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第八十六話 衣替えは慎重に

皆様、お疲れ様です。


本日の投稿になります。


それでは御覧下さい。




 ボロボロの黒い外蓑を羽織ったしゃがれた声の髑髏さんが俺の姿を捉えると何やら大変慌てた様子で。


 申し訳無い、まだお前さんは此方へ足を踏み入れる事は出来ないので即刻お引き取り下さい!! と。

 

 普段は無表情に務めている骸の顔を歪め、難しい顔で此方に向かってそう話す。



 やたら散らかっている受付口、食べかけの何かが置かれた受け皿とドロドロした液体で満たされている使用感溢れるコップ、そして雑に置かれた大きな鎌。


 恐らくそこは彼の執務室なのだろう。


 何の仕事をしているのかは、大きな鎌と骸骨で大方察する事が出来るので深くは問いません。


 彼、若しくは彼女の執務を邪魔する訳にはいかないのでお邪魔しましたと親切丁寧に頭を下げてそこから退出。


 それから意識に霞が掛かった様な。


 得も言われぬ感覚の中で暗中模索を繰り返していると、現実の下へと意識が帰って来てくれた。



「なはは!! すまんすまん!!!!」



 まるで大人一人が頭の上に乗っている様な。そんな重い頭を抱えて目を覚ますと一人の陽気な女性が満面の笑みで悪びれる様子も無くそう話した。



「師匠……。もう少しで絞殺される所でしたよ??」


「じゃから。悪いと言っておるじゃろ」



 まさか、心地良い眠りから起こそうとするだけで生死の境を彷徨うとは。


 九祖の血筋は真に恐ろしいといった所でしょうね。



「まぁ……。勝手にお邪魔したこちらも悪いとは思いますが。あ、遅れました。細やかな物ですがお受け取り下さい。自分が留守にしている間、カエデがお世話になったようなのでそのお礼です」



 傍らに置かれている月見餅が入った小箱。それを引き続き縁側に座る師匠へ渡した。



「お――!! 悪いのぉ!! どれどれぇ??」



 口角を緩め、目元がトロンと下がり喜々とした表情で小箱の蓋を開ける。



「む?? おぉ!! 美味しそうじゃの!!」


「レイモンドで購入させて頂いた月見餅という焼き菓子です。柔らかい厚皮の中身は優しい甘味の小豆の餡で、大変美味ですよ??」



「ほぉ――。形も綺麗じゃし。どれ、早速頂くかの!!」



 小さな御口をあ――んと開き、大きな向日葵が咲いている瞳を輝かせて月見餅へと噛り付いた。



「…………。んぅ!! 美味い!! 流石は我が弟子じゃ。儂の好みを分かっておるっ!!」



 どういたしまして。


 気に入って貰えて良かったですよ。



「へぇ。美味しそうじゃない。私も一つ呼ばれようかしらね」


 エルザードが俺と師匠の狭い間に何の遠慮も無しに座り月見餅を一つ摘まむ。


「儂のじゃぞ!!!!」


「はぁ?? 別に食べてもいいじゃない。これだけ沢山あるんだから」


「人の物を勝手に食べるなと教わらなかったのか!?」


「知りませ――ん。あむっ。…………うっま。レイド、これ私も大好きな味よ??」


「そ、そう……」



 お願いします。右腕に絡みつくのは止めて頂けませんか??


 日に二度も髑髏顔の人の執務を邪魔して怒らせる訳にもいきませんので。



「量も多いし、丁度お腹空いていたから助かるわ。もう一個、いけるかも……」



 師匠が大事そうに持つ木箱に手を伸ばすが。



「止めい!!!!」



 一本の尻尾がエルザードの手をピシャリと弾いてしまった。



「いった。ちょっと……。何勝手に人様の手に攻撃してんのよ」


「儂のじゃと言っておろうが。沢山の時間を掛け、儂の為に買うて来てくれたお土産を大事に頂くのじゃよ!!」



「その間に腐っちゃうわよ」



 まぁ、これに関してはマイの意見に賛成だな。


 冬の冷涼な空気が腐敗の進行を妨げてくれるはいえ、物は時間と共に朽ちていくのだから。



「そうよ。そういう御茶菓子は皆で摘まむって相場が決まってんの。ほら、マイ達。そこの強欲狐から月見餅を頂きなさい」


「いいの!? 一個しか食べられなかったし……。僥倖ねぇ」


「イスハさん!! 一個頂戴!!」


「未体験の味ですので、是非賞味を」



 マイ達とエルザードが嗜虐心を前面に押し出した表情で師匠へと詰め寄る。



「よ、寄るな!! わ、儂が貰った奴じゃ!!!!」



 彼女達の表情を受けると、額に嫌な汗を浮かべた師匠が後退りを始め縁側の端へと追い詰められてしまう。



「「「せ――のっ!!」」」


「ぬぉわぁ!!」



 地獄の蓋が開き、魅惑の食料に飢えた餓鬼が集り月見餅を強奪して行く。


 師匠、味がお気に召したのならまたお持ちしますので今はどうか堪えて下さい。



「んふふ――!! 本日三個目、頂きっ!!!!」


「ふむ……。先生が好きそうな味ですね」


「主。私もこの味は好きだぞ??」



 そりゃどうも。



「あ、あぁ……。残り五つになってしまった……」



 フワモコの尻尾、そして眉がシュンっと垂れ下がり空白が目立つ木箱を情けない表情で見下ろしていた。


 これは流石に……。



「また違う手土産を御持ち致します。そう落ち込まないで下さい」


「うむっ…………」



 命が惜しいから言えませんけども、大好物を取り上げられて落ち込む子供みたいな顔ですね。



「今日は挨拶だけに来たの??」



 エルザードが小さな皮の欠片が残る人差し指を舌でペロリと舐め取って此方を見つめる。



「一応そのつもりだけど。師匠、宜しければ訓練場をお貸願えますか?? ここまで足を運んだのですからついでに稽古をしてから帰ろうかと」



 挨拶は建前で、これが本音です。



「いいじゃろう!! 久々に儂達がお主達を鍛えてやるっ!!」


「達って何よ。私は嫌よ?? 御風呂から出たばっかりだし」



 休みたい気持ちは分からないでも無いけど……。


 生徒達の手前、もう少し包んで話すべきでは??



「使えぬ奴め。ほれ、さっさと着替えて訓練場に来い」


「了解しました。皆、行こうか」



 縁側から立ち上がり、ワイワイと会話を続けて燥ぎ回るマイ達に声を掛けるが。



「まふぁ食べてるふぁら待って――」


「そうふぉう。二個目にもなるとちょっふぉね」



 大きな月見餅をもむもむと顎を動かして忙しなく咀嚼を続けていた。



「はぁ……。じゃあ先に行ってるよ。食べ終えたら着替えに来いよ??」


「ふぁ――い。カエデ、残りの半分食べてあげようか??」


「結構です。好みの味ですので完食出来そうですから」


「ふんっ!! ルー、二つ目だときついでしょ?? 私が平らげてあげる!!」


「やっ!! 取らないで!!」



 女性は甘い物が好物。


 別腹……。なのだろうなぁ。


 カエデですら大きな一個を完食しようとしているし。



 俺の場合、一日に二つはちょっとキツイかな??


 甘い物は嫌いじゃ無いけど、あの量はちょっとね。



「ユウ、反対側齧らせて貰うわよ!!」


「はっ?? うっわっ!! テメェ!! 勝手に人様の分を食うんじゃねぇ!!!!」


「ヴォグス!?!?」




 陽性な声と、何だか生肉を思いっきりブッ叩いた時に発生する生鈍い音を背に受け。これから始まる稽古を想定して体を解しながら歩んで行った。




























 ◇




 師匠の恐ろしい逆襲の余韻が残る重たい足を何んとか駆使して平屋に到着すると、いつも利用させて頂いている平屋の奥の部屋へと進む。


 心が安らぐ伊草の香り、少し汚れが目立つがそれが逆に寂を醸し出している壁面と天井。


 俺好みの雰囲気に知らぬ内に陽性な感情が沸々と湧いてきてしまう。



 本当に良い所ですよねぇ。


 平屋を出た先には縦横無尽に駆けられ、厳しい稽古を行うのに適した広さの訓練場が併設され。


 傷ついた体、底を尽いた体力を回復させる為の温泉もある。


 そして……。


 格闘術と英知の頂点に君臨する二名が俺達に手解きを指南してくれる。



「贅沢だよなぁ」



 小部屋の奥にある襖を開き、キチンと折り畳まれている運動着を取り出すと独り言が漏れてしまう


 正に至れり尽くせり。


 俺みたいな者には過ぎた場所かも知れない。



 うん??


 おぉ!! 運動着が新調されているじゃないか!!


 いつも着用している運動着の横に濃い青色の上着が置かれていた。



 早速手に取って生地の確認をしてみる。



 ふぅむ……。


 厚手の生地の繋ぎ目はしっかりと縫われており容易く破れない構造をしている。


 ボタンで服の前を閉める作りでそのボタンも頑丈に縫い付けられ、俺が指で引っ張ってもビクともしなかった。


 こうしてはいられない。


 着替えて履き心地を確認しなければ!!


 ぱぱっと服を脱ぎ捨て、運動着に着替えて上着の裾を通してみる。



「…………。うん!! 温かいし、動き易い!!」



 寒い日はこの上着を着用して体が温まる直前まで着ていれば良くて体が解れて体温が上昇すれば脱ぐ。だから着脱し易い様にボタンで前を閉じる作りなのね。


 保温性に優れ且、肩回りの不安も無く正に完璧な仕上がりと言わざるを得なかった。



 これは、良い物だぞ。


 職人の神髄を垣間見た気がするな……。



「もう着替えたの??」



 平屋の大部屋で肩をぐるりと回していると、マイ達が呑気な歩みでやって来る所であった。



「まぁな。それより、この服を見てくれよ!!」



 新作の上着に指を差し、どうだ!! と胸を張って見せてやる。


 さぁ存分に褒めるがいいさ。この出来栄えに。




「うわっ。だっさ!!」




 へっ??



「あたしもマイの意見には賛成だな」


「レイド――。それ、着ていて恥ずかしくないの??」



 そ、そう来ましたか。


 マイ、ユウ、ルーの評価は芳しくない。


 こいつらの眼は節穴か??



「色は好きですが……。形は好みではありませんね」



 カエデも、か。



「レイド様がお召しになる物ですから……。ま、まぁ致し方ないとは思いますけど……」



 何んとアオイまで……。


 俺の服を選ぶ感覚ってそんなに世間一般からずれているのだろうか??


 流石に少し凹みますよ。



「貴様ら。見た目ばかり気にし過ぎだ。良く見てみろ。この機能性に溢れた構造をっ!!」


「リュ、リューヴ!! 分かってくれるか!?」


「勿論だ。厚手の布は保温性に優れ且、攻撃を吸収してくれる。綻びにくく汚れが目立たない生地の色合い。縫い目の不安も無く、肩回りの余裕が嬉しい」



 俺の近くに立ち、まじまじと上着を見つめて話す。


 うんうん!!


 そうだよ。俺が欲しかったのはこの意見だよ!!



 そして……。何んとなぁく察していたけれども、リューヴは此方側だったのか。


 ふふ、同士が出来た様で嬉しい限りですよ。



「だっせぇけど動き易いのか??」


「ユウ。服は見た目で判断するなと口を酸っぱくして言っているだろ?? リューヴを見習え。機能性を見出す、素敵な選別眼を身に付けなさい」



 呆れて物も言えない顔を浮かべているユウへ向かって腕を強く組んで言ってやった。



「はぁ……。それ着ないとイスハの奴も五月蠅そうだし。仕方が無い。着ましょうかね」


「だね――。マイちゃんは一番小さい上着で良いでしょ??」


「あぁっ!? 誰が小さいってぇ!?!?」


「そ、そっちの話じゃないよ――」


「ほんとうに……。だっせぇよなぁ――」


「ユウ!! ダサイけど頑丈だからあんたの胸で内側から千切れ飛ぶ心配も無いわよ!?」


「あたしの胸は凶器か何かか」


「「その通りっ!!!!」」



 全く……。君達は服という概念を履き違えていますよ。


 半ば諦めた雰囲気で足取り重く平屋の出口へと向かう。



「ほぅ……。ふぅむ……。これは素晴らしい」



 周囲が沈む中。ただ一人リューヴだけは喜々とした表情を浮かべていた。



 そんなにかっこ悪いかな??


 見た目は余り気にしないから、そこの判断基準が分からん。



 喧噪渦巻く平屋を出て一足先に訓練場へと向かう。



 久々の稽古だ。準備運動は念入りにしないと……。


 乾いた土と砂で出来た訓練場の上に立つと、忙しなく体を解し始めた。



「――――。ちょっと、何よそれ」


「ん?? あぁ、エルザードか。どうだ?? 新しい上着だぞ??」



 素敵な歌声を放つ鶯も思わず奥歯をぎゅっと噛み締めて悔しがる美しい声に反応して振り向くと。


 マイ達同様、怪訝な表情を浮かべているエルザードが此方を見つめていた。



「それを着る神経が私には分からないわ」


「見た目だけで判断するなって。動き易くて、しかも温かいぞ??」



 上着を脱いで彼女に渡そうとするが……。



「勘弁して。それを着る位なら裸になった方がマシよ」



 すっと手を添えられ、軽く拒絶されてしまった。



「お、おいおい。それは止めてくれ」



 この人の場合、本当にそうしそうだからバツが悪いのですよ。



「冗談よ。それとも何?? 私の裸……、見たいの??」



 黒色のシャツの襟をクイっと指で下げ、前屈みになる。



「結構です!!」



 双丘の麓が垣間見えそうになるが、一瞬で視界を明後日の方向へと向けてやった。


 勢い良く首を捻り過ぎて筋が痛いですよ……。



「もぅ。別にレイドだったら気が済むまで見てもいいのよ?? あ、そっか」



 何かに気付いた顔をして此方に悪戯な笑みを向ける。



「見たい、じゃなくて。食べたいんだ!!」


「バ、馬鹿じゃないのか!!」



 両手で胸元の大き過ぎる果実をぎゅっと掴み。さぁ!! どうぞ召し上がれ!! と言わんばかりにその重量感を惜しげもなく披露してしまった。



「ほぉぉら?? 特盛だぞ――」


「お腹が一杯なんです」


「世の中の男性は咽び泣いて私の胸にむしゃぶりつくわよ??」


「俺はひねくれ者ですから……」



 これ以上見るのは不味いと考え、再びそっぽを向いて話してやる。



「相変わらずお堅いのねぇ」


「そういう性格なの。ってか、師匠はまだなの??」



 師匠、早く来てくださいよ。


 エルザードと一緒に居ると、ど――も引き締まった雰囲気が霧散してしまう。



「もうすぐ来るんじゃない?? ほら、来たわよ」


「本当??」



 エルザードの声に反応して顔を正面に向けると。



「…………っ!!」

「…………。やっとこっち向いてくれたね??」



 距離感を間違えた怪しい色の瞳が俺を捉えて見上げていた。


 互いに体温を感じ取れる距離に体を置き、警戒心を溶かしてしまう優しい笑みを浮かべている。


 濃い桜色の髪、その前髪には以前贈った桜の花を模した銀の髪留めが付けられており、端整な顔がより鮮明に映し出されていた。


 女性らしい甘い香りと、彼女のゆっくりとした絡みつく息遣いが俺の鼓動を自然に早め思わず硬い生唾を喉の奥へ流し込んでしまった。



「ち、近いって」


「だって、こっち向いてくれないんだもん」


 一歩前にすっと歩み出て俺の腰に両の手を回す。


「放しなさい」



 眼下の美しい者を出来るだけ視界に捉えない様に努めて話す。



「嫌ッ。本当ならもっとくっついたり、流れる時間も忘れて一緒に心を重ねたいのよ??」


「俺にそんな時間は無いって」


「え――」



 俺の胸元にちょこんと顎を乗せ、駄々を捏ねる子供の様に見上げて言った。



「大体、エルザードも色々とやる事があるだろ?? 今はお互い忙しいし。もう少し、時間が出来た時にゆっくりと話せばいいんじゃない??」



 この状況下を抜け出す為、考えうる最上の答えを話す。



「ん?? じゃあ、私の為に軍を抜けてくれるの??」


「違います」


「それじゃ時間出来ないじゃない。私、寂しい想いしているんだよ」



 顎を下げたと思いきや。今度は胸元に顔を埋めて熱い吐息を俺の体に染み込ませてしまうではありませんか。



「いつか。そうだな……。魔女がいなくなって。平和な世の中が訪れたら皆で輪を囲んでさ。楽しい話を夜が明ける迄語り合うのもいいかもね」



「…………。皆は嫌よ。私一人だけ、見て??」


「善処しよう。…………っ!! さ、さて。そろそろ稽古の時間ですよ」



 ポンっと彼女の肩を叩いて話す。


 お願いします。出来るだけ早く俺から離れて下さい。



「ううん。もうちょっとこのまま。凄く良い匂いなんだもん……」



 うぅ……。これ以上体を密着させないで!!


 意を決して、俺の体に絡みつく自他共に認める史上最高の体を跳ね除けようとした刹那。




「――――。貴様の腐ったどぶ川みたいな匂いとは違うからのぉ」




 師匠の怒りのお声が訓練場に低く響いた。


 おぉう……。大変ご立腹の御様子ですね。


 尻尾が三本から七本に増え、体中から魔力の渦が放出されて空気を細かく振動させていた。



「…………。今、この場で直ぐに殺すわよ。クソ狐」



 それに対し、胸元の淫魔の女王も師匠の声を受けて怒りが瞬時に頂点へ到達。


 か細い肩からは背の肌が泡立つ濃い赤の魔力が滲み出てしまっていた。



「貴様に出来るのか?? んん――??」


「御望み通り……。喉元掻っ切ってあげるわ!!」



 絡みつく右手が離れると同時に魔法陣がエルザードの右手に現れ、師匠に向かい風の刃が襲い掛かるが。



「危ない!!」

「ちょわっ!!!!」



 俺が声を出すと同時に師匠の鋭い蹴りが風の刃を打ち消してしまった。


 すげぇ……。素の力で魔法を蹴り飛ばしちゃったよ。



「遅いのぉ」


「御望みならもっと速く出来るわよ」



 俺の体から離れ、憤怒の表情を浮かべたまま師匠と対峙。


 そして互いの体から迸る魔力が空中で衝突すると地面の砂粒が揺れ動く。



「そ、その辺りでいいんじゃないですか??」



 この一触即発の空気。流石に不味いんじゃありませんかね。


 彼女達を宥める為に間も無く生の終わりを迎える蝉よりも小さな声を放って仲裁に入るが。




「ほら、あんたの距離よ。その短い手足で掛かって来なさいよ」


「はぁん?? 聞こえぬなぁ」



 大魔の力の波動が訓練場一杯に広がり、大自然の中で悠々と生を謳歌していた木々と草々も彼女達の力を受けて体を窄めてしまった。


 やばいって!! だ、誰か止めて!!



「――――。先生、イスハさん。何をしているのですか??」



 はぁぁ……。た、助かった。


 カエデが右手にカッコいい上着を抱えて訓練場にやって来るといつもと変わらぬ様子で声を上げた。



「ふっ、いつものじゃれ合いよ」

「そうじゃの。児戯の類じゃのぉ……」



 これ以上は無益だと察したのか、二人の魔力の放出が途切れる。


 彼女達の魔力に恐れをなしていた風がそっと吹き始め、知らぬ内に滲み出ていた汗を乾かしてくれた。



「助かったよ、カエデ」


「いえ。いつもの痴話喧嘩みたいでしたので助かりました」



 あれが痴話喧嘩ねぇ……。


 それなら本気を出した喧嘩はどうなる事やら。



「何?? あんた達また喧嘩してたの??」



 飄々とした様子でマイ達が遅れて訓練場へと姿を現す。



「お主に言われたくないわ。まぁいい。これで全員揃ったな??」



 マイ達と合流し、師匠の前で横一列に並ぶ。



「では早速稽古といくかの。マイとユウ。ルーとリューヴ。そしてアオイとカエデ。二人一組で稽古を始めるぞ」


「師匠。自分は誰と組めば宜しいので??」


「お主は儂とじゃ。ほれ、さっさと隣同士になれ」


「はいはい。ユウ――。こっち行くわよ――」


「ん――」



 やれやれと言った感じでマイ達が行動開始すると、それに続き他の面々も適度な距離を保ち訓練場の上で場所を陣取った。



「よし、一人が仰向けになって地面に横たわれ。レイド、お主もじゃよ」


「了解しました」



 言われるがまま土の上に横になり良く晴れた青空を仰ぎ見る。



 おっ。あの雲、結構大きいな。



「では、そのまま首の力のみで体を起こして反らせ。両足と首の力。この三点で状態を維持しろ」



 成程。首の筋力を鍛えるのか。



「よいしょ!!」


「ていっ!!」



 マイ達の威勢の良い声に釣られ、俺も勢い良く上体を大きく反らして体を起こした。




「結構……。堪えますね」



 下半身は両足に任せているとして、自分の上半身の体重が首にのしかかるんだ。


 当然であろう。



「何を言っておる?? キツイのはここからじゃよ??」

「へ?? のわっ!!!!」



 師匠がにぱっと笑うと、俺の腹に腰かけ足をパタパタと陽気に振り始めてしまう。


 尻尾が三本の状態だから助かりますけど……。こう、何んと言いますか。


 妙に柔らかい感触が腹に伝わって来るのですよ。


 こんな事を一々気にかけてしまう俺の精神が至らぬ事もあるでしょうが、出来れば違う方法で負荷を掛けて欲しかったですね。




「ほれほれ――。そっちも相方の腹の上に乗ってやれ」



「げっ!! ユウ!! ゆっくり乗りなさいよ!?」


「リュ、リュー!! そっとだよ!?」


「カエデ!! 私の体は繊細ですのよ!? 地面に足を付いたまま乗りなさい!!」



 ここからでは窺えないが、向こうも手厳しい稽古が始まりそうだな。



「んふふ――。マイちゃぁん。行くぞ――??」


「ふふ。これは鍛えられそうだな」


「アオイの体、座り易い」



「師匠。これを何分続ければ宜しいのでしょうか??」



 反対になった景色の中。姿の見えぬ重さの主へ言葉を掛けた。



「そうじゃのぉ。取り敢えず、五分からいこうか」


「りょ、了解です」



 ながっ!!


 思わずそう呟いてしまいそうであったが、必死にその言葉を飲み込んだ。


 言えば必ずその時間は増えてしまうであろうし。



「マイ――。下がってきてんぞ――」


「うっさい!! あんたが重いのよ!!」


「はぁ!? 女性に向かって何てこと言うんだよ!!」



 あっちもあっちで大変そうだな。



「…………レイドぉ。きつそうだね??」


「あ、あぁ。首が根本から折れそうだよ」



 エルザードがちょこんとしゃがみ込んで俺の様子を窺う。


 反対になった景色からでもその美しさは変わる事は無く、今も興味津々といった様子で見つめている。



「ふふっ、楽しそうねぇ」



 全然楽しくありません。


 寧ろ、まだ開始して数分だってのに首の筋力が悲鳴を上げ始めていた。



「ねぇ、代わってよ」


「嫌じゃ。他へ行け」


「ちっ。じゃあこのまま乗っちゃおっと」


「うんぬぅっ!?」



 首に掛かる圧力が倍に増え、思わず苦痛の声が喉の奥から飛び出して来てしまった。



「貴様!! 勝手に乗るなと言っておるだろうが!!」


「別にいいじゃない。こっちの方が倍鍛えられて。ね――?? レイド」


「退け!!!!」


「あんたが退きなさいよ!!!!」



 腹の上に乗る御二人が暴れれば得も言われぬ柔らかさが服越しに皮膚へと到達。


 何だかイケナイ感情が湧いて来そうになってしまいますが。そこをグっと堪えて首の筋力へ意識を集約させてやった。


 鍛える為に必要なのは理解していますけども腹の上で暴れるのは御了承願いたいですね。











 ――――。




「…………。なぁ」

「何よ??」



 ユウの呑気な声が腹の上から降って来た。



「あっち。大変そうだぞ」


「あっち??」


「ほら、レイドの方」



 反対になった視界を頑張って動かすと……。


 男一人の上に女二人が乗って何やら言い争っていた。


 下になった男は苦悶の表情を浮かべて倒れまいと必死に首の筋力で二人を支えている。



「うは。二人分はキツイわね」


「だろうなぁ。そろそろ五分経つし、代わるか??」


「ん。宜しく――」



 ユウが降りると首の力を抜き、そのまま地面へと体をくっつけた。


 はぁっ、見た目以上に結構疲れるわね。



「あ、分かった。お主は脂肪の塊じゃから悲鳴を上げておるのじゃな?? そうじゃろ??」


「そんな訳ないでしょ。私軽いわよね――??」


「ご、五分経過したので一度降りて貰っても宜しいでしょうか」


「む。もうそんな時間か??」


「いやねぇ、年寄りは。物忘れが激しいんだから」


「貴様も儂と変わらぬじゃろう!!」



「ぐえぇぇぇぇ……」



 イスハとエルザードの衝撃で反っていた体が遂にへにゃりと折れ曲がってしまう。


 それで退くかと思いきや、痴話喧嘩は継続しアイツの腹筋を攻撃し続ける。


 しっかりしなさいよね。あんたが女々しいから二人が増長するのよ。



「マイ、準備出来たぞ――」


「あいよ。んしょ」



 ひょいとユウの腹の上に乗る。


 おぉ、意外と座り易いもんね。



「かっる。マイ、もう少し太ってもいいんじゃないか??」


「これでも体重は増えた方よ。あんたの筋肉が異常なの」


「辛辣ですなぁ」



「レイド!! 起きぬか!! 二本目じゃぞ!!」


「あんたが退かないから起き上がれないのよ。ね――??」


「一度降りて頂くと幸いです……」



 まぁ、あの二人に絡まれたら仕方が無いのかな??


 今も続く大魔同士の口喧嘩。それに逆らえばもっと恐ろしい逆襲が待ち構えている訳だし。


 詰まる所、あの二人に絡まれたら一巻の終わりって奴さ。




「えへへ。リューのお腹、バッキバキだねぇ」


「貴様!! 勝手に服を捲るな!!!!」



「あら、カエデ……。震えていますわよ??」


「欠伸をしているから揺れるの。もっと重くても大丈夫」




「くぁ――。はぁっ、平和な光景よねぇ……」



 欠伸の余韻から零れ落ちて来る温かい涙を拭い。


 他の椅子に比べて抜群の性能を誇る最高な椅子に腰掛け、呑気に足をプラプラと揺れ動かしながら和気藹々と訓練を続ける仲間達の光景を眺めていたのだった。




お疲れ様でした。


先程、現在連載中である長編の中盤辺りのプロット執筆を終えました。


皆様がお気に召すかどうか……。そこだけが大変心配であります。



いいねをして頂き有難う御座います!!


疲労が募る週の半ば、嬉しい励みとなりました!!



それでは皆様、お休みなさいませ。

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