第九十六話 君には不釣り合いな力
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
師匠の尻尾布団は俺の背骨の一本一本を労わる様に柔らかくも確かに支え、振動によって体が微かにずれてもそれに合わせて形状を変化させてくれる。
世界最高の材質でさえも軽く凌駕する柔軟性と保温性能、そして心地良い睡眠へと誘導する素敵な花の香。
この中でなら丸一日眠っていられる自信がある。寧ろ気持ち良過ぎて尻尾布団の中にずぅっと籠って居たいと思わせてくれていた。
例え一国の王が咽び泣いて莫大な財産を叩いて懇願しようがこの尻尾布団は譲渡しません。
はぁ……。温かくて柔らかくて、そして心休まる香り。最高じゃないか。
稽古の後はこの布団を毎回使用させてくれないかしら??
素敵な感覚を与えてくれる尻尾布団に包まれたまま幸せな移動を続けていると。
「うむ。ここで良いじゃろ」
師匠の言葉と同時に世界最高の心地良さを与えてくれる尻尾布団が突拍子も無く解除。
自然の摂理に従って地面に落下してしまい臀部に激しい痛みが生じた。
「いてっ。――――。おぉ、良い感じに開けていますね」
誘拐された夜営地と比べると一回り程小さな円。
空からは淡い青の月明かりが射し込み視界も確保されており、体を動かすのには都合の良い場所であった。
「じゃろ?? んっ。さぁて、今日はどこまで教えてやろうか」
師匠が軽く弾むと金色の髪が流れる様に動き、軽い柔軟を始めて組手へと備える。
「死なない程度にお願いしますよ??」
俺も師匠に倣い体を徐々に慣らしていく。
「安心せい。その点は得意なんじゃ」
「痛み入ります。そう言えば、昨晩。アオイから魔力の源について色々教えて貰いましたよ??」
「ほぅ?? それで??」
「はい。何んとか、体の奥底に眠るその存在を感知する事には成功しました」
まだ入門編……。
いや、その門の前に到着したばかりと言った感じか。
「ふぅむ。どれ、少し見せてみろ」
柔軟を止め、真剣な眼差しで俺を捉えて話す。
「了解しました。少し集中しなければいけませんので、少々お待ち下さい」
「構わぬよ」
よしっ、先ずは目を閉じて集中しましょう。
頭の中に昨晩と同様の球体を思い描き、それにそっと手を触れる。
ここから力を取り出す。そんな感じでいいんだよな??
氷が温かい空気によって溶かされるかの如く。徐々に集中力を増し、力の欠片を感じ取っていく。
「…………ふぅ。こんな感じですね」
龍の力を身に宿すと右腕を中心に体全体が燃えるような熱を帯びるのだが、己自身の魔力の根源を発現させると腹の奥が微かに温かく。そしてそれが細い線を伝って体全体へと流れて行く感覚を覚える。
一方は激烈な熱量によって押し寄せる熱波、一方は爽やかな風に乗って揺れる柳。
似て非なる力の発現なのだが、どちらかと言えば後者の方が好みかな??
只、魔力の根源の発現に慣れていない所為か。集中力の持続が問題ですね。
刹那にでも気を抜くと途端に解除されてしまいますから。
「それがお主の魔力の源か。柔らかくて温かいのぉ」
目を細めて俺の体の奥底から滲み出る光を見つめて温かい言葉を漏らす。
「閉じて良し」
「はい。ふぅ――……」
集中力を研ぎらせると刹那に光りが止み暗闇が周囲を包み込む。
「師匠達は戦闘中もこれ程の集中力を継続させているのですよね??」
戦いでは常に生死が付き纏う。そんなやりとりの中で高度な集中力を持続させるのは至難の業だからね。
「慣れじゃよ、慣れ」
「アオイにもそう言われましたけど。自分にはまだとてもじゃありませんが、実戦で使い熟すまでに至るのは程遠く感じます」
「息をするよりも容易く行うまでになってもらわないと困るぞ?? ては、一つ拳を合わすとするか。ふぅ――……。むんっ!!!!」
尻尾の数が八本に増えるのと同時に空気が氷付き、柔らかく流れて来る風が止まった。
彼女が発する魔力に恐れをなしたのか、将又大人の姿になられた師匠の体から迸る魔力が風を遮断しているのか。
いずれにせよこの空気は身が引き締まる思いだよ。
一瞬でも師匠から視線を切れば待っているのは激烈な痛みと嘔吐の連続。
食人の森へは五体満足で到着したいからね。最大限にまで集中力を高めよう。
「宜しくお願いします」
我が師へと礼を述べ、師匠の型と同じ構えを取った。
「良い目と気合じゃ。では…………。行くぞ!!!!」
い、いきなりですか!?
師匠が脚力を解放するとその場へ己の残身を残して突貫を開始。
一瞬で距離を消失させる脚力、そして地面の虫を捕らえようとする鋭い燕の飛翔を越える低い姿勢での突貫。
全く……。
初手からキツイ注文をしてくれますよね!!
「はぁぁっ!!」
「くっ!!」
地面からせり上がって来る雷撃を回避すると。
「せりゃせりゃ――!!」
「うぉっ!?」
師匠の牽制技である散花烈脚が襲い掛かって来た。
片足を軸にして放つ烈脚の連打。
その場で撃たれる蹴りはいとも容易く相手を翻弄する。
空気を切り裂く雷撃を躱したと思えば……。
「せいせいせいせい!!!!」
恐ろしい数の蹴りが何度も襲い掛かって来る。
己が一呼吸もしない代わりに相手にも呼吸をさせない連続蹴りだ。
「避けるのは上手くなったではないか!!」
「そ、そりゃ集中しますよ。当たったら酷い目に合いますから!!」
軽い連撃かと思いきや。
巨木の樹皮を容易に引き剥がし、分厚い岩を貫く威力を備えている。
それが目を疑う速さでこの体に襲い掛かって来るんだぞ??
集中力を切らして動きを止めた瞬間に敗北が決定してしまう。
しかもこれは牽制技。食事で言えば前菜みたいなものだ。
師匠の体力を加味すれば連打の豪雨は決して止む事は無く、体勢を整える為に後ろに下がれば再び馬鹿げた突進力で距離を詰められ非情の雨が襲う。
ならば!! 活路は後ろでは無く、前だ!!
いいか!? 集中力を切らすなよ!?
「すぅ――。んっ!!!!」
蹴りと蹴りの合間を縫い、己の攻撃が届く範囲へと着実に接近を開始。
「むっ!?」
俺の接近を嫌がった師匠が蹴りの速度を上昇させ、更に鋭く急所へと雷撃の雨が襲い掛かる。
頬を掠めた蹴りの余波が鼓膜を襲い、顎先を通過して行く一閃が身を竦ませる。
此処で止まったら敗北は免れない。
たった一度の好機に全てを賭す!!!!
「んっ!!!!」
当て気に逸った師匠の一撃が胴体の中央目掛けて飛来。
待っていましたよ!? この一撃!!
これを回避して連撃の合間の刹那の隙に俺の全てを放つ!!
「ふぅっ!!!!」
必死の思いで右足を後ろに引いて半身の姿勢へと移行。馬鹿げた威力と速度を持った一撃を体の側面へ通過させる事に成功した。
こ、ここだ!! 千載一遇の大好機じゃないか!!
己の熱き魂、勝利を渇望する我が想い。
心に映すは清らかな水面……。しかし、拳は燃え盛る業火の如く!!!!
右の拳にありったけの全身全霊を注入。
「でやぁぁああああ――――――ッ!!!!」
刹那に捉えた勝利への光へと向かって拳を突き出した。
熱き想いを乗せた拳が届くまで残り一寸。
か、勝ったか!?
心と体は勝利を確信。
しかし、現実は俺が思っている以上に残酷であった。
「ばっかも――――――――ん!!」
「うげぇっ!?」
初めての勝利を掴み取ったと確信した所へ最大最強の反撃が飛んで来た。
目の前に一際強烈な閃光が迸ると同時に体がくの字に曲がり、後方の森へと吹き飛ばされてしまう。
無慈悲に地面の上を転げ回るかと思いきや……。
『お、おいおい。こんな夜更けに頑張り過ぎだぞ??』
一本の大木が俺の体を優しく受け止めてくれた。
「ゴホッ!! うぅぇ……」
意識が遠退く痛みが背中と腹部を襲い粘度の高い液体を吐き出して足に力を籠めて立ち上がった。
な、なんだよ。こ、この痛み……。
し、死んじまうって……。
「この馬鹿者が!! はよぉ戻って来い!!!!」
「た、只今……」
腹に開いた穴から腸が零れない様に右手で抑えつつ、千鳥足で帰宅途中の酔っ払いさん達も思わず足を止めて心配の声を掛けて下さる大変弱々しい足取りで師匠の下へと移動した。
「儂はお主の攻撃を誘う為に敢えて隙を見せた。当て気に逸り隙だらけの攻撃を打ってどうするのじゃ!!」
な、成程。
俺の攻撃を誘う為に美味しそうな餌をばら撒いたのですか。
「儂は加減をして打ったが……」
今のが加減ですか。
さっき食べたパンを吐き出しそうで、少しでも気を抜くと腸が飛び出して来そうなのですが……。
「実践では加減など優しいものは無い。油断、隙、甘さ。それら全てが死に直結すると思え。よいな??」
「は、はい」
「じゃ、じゃが。まぁ――……。儂の攻撃を目の前にして前に出る勇気、そして雷撃を受けても気を失わず立ち上がる根性。この二つは及第点をやろう」
師匠なりの褒め言葉に搾れていた体が奮起していまう。
そうだよ。この御言葉だ。俺が欲しているのは。
決して優しい言葉では無い。
しかし。
厳しい瞳に、刹那に宿る温かさが何とも言えない熱さを与えてくれた。
「これ、いつまで座っておる。早く立たぬか」
体の前で腕を組み、嫋やかな風が流れると金色の髪が微かに揺れ、怪しい月明かりを背に受けて立つ姿は凛とした佇まい。
あぁ……。人を見下ろすのが何て似合う人なんだろう。
俺は幸せ者だよな……。これ程の人に指導して頂けるなんて。
「動けそうか??」
「勿論……。です」
魅入ってばかりじゃ駄目だよね。
早く、あそこの高みまで登らないと。
地面に敗北の拳を突き立て、全身に渾身の力を籠めて立ち上がった。
「よし、軽い組手はここまで。次は魔力を拳に籠める稽古といくか」
か、軽いねぇ……。
四肢が、体全体が既に悲鳴を上げているのですけど。
「昨日見せた通り、魔力を拳に宿せばその威力は桁違いに跳ね上がる。今の散花烈脚を例に挙げれば、相手を無慈悲に切り刻む無双の連撃にも成り得るのじゃよ」
「問題はその宿し方。ですよね??」
「そうじゃ。精神を集中させ、魔力の根源から魔力を……そうじゃな。お主の利き腕でもある右手に宿してみせい」
「分かりました。やってみます」
失敗して当然。男だったら当たって砕けろだ。
上着を脱ぎ捨て、半袖のシャツ一枚になり地肌を空気に当てた。
こっちの方が直に魔力の熱、そして漂う空気を敏感に感じ取れるし。
身軽になった方が気持ちも違うだろう。
「焦らず、ゆっくりじゃよ?? 小さな欠片をゆっくりと、右腕に移動させるのじゃ」
ゆっくり……か。
目を瞑り、深く遅々とした呼吸を行い。心の中で思い描く球体に手を触れて体の奥底に力の欠片を感じ取る。
「うむ。そうじゃ」
よぉし、体が微かに温かくなって来た。問題はここからだ。
焦らず……。岩が風食によって小石になるが如く。目には見えない程の遅い速度で腹の奥に感じる力を右腕に移動させよう。
「そのままじゃ……。いいぞ……」
腹の熱さが右腕にゆるりと移動していく。
おぉ、龍の力を発動させる感じと似ているぞ。
よぉし!!
このまま、集中を切らさずに行けば……。師匠と同じ光景を見られる筈!!
間も無く成功かと思われた刹那。
『あはは!! レイド君にはぁ……。この力は似合わないよぉ――』
頭の中で女性の声が響くと同時。
「へっ?? うわあぁぁああああ――――っ!!!!!!」
右腕に激痛を越える痛みが生じた。
右腕の肉が爆ぜて鮮血が周囲に飛び散り、己の顔に嫌悪感を覚えてしまう温かさが広がる。
常軌を逸した痛みに思わず腕を抑えて地面に蹲ってしまった。
な、んだ??
い、一体何が起こったんだ!?
「ど、ど、どうしたのじゃ!? 大丈夫か!?!?」
「え、えぇ……。どう、やら。失敗したみたいです……。あぅぐっ!!!!」
「み、見せてみろ!! ――――ッ!?」
師匠が優しく鮮血に塗れた右腕を手に取る。
それと同時にさっと血の気が引いた表情を浮かべてしまった。
「どう、ですかね??」
「だ、大丈夫じゃよ。これしき」
気休めだろうが……。耐え難い激痛を感じている今はその言葉が嬉しい。
月明かりに照らされる自分の腕の様子を見るが……。
右腕の皮膚が手首辺りから肘の中間地点まで裂け、深く切り刻まれた肉の間から深紅の液体が大量に溢れ出して緑の大地を穢している。
まるで鋭利な刃物で外側から切り裂かれた様に見えるが……。
皮膚の形状から察するにどうやら『内側』 から切り裂かれたみたいだ。
内側から扇状にめくれ上がった皮膚と肉がそれを証明している。
一箇所だけならまだしも、それが四箇所同時に右腕に襲い掛かれば気が遠くなるのも必然だろう。
ま、不味い……。
大量の失血で痛みで意識が朦朧として来たぞ……。
「と、兎に角!! 戻って治療をするぞ!! 立てるか??」
「な、何とか」
馬鹿げた痛みに耐え、歯を食いしばり大地に両の足を突き立ててやる。
さっきの声の正体は一体……。
以前、森の中で大蜥蜴達との戦いの最中にも聞こえたのだけど……。
「ほれ、肩を貸してやる!! さぁ行くぞ!!」
「あ、有難う御座います」
怪我の一つで情けないとは思いながらも師匠の肩を拝借。激痛に耐えながら重たい足を引きずる様にして歩き出す。
一瞬でも抜いたら痛みで気を失いそうだ。
右腕から這い上がって来る痛みを誤魔化す為に奥歯を砕く勢いで噛み締めて懸命に意識を保ち。正面に待ち構える暗闇へと歩みを進めて行った。
お疲れ様でした。
本文でも少し登場した彼の中に潜むモノなのですが。気になっている方もいらっしゃるかと思いますがもう間も無く登場予定です。
次の御使いの最中を予定しているのですが、まだプロットも完成していない状態なので何とも言えないのが現状で御座います。今暫くお待ち下さいませ。
それでは皆様、お休みなさいませ。