第六十六話 魔法使いが教えてくれた素敵な呪文
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
知識欲を高めてくれる古紙の香り、心地良い環境音が漂う広い室内を普段のそれと比べて優しい足音を奏でて移動。
清流のせせらぎを連想させる藍色の髪の動きを視界に捉えて二階へと続く階段を昇り、本の山の谷間を通り抜けて広い閲覧場へと足を運んだ。
「お。ここは閑古鳥が鳴いているな」
ざっと見渡すが、二階の閲覧所を利用しているのは数名程。
遠くで静かに本を読む彼等の呼吸音さえ拾えてしまえそうな静寂が広がっていた。
『レイド達が昨日使用していた席へ移動しましょう。色々と話す事も多いと思いますので』
「了解」
カエデの問いに俺が答える、若しくは逆。
静かに本を読みたい人の邪魔になる恐れもあるからそれが賢明かな。
寂しい空白が目立つ机の合間を縫って、昨日と同じ最奥の壁際の席へと到着した。
『それで?? レイドはどういった感じで講義を組み立てようとしているのですか??』
席に着くなりカエデが念話で問う。
「さっき言った万人向け。これを基本軸として組み立てていこうかなって考えているよ」
彼女とほぼ同時に席へ着き、道具一式が詰まった鞄を机の上に乗せて答えた。
『ふむ。そう、ですか』
自分なりに資料の内容、或いは講義を考えているのか。口元に指をあてがい深く考え込む仕草を取る。
「大体さ、魔物を見た事が無い人達に対して羅列的に特徴を話しても理解し難いと思うんだ。だから体験談を交えて話そうと思う」
『体験談??』
口元の指を机の上に置き、ちょこんと小首を傾げる。
似合いますね、その所作。
そして美少女も奥歯をぎゅっと噛み締めて悔しがる程に可愛過ぎるので早く解いて頂ければ幸いです。
深い藍色の瞳に見つめられると仕事が手に付かなくなりますからね。
「ルミナで会ったピナさん達の姿。そして、先日会敵した大蜥蜴達。外見から説明に入って攻撃方法や具体的な力の強さを説明していくんだ」
『成程……』
俺の言葉を受け取るとカエデがコクリと小さく頷いてくれる。
此処までは問題無いようだ。
「ピナさん達の速さは人では到底敵わない代物で、大蜥蜴達の腕力も同じ。真正面から立ち向かっても人間は彼等には敵わない。人と魔物の強さを比較しつつ、お次は彼等に対する対処方法とかどう??」
『それはあくまで人間目線ですよね』
「そりゃ勿論」
カエデ達が彼等と対峙したら一瞬で片が付いちゃうし。
『でしたら……。そこは報告書に記載した通りの方法で構わないと思います。それ以上情報を与えるのは得策では無いかと思いますので』
「得策じゃない??」
『イル教信者も入隊している可能性があるのですよね?? それでしたら余計な情報を与える必要はありません』
それを見越しての事か、此方の状況をよく考えてくれているね。
助かるよ。
「例え対処方法を話したとしてもそれを実践出来る人間なんてまずいないよ。カエデも見ただろ?? ハーピーと大蜥蜴の強さ」
燕の鋭い飛翔も彼女達の前では霞み、大木の幹も打ち砕く熊の腕力も大蜥蜴の前では蟻の力と同等だ。
そうやって考えると……。
トアってかなりの腕前なんだよな。あの巨躯に臆することなく一騎打ちで大蜥蜴一体を撃破したし。
『まずまずでしたね。私にちょっかいを出そうとした大蜥蜴に至っては半焼きにしてあげました』
「て、手加減出来たね?? 偉いよ??」
『どうも』
ふんすぅ……と。若干得意気に、ゆるりと鼻息を漏らして話した。
「よしっ、大まかな流れは掴んだ。原稿を書くから完成するまでちょっと待ってね」
『構いませんよ。私も読みたい本がありますので』
そう話して一冊の本を取り出す。
「ん?? その本、見た事無いね」
彼女が取り出したのは此処で借りた本では無くて、誰の手垢も付いていない真新しい本だ。
「先日、苦難の果てに購入する事が出来た本ですよ」
苦難の果て、ね。
たかが本一冊を買う為に大冒険をした訳でも無いだろうし。カエデなりの比喩表現なのだろう。
さてと!!
話していても原稿は出来ない。早速作業に取り掛かるとしますかね。
静謐な空間の中で羽根筆に墨を纏わせて文字の形を完成させていくが…………。
「……」
それでもアイツの姿が頭の中の隅っこから消えてくれない。
やっぱり。気になっているんだよなぁ。
「――――。マイ、の事だけどさ」
作業を続け、原稿から視線を外さずに口を開く。
『マイがどうかしました??』
「何であんな不機嫌なんだろう。昨日の夜からおかしいだろ?? 実はずっと気掛かりなんだよ」
『私も気にはなっています。理由を教えてくれませんからね』
それだよ。
理由さえ分かればどうとでもなるのに。
『時に、女性は話したく無い……。いいえ違いますね。話したくても、話せない事があるのですよ』
「何で??」
『何と言いますか……。心の内を暴かれて欲しくない。人に知られて欲しくない。一人で秘めておきたい心があるのです』
う……ん?? 要領を得ないな。
悩み事があるのなら人に話して、最適な解決策を導き出した方が蟠りも溶けてスッキリするじゃないか。
「じゃあ、何?? マイの奴は俺達に知られて欲しくない事で悩んでいるの??」
『恐らく』
「そんな……。俺達はマイじゃないんだから分かる訳ないだろ。一人で勝手に怒って、雰囲気を悪くして……。頑是ない子供じゃないんだから」
『女性は繊細な生き物なのです。そこを汲み取って頂かないと』
「繊細ぃ?? アイツが??」
普段の生活態度を鑑みて、彼女に繊細という存在はこれっぽっちも感じ無いのですが??
例えそれがあったとしても心の中に存在する馬鹿げた大きさの食欲が、人が持つべき大きさの繊細さにガジガジと齧り付き。
人のそれと比べると矮小な存在に形成してしまっているのだろう。
絶対に、決して声を大にして言えませんが。アイツには繊細とか慎みという言葉は不釣り合いだと思います。
どちらかと言えば不真面目、横着、無頼漢って文字が酷く誂えた様に思えませんかね??
まぁ、これは俺の主観的な感想だし。カエデからマイを見たらそう見えるのだろう。
『そうです。九祖の血を引き、恐るべき力を宿した龍族。しかし、それでも私達の前では一人の女性です。気丈に振る舞う時もあれば、素直に挫けてしまう時もある。レイドが思っているよりマイの心は弱いのです。今、私達が出来る事と言えば彼女の心を理解してあげる事ですよ』
「理解……。ねぇ」
それが難しいからこんなに困っているんじゃないか。
腕を組み、ウンウンと唸っていると。
『こういう時は逆説的に考えるのですよ』
カエデが柔らかい口調で口を開いた。
「逆説的??」
『今回の問題は私達の間に不協和音をもたらしました。しかし、これを解決すれば私達の絆はより強固に繋がり、以前よりも太く揺るがない物へと変化します。目先の問題に辟易するのでは無くて、その先に待つ素晴らしい結果を捉えれば自ずと活気に満ち溢れるのでは??』
そうやって前向きに考えられるのは彼女ならではであろう。
俺は先の先を見据えるのでは無くて、目の前の問題に頭を抱える性分だしさ。
『レイドからの視点では無くて、マイからの視点で考えるのも一考ですよ』
「ん、有難うね。カエデの考えている様に逆説的に考えてみるよ」
『どういたしまして。その……。何か思い当たる節はありませんか??』
「昨日の出来事を思い返しているけど。それが中々……」
見つからなくて困っているんです。
大体、昨日は殆ど別行動だったから見付けようにも見付けられないんだよ。
『マイの様子が変わったのは……』
カエデが思い出す様にふと視線を上に向けて、細い顎に指を添える。
『一人で本を取りに行って帰って来た時ですね』
「それって、昼過ぎに俺とトアと出会った後の事??」
『えぇ。そうです』
「じゃあ、その間に何かがあったんだな」
ユウが話してくれた内容と一致している。
何が起きたらあんな風にへそを曲げる……。いや、怒りを滲ませる事が出来るんだ??
『もしかして、もしかしてですけど……』
「うん?? 何か気になる事があるの??」
原稿から視線を外して藍色の瞳を真っ直ぐ見つめる。
『レイド達の会話を聞いて不機嫌になったのでは?? ほら、馬鹿にしたりとか』
「まさか。そんな事で怒る奴じゃないだろ。大体、言葉より先に手が出る奴だぞ??」
『可能性の話ですよ。レイドの御友人とこの席で具体的にどんな話をしていたか覚えていますか??』
どんな話……。
「えっと。報告書に記載する経費でしょ?? それと……あ、ほら。開けた空間で鉢合った時、カエデ達の方を見たよな?? それで色々聞かれたり。後は取り留め名の無い話だよ」
記憶の海に頭から勢い良く飛び込んでそれらしき記憶を引っ張り上げて思い出すが……。
確かそうだった筈。
『私達の事を色々聞かれたのですか??』
いつもより少々尖った眉で俺を見つめて話す。
「え?? あ、うん。どの子が好みだ――って。それで、答えなきゃいけない雰囲気になって。仲間内でさ、俺の好みだって言っても許してくれそうなカエデの事を好みだと伝えたんだよ。ごめんね?? 勝手に好みにしちゃって。他の誰かだと絶対喧嘩になるからさ」
『そ、それは構いません』
頬をほんのりと朱に染めて話す。
この場所、暑いのかな??
『はぁ――――……。成程、そういう事ですか』
しかし、朱は直ぐに引っ込み。
代わりに大きな溜息を付いて何かを理解したかのように口を開いた。
「何か分かったの??」
『えぇ。予想ですけどね』
おぉ!! 流石は聡明な海竜様!!
たったこれだけの情報で謎を解いてしまうとは……。名探偵も太鼓判を押す推理力ですね!!
『恐らく、マイはレイドが放った言葉を真に受けて不機嫌になっているのですよ』
「俺の言葉?? ん――……。メンフィスで沢山食料を買い込んだ事かな?? マイ達はパンばかり食べていたのに俺達が美味い飯を食っている事に腹を立て……」
『いいえ。好みの話です』
スパっ!! と、そして何の遠慮無く俺の考えを一秒にも満たない速度で叩き切ってしまった。
もうちょっと俺なりの推理の続きを話させてくれても良かったのでは??
「え?? 俺の好みがカエデって聞いて腹を立ててるの??」
『そうですよ。ん――。どう言えばいいのでしょう…………』
気難しそうな顔を浮かべて腕を組み、俺に伝わる様に言葉を選んでいる。
『例えば、マイの立場にレイドを置き換えたとします』
ふんふん。
『そして、異性と話す私が。レイドの事が一番じゃないと相手に伝えたらどんな気持ちになりますか??』
「ん――。そりゃ、多少は凹むなぁ。でも、人の好みは他人がアレコレ言う資格は無いし」
これが正解でしょ。
俺の答えを受け取ると。
『はぁぁぁぁ――…………』
カエデが巨大な溜息を吐いて机に突っ伏してしまいそうになるのを細い腕で必死に支えた。
うん?? 違うの??
『兎に角。マイは一番が良かったのですが。一番に選んで貰えなくてへそを曲げているのですよ』
成程!! そういう事か!!
「あ――!! あいつ、負けず嫌いな所があるからな!!」
それなら合点がいくぞ!!
師匠の所で走っている時は誰よりも先に行こうとするし、御飯も一番多く食べて、そして一番強くなろうとする。
正に完璧な答えが今、導き出された訳だ。
胸のつっかえが取れて心の曇天が爽快に晴れ渡った気分ですよ。
『まぁ……。それで理解してくれたのなら光栄です。後で時間を作りますからマイに謝ったらどうです??』
「謝る?? どうやって??」
『ある呪文を唱えるだけで彼女の機嫌は回復しますよ』
それは是非とも教えて欲しいですね!!
「どんな呪文??」
『昨日の一件は『冗談で言ったんだ』 これで間違いなく彼女の機嫌は回復するので後はレイド自身の気持ちです。それとなく気が付いた振りをして、それとなく伝えるのですよ』
「ほぅ……。成程……」
とても簡単な呪文で大助かりだ。
「これを書き終えてカエデに感想を聞いたら、早速実行しようかな」
『善は急げ、ですね』
そうそう。早いとこ問題は片付けておいた方がいい。
特にアイツの不機嫌は明日から始まる任務にも支障をきたすだろうし。
「しかし、良く分かったね。アイツの不機嫌な理由が」
今回の一件を受けて、改めて男と女は同じ人なれど別種の生物であると痛感させられたよ。
『私も一応、女ですから』
「女じゃないと分からないの??」
「鈍い人には分からないのですよ……」
念話では無くてカエデの本当に矮小な言葉が空気を揺らす。
「へ?? 何??」
『気にしないで下さい。ほら、手が止まってますよ??』
「あぁ、はいはい……」
彼女に尻を叩かれて原稿の作成に取り掛かる。
呪文、ねぇ。上手く伝わればいいけど……。
後はその呪文へ続く言葉を考えればいいのか。
あ!!
謝罪用の原稿も書いてその時に備えて……は、駄目か。
時間が足りなさ過ぎる。
それとなく伝えれば大丈夫でしょう。
万が一、間違っていたのならカエデに教えて貰った呪文を唱え。素で謝れば許して貰える……、筈!!
何もしていない俺が何故謝らなきゃいけないのか。そこは甚だ疑問が残るが俺の頭一つで機嫌が治るなら安いものだ。
聡明な海竜様から受け賜った素敵な呪文が、凶悪な龍が纏う分厚い闘気に無効化されてぶん殴られなきゃいいけど……。
不穏な気持ちが胸を占め、言いようの無い不安が広がって行く。
それを払拭しようと文字を書き続けるが、原稿が完成に至るまでそれは消える事無く心の中で渦巻き続けたのであった。
最後までご覧頂き有難う御座います。
そして、ブックマークをして頂き有難う御座いました!! 疲労が蓄積する週の半ば、大変嬉しい執筆活動の励みとなりました!!!!
これからも皆様のご期待に添えられる様、執筆活動を続けて行きますので温かい目で見守って頂ければ幸いです。
それでは皆様、お休みなさいませ。




