第三話 捜索と、救助??
お疲れ様です。
週末の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それでは御覧下さい。
気持ちの良い青が空を覆い、時折現れる白が肩身を狭くして青に詫びる様に通過している。
夏のそれに比べて幾分か暑さは和らいだが、直射日光が当たると肌を刺激して発汗を促す程に太陽の力は強い。
早朝の時間帯でも西大通りを忙しなく行動している人々は皆一様に額に汗を浮かべ、今日も一日好天に恵まれながら経済活動を行える事に何処か朗らかな表情を浮かべていた。
良く晴れ渡った空の下に誂えた表情を浮かべる人々が蠢く中。
俺一人だけが今も大変痛む臀部を庇いながら石畳の上をトボトボと歩いていれば否応なしに目立つとは思いませんか??
昨日臀部に受けた傷は今だ完治には至らず、怪我を庇う為にうつ伏せ若しくは体を傾けて眠っていたから体中が妙に痛む。
だが、痛みを気にして負の感情を抱くのは頂けない。
本日で長きに亘る休暇は終わりを告げて新たなる任務を拝命するのだ。
痛みを基礎にした情けない感情は澄み渡る空の雲に乗せて放り出して、引き締めた感情を胸に抱いて休暇明けの挨拶を行いましょう。
小気味良い蹄の音を奏でて大通りを通過して行く馬に撥ねられない様に左右を確認。
行き交う馬車の合間を縫って我が部隊の本部が所在する北西区画へと向けて移動を開始した。
レフ准尉に会うのも久々な気がする。
向こうに取ってはたかが十と四日だが。激動の経験をした俺には随分と長い時間に感じてしまう。
久し振りの挨拶は冬眠中の兎さんも両耳を塞ぐ程の勢いで元気一杯挨拶をすべきか??
それとも分相応の慎ましい挨拶にすべきか。
これから始まるであろう任務を前に沈んだ気持ちでは宜しくないので、此処はやはり傍迷惑だと思われる声量で挨拶を放ちましょう!!
他人にとっては下らない事で迷い、生活感が溢れに溢れる道を進み続けていると我が部隊の本部が見えて来た。
部隊、と言っても所属しているのはたった二人ですけどね。
「レフ准尉、いらっしゃいますでしょうか」
民家の上から俺を見下ろす鳩さんがウンウンと頷く声量で声を上げ、傷が目立つ扉を静かに叩く。
「――――。ん、入って……」
「おはようございますっ!!!!」
『っ!?』
当初の予定通り快活な声を上げると、鳩さんがポッ!? と目を見開き。驚いた面持ちで翼を忙しなくはためかせて逃亡。
「お久しぶりです!! レフ准尉!! 本日から任務に復帰します!!」
勢いそのまま入室を果たして、驚きと辟易が混ざり合った表情を浮かべているレフ准尉の近くで直立不動の姿勢を貫いて声を張り上げた。
ふふ、覇気ある声と正しい姿勢は軍属である者の基本ですからね。
どうですか?? 部下の態度は?? 気に入って頂けば幸いです。
「五月蠅いぞ。もう少し声を抑えて入って来い、馬鹿者がっ」
飲みかけの珈琲を零して熱そうに顔を顰めている准尉が俺を睨み。
「あいたっ」
此方の真摯な姿勢を崩そうと、まぁまぁの力具合で足を蹴られてしまった。
どうやら選択肢を間違えた様ですね。
休暇明けは慎ましい声で報告する。一つ勉強になりました。
「久々だな。元気そうで何より」
右手に零して付着した液体をパパっと払い、漸く柔和な笑みを浮かべて迎えてくれた。
「お陰様で有意義な休暇を過ごせましたよ」
その笑みに対して丁寧に返答する。
今し方答えた通り、本当に色々あったんだよなぁ。
たった十四日の間に師匠と共に鍛えに鍛えて、ミルフレアさんと対峙して死にかけ、マイ達は龍の大陸へとお邪魔して危険な冒険を繰り広げた。
短い言葉の中にとても長い物語が含まれている。
出来る事ならレフ准尉にも俺が体験した冒険を鼻息荒げて語りたいが、魔物と共に行動している事を知られる訳にはいかない。何より、准尉を此方側に巻き込みたくないのが本音だ。
恐ろしい危険に首を突っ込むのは俺一人で十分です。
「ほぅ?? どこかへ出掛けたのか??」
「出身地の孤児院へ向かい、世話になった人達へ恩返しをして参りました」
これ位の嘘なら許されるであろう。
オルテ先生、アヤメ。
もう少し待ってて。暫くしたら必ず恩返しをするからね。
「それは殊勝な心掛けだな??」
「受けた恩を無下には出来ませんよ。それより、新しい任務は??」
「そう慌てるな。ま、これでも飲んで落ち着け」
「はぁ」
机の上に木製の温かな色のコップを置き、静かな所作で急須を傾けると美しい朱色の液体がコップを満たしていく。
そして、鼻腔を擽る落ち着く香りが部屋に充満した。
「おぉ。良い香りですね」
「だろ?? 頂き物だけど良い葉を使っている所為か、中々の代物だぞ??」
立ち昇る蒸気に含まれた素晴らしい香りが鼻腔を抜けて頭の中を満たす。
「ほら、飲め」
「有難う御座います」
准尉に促されるまま取っ手を手に取り、舌を火傷しない様に注意を払いながらゆるりと熱々の紅茶を口の中へ迎えた。
「……。うん!! 美味しいです!!」
仄かな苦みと鼻腔を抜けて行く茶葉の香。
この二つが絶妙に調和され、朝に相応しい味を演出していた。
「ふふん。私の淹れ方がいいからな!!」
得意気に胸を張り、満更でも無い表情で此方を見つめる。
「今度淹れ方を教えて下さい。是非、参考にしたいと考えています」
任務中にこれ程の美味い紅茶を飲めたら、幾分か疲労も軽減されるだろう。
液体に優しく吐息を吹きかけながら美味さに身を委ねていると。
「ふふ……。しっかり飲み込んだな??」
朗らかな表情から一変。
准尉が意味深な笑みを浮かべてしまった。
「何ですか?? その顔は……」
「実はさぁ――。聞くぅ??」
「聞かなければ次の任務の説明を話してくれ無さそうな雰囲気ですので、静聴させて頂きます」
「この紅茶はさぁ……」
こ、紅茶は??
「本部の備品室にあった奴なのだ!!」
「ブッ!!」
嘘でしょう!?
か、勝手に持ち出した奴を飲んじゃったの!?
「勘弁して下さいよ!!」
「厳しい監視の目を盗み懐に仕舞って、誰にも怪しまれず軽やかに備品室を退出。正に怪盗も驚く早業だった!!」
得意気に話す様がまぁ――腹立たしい事で。
「だが、安心しろ。顔見知りの奴に貸しがあるからな。それを一つ帳消しにする代わりに頂いた物だから」
「頂いたでは無くて、窃盗ですよ!!」
機密情報を盗むだけでは無く、ついにそこまで手を伸ばす様になってしまったのか!!
「お前さんも飲んだから私と同罪だ。仲良く刑務所にいこ――ねっ??」
「これまで見て来た准尉の犯罪行為を告発して減刑して貰います。刑務所はど――ぞ!! お一人で向って下さいっ!!」
「そうはさせるか馬鹿者め。貴様も私と同罪であると立証させる証拠は幾らでもでっち上げられるんだよ」
な、何て上官だ。
部下を守るのでは無くて心中しようと考えるなんて!!
「はぁ――……。どうしてこの紅茶を盗もうと考えたのですか??」
一口飲んでも、全部飲んでも刑は変わらないだろう。
そう考え、一気苛烈に美味しくも何処か後ろめたい味がする紅茶を飲み干してやった。
「美味しそうだったから」
もっと複雑で崇高な理由があるかと思いきや、どこぞの龍と変わらぬ簡素な理由を答えましたね。
「自分の本能に正直するのはどうかと思います」
空になったコップを机の上に置き、少々不憫な視線を彼女へと向ける。
「所詮人間は本能に抗えない生物なのさ。ちょっとそこのコップを隅に寄せてくれ」
「あ、はい」
空になったコップを落とさぬよう、机の端へと移動させた。
「さ――てっと。クソ真面目な部下ちゃんに新しい任務の説明を開始しようかなぁ――っと!!」
汚い言葉、付け加える必要ありました??
アイリス大陸全土の地図を机一杯に広げるので。
「今回の任務は……」
地図の全体像が見えやすい様。口を閉ざし、大きな地図を俯瞰して見る事に徹した。
「捜索と救助任務だ」
「救助?? 要人若しくは軍上層部の方が行方不明にでもなったのですか??」
「それならもっと気が楽なんだけどねぇ。捜索並びに救助対象はこの三名だ」
そう話しながら、三枚の書類を机の上に並べる。
「これは??」
その一枚を手に取り、何とも無しに見つめた。
「対象者の詳細だ。といっても殆どが黒塗りで潰されて読めないけどな」
レフ准尉の仰る通り。書類に記載されて判読出来るのは精々名前と身体的特徴、年齢位なものだ。
「こっちからは情報を与えてやっているのに、向こうからは寄越さないから質が悪い」
うん?? 向こう??
「准尉、上層部からでは無いのですか?? この指令は」
「私の鼻と経験。並びに御用伺いで盗み聞きした情報によると……」
後半部分は敢えて聞こえない振りをします。
一々構っていたらいつまでも任務の内容が伺えませんのでね。
「指令は上層部から出されているが、その指示を与えたのは貴様が盛った犬の様にダラダラと涎を垂らして今にも交尾を求めてしまう色香を放つあの姉ちゃんが纏めている教団だよ」
「イル教絡みの事案なのですか!?」
卑しい犬ではありませんと伝える前にあの教団が絡んでいる事実に驚いてしまった。
「その通りだ。捜索と救助の任務ではあるが。指令ではその三名を探してくれば良いだけの超簡単な指示になっているぞ」
正式な指令書に目を通しながら口を開く。
「では、彼等を捜索すればいいのですよね??」
だとしたら救助はどうするんだ??
遭難した要救助者を見付けただけで良しとする訳にはいかないだろうに。
「上からの指示ではそうなっているが……。これがまた可笑しな内容でねぇ」
指令書を持ち出し、苦い顔を浮かべている。
「変??」
「あぁ。ちょっと聞いてくれ」
レフ准尉が咳払いをすると、指令書の内容を苦い顔のまま読み上げて行く。
「救助対象者を発見、又は発見に至らず。如何なる場合でも対象者に対して此方からの一切の行動を禁ず。救助が必要な場合のみに限り行動せよ。又その場合、対象者に対して王都までの援護、護衛は一切不要。発見時の詳細のみを報告されたし。だとさ」
「要領を得ないですね。行方不明それとも、当初予定された期日までに対象者が帰って来ないから捜索して欲しいんですよね??」
「あぁ。端的に言うと……。くたばっていたら死体を持ち帰らなくてもよい。見つからなかったらそれでも構わん。生きている状態で発見した場合、助けがいる場合のみ手助けして来い。んで、帰りはそいつらに任せろって事だ」
「…………。要救助者達が自分達に知られたく無い情報を持っているとでも??」
これが考え得る一番の答えであろう。
けれど、それだと矛盾が発生する。
「いや、それだと私達に向かわせなくても自分達で捜索をすればいい話。イル教の奴らが手に負えない事案が発生した……」
そう、正に今レフ准尉が仰られた事だ。
「そして、自分達は彼女達が手を出せない危険が待つ地で捜索の肩代わりを担う……」
准尉に続いて表向きでは無い考え得る事案の内容を発言する。
「見つからなければそれで良し、か。知られたく無い情報が第一で人命は二の次、相変わらず胸糞が悪い奴らだな。上の奴らも何を考えているのやら」
大きく溜息を吐くと指令書を乱雑に机の上に投げ置く。
「自分は上層部の指示に従うのみですよ。それが仕事ですから。それで、どこを捜索すれば宜しいのですか??」
「前回、北の大森林を抜けてスノウまで行ったのを覚えているか??」
「えぇ。勿論」
正体不明の野盗が出没して補給路が確保出来ず、俺達がその原因の調査を行った任務だ。
リザード達、そしてリューヴとルーに出会ったんだっけ。
懐かしいなぁ。
「街から只管西進。人も寄り付かないほぼ未開の土地であるコールド地方が今回の任務地だ」
スノウから指をなぞり、西へ移動させる。
クレイ山脈の北側の麓から海岸線付近まで続く大森林の西方でそれは止まった。
北は海、南は聳え立つ山々。
山から流れ出る川が深い森を縦断して海へと続いている。
この地図からでも大自然溢れる地方だと容易に窺い知れた。
人が寄り付かない場所で行方不明の人達は一体何をしていたんだ??
「この周囲を捜索するのですか?? 範囲が広過ぎて……。もう少し絞って頂けると有り難いです。それと、他の部隊の増援は見込めます??」
「それについてだが先ず応援は見込めない。貴様単独での行動だ。」
まぁ……。なぁんとなく分かっていましたけども。
「スノウにも一応パルチザンの二分隊、十名が常駐しているが。彼等の仕事はあくまでも西からの攻めて来る敵性勢力の監視任務だ。クレイ山脈南側では以前出没した化け物の警戒網が今も敷かれていて人員を回す余裕も無い。それとこの任務は奴等からの指示で動かざるを得ない状況になってしまっている」
「つまり、人員が増えた事による情報漏洩を懸念していると??」
「その通りっ!! 今まで単独での任務成功の実績があるお前さんに白羽の矢が立ったのだろうさ」
正確に言えば単独では無いのですけどね……。
応援は見込めない。
それが指し示す事は俺も行方不明になった三名同様、捨て駒扱いされても致し方ないって事だよな。
幾ら資金面で俺達の活動を支えているといってもさ、人命を軽く見過ぎじゃ無いのか??
機会があればシエルさんに、俺達の命を軽々しく扱うな。そうガツンと言ってやりたい気分ですよ。
「捜索範囲は……。この川があるだろ??」
指令書と地図を交互に見つめ。下流から上流へと指を動かす。
「この川の上流……。西側周囲を捜索してくれだとさ」
准尉の指が捜索範囲を指定してピタリと止まった。
「此処……。ですか」
地図上では何の変哲もない森の中だけども。
実際はとんでもなく険しい自然の中だろうさ。
「そうだ。前回報告してくれた狼の生息地であると考えられる。奴らが手に負えないのはその所為だろう。レイド、お前も十分気を付けてくれよ??」
珍しく労わる口調で話し掛けてくれる。
「承知しています。かなりの悪路、それに到着までの日数も掛かりそうですね」
「スノウまでは前回と同じ経路で進んでくれ。此処からスノウまでは凡そ十四日。立ち寄った各街で補給、そして最終補給地点であるスノウで再び補給をして……。馬の足と貴様の馬鹿げた体力を加味して目的地までは二十日といったところか」
二十日間か。本日が十ノ月十七日だから、順調に行けば帰還は十一ノ月の終わりだな。
その間、七名分の食料を補給するにはかなり骨が折れそうだ。
お金、足りるかな??
後で銀行に行って少しばかりお金を引き出しておこう。
「出発は明朝八時に此処まで物資を受け取りに来てくれ。今日は明日に備えゆっくりと休め。暫くの間、帰って来れないからな」
「そうさせて頂きます」
「この三枚は持ってけ。対象者の詳細を頭の中に叩き込んでおけよ」
机の上に置かれている要救助者の詳細が書かれた紙を此方に渡す。
「了解です」
「腐りに腐った酷い悪臭を放つ死体でも、記載されている身長や特徴から判断できるだろう」
「今から物騒な事言わないでくださいよ」
顔を顰めて言ってやる。
「ははは、冗談だ。でも、そうなっている場合も考えられるだろ??」
「確かに……、そうですが。彼等の無事を祈り、一日でも早く安否の確認をします。彼等を発見、または至らずともスノウの街から伝令鳥を飛ばせばいいですよね??」
「ん、頼む。スノウから出発して現地に到着後、捜索期間は最大五日だ。くれぐれもその期間を越える事の無い様に。良いな??」
「了解しました。では、失礼します」
「ん――。御苦労様」
一つ礼をすると本部の扉を開けた。
今回も長い任務になりそうだなぁ。
スノウから西進っていうと……。アイリス大陸の北西部に位置する。
確か、そこってリューヴ達の里があるって言っていなかったけ??
彼女達の方が俺より地理に詳しいかも。合流してから聞いてみよう。
よし。明日からの任務に備えて色々所用を済ませましょうかね!!
肩をぐるりと回し、明日から始まる任務に相応しい引き締まった気分に入れ替えて西大通りへと向かい歩み出した。
◇
はぁ……。落ち着きますね……。
紙の心地良い感触と文字の羅列が私の中の荒ぶる波をさざ波に変え、静かな凪へと変容させてくれている。
マイ達は少々度を超えていると言いますか、節度を保つべきだと思うのです。
私達は人とは違う。
魔物と呼ばれ人からは恐れられる存在なのですから。そこを考慮して粛々と過ごし、角を立て騒然と過ごすべきでは無い。
それを理解して頂きたいものです。
レイドも、もうちょっと厳しく言っても良いと思う。
彼は優し過ぎるのが欠点であり長所でもある。
そこが玉に瑕、なのですがね。
いつまでも怒っていてもしょうがありません。
本を読み、心を落ち着かせましょうか……。
色々必要な物を買い揃えると言いマイ達は街へと繰り出し、一方私は一人図書館へ赴いた。
昨晩の喧噪を受け、夜遅くまで皆に対してこっぴどく説いたのが響いているのか少し寝不足気味だ。
「ふぁ……」
片手で口元を抑えて欠伸を放つ。
この静けさの中だと自然と欠伸も出てしまいます。
雰囲気がそうさせるのか、それとも好きな空間に不思議と気を許しているのかもしれませんね。
「ふぅ」
この本も面白かったです。
事細かく花の詳細が書かれ、図鑑の名に恥じない正確さを示していた。
花の特徴ばかりでは無く花言葉も添えられており良い勉強になりましたね。
さて、これは返却して次の本を持って来ましょう。
お気に入りの席から立ち上がり、聳え立つ本の山へと歩み出した。
『えっと……』
本棚へ図鑑を返却して館内を落ち着いた歩調で散歩しながら本の題に視線を送りつつ、気ままに動き回る。
本の題名を見ているだけでも飽きませんが……。
中身を読んで作者の意図を汲むのが読書の醍醐味だと思う。
これなんか面白そうだな。
歩みを止めると一つの題目に目が留まった。
『何も書かれていない板』
恐らく哲学の本なのですが、題目からして本の内容は無題という意味なのでしょうか??
件の本を取り出そうと手を伸ばすと…………。
不意に視線を感じた。
誰だろう??
伸ばした手を元の位置へと戻して右へ視線を送ると。
「……」
一人の女性が本を手に取り此方を見つめていた。
長い黒髪で端整な顔立ち。白の長いスカートに灰色の上着。
一般的には美人の部類に入るであろう。ううん、美人の中でもかなり上位に位置する顔立ちだ。
私に何か用なのかな??
「――――。その本、お読みになるのですか??」
周囲に存在する空気を響かせぬ様、静かに話す。
「……」
私は再び本へ向かって手を伸ばして目的の物を取り出すと肯定の意を含めて会釈をした。
「中々面白い内容ですよ」
柔らかい笑みを浮かべてそう話すが……。
私は瞬時にこの人との間に壁を作った。
柔らかい口元から放たれる優しき声はぬるりと心の中に侵入していつの間にか私だけの心を侵食、占領してしまう。
安らぎとも、安寧とも受け取れる声に拒絶の感情を抱くのはおかしな話ですが。それでも分厚い壁を構築する必要があったのだ。
何?? この人。
「私も以前読んで共感しましたから」
笑顔で此方に話しかけて来るが、この笑みは偽りの感情だ。
言うなれば、笑顔の仮面が本物の顔面に張り付いていると言えば良いのか。
感情を持たぬ生物が無理矢理仮面を装着している、そんな感じがした。
生を感じさせぬ偽りの表情、紛い物の笑みの仮面、人の心を容易に蝕む柔らかき声。
仮面の下にどんな素顔が隠れているのか。申し訳ありませんが想像もしたくありませんね。
魔力の欠片も感じさせぬ正真正銘の人間に私は最大級の警戒心を抱き、自分でも気付かぬ内に距離を取った。
私の様子を捉えると不思議に思ったのか小首を傾げて。
「どうかされました??」
心温まる声色で私の瞳の奥を見つめた。
「…………」
これ以上この人と関わりたくない。
私の中に入り込んで欲しくない。
一人の人間に対して、これ程までに強烈な拒絶の感情を抱くのは初めてだ。
「ふふ。引き続き楽しんで下さい。それでは、また」
気味の悪い笑みを浮かべて此方に会釈をすると、静かな足取りで立ち去って行った。
「ふぅ――……」
良かった、立ち去ってくれて……。
この感情は苛立ち……。とは違いますね。
そうだ。怖い、だ。
私の心を掌握されてしまうのが怖いから下がったんだ。
彼女の声や瞳にはそういう力が込められている気がする。真面に瞳を見られなかった。
見てはいけなかったのかもしれない。
まさかとは思いますが、彼女が例の……??
それなら頷けます。
数多多くの人を纏め、彼等を従える為には相応の魅力と先導者足る素質が必要不可欠。
彼女にはそれを超越した力を感じた。
彼女が放つ抗えない力に人々は傾倒しているのだろうか?? それとも、教団の理念に納得して行動しているのだろうか??
そして一体、何をしたら感情を持つ人に生を感じさせない不気味な姿に変容するのだろう……。
両親が焼死したから??
教団に身を置き、自由を奪われたから??
自分だけの人生を謳歌出来ないから??
…………。分からない。
偽りの仮面、心の虚無を生み出す事象など想像したくも無い。
私に今出来る事は彼女との距離を取り接触しない事だ。
「……」
お気に入りの席に着くと、手汗がじわりと滲んでいる事に今初めて気が付いた。
一人の人間がおいそれと放つ空気ではありませんでしたね。
出来る事ならもう会いたく無い。
それ程の拒絶感が今も心に残っている。
ふぅ……。
心を落ち着かせましょう。
半ば現実から逃避するかのように本を開き、文字の波へと己の身を預けた。
こうでもしないとこの得も言われぬ負の感情が消えてくれない、そう感じていたから。
後でレイドに報告した方が良いかな??
でも、彼にこれ以上不必要な心配を掛けたくないし……。
少し読んでは己の考えに迷って宙を睨み、いつまでも考えが纏まらないと再び文字の波へと視線を落とす。
それを繰り返していく内に幾分か気持ちが落ち着いて来たのですが。
「「……」」
私の視線の意味を履き違えた数名の利用者さんが図書館の天井に何か貼りついているのかと、怪訝な表情を浮かべて天井を不思議そうに見つめていた。
ふふ、ごめんなさい。
気にしないで良いですよ。
心の中でそう呟き、再び訪れた心地良い静謐の中で私は一人で読書に耽っていた。
お疲れ様でした。
もう間も無く彼等が活発になると思うと辟易してしまいます。
そう……。花粉のシーズン到来ですよ。
今の内に市販の薬を買って備えているのですが、果たして今年はどうなる事やら。
週末の天気は所によって荒れ模様となりそうなので、体調管理には気を付けて下さいね。




