第十話 強くなるコツは食べて、鍛えて、そして細やかな変化 その三
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
それでは、どうぞ。
少しの食事休憩を挟み、各々が戦いを展開し易い場所へと移動を始める。
俺と蜘蛛の御姫様も他の者の邪魔にならぬ場所を追い求めて大変静かな足取りで向っていた。
「レイド様。この辺りで宜しいのではないでしょうか??」
「ん?? そうだな」
遮蔽物も足元を掬おうとする横着な岩の欠片も見当たらない大草原のド真ん中で歩みを止めた。
かがり火の焚き木が数十メートル先に見え、頼りない橙の明かりがアオイの美しい白き髪を微かに照らす。雲一つ見当たらない夜空からは怪しい月光が降り注ぎ彼女の髪の美しさを更に昇華。
微風が草を揺らして緊張感を高める乾いた音を奏でると、随分と遠い位置から組手開始の轟音が鳴り響いた。
「ずああああっ!!」
「どぉりゃああああ!!!!」
「んげっ!! あっちは異常だな……」
ユウとリューヴの熱き魂が籠った拳同士が衝突した衝撃波音が此処まで届いてしまう。
拳同士が衝突する音じゃないって。
まるで硬い金属かそれと同等の硬度を持つ物体同士がぶつかり合う音に対し、素直に驚きを隠せないでいた。
「レイド様も龍の力を解放すれば、あれしきの事。容易いのでは??」
「いや、まぁ……。極力それに頼らない様にしようかなって。ほら、また暴れ回られても困るし」
今の状態では第二段階の開放は良くて五割が制御出来る範囲だろう。
それにあの暴走事故があった後だから余計に億劫に感じてしまう。
とてもじゃないけど全開放した力を御す自信はありません。
「では、解放しない状態で組手をなさるので??」
「取り決めは素の力で戦う事。それに俺自身の力でどこまで皆に逼迫出来るか、試してみたいし……」
腕を伸ばして素早く屈伸運動を続けてゆるりと体の筋線維を解す。
「私達は怪力娘達と違い。最初から飛ばさず、ゆっくりと調子を上げていきましょうか」
「頼む。隙あらば、容赦無く叩きのめしてくれ」
「隙あらば……。えぇ、承知致しましたわ」
うっ……。
口を開くと同時にアオイの周囲の空気が変わった。
上手く言えないが……。
軽く清涼な空気が、重く冥暗な空気に変化。立ち向かおうとする者を後退させる程の存在感を放ったとでも言えばいいのか。
「…………。流石ですわね」
「何が??」
「一瞬で殺気に気付き、刹那に距離を置くとは……」
「え??」
自分の足元を見ると、彼女から知らず知らずのうちに数歩下がっていた。
警戒じゃなくて……。これは恐怖かもしれない。
アオイの放つ殺気に自分でも気付かぬ内に体が慄いたんだ。
視線一つで鍛えた体を後退させてしまう、か。
全く……。大魔の力は伊達ではありませんね。
「おらぁ!! びびってないで向かっていけやぁぁああ!!!!」
獰猛な猛禽類も尻尾を巻いて逃げ出す表情を浮かべて鍋を洗うマイが此方へ向かって喝を送る。
「五月蠅い給仕ですわねぇ……。私とレイド様の貴重な時間を邪魔しないで欲しいですわ」
分かっているって。
ありがとな?? お前さんのお陰で緊張が解けたよ。
「よっしゃ!! いきますか!!」
左手を前に、体を斜に構えて右手に力を籠める。
師匠と同じ型を取りアオイと対峙した。
「いつでも宜しいですわよ??」
そうは言ってもなぁ……。
付け入る隙が全く見当たらないんだけど。
頭の中でアオイに何度も突入角度を変えて向かって行くが……。そのどれもが返り討ちにされる未来しか見えて来ない。
正面からは論外。
左右どちらかが突破口だな。
無言で対峙していても仕方が無い。玉砕覚悟で向かいますかね!!!!
「行くぞ!!」
脚力を解放して大地を蹴り飛ばす。
武に通ずる者であれば思わず頷くであろう速度で距離を詰めて彼女の正面から左の正拳を放つ。
「であぁっ!!」
「あら?? 以前の組手よりも速くなっていますわね」
避けられる事は想定済みだ。
左に躱した所へ、渾身の右を打ち込む!!
「此方ですわよ――」
ほら、此方の予想通りの軌道で左へ躱したぞ!!
「ふっ!!」
彼女の体が左へと流れ、俺の拳は弧を描く様に彼女の軌跡を追跡。
右の拳がアオイの肩口を捉えるまで後……。拳一つ分。
貰った!!
「――――。外れですわよ」
「い゛っ!?」
ど、どこに消えた!?
先程までそこに存在していた端整な顔が消えて、背筋がゾクリとする冷徹な言葉だけがそこに残る。
下、か!?
「…………。隙ありですわ」
「ひゃっ!!」
視線を落とした刹那。
右の頬に柔らかく、そして温かく湿った感触を感じた。
「な、な、何するんだよ!!」
五月蠅い心臓を宥めて己の右頬を抑える。
「え?? だって隙あらば攻撃していいって??」
淫靡な笑みを浮かべて己の唇に嫋やかな指を当てて話す。
「そういう意味の攻撃じゃない!!」
「違うのですか??」
小首を傾げて話す姿にどこか調子が狂ってしまいますよ。
マイとの組手は死を覚悟するが、アオイとの組手は違う意味で覚悟が必要のようだ。
組み伏せられたら……。どうなる事やら。
気を取り直して真剣な視線同士が衝突し合うと。
「「……」」
俺の考えを察したのか。
アオイの口元がにぃっと淫猥な笑みを浮かべた。
「うふふ……。覚悟は決まったようですわね??」
「己の貞操を守る為に戦うって、変な感じだけど。行くぞ!!」
「どうぞ。此方ですわよ」
正面から拳の連打を放つが彼女は俺の拳を目で追い、余裕を持って躱す。
これだけの量を放っているのにどうして当たらないんだ!!
「レイド様は正直過ぎますわ」
「ふんっ!! 正直って!?」
愚直に拳を放ちながら言葉を交わす。
「愚直過ぎます。放つ前から軌道が分かってしまいますのよ??」
「どうだか!!」
下手な矢も数撃てば当たると言われている様に。
例え拳の軌道が理解出来たとしても、手を伸ばせば届く距離に居るのだからいつかは当たる!!
「ふふ、それではそれを証明してみせましょうか」
彼女がそう話すと最大限にまで集中力を高めて俺の一挙手一投足に鋭い視線を送る。
その集中力を……。拳の連打で乱す!!
「くらえっ!!!!」
右の拳を放とうと力を籠めると。
「ふっ……!!」
アオイが一歩前へと踏み出し。俺の右手に己の手を優しく合わせて、出す前の攻撃を阻止してしまった。
「う、嘘でしょ!?」
「ね?? 申した通りで御座いましょう??」
此方から数歩下がると柔らかく口角を上げて話す。
「癖……。とか??」
自分でも分からない攻撃の癖を見切って攻撃前の拳を止めた。
そうじゃなければ説明がつかん。
「それもありますわ。いつもレイド様を見ていますので、凡その考えは想像出来ます」
俺ってそんな単純なのかな。
「単純ではありませんわよ??」
あ、心の中の声も分かるのね。
「私は相手の筋力の動き、足捌き、利き手、視線、呼吸。目に見える全ての動きを追い、そこから予想される行動を頭に思い描き行動しますわ。特にレイド様の御体は四六時中視姦……。おほんっ。眺めていますので手に取る様に理解出来てしまうのですっ」
途中、如何わしい言葉がありましたよ??
「つまり……。俺の動きが遅い、若しくは単調だから余裕で見切れると??」
「言い方は悪いとは思いますが……。まぁ、そうですわね」
だろうなぁ。
素の力じゃこんなもんか。
「所で、四六時中観察しているって言っていたけど。まさかとは思いますが……」
大変気になった質問を投げかけてみる。
もしも如何わしい所まで観察されていたら今後はより一層警戒を強めなければなりませんのでね。
「レイド様が用を足すときは背後から観察しておりますので御安心下さいまし」
「安心の意味が違いますっ!!!!」
こ、今度から誰かにアオイの監視を任せよう!!
おちおち用も足せませんよ!!
「レイド様の睡眠時における毎分の呼吸回数は平均十二回。嫌な夢を御覧になられている時は平均十四回から十五回に増えますわね。睡眠時の拍動の回数は平均四十八回。うふふ、八が付いているのはアオイとの相性が良いからでしょう。そして、用を足し終えた時はもう一人のレイド様を右手で保持して下腿三頭筋を作動させて、三回御振りに……」
「いやぁぁああっ!!」
これ以上誰かに余計な癖を聞かれてしまう前に大絶叫を放ち、己の耳を塞いだ。
『自分の癖を知る事は強くなる第一歩ですわよ??』
耳を塞いだからか。
アオイの念話が頭の中に響く。
「それはそうかも知れないけど。み、見過ぎじゃないの!?」
俺にも人に知られたくない事は一つや二つあるのですからね!!
「私はレイド様の事を想って観察しているのです。更なる高みへと昇る為に必要な行為なのですわ」
「そ、そうかな……」
賢い彼女の言う事だ。
羞恥を忍んで受け止めるべき……。
「んな訳あるかぁ――!! そいつが超絶陰湿粘着質変態野郎なだけよ!!!!」
だ、だよねぇ。
「アオイ。俺の癖を教えてくれるのは有難いけど、もうちょっと距離を置いて観察して下さい」
マイの声を受けて可笑しな考えを払拭して、至極当然の考えを説いてあげた。
「んぅ。恥ずかしがり屋さんなのですわね??」
御免、それが普通だから。
「ではレイド様。龍の力を解放して下さいまし」
コホンっと小さく咳払いして、気を取り直したアオイが話す。
「え?? でも取り決めでは素の力で対抗するようにって」
「全力の開放は対処に苦労しますが、少し位なら構いませんわ。何より、ある程度力が拮抗していないと稽古になりませんので」
「出し惜しみは、駄目か。仕方が無い……」
俺の中に眠る龍さん。
ちょいとお力を御借りしますね。
「ぐっ!! うぬぬ…………!!」
右手に全神経を集中させる。
体の奥底から力を振り絞れ!!!!
そして、集約しろ!!
「だっ!!!! …………ふぅ。お待たせ」
右手全てが黒き甲殻に覆われる。
指先には鋭い爪、黒き甲殻は矢等弾いてしまう堅牢な装甲、そして体中に力が漲って来る。
久々に少しだけ解放したけど力の暴走は……、今の所感じられないな。
これならいける!!
「あぁ……。素晴らしいですわ。流石、私のレイド様」
恍惚の表情で俺の右手に視線を送る。
「いくぞ!! ずあっ!!」
足に力を集約させ、一気苛烈に解放。
此方に向かって体の正面を向け続ける彼女へ一陣の風を纏って突貫した。
アオイは両利き、つまり右へ行こうが左へ向かおうが常に軸足を変えて体の正面で俺を捉える。
ならば!!
小手先の小細工等不要!! 己の魂を乗せた攻撃で正面突破だ!!
瞬き一つの間に己の間合いへと到達。
左の拳で彼女の腹部を穿つ。
「キャッ!! 今のは良い攻撃ですわ」
惜しい!!
もう少しで当たりそうだった。
後一歩踏み込むか??
「うふふ。さぁ、此方で御座いますわよ――」
俺から距離を取り、さぁ早く突撃して来なさいと余裕の笑みを浮かべている。
恐らくアレは十中八九罠ですね。
罠だと分かっていても突っ込まなければならない己の選択肢の狭さが歯痒いですよっと。
「ふぅ――。んっ!!」
馬鹿の一つ覚えと呼ばれるかも知れないが、それでも俺にはこの術しか残されていないんだ!!
脚力に物言わせた突貫を開始。
しかし今度は一味違いますよ!?
リューヴとルーを手本にした地面よりも更に低い姿勢でアオイの下へと突撃。
奇をてらった策は見事功を奏した。
「っ!?」
ほら、お可愛い顔がビックリしていますからね!!
このまま地面からせり上がる勢いで拳を穿つ!!
「ずぁぁっ!!!!」
地面スレスレの虫を捕らえ、空高く舞い上がる燕の飛翔を模した雷撃がアオイの顎先へと向かう。
こ、今度こそは当たるか!?
「――――。後、一歩で御座いましたわね??」
嘘でしょう!?
アオイが上半身を仰け反ると、右の拳が虚しく空を切った。
あ、当たったと思ったのに。
「さ、私の攻撃を御賞味して下さいまし。ん――っ……」
「ちょ……!!」
額縁に入れて小一時間程眺めていたい笑みを浮かべると、形の良い唇をムチュっと尖らせて接近させてしまう。
勢いが付いたままの姿勢なので。このままでは俺の顔とアオイの顔が密着してしまう訳だ。
「御免なさい!! まだちょっと無理!!」
彼女の体と衝突を避ける為、苛烈な速度を維持したまま思いっきり体を捻り寸での所で回避。
「ぐぇっ!!」
勢いが付いた体は抵抗を受けない限り、或いは摩擦により停止しない限り前へと進む。
つまり、俺の体は物理の法則に従って面白い速さで前へ進み続けるのです。
「あいだだっ!!」
地面の上を二度、三度転がり漸く体が停止。
捻った勢いで腰に激痛が走り、転倒した勢いで顎も痛む。
仰向けの状態へと移行して小さく吐息を漏らすと、星達が呆れた顔で俺を見下ろしていた。
「も――……。今のは事故だから致し方ありませんのよ??」
アオイが俺の側にしゃがみ込み、脇腹をツンツンと突く。
「もう少し真面な攻撃を与えて欲しいのが本音かな」
その手をやんわりと退けて上体を起こす。
「うふふ。レイド様に手を上げるのは憚れますから」
「有難うね、手加減してくれて。しっかし……。両利きは本当に厄介だね」
楽しくて仕方が無い笑みを浮かべている彼女へ向かって話す。
「両利きの利点。それは左右どちらからの攻撃に対応出来る事です。左利きの方は時々見かけますが、両利きは世にも稀。私との組手を続ければ自ずと右利き、左利き両方の人物と組手を経験できますわ」
経験する前にこうして倒れちゃっているけどね。
「多様なのは利き手だけではありません。ユウは剛の型。リューヴは卓越した近接戦闘。ルーは左利きで捉え辛い獣の型。まな板は一陣の風。私は相手に合わせた柔の型。これだけの種類が揃うのは珍しい事ですわ。私達を相手に組手を行えば、自然と様々な戦闘に対応出来る、という訳ですわ」
アオイの言う通りだな。
利き手、型、戦闘方法。
全員と組手を行えばそれだけの経験を積める。
こりゃ本腰を入れて皆から吸収しなきゃ勿体ない。
「アオイは苦手な相手とかいるの?? ほら、マイの攻撃も当たらないし。苦手分野が見当たらないんだけど??」
「私も苦手はありますわよ。ほら、あそこ……」
「ん??」
彼女の視線を追うと、ユウに行き着いた。
「くらぇぇええ!!」
「だりゃ――――!!」
うぇ。
ユウの拳がリューヴの拳を持ち前の力で押し返すと常軌を逸した衝撃音が響く。
狼さんの一撃を跳ね返すなんて全く、呆れた腕力だよ。
「ユウが苦手なの??」
「えぇ。力を逃がそうとしてもその圧力が強過ぎて対処に数舜の隙が生まれてしまいますわ。ユウ然り、イスハさん然り。圧倒的な力は時に技を、技術をも凌駕します」
「ちょっと待って。じゃあ、ユウの馬鹿力は師匠に匹敵するって言うの??」
「そうですわ。力、だけですが」
大魔である師匠と肩を並べるとは……。凄いな、ユウの奴。
「まだイスハさんの本気を見た事がありませんが……。現時点では少なくとも、同程度という訳です」
「技を凌駕する力、か」
「真似はおよしになさった方が賢明ですわよ?? あれは種族特有の物ですから」
「分かっているって。俺には俺の戦い方があるからさ。じゃ、もう暫く付き合って貰うよ??」
大きく息を吐き、心と体を落ち着かせる。
「暫くとは言わずに、一生でも構いませんわ。夫婦の契りを交わした私達ですから、死が二人を分かつその時まで共に過ごしましょう……」
「そんな契りを交わした覚えは無いんだけど??」
「まぁ!! 初めてお会いした時、私の傷ついた体を舐めるように触れたではありませんか。蜘蛛の一族は……。蜘蛛の姿の時に、殿方に体を触られたら一生添い遂げるという誓いがあるのですよ??」
「え!? そうなの!?」
これは初耳だ。
「ですから……。私を……」
イケナイ心を誘う笑みを浮かべて此方へ距離を詰めて来た。
「直ぐに何でも信じるんじゃねぇ――!! さっさとぶっ飛ばせやごるぁぁああ!!!!」
あ、鍋洗い終わったんだ。お疲れ様です。
今は鬼の形相で大量の食器類を洗い進めていた。
「五月蠅い虫ですわねぇ。さて、レイド様?? 今度は私から攻めますわよ??」
「頼む!!」
これはありがたい。
アオイの変則的な型には暫く慣れそうに無いからね。
向こうから仕掛けてくれるのなら此方にも一分の望みが湧いて来る。
さて、先ずは見に徹しよう。
乱れてしまった気持ちと呼吸を整え、改めて彼女と対峙した。
お疲れ様でした。
本日は晴天でしかもお昼からは風が強く、もう既に鼻がムズムズします。
本格的に酷くなるのはもう少し後なので気が思いやられるばかりです……。
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それでは皆様、お休みなさいませ。




