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第二話 男女問わず臀部は守るもの

お疲れ様です。


本日の投稿になります。


それでは、どうぞ。




 広い室内に紙を捲る乾いた音がそっと静かに響き、私の鼓膜を柔らかく刺激する。


 口を閉じて静かに読書に耽る者、何やら本の内容を忙しなく紙に写す者、腕を枕代わりにして一日の終わりに近付く夕刻の一時を満喫する者。


 皆一様に音を立てない事に勤しんでいた。



 心が乱れてしまう騒音は御法度。



 知識を高め、知力を向上させる事を目的とした場所ですから。


 古紙の香りと少々埃っぽい匂いが混ざり合った独特の香りが気になりますが……。


 まぁそれも含めた空間が図書館なのでしょう。



 知識欲を向上させてくれる森閑とした空気の中で紙の擦れる音を奏でると、背の高い本の棚の間から灰色の髪の女性が静かな所作で現れ椅子に腰かけた。



『あら、リューヴ。お帰りなさい』


『あぁ』



 何の本を持って来たのかしら??


 私の正面に座って本を開くので何気なく題名を確認する。


 えっと……。



『人体の構造と筋力増強に至る効率的な運動』 ですって。



 あれだけの力を有しているのにまだ筋力を付けるおつもりですか??


 止めはしませんが、もう少し女性らしさを磨いてみては如何でしょうか。


 いや、しかし……。


 リューヴも黙っていればそれなりの物を持っている。


 すらりと伸びた長い四肢、すっと直線を描く眉に翡翠の瞳。



『ふぅ……』



 端整な顔の眉に掛かった美しい灰色の髪を指でそっと払うと、大多数の殿方は彼女の姿に魅入ってしまうでしょうねぇ。


 同じ女性でさえも綺麗だと頷けてしまいますから。



 うむむっ。


 レイド様に見せられない御顔ですわ。


 私に傾いている御心が移り気になられても困りますし。


 もしも他の女性の御顔に魅入ってしまうのであれば、アオイの御顔でレイド様の御心を上書きしてみせましょう。



 レイド様……。貴方は今、何処に居るのですか??


 早くアオイを迎えに来て下さいまし。



 彼の素敵な姿を思い浮かべて心が満たされていくと……。レイド様の強い力を感知した。



 うふふ、もう間も無く姿を現しますわね。



 彼の胸の中に飛び込みたい、レイド様の心を独り占めにしたい。


 そんな逸る気持ちを抑えてほぼ無意味に文字の羅列を読み飛ばしていると。



「お。やっぱここだったか」



 恋焦がれていた本物の御声と御姿が本棚の間から現れてくれた。



 はぁ、この御声……。


 何千、何万回聞いても決して飽きはしない。


 一度彼の声を体の中に入れてしまえば私の心を嬉しくトクンと鳴らせて微かに体温を上昇させてしまう。


 たかが声一つでここまで私を昂らせるとは、本当に罪な御人ですわ。



「カエデ、読み終わった新聞見せて」


『はい』



 私の右隣りにお座りになられて正面のカエデから新聞を受け取ると、漆黒の瞳で文字の波に視線を送る。


 最近、痩せました??


 横顔を見つめていると不意にそう感じた。



「どうした??」


『え?? あ、いえ。御痩せになられましたかと思いまして』



 いきなり此方へ振り向くので心臓が一つ高く鳴ってしまいました。


 不意打ちは卑怯ですわよ??


 私にも心の準備というものが必要なのですから。




「あぁ。多分、寝込んでいたからかな?? ほら、先日の」



 そう話すと新聞の一面を捲り二面へと移動する。



『主、落ちた筋力を取り戻すのは大変だぞ??』



 リューヴが本から顔を上げて私のレイド様へいつも通りの厳しい視線を送った。



「しょうがないでしょ。あれ程の怪我を負った訳だし」



 そう。先日までレイド様は生死の境を彷徨い歩いていた。


 その間、私は気が気じゃ無かった。


 レイド様の御体が傷つく度、胸が張り裂けそうな思いでしたわ。


 彼が吐血すると私の心がひび割れ、彼の皮膚が裂けると呼吸が出来なくなる程胸が締め付けられました。


 もし、あのまま帰らぬ人となったら……。




 私はきっとレイド様の後を追っていたでしょう。




 レイド様のいない人生なんて考えられない。


 灰色、いいえ。虚無が待ち構える人生等、無価値に等しいですから。



「次の任務の移動中にも筋力を取り戻すよ」


『組手なら付き合うぞ??』


「はは。リューヴ相手に俺なんかが務まるかな??」


『主は謙遜し過ぎだ』


「謙遜じゃなくて事実でしょ」



 むぅっ!! 獣ばかり見過ぎですわ!!


 正妻が隣に腰掛けているのですわよ!?



『レイド様ぁ。私とも是非組んで下さいましぃ』



 彼の左腕に甘く体を絡める。


 そして何気なく胸元を開いてぇ……。


 ほら、アオイの見えますか??



「アオイ、読み難いって」


『あんっ。もう……』



 ふふ。


 照れるお姿もいいですわねぇ。


 今、私のたわわに実った果実に視線が移動しましたよ??


 刹那に眺めるのでは無くて、穴が開くまで見つめて下さいまし……。



「う――ん。目ぼしい事件や事故は無かったみたいだね。そっちは何か書いてあった??」


『いえ。平和な日常が続いています。喜ばしい限りですね』



 カエデが読み終えた新聞を細い指で丁寧に畳む。



『平和か……。兵は兎も角、この街に住む普通の人間はオーク共の脅威を知らずにのうのうと日々を謳歌しているのだな』



「リューヴ。知らなくていい事は知らなくていいんだぞ?? アイツらを見て恐怖に慄き心に酷い傷を負わせない為に俺達が戦っているんだ。パルチザンの兵然り、そしてリューヴ達もね」



『だが、戦う事を知らないままでいいのか?? もし、主達の仲間が全滅したらここまで奴らが押し寄せて来るのだろう?? そうなった時の為、訓練の一つや二つ経験しておいても損は無いだろう』



「確かに……。一理あるな」



 リューヴの至極真っ当な答えに一つ頷く。



『けど、この街にいる人達全員にそれを行うのは無理がある』



 カエデが新しい本を手に取り話す。



「痛い所を突くね」



 レイド様が少しばかり困った顔を浮かべた。


 んっ……。そのお顔も良いですわ……。



『正論。それに、ここに住んでいる人達全員を武装させる為には巨額の資金と膨大な時間を掛けて武器の製造もしなければなりません。その資金は何処から?? そして、訓練に費やす為の時間は??』



「耳が痛いよ」



『簡単な話。レイド達、そして私達魔物が負ければこの大陸に住む人々は全滅するだけです』


『結局は金と時間と武器が必要という事か。主、ここの街にある武器屋だけでは賄えないのか??』



「あるにはあるけど……。とてもじゃないけど、民間人全員を武装させる事は不可能かな」



 そうですわよねぇ。


 大規模な武器の生産地でもある訳では無いですし。



「あ、そうだ。武器屋で思い出した」


『如何されました??』



 俯きがちであった面を上げたレイド様に伺う。



「さっきさ、武器屋で得も言われぬ人を見かけたんだよ」



『武器屋で、ですか??』



 その言葉を受けてレイド様の腰へ視線を落とすと……。


 あら、新しい革袋を装備していますわね。



 レイド様御愛用の短剣は左側、そして今からでも叩き折ってやりたい忌々しい短剣は右側。


 二刀が重なり合わぬ様、剣身で谷を描く様に納剣されていた。



「そうそう。幾つもの武器を身に着けてさ。まるで全身武器みたいな人だったんだけど。注目すべきはそこじゃなくて……。身に纏う空気が普通の人とは一線を画していたんだ」



『ほう、主が言う程だ。手合わせを願いたいな』



「幾度の死地を超え、死線を掻い潜り、数多の戦場を経験しなきゃあれ程の空気は身に纏えないだろうな」



『その男性のお顔は??』



 目を瞑り、その光景を思い出している彼へ問うてみた。



「男性じゃなくて女性だよ。顔は……、そうだな。美人の部類に入るとは思う」



 むうっ!!!!



『レイド様?? まさかとは思いますが、その女性に一目惚れ等とはしていませんよね??』



「いやいや、俺なんか相手にされないでしょ。あの人は男性とか、そういう色恋沙汰には興味が無いように見えたから。頭の中は戦う事で一杯だと思うよ?? 恐らく、傭兵だと思うし」



 私の判決と致しましては……。白黒付かず、灰色ですわね。


 他の女性へ目移りしない様。監視の目を厳しくしないといけませんわね!!



「どうした??」



 私の視線を感じたのか。


 レイド様が此方を見つめてそう仰る。



『いえ、何でもありませんわ』



 可能であれば私だけをずぅっと見つめて下さいまし。



『傭兵か。金を貰い、敵を殲滅する危険な仕事だな』



 リューヴが言った。



「何も戦う事ばかりが仕事じゃないさ。まぁ、でも今は殆どがそれ系の依頼だろうね」


『その分報酬は弾むな』


「自分の命を張るんだ、それ位が正当報酬だろう。成果には相応の報酬を支払うべきだとは思うよ?? ――――。お、そろそろ退館時間だな」



 あら、もうそんな時間ですか??


 レイド様の視線を追い、壁の時計を見つめると針は間もなく午後五時を指そうとしていた。


 幸せな時間はあっと言う間に過ぎるのですわねぇ……。



「よし、そろそろお暇しようか。今日もいつもの宿だからね」



 椅子から立ち上がり、そう仰るので。



『では、御二人共。参りましょうか』



 私も彼に倣って立ち上がると両名へ指示を与えた。



『この本、借りて行く』


「気に入ったの??」


『うん』



 カエデが本を胸に抱きコクリと小さく頷く。



「じゃあ、俺達は外で待っているよ。受付で貸出の手続きをしてきてね。あ、図書カード持ってる??」


「……」



 レイド様の御言葉を受けると無言で白いローブのポケットに手を入れ、件のカードを提示した。



「おぉ。ちゃんと持ってくれているんだ」


『これは手放せない。お金より大事だから』


「そっか」



 むむむ!!


 そうやって温かい目で見つめ合わないで下さい!!



『さ、レイド様?? 行きますわよ!!』


「ちょ、ちょっと!! 危ないから押さないで!!」



 ふんっ。泥棒猫に私のレイド様は渡しませんわ。


 あ、海竜でしたか。


 まぁどちらでも構いませんけど。


 温かく、そして私のイケナイ感情を刺激してしまう広い背中を押しながら出口へと向かった。























 ◇




 十ノ月中頃の初秋。


 昼の残り香が幾分優しくも感じてしまうのは、燦々と輝く真夏の太陽の暑さを知っているからであろう。


 夏のそれよりも少しだけ弱く感じてしまう赤き日が今日一日の疲れを体現した大きな欠伸をしているので俺も彼?? 彼女?? につられて大きな欠伸を放った。



「ふぁ……」


『あら?? 寝不足で御座いますか??』



 右隣で静かに立つアオイが笑みを浮かべ尋ねて来る。



「何だろう。やっぱり久々に感じる空気だからかな?? 何だか気が抜けちゃって……」



 目に浮かぶ涙を拭きながら返事を返す。


 見慣れた平和な第二の故郷へ帰って来た事に対して自分でも知らぬ内に安堵感を抱いているようだ。


 現に欠伸が出て体の筋力もだらけているし。



『主、戦士足る者。常在戦場を心掛けるんだ』



 リューヴが此方へ厳しい瞳を送りまるで叱る様な口調で話す。



「お、おう。気を付けるよ」



 師匠もきっと今みたいな緩い事を言ったら怒るんだろうなぁ。



『弛んでおる!!』 ってな感じでさ。



『皆さん、お待たせしました』



 カエデが本を胸に抱いて此方へやって来る。


 お目当ての本を借りられた所為か、表情が随分と明るい。



「よし。じゃあ行こうか」



 全員が揃った所で北大通を南へ向けて歩み出す。


 そして、すれ違う歩行者の表情を何気なく見つめていると……。彼等もどことなく顔の表情が弛んでいいますね。



 両手一杯に大きなパンを持ち、本日の夕食を頭に浮かべて笑みが絶えない男性。


 仕事帰りなのか緊張感の無い表情で鼻歌等を歌い軽やかな足並みで家路へと向かう中年の男性。


 まだ本日の献立が決まらないのか、腕を組み唸っている女性。


 あらら、今すれ違った人は厳しい表情なのね。



 こうして人の表情を楽しみながら歩くのも平和な証拠だよな。


 悪鬼羅刹が蠢く戦場ではそんな事一々考えていられないもの。



『レイド様、夕食はどうしますか??』



 あ、そうか。


 すっかり忘れていた。



『ん――。今から屋台に行くのも憚れるし、ココナッツで買っていこうか??』



 店名を述べた途端、舌の上にクルミパンの味が思い出される。


 小麦の微かな甘さとあのザクリとしたクルミの感触が何とも言えないんだよなぁ。


 帰り道の途中だし、丁度良いと思う。



『畏まりましたわ』



 しかし……。


 食い物の事となると、どうしてもアイツの顔が浮かんでしまう。



『マイ達にも買っていこうか??』



 ここで買って行かないと酷い目に遭いそうな気がする。


 いや、確実に酷い目に遭うぞ。



『卑しい豚には必要ありませんわ』


「豚って……。お、見えて来たぞ」



 懐かしき店が通りの端に見えて来た。


 一応、マイ達へ念話で聞いておくべきか??


 そんな事を考えながら店内へ続く扉を開けると。



「いらっしゃ……。レイドさん!! お久しぶりです!!」



 今日も元気な看板娘が笑顔を振り撒きこちらへやって来た。


 相変わらず元気そうで何よりですね。



「お久しぶり。どう?? 元気にしてた??」



 明るい茶髪に似合う、良い笑顔。


 ここが繁盛するのも頷けるよなぁ。



「はいっ!! あ、そう言えば。御友人さん達が来店していますよ??」


『友人??』



 怪訝な表情を浮かべながら、彼女の後方に視線を移す。


 すると……。



『んひょ――!! このパンも美味そう!!』


『ちょっとマイちゃん!! それ、私が取ろうと思っていた奴なんだよ!?』


『早い者勝ちなんだよ!! お前さんは売れ残りでクッタクタに萎んだパンでも噛んでろや』


『んお!! こっちも美味そうだな!!』




 赤い髪、深緑の髪、そして灰色の髪が忙しなく店内を跋扈していた。俺達以外お客さんがいないのが幸いです。


 彼女達の喜々とした動きを捉えると同時。



『『はぁ――……』』



 分隊長殿と同時に長い溜め息を吐き尽くした。


 只、注目すべきは他にもあって……。


 盆に乗せられた見紛うべき積まれたパンの山だ。



「おい」


『あら?? 来たの?? 気付かなかったわ』



 パンに夢中であったのだろう。


 俺の声を受け取ると、忙しなく店内を右往左往していた足を止め。いつも通り片眉をクイっと動かして此方を見つめた。



「幾ら何でもそれは買い過ぎじゃないのか??」


『これ位が適量なの。久々だから食い貯めしないと……』



 龍族はお腹の中に食い物をいつまでも貯められるのでしょうか??


 まぁ、それは確実に有り得ない。


 貯められるのであれば普段の食い方に矛盾が生じますからね。無限に食物を食べられる生物は存在しないのだから。



『最後の一個だったし。あんたの好物、確保しておいたわよ??』



 でかした!!


 これが無ければ始まりませんからね!!



「気が利くじゃないか」


『ふふん。もっと敬いなさい』



 たかがパン一つで敬えと言われてもなぁ。だが嬉しいのは事実。


 店内入り口に置かれている盆を手に持ち、マイの盆から自分の盆へ愛おしきクルミパンを移した。


 ふぅ。


 これで一つは確保っと。


 さて!! 後は何にしようかなぁ。


 店内を舐める様に物色し始めた。



「レイドさん。昨日、トアさんが来ていましたよ??」



 パタパタと呑気な足取りで受付へ戻り、看板娘さんがそう話す。



「トアが??」



 前線から戻って来たのか??



「はい。昨日で休暇が最後らしくて、沢山買って行かれました」


「ほぉん。じゃあ今日からまた任務に戻ったんだな」


「そうみたいですね。私の仕事が終わってから一緒に出掛ける機会がありまして。お互いの仕事の愚痴やら他愛の無い会話に付き合って貰いました」



 えへへと屈託の無い笑みを浮かべる。



「あいつの愚痴かぁ。聞いていて耳が痛くならなかったかい??」



 お!!


 チーズパンだ。ここのチーズはちょいと酸味が強いから好きなんだよねぇ。


 これも外せないから買いの一択です。



「それが全然っ!! 寧ろ、私が殆ど話していましたよ」


「ふぅん。嫌な客への接客とかの愚痴??」


「そう!! 聞いて下さいよ!!」



 珍しく声量を上げたので思わず目を丸くしてしまった。



「何?? どうしたの??」



 粗方選び抜いたパンを盆に乗せたので受付へと向かう。


 マイ達はまだ吟味中の様子で。



『うぎぎ……。し、締めの一品がっ』


『んぉ。アンパンみっけっ』


『お肉入りのパンは外せないよねぇ――』



 豊富な種類のパンから取捨選択を繰り広げ、難しい表情を浮かべていた。



「先日……。一週間くらい前かなぁ?? 閉店間際の遅い時間に男性のお客さんが一人で来店されたんですよ」


「ふむふむ??」



 仕事帰りのお客さんかな??



「他にお客様もいたんですけど。その男性が……。あ――!! 思い出すだけで腹が立ってきました!!!!」



 大変お可愛くプリプリと怒るので、込み上げて来る笑いを抑えるのに必死だった。


 怒りの表情を見せているのに、笑うのは失礼でしょう。



「何があったの??」



 喉の奥から飛び出そうとする笑いを堪えて伺った。



「いつも通り、パンの補充をしたり接客していたんですけど。その男性客に背中を見せた瞬間、そいつが私のお尻を掴んだんですよ!!」



「で、臀部を??」



「はいっ!! 驚いて声が出なかったのですが他のお客様が気付いて、その人を取り押えてくれまして……。そして、そのまま御用となりました」


「あらぁ……。痴漢にあったんだ」


「そうです!! 全く!! おいそれとは触っていい物では無いんですよ!?」



 この怒りはそこから来ているのか。


 でも、まぁ。


 その痴漢の気持ちは分からないでもない。


 好みの女性を触りたいのは本能として現れる。種の保存、子孫繁栄の為人間に備わった普遍的な機能である。


 しかし、人間は考える動物。


 湧き上がる欲求を抑え、社会に相応しい規律を守り、倫理を犯す真似は理性を働かせ抑え込むべきだ。


 了承されるべき行為では無い。


 捕まって当然だな。



「酷い目に遭ったね??」


 出来るだけ同情した声色で話した。


「本当ですよ、もぅ。ほら、ここをガっと掴んだんですよ!?」



「っ!!」



 くるりと回って背を見せ、濃い青のズボン越しに形の良い臀部を強調するから困ったもんだ。


 慌てて視線を彼方へと向けた。



 最近の若い子は随分とアケスケなのね。



「トアさんにも話したら。私なら足腰立たなくなるまでぶん殴って。この世に生まれた事を後悔する程の恐怖を植え付けてやる。って言ってました」



 漸く体を正面に向けてくれるので、ほっと一息ついた。


 一応、俺も男性なのですから気を付けて下さい。



「アイツならそうするだろうな。実際、訓練生だった頃さ。アイツにちょっかいを出した奴がいて……。トアの奴、怒り狂ってそいつと大喧嘩を始めたんだよ」



「えぇ!? 男性の方とですよね??」



 大きな目を更に大きく見開いて話す。


 目、疲れない??




「そうそう。物は損壊するわ、止めに入った奴が負傷するわ……。もう大変だったんだよ」



 遠い記憶が話す内に鮮明になって来た。


 俺も止めに入って両方から殴られたっけ。





『止めんな!! ボンクラ!! こいつは私が殴り殺すっ!!』


『や、止めろって!! 食堂で暴れたら皆に……』


『退きやがれぇぇええ――!!』


『いやぁああああっ!!!!』




 …………。


 あっれ?? トアだけに殴られた記憶しか出て来ないぞ??


 その懐かしい記憶が顎に微かな幻痛を思い出させてしまう。


 今度問い詰めてみるか。


 よくもぶん殴ってくれたな、と。



「それで、どうなったんですか??」



「暴れ回った暴力の権化の所為で同期の連中が負傷。ちょっかいを出した奴は白目を向いて失神、結果トアの圧勝さ。で、その後事件を起こした二人が指導教官に呼ばれて大説教。トアにちょっかいをかけた奴は暫くして辞めていったよ」



「トアさんは、御咎め無し……。ですか??」


「経緯を聞いたのでしょうね。女性の臀部なんか触るからそうなるんだよ」


「はぁ。人に歴史ありって奴ですねぇ」



 しみじみと頷いている。



「ま、愚行には罰が付き物だよ。痴漢行為を働いた奴も今頃、酷く後悔しているさ」


「そうだといいんですけどねぇ。大いに反省して頂きたいものです」


「そういう奴に限って、また同じ事を繰り返すんだよなぁ……」



 何も学ばない、寧ろより狡猾になって愚行を繰り返す気がする。


 由々しき問題だよ。



「その、男性の方って……。そんなに触りたいと思うもの、なのですか??」



 看板娘さんが体の前で手を合わせて少々どもりながら話す。



「ん?? ん――。何て言えばいいのかな。ほら、男の人って女性よりそういう欲求が強く現れる傾向があるんだよ」



「そういう……。触りたくなる……、ですか??」


「えっと……。まぁ、はい」



 話している内に何だか恥ずかしくなってきたぞ。



「じゃあ、レイドさんは……。トアさんの触りたいと思います??」


「へ??」



 唐突な質問に声が上擦ってしまった。



「だって、トアさん整った体付きしているじゃないですか。女性から見てもカッコいいって思うし」


「かっこいい?? アイツが??」



 後で告げ口されて酷い未来が待ち構えていると思うと。


 理不尽な暴力が誰よりも似合うアイツが?? とは言えませんでした。



「そうですよ。体も引き締まって、形の良い胸に、きゅっと張りのあるお尻……。ああいう女性がモテるんですよ」



 むっ、と口を結ぶ。



「そんなもんかね??」


「えぇ、そうだと思います」



 女性から見てもかっこ良く映るのか。


 まぁ竹を割ったような性格に、明るい笑顔に、整った体付き。


 モテるのも頷ける。


 しかし、中身は……。


 いや、皆迄言うのはよそう。どうなるか分かったもんじゃない。



「へ、変な質問をよ、宜しいですか??」


「どうしたの??」



 今の言葉には二つの意味を持たせた。



 一つは、彼女の質問に対する答え。二つは、彼女の状態に対する問いだ。



 目の前の彼女は、茹で蛸さんも思わず心配になる程の赤らめた顔をしている。


 風邪でも引いたのかな??



「レイドさんは……その。私と……トアさんの……」


「うん?? トアと??」



 要領を得ないなぁ。



「えっとぉ……。どっちの…………」



 どっち??



「そ、その……。どっちのお……キャッ!!!!」



 そこまで言いかけると、女性陣が獰猛な熊もフサフサの尻尾を巻いて逃げる程の形相で乱雑に御盆を受付へと置いた。



「お、おい。もう少し静かに置きなさいよ」


『……。ハァッ??』



 俺が注意するのと同時、マイが片眉を上げて俺を睨みつけた。


 フィロさん直伝なのだろうか?? 大変恐ろしい形相を受けると背筋に冷たい汗が流れ落ちて行く。


 私、何か悪い事をしましたでしょうか??




「か、会計ですね?? 少々お待ちください」



 彼女達の鋭い視線を受けた看板娘さんが慌ててパンの数を数える。



「ほら、困っているじゃないか」


「お会計は…………。二千ゴールドになります」



 相変わらずの安さ。


 しかし、いつも甘えてばかりでいいのだろうか??



「安過ぎるよ。正規の値段でいいんだからね??」


「常連さんですから。あ!! そうだ。今度私を痴漢から守って下さい」



 ――――。


 おっとぉ、この展開は宜しく無い。


 彼女が声を出すと同時、反射作用的に本能が働き両手で臀部を庇った。




「レイドさんに守って頂けるのなら、安心出来ますから……」



 頬を可愛く朱に染めてそう話す。



 可能であれば額に入れて一日中眺めていたい顔ですけどね。


 俺にとってその顔は死刑宣告に近いのだよ。



 だが、俺は度重なる痛みから学習したのです!!


 俺の背で恐ろしい圧を放つ彼女達は看板娘さんの死角から必ず攻めて来る筈。


 だから今もこうして魔の手から己の臀部を死守している訳だ。



 ふふ……。


 さぁ、鉄壁の守りを突破する事は出来るのかな??



「あはは。俺じゃあ……。ぐにぃ!!!!」


「ぐに??」



 看板娘さんが小首を傾げて此方を見つめた。



 俺の右手をユウ、そして左手をマイが臀部から強引に引き離す。


 力の限り臀部を守ろうと抵抗するが、片手ではこの二人に勝てる筈も無い。


 防御を掻い潜った魔の手、基。魔の指が攻撃を開始するとこの世のものとは思えぬ激痛が臀部を襲えば誰だって変な声を出してしまいますよ!!



「お、俺じゃあ。ハッ!! た、頼りにならないと思うなぁ」



 左の臀部をカエデが、右の臀部をアオイが力の限り抓っている。


 お願いですからつ、爪は立てないで!!!!



「そうなんですか?? レイドさんだったら安心出来ますけど。あ、そうだ。お出掛けする時は守って貰おうかなぁ。なんちゃってっ」



 ペロリと舌を出してお道化る姿を捉えた刹那。顔中から一斉に血の気が引いた。



「そ、それは。トハっ!!!! に頼んだら?? ほら、アイツなら元気いっぱぁっつ!! だからさ!!」



 止めて!!


 これ以上深く刺さないで!!



『はは。いいぞ、アオイ。そのまま深く抉ってやれ』


『いいわよ、カエデ。その調子』



 ユウとマイの声が脳内に響く度に激痛が酷くなる。



「もう。意地悪ですねぇ?? 私が痴漢に襲われてもいいんですか??」



 餌を横取りされた栗鼠みたく、可愛い湾曲具合で頬を膨らまして話す。



「良く無いと思います。本当にあっぶ!! ないと思ったら俺かトアに言うんふぁ!! だよ??」



 い、いかん!!


 痛みで発狂しそうだ。



『アオイ。もっと指先に力を籠めろ』


『カエデちゃん、もうちょっと右の方が痛みを強く出来るよ??』



 狼二頭がとんでもない事を言い出すものだから、眼球の奥からじわぁっと涙が滲み出て来てしまう。



「ふふ。ありがとうございます。その時は頼らせてもらいますね??」


「ど、どういたふぃ!! まして」



 目に浮かぶ涙を落とさない様にゆるりと話し。



『おら、さっさと金を払え。攻撃を受けていると知られたら……。テメェの尻じゃなくて、腹に穴が開くぞ??』



 凶悪犯も真っ青になる脅迫を受けながら財布を取り出して極悪人の要望通り。


 彼女に攻撃を受けている事を悟られぬ様、震える手で会計を済ませた。



 くそう。


 何でこんな目に遭わなきゃならんのだ。


 普通に会話していただけなのにぃ……!!



「ありがとうございました――!! また来てくださいね――!!」



 何も知らない彼女に弱々しい笑みを浮かべ、痛む臀部を庇い可笑しな姿勢のまま店を後にした。



「――――。いってぇぇええええ!!!!」



 北大通に躍り出ると同時。


 人目も憚らず痛さを誤魔化す為に地面へと転がり、臀部を両手で擦り始めた。


 お、俺のお尻。ちゃんと付いているよね?? ねぇ!?



『はっ、背中に火ぃ付けられた子鼠みてぇに地面の上を転げ回っちゃってさ。なっさけねぇ』


「み、皆が寄って集って俺の臀部を攻撃するからだろ!?」



 まるで汚物を見る様な、凍てつく冷酷な瞳で俺の所作を見下ろしている龍へ叫んでやった。



『レイド様?? 私以外の女に色目を使うのは許しませんわよ??』


『レイドはも――少し私達を大事に見るべきだねぇ――』


『主、見損なったぞ』


『だな――。皆、行こうか――』



 えっ??


 な、何も悪い事していないのに何故そこまで冷たくするの??


 ユウの声を受けた一同が南へと下って行き。



 そして、最後までこの場に残った藍色の髪の女性がじぃぃっと涙目の俺を冷静な顔で見下ろし。



『抓られるだけで済んだ事を感謝して下さい。次は貴方の命を奪いますから……』


『ひゃ、ひゃい……。有難う御座います……』



 魂を刈り取りに来た悪魔も絶叫して踵を返す悪魔的な笑みを浮かべた分隊長殿に礼を述べ、静かに移動を開始した彼女の背にそそくさと続き。



「……??」



 道行く人が首を傾げてしまう所作で尻を抑えながら本日の宿泊施設へと向かって行ったのだった。 




お疲れ様でした。


そして、いいね有難うございます!!



ここで一つ裏設定を御紹介します。


テーラー工房で出会った彼女ですが……。不帰の森内部の前線調査に向かった特殊作戦課の部隊の生き残りが彼女です。


第三章で彼女とガッツリ絡む話がありますのでその前哨戦ではありませんが、少しだけ絡む話も必要かなと考えて投稿しました。


そして次話で漸く御使いの説明がされます。



寒い日々が続きますので体調管理に気を付けて下さいね。


それでは皆様、お休みなさいませ。

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