第三話 太った雀は狂暴でした
それでは御覧下さい!!
自分の指先さえも見えない真の闇の中。
凍える様な冷たさが体を刺す。
これが、本当の死なのか。
俺が想像していた物とは真逆の感覚に辟易しつつも、そうだよなと理解してしまう自分が居た。
死後の世界。
そんなものは所詮、空想上の話だ。
肉体は朽ち果て、骸へと成り果て。いつかは土へと還る。
それが現実の死。
今まさに俺はその現実の死を経験しているのだ。
もう嫌だ。
寒い……。凍える様に寒い。
誰か、楽にしてくれ。
声にならない声で懇願し体を丸めると、空高い位置から一筋の光が降り注ぐ。
光に当てられると凍えていた体がじわりと温まって来る。
あぁ、温かい……。
まるで春の木漏れ日に当てられている様だ。
その温かさに身を委ねていると、誰かの声が聞こえて来た。
『人の子よ。目を覚ますのだ』
誰だ??
『目を覚ませ』
この温かい感覚にいつまでも身を委ねていたい。
静かに寝かせてくれ……。
『起きろ、ボケナス』
おや??
神々しく、重低音だった声だったが。いつの間にやら人を貶す言葉に変わっていますよ??
現実と夢の境。
その声色が現実へと続く、扉へと誘い。
俺は光り輝くその扉に手を掛けた。
「…………」
重い瞼を開くと、俺の体は槍に貫かれた時と変わらぬ姿で地面の上に横たわっていた。
い、生きてる。
でも、どうして……。
「目が覚めたか、人の子よ」
誰だ??
常軌を逸した倦怠感が残る体を必死に起こし、取り敢えず地面へと座った。
そして、腹部に手を添えると。
おぉ……。完璧に塞がっている。
傷跡はしっかりと皮膚に刻まれているものの、皮膚が破れ肉が零れ落ちる心配は無用であった。
だが、まだ完璧に回復していないのか。
体が重い……。
まるで体全身に鉛を括り付けられたみたいだ。
意識を正常な状態に戻す為、茫然とした頭を横に振った。
「何故、我を助けた」
またこの声だ。
一体誰なんだ??
「え、っと。申し訳ありません。何処のどなたか存じませんが……。あなたが俺を救ってくれたのですか??」
姿の見えない誰かに向けて声を出す。
「我は紅蓮の炎を纏い、聳える山を従えし龍。貴様、何故我を助けようとした。答えよ」
先程の龍さんの声か。
しかし、姿が見えないが……。
「何故って……。誰かを助けるのに理由は要りません。あ、でも……」
「でも??」
「あなたは此処で死すべき存在では無いと考えたのが本心です」
姿の見えない声に向かい、己の本心を伝えた。
そして、暫くの後。
「そうか。小さな体で無理をする」
呆れた声が届いた。
そりゃあそうだろう。龍さんの実力からしてみれば、足手纏いだっただろうし。
「そうですよね。余計なお節介でしたよね」
「ふんっ。後、もう一つ聞きたいんだけ……。オォッホンッ!!」
あれ??
急に女性の声色に変わりましたね??
「貴様は何故、我々魔物と言葉を交わせるのだ??」
「え?? 人間と魔物って会話が出来ないのですか??」
これは初耳だ。
「そうだ。貴様は何も知らないのか」
知らぬも何も。
初耳ですので……。
「ならば聞かせてやろう。我々と人間は……」
龍さんが仰るには。
今から遡る事、約三百年前。魔女と呼ばれる存在が突如として、この世に生まれた。
そして、魔女が人と魔物の間に言葉の壁を築いた。
人間と魔物。
異なる種族が袂を分かった原因はそれか……。
「――――。成程、理解出来ました」
「そうか」
龍さんの声もどこか満足気だ。
ここで一つの疑念がぽっと湧く。
もしかして……。いや、もしかしてだよ??
先日、厩舎の中で見たあの夢……。
確か俺に必要な才能が開花するって言っていたよな?? これがその才能なんじゃないのか??
でも、夢の話を現実の世界で話しても馬鹿にされるだろうし。
ここは一つ……。
「話は理解出来ました。しかし、自分でも何故理解出来るか。分かりかねますね」
適当に茶を濁しておこう。
頭のおかしい奴と思われたくないし。
「ふんっ。不思議な人間だ」
自分でもそう思います。
「ところ、で。龍さんは何処にいるのですか?? 先程から声しか聞こえませんので……」
もしかしたら俺に命を与え、その代償として亡くなった――。とかじゃないよね。
「ふふふ……。我の姿を求めるのか」
いや、求めていません。
姿が見えない事が不安なのです。
「ならばよかろう!!!! 我の姿を刮目するが良い!!!! デァッ!!」
龍さんの威勢の良い声が響くと同時に、少し離れた位置に存在する岩の上に一頭の龍が出現した。
「どうだ!? この大空を統べる神々しい翼は!?」
「はぁ……」
「鋭い牙は岩をも砕き、この尻尾は女神も思わず頬を赤く染める美しさだ……。同じ龍族でもこの美しさを誇る者はそうはいまいぞ??」
「え、えぇ……」
出来るだけ小さく頷き、岩の上で自信満々に己の体を自慢する龍さんへと近付く。
声色からして、多分女性なんだけど。
何で無理をして男声に似せているのだろう……。
「ふふ……。声が出ないか?? そうだろう、そうだろう。我の姿を見た人は貴様が初め……、ってぇえ!! ひ、人よ!! 貴様は巨大化の魔法を詠唱出来るのかぁ!?」
深紅の龍さんが驚き、背に生える翼をピンっと開き。
誰にでも分かり易い驚きを表現した。
「いや、違います。落ち着いて、ゆっくり深呼吸して自分の御姿をもう一度ご覧になって下さい」
「へ?? ――――」
自分の体、そして周囲に存在する自然物に視線を送り。円らな瞳をシパシパと瞬き。
その後、今一度。
『俺を見上げた』
「もしかして、もしかしてだよ?? 私、ちっちゃくなっちゃった??」
「えぇ。それはもうずんぐりむっくり太った雀大に」
「誰が太った雀だぁあああ!!」
何かが赤く光ったと感知した刹那。
腹部に途轍もない衝撃が走った。
「アベグッ!?」
「お――お――。私が折角助けてやったってぇのに。太った雀呼ばわりかぁ?? えぇ??」
仰向けに倒れた腹部の上に、龍さんが堂々と座り。
血走った目で俺を見下ろす。
「ひ、比喩ですよ。それ位に小さいって事です……」
「あっそ。ってかさ。あんた名前は??」
「レイド=ヘンリクセンと申します……」
お願いします。
腹が痛過ぎて吐きそうなので退いて頂ければ幸いです。
傷跡に追い打ち掛けないでよ……。
「ふぅん。レイド、ね」
腕を体の前で組み、うんうんと頷く。
「龍さんの名前は??」
「私?? 私の名前は……。とうっ!!」
「ぐぇっ」
痛む腹を蹴り、宙へと浮き堂々たる姿を晒して小さな体を出来るだけ大きく見せようと翼を開きつつ声を出した。
「マイ=ルクスよ!! 覚えたか、ボケナス」
言葉、悪いですよっと。
「確と頭に叩き込みました」
「宜しい。んで?? レイドはどうしてこんな所を歩いているのよ。人はアレでしょ?? アレ」
アレ、で理解出来れば世の中に数多溢れる単語は不必要ですよね。
「魔物の存在にビビって森の中に入って来れないんじゃないの」
「実は、ですね……」
俺がここに至る経緯を事細かく説明してあげた。
「ほぉん。あんた、軍人なの??」
「えぇ、まぁ……」
「ぷふふっ!! その割には、女の私に守られてちゃあ駄目駄目ですわなぁ!!」
小さな御手手を口にあてがい、ケラケラと笑う。
「初めての実戦、且初めて魔物を目の当たりにしてあそこまで動ければ上出来なのでは??」
「私が居なかったら死んでたじゃん。てか、正直邪魔だったわ」
どぎつい言葉を投げ掛けますねぇ……。
精一杯の仕事を遂げたつもりだったけど、マイさんにとってはその程度の力だったって事か。
「じゃあ聞きますけど。マイさんはどうして此処へ訪れたのですか??」
「私?? ちょっと聞いてよ!!」
いや、聞いていますから。
眼前にずずっと迫って来た雀さんを手で制す。
聞けば、この大陸から遥か西。海を渡った先にあるガイノス大陸から訪れたとの事。
ある程度の事はこの大陸の事情を知るマイさんの母親から情報を入手し、此処から南へ下った先にあるミノタウロスの里へとお邪魔しようとしていたらしい。
そして、一番仰天したのが。このアイリス大陸へ訪れた理由だ。
「肉汁滴るお肉。ホカホカのおにぎり……。あぁ、魅惑的な食べ物がこの大陸に溢れているのよ……」
そう。
人間、若しくは魔物が作り出す食べ物をその舌で感じたいが為に態々海を越えて来たそうな。
魔物は分かるけども……。
「人間と言葉が通じないのならどうやって食べ物を頂くつもりだったの??」
その一点について、良く考えなかったのだろうか??
甚だ疑問が残ります。
「は?? あぁ――。そっかぁ。言葉が通じないのならぁ……」
金銭で解決??
「ぶん殴って強奪?? 若しくは火あぶり??」
「却下!! 絶対止めて!?」
良かったぁ!!
彼女が小さい体になってくれて!!
あの体のまま、街中で暴れられたらそれこそ大惨事になるところだったよ!!
「冗談に決まってんじゃん。まっ!! でも。その問題は解決したし!!」
俺の左肩に留まり、片眉を……。眉は無いけど。
人間の姿だと仮定して。
片眉をクイっと上げて話す。
「どういう事ですか??」
「あんたが通訳すればいい話じゃん」
「あ――なるほ……。納得しませんよ。その姿のまま街に入ったら絶対捕まりますからね」
それか、物見小屋に直行だな。
「はっは――ん?? あんた、私がずぅっとこの姿だと思っているわね??」
えぇ、そうですねと一つ頷く。
「安心しなさいっ!! 私は……。とぅっ!! 人の姿にも変われるのだ!!」
左肩から勢い良く飛び出し、眩い光を身に纏う。
強烈な発光が収まると……。
そこに、一人の女性が立っていた。
真っ赤に燃える深紅の長髪、ちょっとキツめの目元に鋭い眉。
赤きジャケットを身に纏い直角の胸元に誂えた様な白いシャツと、濃い紺色のズボン。
全体的にダボっとした服装なのだが。
それは恐らく体が縮まった所為もあるのだろう。
「どぉ――お!? これが人間の私の姿よ!!」
無い胸を張って話す姿がどこか可笑しく映る。
顔、背丈。
総合的に加味した結果、どこからどう見ても十五程度の少女の姿にしか見えない。
まぁ端整な顔だとは頷けるけどさ。
「ふふん。美人過ぎて声も出ねぇか」
「美人……。ですか」
ふっと笑ったのが不味かった。
「お?? 何?? 首、逝っとく??」
胸倉をぐっと掴まれ、途端に血の気がサっと引いた。
「ごめんなさい!!」
「最初からそうやって謝れや。――――。へ?? えぇ!? え――!?!?」
うるさっ!!
「どうしたの?? 急に声を張り上げて」
「無いの!!」
何が。
「何か無くしたの??」
俺から距離を取り、シャツの中をマジマジと見下ろして話す。
「あ、いや。そういう訳じゃなくてね?? あっれぇ?? 私の胸って……。こんなちんまりしてたっけぇ……」
「では、任務もありますのでそろそろ出発しますね」
こんな所で立ち話をしている時間は無い。
命の恩人に別れを告げようとするが。
「待ってよ!! 私も一緒に行くっ!!」
再び小さき龍の姿に変わると、こちらの了承も無しに左肩に留まってしまった。
「マイさんはミノタウロスの里でしたっけ?? そちらに向かうんでしょ??」
「そうよ!! あんたは南に向かうんでしょ?? 同じ方向じゃん!!」
そうやってギャアギャア騒ぐと敵に見つかる恐れがありますよ??
「はぁ……。分かりました」
そう言えたらどれだけ楽か。
取り敢えずの了承を伝え、ウマ子が待つ泉へと向かった。
「うむ。分かれば宜しい」
「あ、そう言えば。伝えていませんでしたね」
背の高い枝を避けつつ話す。
「ん――??」
「命を救ってくれて、本当にありがとう」
左肩に留まる異形の存在へと、真心を籠めて見つめた。
「っ!! べ、別に。私も、ほら。あんたが死んだままじゃ夢見が悪いし?? そのついでだと思ってくれればいいから!!」
「はは、そうだね」
深紅の甲殻が更に朱に染まり、形容し難い動きを放つ。
此処から暫くの間、話し相手には困らないだろう。
それは何故か??
左肩に留まり、今もギャアギャアと騒ぐ彼女の姿を見れば誰にでも理解出来るだろうから。
お疲れ様でした!!
続きます!!