
「違います!!」
「違う!!」
マウルさんの揶揄いに、同時に噛みついてしまった。
そして互いに顔を合わせると口角を上げる。
何だかんだいって。コイツとは息が合うんだよな。嫌いじゃ無い雰囲気だ。
「むっ。そっちじゃなくて、こっち」
「ふぁにをする」
エルザードが俺の頬を掴み、強制的に彼女の方へ振り向かせてしまう。
喋りにくいなぁ。
「私だけを見ていればいいの……。分かった??」
「それは了承できふぁいな」
その所為で馬車に撥ねられたら責任を取ってくれるのですか??
「混沌と恐れられていた大魔が今じゃ一人の女性、か。世も末じゃのぉ」
「それでいいのよ。私はどっちかというと、一人の女性として見て貰いたいし」
「丸くなったのぉ。それより……。いいのか?? ハーピーの女王とやらは??」
そ、そうだ!!
これ以上此処で不要な時間を過ごす訳にはいかない。
「皆――!! そろそろ出発するぞ――!!」
エルザードの拘束を解き、泉で今も寛ぐ者達へ向かって叫んだ。
「あいよ――!!!!」
ユウがこちらに向かい手を振る。
よし!! 出発の準備を整えるとしますかね!!
アレクシアさん。
もう少しの辛抱ですよ?? 待っていて下さいね!!
乱雑とも整然とも受け取れる姿で地面に横たわる荷物の塊へと向かって軽快に駆け出して行った。
――――。
これで一応は問題解決の糸口を掴んだ訳、か。
その中で最も厄介なのは私の夫よねぇ……。一度形成された魂の檻は破壊しない限り構築は不可能。
元居た場所へ檻を構築する為にはあの馬鹿げた力を持つ龍と対峙しなければならない。
私達全員で向かって行っても勝てるのかしらね??
暴走の刹那に感じた魔力は私を超えていたし……。
「…………これ。いつまで惚けておる」
「いたっ。何じゃ??」
マウルの声を受けるとクソ狐がはっとした表情を浮かべて漸く現実に帰って来た。
何があったか知らないけど、妙に鼻に付く姿ねぇ。
「混沌。先程も話したが……。勝てる見込みは良くて、二つに一つじゃぞ??」
「冗談。私が参戦するのよ?? 百発百中の大勝利に決まっているじゃない」
胸を張って言ってやった。
「参戦するのはお主ではなかろう」
「ふん!! 分かっているわ」
「儂らが代わりに戦ってやりたいが……」
今も明るく戯れている彼等に視線を向けてマウルが重苦しい息を漏らす。
「大丈夫よ。レイドなら……きっと乗り越えてくれるわ。耐えられなくなったら……。私が彼を支える」
「抜かせ。儂の弟子じゃ。面倒は儂が最後まで見る」
私の人生設計にまでずかずかと無断で踏み込んで来て……。鬱陶しい狐め。
「はぁ?? あんたじゃ支えの、さの字にもならないわよ」
「お主こそ、障害になるのじゃないか??」
一度、死ななきゃ分からないのかしらねぇ……。
このお惚け狐は。
「そこまでじゃよ――。お主らなぁ。生徒達の前でよくもまぁそんな下らない争いが出来るのぉ。ちぃとも成長しておらぬではないか」
「成長しているわよ?? ほぉら。こことか特にぃ??」
狐の前で、これ見よがしに前屈みになって世界最高峰の至宝を披露してやった。
「ちぃ!! この脂肪めぇ!!」
ふふん。これが女性の体なのよ。
完全勝利ね!!
「外見の話じゃないわ。まぁいい。例の件と、あそこにいる者達の指導。手に余る様なら儂が手を貸すが??」
「結構。私一人でも十分よ」
「お主は見に徹せい。儂だけで十分じゃ」
「何よ、猪頭」
「阿保が」
「チビ」
「脂肪」
こ……の!! いい加減あったまきた!!
「殺すわよ!?!?」
「こっちの台詞じゃぁ!!」
「はぁ…………。頼む。老体に堪えるから帰ってから騒いでくれ。儂はもう寝る」
マウルがそう話すと。とぼとぼと肩を落として頼りない足取りで家に帰って行ってしまった。
「ほぉれ。お主が騒ぐから頭痛が痛いそうじゃ」
「ば――か。語彙力おかしいんじゃない?? 頭痛が痛いだってさ――」
「い、言い間違いじゃぁ!!」
「もしも――し?? 頭痛が痛いさ――ん。聞こえていますかぁ??」
クソ狐の頭を指で突きながら言ってやった。
「き、き、貴様という奴は……」
「きこえませ――ん」
「昔から……。大っ嫌いじゃああぁぁぁ!!」
ぷっつんしたクソ狐の攻撃を躱して欠伸をしてやる。
「ふわぁ。おっそ」
「喧しい!!」
おっと、今のは危なかったわね。
馬鹿狐の阿保みたいな突進を悠々と回避して……。
「あ……っ」
しまった、あの方向って。
「レイド――。これ持ってよ――」
「ルー。それ位自分で……」
「ど、退くのじゃぁああ――!!!!」
「はい?? はごすっ!?!?」
あ――。やっぱり。
クソ狐の飛び蹴りを真面に受けて泉の方へ飛んで行っちゃった。
「ちょっとぉ!!!! 外でやりなさいよ!!」
マイの罵声がここまで届く。
でも、まぁ。悪く無い雰囲気よねぇ。
渦巻く混沌と破壊。嗤笑と侮慢。
淫魔の女王に相応しい雰囲気に私は酔いしれ、皆の笑いが悲鳴に変わるその時まで。
私の目の前で馬鹿でも理解出来る殺気と大地も慄く暴力を振り撒く矮小な狐を相手に、絶世の美女も息を飲む程の華麗な舞を披露し続けてやったのだった。
お疲れ様でした。
さて、この長編も残す所後僅かになりました。
現在、次の長編のプロットを作成しているのですがこれまた厄介な話の流れになってしまい。右往左往している次第であります。
出来るだけ日常パートは短く纏めますが、それでも長く感じるかも知れません。
カットする場面を増やすか、それとも皆様に送り届けるか。難しい塩梅です。
そしていいねをして頂き有難う御座います!!
ユニーク総数が三万名様を超え、本当に驚いている次第であります。去年の今頃はこれだけの読者様がいらっしゃるとは考えていませんでした。
これからも皆様のご期待に応えられる様に慢心する事無く、この作品に真摯に向き合っていこうと考えております。
それでは皆様、お休みなさいませ。




