第四十八話 縁の下の、更にその下の力持ち達
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
随分と頼りない光量の青い月明りが木々の間を縫って地面を微かに照らす。自然の森、しかも夜の森を進むのには少々心許ない光量だが、夜目が効く私達にはこれでも十分過ぎる明かりだ。
湿気を含んだ土、進行を妨げようとする木々と茂みの数々。
土地勘の無い場所ならきっと何度か自然の罠に引っ掛かって腹いせに蹴り飛ばしてやるんだけど。
森生まれ森育ちの狼二頭が先導してくれるおかげで最短距離を楽に進めていた。
「ねぇ!! 道、合っているわよね!?」
意気揚々と前へ、前へと駆け続けている二頭の尻尾へ話しかけた。
「勿論だ。主の匂いを間違える筈が無い」
「そうだよ――。それに足跡もあるし!!」
当然ながら私もアイツの匂いを捉えている。
自然に囲まれた中。前方からふぅわぁっと漂って来る酸っぱい大蜥蜴と人間の女の匂い。
そして、嗅ぎ慣れた彼の香り。
まぁ匂いだけじゃなくて蜥蜴とその後に続くボケナス達の足跡もくっきりと残っているので間違えようが無いとは思うけど、一応……ね。
これから始まる楽しい祭りを見逃すまいと息を切らして大自然の中を進み続けていると、リューヴが茂みの手前でピタリと足を止めた。
「むっ!? この闘気……。見えた!!」
私達もそれに倣い、ゆっくりと茂みを掻き分け視線を覗かせると……。
ぽっかりと開いた空間で夜空から降り注ぐ月明りを浴びて、大蜥蜴とお祭り騒ぎを繰り広げているアイツがいた。
どうやら龍の力を僅かながら発動しているようだ。
手袋でそれを上手く隠しているのはきっと仲間に悟られたくないのだろうさ。
アイツにしては考えたわね。褒めてあげてもいいでしょう。
「おぉぉっ!! レイド凄い!!」
「あぁ!! やるじゃん!!」
ユウとルーの喜々とした声が響く。
でも、私からしてみればまだまだといった所。
攻撃に転じる際の隙が多く、それに敵を殲滅しようとする圧倒的な殺意が足りない。
駄目ねぇ。蜥蜴相手にはそれでいいかも知れんが、それじゃあ私達の相手は務まらないわよ??
「レイド様ぁ……。素敵ですわ……」
皆が喜々とした表情で観戦している一方。
蜘蛛は恍惚の表情を浮かべて、口から質量を帯びた甘い吐息を吐いてボケナスの一挙手一投足を目に焼き付けていた。
おぇっ、きっしょ。
そのまま向こうの世界へ旅立ってしまえ。
『ずぁぁああああ――――っ!!!!』
『何!? ぐぶっ!!!!』
「そこを……。躱して……!!」
「今だ!! よっしゃあ!! 入ったぞ!!」
ルーとユウに至っては完全にボケナス目線で大蜥蜴と対峙しており、自分の手柄の様に喜んでいる。
あのねぇ。あんた達が戦っているんじゃないでしょ。
「お次はマントの個体か……。主がどう処理するか。見物だな」
「でもあのマントちゃん。他の蜥蜴ちゃん達よりちょっとだけ強いよ??」
「あぁ。筋肉の付き方が少し違うな」
狼二頭の考察通り、力の限りに鉈を振り下ろすと地面が大きく窪む。
へぇ!! 蜥蜴の分際でやるじゃない!!
マントが叩きつけた威力が地面を通して此方へ伝わって来た。
「ぐぬぬ……。レイド様に刃物を向けるなんて……。万死に値しますわ!!」
「アオイちゃん。もうちょっと静かにしてよ」
「こうなったら私が加勢して……。っ!!!!」
『はぁぁああっ!!!!』
『うぶぐえっ!!!!』
ボケナスの放った一撃が蜘蛛の気持ち悪い声を途絶えさせた。
腹への一撃で倒した事は認めてやる。
しかし、私だったら……。
顔が下がった所へ拳を突き上げ、それを受けた反動でピンッ!! と伸び切った体に再び拳を捻じ込んでやる。
上下左右の連打で意識を飛ばして……。もう二度と私に歯向かえなくなるように、心と体へ痛みを教えてやるんだけどなぁ。
追撃が無いのが歯痒い。
「あぁっ、レイド様ぁ。愛おしいですわ」
「見惚れるのもそこまでだ。女首領が出て来たぞ」
リューヴが警戒した声を上げて正面を見つめる。
あぁ、私がボコったあいつか。
「ねぇ、ユウ。アイツ、まぁまぁ強かったわよね??」
「ん――。まぁ、そうだな」
「あれっ?? マイちゃん達ってあのお姉さんと戦ったんだっけ??」
お惚け狼が金色の瞳で私を見上げる。
「ルー達と会う前に一度会敵したんだよ。あたしが埋めた相手は……。あぁ、レイドに倒された奴だな」
私の事をその……。色々と小さいとほざいたので。
一生消えない恐怖を植え付けてやった奴は……。
後方で人質を取っている奴ね。
「「……」」
今も女首領の背後でニヤリと歪な笑みを浮かべている。
あの顔を見ていると無性に腹が立って来るのは気の所為でしょうか??
今直ぐにでもそのニヤケ面を止めろともう一度ギッタンバッコンにしてやりたい気分だ。
「人質を取られ、残る相手は三体。さてさてぇ?? レイドはどうするのかなぁ――」
お惚け狼のモコモコの背中から好奇心が満ち溢れ。尻尾が左右へ機敏に揺れ動いていた。
何だか散歩に連れて行って貰えると確知した飼い犬みたいな喜び方よね。
「おっ!! どうやら先手は向こうだぞ!!」
ユウが話す通り、女首領がボケナスの知り合いの兵へ向かい突撃を開始した。
『うっそ!? ウグッ!!』
彼女は反応が数舜遅れ、後手へと回ってしまう。
お――いおいおいっ。
あれしきの速さで後れを取るなよ。欠伸が出る速さじゃない。
「レイドが助けに……ありゃりゃ。横槍が入っちゃったね」
「あの蜥蜴!! 主に傷を負わせたな!!!!」
「ちょ、ちょっと。駄目だよ、リュー。出て行ったら怒られちゃうよ??」
ルーが焦るのも大いに頷ける。
槍の穂先がボケナスの阿保面を掠め。一筋のカッコいい赤き液体がポトリと地面に落ちる。
それを見たので怒りが増したのであろう。
リューヴはアイツが傷つくと見境無いからなぁ。
あの祭りに参加出来ない歯痒さを噛み締めて監視を続けていると。
戦いは序盤からずっと、大蜥蜴側優勢で進行していた。
あ゛ぁっ……。イライラするぅ!!!!
何やってんのよ!!
哨戒中でも後れを取って、戦いでも後れを取って!!!!
出来る事なら目の前に正座させ、小一時間程説教してやりたい気分だわ!!
一体何の為に私達と組手を繰り広げているのかってね!!
「あ!! 危ない!!」
ルーが危機感を含む声を出す。
『アグッ!!』
うげぇっ。今の蹴り……。
不味い角度で入ったわね。
女兵士が首を蹴られ後方へと吹き飛ばされて行き、太い木の幹へ衝突してしまった。
あちゃ――。死んで無きゃいいけど。
「おいおい……。レイドの奴、相当怒り心頭だぞ」
「そりゃそうでしょ。あいつ、自分の事より仲間を傷付けられた方が激昂するし」
「……」
ボケナスが女兵士を抱きかかえ、そっと脈を計る。
うむ。命に別状は無いみたいだ。
アイツの表情がそれを物語っている。
しかし、女首領が何かを話すと。
『はぁぁああ!! ずぁぁああああ――――っ!!!!』
「「「っ!?!?」」」
彼の様子が一変して私達でも一瞬たじろぐ魔力が解放された。
「うっひゃ――!! すんげぇな!!」
「レイド凄いじゃん!!」
「流石、主だ」
「駄目ですわ、レイド様。そんなお力を見せられたら私……。火照ってしまいます」
まぁ、アホな事を言っている奴は無視をするとして大魔の血を引く私達が感心する程だ。
ひょっとしたらあの状態なら私達といい勝負をするのかもしれない。
けどなぁ。どうせ短時間しかもたないだろうし。
そこが問題よねぇ。
『……………………ふふ』
う゛んっ!? 誰!?
「ねぇ。今の声、聞こえた??」
「へぇ――……。カッコいいじゃん」
ボケナスへ向かって乙女らしいきゃわいい瞳を向けているユウへ問うも。
「はぁっ?? ――――。何にも聞こえないぞ。ちょっと黙ってろ」
あたしは今集中して見てんだから邪魔するな、と。
若干辛辣気味な声色が返って来てしまった。
んっ、ちゅめたっ。
突如として頭の中に鳴り響いた声に反応して、何度もパチクリと瞬きを繰り返して周囲を見渡すが……。
見えて来るのはうっそうと茂った木々と月明りに照らされた落ち葉と地面のみ。
今の声……。
どっかで聞いた事があるよぅな、無いよぅな??
「あっれぇ?? おっかしいなぁ――……」
私の右隣りでボケナスへ熱い視線を送っている親友の片胸を下から、よっこいしょっと持ち上げて確認するものの。
大変小さな人が彼女の胸の下に隠れている訳でもなく。
「勝手に触んなっ!!!!」
「ンドゥブ!?!?」
大魔王様の片割れを触った代償として、鉄をも木っ端微塵にする剛拳が脳天に突き刺さってしまった。
「ン゛ッ!! ン゛ン――ッ!!!!」
普段なら泣き叫んで痛みを誤魔化すのだが。
今は隠密行動中であり監視行動中でもある。
向こうに此方の存在を気付かれてはいけないので。両手で頭を抑えて声にならぬ声を上げて、地面の上を転げ回り続けた。
な、何で人の頭をぶつのよ!!
この天才的頭脳の損失は魔物全体の損失に直結するのよ!?!?
『……………………。絶対そうはならないからそこで悶え打っていなさい』
ほら!! また!!
どこだ!? どこにいる!?
『……………………安心して。彼は負けないわ』
あんた誰よ!!!!
私の中で声を叫ぶが返事は返って来ず。聞こえて来るのは、金属同士が衝突する甲高い音と闘志達の白熱した雄叫びのみ。
今のは……。一体……。
「――――。よう、そこで楽しそうに坂を転げ回るダンゴ虫」
ユウが正面に向けていた体をくるりと此方へ向けて話す。
「楽しく無いわ!!」
「へへ、そっか」
そして、二っといつもの快活な笑みを浮かべた。
その表情から察するに……。
「後方の人質。あれをどうにかしてやろう」
やっぱりね。そう来ましたか。
「あ――。そういう事」
凡そ。
間もなく決着がつくのだが、勝てぬと踏んだあの女は悪党らしく人質を盾にする筈。
そしてアイツがこれ以上後手に回らないよう、人知れず私達が人質を解放してやろうとする算段なのだろうさ。
「ここから見て、右側の奴はあたしがヤル」
「じゃ、私は左側で」
ふふん。バレない様にブチ倒すのか。
腕が鳴るじゃない!!
声の件は、ユウのワクワクする誘いで深い霧の中へと消え失せた。
まっ。お腹が減って幻聴が聞こえたんでしょうよ。
今度機会があれば、年齢詐称狐かドスケベ姉ちゃんにでも聞けば自ずと答えが返って来るわよね。
一々細かい事を気にしちゃ駄目。大魔である私は堂々と腰を据えていればいいのだっ。
「ユウ、マイ。主に気付かれぬよう、数舜で片を付けろ」
「分かってるって!! おっしゃ、行くぞ!!」
「ふふ……。どこに捻じ込んでやろうかなぁ」
「顔、こっわ。マイちゃん達の顔の方がよっぽど野盗らしいよ……」
それはごもっともで。
ユウと闇夜の中、足音と気配を消して相手の背後へと回り込む。
「すっげぇな。あの男……」
「あ、あぁ。姉御が終始押されているぞ」
幸い、無駄にデケェ蜥蜴共はボケナスと女首領の戦いに気を取られているので後ろは完全に御留守であった。
『ユウ。行くわよ??』
『あぁ。一、ニの、三で飛び出るぞ』
茂みの中、夜虫の鳴き声よりも小さくして声を出してその時に備えるのだが……。
此処で一つの疑念が湧いてしまった。
『それって三と同時で飛び出るのか。それとも三を言い終えた後に出るのか気にならない??』
『知らないし!! もういい。あたしに合わせろ』
親友に対して酷い言い草だ。
今度ミノタウロスの里へ寄ったのなら、ユウの母ちゃんへ告げ口してやろ――っと。
貴女の娘さんは友人である私の頭を殴ったどころか、酷い言葉をぶつけていますよとね。
『行くぞ?? 一、二の……三!!』
ユウが三と同時に勢い良く茂みを飛び出し左の個体の背後へ飛び付き、呆れた筋力で首をギュウギュウと締め上げる。
「っ!?」
うげぇ、想像したく無いな。ユウの締め技。
「何だ?? 今の音……っ!!!!」
「…………。よぅっ」
私の姿を見て、大蜥蜴の体が一瞬で氷付く。
そりゃそうよね。
私の顔を見れば……。
顔の形が変わるまで殴られた記憶が嫌でも甦る筈。
「ヒ、ヒィッ!! お、お前は……。どぶぐっ!!」
間髪入れずに顎先へ拳を捻じ込んでやった。
安心しなさい。
今日は一発で済ませてやるわ。
相手の体が重力に引かれ、面白い角度でベチャっと地面へ倒れ込む。
ふふん。一発勝利!!
『こっちもそろそろ落ちるぞ』
見れば、絞められている大蜥蜴は泡を吹いて白目を剥き。穴と言う穴から液体を零し、体全体が細かく痙攣していた。
『いやいや、もう落ちてるって!! それ以上やったら死んじゃうわよ??』
『へっ?? おぉ。すまんすまん』
ぱっと手を放すと、壊れた人形みたいにグシャリと地面に倒れてしまう。
『やり過ぎ!!』
『へへ。ちょっと力加減が難しくてさ。よし、帰ろう』
私に殴られた方がよっぽどましなんじゃないだろうか??
いそいそと元の場所へ戻りつつ……。
少しばかり、相手に同情してしまった。
さてと。ボケナス、あんたの尻拭いは済ませたわよ??
ちゃんと勝ちなさいよね。
今も続く金属の激しい衝突音を耳にして陰ながら呟いてやった。
◇
重い足を引きずって街道へ戻ると、荷馬車へトアの武器を乗せながら先程の声を頭の中で思い出していた。
あの声は一体何だったんだ……??
中性的な声。それと、陽性な感情が含まれた声色。
その声は聞き慣れたマイ達とは違うし、この団体の中の誰とも一致しない。
聞き間違い?? それとも…………。幻聴か??
だとしたら大分疲れが溜まっている証拠だ。
答えが見つからない問題の答えを考えていても仕方が無い。機会があれば師匠に伺ってみよう。
「レイド様、ありがとうございました。御蔭様で一人の人員を欠く事もありませんでしたわ」
「あぁ、いえ。これも任務ですので」
背後から少々疲れた顔のエアリアさんが此方へ近付き、労いの声を掛けてくれた。
「申し訳ありません。私共の衛者は役に立たなかったようで……」
『全く以てその通りですね』
「仕方がありませんよ。魔物と初めて会敵した事ですし」
そう言いたいのをぐっと飲み込んで、この場に相応しい言葉を放つ。
もしも、イル教の護衛者達がトア達と何ら変わりない実力を備えていれば彼女が負傷する事も無かったのに……。
大蜥蜴を撃退した勝利の喜びよりも、彼女を守れなかった己の不甲斐無さの方が上回ってしまう。
誰も傷つかない様に、悲しい思いをさせない様。もっと鍛えて強くならないといけないな。
「あら?? 御怪我を??」
心配そうな表情で俺の顔を見上げて来る。
「掠り傷ですよ」
槍が掠った跡の事かな?? 恐らく頬にまだ血の筋が残っているのであろう。
後で、水で洗い流しておくか。
「もっと良くお見せください……」
「へ??」
端整な顔立ちが眼前に迫り、僅かながら心臓が驚きの声を上げてしまう。
「あぁ……。こんなに血を流して……」
「っ!!」
温かくて柔らかい指が傷跡を這うとピリッとした痛みが走った
突然の出来事に目を白黒させて彼女から数歩下がる。
「も、申し訳ありません!! 痛かったですよね??」
「大丈夫ですよ」
「ふふっ、良かった。で、では馬車に戻りますね」
真面目な態度が裏目に出てしまい、羞恥心が労わる気持ちを上回ってしまったのだろう。
頬を朱に染めると馬も驚く早足で馬車へと進んで行った。
「レイドさん。トアさんの容体は如何ですか??」
「先程、天幕の中へ放り込んでおきました。朝までぐっすり眠ればケロっと回復しますよ」
我ながら酷い言い方をするとは思う。
でも、事実なのだから仕方がありません。
「ふふ。酷い言い方ですね?? 打撲に良く効く塗り薬がありますので、後で傷口に塗っておきますね」
「それは助かります。トアの事、宜しくお願いします。まだ夜間の哨戒が残っていますので」
弓を背負い荷馬車から離れる。
「もう襲って来ないのでは??」
リフィレさんが細い首を傾げてこちらへ問う。
「いや、用心に越した事はありませんよ。油断を誘って襲ってくるかもしれませんし」
それに、大蜥蜴だけじゃなくて人間の野盗が襲い掛かって来る可能性だって無きにしも非ずって感じだ。
人質を確保していた大蜥蜴が倒れた理由も分かっていないんだし……。
転ばぬ先の杖、じゃあないけど。警戒を怠らないのは悪い事ではない。
「分かりました。引き続き、お願いします」
「了解です。トアが鼾を掻いたら頭を叩いてやって下さい。それで黙ると思いますので」
これは訓練所で習った技術だ。
隣り合うベッドで喧しく、耳障りな音を断つのにとても効果的な処理。
同室のハドソン達の頭を夜中によく叩いてたなぁ。五月蠅いぞ!! ってね。
「私はそこまで横暴じゃありませんよ」
「冗談です。では、失礼します」
彼女へ一つ頭を下げ、一団の最後方へと回った。
ふぅ……。さぁってもう一仕事だ。
松明が爆ぜる音と、木が燃える香りが悪戯に眠りへと誘い始める。
眠りへと誘う手を跳ね除けじっと森の奥の暗闇を見つめていると先程の戦闘の光景が頭の中に浮かび上がった。
トアが無事で本当に良かった。
もしも、彼女が亡くなったら……。きっと俺は持ちうる力を全て解放していたかも知れない……。
燃え上がる憤怒の感情に身を任せ、己の身を焦がし、激情に駆られたまま相手を殺戮する。
う――む。いかんなぁ。
師匠の教えに反してしまう。
きっと。
『馬鹿者!! 感情の抑制が効かぬなど、稚児と変わらぬわ!!』
そうやって叱られてしまうのであろう。
感情の抑制とは言いますけど、目の前で大切な友人が殺されたら誰だって感情が爆ぜてしまいますよ。
師匠の実力を考慮すればそんな経験は無いとは思うけど、俺は少なくとも爆発してしまうだろう。
もっと己の精神を鍛え、澄み渡る水面を維持する力を付けなきゃ。
……精神を鍛える訓練、か。
どんな稽古を付けて下さるのかな??
『ふふ――ん。これを乗せて正座じゃ』
想像しなきゃ良かった。
満面の笑みを浮かべて巨岩を肩に乗せ、意気揚々と俺の前に立ち塞がる師匠が頭の中に降臨した。
『そんな岩を乗せたら足が砕けますよ!!』
『儂はこれで鍛えたぞ??』
『師匠と俺の体の構造を一括りにされても困ります!!』
想像の中の自分が情けない声を上げて、恐ろしい顔で襲い来る師匠から逃げ回る。
それが普通の反応だよ、な??
流石に足を砕かれたら精神を鍛える処か、病院送りになってしまう。
もっと効果的且、身体的にも負荷が少ない稽古がいいよなぁ……。
まっ。
そんな好都合な軽い稽古が世の中に存在する訳が無いんだけどさ。
ぼんやりと闇の彼方を見つめると、薄っすらと白み出した東の空が今日一日の始まりを予感させる。
本当に長い一日だった。
そして、激動の一日は過去のものとなって何事も無く新しい一日が始まる。
「ふわぁっ……」
大好物へ齧り付こうとする犬も思わず二度見してしまう程に顎を開いて新鮮な空気を体の中へと取り込む。
この顎の開き具合、そして勝手に閉じようとする瞼。どうやら今日一日は寝不足確定のようですね。
太陽が朝の挨拶を始める前から疲れが体を襲い始め、彼が完全に顔を覗かせてもなお眠気は立ち去る事は無く。いつまでも俺の体にしがみ付いていたのだった。
お疲れ様でした。
本日の天候は生憎の雨でしたが、その分鼻の御機嫌も良く。快適に一日を過ごせました。
皆様も体調には気を付けて下さいね。
それでは、皆様。お休みなさいませ。




