第七十八話 何事にも一生懸命な雛鳥 その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。長文になっておりますので予めご了承下さい。
爽快に晴れ渡った空の下。
熱き思いが籠った訓練生の拳が素早く繰り出されると、もう一人の訓練生がそれを巧みに躱して次の動作へと移る。
一連の流れと筋力の躍動。
飛び散る汗と燃え上がる気合が彼等の熱気を更に加速させて神聖なる訓練場に相応しい声が方々で上がっていた。
「でやぁっ!!」
「たぁっ!!」
うんうん。皆頑張っているじゃないか。
俺もこの熱気に当てられたのか、知らず内に体の奥底から熱意が湧き上がって来る。
今の正拳突きは……。
左手で捌いて、相手の防御が完成する前に……。
っと、違う違う。
俺が戦ってどうするんだ。
今は指導教官として指南をしなきゃいけないんだぞ??
己にそう言い聞かせて素晴らしい熱の交換がされている合間を縫い歩いていると。
「レイド先輩!! ちょっと見て貰っていいですかぁ??」
「あぁ。構わないよ」
ミュントさんの声が俺の歩みを止めた。
濃い金の髪を後ろに纏め、端整な顔に伝う汗が組手の疲労度を現している。
「シフォム、準備はいい??」
「ん――。どうぞ――」
数歩距離を取り、互いに戦闘態勢を整える。
両手を顎下まで上げて正面で構えて目付き鋭く相手の体を捉えた。
ふむ……。隙の無い構え、兵士足る者が纏う雰囲気、それに相手を威圧する気迫。
一回生で此処までの圧を纏うのか。
ビッグス教官達の組が辛酸を嘗めるのも頷けるな。
「はぁっ!!」
シフォムさんに向かって一歩鋭く右足を踏み込み、大雑把な勢いで右の拳を彼女の顎へ放つ。
「……。愚直」
彼女はミュントさんが踏み込んだ分だけきっちり後退して拳が届かないギリギリの距離に体を置く。
幾度と無く拳を交わして相手の間合いと腕の長さを完璧に理解していなきゃ出来ない芸当だな。
シフォムさんは相手の行動を見切るのが得意なのかもしれない。
「このっ!! いつも避けてばっかりじゃん!!」
躱された拳の先へ苦い顔を向ける。
「当たったら痛いじゃん」
ごもっともで。
「レイドせんぱぁい。私の拳ってそんなに避け易いんですかねぇ??」
妙に甘えた声なのは気のせいだろうか。
「いや。悪くはないよ?? でも、ちょっと隙が多いかな」
「隙。ですか??」
可愛らしく首を傾げて問う。
「うん。右を放つ時に少し体を開き過ぎているんだ。体を開くと相手からも攻められるし、反撃も食らい易い。しっかり相手を見定め、最短距離を走らせる様に放つんだ」
右手をぎゅっと握り締め、その場で素早く正拳を繰り出してやった。
「こう…………ですか??」
俺の型に倣い、彼女もその場で拳を繰り出す。
「ん――。もうちょっと脇を引き締めて」
ミュントさんの正面に回り、脇が甘い左腕を抑えてやる。
「こう??」
「うん、良い感じ。そのまま、標的の向こう側を打ち抜く感じで振り抜くんだ。俺に向かって打ってみて」
拳が届かない距離に身を置いて話す。
「んっ!!!!」
おぉ!! 飲み込みが早いな。
彼女の拳圧によって風を切る音が微かに鼓膜を刺激した。
「そう!! 後は今打った感じを忘れない様、毎日反復する事。いいね??」
「はぁい!! ありがとうございますっ!!」
ぴょこんと頭を下げて話す。
「レイド先輩――。私には助言は無いんですか??」
少しだけむっとした感じでシフォムさんがこちらを見つめる。
「シフォムさんは相手の行動を見切る事に長けているね。さっきの組手、ミュントさんの間合いを把握していなきゃ出来ない回避行動は素直に素晴らしいと思ったよ」
「ふふん。ミュント、私褒められたよ??」
「ずっるい!! レイド先輩!! 私も褒めて!!」
先程丁寧に褒めましたが??
「只……。それだけの眼を持っているのに、さっきの行動は勿体なかったな」
「「勿体ない??」」
二人同時に声を上げてこちらを見る。
大変仲が宜しくて結構で御座います。
「ミュントさんが攻め込んでくるのを予想出来たのなら、回避するよりも敢えて相手の前に出るんだ。相手の攻撃を利用して、こちらの攻撃を倍にして返す事が出来れば勝負は一瞬で片付くからね」
「「????」」
要領を得ない。
そんな表情で二人は首を傾げてしまう。
「実際に見せた方が早いかな?? シフォムさん。俺に向かって踏み込んで右を打って」
「了解で――す」
さてと。
相手は訓練生、怪我をさせないようにしないとな。
シフォムさんが構えを取るので俺も型を取った。
顎下まで左手を上げ右手は同位置。相手の攻撃に咄嗟に対応出来る様に体を斜に構え、心は静かな水面……。
ふぅ――……。
いいぞ、上手く集中出来ている。
「…………」
俺が型を取った刹那。
あからさまにシフォムさんの顔が曇った。
実力を見切ったのか、それとも空気で察したのか。
いずれにせよ、相手の構え一つで警戒心を高める事が出来るのは此処でしっかりと鍛えている証拠だ。
「行きます!!」
言葉を放つと同時に、風を纏いシフォムさんの拳がこちらへ向かいやって来る。
俺の助言通り最短距離を走るお手本の様な右。
良い拳だけど……。
生憎いつも対峙している連中とは速さがまるで違う。
欠伸を放って眠たい目を擦り、新聞を片手で取って広告欄でものんびりと読みながら空いた手の指先で摘まめそうだなぁ……。
襲い掛かる相手の拳を左手の甲で弾き、彼女の懐に鋭く足を置く。
そして、右の拳を眼前で止めてやった。
「わっ……」
「こんな感じで相手の防御が完成する前に拳を叩き込んでやれ。相手は攻撃する事に集中しているし、こちらの攻撃には無警戒。予想外の攻撃は効果覿面だぞ」
すっと拳を降ろし、シフォムさんから数歩離れて話した。
「成程。勉強になります」
うんうんとシフォムさんが頷く。
「はいは――い!! 次は私が打ちま――す!!」
「いいよ。打つからにはしっかり気を籠めてね??」
陽気な声の主に説いてやった。
ミュントさんはどうも明るい気が強い。
戦場では生死を別つ戦いが繰り広げられ、その戦で渦巻く殺気と胃袋が裏返る程の圧迫感に気圧されない様に訓練を続ける。日々の訓練に集中して臨み、勇気ある心と武を持って頂きたいものです。
「分かってますって――。…………」
俺がそう説こうとする前にミュントさんの表情が険しくなる。
やはりそこは訓練生でもありながらパルチザンの兵。
メリハリはちゃんと己の中で完遂させているようだな。
「遠慮するなよ?? 親の仇を討つつもりで放て」
「親の仇?? 私の両親は健在ですけど??」
目をパチクリして話す。
「そういう気持ちで打つの」
「あぁ、はいはい」
本当に大丈夫かしらね??
しかし、俺の思いは杞憂で済みそうだ。
「すぅ――……。ふぅっ」
彼女が深い息を吐き出すと鋭い猛禽類の瞳が俺を捉えた。
おっ。良い圧だ。
相手が素人ならこの威圧だけでも慄きそうだぞ。
「行きます!!!!」
「来い!!」
俺が構えると同時に圧の塊が押し寄せて来る。
良い踏み込みだ。
一陣の風となり、俺の体へ向かって……。向かって?? 向かって来ると言うよりも!!
通り抜けて行こうとするじゃありませんか!?
距離感を大分間違えたのか、ミュントさんの体が俺の体に向かい何の遠慮も無く突進してくる。
「わわっ!!!!」
「いでっ!!」
避けても構わなかったのだが……。訓練中に転倒させて怪我をさせるのは指導教官として失格だ。
襲い掛かる衝撃を予想し、相手に怪我をさせないように己の体へとぶつけてやった。
「いたたた……。すいませ――ん。勢い、付け過ぎちゃいましたぁ」
俺の体の上で腕を擦って話す。
「あ、あぁ。構わないよ。それより、怪我していない??」
「え?? あ、はい。大丈夫……かな??」
体を器用に捻り、あちこちを見つめて言った。
無事で何よりだ。
「勢いが先行するのは悪くないとは思うけど。相手との距離を測り間違えないように。いいね??」
「はぁ――い」
上空で浮かぶ太陽も呆れてしまう明るい笑みで俺を見下ろす。
「…………あの」
「はい?? 何です??」
「そろそろ退いてくれるかな??」
決して動かず機を窺っていたが、彼女から退く気配がちっとも伝わってこない。
それに……。
腹部に当たる女性特有の柔らかさがどうもいけない。
ここは神聖なる場所。
如何わしい気持ちは持つべきじゃないっていうのに。
「どうしてです??」
「いやいや。どうしてって……。このままじゃ訓練にならないでしょ??」
あっけらかんと話す彼女へ言ってやった。
「いやぁ。私的にはもう少し……このままでいいかなぁって」
「ちょ、ちょっとぉ!!!!」
えへへと笑みを浮かべながら体を密着させて俺の背に腕を回す。
互いの服越しにでも感じる大変御立派な高さの双丘に嫌な汗を掻いてしまう。
「逃がさないですよ――」
「や、止めなさい!! 人前ですよ!!」
さ、最近の子はこうもあけすけなのか!? 人前で良くやるよ!!
皆の手前。
そして指導教官として赴いているのにこの行動は明らかに不味い。
どうにかして彼女を引き離そうとするが、下手に動いたら触れてはいけない場所に手が当たってしまうかもしれないし……。
どうしたのものか……。
地面で懸命に這う芋虫の動きを模倣して何んとか横着なお肉を退かそうと躍起になっていると。
「のわっ!!」
「キャッ!!」
突如として体全身に稲妻が駆け抜けて行き体中の肌が泡立った。
な、何だ??
今の殺気は……。
一瞬で立ち上がり、周囲を見渡すが。
視線に映るのは俺達の行動を見て笑みを浮かべる訓練生と、やれやれといった感じの教官の方々のみ。
殺意を放つ恐ろしい存在は見受けられない。
「もう――。乱暴にしないで下さいよぉ」
「へ?? あ、あぁ。ごめん」
痛そうに臀部を擦るミュントさんに手を差し伸べる。
「どうしたんですか?? 急に動いたりして」
「ミュントが変な匂いを放ってたんじゃないの??」
シフォムさんが軽快な声を上げて揶揄う。
「はぁ!? そんな訳ないでしょ!! そうですよね!! レイド先輩!!」
「変な匂いはしなかったよ。女性らしい甘い匂いだったかな??」
数秒前の状況を思い出して話した。
弱火で温めた鉄の鍋にザラメを入れて、決して焦がさない様にゆっくりと溶かしていくとちょっとだけ粘度を保った空気が鼻腔を優しく擽る。
温かい鉄の鍋からフワリと漂い体のシコリを溶かしてしまう素敵な甘い砂糖の香、とでも言えばいいのか。
嫌いじゃ無い匂いだったのは確かだ。
「あ、甘いって……」
俺の言葉を受けて顔から首まで一瞬で真っ赤に染まる。
「い、いや!! 決して他意があった訳じゃなくて!! 申し訳ない!!」
何を言っているんだ、俺は!!
相手は女性、しかも訓練生なんだぞ。
己の発言を猛省して確と頭を下げた。
「ま、まぁいいですよ。…………そっか。私の匂い、嫌いじゃ無いんだ」
最後の方は上手く聞き取れなかったが、どうやらお許しの許可を頂けたようだ。
ほっと一安心して胸を撫で下ろす。
「じゃ、じゃあ今度は俺が拳を出すからミュントさんが受けに回って」
慌てて取り繕い、組手を再開させる。
妙な空気をさっさと払拭したいし……。
「いいですよ。しっかり一本取っちゃいますからね!!」
「その意気だ」
どの位の速さで打てばいいのだろう……。
取り敢えず、これくらいかな??
「行くぞ!!」
「え?? キャッ!!」
しまった!! これじゃ速過ぎか。
どうも相手の技量に合わせて打つのは慣れないなぁ……。
そうやって考えると師匠は凄いよな。
俺の動きに合わせて拳を突き出し、しかも死なない程度に手加減もして下さる。
俺はまだその領域には達していないようだ。
こちらの拳を見て丸くしているミュントさんを見てそう感じてしまった。
「あ、ごめん。もうちょっと遅くした方がいいね??」
右の拳を下げて話す。
「そうですよぉ。か弱い女性なんですからね」
「じゃあ、改めて。行くよ!!」
これ、位かな??
大幅に脚力を抑え、且拳を突き出す速さを制御した。
「はっ!!!!」
良かった。
ちゃんと見切ってくれたな。
俺の拳を跳ね除け、鋭い踏み込みで距離を潰して突き出した拳を俺の顎先で止めてくれた。
「出来ました!!」
「うん!! 今のは良かったぞ。相手の行動を読む力を鍛え、鍛錬に励んでね」
陽気な笑みを浮かべるミュントさんに話してやった。
これで多少は自信を付けたでしょう。
「分かりました!! シフォム、続きやるよ!!」
「は――い」
難しいものだな……。
『普通』 の人間に合わせるのって。
マイ達も俺に合わせて力を制御しているのかな??
まぁ、彼女達の全力をこの体で受け止めたら四肢がズバンと弾け飛ぶだろうし。ある程度の手加減はやむを得ないって感じなのだろう。
大魔達の全力を受け止められる様に俺も鍛錬に励まないとなぁ。
それには途方も無い時間を有するかもしれないけどさ。
「レイド先輩。宜しいでしょうか??」
はいはい。皆さんの小間使いは此方で御座いますよ――っと。
物思いに耽っていると、レンカさんがこちらに声を掛けて来てくれた。
「うん、大丈夫だよ」
「実技指導を仰ぎたいと思います。宜しければ見て頂けませんか??」
アッシュと対峙していたのか。
見れば少し先に鋭い目付きをした彼が此方を睨みつけている。
あの……。
出来ればそんなに睨んで欲しくないんだけどな。
まぁ、新参者があれこれ言って鬱陶しいとは思いますけども。
「構わないよ。じゃあ、二人の組手を見せて貰えるかな??」
「はい!! アッシュ、行くよ」
「はいはい」
彼が嫌々構えを取り、レンカさんと対峙する。
もう少しやる気を見せなさいよ、やる気を。
しかし、組手が始まると彼の顔は真剣そのものに変わった。
「はっ!!!!」
レンカさんが左の拳を突き出して素早く相手の間合いへと踏み込む。
随分と素早い動きだな……。
俺が一回生の時はこんな素早く移動出来なかったし。羨ましい限りです。
「ちっ!!」
アッシュ君がレンカさんの素早く的確に急所を攻める鋭い蹴りを左腕で受けて体勢を崩す。
おぉ、良い蹴りだな。
しっかりと左足に重心を残し、相手の体へと的確に攻撃を与える。
真面に食らったら腕の骨も綺麗に折れてしまう。
武に通じる者なら誰しもがお手本にしたくなる軌道と重撃だ。
「くらえやぁぁああ!!」
「っ!!」
当然。
大技の後には隙が生じる。
彼はレンカさんの足が元の位置へ戻ると同時に彼女へ一気呵成に拳の雨を浴びせた。
両の手、そして巧みな体捌きで躱すが……。
「くっ!!!!」
顎先にアッシュ君の右拳が掠めて頭が揺らされてしまう。
「貰ったぁ!!!!」
「あぐっ!!」
返す左の拳が彼女の腹の真芯を捉え、レンカさんが堪らず踏鞴を踏む。
一本、かな。
「はっは――!! どうよ!? 俺の一撃!!」
「うぐっ……」
「一本、そこまで。二人共、素晴らしい動きだね」
両者の間に割って入り、素直な意見を述べた。
「当然だろ、俺は一回生の中で一番強いんだからな。レイド先輩。あんたもぶちのめしてやろうか??」
「はは。その前に技術指導を幾つか言っておこうか」
闘志を剥き出しにして此方を挑発する彼の視線をスルリと躱して言った。
「先ず、レンカさん。初っ端の左拳と鋭い踏み込みは正直目を見張る物があった。けれど、その後が少し大胆過ぎたかな?? あそこは大技に頼るんじゃなくて、もっと相手の行動を深く読み取り、相手の隙を伺うんだ。レンカさんとアッシュ君の体格差は目に見えている。力で劣る者の一手として、大技に頼るのも悪くないけどね」
「そ、そうですか。いけると思ったのですが……。参考にさせて頂きます」
腹を抑える手を放して此方に確と向いて話してくれる。
うはぁ。痛そう……。
「レイド先輩。俺には文句ねぇよな??」
「文句、と言うより助言は沢山あるよ?? レンカさんの上段蹴りを受け止めるんじゃなくて上半身を反らして躱すべきだったね。今回は偶々防げたかもしれないけど、レンカさんが厳しい鍛錬に励み腕をもへし折る脚力を手に入れたのならそれは叶わない。相手を見下ろすんじゃなくて、同じ目線に立って思考を繰り広げるんだ」
洞察力、とでもいうのかな。
彼はそれを疎かにしているのが目に見えている。
今はそれで通じるかもしれないけど、いつか己より強い猛者と出会った時。見る事が武器になる事を知って貰いたいんだよね。
「あぁ?? 俺が弱いっていうのか??」
「違う。君は強い。けれど、相手の体だけじゃなくて。心までも読む洞察力を鍛えて欲しいんだ」
「はっ。何でそんなもんが必要なんだよ。強打で相手をぶちのめせばいいじゃねぇか」
「その強打で倒れない人が出て来たらどうするんだ??」
「そんな奴はいないね。現に、一回生の中で一二を争うレンカでも俺の一撃を食らって踏鞴を踏むんだぜ?? 必要なのはあんたが言う洞察力じゃなくて。敵をブチのめす揺ぎ無い力だよ」
まぁ、それも一理あると思うけどなぁ。
さて、どうしたもんか……。
「丁度いいや。レイド先輩。俺と組手しようぜ」
「いやいや。俺は指導の立場だから」
斜に構える彼を両手で宥めて話す。
「ははぁん?? さっきの一撃を見てビビったのか??」
いや、そうじゃなくて。
君に怪我をさせたくないんだよ。
相手は訓練生。
講義もあるし、訓練だって山程残っている。
この訓練で負傷させて仲間達に後れをとる事は流石に憚れるし。
彼の対応に悪戦苦闘していると、少し離れた所でこちらの様子を窺っていたスレイン教官と目が合った。
「……」
彼女はウンウンと頷き、俺とアッシュ君の組手を促している。
いやいやいやいや。
駄目ですって。
「なぁ、やろうぜ。安心しろって。手加減してやるから」
「……っ!!」
その言葉を受けたスレイン教官の顔が更に険しく変化。あの顔は……。そうだな。
獰猛な野獣さえも尻窄んで情けなくキャンキャンと泣きながら尻尾を巻いて逃亡してしまう凶悪な表情とでも呼べばいいのか。
俺を睨んでも駄目ですからね??
「いや、だから。怪我をさせたくないの」
「あ?? 俺が負けるとでも言いたいのか??」
全く、本当に困った子だな。
横っ面を叩くべきか。それとも説き伏せるべきか……。
右往左往する俺の判断を彼女に委ねようとしてスレイン教官を見ると。
「……っ」
彼女は右手の親指をピンっと真っ直ぐ立て、そしてそれをゆぅぅっくりと地面へ下げてしまった。
はぁぁぁ。
分かりましたよ。
やればいいんですよね?? やれば!!
「分かった。じゃあ付き合うよ」
「そうこなくっちゃ!! 気持ち良く殴り合おうぜ!!」
気持ち良くねぇ……。
こっちの心労も理解してくれよ。
「じゃあ、宜しく」
「泣きべそかくなよ??」
アッシュ君に一礼をして型を取って構える。
さっきの攻撃から察するに。
彼の間合いはこれくらいかな??
アッシュ君を中心に円を描き、彼との凡その間合いを測った。
「じゃあ、行くぜ!!」
「来い!!」
声を上げると同時に鋭い力の塊が襲い掛かって来る。
愚直に向かい来る左の拳を跳ね除け、後方へと下がった。
威力、速さは申し分ない。
あくまでも『人間』 としての話ですがね。
「へぇ!! 今のを躱すのかよ」
「まぁね。ほら、どうした。もっと打って来い」
「言われなくても、そうするさ!!!!」
上下左右から拳の豪雨が降り注ぐ。
それを一つずつ丁寧に躱し、弾き、往なす。
う――む…………。分かり易い軌道だなぁ。
愚直というか、馬鹿正直というか。
もっと工夫を凝らして打てばいいのに。
「くっ!! 避けんな!!」
「それを教えるのが俺の仕事だからね。ほら、こっちだぞ」
彼の右の拳が放たれると同時に体を入れ替えて彼の背後へと移動。
「くそがぁ!!」
こちらを振り向かずに、体を回転させ裏拳を俺の頬に捻じ込もうとするが。
「丸分かりだぞ」
余裕を持って攻撃を回避。
「感情に任せて行動するんじゃなくて、相手の呼吸、筋力、殺気。その全てに神経を集中させるんだ」
いつもより強い口調で説いてやった。
何処までも澄んだ心の水面。その美しい水面に相手の動きを映せ。
師匠の有難い御言葉だ。
「うっせぇぇええ!! 一発あたりゃ俺の勝ちなんだよ!!!!」
はぁ。こりゃいかん。俺の話を聞く気は毛頭ないようだ。
スレイン教官の手前、中途半端な指導は頂けませんし。ちと惨たらしい現実を分からせてやるか。
「おい……。今の言葉。嘘じゃないよな??」
攻撃の手を続けるアッシュ君から距離を取って話す。
「当り前だ!!!!」
「よし。そこまで言うのなら食らってやる。全身全霊、乾坤一擲の一撃を食らわせてみろ」
防御を解き、無防備な体を正面に向けてやった。
「死ねやぁぁああ――――ッ!!!!」
ありったけの力の塊を俺の左頬へ衝突させると力の波動が全身に襲い掛かる。
歯と口の中の肉が激しい抱擁を交わして鉄の味が口一杯に広がり、幾度となく味わった生温い液体の味に顔を顰めてしまう。
うん、確かに良い拳だ。
「馬鹿!! 本気で打つな!!」
「うっせぇ!! レンカ!! へへ、俺の渾身の一撃。これを食らって立っていた奴…………。なぁっ!?」
「どうした?? 俺は立っているぞ??」
衝撃で捩じれた顔を真正面に戻して言ってやる。
「う、嘘だろ??」
アッシュ君は驚愕の表情で俺の顔を見つめ、今しがた目にしている物は現実なのか。
何度も瞬きを繰り返してそれを確認していた。
「ほら。どうした?? 打って来い。俺を倒すんじゃなかったのか??」
「く、くそがぁぁああ――っ!!!!」
一切の躊躇をかなぐり捨てて一心不乱に俺の顔を、そして体を御自慢の拳で穿つ。
その度に筋肉が悲鳴を上げて肉の繊維がミチリと嫌な音を立てて痛覚を刺激。頭の天辺から足の爪先まで衝撃が駆け抜けて行く。
鋭く、そして的確に人体の弱点を攻める連打だな。
だけど……。
「はぁ……はぁ……。い、いい加減くだばれよ……」
連撃の雨を浴びせ続けても倒れない俺の姿を見て狼狽し、肩で息をしている。
そりゃ全力で人間の体を叩き続けたらそうなるよな。
「俺はそんな拳じゃ倒せないぞ。ほら、続きはどうした??」
「今まで……。俺の拳を受けて立っていた奴なんかいないのに……。どうしてあんたは立っていられるんだよ!!」
「何だ。そんな事も分からないのか??」
口から零れ落ちる深紅の液体を手の甲で拭って静かに話す。
「分かるかよ」
「アッシュ君。お前の拳は……軽い」
「はぁ!? そんな訳あるか!! 俺の鍛えた拳が軽い訳無いだろう!!!!」
むぅ……。どう説明したらいいのやら。
怒る彼に対して掛ける言葉を考えていると、スレイン教官が視界の端で大きく頷いていた。
その身で分からせろって事ですか??
怪我をさせたくないのですがね。
「軽いの意味が違う。仕方が無い、その身で分からせてやる……」
左手を上げ、体を斜に構えて彼に対峙した。
「おぉ?? 当ててみろよ。生半可な攻撃は俺には通用しないぜ??」
「安心しろ。怪我をしないように手加減してやる」
「はっ!! やっと攻撃してくれるんだ。俺は、嬉しいぜぇ!!!!」
来たな。
相変わらずの無策で突撃を始め、憤怒の波を従えて向かって来る。
「だぁっ!!!!」
「ふんっ!!」
大振りの右を左手で弾き、防御が間に合う前にアッシュ君の腹に右の拳を突き立ててやった。
「ごはぁっ!?!?」
手応えあり。
俺が与えた衝撃によって相手の体がくの字に折れ曲がり、苦悶の表情を浮かべて腹を両手で抑える。
今にも崩れ落ちてしまいそうな痛みに耐え、地面に膝を着くまいと必死に耐えている姿は立派かな。
「かっはっ……」
「どうだ?? お前が虚仮にして見下ろしていた者の拳だぞ??」
構え解き、粘度の高い液体を口から零す彼を見下ろして言ってやる。
「アッシュ君。お前の拳は只の力の塊にしか過ぎない。拳に『想い』 が足りないんだ」
「重い?? 強く振っているつもりだぜ??」
「違う、重さの話じゃない。敵を必ず殲滅する決意が足りないと言っているんだ。確固たる意志を持つ拳は皆一様に重い。苛烈に、壮烈にな。けれど、お前のそれはそこら辺にいる暴力を理不尽に揮う乱暴者と変わりない。それを頭に叩き込んで訓練に励め。いいな??」
俺の言葉を受け、じっと何かを考える表情に変わる。
おっ。
分かってくれたかな??
「はっ。親切にどうも……」
ふいっと俺から視線を外してしまった。
恥ずかしがり屋さんなのだろう。
それとも、俺に負けたのが悔しいのか……。
「よし、もう一本いくか!!」
少しは俺の事を認めてくれたみたいだし、此処は理解を深めてもらう為。稽古を継続させるべきですよね!!
師匠でもきっとそうする筈。
「はぁ!? 勘弁してくれよ!! まだ痛みが引いていないって!!」
「何を言う。本物の戦闘では相手は待ってくれないぞ??」
「ははは!! いいぞ!! アッシュ、やられちまえ!!」
「レイドせんぱ――い!! もっとしごいてやって下さい!!」
俺達の組手の様子を見ていた一回生達の陽気な声が方々で上がる。
あらま。
いつの間にか注目を集めてしまっていたみたいですね。
「うるせぇ!! こんな化け物あてがわれたこっちの身にもなってみろ!!」
ば、化け物?? それは言い過ぎじゃない??
マイ達に言うのなら兎も角。
俺に言うのはお門違いかと思うんですよね。
「アッシュ君。今の一言で俺は傷ついたぞ」
「え?? い、いやぁ。誤解だって。ほら、レイド先輩ちょっと強いからさ」
ま、褒め言葉として捉えておきましょうかね。
「そいつはどうも。さて、行くぞ??」
狼狽える彼に対して満面の笑みを浮かべ、構えを取って言ってやった。
「ちょ……。ま、まだ回復していな……」
「ほら!! 直ぐに防御態勢を取る!!!!」
有無を言わさず彼に対して指導教官としての『技術指導』 を体の芯にまで叩き込んでやる。
「うげべっ!?!?」
途中、口から出てはいけない物が飛び出して来たが…………。
それはまぁ愛嬌って事で!!
スレイン教官のお許しも出ている事だし。俺の熱き想いを心行くまで拳を通して彼の体の芯へ、熱心にそして苛烈に伝え続けてあげた。
お疲れ様でした。
途中で区切ると流れが悪くなってしまう恐れがありましたので二話続けての投稿になりました。
さて、もう間も無く彼の指導が終わり新しい御話へと続きます。
現在そのプロットを誠意制作中なのですが、漸く半分程度終わった所ですかね。
とある難所のプロット作成で躓いているのでそこから先へ中々進めないのが辛いです……。
それでは皆様、お休みなさいませ。




