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第八十二話 遅れてやって来た贈り物

皆様お疲れ様です。


休日の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。


それでは御覧下さい。




 終わりそうで終わらない夕刻の憂いの所為か、将又月と星々が手を取り合い素敵に踊り始めるようとする空模様の下の所為なのか。


 一日の終わりを感じ取った体が翌日に備えようと猛烈な眠気を生じさせて強制的に休ませようとしてしまう。


 今も意図しない欠伸が喉の奥から自然と零れてしまっていた。



 眠たいのは理解出来ましたからもう少し頑張って下さい。


 今日という一日の終わりを素敵に迎える為に上官への報告義務が残っているのですから。


 弛緩しきっている体の奥から止めどなく湧き起こる欠伸を必死に噛み殺しながら慣れ親しんだ扉の前に到着した。



「レイドです。只今帰還しました」



 屋根の上でうつらうつらと首を揺れ動かしていた鳥がふと目を開けてしまう声量で中に居るであろう人物へ入室の許可を問うと。



「ふぁいってよ――っしっ」



 何だか妙な声色が扉の向こうから帰って来た。


 今の声から察するに恐らく何の遠慮も無しに欠伸を放っている最中に俺が尋ねたのだろうさ。



「失礼します」



 いつも通りの所作で扉を開けて中に入ると。



「ふわぁぁああ――……。お――、お帰り――」



 レフ准尉が大蛇も呆れて物も言えない顎の角度で大きな欠伸を放っている場面と遭遇してしまった。


 ほら、やっぱりそうじゃないか。


 大分暗くなった室内には蝋燭の淡い明かりが揺らめき。つい先ほど夕食を済ませたのかクシャクシャに丸められた紙袋が机の上に置かれていた。


 空腹を満たした食後、まろやかな明かりが漂う室内。


 深い眠りへと誘う条件がこれだけ揃えば欠伸も出るのも必然でしょうね。寧ろ、よく起きていられたなと賛辞を送るべきかもしれない。



「大きな欠伸ですね。疲れているんですか??」



 崩れた姿勢で椅子に座る彼女へと問う。



「いんや?? 腹が膨れたから眠くなったんだよ。今日は一日ずぅっと暇だったからなぁ」



 暇そうで大変羨ましいですね、とは言えず。



「訓練生への講義、及び実技指導を終えて戻って参りました」



 上官であられる彼女へ部下らしい所作と覇気ある声で報告を告げてあげた。



「ご苦労さん。どうだった?? 久々の訓練所は??」


「懐かしさが湧くのと同時に、自分の未熟さを痛烈に思い知らされましたよ。教官達は凄いですよね。大勢の訓練生へ向かって毎日あれこれと指導を行っているのですから」



 あれが毎日続くと思うと彼等の苦労が身に染みて理解出来てしまう


 見る場所を変えるだけで考え方、及び考え方は変わるものだな。



「それがアイツらの仕事なんだよ。今回の報告書を渡すから待ってろ」



 き、来たぞ。


 俺のにっくき天敵が後ろの棚から引っ張り出され机の上に置かれた。



「…………あれ?? 意外と少ないですね」



 予想していた量よりも半分、いや。半分以上少ない量に目を丸くしてしまう。



「後輩達に行った指導内容を詳細に書く事と食事等の経費、その他諸々。日数も短かったしこんなもんだろう」


「有難く頂戴します」



 大切に報告書を受け取ると鞄の中へ閉じ込めてやった。




「次の任務の詳細は十日後に話す。今日は十二ノ月、十二日だからぁ……。十日後の二十二日の午前九時頃に来てくれ」


「あれ?? 次の任務までかなり間隔が空きますけど……」



 てっきり一日や二日で次の任務を拝命するかと思ったのですがね。



「以前も伝えたが、一年の間に絶対取らなきゃいけない休日ってのがあるんだよ。まっ、有事の際は四の五の言っていられんが幸いにも次の任務が下りて来るまで時間があるし、束の間に訪れた休息って奴さ」



「了解しました」


「後、それだけの量だ。明日の朝一番にまで仕上げて持って来い。そうすれば気兼ねなく休息を満喫できるだろ??」



 寝不足気味になるのは目に見えているが……。准尉が仰られた通り、仕事を残したまま休日を過ごすってのもね。


 十日、か。久々にゆっくり羽を休めそうだな。


 この際、師匠の所で少し稽古を付けて貰おうかな??


 帰ったらマイ達と相談してみよう。



「では、失礼します」



 さっさと報告書を片付けてしまおう。幸いまだ夜も早い時間だし。


 そう考え若干浮足立った様子で踵を返すが。



「おい。ちょっと待て」


 レフ准尉の声が俺の浮足を止めてしまった。


「何でしょうか」


「右肩の階級章、外せ」


「はい??」



 突然の発言に思わずすっけんとんな口調が出て来てしまう。



「自分、除隊なのですか??」



 考え得る内容は凡そそうだろう。


 階級章を外す。


 つまり、パルチザンの兵でいられなくなる訳だから……。




「違うよ。ほれ、新しい階級章だ」


 ポイっと。


 まるでしつこく餌を強請る飼い犬へ餌を放るが如く、輝かしい階級章をこちらに向かって放り投げて来た。


















「……………………。ご、ご、伍長!?」



 いやいやいやいや!!!! おかしいですって!!


 何で二階級も昇進してんだ!?


 何度も素早く瞬きを繰り返し、手の甲で激しく己の瞼を何度も拭いても目の前の事象は変わる事は無かった。



「今までの功績を考慮して特別に昇進させてくれるんだろう。ほら、受け取れ」


「おっと。えぇっと……。何々??」



 これまた放り投げられた質の良い紙で作られた便箋を受け取り。優しく封を破って手紙の内容を咀嚼し始めた。


 書いてある内容は大まかにこうだ。


 ルミナの街の解放、度重なる任務での素晴らしい戦果。それらの功績を讃え二階級の昇進を特別に認めると書いてあった。


 そして、手紙の最後には何度も見たお偉方の名が記してあった。



「何て書いてあったんだ??」


「どうぞ。御覧になって下さい」



 受け取った紙をそのまま渡してあげる。



「何々?? …………。ふぅん、レナード大佐ねぇ」


「大佐はまぁ直属ではありませんが……。軍部のお偉いさんですから頷けますけど。何故自分が二階級も昇進しているのか正直要領を得ないですね」



 准尉から返却された紙を丁寧に鞄の中へ仕舞いつつ話す。



「何か心当たりは無いのか??」


「心当たり、ですか」



 腕をムンっと組み、思い当たる節を探しに記憶の海へ勢い良く頭から飛び込んで行った。



「ほら、賄賂を贈った――とか。通りを歩いているお偉いさんの娘を魔の手から偶々救った――とか」


「お偉いさんが喜ばれる様な賄賂は自分の給料では贈れませんし、レナード大佐の子供……。は居るのかどうか知りませんが。軍部のお偉いさん達の血筋を救出した覚えもありません」


「相空わらずクソ真面目に返答して……。もっと捻った返答をしろ」


「あいたっ」



 椅子に座ったまま組んだ足で俺の脛辺りを蹴ってしまう。



「二等兵から伍長。下の階級の者が二階級昇進するのは然程珍しくない。只、何も理由が無くて昇進はしない。お前さんが……。いいや。どこぞの誰かがお前さんを昇進させようとしたからこうして新しい階級章が送られてきたんだろ」


「そのどこぞの誰かとは??」


「知らん。ある程度の権力を持った人物であるのは確かだろうさ」


「ある程度?? そんな人物が俺を態々昇進…………。あっ」



 ある程度の権力を持った人物。


 その単語がきっかけでとある出来事を思い出してしまった。



「何だ、思いついたのか??」



 そうだ。


 確か、メンフィスへの護衛の時……。



「以前の任務。イル教信者を護衛した任務がありましたよね??」


「あぁ。メンフィスの街までだろ??」


「はい、そうです。その任務を終え。レンクィストからこちらに帰還する時、シエル皇聖が何か贈物でもって言っていたような気がします」



 うん。別れ際に聞いたぞ。


 確実と言われれば疑問が残るが、そんな事を言っていた気がする。



「おいおい。その贈物が昇進って訳か??」


「恐らく……」


「んだよ。じゃあ私の昇進はそのついでみたいな感じなのか」



「は??」


「へへ――ん。どうよ??」



 右肩の階級章をこれ見よがしにこちらへと向けた。



「しょ、少尉ですか。昇進おめでとうございます」


「まぁ有難く貰っておくよ。これで給料も上がるし、准士官から士官へ昇進だもんねぇ――」



 ふふんと胸を張って話す。


 士官に昇進、ね。


 これで堂々と士官であると名乗って、いけしゃあしゃあと我が軍の本部で素敵な諜報活動を繰り広げる恐れが大幅に高まってしまった訳だ。


 何度も行って来た犯罪行為は今の所、世の明るみに出ていない。しかし、それがいつ白日の下に晒されるかも知れない……。


 彼女の昇進を素直に喜んでいいのか大変疑問が残ってしまいますよ……。



「少尉、つまり士官と位置付けられる階級なのですからこの際例の犯罪紛いの行為は控えるべきでは??」



 出る杭を打つじゃないけども。


 此処で誰かが此処で杭を打っておかないと更に重罪を犯してしまう可能性が高まってしまいますからね。



「は?? 嫌だよ。士官になれば入れる資料室も増えるし。この絶好の機会を逃して堪るものか」



 ほら――!! 絶対こうなると思ったんだよ!!



「駄目ですからね!? 機密文章に手を触れたら!!」


「貴様には私を止める権限は無い!! 私より階級が上になったら話を聞いてやっても良いんだがな」


「まだ訓練所を出て一年も経っていない自分には到底無理ですよ。そう言えば……。ビッグス教官は大尉でしたね。後二階級で追いつきますよ」



 少尉の次は中尉、そして大尉だからね。



「アイツの事はど――でもいいんだよ」


「辛辣な言い方ですね。同期なのですからもう少し気にかけてあげても宜しいのでは??」


「ふんっ。…………。アイツ、元気そうにしていたか??」



 おっ??


 妙に優しい口調だな。


 ビッグス教官とレフ少尉は同期だし、やはりそこは気になる存在なのだろう。



「えぇ。相変わらず元気に満ち溢れていました。それに、スレイン教官と何か良い感じでしたし」


「はぁっ?? そんな事聞いて無いんだけど??」



 柔和な顔から一転。


 屈強な兵士さえも尻すぼみさせてしまう瞳が俺を襲う。



「お相手はし、指導教官です。訓練所でビッグス教官と共に指導を務めている御方ですよ」


「あ――。弓の名手か。そいつがあの筋肉達磨と、どうかしたのか??」


「拙い自分の見解ですが、恐らくスレイン教官はビッグス教官の事を慕っていると思われますです。はい」



 お願いしますから睨むのを止めて下さい。



「あの野郎ぉ……。な――にが自分はモテない、だ。しっかり女作ろうとしてんじゃん」



 んっ!? まさかこの感じって……。


 レフ准尉……。じゃなくて。少尉もビッグス教官の事を気に掛けているのだろうか。



「今度伺ったらどうです?? そんなに気になるのなら」


「別に気にしていない!! おら、さっさと帰って報告書を仕上げろ!!」



 こりゃいかん。


 これ以上鬼は刺激しない方が賢明だな。


 机の上に無造作に置かれているナイフを何の遠慮も無しに俺へ向かって投擲しそうな勢いだ。



「明日までにちゃんと報告書を仕上げて戻って来いよ」


「了解です!! 失礼しました!!!!」



 一陣の風を纏って悪鬼から逃げ遂せた。



 ビッグス教官って意外とモテるんだな。


 豪快な性格が受けるのかしら??


 でも、時折頼りない一面が男らしくない感じを醸し出すし……。


 あっ。


 この相対的な態度がモテる要因なのか?? う――む……。俺は女性じゃないから分からん。


 人の恋慕をあれこれ想像するよりも今は報告書を仕上げる事を優先しよう。


 恋愛観を考察するのはずぅぅっと後回しだ。


 漆黒の夜空に浮かぶ星の瞬きをのんびりと眺め、大通りへと向かい自然な歩調で進んで行った。

































 ◇




 己の足元も薄っすらとしか見えない月明かりを頼りに生活感溢れる裏路地を宿へ向かって進む。



「ぎゃはは!! おめ――のかみさん。浮気してっぞ!!」


「はぁ!? てめぇ、ぶち殺されてぇのか!?」


「いいぞ――!! やれやれ!!」



 うむっ!! 本日の酔っ払い達も元気そうで何よりだ。


 俺の周りに漂う仄暗さとは対照的に陽気な声が酒場から零れて来る。


 今日一日の仕事を終えて自然と高揚してしまう気分が体の奥から湧いて来るのであろう。


 …………。いやいや。


 十中八九、酒の力だ。


 あの得も言われぬふわふわとした気持ち良さが彼等の感情を盛り上げている事に間違いは無い。



「おらぁ!! 避けんじゃねぇ!!」


「テメェがノロマなんだよ!!」



 ほら、酒の所為で判断能力が低下して喧嘩が始まっちゃったし。



 酔っ払い同士の喧嘩、それを宥めようと怒鳴り散らすイカツイ店員さんの声。数多多くの日常感溢れる声を耳で楽しんでいると。


 いつも御贔屓にさせて頂いている宿が淡く青い光の下に見えて来た。


 至る所に傷が目立つ宿の扉を開き。



「んぐぅ――……」



 営業時間内だってのに堂々と受付で居眠りしているおばちゃんの眠りを妨げない様に小さく一つ頭を下げ、埃の香が漂う左手の通路へと向かう。



 マイ達、起きているかな?? まだ早い時間帯だし、起きているとは思うけど……。


 寝ていたら起こさない様、静かに入ろう。


 床の軋む音に注意を払いながら部屋の前に到着、そして。



「ただいま――」



 蚊の羽音よりも矮小な声を出して入室を果たした。



「お帰り――!!!!」

「レイド様ぁ!!」


「のわっ!!」



 部屋に入って扉を閉めるとほぼ同時。陽気な狼と黒き甲殻を身に纏う蜘蛛に襲われ尻もちを着いてしまう。



「いてて……。もう少し、抑えた迎え方は出来ないの??」


「えへへ――。無理かな??」


「レイド様と約二日間もお会いしていなかったのですよ?? 私、寂しさで胸が張り裂けそうでしたわ」


「それふぁ大変ふぇすね」



 顔面にへばり付く蜘蛛のお腹を掴んで引き剥そうとするのですが……。



「かった!! ちょっと、ふぁおい!! 顔面の皮が剥がれちゃう!!」


「んふっ。今日のアオイはちょっと我儘ですのっ」



 節足の先に備わる鋭く尖った先端を顔の皮にグイグイと食い込ませて中々離れようとしなかった。



「あはぁん。レイド様の吐息がお腹にっ……」


「アオイちゃんってちょっとアレだよね?? 偶に気色悪い声出すよね??」


「御黙りなさい!! その惚けた口、塞いで差し上げますわ!!」


「糸は嫌っ!!!!」



 俺の顔から漸く離れてくれると、二本の節足をクワっと上げて蜘蛛流の憤りを表し。颯爽と去っていく狼さんを追いかけ始めてしまった。



「ふぅ。やっと落ち着けるよ」



 この隙を見逃さず己のベッドへと移動。少々乱雑に腰かけて大きく息を吐いた。



「お帰り――。どうだった?? 向こうは??」


「ん?? まぁぼちぼちってとこかな??」


「アハハ!! レイドらしいな」



 後ろのベッドで楽な姿勢で休むユウに言ってやった。



「講義は如何でした??」


「カエデのお陰で無事乗り越える事が出来ました。ありがとうね、手伝って貰って」


「いえ。当然の事をしたまでです」



 壁に背中を預け、器用に足を折り曲げたいつもの姿勢で本を捲りながらカエデが話す。



「さてと、報告書を片付けましょうかね。――――ってか。マイ、それ一人で全部食うのか??」



 ベッドから立ち上がり、机へと移動している途中に目を疑う光景が視界に飛び込んで来たのでついつい突っ込んでしまった。


 マイのベッドの上に無数に置かれた紙袋の山。


 一体あれだけで何人前あるのだろう。



「昼と夜を兼任しているのふぉ。このふぁん、さいほうよ??」



 今も足をだらしなく放り出し、深紅の甲殻を身に纏う龍の姿でムシャラムシャラと平らげている。


 大量のパンを気が済むまで胃袋に収めている姿を見ていると何だか胸焼けがしそうだ。



「主。大変だっただろう??」



 翡翠の瞳を宿した灰色の狼がこれぞお座りのお手本だと言わんばかりにキチンと座って此方を見上げる。



「ん――。そこまで、って感じかな?? ほら、普段の任務とはまるで別物だからさ。気苦労って奴の方が大変だったよ」



 机の前の椅子に座り、彼女のフワフワの頭を撫でながら話してやった。



「そうか。主の力が認められたから今回の任が降下りてきたのだろう」



 気持ち良さそうに目を瞑って話す。


 相変わらず良い毛並みなだなぁ。ずっと撫でていても飽きないよ。



「分相応。人に物を教えるのは苦手だよ。俺以外の人の方がきっと似合っているって」


「そ――そ――。あんたじゃ頼りなさ過ぎて、教えられている人が可哀想ってもんよ」


「喧しい。さてと、報告書を仕上げるとしますかね」



 マイの揶揄いに苦言を吐き、リューヴからすっと手を放して報告書を机の上に置く。


 量が少ないとは言え、全て仕上げるのには今日の夜中まで掛かりそうですね。



「ボケナス――。受け取れや」


「パンを投げるな。だが、有難く頂戴しよう」


「苦しゅうない。私からの餞別だ、ありがたぁく口にしろ」



 毎度毎度思うのですが貴女は一体何様です?? そしてパン一つで大袈裟だって。


 美しい放物線を描いて此方に到着したクルミパンを左手で受け取り、仕事前の軽い腹ごしらえを済ませた。



「むっ。ココナッツのパンか」


「そうよ。あんたも舌で分かるようになってきたじゃない」


「ここのパンのクルミの風味は他より良いからな」



 鼻から抜ける風味が疲れのしこりを溶かしてくれるんだよなぁ。


 出来る事なら、忙しい任務中にも食べたい一品だ。



「ふぇいど!! これふぉって!!」



 机の上に道具一式を並べ作業に取り掛かろうとすると、一頭の狼が俺の太ももをたふたふと叩く。


 見れば頑丈な糸で口を雁字搦めにされ、金色の瞳が涙で濡れているではありませんか。



「おいおい。今日は一段と強烈だな」


「これ位しませんと彼女のお惚けは治りませんから」



 いつの間にか右肩に乗るアオイが話す。



「ふぃどいよ!! こふぇ、けっふぉうくるふぃいんだからふぇ!!」


「だとさ?? アオイ、解いてやりなさい」


「レイド様がそう仰るのなら……」



 蜘蛛の複眼が一瞬妖しく光ると、ルーの口元の糸がはらりと地面に解け落ちた。



「はぁ――。苦しかった」


「これに懲りて、二度と私に逆らわぬように」


「別に逆らっている訳じゃないもん。ユウちゃん、遊ぼ――!!」



 普段と変わらぬ雰囲気に思わず気が抜けてしまうな。


 この明るく喧しい空気の中に身を置くと、やっと自分が居るべき場所に帰って来たって気がするよ。




「あら?? レイド様。肩の階級章はどちらへ??」


「気付いた?? 何か、昇進しちゃってさ。二等兵から伍長にね」



 特別自慢する訳でも無く胸のポケットから階級章を取り出してアオイに見せ終えると、報告書の一枚目を手に取った。



「まぁ!! それはおめでとうございます!! 愚かな人間共もレイド様の実力を漸く認めたようですわね!!」


「いやいや。大袈裟だって。別に偉くなりたいからって入隊した訳じゃないし」


「ふふ。そう謙遜なさらずとも宜しいのですわよ??」



 謙遜ねぇ。


 俺なんかより、もっと頑張っている人がいるだろうし。その人を昇進させれば良かったのに。



「昇進したら何か変わるの??」


 マイが自分の体の大きさと然程変わらぬ大きさのパンに噛り付きながら話す。


「特別変わる事は無いよ。伍長は分隊長を兼ねる事が出来るけど、生憎俺が所属する隊は二名。部下もいないし……。あ、給料は少し上がるくらいかな??」



 お偉いさん方から見れば雀の涙程の上昇だけどね。



「へぇ!! じゃあもっと食べて良いって事!?」


「あのなぁ。今もそれだけ食べているんだ。お前の食費に給料を回していたらあっという間に破産だって」



「ちっ。それじゃあ変わらないじゃない」



 だからそう言ったじゃないですかっと。


 むっ、しまった。早速文字を間違えてしまったぞ。


 話しながらだとどうも集中出来ん。



「レイド様が得た貴重な財産を食い潰す。正に寄生虫のようですわね」


「あ?? 何か言ったか??」


「べっつに?? 気のせいではありませんかぁ??」



 止めなさいよ。


 もう遅い時間なんだし。


 それに、喧嘩の仲裁に入る程の体力も残っていないので出来れば静かにして頂けると幸いです。



「主、次の任務とやらはいつからだ??」



 リューヴが机の端に前足を掛け、凛々しい狼の顔を覗かせて話す。



「あっ。ついでだから言っておくよ。次の任務の説明は十日後。丁度時間も空いたし、師匠の所へ一度挨拶に行ってもいいかな?? ほら、俺が先の任務で留守の間カエデがお世話になったって言っていたから」



 報告書を書く手を止め、机の前からくるりと皆の方へ体を向けて話した。



「私は別に構わないわよ?? 向こうで卵掛け御飯食べたいからね」


「あたしも――。ってかルー。おっぱい踏んでるって」


「良いよ――!! あ、ごめんね?? ユウちゃん」



「私も構いません」


「主の意見だ。従おう」


「当然、レイド様に付いて行きますわ!!」



 全会一致っと。



「じゃあ、明日の朝に出発しよう。手土産を買ってだから……。午前十時にいつもの西門を出た先にあるなだらかな丘の麓に集合で。カエデ、申し訳ないけど力を貸してくれるか??」



「うん。大丈夫」


 本から視線を外し、こちらを正面に捉えて了承してくれた。


「ありがとう。じゃあそういう事だから」



 よし、連絡事項は伝えた。後はこいつを明日の朝までに片付けよう。


 俺の天敵と正面でガッツリと組んで格闘を再開させた。



「ユウちゃんの胸って凄いよね――。どこまでも沈んでいくよ」


「おい。爪、立てるな。服が破れる」



「レイド様ぁ。お手伝いする事ありますかぁ??」


「アオイ。主が迷惑をしている。肩から降りろ」


「そうそう。気色悪い蜘蛛は迷惑って言葉知らないの??」


「あなたの薄い胸の方が世の男性にとって迷惑ですわよ??」


「こ、この野郎!! その沢山ある目玉、全部一つずつ丁寧にプチプチと潰されてぇのか!? ああんっ!?!?」



 はぁ…………。いつもの明るい雰囲気は好ましいのだけど。


 正直、五月蠅過ぎるのはどうかと思う。


 両耳から入って来る情報量の多さに困惑しないで作業を続けるのはかなりの重労働なのですから。


 いっその事耳の穴に何か詰めたら作業が捗るのではないだろうか??


 だが、そうすると咄嗟の危機に反応出来ないので結局のところ。この状態が好ましいんですよね……。


 日常生活の中で突如として襲い来る死の危険を察知しなければいけない程の暴れ具合もどうかと思います。



「ほれほれ――。ユウちゃん、ぐにぐにしてやる!!」

「あはは!! やめろって!!」



「おらぁ!! 逃げんなや!!」

「貴女が遅いのでは??」



 この世の生命を生み出した神に等しき力を持つ九祖の末裔共が狭い部屋を跋扈する中。



「ふぅ――……」



 九祖が一人、海竜の血を引く一人の女性が大きな溜息を吐いた。


 これは彼女なりの警告の一種。


 段階を踏まえてそれは徐々に明らかになるのだが、それに気付く事が出来なければ当然彼女の怒りを買う訳である。



「ほれ。抜いてみ――??」

「はわわ!! あ、足が抜けないっ!!」



「いでっ!!」


「マイ!! アオイ!! 主を踏む台にするな!!」



 海竜が読んでいた本をそっと閉じ、静かにそして厳かに正面に瞳を向ける。


 彼女が第二段階の警告体勢に入った証拠だ。



「はぁ……。やっと抜け……。びゃっ!!!!」


「どうした?? ルー?? …………。おわっ!! カ、カエデ。あたし達は静かにするからあっちを頼む」



 雷狼とミノタウロスが彼女の異変に気付き姿勢を正して、彼女の得も言われぬ表情を見て慄く。


 この部屋の中で誰よりも先に異変に気付いたのが幸いであろう。



「捉えた!!」


「何を??」


「痛いって!! 頭を踏むな!!」


「マイ!! アオイ!! いい加減にしろ!!」



 何度も静かなる警告を続けていたが……。



「……っ」



 海竜の堪忍袋の緒が切れた刹那。


 部屋の中で暴れ回る彼女達の足元或いは頭上に眩い魔法陣が浮かぶと、漸く己の置かれた窮地を理解してしまった。


 運が悪いと言うか、必然と呼ぶべきか。


 魔法陣から放たれる光を受けると各々が固唾を飲み、静かに海竜を見つめた。



「カ、カエデちゃん?? あの――。私達にも魔法陣が浮かんでいますよ――??」


「カエデ!! 何よ、これ!!」


「いいですか、皆さん。彼は報告書を作成中なのです。普段通り過ごすのは構いませんが……。度を超えた行いは見過ごせませんね……」



 海竜はあろうことか継承召喚を唱え。手元に樫で出来た武器を携えて彼女達に己が本気である事をまざまざと見せつけていた。


 継承召喚を携えた状態から放たれる魔力は論を俟たない。


 堅牢な地は裂け、大空を穿ち、燃え上がる魂さえも凍てつかせる。


 それを理解している者共は狼狽え、そして恐ろしい威力が己が身に降りかかると想像したのか。額から大粒の汗がハラリと数滴零れ落ちて行く。




「お、おい。あたし達は静かにしているぞ??」


「そ、そ――そ――!! 関係無いじゃん!!」



「連帯責任と言う言葉は知りませんか??」


「り、り――……。屁理屈だよ!!」



「丁度良い機会です。皆さんには大魔の血を引く者の心得を説いてあげますよ。勿論、逃げたりしたら即刻魔力を解放して黒焦げです。後、ルー。それを言うならば理不尽ですよ」



 普段の冷静沈着な彼女から想像出来ない歪で黒い笑みが零れると部屋の空気が刹那に氷付く。



「さっ、皆さん。横一列に並んで下さいっ」


「「「……」」」



 恐ろしい笑みを漏らす彼女の前で横一列に並び静かに足を折り畳んで座る大魔の女性陣。


 その前で意気揚々と魔物、いや。


 大魔であるが故の心得を得意気に説く海竜の美しい女性。


 その様子を見て安心した一人の男は欠伸を噛み殺して、親の仇でも見るような目付きで紙を見下ろして黙々と作業を続けていた。



「……」



 美味い小麦の香りに誘われ、床下からお邪魔しようと画策していた一匹の鼠が藍色の美しい髪の女性の表情を捉えると。



「っ!?!?」



 即刻踵を返して暗い床下を物凄い勢いで駆けて行ってしまった。



 野鼠が尻尾を巻いて逃亡した理由。


 それは藍色の髪の女性が放つ殺気によって己が絶命してしまうと錯覚したから。


 その威力は正に天からの雷撃にも勝るとも劣らないであろう。


 安易にこの宿へは近付くな、仲間にそう伝えるべき。


 矮小でちっぽけな動物に強い恐怖感と責任感を抱かせる程の憤怒。月が眠気眼で大欠伸を放つ時間までそれは宿の部屋から外へ零れ続けていたのであった。




お疲れ様でした。


彼の昇進についてですが。彼が考えた通り、彼女の計らいがあって晴れて昇進する事が出来ました。昇進したからといって現時点で特に何かが変わる訳ではありませんが、後々昇進した事によって厄介な事に巻き込まれてしまいます。その御話は本当に先の話なので今は特に気にしないで下さいね。


次の御話からは新しい話へと突入します。彼等を待ち構えている冒険を是非とも堪能して頂ければ幸いです。



本日は日曜日!! 先の後書きに記載した通り、映画鑑賞を満喫してきます!!


興奮し過ぎて眠れるかどうか……。遠足の前日の高揚感にも似た感情を胸に抱いて眠る事に専念しますね。



そして、ブックマークをして頂き有難う御座いました!!


新しく始まる長編の執筆活動の嬉しい励みとなります!!!!



それでは皆様、よい休日をお過ごし下さいね。


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