第百八十六話 未だ見ぬ世界へ向かっての再出発 その一
お疲れ様です。
祝日の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それでは御覧下さい。
生活環境下で溜まる許容範囲内な生活臭と、少しだけ埃が混ざった部屋の香りに包まれ私は一人額に汗を浮かべていた。
傷が目立つ箪笥の中から冬用の服を取り出して乱雑に背嚢の中へとぶち込む。
少々乱雑に放り込まれた所為か。
自前の背嚢さんがムスっとした顔を浮かべていますが、この際無視します。
私が何故自室で躍起になって荷物を取り出しているのかと言うと……。
『もう直ぐ寒くなるからね。向こうの大陸は此方に比べて寒いから冬用の服を持って行きなさい』 と。
クソ婆から命令に近い助言を頂き行動に至っているのだ。
では何故、たかが荷物を詰めているだけで汗を掻いているのか。
それは家族だけにしか分からない暗黙の知らせがクソ婆の顔に浮かんでいたからだ。
『あ、そうそう――。お父さんとちょぉ――っと御話をしてからマイちゃんの部屋まで行くからねぇ?? 荷物を纏めたら部屋で大人しく待っていなさい。イイワネ??』
肉を捨てた骨だけの死神でさえも冷や汗を浮かばせる冷徹な顔。
アレは本気で洒落にならん顔なのだ。
私一人では恐らく襲い掛かるあの恐怖に耐え抜ける自信は無い、しかし!! ユウ達といち早く合流すれば御咎めは少なからず軽減される筈!!
人前で大々的に叱る訳にはいかんだろうさ。
私はこう見えて策士なのよ!!
「ふっ、ふっ!!」
赤、黒、深緑等々。
厚手のシャツやら上着やらを素早く乱雑に背嚢へ詰め込んでいると……。
『ギィィヤァァァァ――…………』
遠く彼方から男性の断末魔の叫び声が微かに鼓膜を刺激した。
や、や、やっべぇ!!
父さんはもう死神に魂を狩られてしまったか!?
は、早くこの死地から脱出しないと!!
箪笥の引き出しを蹴り飛ばして元の位置へと戻し、背嚢の口を紐で縛り終え。
さぁ地獄の一丁目から脱出だぁ!! と勢い良く立ち上がった。
しかし、その刹那。
「……」
背後の扉がキィィ……っと。
敢えて私の心臓を傷めつけるかの如く静かに、そして遅く鳴り響いてしまった。
「は、はぁっ……。はぁっ!!!! はぁっ……!!」
心臓の音が平常時の四倍程の速さでドドドドと鳴り響き、湧き起こる恐怖から口が乾いて喉の奥に熱砂をぶち込まれた感覚が襲う。
ぜ、絶対後ろに居るわよね??
ど、ど、どうしよう……。
こ、このまま知らぬ存ぜぬで通せないかしら……。
手汗でビチョビチョに濡れた手を一度、二度、そして三度開いては握り。勇気を振り絞って振り返った!!
「―――――――。ヤッホ――。マイちゃん、地獄から真心の籠ったお届け物で――すっ」
「ギィィヤアアアアアア!!!!」
刹那に捉えた母さんの顔は暗闇の中へ消失。
すると、こめかみに常軌を逸した激痛が迸り私の体は宙へと浮いてしまった。
「いだだだだ!!!! な、何すんのよ!!」
「何をすると私へ問う前に。何故こうして叱られているのか、自分の薄い胸に手を当てて考えて御覧なさい??」
「母さんも私と似たような大き……。オグブッ!?」
揶揄ってやろうかと考えたらとんでもねぇ威力の拳を腹に捻じ込まれてしまった。
「それ以上口を開くと、腹にぽっかり穴が開いちゃうゾ――??」
と、取り敢えず殺される前に。何故こうして説教されているのかを考えましょうか。
「え、え、えっと……。父さんの分の魚を食べちゃったから??」
「はい、一回目――」
「オゴルボダ!?!?」
ものすげぇ近くでミチャっと肉が爆ぜる音が響くと、こめかみにめり込む指の圧が跳ね上がってしまった!!!!
「ち、ち、違うの!?」
「うん。後二回間違えたら貴女の頭は粉々に吹き飛んで、この部屋一面に彼岸花が咲き誇る事になるからねっ」
ひゅ、ひゅぉ――……。
こっわ!! 何がどうあってもこっわ!!!!
「へ、へっと……。んっと……。ユ、ユウのおっぱいを叩いたから??」
「惜しい!! ちょっと掠ったわよ!! でも、二回目ね」
「ハギギギ!?!?」
ギギっと。
すっげぇ硬い鉄をひん曲げた時の様な耳障りな音が響くと共に指先が私のこめかみへとめり込んで行く。
このままじゃ確実にこ、こ、殺される!!
「か、考えるから手を退けて下さいませ!!」
「嫌」
即答すんなっ!!!!
「因みに、お父さんは三回間違えたから地獄の底へ叩き落としてやったわ」
ひ、ひぃぃっ!!
つ、次間違えたら。私も地獄の底で父さんと再会せねばならぬのか!?
考えろぉ……。考えろ私ぃぃいい!!
惜しいって事はちゅ、ちゅまりだよ??
誰かに対して暴力を振るったのが許せないのだろう。
そこから導き出された答えは……。
「――――。ボケナスを思いっきりぶん殴った事??」
「…………」
えっ?? 何、この沈黙。べらぼうに怖いんだけど??
断頭台に頭を突っ込んだ死刑囚の首を刈り取ろうとする巨大な刃が落ちて来る前の様な静けさじゃん。
クソ婆の腕を掴み、来たるべき時に備えてひぃひぃと荒々しい呼吸を続けていると……。
「うんっ!! 大正解っ!!」
死刑執行は回避され、私の体は宙から部屋の床へと落下して行った。
「いでっ!! ウギギ……。あ、頭がクソいてぇ……」
「その口調も良くないかなっ」
「はらばっ!?」
母さんが私のお腹をまるで道端の小石を蹴り飛ばす様に蹴ると、その勢いでベッドへと吹き飛ばされてしまう。
「な、何で一々暴力振るうのよ!!」
「貴女とお父さんは口で言っても理解出来ないからね。私も致し方なくこうして手を出しているのよ??」
絶対嘘だし!!
弱者を痛め付ける暴君の様な嗜虐的な笑みを浮かべているじゃん!!!!
「ま、それは置いておいて」
置くなや。
「今日から再びレイドさん達と一緒に冒険へ出掛ける訳なんだけど……」
ベッドの上にポスンと座り、真剣そのものの顔で荒い呼吸を続ける私を見つめる。
「何よ。まさか、出て行くなって言うの??」
それは絶対拒否するわ。
アイツらは私がいないと何も出来ない只の案山子だもの。
世界最高の隊長である私がボケナス達を導かなければならない。つまり!! 私には大変重たい責務が与えられているのよ。
「まさか。貴女の人生を決めるのは貴女自身だからね。それを止める権利は私には与えられていないわ」
じゃあ、何でそんな真剣な顔つきをしているのかと問おうとしたが。
「いい?? 良く聞きなさい」
母さんが私の肩に手を置いて語り掛けて来るので、開きかけた口を閉じて静かに大きく頷いた。
「貴女は本当に馬鹿だけど……」
御免。馬鹿って言葉、付け加える必要あった??
「道理から外れる事は大っ嫌いよね??」
「まぁっ……。うん、そうね」
「マイちゃん達はもう気付いていると思うけど……。貴女達は物凄く強い力を秘めているわ」
「それって……。継承召喚の事??」
多分、そうだと思うけど。
「無きにしも非ず、かしら。その力は強力な故、凄く魅力的にも見える。けどね?? それに耳を貸しているようじゃまだまだ未熟な証拠なの」
「――――。あっ」
母さんの声を受けた刹那。
ボケナスが倒れた時に頭の中で響いた声が朧に蘇った。
「心当たりはあるでしょ?? レイドさん達全員にその秘めたる力が存在しているの。貴女の……。ううん。貴女達の役目は友達が道を外さない様に止めてあげる事なの」
「つまり、力に飲み込まれない様に。その時が来たら実力を行使して止めるって事で良いの??」
「そうよ。一度道を外れた者は帰って来れなくなるかも知れないの。それはとても寂しい事よね??」
母さんがふと寂し気な表情を浮かべる。
恐らく、彼女の心の中ではあの蛇の女王の姿が浮かんでいる事であろうさ。
昔は五人で行動を続けていたが、今は軋轢が深まりあのウネウネ野郎はたった一人で行動しているし……。
「安心しなって。その時が来たら私が体を張ってアイツらを纏めてやっからさ」
カエデみたいな統率力は無い。
ボケナスやユウみたいな優しさも持っていない。
しかし……。
誰かが力を行使して道を外れようとするのならば、力を以て抑え付けてやれる力は持っている。
道を外れようとした者を傷付け、例え皆から蔑まされても私自身が傷付けば良いのだ。
「今、自分だけが無理すればいいと思ったでしょ」
流石、クソ婆だな。
娘の考えている事は何でもお見通……。
「誰がクソ婆だ」
「アブチッ!?!?」
強烈な張り手が左頬を襲い、首が綺麗に捻じ切れて壁に貼りついてしまいそうだった。
「な、何もい、言ってないじゃん!!!!」
「マイちゃんの顔に書いてあったのよ。それだけは絶対止めなさい。皆で手を取り合い、一緒に苦悩して手を差し伸べてあげるのよ。たった一人で他人の人生全部を背負える程貴女の器は大きくないわ」
私の器ってそんな小さいかしら??
さり気なくひっでぇ言葉よね。
「兎に角。マイちゃんは皆と一緒に学んで、面白い事を体験して、怖い思いをして強くなりなさい。そして……。友達を一生大切にしてあげる事。それが大人である私から貴女に送る金言よ」
「んっ、有難うね。母さん。すっげぇ為になったわ」
此処から初めて出て行く時は何も言わずに見送ってくれた。
沢山の素敵な土産話を用意して帰って来ようかなと考えていたけども……。
私は己の無力に歯軋りを覚えながら帰って来た。
母さんはそんな無力で情けない私に言葉で教えてくれた。
温かい眼差しで臆病風に吹かれていた心を励ましてくれた。
そして……。もう一度冒険に出掛ける私を笑って見届けてくれる……。
これ程出来た親は居ないわよ。
只、暴力は余計だけどねっ。
「んっ、良い子っ」
そう話すと私の頭をヨシヨシと撫でてしまう。
父さんのは嬉しいけど、母さんのは何だか小恥ずかしいわね……。
「や、止めろや……」
羞恥を誤魔化す為、母さんの右手を振り払うが。
「……っ」
再び無言で笑顔を浮かべたまま私の頭を撫で始めてしまう。
「だ、だから。止めろって」
「良いじゃん。親子水入らずなんだし??」
「わ、私はもういい歳の女なんだから。不必要よ」
「んふふ――。正直じゃない子にはぁ……。お仕置きだぁ!!」
何を考えたのか知らんが。
母さんが満面の笑みを浮かべると私にひしと抱き着いてしまうではないか!!
「だ――!! ベッドがせめぇから落ちるだろうが!!」
「止めません――。レイドさんの何処が好きになったのか教えてくれたら解放してあげる」
「は、はぁぁぁぁっ!?!?」
だ、だ、誰がアイツなんか!!!!
「言わないとぉ……。脇腹とおっぱい取れちゃうわよ??」
「っ!? キャハハ!! や、止めてぇぇええ!!」
母さんが素早く私の背後へ回ると、手先の十指が有り得ない動きを見せて私の体を蹂躙するではありませんか!!
「ほれほれっ!! 何処だ?? 何処が好きになったんだ!?」
「し、知らんっ!!!! ふ、フヒヒッ!! アハハ!!!!」
「前から思っていたんだけどマイちゃんってさ、偶に気持ち悪い笑い声出すわよね??」
「じ、自分の娘に向かってひ、ひぃっ!! 気持ち悪いとかひゃんっ!! 言うなや!!!!」
「あっそ。ほれ、どうだ??」
「そ、そこは駄目ぇぇええ――!!!!」
いい歳こいた大人の女性に良い様に体を蹂躙される。
でも、不思議と嫌な感覚は湧かなかった。
通常あるべき親子の接触では無いとは思うが、これはこれで仲睦まじい親子関係にも見えるだろうさ。
大変しつこい拷問を受けてる捕虜の気持ちを何となく理解しつつ、それでも決して口は割らないぞと。城壁よりも硬く口を閉ざしてクソ婆からの執拗な攻撃を受け続けていた。
◇
少し前まで素敵な夕食会が催されていた中庭は平穏を取り戻して、淡い月光が降り注ぎ静かな時が流れている。
帰り支度を整えた一行は大変美しい夜空の下で悪戯に時間を消費しつつ、当たり障りのない日常会話を続けていた。
痛みは余分だったが、食事は大変満足のいくものであった。
命を救ってくれたばかりか食事まで世話になるなんて……。
今度此処へ訪れる時は必ず土産を持参しよう。
グシフォスさんとフィロさんへ贈る土産の姿を思い浮かべていると。
「なぁ、マイの奴。まだかぁ??」
ユウが右翼側の扉へと視線を移して声を上げた。
「家族同士、色々話す事も多いんだろ」
ムスっと唇を尖らせるユウに言ってやる。
食事を終えてフィロさんから耳打ちされると、何だか慌てて部屋に駆け込んで行き。
『は、早く身支度を整えなければっ!!』 と。
通路にまで悲壮感溢れる声が漏れていたが……。
一体何を慌てる必要があったのだろう??
フィロさんと暫く会えなくなるんだし。親子水入らずの良い機会じゃ無いか。
親が居ない俺にとっては大変贅沢な時間ですよ。
「先生、魔力の譲渡はこれ位で宜しいですか??」
「十分よ。ありがとうね」
カエデがエルザードの肩からそっと手を放す。
「魔力って相手に渡せる物なの??」
「ある程度魔法に精通している者でしたら可能ですよ」
へぇ。そうなんだ。
「レイド様、因みに私も出来ますからね??」
「そっか、流石アオイだね。――――。後、近いです」
男の性を無理矢理叩き起こす力を有している柔らかいお肉を右腕に絡めて来るので、そっと押し返してあげた。
「んもぅ……。レイド様は病み上がりですから、私が支えてあげようと思っていますのにぃ」
微かな倦怠感、そして右手に僅かな熱を帯びていますが経過は概ね良好ですから御安心下さい。
そう伝えようと口を開こうとすると。
「皆さん、お待たせしました」
フィロさんとマイが此方へやって来た。
うん?? 何だ??
マイの奴、妙に元気が無いような……。
体の使い方を粗方覚えた子犬が何を考えたのか、大見得切って親犬に喧嘩を挑んだが。
あっと言う間に一蹴されてしまい。
あ、そっかぁ……。私って物凄く弱いんだ、と。この世の厳しさを改めて思い知らされた微妙な表情を浮かべていますね。
「ごめんなさいね。ちょっと話が長くなっちゃって」
「いえ。積もる話もある事ですし。グシフォスさんは??」
見送りには……。流石に来ないかな。
「主人は部屋できぜ……。休んでおります」
「「「……」」」
ふむ、相分かった。
先程聞こえた断末魔の叫び声はそういう事だったのですね。
「……」
マイの奴が珍しくシュンっと項垂れている理由が瞬き一つの間に理解出来てしまった。
『大変だったな……』
背嚢を背負い、地面の小石をぼうっと眺めているマイへ小声で労ってやる。
『――――。うんっ』
声、ちっさ!!!!
家族でも容赦ないフィロさんの躾、ね。
願わくばコイツのこの慎ましい状態が暫く続きますようにっと。
「じゃあ、フィロ。そろそろ行くわね」
「うん。エルザードも元気でね?? それと……皆さん。娘の事、宜しくお願いします。御迷惑を掛けると思いますが、温かい目で見守ってやってください」
「ちょっと……。母さん……」
マイが頬を朱に染め、憤りの声を上げる。
家族ならではの羞恥心って奴だな。
「は――い!! マイちゃんのお世話は私がしま――す!!」
「任せて下さい。あたしが面倒みますんで」
「私は赤子か」
マイの鋭い視線が二人を襲う。
「…………。マイちゃん?? さっきの話。もう忘れたの??」
「……っ!!!! わ、忘れていないって」
「イナイッテ??」
「忘れていません!!!!」
「はいっ。良く出来ましたっ」
また……。あの顔だ。
グシフォスさんはきっと、今の表情を受けて卒倒……いや。
疲労が祟って倒れたのだろうさ。無理矢理そう思う事にした。
「よしっ。行けるわ」
エルザードが魔力を解放すると、中庭に眩い光を放つ魔法陣が出現。
ゆっくりと白い靄に包まれて行く中、フィロさんの姿が見えなくなる前に一言礼を言いたかった。
「フィロさん!! 大変お世話になりました!!」
「いえいえ――。また遊びに来て下さいねぇ!!」
「はい!! またお邪魔します!!」
穏やかな表情が顔に浮かび、それが霧によって徐々に見えなくなっていく。
あの顔なら大変落ち着いて会話が出来るのですけどねぇ……。
魔法陣から強烈な閃光が迸り視界が白一色の世界に包まれた。
さてと!! 師匠へ回復の挨拶を済ませましょうかね!!
腹の奥をズンっと響かせる魔力が迸ると俺達は一路、待ち惚けを食らい続けている狐の女王様が待つギト山へ向かって移動を開始した。
最後まで御覧頂き有難う御座いました。
今回で最終話と先の後書きで述べさせて頂きましたが……。大変申し訳ありません。筆者の体力が限界を迎えた為、次の回が最終話となります。
何でこんな日に体調が悪くなるのかと、自分を戒めている次第であります。
皆様も体調管理には気を付けて下さいね。
それでは、お休みなさいませ。




