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第九十五話 移動中でも食事中でも常々に騒々しい者達 その二

お待たせしました。


後半部分の投稿になります。




 陽が落ちると空には煌びやかに輝く星達が舞い踊り地上は漆黒の闇に包まれ、開いた空間の外の様子はこの世ならざる者が蠢く姿を駆り立てる程の深い闇が覆う。


 小気味の良い音を立てて木が爆ぜる。


 淡い橙の光が懸命に闇を払い騒ぎ立てる心に安寧をそっと与えてくれていた。


 人と魔物は闇を先天的に恐れる様にして生まれるのかもしれない。


 二つの天幕に挟まれた所から放たれる光が疲弊した心と、狼狽した体を癒す最適な物へと昇華しているのが良い証拠だ。


 これから始まる素敵な夕食に向けて温かい空気が漂い、自ずと陽性な感情が湧いて来てしまう。


 これで静かなら完璧なんですけどね……。



「パンどこだっけ!?」


「蜂蜜はこちらになりま――す!! 火でパンをさっと焙って下さると美味しく頂けますよ――!!」


「マイちゃん!! 私の尻尾踏んだ!!」


「喧しい!! それどころじゃないのよ!! ピナ!! 私のパンは大盛だからね!?」



 赤き龍が右往左往と駆け巡り食物を欲すれば溢れ出る力が連鎖してしまい、けたたましい騒音が濁流の様に怒涛の如く押し寄せる。



「本当、五月蠅いですわねぇ……」


「いつもと一緒位だからまだ耐えられる」



 火の反対側。


 アオイが苦虫を潰した顔でマイを見れば、カエデは静かに座り藍色の瞳で揺らめく炎を見つめていた。



 カエデさん??


 まだって事はそろそろいつものアレ何でしょうかね??


 アイツも学ばないよな……。何度海竜さんの説教を受ければ頭が騒いではいけないと理解するのだろう。


 まっ、アイツの頭の中は自分に不都合な事を忘れる様に出来ているのさ。



「レイドや。パンはどれくらい焙ればいいのじゃ??」



 師匠が焚火の前にちょこんと座りこちらを窺う。



「あ、お手伝いします」


 慌てて腰を上げて師匠の隣へと屈む。


「硬い触感が好みなら長めで。柔らかく、滑らかな食感がお好みならさっと焙る程度でも小麦の香りを十分堪能出来るかと思います」



「ほぅ!! 先ずはさっと焙ってみるとするかのぉ……」



 か細い指で手頃な大きさのパンを摘まみ、早速火にあてがう。


 何と言うか……。


 大きな向日葵が咲く瞳の中で揺らめく炎を見ていると、吸い込まれて行く錯覚に陥るな。


 突き立ての餅を連想させる柔らかい曲線を描く頬が炎の熱により僅かに朱に染まる。


 こうして見ると師匠も一人の女性なんだなぁと、一人で勝手に納得していた。



「むむぅ……。てやっ!! どうじゃ!!」



 僅かな焦げ目がパンを一つの芸術作品へと昇華させ、香ばしい小麦の香りが周囲に漂う。



「完璧です。後はあちらで蜂蜜を掛けて召し上がって下さい」


「うむ!!」



 口角をきゅっと上げて満面の笑みを浮かべると、ピナさんの下へと軽快な足取りで向かって行った。


 ふぅ、どうやら満足して頂けたようだな。



「…………。御苦労様」


「ん?? おぉ。ありがとう」



 火から離れ、一段落しているとエルザードが一杯の水を持って来てくれた。



「大変よねぇ。料理も真面に出来ない師を持つと」


 そう話して俺の隣に座る。


「そんな事ないって。人には得手不得手があるんだから」



 くいっと水を喉に流し込み、乾いた喉を潤す。


 はぁ……。



「美味いな」



 自分でも気付かぬ内に体が渇きを覚えていたのか。


 驚く程簡単に水が簡単に喉を通って行く。



「ふふっ。ありがとう。それ、私が魔法で生成したのよ??」


「特上の水って訳ね」


「特上のお水はぁ……。こ――こ」


「ぶっ!!」



 細い指でシャツの襟をクイっと下げ、双丘の麓を惜しげも無くこちらに披露するものだから思わず喉へ流し込んでいた水を吹き出してしまった。



「ゴホッ!! あ、あのなぁ。もう少しお淑やかになりなさいよ」


「十分しているわよ?? 私が本気出したらレイドなんてあっという間に私の虜になっちゃうからねっ」



 左様で御座いますか。


 それなら金輪際本気を出さない様に努めて下さい。自分の理性は大変脆弱でみすぼらしいのですから。



「それより。パン食べないの??」


「食べたいのは山々だけどさ。ほら」



 話している勢いのまま真正面の炎を指してやる。



「んふふ――。硬めが好きだから長め――っと!!」


「あたしも硬めかなぁ」


「私は柔らかくしてみよ――っと。てか、ユウちゃん。おっぱい重たい」


「おぉ。悪い悪い」


「この程度で良い、のか??」


「リューヴ、それ位で構いませんわよ。カエデは焼き過ぎでは??」


「焦げ目が最近好き」




 大魔の血を引く者達が火を囲い、その火が放つ光量よりも更に明るい声色を上げている。


 彼女達が放つ光は暗闇も近付いたら彼女達の陽気で己の姿が霧散してしまうのではないかと思わせる程の物であった。



「成程。ちょっと待っているって訳ね??」


「正解。どうせなら腰を据えて食べたいし」



 それに今、あそこに突貫すれば腹ペコの龍に自分の配給分を奪取されてしまう可能性が高いですからね。


 腰を据えてというよりも、様子見と呼んだ方が正しいのかも知れない。



「いつもこんな感じで食事を済ませているのかしら??」


「ん――。大体合っているかな?? 今日は各々が調理をしているけど、いつもは俺が担当しているから。楽出来て助かるよ」



 足を投げ出して座り、火の周囲で戯れる者達を何気なく眺め。そして、いつもと変わらぬ明るさに大きく息を漏らして見つめた。


 呆れるくらい元気だなぁ。


 あれだけ歩いたっていうのにさ。



「ふぅん。…………。ね??」


「ん――??」



 何か言いたげなエルザードに正面を向いたまま答えてあげる。


 意味深な口調から大方の内容は察する事が出来るが……。



「私を調理する気、ない??」



 そんな事だろうと思いましたよっと。



「毛頭ありませんね」


「今なら誰も見ていないよ?? 森の中に二人で行ってさ。楽しい事しようよ」


 俺の右手に己の手を添えて産毛が逆立つ声色で此方を誘う。


「しません」


「私と……。するの……」



「ッ!!!!」



 右手に甘い指が絡んで来たかと思うと、空いた反対の手で正面に向けていた顔を強制的にエルザードの方角へと向けられてしまう。



 濃い桜色の髪、それが気怠く目に掛かり艶を帯びた表情へと変わる。


 女でも色を覚えてしまう程の端整な顔が漏れて来る火の光で照らされ思わず息を飲んでしまった。


 美の女神が嫉妬する面持ちの彼女がそっと目を閉じると。



「…………。レイド」



 淫靡な液体で湿気を帯びた艶やかな唇が迫り来る。


 刹那の出来事もあってか、徐々に距離を詰めて来る唇に魅入られてしまい。蛇に睨まれた蛙の如く動けずにいた。




「――――。それ以上見るな、両の眼が腐り落ちるぞ」


「おふぁえりなさい。しふぉう」



 一瞬で視界が暗転すると、花の香と若干の獣臭さが混ざり合う香が鼻腔を刺激。同時にモコモコの毛の感覚が顔全体に広がった。


 師匠、いきなりは心臓に悪いので御勘弁して頂けたら幸いです。



「ちょっと。邪魔しないでよ」


「邪魔?? 邪な魔物から弟子を守って何が悪い。ほれ、レイド。足を広げい」


「ふぁだいま」



 両の足を開くと、腹部から上半身にかけて温かく女性らしい柔らかさが圧し掛かって来る。


 見えないけど、多分俺の目の前に座ったんだよな??



「さぁて。極上の席で食事を摂るとするかのぉ」



 俺は席扱いですか。



「頂きます。ふぁむっ……。むぅ!!!! 美味い!!」


「よふぁったですね」



 大変満足気な言葉が素敵な毛を通り抜けて聞こえてきたので、動かし辛い口を何んとか開いて感想を述べた。



「お主の言うた通りじゃ。小麦の香りと、馨しい花の香りが鼻腔を通り抜けて……。ハーピーの蜂蜜、恐るべし」



 いつもより大分弱い毛の締め付け具合、そして心から湧く陽性な感情によって弾む声色。


 師匠が今どんな表情をしているか容易に想像出来ますよ。



「レイドぉ。臭くない??」


「ふぁいじょうぶです」



 師匠の尻尾が顔に絡みついている状況で彼女の神経を逆撫でするのは大変宜しくありませんよ??


 今は本当に心地良い温かさと柔らかさを与えてくれる尻尾ですが、まかり間違えば死神の鎌にも成り得るのだから。



「レイドさ――ん!! パン御持ち……。って取り込み中でしたか??」



 ピナさんの声が聞こえて来たので。



「……」



 この辺り、かな??


 無言でピナさんの声がした方角へと右手を向ける。



「あ、聞こえていたんですね。蜂蜜を零さないようにっと……」



 右手に慣れ親しんだパンの触感が広がり、指で優しく摘まむ。



「そうそう。じゃあ渡しましたらからねぇ!!」



 いや……。そのまま踵を返すのでは無くてこの状況をどうにかしようとする努力を見せて欲しかったです。



「ふぁの……。しふぉう。食べられませんふぉで、せめて口周りふぁけでも」


「おぉ、すまぬな。これで良いか??」


「ありがとうございます」



 器用に口周りに絡みついていた金色がシュルリと離れてくれる。


 新鮮な空気を肺に取り込み、もたつく手でパンを口へと運んだ。



「んっ!! 美味しい!!」



 小麦の香りがさっと鼻に届き、それから遅れて粘度の高い液体が舌を良い意味で驚かせてくれる。


 甘い花の香りが口の中でふわぁっと広がり心のシコリが溶け落ちてしまいそうだ。


 アレクシアさんに出される女王専用の蜂蜜も格別だったが、これもまた遜色ない味を醸し出していた。



「ありがとうございます!!」



 俺の陽性な声を受けて、ピナさんも喜びの礼を送ってくれる。


 いや、本当に美味しいなこれ。


 体に蓄積された疲労が甘味を受けて尻尾を巻いて逃げ出す感じがする。


 只、狐さんの尻尾は逃げ出す素振処か。依然として俺に絡みついていますけどね。



「馳走になったわ。さて、レイドや」


「ふぁい。何です??」



 我が師に対して失礼かと思うが、口の中一杯にパンを頬張りながら答える。



「稽古の途中じゃったし。軽く手合わせでもしておくか」


「い、今からですか??」


「なぁに。軽く、じゃて。安心せい」



 師匠の安心と、俺の安心。


 この両者には一体どれ程の差があるんだろうなぁ。



「分かりました。では、これを頂いてからで宜しいでしょうか??」



 右手に持つ残り半分程のパンを齧り正面に向けて言った。



「待てぬ!! そら、行くぞ!!」


「へぇ!? んぐわっ!!」



 師匠が俺の体をどこか知らぬ場所へと無慈悲に引きずって行く。


 大変な苦みを持つ砂利が口に入り、折角の甘味が肩を窄めてしまった。



「レイドぉ。行っちゃ嫌……」


「あ、足を放してくれ……」



 エルザードの声が聞こえると同時に右足が一箇所に留まる。


 多分。エルザードが片手で御しているんだよな??


 足に感じる感覚から察するが……。師匠の力を片手で制御出来るものなのか??



「放さぬか。色ボケ淫魔」


「はぁっ?? レイド食事中でしょ。それを無理矢理連れて行くなんて横柄ってもんじゃないの??」



「「……」」



「…………っ!! 師匠!! たべおふぇました!!」



 このままでは不味い。


 一触即発の空気を敏感に感じ取り一気呵成にパンを捻じ込んでやった。



「ほぉれ、見てみろ。食い終わったではないか」


「あんたが無理矢理急かしたんでしょ。大変よねぇ。空気が読めない女って」


「ふんっ。何とでも言うがよい。行くぞ!!」


「ぐぬぶっ……」



 師匠が一際強い力で引っ張る。


 しかし、俺の右足は我儘なんだな。



『俺は此処から一歩も動かんぞ!?』



 その場に留まり頑として動こうとしなかった。



「エ、エルザード。足を放してくれ……。首が捻じ切れちまう……」



 足が固定されている以上、師匠が奥へ進もうとすればする程上半身と頭部を繋げる首に常軌を逸した圧が掛かってしまうのですよ。


 現に今もミチミチと。生肉を無残に引き千切る時の様な生鈍い音が鳴っていますもの……。



「んぅ。足じゃ無くてぇ。ここなら……どう??」



 横着な左手が足を伝い腰へ。そして最終防衛線へと手を掛けてしまう。


 何とも言えない感覚に背の肌が一瞬で泡立ってしまった。



「およしなさい!!」


「なぁに?? 男の癖に情けない声出しちゃってぇ」



 嬉しそうな声を出さない!!



「行くぞと言っておろうが!!」


「えぐっ!!」



 ほらね?? こうなると思ったんだよ。


 俺の体が軽々と上空へと舞い上がり、体全体が毛に覆われ身動き一つ取れなくなってしまう。



「あ――ん。レイド――。帰って来たら、私が癒してあげるからねぇ」



 エルザードが何か言ったのだろうが。


 毛に覆われその微弱な声量は俺の鼓膜には届くことは無かった。


 聞こえるのは己の若干強い呼吸音と毛が擦れる乾いた音のみ。体全体を包む尻尾によって呼吸が阻害され地獄の苦しみが間も無く訪れるのだと刹那に理解してしまう。



 さて、今日はどんな痛みと苦しみが襲い掛かって来るのかしらね。


 丹田に力を籠め、その時を待ち構えていた。




 …………。



 あ、あれ?? 襲い掛かって来ないのですか??


 それ処か恐怖、不安等々。負の感情を一切除外した柔らかい感覚が金色の毛を通して体に伝わって来る。


 この毛玉の中って意外と心地良いな。



「ふぅ――……」



 肌寒い空気から遮断され、尻尾によって温められた温かい空気に思わず体を弛緩させて大きな息を漏らしてしまう。


 何と言えばいいのだろう、この感覚は


 柔らかい花の香りが全身を包み、春の陽気に誘われて何も考えずに縁側でうたた寝をする。


 それに似た感覚かな??


 只、素敵な感覚に包まれたまま誘拐されるってのもおかしな話ですけどね。


 モコモコの尻尾に包まれたまま眠りに就きたいのが本音ですが……。



「むふふ――。さぁって、暴れても大丈夫そうな場所は何処じゃ――」



 師匠の陽性な声が響くと尻尾にも軽快な振動が伝わって来る。


 そして、俺の心には酷く重く黒い雲が立ち込めてしまった。



 軽くと仰ったのに暴れるとは一体どういう心の変わりようですか??



 そう言えたらどれだけ楽か……。今は大人しくしている尻尾だが、師匠の気分次第で恐ろしい凶器にも成り得るのだ。


 此処は沈黙が正解。


 喉元まで出掛かった言葉をゴクリと飲み込んで沈黙を貫き。世界最高の揺り籠に包まれたまま刹那の幸せを噛み締めていたのだった。





お疲れ様でした。


この御話の後、少しのイベントが発生しまして。森の賢者が住む森へはもう少し掛かりますので御了承下さい。



それでは皆様、お休みなさいませ。

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