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第七話 英気を養う素敵な夕食会 その二

おはようございます。


休日の午前にそっと投稿を添えさせて頂きます。


長文となっておりますので温かい飲み物片手に御覧頂ければ幸いです。


それでは、どうぞ。




 部屋を包み込む馨しい香りに急かされた各々が微かな咀嚼音を響かせて素晴らしい料理に舌鼓を打つ。


 今だけは普段の喧噪は鳴りを潜め素敵な食事の音と風景が流れていた。


 その風景若しくは己の欲求に従い。


 見ていて腹が減って来る焼き目が入った分厚い鶏肉をナイフとフォークで一口大に切り分けると、断面からじわぁっと溢れ出て来る肉汁が唾液を誘発。


 赤子の拳大程の唾液の塊を喉の奥へと送り込み、大きく口を開いて魅惑の品を迎えてあげた。



 う、うっめぇ……。



 先ず舌に感じ取ったのは丁度良い塩梅の塩加減だ。ある程度予想された塩味が収まり、奥歯で分厚い肉をギュムっと噛むと肉汁がふわっと口内一杯に広がる。


 厚みのある鶏肉だが弱火でじっくりと焼いたのか。しっかりと中まで火が通り生々しさを感じる事はなかった。


 そして肉本来の味と塩味が混ざり合い咀嚼を促すと、ピリっとした辛みがこんにちはと顔を覗かせてちょっとだけ舌を驚かしてしまう。



 ふふ、唐辛子さんのお出ましですか。


 肉汁の脂で舌が辟易してしまう所に訪れた助っ人に心が湧いてしまいますよ。



 俺は今、肉を食っている。



 単純且明快な真理が本当に分かり易く理解出来てしまう肉料理に嬉しい溜め息が漏れてしまった。



「ふぅ――。美味しい」


「えぇ、本当に素晴らしい味付けと焼き具合ですわね」



 アオイの声を受けてチラリと右隣りを見ると、彼女も俺と同じ料理を食して同じ溜息を漏らしていた。



「アオイと同じ料理か」


「流石夫婦ですわね。同じ料理を注文するなんて」


「夫婦は肯定出来ないけど。味の好みは似ているね」


「ふふふ。嬉しい限りですわね??」


「まぁね。…………うん!! 美味い!!」



 噛めば噛むほどお代わりを寄越せと体が、本能が叫んでしまう。


 鶏肉が乗せられた皿に添えられている焼き野菜の柔らかい甘味、そしてピリッとした香辛料が肉の脂を緩和してくれる。


 塩、胡椒、香辛料。


 三位一体となって舌に襲い掛かり至福な一時を与えてくれた。


 いや、本当に大当たりだな。


 店員さんの態度も良ければ、個室もあって尚且つ料理の味も良い。


 今度から贔屓にさせて頂こうかしら??


 次なるお肉を切り分けながらそんな事を考えていると。



『うっまああぁああぁい!!!! ちょっと、何よこれ!!』



 マイが突如として馬鹿デカイ歓喜の念話を放ったので、思わず皿ごと切り分けてしまいそうだった。



「その肉、美味いのか??」



 アイツが今食っているのは……。牛肉の一枚肉か。


 厚みのあるお肉には見ているだけで幸せな気分にしてくれる茶のソースがかけられ。遠目でもアレは確実に美味い品だと断定出来てしまう。



「これ程の美味さ……。ちょっとやそっとじゃ出会えないわよ……??」



 それではその味を確かめたいので、卑しいかと思いますが。一口強請ろうと口を開こうとしたが……



「フォッ!! フォォオオッ!!!!」



 バイオリン奏者の速弾きも真っ青な勢いでナイフとフォークを動かして肉を切り裂き。



「ガッフォッ!!」



 一口大とは呼び難い大きさに切り分けたお肉を口へと捻じ込み。



「ンッ!! ンンッ!! ウ゛ンムムムゥッ!!!!」



 朝から晩まで反芻を続ける牛もあんぐりと口を開けて呆れ果ててしまう咀嚼回数と速度でお肉を平らげてしまった。



「んはぁ!! あ゛――。んめぇ……」



 も、もう一枚平らげちゃったよ……。


 アイツは味わって食べるという事は出来ないのだろうか??



「本当だ!!!! すっごい美味しい!!」


「肉汁で舌が溺れそうだ……」



 牛肉の味は狼の二人も大絶賛の御様子。


 マイは瞬く間に平らげてしまったが、リューヴは味わうようにゆっくりと口へ運んでいる。



「ふふ。美味しい……」



 リューヴの目尻が下がり、口角がきゅっと上がる。


 普段の厳しい様子からは想像出来ない表情に俺の心も自然と温かくなってしまいますよ。



「カエデ。どう?? 美味しい??」



 隣で熱々のトウモロコシのスープを小さな口へゆるりと運んでいる海竜さんへ尋ねた。



「うん、甘くて美味しい。食べる??」


「どれ、一口……」


「はい」



 手元に置かれている匙で掬おうとしたが、此方の予想に反し。カエデが己の匙を差し出してくれるので。



「…………ほぉ。優しい味だね」



 差し出された匙を口に含み、優しい乳白色の液体の味に酔いしれた。



「すっと体に入って来る味」



 カエデの話す通り体の芯に優しく染み入り仄かな甘味と優しさを心に届けてくれる味だ。



 細かく刻んだ玉葱とトウモロコシの実をささっと炒めて。それからコトコトと牛乳で煮込み、鶏ガラ出汁と合わせて塩と胡椒で微調整をする。


 簡単そうに見えて実は奥が深いトウモロコシのスープなのだが、たった一匙でこれを作った人の腕前が窺え知れてしまった。


 俺達の心へ温かい真心を送って下さって有難う御座います。


 料理人さんの腕前と心は真摯に受け止めましたよ??



「レイド様っ。はい、あ――んですわ」


「いや、自分のあるから」



 アオイが己の皿から一口大に切り分けた鶏肉を箸で取り上げて俺の口へと運ぼうとする。


 同じ料理だし、食べても味は変わらないでしょうよ。



「カエデのは頂いて、私のは頂いてくれませんのね……」


 親に横着を働いて叱られた子供みたいに分かり易く萎んでしまう。



 あぁ、もう。



「分かったよ。ほら、一口」



 お礼の席で落ち込んで貰っては困るので親鳥に餌を強請る子鳥の様に口を大きく開いてあげた。



「は、はいっ!!」


 俺がそう話すと、彼女の端整の顔を覆い尽くしていた曇り空が途端に晴れ渡り。箸で摘まんだ鶏肉を口に運んでくれた。



「どうですか??」


「うん。美味しいよ」



 味は一緒だけど、美味しい事には変わり無いからね。



「うふふ、良かったですわ」



 万人が見惚れてしまう笑みを浮かべて己の口へ箸を運ぶ。


 何も摘んでいないのに、何で箸を食むの??



「お待たせしました!! トマトソースのパスタに茄子のトマトソース……」



 勢い良く開いた扉から店員さん達が再び登場。先程注文した品を机の上へこれでもかと並べていく。


 運ばれて来た品々を改めて眺めると凄い量だな。


 そして、これが全て腹に収まると考えると……。皆さんの食欲の大きさが如何に常識外れか、視覚的に理解出来てしまいますね。




「……。以上です!! 失礼しました!!」



 大変な量の品々を運んで頂き有難う御座います。


 元気に去る背中達へ詫びの言葉を呟いた。



「はわぁ。ニンニクとおにぎりかぁ。最高ねぇ……」



 麺類をおかずにおにぎりを食うのか?? アイツは。



「レイド――!! 肉団子のスープ飲む??」



 ルーが颯爽と席を立ち、此方まで出来立てのスープを運んで来てくれる。



「言ってくれればそっちへ行ったのに。一口、貰おうかな」


「はい、どうぞ!!」



 小さくも存在感を放つ肉団子を匙の上に乗せ、琥珀色のスープと共に口へと運んだ。



「……あっふ!! はっちぃ!!」



 予想以上の熱さに目を白黒させる。


 この熱さ、舌が火傷しちまうよ!!


 慌てて水で口内の温度を下げてやった。



「んっ……んっ……。ぷはぁ」


「どうだった??」


「熱過ぎるのは問題だったけど、うん。しっかり味が染み込んでて美味しかったよ??」



 噛めば肉の味が割れ目から染み出して塩味の琥珀のスープと混ざり合い。口内が幸せな熱さに包まれる。


 ずっと噛んでいたくなる。咀嚼を続けなければならない。そんな観念に囚われてしまう味だ。



「えへへ。良かった」


 無邪気な笑みを浮かべると己の席へと戻り。


「どれどれぇ……。あっつ――い!!!!」



 出来立てのスープの熱さに目を白黒させてしまった。


 予想出来た反応に自然と笑みが零れてしまいますよ。



「…………。レイド様。はい、あ――ん」



 手元に手繰り寄せた胡椒たっぷりのスープを口に含もうとすると、アオイの手がそれを阻む。



「いや、先ずこれを飲もうかなって」



 アオイが差し出してくれたのは乳白色のクリームパスタ。


 まろやかな色の白の中に黒胡椒が散りばめられており食欲を湧かせる配色だ。



「あぁ……。そうですわよね……。お惚け狼のスープは美味しそうでしたものね。私が注文した物なんて、レイド様の眼中にすら入らないのですか……」



 あぁ!! もう!!



「頂きましょう!!」



 再び口を大きく開けて催促してやる。


 折角の食事会だ、残念な気持ちを抱かせたまま店を後にするのは申し訳無いからね。



「は、はいっ!! どうぞ……」


「ふぁむっ。……、おぉ!! 塩味と牛乳のまろやかさが混ざって……。美味しい!!」



 麺を噛めばプツリと千切れてそれがソースと絡み合い咀嚼を促す。


 塩気、甘味、柔らかさ。その全てが合一されて調和された逸品だな。



「うふふ。そうでしょう?? 私が選んだ料理ですからね」



 だからどうして君は何も摘まんでいない箸を口へ運ぶのだい??



「この肉もうまぁああぁ――い!!」



 あっちはあっちで喧しいな。


 あれ??


 今度は肉を挟んだパンをおかずにおにぎりを齧ってる。



「うふぇふぇ。ずっふぉ食べていふぁ――いっ」




 視線の端に歓喜の声を上げて気持ち悪い舞を披露する龍を捉えつつトマトソースのパスタを口へ運んだ。



「うっま!!」



 トマトの仄かな酸味と少しだけ自己主張が激しい大蒜の香。


 丁度良い塩梅に茹でられた麺とソースを絡ませたらどうでしょ。簡単なのに素敵な御馳走の出来上がりではありませんか!!



 いかんな。


 先程から口角が上がりっぱなしで口元が疲れて来ましたよ。



 麺を頬張りながら何気なく周囲へ視線を送ると。



「えへっ。うっま……」



 ユウは頻りに頷いて咀嚼を続けて笑みを漏らし。



「美味しいですわねぇ」



 アオイは目を瞑って美味しさを噛み締め。



「ふふっ……」



 カエデは、うん。美味しそうな表情をしていると思う。


 もうちょっと口角を上げてくれれば分かるのに、中途半端な位置ですと余計に疲れてしまいますよ??



「この肉は良いぞ」


 リューヴは相変わらず肉の美味さに目尻を下げて。


「ふぁっつ!! ふぁちち……。もいひ――っ!!」


 ルーは熱さを克服したのか、肉団子を口の中で転がしその味に酔いしれていた。



 そして食欲の権化は……。



「あふらぁぁん……。この店、買えないかしら??」



 俺が注文した大満足パンを両手に掴み、蕩けた顔で馬鹿デカイパンを交互に眺めていた。



 これだけ満足して貰えれば、頑張って店を選んだ甲斐があるのかな??


 いや、選んでくれたのは看板娘さんか。


 今度お店に立ち寄ったら真摯にお礼を述べよう、本当に美味しかったですよと。



「レ――イド様っ。お代わりですわよ――」



 時折右から伸びて来る食事をやんわりと断りながら……。



「そ、う……。ですわよね。アオイが運んだ御飯は不味くて食べれたものではありませんわよね……」



 基。


 彼女から差し出された食事を大変ぎこち無いはにかんだ笑みを浮かべておずおずと口へと運び。素敵と遠慮が丁度良い塩梅で混ざり合う食事会の時間は確実に進んでいった。





















 ◇



 店員さん達が額に大粒の汗を浮かべて運んで来てくれた品々は全員の腹を満たす余りある威力を備えていたが……。


 何を考えたのか甚だ理解に及びませんが。



『お代わりぃ!!』 と。



 注文した全ての品を平らげてしまったお馬鹿さんが追加注文を要求。


 食えるものなら食ってみろとその挑戦を受けて立ったのが間違いでした。



『いいの!? じゃ、じゃあ!! この大満足パン二つとぉ、ルーが食べていた肉団子のスープ!! それとそれとぉ……』



 え?? 何??


 君はこの店の在庫を食らい尽くす気ですか?? と。問いたくなる量の品を注文するではありませんか。


 此処はお礼の席そして先日の件もあって拒絶できない自分に若干の歯痒い思いを覚えていた。



 追加注文を受けて驚きの表情を浮かべる店員さん達が運んで来た料理をほぼ一人で完食すると流石に堪えたのか。



『うぅっぷ!! ぜぇ……。ぜぇっ……!! く、食ってやったわよ!?』



 喉の奥から湧き上がって来るナニかを抑えて、呆気に取られる我々に対して完全勝利を告げた。



 食事は腹八分。



 古の時代から伝わる格言をお馬鹿さんに小一時間程説いてやりたい気分だ。



「食べ過ぎなんだよ」



 正面に座る……。いや、パンパンに膨れたお腹を抑えて苦しそうに机へ伏しているマイへと向かい、端的な言葉の中に様々な意味を含めて言ってやった。



「う、五月蠅い。こんな美味しい物、沢山食べなきゃ損じゃない」


「そういうもんか??」



 食後に運ばれて来た紅茶を口へ運びながら言ってやる。



「そういうもんよ!! ぇっぷ!! い、いかん……。暴れると口から肉が零れ落ちそうだ」



 アイツは此方の財布の中身を心配する素振を見せずお代わりを続け、特に一枚肉のソース添えが気に入ったのか。


 ペロリと五皿を平らげ、更に更に……。これ以上思い返すのはよそう。


 こっちまで胃が重たくなる。


 他の者も好きに料理を頼み、それぞれが満足の行く結果となったらしい。


 表情を見れば一目瞭然だ。


 まるで己が腹に孕んだ我が子を愛しんで撫でる様に、満足そうな顔でお腹を撫でていますからね。




「じゃあ会計に行って来るよ」



 この雰囲気を壊さない様、静かに席を立って話す。



「宜しくお願い致しますわ」


「宜しく――!!」



 何人かの見送りの言葉を受けて個室を出ると。



「へぇ!! あの人が!? 信じられない!!」

「うふふ、そうでしょ??」



「お酒お代わり――!!!!」

「お、おいおい。家まで送るのは俺なんだぜ??」



 まだまだ長机の席は盛況の様で、そこかしこで会話の華が咲いていた。


 皆楽しそうに食事と会話を楽しんでいる。


 願わくば。俺達もいつかこの人達みたいに人目を気にせず堂々と食事をしたいものだな。



 その間を通って入り口付近の会計所へと到着するが、肝心要の店員さん達は接客に忙しそうだ。



「少々お待ち下さ――いっ!!」


「直ぐに御持ち致しますので!!」



 店員さんが一息付くまで待った方がいいかも。



「お会計ですか??」


 此方の様子に気が付いてくれた女性店員さんが人の隙間、そして席の間を器用に縫って颯爽と駆けつけてくれる。


 あの狭い空間を巧みな所作で潜り抜けて来るとは、中々の機敏さですね。



「個室のお客様ですよね??」


「えぇ、そうですよ」



 店員さんの問いに軽く頷いてあげる。



「えっとぉ……。少々お待ちください」



 会計台の下から長い紙を取り出して上から順に視線を下へと移していく。


 そして、真剣な眼差しで暗算を開始するが。



「……っ」



 注文した品が多過ぎるのか、大変難しそうな表情で何度も紙を見返していた。


 すいませんね、注文した品が多くて。



「お待たせしました!! お会計は……。三万六千五百ゴールドになります!!」



 うへぇ、食いも食ったなぁ……。



「はい、どうぞ」



 財布から御釣りが出ない様に現金を取り出して渡してあげると。



「ありがとうございましたぁ!!」



 心地良い笑みでお金を受け取ってくれた。



「どういたしまして。物凄く美味しかったですよ」


「ふふ!! 有難う御座いますね!!」



 素敵な笑みを受け取ると踵を返して彼女達が待つ個室へと向かい。



「ふぅ……」



 そして、扉を開けて着席するなり大きな吐息を吐き尽くした。



「レイド様?? 如何なさいました??」


「うん?? いや、沢山食べたなぁって」



 コップに残る紅茶を口に含んで話す。


 あれ?? ちょっと減った??



「幾らだったのよ」



 お、かなり回復したみたいだな。


 マイが伏せていた上体を起こして問うて来た。



「三万万越えだよ」


「うひゃ――。食ったなぁ」


「ユウ、まだまだ甘いわよ。皆が遠慮しなきゃ五万は余裕で越えていた筈!!」


「あのなぁ。沢山食っても吐いちまうだろ?? 適量がいいんだよ、適量が」



 食本来の方向性を間違っている龍へ、ユウが厳しい指摘を食らわせて正しい方向へと導こうとするのだが。



「ふんっ。さてと、後は寝るだけね。今日はいい夢が見られそうねぇ……」



 当の彼女はどこ吹く風。


 獰猛な狼もお手本にしたくなる角度で大欠伸を放ってしまった。


 よくもまぁあそこまで顎を開けるな。




「ねぇ――。レイドぉ、今日は一緒にベッドで寝て良い??」



 ルーがおずおずと尋ねて来る。



「狼の姿ならいいよ。よし、長居しても申し訳無いし。宿へ帰って休みましょうか」



 明日からの任務に備えて早めの就寝を心掛けよう。


 素敵な食事で体も満足したのか、眠たそうに瞼を擦っていますのでね。



「やったね!!」



「レイド様ぁ。私も宜しいですわよねぇ??」


「蜘蛛の姿なら構わないよ。後……。歩き難いから放して下さいます??」


「んふっ。嫌ですわっ」



 甘えた声を出して此方へ体を擦り付けて来るから困ったもんだ。


 この姿のまま店内を横切るのは心苦しいし。さり気なく押し返して……



「おら、さっさと行くぞ」



 此方の心情をさり気無く掬ってくれたのか、それとも素の行動なのか。


 マイが強引に両者の腕の間に体を割り込ませて甘く絡んでいた腕が外れると、同時に柔らかい感触も消失した。



「ちぃっ……。お邪魔虫め……」


「虫はテメェだ。阿保な事言っていないで早く出るわよ」



 男勝りとは正にこの事ですね。


 憤りの表情を浮かべるアオイをジロリと一つ睨むと、扉を開いて店内をズカズカと大股で進んで行く。



「じゃあ行こか」



 朱を目印にして会話の華が飛び交う店内を通り抜けてお店を後にすると。



「有難うございました――!! またのお越しをお待ちしておりま――す!!!!」



 涼しい空気と良く晴れた夜空が俺達を迎えてくれた。


 満腹な体に優しい風が吹き、食事会の後を彩るにはぴったりの雰囲気だ。




『ユウ、おぶって宿まで運んで』


『はぁ?? 自分で歩けって』


『ねぇ、アオイちゃん。今日は私がレイドと寝るんだからね??』


『それは許されざる事態ですわね。私達の絆を越えるのは何人たりとも許されるべきでは無いのです。夫婦の絆。そう私達の間には目には見えぬ、固い縁で結ばれているのですよ』


『長いなぁ……。か――えろっと』


『ちょっと!! 話は最後まで聞きなさい!!』


『やぁ!! 腕放して!!』


『ルー!! 喧しいぞ!!』




 この喧噪が無ければもっと安らげるんだけどな。


 でも、これが俺達らしい。


 喧しさもここまでくれば微笑ましくもなろうよ。


 皆の明るい背中を見つめてそんな事を思っていた。




「レイド。今いい??」



 陽性な背中を眺めていると、カエデが少し硬い声色で話し掛けて来た。



「さっきの続き??」


「そう」



 左隣りを歩くカエデを見つめる。


 視線は正面を捉えているが、どこか表情に緊張感が見られる。



「言い難い事って何かな?? その……。俺の普段の不甲斐無さに憤りを感じているんだよ、ね??」



 好き勝手に暴れ回る者共を御せない、食事の提供時間が遅い、理不尽な要求に対して強く言い返せない。


 数え始めたら枚挙に遑がありませんよ。



 海竜様の大説教を予想して恐る恐る聞いてみるが。



「え?? 全然違うよ??」



 キョトンとした顔と声が返って来た。



「何だ……。俺はてっきり大説教食らうかと思ったよ……」



 安堵の息を漏らすと同時に肩の力が一気に抜けた。



「ふふ。怒られたいのなら、御望み通り夜通しでお話しするよ??」


「笑顔で怖い事言わないで……」



 柔らかい笑顔は眠りに落ちるその時まで眺めていたいのですが……。


 カエデの説教は御免被りたい。次の日に尾を引く威力を備えていますのでね。



「話を戻します。レイド、ちゃんと聞いてね」


「あぁ。真摯に聞こう」



 真剣な面持ちの彼女に対して此方も姿勢を整え、話を受け取る準備を整えた。



「うん。あのね、実は今日のお昼……。一人の女性と図書館で会ったんだ」


「図書館で??」



 誰とだろう??



「長い黒髪で、どこか静かな雰囲気の人だったけど……」



 そこから先は言い淀んでいる。


 カエデが言い淀むなんて珍しいな。



「どんな人だったの??」


 彼女が話し易くなる様に少し間を置いて話した。



「――――。感情が感じられない人だった。笑顔を見せてくれたんだけど、それが仮面に見えて。言うなれば、感情を持っていない人が笑顔の仮面を付けている。不気味な人だったの」



「感情を持たない人??」



 死人が街を歩く訳ないし、一体誰の事を指しているんだ??



「心の中は虚無で空っぽ。いえ、ドス黒くて言い表しようの無い何かが胸の中を覆い尽くしている。そんな感じもしました」



「人間、だよね??」



「うん。正真正銘、人間。恐らくあの人がイル教の皇聖シエルさんだと思われます」


「っ!?」



 その言葉を聞いた途端、全身の血の気がサっと引くと同時にカエデの頼りなく小さな肩を両の手で激しく掴んだ。



「な、何かされたのか!? 体は!? 怪我を負ったんじゃないのか!?」



 此方の突然の行動に目を丸くしているカエデにそう言った。



 ま、まさか俺の大切な仲間に手を出したんじゃないだろうな!?


 だとしたら絶対に許さん!! 今からでも屋敷に乗り込んで仲間に手を出した事を後悔させてやる!!




「………………。痛いよ??」


「あ、ごめん!!」



 歩道のド真ん中で何をやっているんだ。俺は……。


 不思議そうに俺の顔を見つめる彼女の肩から慌てて両手を放して呼吸を整えた。



「大丈夫だよ?? 何もされていないから」


「それなら……良いけど。でも、本当にその人がシエルさんなのかな」


「身体的特徴を思いつく限り言って下さい。当て嵌めてみます」



 彼女の特徴か。



「背は普通で、体付きもまぁ女性らしい体格をしていたな。長い黒髪に整った顔付き。瞳の色は吸い込まれそうな黒、声は透き通り驚く程体にすっと入って来る感じだった。年齢は俺より少し上だろうね」



 シエルさんの思いつく限りの特徴を述べてあげた。



「どうして体付きを知っているのかは問いません」



 あ、申し訳ありません。


 あれは私の所為では無いのですよ。向こうが狭いソファで無理矢理迫って来た所為なのです。



「幾つか合致するかと考えていましたが、全て当て嵌まり驚いています。特に、声の特徴に特筆をおくべきかと」


「声??」



 綺麗な声だと思うけど。



「人に警戒心を持たせないのが逆に怖かったです。いつの間にか体の中に侵入して、ドス黒さに侵食されてしまう気分でした」


「その事に気が付かなかったのは、俺の注意散漫かな??」



「そうは思いません、アレが少し異常なだけです。凡そ生を感じさせない表情に虚無の心。問題はどうやったらあんな風になるのか。彼女の生き様に疑問を抱いてしまいます」



「そりゃあ……。色々あったんだろう。両親は火災で亡くなり、義理の両親に育てられ、今や多数の信者を抱えるイル教を導く者。心が痛むのは普通の事じゃないかな??」



「私もそう考えました。しかし、たったそれだけであぁも人は変貌するのでしょうか?? 何かが足りない気がします。彼女の根幹を変えてしまう、その何かが……」



 人を変えてしまう程の何か、か。


 想像したくも無いな。



「レイド。お願いがあります」


「何??」



「出来れば……。あの人と極力会わないで下さい。任務や仕事以外では接触しないで」


「大袈裟だな」



 少し笑みを浮かべてカエデを見つめるが、彼女の表情は真剣その物であった。



「お願いじゃ無くなりました。命令に近い物になります。偶発的、突発的に出会ってしまうのは仕方がありません。しかし、此方から伺う様な事は絶対にしない事。いいですね??」



 一歩此方に詰め寄り、鋭く尖った藍色の瞳でキッと俺を見上げる。



「お、仰せのままに」


「宜しい」



 厳しい表情から一転。


 少しばかり口角を緩める、そんな柔らかい笑顔を向けてくれた。



「本当に心配なんだからね」


「俺が普通の女性に負けるとでも??」



 いざとなれば龍の力を解放して、逃げればいい。


 奴らに利用されるのは真っ平御免だからな。



「……それはちょっと違うかな??」


「違う??」


「うん。何だか、レイドを取られちゃうみたいで。嫌なの」



「あはは。俺はどこにも行かないって。例え人と敵対しようとも、カエデ達の味方だよ」


「本当??」



 此方にすっと体を寄せて話す。


 藍色の髪からカエデの自身の香りが鼻腔に届き一つ心臓が高鳴った。


 カエデってこんな良い香りだっけ??



「勿論だ。この目の中の真実を見て御覧??」



 藍色の瞳をじっと見下ろして話してあげる。



「…………。良く見えないよ」


「ほぉら。どうだい??」



 少しばかりお道化て顔を近寄ってやった。


 ふふ。さっきは説教をするとこっちを揶揄って来たからな。


 そのお返しだ。


 さぁ、慄いて引き下がるが良い!!



「「……」」




 ――――。


 あれ?? 下がらないの??



「もっと……。見せて」



 おっとぉ??


 この雰囲気は良く無いですねぇ。


 カエデの細い指先が俺の腰付近を優しく摘まんで話す。



「いや、まぁ、うん。それはまたの機会で??」



 何で揶揄ったこっちが下がらなきゃいけないんだ。


 妙に心地良い空気に昇華してしまった雰囲気をどうしようか考えていると。



『おらぁぁああ!! 何しとんじゃあ!!!!』



 マイの強烈な念話が頭の中に響いた。


 宿へと続く裏通りから顔だけ覗かせてこちらに物凄い形相をぶつけて来るから困ったもんだよ。


 残虐の限りを尽くした連続殺人犯でもあの顔を見たらきっと凶器を落として逃亡するだろうさ。



「アイツ……。もう少し静かに叫べないのか……。カエデ、行こうか??」


「分かった」



 正直、今の罵声に救われた。


 あのままだと恥ずかしくて卒倒してしまいそうだったから。



「…………。弱虫」


「何か言った??」


「何も」


「そっか」



 でもさっきのカエデ。


 妙に色っぽくて、可愛かったな……。


 いかんいかん!! 仲間に邪な感情を持つべきでは無い!!



 頭の中に悶々と湧き続ける邪念。


 左右に頭を激しく振ってそれを振り払い、清く朗らかな気持ちへと入れ替え。庶民に相応しい硬さのベッドが待ち構えている宿屋へと向かって行った。




お疲れ様でした。



彼等の夕食会の時に出て来た鶏肉ではありませんが。


本日の昼食、若しくは夕食に鶏肉は如何ですか?? 私はお昼頃になりましたら黄色い看板のカレーチェーン店へと向かいチキンカツカレーを注文する予定です。


お腹が膨れて執筆も進むでしょう!! 昼寝しないように気を付けます……。




そして、ブックマークをして頂き誠に有難う御座いました!!


第三章開始となり、これまで以上に身が引き締まる思いです!!



それでは皆様、良い休日を過ごして下さいね。


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