第六十話 彼の心に刹那に浮かんだ人物
お疲れ様です。
本日の投稿なります。
それでは御覧下さい。
雄の楽園と北大通の図書館までの距離が離れている事が功を奏した。
本日の主戦場に再び舞い戻って来る頃には腹の中の雄共が漸く大人しくなり、程よい満腹感へと変化。
どんよりとした鉛色の空の下を普遍的な歩みで進んでいると。
「図書館見えて来たね」
トアが軽快な声でそう話す。
あそこの中に居た時と比べて随分と機嫌が良さそうだ。
それは恐らく、体内に雄を取り込んだ所為なのでしょう。
「後少し、気合入れて仕上げるぞ」
「おうっ!!」
拳同士をトンっと合わせ、いつもと変わらぬ姿を保つ図書館の扉を開いた。
「お――。下の階は相変わらずねぇ」
彼女が話した通り、一階は大盛況の御様子で席はほぼ満席。
至る所で本の魅力に取りつかれた利用客が熱心に文字を食らい続けていた。
「あんまり利用しないから分からないけどさ。結構人気なのね、この施設」
「文学に興味がある人がそれだけ多いって事だろ」
作業を続ける為に二階へと続く階段へ向かい、今度はトアより先に昇り始めた。
また揶揄われてもいかんし。
「むっ?? 何故私より先を歩く??」
「また覗くなとか言われかねんからな」
「そう来ましたか。ほら、恥ずかしがらずに後ろに来て御覧?? トア様の素晴らしい臀部が待ち構えていますよ」
「喧しい」
「ふふっ。そういう所がレイドっぽいよ」
「何だよ、それ」
「気にしないの。ほら、行くわよ」
「あ、おい……」
ほぼ同時に二階へ到着すると、心温まる笑みを浮かべる彼女が俺の腕を取り本の壁の合間の通路を進み出す。
咽返る程の紙の香りが鼻腔を刺激したのか、それとも彼女の腕がそうさせたのか分からないが。
少しだけ鼓動が早まるのを感じた。
こういう竹を割ったような性格と所作はトアらしいよ。
その勢いのまま通路を抜けて広い空間に躍り出る。
「ここは少ないわね」
「まぁ、二階だし。人気の本は一階に……っ!!」
う、うぉぉ……。
向かって右側。
沢山ある長机の二列向こうの机に…………。獣達が椅子に鎮座したまま俺を食い殺そうとして大変恐ろしい瞳を浮かべていた。
これは当然比喩表現だがあの目は本格的に不味い。
十二の瞳が怪しく光り、俺とトアを完全完璧に捉えている。
そして、その中の深紅の髪の獣に至っては。
『グルルゥゥ……。ウ゛ゥ……。グァァアア!!!!』
矮小な虫程度なら確実に殺傷出来る程の威力の眼力で俺を睨みつけていた。
こ、こ、こっわ!!!!
な、何!? あの目付き!!
親の仇を見つけて仇討ちを仕掛ける前の悲しみに捉われた復讐者みたいな目付きしてんじゃん!!
「どしたの??」
俺の腕を取ったままトアが此方の視線を追う。
「へっ!? い、いや、別に何でも無い」
「…………。ふぅん、そっか。ほら、行くわよ??」
「あ、おい。引っ張るなって」
その場から立ち去るように歩むが、当然の如く俺の頭の中に雷撃が降り注いだ。
『お――お――。楽しそうだなぁ?? えぇ?? こちとらひぃひぃ言いながら本を読んでるってのによぉ』
『レイドも隅に置けないなぁ!! あたしもそっちに行っていいか??』
『レイド様?? もしやと思いますが……。その女性に手を出したらどうなるか。それが分からぬ人では御座いませんよね??』
『レイド――!! 何か良い匂いしたね!! 美味しい御飯食べて来たの!?』
『主、その者と是非とも手合わせを願いたい。雷狼の牙の鋭さを味合わせてやろう』
『…………。性欲の塊』
『一度に話しかけるな!!』
一気に六人もの声が乱反射すれば声を上げたくなるのも当然であろう。
「よいしょっと。さてさて、続きといきますかね」
「あ、あぁ。そうだな」
先程と同じ席に着いて作業を再開させるが、それでも粘着質な念話は止む事は無く。容易に俺の頭を蝕み始めた。
『なぁ、レイド――。そっちの様子見に行っていいか――?? あたし、暇なんだよ』
『駄目に決まってんでしょ。ほら、さっさと読めや』
『あぁ……。おいたわしや、レイド様。私を置いてその様な下賤な娘の下へと行かれてしまうのですね?? こんなに慕っておりますのに、どうしてそのような事が出来るのでしょうか』
『ごめんね――。アオイちゃんちょっとアレだからさ――』
『主、聞いているか?? 手合わせを願いたいと言っているのだ』
『…………。淫猥の権化』
『こっちは報告書を書いているんだ。もうちょっと静かにしてくれ!! 後、カエデ!! 変な事言わないの!!』
さっきまで静かだったのに……。何で急に念話が届く様になったんだよ。
そして此方側からネチネチと送られ続ける念話を遮断する事は出来ないのだろうか??
集中力をかき乱されて仕事が手に付きません。
「――――。ねぇ、聞いてる??」
「え?? あぁ、すまない。ちょっとぼ――っとしてた」
しまった。
念話に集中する余りトアの言葉を聞き逃してしまったようだ。
「だから、メンフィスで買った食材。幾らか覚えているのかって聞いてるの」
「帰りの食費か。確か……、これ位だった筈」
己の報告書をトアの手元に差し出して値段を提示してやる。
「あれ?? こんな安かったっけ??」
「俺が覚えている範囲ではその値段だったぞ」
「ん――。ありがと」
ふぅ、何んとか難を逃れたな。
「さっきの女の人達が気になっているんでしょ」
作業の手を止めぬままトアが話す。
「……。んっ??」
「ほら、あの赤い髪の子達。傍から見ても美人ばっかだったもんねぇ――」
「いや、違うって」
「そうやって拒否する所が怪しいなぁ??」
くっ。
あそこで足を止めるべきじゃ無かったな。
「でも、止めといた方がいいわよ」
「何で??」
トアが作業の手を止めて俺の両目を確と見つめる。
「あの子達……。滅茶苦茶強いと思う」
それ、大正解。俺達が束になって向かって行っても勝てないよ。
この街の全住民を率いて向かって行っても勝てるかどうか……。それだけの戦力差がありますので。
「特にあの赤髪の子、アレは相当な実力者ね。目が尋常じゃなかったもん」
あれは別の意味で怒っていたんだと思います、はい。
「翡翠の瞳の灰色の子も危険な香りがしたわね。…………で??」
「で?? とはどういう意味でしょうか??」
端折り過ぎて要領を得ない。
「誰が好みだった??」
「ぶっ!!」
余りの突然の言葉に思わず吹いてしまった。
「あ、あのなぁ。そんなじっと見ていなかっただろ??」
「ん――ん。見てた。しかも、な――んか意味ありげな視線だったのよねぇ……」
うぅ……。どうして女って生き物はこうも鋭いんだ。
元より嘘を付くのが苦手な性分だ。
此処でしどろもどろに下手な言い訳をしてネチネチと突っ込まれたら仕事処の騒ぎじゃ無いし。
此処は一つ、素直に白状した方が早く解放されるでしょうね。
「ごめん、白状するよ。実はトアの言う通りあの子達に視線を奪われていたのは確かだ」
「ほら!! やっぱり!!」
そら見た事かと俺の顔をビシっと指で差す。
こうでも言わないとこの状況から抜け出せませんからね。
これが最善の回答だろう。
無駄に言い訳しても、堂々巡りでいつかは白状しなくてはいけなくなる。
それならいっその事。
そう考えて発言した。
「で、誰があんたの好みだった??」
「はぁ?? そんな事も言わなきゃ駄目なのかよ」
「当然でしょ?? 見つめていたんだから。ほら、怒らないから言って御覧??」
「言う訳無いだろ」
「へぇ……。そう……」
にぃっと歪な笑みを浮かべると、俺の命の次に大切な完成済みの報告書を手に取る。
「何するんだよ」
「言わないとぉ。これ、破る」
「はぁ!?」
いやいや!! 人質取らないでよ!!
「何か腑に落ちないもん。私という存在がありながら、他の子に目移りするなんて」
刹那に眺めただけで酷い仕打ちだ。
「ほら、早く言わないと、どんどん不味い状況になるわよぉ??」
容易に人の臀部を割ってしまう馬鹿げた攻撃力を備える指で拙い防御力の紙を手に取り、今にも破きそうな勢いで小首を傾げてしまう。
くそう!! 人質を盾にとって、卑怯な奴め!!
「…………。分かったよ。言えばいいんだろ、言えば」
「はい、良く出来ました!! で、誰?? 赤い子?? 緑の子?? 藍色の子?? 白の子?? 灰色の子??」
「それ、言ってて疲れない??」
「全然??」
左様で御座いますかっと。
誰が一番かって?? そんなの決められる訳ないだろ。
マイは、普段は大変だらしなく周囲を困らせる程の食欲と楽観主義なのだが戦闘時は誰よりも頼りになるし。
ユウは、いつも優しくて俺が頼まなくても率先して貧乏くじを引いてくれる。
カエデは、だらけきった隊を纏めてくれて皆へ的確な指示を与えてくれる。
アオイは、男女間の距離感が間違っているけど仲間を親身に労わってくれる優しい心の持ち主だ。
ルーは、底抜けに明るくて隊を盛り上げてくれるし。リューヴはどちらかと言えば寡黙で怖い顔を浮かべているけど皆の輪を重んじてくれる。
それぞれが本当に良い所を持っているからね。
そして、この首を傾げたくなる状況下で。俺の好みだと言っても怒らない人と言えば……。
「……………………。藍色の子」
この机の範囲にだけ聞こえる様に蚊の羽音より小さく呟いてやった。
もしもこの発言が明るみになっても、カエデなら無言で許してくれるだろうさ。
他の人が好みだと言ったら絶対喧嘩になりそうだし……。
あ、でも。取捨選択の末、様々な理由を以てやむを得ず選んだと言ったら氷の槍が俺の腹を穿つかも。
いずれにせよこの事は秘密にしておかないと。
「あの子か!! 確かに可愛かったよねぇ!! ほら、白くて透き通る肌に超可愛い円らな瞳。頼りない肩とか守ってあげたくなっちゃうもんね――」
「喧しい。あんな数秒の間で良く覚えたな」
「洞察眼は人一倍強いので」
「そりゃそうですかっと」
藍色の子。カエデ、か。
確かに……。うん、可愛いと思う。
外見は勿論の事。彼女の聡明さ、真面目さ、そして勤勉な所は本当に尊敬している。
いつも頼りっぱなしで、どうしようも無い俺を支えてくれている事に申し訳ない気持ちで心が一杯だ。
もしも……。いや、天と地がひっくり返ってもありえないが。
カエデがもし俺と付き合ってくれて、彼女という存在になってくれる日が訪れたとしたのならそれは嬉しいと素直に思う。
心の全てを吸い込んでしまいそうな藍色の瞳、深い海を想像させる藍の髪。
そして、トアが話した通り頼りない肩は男の独占欲を掻き立てる事だろう。
だけど……。俺には到底届かない高根の花さ。
いや、カエデだけじゃなくてあそこにいる全員がそうだと俺は思っている。
この世の始まりを創生した九祖の末裔と、空気さえも凍てつく吹雪の中に捨てられた矮小で無価値な捨て子。
どちらが価値のある人種だと千人に問うたら全員が前者を挙げるだろう。
片や高貴な血統、片や底辺の血統。
公正に、そして等しく価値を図る天秤に乗せなくても釣り合わない事が理解出来てしまいますよっと。
「レイドは、さ」
「ん??」
「彼女とか作らないの??」
「どうした、藪から棒に」
「だって、今の世の中の事を考えるといつ終わりがやって来るかもしれないんだよ?? そう考えると、ね」
ふっと静かに息を漏らして話す。
「ん――。俺達の仕事ってさ、常に危険が付き纏うだろ??」
「うん」
「それを待つ身の事を考えるとどうも、ね。相手に不安な気持ちを抱かせたくないし、何より俺自身がそれどころじゃないんだよ」
「仕事で手一杯って事??」
「そう捉えて貰っても構わないよ。魔女にオークに、今はこの忌々しい報告書。例え、彼女が出来たとしても遊ぶ時間もなければ会ってやれる時間も無い。甲斐性無しの男なんだよ」
自分で言っていても何だか悲しくなって来たな……。
それだけ時間が無いって事を自覚しているのだろう。
「そんな事無いと思うけど……」
「何??」
作業の手を一旦止めてトアを見つめる。
「何にも!! じゃあさ、魔女を倒して世の中に平穏が訪れてから作るつもり??」
怒ったような、それでも怒っていない様な……。良く分からない表情を浮かべて紙と格闘しているな。
余り見つめていても仕事は完成しませんし、俺も彼女に倣って作業を続けましょう。
「作るつもりって。相手がいなきゃどうしようもないだろ。でも、まぁ……うん。そうだな。魔女がいなくなって平和な世の中が訪れれば、自ずと時間も出来るだろうし、腰を据えてしっかり探そうと考えている次第であります」
「あはっ。何よ、それ」
口角をきゅっと上げ、惜しみない笑みを零す。
「大体トアはどうなんだよ」
「え?? 私??」
「そう。俺は答えたからトアも答えろよ」
「私かぁ……。そうだねぇ……」
腕を組み、真剣に思考を凝らしている。
そんな悩む事か??
「私も、レイドと似た考えかな。今はそれどころじゃないってのが本音だよ。前線に戻れば嫌でも時間が出来ないし、それにいつアイツらが攻めて来るかもしれないし……」
「ふぅん。それで?? どんな男が好みなの??」
「うぇっ!?」
好みの男を聞かれてそんなに驚く事かしら??
「こ、好み??」
「そう。筋肉の塊で、岩をも容易に砕く男か??」
普通の人間では不可能だが、俺の知る限りではそれを可能とする魔物の男性は複数居ます。
森の中の優しい力持ちさん、大空を統べる覇王様、そして大勢の狼を従える雷狼さん。海竜さんは……。まぁ、魔力を解放すれば可能でしょう。
その全員がたった一人で俺達七名を余裕で制圧出来る実力を備えている。
人の世で生活していれば知る由も無かった事実。
本当に世の中は広いと思い知らされましたよ。
「別に筋力は関係ないわよ。私が見ているのは、そうね。人柄、かな」
「具体的に??」
「ん――。私が、我儘言ってもちゃんと付き合ってくれて。下らない冗談を言っても、呆れながら話を聞いてくれる。頼りなさそうで、その実頼れる。真面目そうだけど、騒ぐところはちゃんと一緒に騒いでくれる。それで…………。時折ふっと見せてくれる笑顔が私の心をキュッと掴むんだ」
「ほぅ。随分具体的だな」
いけね!! また間違えちゃった。
訂正印押さないと……。
「うん、具体的だね」
「トアはそういう人が好みなんだな。いつか、出会うといいな。そいつと」
「そう、だね」
うっわ!! 此処も間違えている……。
レフ准尉に叱られなきゃいいけど。
「…………」
む?? 何だ??
妙な視線を感じてふと正面を見つめると。
トアが両手で頬杖をつき、温かい瞳で俺の顔をじっと見つめていた。
え?? 何?? 男飯で飯を食い過ぎて眠くなったのかな……。
「おい。手が止まっているぞ??」
「へ?? あ、うん。へへ……。仕事しなきゃね」
刹那に頬杖を解き、慌てて己の書類と格闘を再開させた。
「ほら、今日中に終わらせるぞ」
「了解しました!!」
トアと過ごす時間は心が落ち着き、束の間の安寧を与えてくれるようだ。
それはやはり同期だからなのか、気の置ける友人だからなのかは分からないが。兎に角、心の奥底でそう感じている俺が居た。
彼女が零す笑み、屈託の無い笑い声、そして時折見せる優しさの塊。
それを見ると安らぐ気持ちを覚えてしまう。
「レイド、また間違えているよ」
「ぬぁ!! やっばい!! これ以上訂正印押すと提出出来ない!!」
「あはは!! ほれほれ――。間違えろ――」
「喧しい!!」
こうやって友人と過ごす時間は貴重だよな。
今は任務の合間だけど、いつか時間がたっぷり出来たら一緒に街を練り歩くのもいいかもしれない。
上官の愚痴、仲間の愚痴。
そんな事を話しながら買い食いでもして軽快に会話を続ける。
友人だからこそ話せる事もあるだろうし。きっと瞬く間に時間が過ぎ去る事だろう。
いつか、そんな平和な日が訪れたら良いかもな。
細心の注意を払いながら報告書と顰め面で睨み合い。
もっと真面な顔を浮かべて作業をしろと時折、トアの揶揄いを受けながら筆を走らせ。頭の中では片付けるべき仕事の内容と自分勝手な近未来予想図がせめぎ合っていた。
お疲れ様でした。
この後、夕食を食べる予定なのですが……。何が良いのかと胃袋に問うても中々返事が返って来なくて困っている次第であります。
そんな事知らねぇよ!! と。
光る箱越しに読者様の声が届いていますが、どうせなら一日の終わりに相応しい食事を摂りたいとは思いませんか??
わざわざ出て行くのも面倒なので、取り敢えずサッポロ一番味噌ラーメンでも作りましょうかね。
それでは皆様、引き続き連休をお楽しみ下さいませ。




