第九話 狼さんの待つ地へと出発
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
それでは、どうぞ。
朝の一悶着を終えて宿代の支払いを終えると、必要最低限の荷物を持ち他はマイ達に任せて別れた。
威勢良く、そして覇気ある態度で本部へと向かうのは一先ずお預け。
先ずは久方振りに頼れる仲間の元へ向かわなければならないからね。栗毛色の美しい毛並みに優しい瞳。そして、人参嫌いの友人の下へだ。
人が運動に適した時間帯へ差し掛かるとそれに呼応するかのように人々が活動を開始。
西大通りの歩道はもう既に人で溢れ返り、強面狼さんと肩を並べて楽しく悠々と歩いた同じ場所とは思えない程に変化してしまっている。
馬鹿げた人口密度を突破して生活感溢れる丁度良い汚さの通りを北上し続け、雨風に晒されて少々綻びが目立つ厩舎を捉えた。
ウマ子の奴、元気にしているかな……。
彼女の元気な面長の顔を想像しつつ厩舎の前へ到着すると嗅ぎ慣れた獣臭が風に乗り鼻腔をやんわりと刺激した。
此処の厩舎は二人から三人の調教師さんが常駐しているのだが、奥で仕事をしているのだろうか。
馬の生活音は聞こえるのだが、彼等を管理する者が見当たらない。
勝手に入るのも何だか憚れるし、人の影が見えたら声を掛けて入ろうかな。暗い影が包み込む通路の奥へじぃっと視線を送り続けていると。
『……』
大変聞き慣れて鼓膜に染み付いてしまっている馬の蹄の音が聞こえて来た。
聞き慣れた蹄の音の間隔と。
「あぁ!! レイドさん!!」
快活な女性の声。
「お早うございます、ルピナスさん」
姿形を捉えずとも両者を確知出来たので、振り返りながら再会の第一声に相応しい台詞を放った。
『こ、このっ!! 久し振りではないか!!』
「お、おい!! あはは!! くすぐったいって!!」
振り返った刹那。
モフモフの唇と面長の顔に急襲されてしまい思わず目を白黒させてしまう。
「全く……。甘えん坊め」
元気一杯な御顔さんを一通り愛撫して優しく退けてあげると、一応満足がいったのか。
『ふん、他意は無い』
嬉しい嘶き声を上げて大きく首を上下に振ってくれた。
「もう――。御主人様と久し振りに会えたからってそこまで激しく自己主張しなくても良いじゃない」
馬上からルピナスさんがウマ子の首の根本辺りをポンっと一つ叩く。
へぇ……。馬に跨る姿も中々様になるじゃないか。
普段から着用している黒き帽子はそのまま、皮のブーツを履き鐙に足を乗せて背筋は天へ向かってピンっと一直線に伸び。お手本にしたくなるしっかりとした重心の芯で鞍に跨る。
馬術に心得がある者なら誰しもが大きく頷く姿を捉えると、俺も例に漏れず大きく頷いてしまった。
「どうしたんですか??」
帽子の鍔の奥から不思議そうな瞳が俺を見つめる。
「あ、いや。様になっているなぁってさ」
「ふふ、有難う御座います。実家が酪農を営んでいまして、その名残ですよ」
ほぅ、それは初耳だ。
「幼い頃から動物と戯れていたのでこれ位お手の物です」
「そうなんだ。それならコイツの扱い易さにびっくりしなかった??」
超初心者である俺でもすんなりと乗れた馬だ。
経験者である者なら驚きを隠せないだろうさ。
「それはもう!! 本日から任務開始との通達が下りて来たので準備運動として街の外へ向かいまして……」
「そうなんだ。態々有難う御座います」
人間と同じで馬もいきなり運動をさせると怪我をする恐れがある。
馬体を慣らすのも調教師さんの仕事の一つなのだろうが、それを任務に合わせて行ってくれた事に温かい感情が湧いてしまった。
「私が手綱を操らなくてもその事を理解しているのか、自分の意思で街の外へと向かい。外へ出ると軽速歩から、速歩で体を慣らしたのですけど。その運動中でも自分に課された使命を理解している意思が背中越しに滲み出て……。本当にびっくりしましたよ」
ほらね??
経験者且調教師さんが驚く程の賢さに少し鼻が高いですよ。
「これで……、よいしょ。人参嫌いが直れば完璧なんですけどねぇ」
鞍から降りるとウマ子の体をポンっと一つ叩く。
「俺が休んでいる間、人参は食べなかった……。よね??」
「その通りです。あの手この手で食べさせようとしたんですけど。ぜぇぇんぶ!! 失敗に終わりましたっ!!」
あ、あらら……。
数秒前まで愉快な口元だったのに軽快に跳ねる馬もビシっと背筋を正してしまう角度に変化してしまいましたね。
「ち、因みにどんな作戦を決行したのかな??」
「先ずは細かく砕いて餌箱に入れてみました」
首から掛けている手拭いで滴り落ちる己が汗を拭きつつ話す。
「結果は??」
「一つ一つ丁寧に唇で食むと、隣の厩舎へ投げ入れてしまいました」
『はは、あの程度の技。造作もないさ!!』
ウマ子が柔らかい唇を開いては閉じて、パフパフと軽快な音を奏でる。
「――――。二回目の作戦はかなり力技に出ました」
見様によっては可愛い音なのだが、ルピナスさんにとっては神経を逆撫でする音に聞こえてしまったのか。
右の拳をぎゅっと握り締めてしまう。
「力技??」
「えぇ。思いっきり顔を掴んで口の中に人参を捻じ込んでやりました」
『おぉ!! あれは危なかったな!!』
今度は右前脚で石畳の上を踏み、カツカツと音を響かせる。
「ウマ子、結構力強いよ??」
「えぇ!! 知っていますよ!! この身を以て知りましたからねっ!!!!」
この身を以て??
「おい、ウマ子。まさかお前……」
『あれは事故だ。私が顔を左右に振ったらその小娘が勝手に吹き飛んだのだ』
「嫌がるウマ子が顔を左右に振って、思いっきり吹き飛ばされてしまいましたから!!」
一方は過失が無いと主張して、もう一方は過失があると主張する。
牝馬と女性に詰め寄られても俺には判決を下す権力は持ち合わせていません。
しかし、此処で何か行動を起こさないといつか調教師さんと馬との至強を決する戦いが勃発しかねない。
「ウマ子、ルピナスさんはお前の為を思って行動しているんだ」
彼女の面長の横顔を優しく撫でて話す。
『ふんっ。嫌いな物は嫌いなのだっ』
「嫌いな物を克服しようとする姿勢でも見せるべきだぞ??」
「あはは!!!! ウマ子――。御主人様に怒られて――。いい気味よ??」
『な、何だと!? この小娘めがっ!!!!』
丸みを帯びた唇をクワッ!! と開いて頑丈な歯を彼女に向けて猛抗議を開始。
「何よ!! またそうやって文句言うの!?」
「ま、まぁまぁ。ルピナスさんも今度からは無理に人参を与えなくていいからね」
朝っぱらか喧嘩は勘弁して貰いたいと考えて両者を宥めた。
「え、それじゃあ克服出来ないじゃないですか」
「無理に与えていたらルピナスさんの身がもちませんし、何より此処は一つウマ子の自主性に一縷の望みを賭けてみたらどうでしょうか?? 万が一、いや億が一に食べてくれたら御の字って所で」
「レ、レイドさんがそう仰るの……」
『ハハ!! 流石、我が主人だ。馬を見る目があるぞっ』
軽快な嘶き声を上げてグワングワンと首を縦に揺らす。
その姿が調教師さんのイケナイ何かを刺激してしまったのか。
「こ、このぉっ!! もう怒った!! 調教師を怒らせるとどうなるか……。教えてあげるわ!!」
シャツを腕捲りすると、鼻息を荒げてウマ子へと向かい。
『掛かって来い!! 小娘!! 馬こそが至上の生物だと知らせてくれよう!!』
ウマ子はウマ子で売られた喧嘩は買う姿勢で待ち構えていた。
「ふ、二人共!! そこまで!! 任務に遅れたら不味いからそろそろ移動しますよ!!」
右手でルピナスさんの肩を御し、左手でウマ子の鼻頭をムチュっと抑えてあげる。
宿では大魔の娘さん達の喧嘩と喧噪に塗れ、宿を出たら馬とうら若き女性の喧嘩を宥める。
本当にもう……。
偶には静かに過ごさせて下さいよ……。
「ふんっ!! 今度帰って来たら覚えていなさいよ!?」
『返り討ちにしてくれようぞ』
「はい、じゃあ厩舎の奥へ移動して荷馬車を連結させますよ――」
何で俺が調教師さんと馬を誘導せにゃならんのだ。
文句を嘆いていても仕事が始まる訳ではありませんし、頑張って誘導しましょうかね。
大変重い足取りで厩舎の奥へと進み出すと。
「レイドさん、今度の任務は遠方の地ですか??」
少しだけ憤りが収まった彼女が問うて来た。
「詳細は軍規で話せないけど、この街に帰って来るのは……。約一か月後かな」
往路と復路で約四十日の予定だが、マイ達の体力。そしてウマ子の足と体力を加味したら凡そその程度だろう。
皆様、呆れる程に元気ですからねぇ。
「長い行程ですから道中気を付けて……。ん?? あれっ?? レイドさん、少し瘦せました??」
左隣を歩く調教師さんが此方の横顔を覗き込む様にして話す。
「あ、あぁ――。休暇中に鍛えに鍛えようかと考えてさ。地平線の向こう側へ向かって走って、岩を持ち上げて筋力鍛錬に励んでいたら痩せちゃったよ」
多少大袈裟に話した様に聞こえるだろうが、師匠所で鍛えるとこれが大袈裟に聞こえないんだよね。
寧ろ、これが生温く聞こえてしまう程だ。
「成程ぉ。鍛え過ぎた所為で痩せちゃったんですね」
蛇の大魔さんから毒付きの短剣を投擲され、それが腹にブッ刺さって生と死の狭間を漂っていました。
「ま、そんな所」
とは言えず。適度に肯定をみせてあげた。
『そんな虚弱な体では長きに亘る任務に支障が出るぞ??』
右隣りで四つの足を器用に動かして軽快な蹄の音を奏でるウマ子が心配そうな瞳を浮かべて此方を覗き込む。
「心配してくれてありがとうね。でも、大丈夫だから」
ごめん、前が見えないからもうちょっと離れてくれれば幸いです。
「こら、ウマ子。レイドさんが困っているじゃない」
『ほぅ?? 羨ましいのか?? そぉっら、私の匂いを受け取るが良い』
何故か優越感に浸る嘶き声を上げると面長の顔を擦り付けて来た。
「だ、だから!! レイドさんが歩き難いから離れなさい!!」
『断るっ!! 貴様こそそれ以上私の主人へみだりに近づくな!!!!』
あ――もう……。俺を挟んで喧嘩しないでよ……。
一人の女性と一頭の馬がギャアギャアと騒ぎ、左右の鼓膜を悪戯に刺激してしまう。
両耳を塞ぐ訳にもいかないのでがっくりと肩を落としつつ。早くこの可愛い喧嘩が収まる様に願い、漸く見えて来た荷馬車が待機している場所へと速足で向かって行った。
◇
初秋にしては元気過ぎる太陽が地上で蠢く人々の頭上を温め続けている。
その熱は王都の地面を覆い尽くす石畳にも等しく降り注ぎ、照り返す熱と降り注ぐ熱が生物の体温を悪戯に上昇させてしまう。
こうも残暑が厳しいとウマ子の体調が心配だな。
御者席に着き手綱を操り……、と言ってもウマ子は既に目的地を理解しているのか己の意志で向かっているので手綱を操るのは人を避ける時位だが、兎に角。暑さによる疲弊が心配であった。
「ウマ子、暑くないか??」
俺が静かに声を掛けると。
『温い位だ』
余裕の表情で此方に振り返り、己の頑丈さを主張してくれた。
「流石だなぁ。その頑丈さを分けて欲しいよ」
額から伝う汗を拭いながら言ってやった。
こうして一緒に行動するのも久方振りに感じてしまう。たかが十四日しか離れていないが彼女の後ろ姿を見ると懐かしさを感じて穏やかな気分になるな。
蹄の小気味良い音が耳を楽しませ、時折彼女が吐く息が豊満な唇を鳴らして此方の心に温もりを伝えてくれていた。
和むなぁ……。
『そろそろ到着するぞ』
「あぁ、ごめん。分かったよ」
狭い路地を抜けて軍属の者が本部として使用するのには甚だ理解に及ばない普遍的な家屋の姿が見えて来ると、意図的に歩みを遅らせて知らせてくれた。
そうだ。
和んでばかりはいられない。今日から新しい任務が始まるのだ。
気を締めて取り掛かろう。
御者席から颯爽と降りて。
「おはようございます!!」
本部の扉を開いて豪快に足を踏み入れると朝一番と任務開始に相応しい声を放った。
「よ――。はよ――」
いつも通りに迎えてくれるのは嬉しいのですけどね。
軍人らしからぬ態度と声色はどうかと思います。
新聞片手にだらしなく椅子に腰掛け、机の上には先日本部から盗んで来た飲みかけの紅茶が置かれ。
まるで此処は民家では無いかと錯覚してしまう光景に肩透かしを食らった気分ですよ。
「レフ准尉。物資の搬入を開始しても宜しいでしょうか!!!!」
家屋の壁を突き抜け、空を飛ぶ鳥を穿つ勢いで声を放つ。
「うるさ!! おい、もう少し静かに声を出せ。集中して新聞が読めないだろう」
此処は部下の新たなる出立を労う声を放つ場面なのだが……。
流石に上官に対して口応えは出来ませんのでね。
「申し訳ありませんでした」
若干の憤りの声色を含めて謝意を述べた。
「ん――。物資の搬入の許可を了承してやる――」
「了解しました!! 物資は備品室に置いてありますよね??」
「あぁ、好きな物を好きなだけ持って行け」
じゃれ合おうとする犬を邪険に払う手の仕草で早く行けと此方に催促する。
「了解しました」
今度は彼女の憩いの時間を邪魔せぬ様、慎ましい声量で声を放ち備品室の扉へと向かった。
偶には手伝ってくれても良いのに……。
まぁ、でも准尉は世の情報収集活動に躍起になっていますのでね。それを邪魔するのは無粋ってものかも知れない。
――――。
いやいや、新聞読んでいるだけじゃないか。
言い表しようの無い不憫さを振り払い、備品室の扉を開くと若干の埃が混ざった空気が俺の頬を撫でて行く。
壁際に添えられている棚には投擲用の短い刃身の短剣や所狭しと真新しい武器防具、薪、蝋燭、縄等々。日用品から必要な物資が丁寧に陳列されており
綺麗に掃除されている床には小麦粉がたっぷりと積まれた麻袋や米の藁袋が整然と置かれている。
准尉の生活態度を鑑みてみると、こうして整理整頓されているとは思えないでしょうねぇ。
何度かこの部屋を運ぶ内に仕事だけ!! はデキる人だと理解出来た次第であります。
さてと、何を持って行こうかな。
「今回も長い行路だ。途中で補給するとは言え、多くなるのは必然。あの馬も辟易するんじゃないのか??」
開きっぱなしの扉の向こうから准尉の声が届く。
「まさか。ウマ子は荷物位じゃへこたれたりしませんよ」
「呆れる程頑丈な奴だな」
「はは、准尉が褒めていたと伝えておきますよ。えぇっと……。薪に蝋燭に……」
マイ達の分を除いた自分が使用するであろう物資を備品室の中央に置かれている机の上へと並べて行く。
その作業の途中、ふと見慣れない物体を捉えて手を止めた。
「この布は何ですか??」
左の棚に見慣れない布を見付けて手に取る。
ん??
これって小さい天幕じゃないか??
「一人用の天幕だよ。ほら、初秋とは言えコールド地方は北海に面している為寒い。そう思って本部から盗ん……。オホォンッ!! 発注!! しておいたんだよ」
紅茶だけで無くてこれも盗んで来たのか……??
「水を弾く素材で作られた試作品らしい。開発部の連中が良ければ使用した感想を聞かせてくれとの事だ。持って行くか??」
「使用させて頂きます。開発部の方々のお役にも立ちたいですし」
これはありがたいぞ。
使用している一人用の天幕は大分ガタがきてそろそろ新しい品を買おうか、それとも発注しようかと考えていた所ですからね。
もしも行程の途中で一人用の天幕が破損した場合、マイ達が使用している大人数用の天幕を使用せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
女性ばかりが休む天幕に男性一人が混ざるのは信頼されているとはいえ流石に気が引ける。
宿の各ベッドは離れている為、そこまで気を使う必要が無いのだが。
天幕の中となれば話は別だ。
それに。
人様から預かっている大事な娘さん達が狭い空間で休んでいる中へ、どこぞの馬の骨が紛れ込んだら印象も宜しくないだろう。
キチンと折り畳んだ天幕を縄で縛り、机の下に静かに置いた。
「開発部に提出する報告書を用意しておくよ」
しまった!!
只でさえ多い報告書を自ら増やしてしまったぞ……。
今回の任務はイル教絡み。つまり、通常の任務と比べ報告書の量も格段に多い筈。
それに、開発部への報告書が加わるとなれば。
「い、いや――。やっぱり使用するのは遠慮しようかなぁ」
も、物は壊れて使えなくなるまで使用すべきですからね!!
ピカピカの新品を元の棚へと運ぼうとしたのですが。
「残念だったな。お前さんが持って行かなくても報告書は書いて貰う事に決めていたんだよ」
どうやら有無を言わせない様だ。
「あぁ、はい……。分かりました……」
どの道馬鹿みたいな量の報告書は書かざるを得ないってか。
「……フフ。今から報告書の心配か??」
「そんな所ですよ。では、搬入開始します」
「ん――」
適度な物資を両手に抱えて備品室から退出。
『精が出るな』
本部前で暇そうに佇むウマ子の背後の荷台へと次々に物資を積載していった。
レフ准尉が仰っていた通り、今回の任務は長きに亘るので万全を期して臨むべきだ。
床に汗が滴り落ち、室内に篭る熱を全身で受けつつ荷馬車と備品室との往復を幾度と無くこなす。
その間。
「ほぉ――ん。よぉ、来年の予算案が頓挫しているんだとさ――」
レフ准尉が作業の応援の代わりに世の情報を知らせてくれる。
予算案、か。
確か予算案の先議権は上院が下院を優越しているんだよな?? ベイス議員も大変だろうなぁ……。
中々決まらない予算案に我儘娘……。では無くて!!
大変賢いお嬢様の世話等々。心労祟って倒れなきゃいいけど。
作業を続けている内に体温が上昇。
上着は荷馬車へ脱ぎ捨て、シャツ一枚で作業を続ける内に汗が滲み出て不快感を呼ぶ。
出発前からこんなに汗を掻いても大丈夫なのだろうか。
でも、まぁ。
師匠の所での運動量に比べれば雲泥の差だ。任務に臨む準備運動と捉えておきましょう。
「…………これで。全てですね」
「あぁ。御苦労だった」
荷馬車に物資を全て載せ終えると、本部から出て来たレフ准尉と共に満足気に頷く。
「おい。これで汗を拭け」
「わっ……。どうも」
手拭いを投げ渡され、顔と首筋の汗を拭う。
へばりつく感触が払拭され幾分か楽になった。
「では、出発します」
准尉へ手拭いを渡して御者席へと腰掛けた。
「いいか?? スノウに駐在する分隊にはもう既にお前さんが向かうと通達が下っている。彼等は少数だが監視の目を光らせている貴重な人材だ。くれぐれも粗相のない様に」
「勿論です。しっかり挨拶をしてからコールド地方へ向かいますよ」
「これ以上は危険だと判断したら即捜索を打ち切って帰還しろ。任務失敗しても私達は痛くも痒くも無い。寧ろ、貴様と言う貴重な人材を失う方が痛手だ」
おっと……。何気なく褒めてくれたのかな??
准尉から貴重な存在と言う言葉が出て来て思わず口角がきゅっと上がってしまう。
「意味を履き違えるなよ?? 只でさえクソ忙しいのにこれ以上人員が減ったら不味いという意味だ」
「――。まぁ、凡そそういう意味かなぁっとは思っていましたからね」
この人が素直に人を褒める訳ないんだよ……。ぬか喜びをしてしまった自分を戒めた。
「くれぐれも気を付けるんだぞ。お前の事だ無茶をしかねん」
「了解しました。ウマ子、行くぞ」
手綱を取り、出発の号令を放つ。
『あぁ、行こうか』
ウマ子が蹄を一度短く鳴らすと荷馬車がゆるりと動き出した。
「気を付けてな――!!」
「はい!! 行って参ります!!」
その姿が徐々に小さくなり行くレフさんへ振り返って出立の挨拶を送る。
最後まで見送ってくれて、態々申し訳ありません。
その心遣いに感謝して大きく手を振り返してあげた。
「帰って来たら山のような報告書がまっているぞ――!! 私は一切手を付けないからな――!!」
それは聞きたく無かったですよ……。
手を振る力が徐々に弱まり御者席の上でだらしなく項垂れてしまった。
よりにもよって出発の時に言わないで下さい。
『どうした??』
ウマ子が力強い歩みを続けながら此方へ振り返る。
「人間にはやる事が一杯あるんだよ」
『そうか。何かは知らぬが精を出せ』
同情を含んだ視線を此方へ送ると再び正面を向く。
落ち込んでいてもしょうがない。気持ちを切り替えよう。
マイ達ちゃんと時間通りに集まるかな??
それに……。余分な物を買わないか気苦労が絶えない。
杞憂、であって欲しいものだな。
任務再開に相応しい晴れ渡った気分では無く。
約一か月後に待ち構えている大量の仕事の山が双肩を押し潰してしまい、大変重苦しい空気に包まれながら新たなる任務へ着任したのだった。
お疲れ様でした。
この御話で日常パートは終了で御座います。
数話挟んで雷狼の御二人の故郷へ到着予定ですので到着まで今暫くお待ち下さいませ。
そして、いいねをして頂いて有難うございます!!
少々執筆意欲が落ちる週の初めに嬉しい知らせとなりました!!
それでは皆様、お休みなさいませ。




