第三十六話 今だ慣れぬ距離感
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
それでは御覧下さい。
少し日が傾き始めた南大通りは昼の活気を失わずに人々で溢れ返り、そして車道で走る馬車の流れも絶え間なく続ている。
人間の二本の足音が積み重なってうねりとなり鼓膜を重く震わせ、馬の四つの足の蹄と車輪が地面を食む音が協奏されれば大都会と言う名の曲の完成だ。
無料で文化の音を聞けるのは嬉しい反面、もう少し位控え目に鳴っても宜しいのですよ?? と。目に見えない指揮者に合図を送りたくなりますよ。
任務明けの疲労、報告書作成に費やした体力、そして今朝方からずぅっと続く淫魔の女王様と従者の関係。
可能であればもっと優しい音を聞きながら歩きたい次第です。
此方がちょいと疲労が滲み出す時間帯に突入したのにも関わらず。
『ねぇ、どの店に入ろうか??』
彼女の笑みは陰りを見せる処か、より強烈に輝いていた。
今も元気一杯なのは目的とした物が買えた所為か、将又この街の雰囲気に当てられたのか。
恐らくその両者が影響しているのでしょう。
「エルザードが気に入ったお店で良いよ。甘い物は特別好きって訳じゃないから」
男性に比べて女性は甘い物が好きな傾向がみられる。
その分甘味の美味い不味いを見極める能力が発達しているので、俺が選ぶよりも彼女が選んだ方が良い店に巡り合える可能性が高くなる訳だ。
『んっ、りょう――かいっ』
ニコっと笑みを浮かべると少々浮かれた足取りで歩み出す。
「甘い物は好き??」
軽快な足取りで進み続ける彼女へ問う。
『うん、勿論大好きよ』
ほらね?? やっぱり女性は甘い物に目が無いのさ。
『疲れた時とか、ちょっと凹んだ時とかに食べたくなるわね』
「疲れは兎も角……。エルザードでも凹む時とかあるんだ」
これは意外だな。
いつも飄々として、自分勝手で、自尊心の塊で。
負の感情は彼女の前でひれ伏して、高笑いを続ける彼女に後頭部を踏みつけられる存在だと思っていたのだがね。
『むぅっ!! 失礼だぞっ!!』
「あいたっ」
右手で作った可愛い拳で俺の肩をトンっと叩く。
『折角気分良く歩いていたのにっ。ほら、罰として私の荷物を持ちなさい』
「仰せのままに」
彼女から手渡された紙袋を確と持ち、慎ましい日常会話を続けて南方向へと進み続けていると。鼻腔が大変甘い香りを捉えた。
『わっ、良い匂い』
彼女もこの柔らかい香りを捉えたのか、端整な鼻をスンスンと動かしている。
「多分あの店からじゃない?? えぇっと店名は……。パストランテ、だって」
大通り沿いに建てられた比較的新しい二階建ての木造家屋。
その扉の前に立て掛けられた看板に可愛らしい文字でそう書かれていた。
『うん!! この店にしよう!!』
一切の躊躇なく扉を開けて入るあたり、流石女王様。肝が据わっているなぁと思います。
しかし、両手一杯に荷物を持つ従者を置いて行くのはどうかなぁっと考えます。
塞がった両手を器用に動かして扉を開けた刹那、甘さを含んだ空気が体の中を駆け抜けて行った。
うわぁ、甘ったるい匂いだな。
「いらっしゃいませ!! お客様は二名ですか??」
黒を基調とした可愛い制服を身に纏った女性店員さんがパタパタと軽快な足取りで店の奥からやってくる。
『ほら、さっさと通訳しなさい』
「はい、そうですよ」
女王様に横腹を突っつかれながら店員さんへ向かって肯定の意を表す。
「では、奥の席を御利用下さい!!」
奥の席……。あぁ、あそこか。
店内には凡そ十の机が設置されており、俺達を案内しようとしているのは壁沿いのこじんまりとした二人掛けの席だ。
中々の盛況ぶりを見せる店内を横切り、席に着くと。足元に荷物を置いて小さく溜息を漏らした。
「はぁ――。買い物しながら歩くのって結構疲れるな」
机の上に置かれた水差しからコップへ水を移してエルザードの手元へ置いてあげる。
『ありがとう。そう?? 私は全然平気だけど??』
「女の人って。買い物になると途端に元気になるよな」
『人にも因るんじゃない?? 少なくとも、私は元気が出る方ね』
でしょうね。
こちらが疲労を見せているのに、エルザードは少しも堪えてなさそうだもの。
こんな華奢な体からどこにその活力が湧いて来るのか、甚だ疑問に思いますよ。
『いいお店ね。この匂い……。はぁ。甘さで頭が惚けちゃいそう』
「まだ食う前だろ。ほら」
食べる前だというのに目尻が下がりつつある彼女へ品書きを渡してやる。
『う――ん。どれにしようかな――っと』
注文する前からそんな嬉しそうな顔しちゃってまぁ。
此処の料理を食べたらどうなるんだろう。
甘さで体がクニャクニャに溶け落ちちゃう、とか??
『へぇ!! パンケーキだって!! 美味しそうじゃん!! レイドは何にする??』
「ん――。紅茶だけでいいかな。今は甘い物を食べるって気分じゃないし」
『だらしないわねぇ。甘さ何かに負けて』
「負けてはいないって」
少しばかり憤りを籠めて言ってやった。
『えっと……。あら?? 冬の感謝祭開催中、パンケーキの枚数は五枚まで無料で増量致します。だって??』
「何枚に挑戦するの??」
アイツの場合は当然五枚、だよな。
それでも足りなくて人から数枚強奪して……。他のお客様に迷惑を掛けてしまう程の強奪戦が狭い机の上で勃発してしまうのです。
『ん――。そうねぇ……二枚にしようかしら??』
「もっと沢山食べればいいじゃないか。マイならきっと五枚注文するぞ」
『あの子と比べないでよ。私はそこまで大食じゃないの』
ま、これが普通なんだよな。
異常な光景を見続けている所為か、二枚が少なく思えてしまう。
『枚数は決まった。次はぁ……。う――ん。どの味にしようかなぁ』
「味?? あぁ……。この事か」
品書きを見て行くと、パンケーキ乗せるクリームに三つの味があるようだ。
無難な砂糖味、季節柄の栗味、そして南瓜味。
想像するとどれも甘そうで歯が溶けてしまいそうですよ。
『決めた!! 栗の味にしよ。注文宜しくっ』
品書きをパタンと閉じて大変明るい笑みでそう話す。
「すいませ――ん。注文お願いします」
「はぁい!!」
パタパタと小気味の良い音を立てながら先程の店員が早足でやって来る。
「ご注文を御伺い致します」
「えっと、紅茶を二つ。後パンケーキの栗味を一つ」
「只今冬の感謝祭を開催しておりまして、パンケーキは五枚まで無料で追加出来ますけ
ど如何致しますか??」
「二枚でお願いします」
「畏まりました!! それでは少々お待ち下さいね」
俺達の注文を伝えにすぐそこに見える扉の奥へと姿を消した。
「しかし、色々買ったな」
エルザードの両脇に置かれている荷物を見て話す。
『そう?? まだ全然買い足りないけど。部屋に置く場所あったかなぁ』
「エルザードってどこに住んでいるの??」
興味が湧いたのでついでに聞いてみた。
いつもは師匠の所で羽を伸ばしている印象が強いからね。羽を伸ばすというよりも、居候??
『この大陸の北東。深ぁい森の奥にある屋敷よ。周囲に結界を張ってあるから普通の人間は迷って入って来れないようにしてあるわ』
「へぇ。師匠の所と同じ感じ??」
「まぁ大体合っているわ」
森に入って来た人がおいそれと近付けなくしてあるのね。
「屋敷って言ったけど。一人で暮らしているの??」
『ん――。基本的にはそうよ。私の屋敷の周囲に淫魔の血を引く者達が好き勝手に住んでいるの』
「屋敷を中心にした里か」
『定住している者もいれば、偶にふらぁっと帰って来て近況報告をする感じかな。好き勝手に生きるのが淫魔の常識。一応、大魔の血を引く私が名目上女王を名乗っているけど他に名乗りたい人が現れたら譲るつもりよ??』
「おいおい。随分と軽い肩書だな」
『だってぇ、仕事が面倒なんだもん。出生記録とか、子供に付ける名前の承認、外出届けとかさぁ……』
何だか役所仕事みたいな事しているな。
『特に女王だからってする事も無いし。あ……、思い出した。女王の地位に就く者がする仕事は一つだけあるわね』
ポンっと手を合わせて話す。
それが大切な仕事なのですから思い出す仕草をすべきではありませんよ??
「それは何??」
『大魔の血を受け継ぐ者達が一堂に会する会議みたいなものがあってね。それに出席しなきゃいけないの』
「それって……グシフォスさんとか、ボーさんも出席するんだよな」
あ、あの面子が一堂に会すのか……。想像するだけで寒気がするよ。
皆さん我が強いので侃々諤々の中。何かきっかけがあれば場外乱闘そして大喧嘩に発展。
その中でも性格が真面目な師匠や、フォレインさん、そしてテスラさんが場を持つ。
これも容易に想像出来ますね。
『勿論。重大な問題があった時、他の種族に伝えておきたい問題等々。不定期に開催されるの』
「不定期、か。因みに、前回は何年前位??」
『えっとぉ……。ミルフレア達と喧嘩した時だから百年前くらい??』
「位って。ちゃんと覚えておきなさいよ。魔女が出現しても開催されなかったのか?? その会議は」
今から約二十年前。
突如として大陸の西部から奴等が侵攻して来た大事件だ。
この大陸に住む魔物達もきっとそれに備えて重苦しい会議を開催したのだろうさ。
『う――ん。まぁ、そうねぇ』
何だろう。
何か言い淀んでいるような……。
俺に伝える必要は無いのかな??
『――――。魔女の対処、そしてオーク共をどう抑えるか。それと……。大陸南西部の居城の魔女をどう倒すか。最優先課題として話し合ったわよ』
「その会議の結果はどうなったの??」
魔女の倒し方が確立されているのなら是非とも知りたいのが本音ですからね。
『貴方も知っている通り。オーク共は平地を進んで侵攻を続けた。けれど、大陸南部不帰の森内部の侵攻はフォレイン達蜘蛛一族が食い止めると了解したわ』
ふぅむ。
生まれ故郷を守る戦いが同時に、南部一帯から奴らの侵攻を食い止める事となっているのか。
フォレインさんから伺った通りの内容だな。
「魔女の対象方法は??」
さて、本題だ。
腰を据えて彼女の返答を待った。
『ん――。これ以上は秘密、貴方はまだ知る立場でも無い。それはカエデ達も同じだから』
あ、あらら……。
流石に二つ返事で教えてはくれないか。
「情報漏洩を懸念しているの??」
『正解。魔女に対しての反抗作戦を知っている大魔は亜人を除く八体。皆、貴方が良く知る人物達よ』
「その八名以外に口外は出来ない、か。申し訳無い。この大陸の命運を別つ重要事項を軽く聞こうとしちゃって」
『気にしないで良いわよ。時期が訪れたらちゃんと話してあげるから、その時まで我慢してね??』
手を合わせて申し訳なさそうに話す。
「別に構わないよ。ふぅ――……。エルザードも色々苦労しているんだな」
労いの意味を込めて口を開いた。
『そりゃ三百何年も生きていれば苦労もするわよ。レイドが想像出来ない位ね』
「お疲れ様です」
『どういたしまして。ね?? なんか暗い雰囲気になっちゃったからこの後、私の屋敷に来ない??』
舌舐めずりをして、唇をじっとりと湿らせる様がまぁ淫靡に映る事で。
「残念だけど。明日から任務だから、またの機会って事で」
エルザードだけなら兎も角、彼女に匹敵する色気を持つ方々がお住まいになられる里へ単騎でお邪魔すれば。きっと精神をヤラれてしまって二度と帰って来られないだろうからね。
それとも拘束されて好き放題にされるのか。
いずれにせよ、目を覆いたくなる結末が待ち構えている事は確実であろう。
『むぅ。そんな仕事放っておいて、遊ぼうよ』
「あのねぇ。子供じゃないんだから。仕事は仕事。遊びは遊び。切り替えが大事なの」
夜遅くまで遊びを強請る純粋無垢な子供の瞳の色を浮かべている彼女へ言ってやった。
「屋敷では一人暮らししているの??」
『基本的にはね。まぁ後は口煩い世話焼きが居るくらいよ』
「世話焼きって……。グウェネスさん??」
以前、前線基地のファストベースで会った姿を不意に思い出す。
元気にしているかな。
『良く覚えているわね』
「そりゃ初めて会った淫魔がグウェネスさんだからね。印象強かったし」
綺麗な姿なのに礼儀正しくて、背筋もシュっと伸びて……。少なくとも俺の目の前でブスっとした顔を浮かべている彼女よりも仕事は出来る印象ですね。
『それって、私よりも……。印象が強かったって事かしら??』
途端に不機嫌になり眉を顰める。
「い、いやいや!! エルザードの方が印象強かったよ」
悪い意味でね。
初対面の時、かなり委縮しちゃったし。
それに……。滅茶苦茶痛い思いをさせられたからね。特に左胸に刻まれた印。
アレは強烈に痛かったですよ……。
『そ。ならいいわ』
機嫌が直った彼女の姿を捉えてほっと胸を撫で下ろすと、店員さんが甘い匂いを連れて来た。
「お待たせしましたぁ!! 当店名物のパンケーキで御座います!!」
うへぇ……。甘そう……。
クリームの白色に栗の淡い色が混ざり合い、その上からこれでもかと粘度の高い蜂蜜が掛けられている。
よくこんな甘い物を胃袋に詰められるな。
口に入れたら歯が溶け落ちちゃうんじゃないの??
『わぁ!! 美味しそう!!』
「甘過ぎるからお腹壊すかもよ??」
『女の子は甘い物で出来ているから気にしない!!』
そうですかっと。
熱々の蒸気を放つ紅茶を啜り、正面のエルザードを見つめる。
『んぅ――!! 甘くて頬っぺたが落ちちゃいそう!!』
「良かったな」
『ありがとうね。ついて来てくれて』
「あ、うん……」
何だろう。
今日のエルザードはどこかおかしい気がする。
笑みが絶えないし、それに……。
随分と柔らかい雰囲気だ。
不意打ちにも似た眩い笑みに思わず見惚れてしまった。
『ん?? どうしたの?? ぼ――っとしちゃって』
「良く食うなって思ってたのさ」
咄嗟に思いついた言い訳を話す。
『これ程の甘味、久々だからね。ついつい手が伸びちゃうのよ。んふっ』
そりゃ、ようございましたな。
両手を忙しなく動かして鼻頭にクリームを乗っけるおっちょこちょいの淫魔の女王様を。
『仕方が無い』
そんな呆れにも似た感情を含めて見つめる。
何か……。親と一緒に訪れたお店で大好物を頬張る子供みたいだな。
何となくだけども。沢山食べる子を持つ親の気持ちを理解出来た気がした。
――――。
空に赤が目立つ様になり、間もなく一日の終わりを告げようとしていた。
普通の性格なら沸々と湧き起こる怒りはこの長い時間の間で少しは冷めるのだが。
しかし、それでも深紅の髪の先端を細かく震わせる彼女の怒りは収まる事は無く。今も憤怒を籠めた表情で店の扉を見つめていた。
「なぁ」
「何よ」
ほらね。何気無くした返事にも怒気が含まれているし。
コイツは直ぐ態度に出すんだよな。
「そろそろ帰ろう。もう直ぐ暗くなるし。それに、あたし達が宿にいないと怪しまれるぞ??」
「もうちょっと。後五分だけ……」
「マイちゃん、私も疲れちゃったよ」
「確かに、ユウの事は一理ありますわね。レイド様が私の事を怪しまれるのも憚られますし、一旦戻りましょう」
全会一致とはいかないが。大方の意見は帰る方向に纏まりそうだ。
「仕方ないわね。かえろ……、出て来たぁ!!」
マイの視線を追うと、レイドとエルザードが入る時と変わらない笑顔で店を出て来た所であった。
朝からこの時間までずっとあの二人は機嫌が良いな。
ちょっと……。
うん、やっぱりこの胸の痛みは嫉妬だよな??
あたしもレイドの隣で笑っていたいよ……。
これ以上見ているのも辛くなってきた。
「うぬぬぬ!! もういい!! 帰る!!」
遂に龍も痺れを切らしたようだ。
くるりと振り返り、肩で風を切りながら暗い裏路地を歩み出す。
「あ、マイちゃん待ってよ!!」
あたし達もマイに倣い、一路宿へと進路を取った。
レイド。
この龍の怒りを鎮めるのは大変だぞ??
柔らかい笑みを浮かべて一人の女性と会話を続ける彼の背中へぼそりと呟き、暗い路地を進んで行った。
◇
夕暮れ時を迎えた南大通りは仕事帰りやら買い物帰り。そして夕食を求める人々が放つ活気で溢れ返っていた。
朗らかな笑みを浮かべて大きな荷物を抱えて歩く男性。
仲良く肩を並べて明るい会話を継続させて歩く女性同士。
一日の終わりに向けて素敵な光景が広がる中。人の多さ、蓄積された疲労により周囲の明るい光景に比べて酷く浮いた面持ちで店の外で大きく息を漏らした。
「ふぅ――。夕飯は……。食わなくていいか」
一つ食べれば体の隅から隅までが甘くなってしまいそうなパンケーキを彼女は平らげたのだ。
どこぞの食いしん坊ではあるまいし、流石に入らないだろう。
『そうね、もうお腹一杯。レイドは食べなくていいの??』
「ん?? あぁ……。大丈夫かな?? それより、どうやってここから帰るの??」
『此処からだとぉ。南門から外に出て、誰にも見られていない場所から空間転移で帰ろうかしら』
成程。
「じゃあ、そこまで送るよ」
『もうちょっと一緒に居たいけど……。明日から仕事だもんね』
少しだけ寂しそうな表情を浮かべて話す。
「珍しく気を遣ってくれるのか??」
『あのねぇ……。まぁいいわ。移動しましょうか』
「了解」
慎ましい速度で歩いていると、正面から向かって来る人の多さについつい顔を顰めてしまう。
夕暮れ時だから皆家路へと急いでいるのだろうけども。もう少し余裕を持って歩きたいのが本音ですかね。
隣で歩く彼女も俺と同じ考えを抱いているのか。綺麗に流れる眉を顰めて歩いていた。
『はぐれない様に、手。繋ごう??』
「別にはぐれたって……。お、おい!!」
『いいのっ』
此方の右手に甘く左手を絡ませて体を優しく密着させる。
すると、先程の店の残り香と彼女が持つ素敵な香りが混ざり合った匂いが鼻腔へと届いた。
何んと言いますか……。
神々が心血注いで制作した香水も足元にも及ばない香りだな。
可能であればこの香りを瓶に詰め込んで携帯して、疲労困憊の時に瓶の蓋を開いて力に変えたいですよっと。
「そっちは大丈夫??」
『ん――。もっとこっちに寄って?? ほら、他人の邪魔になるでしょ??』
「あ、うん」
肩と肩がより強固に密着して互いの服越しに体温が伝わる。
『狭い、ね??』
「おう……」
何んと言い表せばいいのだろうか、この雰囲気は。
これが男女のデート本来の姿、という奴なのだろうか?? 何分経験不足ですので此処からどうすべきなのか、そして何をすべきなのかは理解に及びません。
喧噪、唸る足音が街全体を包む中。
俺達の間にはそれとは全く違う、酷く親密な空気が包んでいた。
「――――。そこの御二人さん」
ん??
声の聞こえた方を見ると、一人の絵描さんが人の往来の邪魔にならない道端にぽつんと座っていた。
「記念に一枚どうだい??」
使い古された画架、右手に染み込んだ墨。そしてその道の辣腕家足る瞳が俺とエルザードを捉えていた。
人物模写を商売にする人か。
時間も遅いし、どうしたもの……。
『いいわね!! レイド、描いてもらおうよ!! 記念だしさ!!』
「何の記念??」
『私との初デートの!!』
そう話すと無理矢理俺の手を引き、絵描さんの前に置かれているこじんまりとした椅子に座らせてしまう。
「ちょっと待ってね。直ぐ描くからさ……」
筆を取り、じっと鋭い視線で俺達を交互に見つめると。小さな画架に掛けた白い紙へ卓越した筆捌きで墨を走らせていく。
えっと……。こういった場合は動いても構わないのかな。
「ん――。お兄さん、もうちょっと彼女の方へくっついて」
「えぇ?? …………これ位ですか??」
大変背の低い椅子を彼女側へとずらして話す。
「もうちょっと、かな」
え?? これ以上ですか?? もう既に肩と肩がくっつく距離なのですが……。
絵描さんの注文にしどろもどろになっていると。
『もう、恥ずかしがり屋さんめ』
エルザードが俺の腕に己が腕を絡ませて、体を密着させてしまった。
「そうそう!! そんな感じ!! 良い笑顔だよ!!」
『えへへ……』
まぁ。喜んで貰えるなら、構わないけど……。もう少し距離を空けて欲しいのが本音ですよ。
じっと動かないでいるとじわりと額に汗が滲み出て来る。
動かないってのも意外と難しいんだな。
そして隣をさり気無く見つめると。
『……』
嬉しそうな笑みを浮かべて絵描さんを見つめている一人の女性がいた。
人の街を満喫しているなぁ。
買い物に食事に、絵描き。
今日一日で随分と色んな所を回ったものだ。
その光景を思い出していくと、記憶の中に残る彼女はどれも素敵な笑みを浮かべて俺を見つめていた。
買い物が楽しかったのか、それとも自分が思い描いた通りの行動が取れた為に笑っているのか。
エルザードが浮かべていた眩い笑み。
その理由が幾つも浮かんでは、これでは無いと沈み。その繰り返しを頭の中で永遠と繰り返していると。
「……出来た。はい、どうぞ」
絵描さんが完成した絵を見つめると満足気に頷いて此方へ渡してくれた。
「おぉ。良く描けているじゃないか」
十五センチ四方の紙の中には、鏡で見る俺の顔と変わらない顔がそこにはあった。
でも……。もうちょっと笑っていたと思うけど……。
大変硬い鉄をひん曲げた様なはにかんだ笑みに、何だか自分でも笑い出してしまいそうでした。
『あはは!! レイドの顔怖いね!!』
ほらね??
隣の女性が俺から絵を受け取ると、ケラケラと笑ってしまう。
『私はもうちょっと目が小さいけどなぁ……』
「可愛く描いてくれたんだろ。すいません、お幾らですか??」
「五百ゴールドだよ」
彼に現金を渡して椅子から立ち上がる。
「エルザード、行こうか」
『そうね』
「毎度あり――。御二人さん、末永くお幸せにね??」
『はぁ――いっ』
絵描さんの言葉に反応し、俺の腕をぎゅむっと掴む。
もう絵は描いていないのですから離れるべきですよ??
「ふふふ……。美人に好かれて、君は幸せ者だ。大事にするんだよ??」
『――――。だって??』
返事を返しなさい。
そんな瞳をこちらに向けて来る。
「え、えぇ。そうします」
流れに逆らうのも憚れるし、ここは素直に従いますかね。
『やったね!! いこっ!! レイド!!』
「だから引っ張るなって!!」
本日何度目か分からない強引さで再び、人の流れへと乗って移動を再開した。
『ふふ……。何度見ても面白い顔してる』
「どうせ、俺は不細工ですよっと。紙、一枚しかないからエルザードが持っていなよ」
『うんっ。そうするね??』
それから暫くの間。今日あった出来事、昼食と夕食の味の感想等々。思い出話に華を咲かせて歩き続けていると漸く通常の声量で会話が可能になる程の人通りとなった。
街の土埃を吸い続けて若干疲れた顔を浮かべている肺へ新鮮な空気を送ってあげると、幾分か気持ちが楽になる。
後少しで南門だ。最後の最後まで気を抜かない様に注意しましょうかね。
気持ちを引き締め、黒が目立ち始めた空の下を歩き続けていた。
お疲れ様でした。
まだ少し早い話なのですが、本日の午後九時頃に連載開始一周年を迎えます!!
その時間の頃合いを見計らって、若しくは次話投稿終了時に。活動報告にて少し先の御話を掲載しようかなぁっと考えております。
さて、淫魔の女王様とのデートなのですが次の御話で終了します。そして、彼はいよいよ新たなる御使いへと向かって行きますので今暫く彼と彼女の細やかな休日を御覧下さい。
ブックマークをして頂き有難う御座いました!!
間も無く一周年を迎えるので嬉しい手向けとなり、そして更なる執筆活動の励みとなります!!
それでは皆様、お休みなさいませ。