第二十八話 母との名残惜しき別れ
お疲れ様です。
この御話にて雷狼の里編は終了で御座います。
それでは御覧下さい。
本当に良く晴れ渡った空の下。
里の出入り口で出発に向けて皆で仲良く荷物を纏めていると。お母さんがいつもの笑みを浮かべてやって来た。
「あらあら。もう行っちゃうの??」
「うんっ。だってレイドのお仕事もあるからさ」
祈りの舞いを終えた翌日、皆で相談して二日間此処で休もうかと決めたんだけどぉ……。
『わはは!! レイド!! 今日も飲むぞっ!!』
『え、えっと。自分は現在二日酔いで……』
『飲めば治る!! 里の者も貴様が来るのを楽しみに待っているのだ!!』
『ちょ、ちょっと!! いやぁぁああ!! だ、誰か助けてっ!!』
『さぁ……。今晩も寝かさないからな!!』
夜になるとレイドがお父さん達に誘拐されて二夜連続お酒の席に付き合う事になってしまった。
このままではレイドが酒に溺れて死んじゃう!! そう考えた私達は予定を一日早く切り上げて本日。あの人で溢れ返る街へ向かって出発するのだっ。
「それは、仕方が無いわねぇ」
やれやれと言った感じでお母さんが森の奥へと視線を送る。
「でしょう?? ユウちゃん!! そっちは用意出来た!?」
「おう!! 後は移動するだけだ!!」
「ふふ。皆さん元気ですね」
元気一杯の六人を見てそう話す。
そう、七人ではなくて六人。
欠けた一名は今も森の奥で、私達狼もお手本にしたくなる低い声でう――う――唸っている。
初日の夜は何んとか耐えきったみたいだけどぉ。
お父さん達の悪いお酒は彼の体を確実に蝕んでいるみたいで?? 今日の朝、起きると同時に森の中へと芋虫さんみたいに這って行ってしまった。
何でも?? 気持ち悪いのに吐けなくて辛い、とか。
沢山のお酒を飲むと気持ち悪くなるのは知っているけどさ。そこまでして飲まなければいいのに……。
まぁ――、でも。
お父さん達は楽しそうだったし。その付き合いって奴なんだろうねぇ……。
一人勝手にしみじみと頷いていると。
「出発だってのに……。あの馬鹿たれがいないわよ??」
龍の姿に変わったマイちゃんがユウちゃんの頭の上に乗って小さな頭をキョロキョロと動かす。
「主なら森の奥で唸っているぞ??」
リューがレイドのいる位置を指差すと……。
「「へぇ――……??」」
それを見付けた二人が同時に、ニィっと怖い笑みを浮かべてしまった。
「だ、駄目だよ!? 意地悪しちゃ!!」
あの顔は絶対悪巧みを考えている顔だ!!
マイちゃん達と出会ってからもう何度も見て来た顔だもん!!
「大丈夫だって!! おっし!! ユウ!! アイツを地獄の苦しみから解放してやろう!!」
「おうっ!! 吐く物ぜ――んぶ吐き散らせば楽になるからなっ!!」
あ、あ――あっ。行っちゃった……。
「大変お世話になりました。御迷惑をお掛けして申し訳ありません」
カエデちゃんが丁寧なお辞儀をお母さんにする。
レイドの代わり、かな??
「いえいえ――。何も無い所ですが、お時間がありましたならいつでも来てください」
「そうそう。ほんと何にも無い所だけどねっ!!」
でも自然溢れる故郷だから……。
大好きなんだ!!
「さぁ、出発致しましょうか?? 日が暮れてしまいますわ」
アオイちゃんの声を受けて自分の部屋から持って来た荷物を纏めて背負う。
「うん、分かった。じゃあ、お母さん。行って来るね??」
「母上、行ってきます」
二人で声を揃えて名残惜しむ。
これで暫くは帰って来れないのか……。ちょっと寂しいよねぇ……。
でも、カエデちゃんに頼めば直ぐにでも帰って来られるから寂しくない!! それに……。皆が居るからそんな寂しさを感じる暇も無いだろからさっ!!
「皆さん。至らない娘達だと思いますが、これからも宜しくお願いします」
お母さんがちょっとだけ真面目な顔付きでアオイちゃん、カエデちゃんへ深々と頭を下げた。
「ちょっと!! お母さん!! 恥ずかしいから止めて!!」
「いいじゃない。これ位の挨拶」
「んも――……」
そこまで迷惑掛けてないもん。多分、だけど……。
『よぅ!! レイド!! この前、あたしさぁ。どっろどろのチーズが掛かったパンを食ったんだ!!』
『ボケナス!! 聞きなさいよ!! 私もね!! 油まみれのこゆ――い。こゆ――い。肉をがぶっ!!って食べたのよ。そうしたらどうなったと思う??』
『…………。頼むから止めてくれ』
二人の悪意に満ちた声に、今にも消えてしまいそうな弱々しい声が必死の抵抗を見せていた。
始まっちゃったかぁ――……。
ユウちゃんは船酔い、マイちゃんは滋養の実の食べ過ぎ、レイドはお酒の飲み過ぎ。
多分、皆似たような症状だし。あの二人もそれを見越してぇ……。
それは無いかっ。
きっと自分が楽しみたいからあぁやって意地悪をするのだろう。
『グチョグチョのチーズが舌に絡みついてさぁ!! ほらっ!! ぐにょぐにょぉって!!!!』
『ネッバネバの肉汁が口の中に溢れかえってさぁ!! 喉の奥がつやつやのヌルヌルになっちゃってねぇ!!』
『…………。ぇぇ゛っ!!!!』
あ、限界を越えちゃったな。
「「ギャハハハ!!」」
明るい森に良く似合う二人の笑い声がそれを示していた。
『す、すっげぇ!! 大瀑布もおったまげる勢いじゃん!!』
『ギャハハ!! レイド――!! あたしさぁ!! ぷ、くくっ!! この前ぇ――!!』
『お、お゛ねがいしますから!! も、もう止めでっ!!!!』
あの二人に絡まれたレイドが流石に気の毒になってきたよ。
「いつもこんなに明るいの??」
「うんっ!! これが私達だよ!!」
「そう」
私達の事を嬉しそうに見つめてくれる。あぁ、そうそう。これがお母さんの優しい笑顔だ。
太陽さんみたいに本当にポカポカして、温かくて。
ずぅっと見ていたくなる心地良い笑顔に心が此処を出る事を躊躇ってしまった。
でも、私達は……。
「じゃあ、行ってきます!!」
「母上、行ってきます」
「はぁい!! 元気でねぇ!!」
レイド達が居る森へと進み、何度も振り返りながらお母さんの笑みを脳裏に焼き付ける。
ごめんね??
やっぱりレイド達と一緒の方が今は楽しいから、もう少しだけ外にいさせてね??
お母さんへ向かって大きく手を振りながらそんな事を思っていた。
「おら!! さっさと立てや!!」
「む、無理。何かが溢れ……」
「あ、レイド――。私、この前さぁ……」
むふふ。
昨日抱き着いて私の横顔をスリスリしたお返しだよ!!
「もう嫌っ!!!!」
情けない声を放つと、頼りない足取りで森の奥へと姿を消してしまった。
「「「アハハハ!!!!」」」
レイドの格好悪い姿を見た私達の軽快な笑い声が森の中に乱反射する。
その声は遠くで草を食む鹿の動きを止めて、土の中でぐっすりと眠りこけるもぐらを不機嫌にさせた。
ごめんね?? 森に住む動物さん達。
ちょっと喧しいのが通りますよ――っと!!
心の中で森と動物達へ慎ましく詫びて空に浮かぶ太陽も羨む底抜けに明るい声を放ち。王都へ向けて楽しいお散歩を開始したのだった。
――行政特区レンクィスト 某所――
長い机を取り囲む大勢の人間が皆一様に難しい顔を浮かべ、その口から吐く息は重く。それが積み重なるとまるで質量を帯びた様な重苦しい空気が部屋に充満する。
その空気に耐えられなくなったのか。
この場に相応しくない姿の若い男性がおずおずと口を開いた。
「来年度の予算案、並びに王国債の発行の草案なのですが……。本日提出された資料によると……」
「今年度の予算よりも歳出額は更に増額。しかし、歳入額は微々たる増加。わはは!! こりゃどう頑張っても帳面が合わなくなるなぁ!!」
言い淀んでいた彼の台詞を一人の大男が太い腕を組んで代弁した。
「タンドア議員の仰る通りです。つまり、今回の議題である王国債の発行は免れないかと……」
「それは安易に踏み切るべきではないだろう?? 史上初の王国債の発行には国民の反感を買う恐れもある。慎重に吟味を重ね、発行の際は公の場で然るべき時に国民に対して説明をすべき。一国の財政が傾いてしまう恐れもあるので発行額も必要最低限の額に……」
「ベイス議員よ!! そんな事を言っている場合ではないだろう!? 今、この時も西の脅威に国民は怯えて暮らしているのだ。今こそ!! 国民は立ち上がり奴らに対して反旗を翻すべきなのだ!!」
「タンドア議員の仰る事は大雑把ですが……。まぁ、的を射てる発言かと」
線の細い男がしゃがれた声で大柄な男の意見を推す。
「その通りだ!!」
「相手の戦力が不明瞭な今、予算案を議会に提出すのは早計かと。先ずは敵本拠地にどれだけの戦力が集結しているのか。概算でも良いからその数字を算出するのが早急な課題では??」
壮年の男性が溜息混じりに話す。
「その点に関して……。マークス総司令はどの様にお考えで??」
「詳細は話せませんが……。現在、魔女の居城である大陸南南西へ向けての索敵、並びに偵察任務を考案中です。この任務が成功すれば奴らが保有する正確な戦力を掌握出来て。皆様が頭を抱える予算案の提出も可能になるかと」
「ふ、む……。成程。その任務を受け持つのは当然……」
壮年の男性がマークスの隣で苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ。沈黙を貫いている彼の顔へと視線を向けた。
「はい。私の直属部隊である……。特殊作戦課の隊員が受け持つ事になるかと」
「ほぅ!! パルチザンの中でも選りすぐりの猛者共が集まる悪名高きあの最強部隊か!!」
タンドアの豪胆な声が放たれるとその声色、若しくは台詞がレナードの癪に障ったのか。彼が眉をピクリと動かす。
「悪名……。そうですね。公的には存在せず、公の支援も受けられない決死隊ですから。退路が保障されていない死地へと送り込む為、国民の反感を買い。この部隊に携わった下院議員の皆様には大変大事にされておられる国民の清き一票を失う恐れがありますよね」
レナードが溜息混じりにそう話すと。
「皆様、彼に他意はありません。敵戦力の把握は現状最優先課題であると認識していますが、我々にも出来る事にも限度があります。それを努々お忘れの無い様、心に留めて頂きたいと考えております」
マークスが彼の肩を持った。
「幸いな事に提出期限までまだ時間の猶予はあります。軍部の再編成、王国債の発行、そして先程議題に上がった義勇兵及び傭兵の募集並びにその予算。それら全ては敵戦力の掌握後でも間に合うでしょう」
「何を悠長な事を言っているのだ!! 今、この間にも敵は練兵を続けて我々に対して進行を企てているのかも知れないのだぞ!?」
見方によっては堂々巡りにも見える意見の衝突。
幾度となく繰り返すこの時間に嫌気が差した一人の女性が静かに口を開いた。
「――――。皆様、当面の活動資金は私共の教団から援助する。それで問題は解決しませんか??」
暗闇に包まれて出口の見えない迷宮に差し込んだ拙い希望の光。
その場に居る全員が彼女の恣意的な言葉に縋ろうかと考えたが。
「シエル皇聖にはもう既にお世話になっているのでこれ以上負担を掛ける訳にはいきませんね」
「国家の財政に加担したいのは頷けますが、それは了承出来ません」
ベイス、レナード両名が頑として拒絶の意思を表しその言葉に全員が頷いた。
「あら。私はそこまで考えてはいませんよ?? 民を苦しみから救う手立てがあるのにそれを使用しない方こそが独善なのでは??」
甘美に聞こえる彼女の提案に皆の顔が更に険しい物へと変化してしまう。
円熟しきった貨幣経済の宿命、とでも呼ぶべきだろうか。
文化的知能を持つ人間は自ら貨幣という文化を生み出し、その文化に囚われてしまっている。今、この場に居る地位ある人間も例外では無い。
文化を生み出せる知能を持つ者がその文化によって行動を制限されている。この世の大変滑稽な縮図にシエルが笑い出すのを堪えていると。
「失礼します」
一人の女性の声が響き、それと同時に扉から乾いた音が三度届く。
「入れ」
「失礼します」
然程慌てる様子を見せない女性が静かな足取りで会議が始まってから今に至るまで肝を冷やし続けている彼に耳打ちを放つ。
「――――。シエル皇聖様、お連れの方がお呼びだそうです」
「分かりました。皆様、一旦失礼しますわね」
彼女が静かに立ち上がり、美しい所作で部屋を退出。
「シエル様!! た、大変なんです!!」
薄い緑色の長髪の女性が慌ただしい様子を惜し気もなく第三者へと知らせて、茜の陽光が射す静かな廊下を歩み来た。
「エアリア。今は大事な会議中なのは理解しているでしょう??」
「も、勿論です!! ですが大変な知らせが届いたのです」
エアリアと呼ばれた女性が周囲の様子を窺いシエルに耳打ちをすると。
「――――。それは、本当なのですか??」
彼女目は大きく見開き、誰にでも分かり易い驚きを表現した。
「本当です。つい先程あの三名が唐突に帰還して……。王都にある我々の教会に訪れて事情を聴取した所、出発から帰還までの記憶が不明瞭だと申したのです」
「そう……」
彼女の言葉を受けたシエルが口元に右手を当てて考える仕草を見せる。
「ど、どうします?? 再びあの地へ誰かを派遣しますか??」
「いえ、それはもう結構です。あの地には何かがある。それさえ分かれば十分な収穫ですから」
そう、彼女にとって彼等の生死は道端に転がる小石の様に無価値なのだ。
彼女が熟考しているのは別の理由であった。
「――――。その三名は彼を見かけたと言っていましたか??」
「いいえ。到着から帰還までの行程、並びに現地の記憶は全て覚えていないそうです。只、恐怖という感情だけは心に刻まれている様子でした」
「それなら良いわ」
考える姿勢を解いてシエルが話す。
『レイドさん、無駄足になっちゃいましたね』
エアリアが小声で話す。
「ふふ、彼からも直接事情を聴く必要がありそうね。彼が帰還したら私の下へ足を運ぶように軍部へ手配して下さい」
「ま、また私がですか??」
若干辟易した顔で口を開く。
「貴女には頼り続けているし……。そうねぇ……。じゃあ、今度メンフィスで布教活動があるわよね??」
「えぇ。火災で焼失した教会を再築して、私が!! 出向する予定ですけどね」
「ふふ、そう邪険にしないの。数日前にメンフィスの手前で襲撃事件があったでしょう?? その護衛として彼を付けてあげるわ」
「ほ、本当ですか!?」
母親に新しい玩具を買い与えられた頑是ない子供の煌びやかな表情を浮かべて彼女に詰め寄る。
「嫌なら融通の利かない愚かな兵を護衛に付けますよ??」
「い、嫌じゃ無いです!! 寧ろ嬉しいです!!」
場違いな燥ぎ方を見せる女性とそれを温かい目で見守る女性。
物静かな廊下に二輪の花が咲く。
しかし、向日葵の様な明るい色の花は重厚な扉が開くと共にその色を涸らせた。
「おや、話し合いはもう終わりですかな」
「ベイス上院議員……。えぇ、今終わりましたわ。そちらも??」
「此方の問題は国が存続する限り永遠に終わらないさ。所で……。何やら慌てた声が聞こえたけど。急用だったのかね」
声色は大変静か。
しかし、彼の目は何かを探る様な色を浮かべている。
「今度の布教活動についての事ですわ」
「熱心だねぇ。うちの娘にも見習って貰いたいものさ」
「ふふ、聡明な娘さんではありませんか」
「いやいや。君には数段劣るよ。そう言えば、この前。彼が未開の地へと足を運んだと小耳に挟んだのだけど。何か心当たりはあるかな??」
「彼とは一体誰の事を指すのでしょうか??」
「君も良く知る。――――。いいや、何があっても手に入れようと画策している彼の事だよ」
「心当たりが多過ぎて特定出来ませんわね」
「これはまた手厳しいねぇ……」
国の政治を司る一人と、国を動かす程の権力を持った一般人。
両者は互いの侵されざる領域の一歩手前まで足を踏み入れ、極限の状態で慎ましい日常会話とも見える腹の探り合いを行う。
上院議員の厳しい瞳が彼女達を圧倒しようとするが、それでも皇聖は決してその表情を緩める事は無く。
彼女はいつもの冷徹な仮面を被って彼と慎ましい日常会話擬きを続けていたのだった。
お疲れ様でした。
お礼を述べる前に此処で一つお詫びと訂正を申し上げます。前話にて蜘蛛の御姫様の家名をシュピネと記載しましたが、正しくはスピネです。大変申し訳ありませんでした。
さて、前書きにも述べた通り。この御話で雷狼の里編は終了です。御覧頂き有難う御座いました。
次話からは新しい御使い編へと突入致します。
彼等がどんな活躍をするのか。楽しみにお待ち頂けたら幸いで御座います。
此処で裏設定を少しご紹介致します。
淫魔の女王様は雷狼の父と相談後、祈りの舞いを見る前に狐の里へと帰り。のんびりと温泉で寛いでいました。
そして、温泉で汗を流している時にとある事を思いつき。次なる行動へと移ります。その行動は新しい御使いの日常パートで判明すると思いますのでそれも楽しみにお待ち頂けたら幸いです。
それでは皆様、次の御使いでまた会いましょう!!




