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第六十一話 大変不機嫌な彼女

お疲れ様です。


週末の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。


少々長文になっていますので予めご了承下さいませ。




 太陽が徐々に重たくなる瞼をグシグシと擦り始めると微睡む彼とは相対的に綺麗な茜色が空を覆い尽くすのだが、生憎本日は曇天日和。


 太陽が西へ傾くにつれて初冬らしいひんやりとした空気が広い図書館の室内に広がる。


 冷涼な空気の中に含まれた古紙の香りを胸一杯に閉じ込めて一つ大きく体を伸ばした。



「はぁ――。出来たぁ――」



 長く、険しい道のりであったが。たった一日で踏破出来た事についつい笑みが零れてしまう。


 ふふっ、自画自賛じゃないけども。俺も中々に仕事が早くなったものさ。



「おっ。そっちも終わった?? こっちも出来たわよ」



 ほぅ……。


 俺とほぼ同じ量の仕事を一日で片付けるとは、首席卒業の名は伊達じゃないな。



「よし、帰るか。もう退館時間だし」



 言うが早いか。


 退館時間を知らせる清らかな鐘の音が一階から鳴り響いた。


 退館時間になると司書の方が受付脇の人の手程の大きさの鐘を鳴らすのだ。


 生活音が佇む外で聞いたら小さく聞こえるかもしれないが、静寂と隣り合わせの空間だとやたら大きく聞こえてしまう。



「もうそんな時間かぁ。何だかあっと言う間だったね」


「書類を片付けていたらそんなもんだろ。ほら、行くぞ」



 忌々しい書類と道具一式を鞄に捻じ込み、鞄の紐を肩に掛けて立ち上がる。



「あ、待ってよ」



 若干もたつく彼女を待ち、そして作業を終えるのを見届けると移動を開始した。



 マイ達、まだいるかな??


 鉢合わない様にちょっとだけ遅い時間にしたけど。


 本の合間を縫い、広い空間に出て確認するが……。



「……」



 彼女達の存在は確認出来なかった。


 良かった、先に帰ったんだな。



「残念ねぇ」


「何が??」



 等間隔に並べられている席の間を通りながらトアが話す。



「ほら、あの子達居なくて」



 先程までマイ達が座っていた席を指差してにっと笑い此方を見つめて来る。



「別に話しかけるとか、そういう目的は持っていなかったし……」


「ほんとにぃ??」


「その厭らしい笑いは何だよ」


「私がいるから声を掛けないんじゃないのぉ――??」


「あのなぁ。俺が話し掛けても相手にしてくれないって。取り柄が無くて、しかもこんな普通の顔じゃ釣り合わないだろ」



 自分で話していて、何だか悲しくなって来た。



「う――ん……。見てくれは普通。性格も普通――。強いて長所を挙げるのなら、その普通に似合わないまぁまぁの強さがあるじゃない」


「それ、褒めてるの?? けなしてんの??」


「褒めてんのよ。レイドは訓練生の時、本当に良く頑張っていた。誰よりも人一倍、ううん。それ以上にね」



「周りが化け物ばかりだったからさ。否応なしにそうせざるを得ない状況だったんだよ」



 トアには分かるまい。


 非凡な才能しか持ち合わせていない者の事は。



「まぁそういう人物を募集していたからねぇ。でも、良く入隊出来たわね。ずぶの素人のレイドが」


「それだけ人員不足だったんだじゃないの?? 今は健康体だったら入隊出来るみたいだし」


「嫌よ?? 何も出来ない新人が前線に送られて来たら」


「それの面倒を見るのが先輩の仕事だろ??」


「まぁ……。そうだけど……」



 またそうやって唇を尖らせて……。


 よく口回りの筋肉が疲れませんね??



「そうならない様に鍛えてくれているんだ。教官達がね」



 俺の指導教官であったビッグス教官の顔がふと頭の中に浮かんだ。


 元気にしているかな。


 明後日には会う事だし。何か手土産でも持参すべき……か??



「そうね。…………。あちゃ――。やっぱ降って来たか」



 木製の大きな扉を開けて外に出ると、容易に視認出来てしまう大きな雨粒が俺達を出迎えた。


 地面の石畳は水に濡れた顔で俺達を見上げ、それ以上進むとお前達もこうなるぞ??


 そんな注意を投げかけていた。



「走るか??」


「ん――。兵舎からちょっと離れているし……。どこかお店で雨宿りする??」



 雨宿り、ね。


 空を見上げ雨が止む様子が無いか確認するが。


 重い雲は流れる事無く、久方振りに実家に帰省した息子さんみたいに大変寛いだ姿勢で上空に鎮座していた。



「雨、止みそうにないし。このまま移動しよう」


「え――。濡れるのやだ――」


「文句言うなよ」



 これ以上の遅延は憚れる。


 どうしてかって??


 彼女達の恐ろしい怒りを買う恐れがあるのですよ。



 鋭い爪で体中をズタボロに切り裂かれ、サラサラの砂を硝子に変えてしまう程の火炎で焼かれ、挙句の果てには全身隈なく雷に穿たれる。


 見るも無残な姿に変わり果てるのはちょっと、ね。


 五体満足で朝日を拝みたいのが本音だ。



「男のあんたはいいかもしれないけど。女性の髪は男が思っているよりずっと大切な物なのよ??」



 むっと眉を顰めて話す。



「はぁ……。仕方ない。ちょっと前に出て」


「え?? 何??」



 黒の上着を脱ぎ、出来るだけトアの背後に近付くと。


 脱いだ上着を雨具代わりにして上から覆い被さってやった。



「ぬおっ!? い、いきなり何よ……」


「これなら頭濡れないだろ?? ほら、歩けって」


「ちょっと!! お、押さないでよ!!」



 俺の腹でグイグイとトアの背中を押して雨が降りしきる空の下へと躍り出た。



 北大通りを歩く人は傘や雨具等で雨を凌いでいるが……。


 俺達の雨を凌ぐ格好はその場で酷く浮いた存在になっていた。


 現に……。



「ふふ。仲が良いわねぇ」


「若いって素敵」



 今しがたすれ違った素敵な中年女性の御二人がクスクスと笑いながらこちらを揶揄して来る。



「ね、ねぇ」


「何だ??」


「恥ずかしくない??」


「それ程でも?? いや。恥ずかしいです……」



 俺が羞恥を感じてしまうのはもう一つ理由があるのだ。


 トアは俺より背が低い。


 今、俺は彼女の頭の上に両手を掲げ上着を傘代わりにして覆い被さっている。


 つまり。


 彼女の香りが直接鼻腔に届いてしまっているのです。



 言い表すのが難しい形容し難い香り、女性特有の甘い香り、そして少しばかりの汗の酸っぱい香り。


 様々な香りが混ざり合い、溶け合い、上着で形成した空間に篭る。



 トアって……。


 こんな良い匂いだっけ??



「ちょっと。鼻息、くすぐったい」


「お、おぉ。すまん……」



 頭を離そうとするが、これ以上離れたら雨具の意味を成さない。


 鼻息が掛からないギリギリの距離を保つ。



「これ位、か??」


「それ位なら許す!!」


「何様??」


「へへ、ごめんね??」



 それから暫く、互いに羞恥心が勝ったのか口数も少なく。



「「…………っ」」



 耳に届くのは鉛色の空から絶え間なく降る雨粒の音、四つの足が奏でる水を撥ねる音、そして微かに聞こえて来る互いのぎこちなく硬い呼吸音。



 この体勢へと移行させてしまった己の決断による微かな後悔、そしてトアとの非日常な距離感。


 きっと俺の顔は熟れた林檎も思わず二度見してしまう程に朱に染まっているだろうさ。



 普段は活気に溢れる西大通りも雨の影響によって歩いている人も疎ら。


 悪天候が与えてくれた大変歩き易い西大通りを進んで行くと。



「兵舎、こっちだから」


「お、おぉ……」



 彼女の先導によって北へと転進。兵舎へ続く道に差し掛かる。



「ねぇ……」


「うん??」


「今日、楽しかった??」



 雨音に掻き消されそうな頼りない声が届いた。



「上手い飯も食えて、報告書も書き終わったし。言う事無しだな」


「ちょっと。私の存在、消えているんだけど??」


「冗談だって。…………。楽しかったぞ。トアと話せて」



 出会って早々何の遠慮も無しに俺のパンを奪い、報告書の作成中は此方へ笑いを誘い、男の楽園ではおいそれとは了承出来ない雌の行動を取る。


 そう考えてみると……。俺の行動を邪魔している様にも見えるが、その実。


 俺の心の空模様はずっと晴れ渡っていた。




「あ、うん。そ、そっか」



 へへと陽性な声が漏れる。



「今度はいつ会えるんだろうね」


「分からないな」


「だよね……」



 今度は酷く沈んだ声。


 陽性だったり陰性だったりと忙しい奴だな。



「まぁ、ほら。あれだ。この前の任務中に俺の部隊の本部の場所を教えただろ??」



 教えたと言うよりも……。



『あんたの本部の場所教えないとこれでスパっと首を刎ねるわよ??』



 脅迫に近い形かも知れませんね。


 左の腰にぶら下げている剣をちらつかせて問うてきましたもの。




「え?? うん」


「トアが休みを取れた時。そこに置手紙でも何でもいいから知らせてくれ。俺がその時、時間が空いていたら会いに行くからさ」


「わ、分かった」



 トアが小さく頷くと、上着と彼女の頭の間の狭い視界が兵舎の明かりを捉えた。


 横に広い二階建ての木造建築物。


 幸いな事にまだ門は開かれており、その前には一名の女性兵が哨戒の任を続けている。



 あそこが女性兵が使用する兵舎、か。


 結構立派な作りだな……。


 うちの部隊の本部とは雲泥の差じゃないですか。



「ほら、到着だ」



 はぁ、やっと到着だ。



「もう着いちゃった……」



 おう?? 俺と真逆な感想ですね??



「トア!! 遅い……おや?? 君は??」



 哨戒を続ける女性兵士が俺達を見付けて声を上げた。



「はっ!! 遅くなり申し訳ありませんでした!!」


「私は彼女の同期であります!! 雨が降って来た為、彼女を此処へ見送りに参りました!!」



 女性兵の言葉を受け、俺とトアは姿勢を正して彼女に応えた。



「ん。門限には間に合っている、気にするな」


「「はっ!!」」



 トアへ向けて片目を瞑り。



『やったな』



 そんな意味を込めてやった。



「トア」


「はい!! 何でありましょうか!!」


「あ――その。言い難いんだけどさ」



 女性兵が何やら言い淀んでいる。



「別にね。うん、構わないと思うよ?? けどな、子供を作るならもう少し待ってみたらどうだ?? 今は忙しい時期だしもうちょっと機を伺ってだな……」


「わ、私達はそんな仲ではありません!! し、失礼します!!」



 右手と右足、左手と左足を綺麗に揃え。壊れた玩具の様な足取りで兵舎へと向かって行ってしまった。



「何だ、付き合っていないのか??」



 揶揄い甲斐が無さそうに、残念な口調で話す。



「本日は彼女と共に報告書を仕上げていました!!」


「そんな大きな声を出さんでもいい」



「はっ……」


「ちょっといいか??」



 女性兵が手招きをするのでそれに従い彼女の下へと歩み寄った。



「いや、実はさ……。トアの奴。最近塞ぎがちだったんだよ。疲れからか、それとも前線で多くの死を見て来たからか分からないけど」



 そう言えば、任務中にもそんな事言っていたな。



「でさ。先日の任務から帰って来たら憑き物が落ちたみたいに明るくなってね?? 今日も出掛ける時に。いってきま――す!! って。遊びに出掛ける子供みたいな明るい声で出ていったから拍子抜けしちゃったんだ」



「そうなのですか……」



 食い物が楽しみだったのかな?? それとも俺を使って報告書を楽に作成出来ると踏んだのか。



「で??」


「はっ。大変申し訳ありません。…………。伍長殿の崇高なる言葉に、自分の考えが至らないのでどうか詳細に話して頂けないでしょか??」



 最近の女性は言葉を端折るのが好きなのかしら??


 一応、女性兵の階級を確認してから声を出した。



「だから。トアとはどんな関係なの??」


「普通に友人ですが??」


「ふぅん……。友人ねぇ」



 にやりと笑ってこちらを見つめる。


 何です?? その怖い笑みは。



「今の会話の流れで何かピンって来なかった??」



 会話の流れ?? 何だろう??



「いえ、全く」


「お、おいおい。嘘だろ?? お前さんの頭には鶏でも住み着いているのか??」



 三歩歩けば物事を忘れてしまうとでも言いたいのだろうか??


 伍長殿と共に腕を組み、訝し気な表情を浮かべ。互いの顔を眺めながら小首を傾げていると。



「し、失礼しま――すっ!! おら!! これで頭拭いて、さっさと帰れ!!」



 けたたましい轟音と共にトアが舞い戻って来た。



「いてっ!! おい、もう少し優しく投げろよ」



 顔面に手拭いが襲い掛かり、それを取ると顰めっ面で睨み返してやった。



「何だ、惜しい。もう少しで色々伝えられたのになぁ」


「よ、余計な事。言っていませんよね!?」


「さぁ?? レイド君に聞いてみたらぁ??」


「伍長殿。どうして自分の名を??」



 自己紹介はまだしていないし、伍長にはトアの同期としか伝えていませんからね。



「そりゃあ嫌でも覚えるさ。食事中だったり、同じ仕事したりしているとコイツいっつ……。むぐぅ!?」


「わあああぁ――――っ!!!!」



 トアが伍長の口元を両手で抑え、言葉の門を強制的に閉じてしまった。



「ふぁにをふる!!」


「そうだぞ。例え見知った仲でも上官には敬意を払うもんだ」


「うっさい!! もう帰れ!!」



 やれやれ。


 噛みつかれても堪らないし、お暇しましょうかね。



「この手拭いどうする??」


「今度会った時でいい!!」


「あ、そう。では、失礼致します」



 伍長へ確と頭を下げ、兵舎を後にした。



「先輩!! 勘弁して下さいよ!!!!」


「いいじゃん。別に――。あんた達見ているとさ、世話焼きたくなるのよ」


「大きなお世話です!!」



 雨の音で掻き消されて聞こえないけど、随分と親し気に話しているな。



「ヘ……ヘックシュン!! うぅ……」



 いかん。このままでは風邪を引いてしまう。


 さっさと宿に帰ろう。


 二人の言い合う女性らしからぬ大きな声を背に受けて大通りへと向かう。



『今日、楽しかった??』



 不意に、トアの言葉が思い出される。


 楽しかった、か……。その答えは当然。



「楽しかったぞ」



 雨音に掻き消されんばかりの声量でぽつりと呟いた。


 雄の香りが漂う昼食時、気難しい蛸の顔を浮かべて作成した報告書、そして先の移動中。


 そのどれもに彼女の陽性な顔が焼き付いている。


 良い息抜きになったのは事実。まぁそれも束の間の平穏さ。



 宿に帰ればきっと混沌と破壊が待ち受けて居る筈。


 ここからは気持ちを入れ替えないと大怪我するぞ。


 拳にぐっと力を籠め、足を踏ん張り、強い気を保ったまま魔物達が潜む宿へと向かい出した。



























 ◇




 再び己の上着を傘代わりにして生憎の天候の中を小走りで移動。


 狭く、そしてほぼ夜の闇と変わらぬ裏路地を進み続けて九祖の末裔さん達が羽を休める宿へと到着した。


 心配になる音を奏でる宿の扉を開き、本日も使用させて頂いている部屋へと続く廊下へと進む。



 えっと……。宿の廊下ってこんな音がしたっけ??



 もう既に此方の存在を確知されていると思うが、それでも忍び足で進み。さり気なく申し訳無さを足音、並びに所作で醸し出す。


 彼女達に少しでもそれを感じて貰おうと苦肉の策を講じていた。



 いやいや。別にいいじゃないか。


 元々約束していた事だし。


 何で俺が縮こまって歩かなきゃいけないんだ??


 正々堂々と歩けば良いんだよ!!



 忍び足から大胆に進もうとするが、もう一人の自分がそれに待ったの声を掛けた。




 …………。


 いや、やっぱりやめよう。


 開き直ったら手痛いしっぺ返しが飛んでくる。


 ここは厳かに、粛々とすべきだ。



 慎重な足取りで音を立てない様に進んで行くと、部屋の扉に手が掛かる距離に到達。



 いよいよ、か。


 地獄の門へと手を掛け、固唾を飲み込んで扉を開いた。



「た、ただいま――」



 声、ちっちゃ!!


 自分でもドン引きする程の声量を放って部屋へと足を踏み入れた。



「よう!! お帰り!!」


「レイドお帰り――!!」


「レイド様っ!!」



 ほっ。良かった。


 これといって変わった様子は見受けられず、胸を撫で下ろして自分のベッドに腰かけた。



「わっ。ずぶ濡れじゃん」



 金色の瞳の狼が雨に濡れた服に鼻をくっつけ、スンスンと匂いを嗅ぎながら話す。



「帰るときにさ、雨が降って来ちゃったんだよ」


「私達が宿に着いた時に降り出したからな――。ついてなかったね??」


「まぁね」



「レイド」



 正面のベッドのカエデが本から視線を外してこちらを見つめる。



「どうした??」


「後で乾かしておくから、服脱いで」


「ん。助かるよ」



 じゃあついでに部屋着に着替えようかな。


 いや、でも女性の手前いきなり脱ぐのは失礼だな。



「うん?? 何してるの??」



 ルーが不思議そうに首を傾げて俺を見上げる。



「服を着替えているんだ」



 シーツで体をすっぽりと覆い隠して答えてあげる。



「面白そう!!」


「いやいや。楽しくないから」


「――――。そうですわよ?? レイド様は人前で肌を出すのは憚れると感じて、この様な行為に及んでいる訳です」



 シーツの中から蜘蛛の御姫様の声が響くので。



「何してんの??」



 襟元のシーツを指でクイっと下げ、その中へ顔を入れて問うた。



「何をしているかと聞かれましても……。眼福を享受している、そう言えばお分かりになりますか??」



 右の太腿にぎゅっとしがみ付く黒き甲殻を身に纏う蜘蛛が至極当然とばかりに惚けた台詞を放つので。



「はいはい……」


「あ――ん。辛辣ですわぁ――」



 ぷっくりと膨らんだ胴体をそっと指で掴み、シーツから取り出して明後日の方角へ放り投げてあげた。



「アオイちゃんだけずるいよ――」


「ある程度体の大きさを操れる特権ですわ!!」



 そんな便利な力を持っているのならもうちょっと有意義に使おうよ……。



「主、昼間の女性だが……」



 いきなり来ましたか。


 俺の前にキチンと足を揃えてお座りをするリューヴがその言葉を放った刹那。



「「「…………」」」



 部屋の空気がピンっと張りつめたのを嫌でも肌で感じてしまった。



 さぁ……。ここから言葉の選択は慎重にしないと。



「一体、主とはどういった関係だ??」


「どうって。只の友人だよ??」



 曇り無き狼の翡翠の瞳を真っ直ぐに見つめて話す。



「嘘ですわ!!」


「おっと……」



 アオイが右肩に乗り、鋭い剣幕で抗議を開始。



「あの親し気な様子……。絶対レイド様を狙っていますわよ!?」


「いやいや。それは無いって」


「いいえ!! 女の私には分かるんですっ!!」



 二本の節足をグワッ!! と上げて蜘蛛流の憤り?? を表す。



「アオイ、主が困っているだろう」


「そうだよ、アオイちゃん。レイドの話も聞いてあげなよ――」



「おっ。ルーにしては真面だな??」



 背後のベッドで寛ぐユウが揶揄う。



「も――。酷いなぁ……」


「先日までの任務、彼女と共に行動していたのは知っているよね??」



 アオイの真っ黒な複眼を見つめそう話す。



「今日はトアと約束していた報告書を仕上げる作業をしていたんだ。アイツは同期で、頼れる奴なんだ。実力もかなりの腕前だし、俺なんか眼中に無いって」



「むぐぐ……。レイド様がそう仰いますのなら信用しますけど。私の目からは逃れられませんからね!?」


「重々承知しております。それより、そっちの調査はどうなった??」



 部屋着へと着替え終え、シーツから抜け出して話す。



「粗方の本を読み終えましたが、何の進展もありませんでしたね。それらしい話はありましたが……。それが神器や伝承の類に繋がるかとは考え難いかと」



 少しばかり萎んだ声でカエデが言った。



「そっか。見つかれば儲けものだと考えていたんだけどなぁ……」


「引き続き、色々調べてみます」


「そうしてくれると助かるよ」


「レイド、服」



「あ、はいはい」



 此方へ向かって手を差し出す彼女に濡れた衣服を手渡す。



「あ、そうだ。カエデ、明日って時間ある??」


「何故です??」


「ほら、明後日から任務でさ。講義しなきゃいけないでしょ?? 実技指導は何んとかなるとして。カエデには講義の内容を見直して貰いたいんだ」


「べ、別に構いませんけど」


「良かった、助かるよ。じゃあ、ある程度纏めてから見てもらおうかな」



 独り善がりの偏った考えでは無く、第三者からの視点で問題点を指摘されればより良い講義内容が行えるはず。


 しかも、意見を出してくれるのは聡明な彼女。


 共に意見を出し合って完成された原稿に一分の隙も見当たらないだろうさ。



 問題があるとすれば……。それを講義中に上手く話せるかどうかですね。


 こればかりは経験で補うしかないからどうしたものか……。


 この点についてはビッグス教官と相談してみようかね。



「分かりました……」



 そう話すと衣服に向かい淡い水色の魔法陣を浮かべる。


 すると。


 濡れた服に染み込んだ雨粒が宙へと浮き上がり、一つの水の塊に豹変した。



「「「おぉ――」」」



 その場にいる何人かが同時に感嘆の声を漏らす。



「……よいしょっと」



 木の床の隙間に水の塊を捨て、衣服のきちんと折り目を気にしながら壁に干してくれた。



 わざわざすいません。



「朝には乾いていますよ」


「ん。ありがとね。はぁ……。つっかれたぁ」



 そのままごろんとベッドに寝転び……。



「あんっ、はぁっ……。レイド様の後頭部が私のお腹を圧迫してぇ……」


「…………」


「はぁんっ。曇天の空模様の下に愛の軌跡を描きますわぁ――……」



 此方の安寧を邪魔しようとした蜘蛛さんの体をアオイが使用するベッドへ向けて投擲してあげた。



 はぁ、これで漸く休めますね。



「ねぇ――。レイドぉ」



 視界の端からにゅっと灰色が現れて視界の大半を塞ぐ。



「どうした??」


「明日も図書館行かなきゃ駄目ぇ??」


「ん――。俺じゃ無くてカエデに聞いて」


「カエデちゃ――ん!! お願いがありますぅ――」



 進捗状況は芳しくない、か。


 元々古い話だから残ってはいないと思ったけど。


 例え小さな物でもいいから成果が欲しかったな。





 ――――。



 んっ!?



「……………………。あれ?? マイは??」



 部屋に入ってからアイツの声が一度も聞こえなかった事に今更気付いた。


 何か足りないと思ったのはその所為か。



「あ――。それなんだけど……」



 何故か代わりにユウが申し訳無さそうな声をあげる。



「おい、どうした?? 体調でも悪いのか??」



 上体を起こして件の彼女の方へ視線を送ると。



「……」



 人の姿のマイは不機嫌そうに眉をぎゅっと顰めて、仰向けの姿勢で天井を睨みつけていた。


 いつもは頼んでもいないのにギャアギャアと騒ぐのに今に至っては一言も話そうとしない。


 体調が悪いのか、それとも何かがあって気分が悪くなってしまっているのか。



「聞こえてる?? 大丈夫か??」



 相手を深く気遣う感情を言葉に染み込ませて尋ねた。














 










「………………。五月蠅い」



 あからさまな不機嫌な態度、方々に飛び散る棘のある憤怒、人から向けられた慰撫を拒絶。


 負の感情そのままの声を此方に遠慮無しにぶつけて来た。



「は?? 俺、お前に何か悪い事言ったか??」



 これには流石の俺も腹が立った。


 折角人が心配したのにその口調と態度は無いだろう。



「……。別に」


「だったら五月蠅いって何だよ」



 マイが使用するベッドの脇に移動して言い放つ。



「何でもいいじゃない。放っておいてよ」



 負の感情が満載された巨大な溜息を吐き、俺から視線を逸らして寝返りを打つ。



「人が心配して声掛けたのに。その言い草は無いだろ」


「放っておいてって、聞こえなかったの??」


「聞いてたよ。でもな、どうしてそんな不機嫌なのか分からないと気持ちが悪いだろ」



「私が不機嫌なのがそんなにいけない事なの??」



「別にそれは構わんさ。感情を持つ生き物なら誰しもが持つ感情だからな。でもな、ここはお前だけの部屋じゃないんだ。不機嫌な理由を話してくれないと、どうしていいか俺達が対処に困るだろ」



「…………」



 そのまま押し黙り、無言の返事が背中越しに返って来る。



「あぁそうかよ。勝手にすればいい。けどな、人には迷惑掛けるなよ」



 そう言い捨て、自分のベッドへと戻った。


 一体何だってんだよ……。



『レイド……』



 ユウが静かに耳打ちをしてくれる。



『実はさ、あたし達にも理由が分からないんだよ。図書館で何かがあったのは分かるんだけど……。向こうを出発してからずぅっとあんな感じなんだ』


『それって。俺とトアの姿を見てから??』


『いいや。その後かな?? 本を取りに行ってからな――んかおかしいなぁって思ったら……』



 トアを見た後??


 何かあったけ??



『あたしが話し掛けてもあんな感じだし。取り付く島もないんだ。アオイの小言もまるで堪えていないし……』



 う、む……。


 理由が分からないと対処方法が思いつかん。



『ありがとう。何んとかあの不機嫌の理由を探ってみるよ』


『すまん』


『いいって』



 くそう……。楽しい一日が龍の不機嫌で台無しだ。


 不機嫌になる理由って何だ??


 考えられる凡その理由は……。飯が不味かった。



 ――――。



 うん、それは無いな。今まで不味い物を食ってもあそこまで不機嫌にはならなかった。


 では、俺がトアと一緒に居る事が面白く無かった??


 ん――。これも弱いな。


 トアといる時、確かこちらに噛みついて来た筈だから。



 あ――!! もう!! 


 分からん!! 明日一日使って探り出してやる!!


 モヤモヤする感情を吹き飛ばそうと考え、思いっきり瞼を閉じてやった。


 全く。


 アイツもいい大人なんだから。もっと輪を大切にしなさいよ。


 憤りを感じつつも、襲い掛かる眠気には勝てず。



『あ、あの――。お時間が押していますので、そろそろ出発して宜しいでしょうか??』



 誰しもが見本にすべき愛想笑いと、非常に上手な手付きで揉み手をする夢の世界の案内人さんへ憤りを隠す事もせず。


 人から横柄だと言われても仕方が無い態度で意識を譲渡してやった。




お疲れ様でした。


大型連休も残す所後僅かですね。皆さんは思うような連休を過ごせましたか??


私の場合は……。まぁ、可もなく不可もなくといった感じでしょうか。大幅にプロットを進められたのは嬉しいのですが。その所為で余り出掛けられなかったのが悔やまれます。


いいねをして頂き有難うございました!!


執筆活動の嬉しい励みとなります!!



さて、次の話からは何故彼女が不機嫌になったのかを紐解いていく話になります。


その問題が解決してから後輩達への指導の御話が始まりますのでそれまで今暫くお待ち下さいませ。


それでは皆様、お休みなさいませ。

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